時刻は平穏な昼下がり。
執務室では子育て時間を終えた提督が執務に追われ、阿賀野はその補佐。よってあがのの面倒は他の面々が見ている訳だが、
「あがの大丈夫かしら……」
矢矧にはちょっと不安があった。
今日この時間にあがのを預かっているのは天龍と龍田。二人は決して子どもに何かしでかすような艦娘ではないし、艦娘の誰もがあがのに優しく接している。
しかし矢矧としては叔母として可愛い可愛い姪っ子をどうしても心配してしまう……叔母バカみたいな感じ。
「あの二人なら大丈夫よ」
「そうだよ〜。二人共優しいし、この鎮守府に酷い人なんていないよ」
そんな矢矧に能代と酒匂は苦笑いで言葉を返す。
今日、この三人は揃って対潜訓練をこなし、それを終えたので三人してあがのを天龍たちのところへ引き取りに行くところ。
「それは私だって大丈夫だと思ってるわよ? でも、なんて言えばいいのかしら……提督と阿賀野姉ぇと高雄さん以外に預けとくのはなんかモヤモヤするのよ!」
本当なら自分が面倒を見ててやりたい……そんな気持ちが全面に出ている矢矧を前に能代も酒匂も『まあ気持ちは分かる』とまた苦笑いを返した。
「早く軽巡の寮に向かいましょ!」
「あ、ちょっと矢矧っ!?」
「待ってよ〜!」
ーーーーーー
急ぎ足で能代と酒匂を置いてやってきた矢矧。
寮の玄関に入ると、
「きゃ〜、可愛いわよあがのちゃ〜ん♪ 上手上手〜♪」
「あっはっは、様になってるじゃねぇか♪」
「えへへ〜♪」
談話室の方から、可愛い姪が仲間たちと何やら楽しそうにしている話し声が聞こえてきた。
「あがの〜?」
矢矧はすかさず談話室の戸を開ける。
すると、
「あ、やはぎおねえちゃん!」
「お〜、訓練お疲れ〜」
「お迎えご苦労様〜」
あがのはパァッと眩い笑顔で矢矧の元へパタパタと駆け寄り、天龍と龍田は労いの言葉をかけてくれた。因みに今日のあがのは海風のような三つ編みお下げで、先を赤いヘアゴムでまとめている。
「二人ともあがのの面倒見ててくれてありがとう。あがの〜、ちゃんといい子にしてた〜?」
「してたー!」
「そうよね〜、あがのは世界一お利口な私自慢の姪だものね〜♪」
「ん〜♪」
矢矧はもう猫なで声であがのに頬擦りしたり頭を撫でたりと、まるで会えなかった時間を埋め合わせるかのようにうんと可愛がる。対してあがのは満面の笑みで嬉しそうな声を出す。
「そういえば、玄関に入った時にお話声がしてたけど、天龍お姉ちゃんたちとどんなお話してたの? 何か教わってた感じがしたけど?」
矢矧がそうあがのへ訊ねると、
「あぁ、あれか。あがの、やってやれよ」
「さっき私が教えた通りに、矢矧ちゃんへやってみて?」
天龍と龍田があがのへゴーサインを出した。
するとあがのは元気にお返事をしてから矢矧の前に気をつけする。
そんなあがのの行動に矢矧はわくわくしながら、あがのと同じ目線のまま待機した。
次の瞬間ーー
「ん〜……まっ♡」
ーーあがのが矢矧へ向けて投げキッスを見舞う。
しかも子どもらしく『ん〜』の時に両手を1回口につけ、『まっ』の時に相手へと両手広げるというなんとも愛くるしい動作だ。
「どう、可愛いでしょ〜?」
「お前、あがのLOVEだからこれはきっとーー」
ガクッ
「ーー矢矧ぃぃぃぃぃっ!!!!?」
もろに姪っ子からの投げキッスが直撃した矢矧はその場に安らかな表情のまま、なんたらボールのヤがつく厶チャのように倒れ込んだ。その威力たるや、あのクールビューティー矢矧が鼻から赤い物を盛大にブッパしているので、相当なものと言えるだろう。
「な、おいっ、矢矧っ! しっかりしろっ! おいっ!!!」
「幸い矢矧ちゃんはまだ廊下にいたから、血が畳に染みなくて良かったわ〜♪」
駆け寄る天龍と全く違うところで安心している龍田。
「天使は酒匂だけじゃなかった……」
「やはぎおねえちゃん? だいじょうぶ?」
「あぁ、あがのは龍田のとこにいろ。今矢矧の血拭くから」
とにかく先ずは矢矧とあがのを引き離すことが先決だ。あがのは素直に龍田のお膝に行くが、倒れた矢矧が心配で眉尻を下げている。
「矢矧お姉ちゃん、あがのちゃんが可愛くて眠たくなっちゃったんだって〜」
「あがのがかわいいとねむくなるの?」
「矢矧お姉ちゃんはね〜。だから心配しなくても大丈夫よ」
「うん」
しかし龍田の言葉にあがのは少し安心し、矢矧が起きるのを大人しく待つことにした。
「え、ちょ、何があったんです!?」
「矢矧ちゃん!?」
そこへやっと追いついた能代と酒匂。この二人がこれだけ引き離されたのだから、矢矧の姪っ子愛はある意味で凄まじいことを物語っている。
「いやぁ、なんつぅか……」
「あがのちゃんの『てんしのキッス』が当たって、眠っちゃったのよ〜♪」
言いよどむ天龍の代わりに龍田がスパッと説明するも、二人して『?』と小首を傾げた。
なので、
「あがのちゃん、能代お姉ちゃんと酒匂お姉ちゃんにも矢矧お姉ちゃんにしてあげたのやってあげなよ♪」
龍田の悪魔の囁きにあがのは能代たちの前に立つ。
「お、おい、あがの、やめーー」
「ーーん〜……まっ♡」
天龍の制止も遅く、再びあがのは『てんしのキッス』を繰り出した!
「ぐふっ!」
こうかはばつぐんだ!
能代はその場にしゃがみ込み、鼻から赤い物をツゥーと垂らす。
「はぅわぁ〜、あがのちゃん、か〜わ〜いい〜♡」
能代、矢矧と倒れたが、酒匂は倒れなかった。しかし倒れなかったにしても、そのあがのの愛くるしい投げキッスに酒匂はもうメロメロ。
「重症を増やしてどーすんだよ……」
そんな状況を前に天龍は天(井)を仰ぐ。
「騒がしいが何かあったのか?」
「な、なんだ、この惨状は!?」
するとそこへ寮の前をたまたま通りがかり、騒ぎ声を聞いたガングートとネルソンがやってきた。
「あぁ、また話がややこしくなりそうなのが来やがった……」
天龍はもう既に収拾のつかないこの状況下でよりにもよって来た面子を見て、本音がぽろり。
「能代よ、無事か?」
「は、はひ……らいじょうぶでふ」
ネルソンの言葉に能代はにやけた顔で言葉を返し、
「矢矧は……」
「そのうち起きるっぴゃ♪」
矢矧を心配するガングートには酒匂がニッコニコの笑みで言葉を返した。
ーー
「なるほどな」
「まあ、子どもの愛くるしさにグッとくるのは仕方ないだろう」
天龍や龍田から事の詳細を聞かされたネルソンたち。
なのでネルソンもガングートも矢矧や能代の状態をある意味で微笑ましいと納得した。
が、その背後では妖精たちがせっせと矢矧の鼻血の血溜まりを掃除している。
「あはは、本当に可愛くて……お恥ずかしいところをお見せしました」
「…………」
謝る能代であるが、その隣には未だに安らかな表情で鼻にティッシュを詰めて召している矢矧が転がっており、なかなかにシュールだ。
「ガングートさんたちも見てみる? あがのちゃん、すっごく可愛いんだよ?」
酒匂の提案にネルソンもガングートも『是非とも見てみたいな』と笑うと、龍田が「じゃ、あがのちゃん」とあがのの背中を優しく叩く。
一方で天龍は嫌な予感がする……と思い、既に行動を開始していた。
あがのがネルソンたちの前に立ち、
「ん〜……まっ♡」
本日3度目となる『てんしのキッス』を見舞う。
すると、
「余、この子、飼う……」
ネルソンは急に言葉足らずなことを言いながら、あがのを抱きかかえてその場に寝転んでしまった。
「待て待て待て待て待て待て待て待て」
しかしすかさずガングートがあがのをネルソンから取り上げる。
「ったく、イギリス艦が……それも誇り高きビッグセブンのネルソンが何を戯言吐かしている」
「なんだと、今は無きソ連艦の分際で。余を……祖国を愚弄しているのか?」
「ふんっ、どうと取られても構わん。とりあえず、この
ガングートはそう言ってあがのを小脇に抱えて立ち去ろうとするが、
「待てい。貴様、言っていることは余と同じではないか」
すかさずネルソンがガングートの肩を掴んで止めに入る。
やいのやいのと英露で勃発したあがのの親権争い。そもそも親権は提督夫婦にあるのだが……というか、争いの中心にいるあがのは構ってもらっていると思って「きゃっきゃ♪」と楽しそうにしているから、更にカオスさが増している。
しかしそんなカオスな状態も、
「はい、そこまで〜」
母親である阿賀野の登場で終止符が打たれた。
実は天龍が『面倒なことになったから、悪いがもう迎えに来てくれよ』と阿賀野へ連絡したのだ。
「おかあさんっ!」
「あがの〜、お迎えにきたよ〜♪」
母親に抱っこされ、お迎えと言われればあがのは今まで以上に眩い笑顔を見せる。これにはネルソンもガングートも『母親には勝てないなぁ』と小さく笑った。
最終的にあがのは「ばいば〜い♪」と母親に抱っこされて能代や酒匂と談話室をあとにし、ネルソンたちも談話室を去ったのだが、
「……で、
矢矧だけは未だ復活出来ずにいる。
「矢矧ちゃんにとってはあがのちゃんからの投げキッスは刺激が強過ぎたのねぇ」
「気絶してんのにニヤけたまんまだもんなぁ」
天龍はそう言って矢矧の頬を軽く人差し指で突くと、
「ふへへぇ、わらひのかわいいめいっこ〜……」
矢矧はうわ言のようにそんな言葉をつぶやいた。
「ったく、姪っ子にデレデレなのは結構だが、あの矢矧がこんな風になるなんてなぁ」
「天龍ちゃんだって最初あがのちゃんから投げキッスされた時に悶えてたじゃない♪」
「うっせーな……あんな可愛いことされたら、誰だってなるだろ」
「まあね〜♪」
(確かに私も最初はキュンキュンしちゃったし〜♪)
叔母だけでなく、あがのの可愛さは鎮守府共通なのだと天龍たちは改めて実感したのだった。
プシュッ
「うぉっ!? こいつ、また鼻血吹きやがったぞ!?」
「あらあら〜、ドックへ運びましょうか。鼻血が畳に染みちゃうから〜」
「お前は畳のことばかり心配し過ぎなんだよ!」
「だって〜」
(あ、でもこの時の染みが残ってれば半永久的に矢矧ちゃんのことイジれるかも? それはそれで楽しそう……)
急にふと真剣な顔で考え込む龍田を見て、天龍はその姉として絶対に碌なこと考えてねぇと察して素早く矢矧をドックへと運ぶ。
そして矢矧が目覚めたのは次の日の朝で、後遺症によりあがのの笑顔を見るだけで鼻血が出るのが1か月間続いたというーー。
あのやはぎんですらあがのの前では赤子のようにあしらわれてしまう!
読んで頂き本当にありがとうございました♪