とある日の鎮守府。
それはあがのがまだ2歳になったばかりの頃。
今日も鎮守府は平時とはいえ大忙し。新しく着任した艦娘たちの育成に通常任務、訓練、演習……と分担ではあるもののやることは毎日山積みだ。
そんな昼下がり、執務室では誰もが物音ひとつ立てないように行動していた。
何故ならーー
「すぅ……すぅ……すぅ……」
ーーあがのがソファーに置いてある自分用のクッションを枕にしてお昼寝しているから。
今日はお昼を食べたあとで海防艦のみんなと中庭を走り回っていたため、疲れて眠ってしまったのだ。因みにあがのの今日の髪型は能代とお揃いの二つの三つ編みおさげで、両方共に赤いリボンで留めている。
「(阿賀野姉ぇ阿賀野姉ぇ)」
「(なぁに、矢矧?)」
「(私の姪っ子が可愛過ぎて生きるのが辛い)」
「(あげないよ?)」
「(知ってるし、私の姪っ子を物みたいに言わないでくれない?)」
「(そもそも慎太郎さんと阿賀野の娘なんだけどぉ)」
あがのがお昼寝中なので基本的に声はヒソヒソ程度。提督に至ってはヒソヒソ話が気になるので、こういう場合は耳栓をして執務に励んでいる。
一方、あがのがソファーから落ちないようにすぐ側で見守っている矢矧は姪っ子の無防備な寝顔にキュンキュンしっぱなしで、阿賀野はあの仕事の鬼がこうも陥落していることに内心苦笑い。というよりあがのが産まれてからというもの妙にウザさが増していて姪っ子贔屓も目に余る。
「すぅ……すぅ……うぅんっ……」
「(寝返りよ、あがのが寝返り打ったわ!)」
「(随分前から寝返り打てるようになってるよ)」
「(姪っ子の成長は本当に早いわ……出来れば一生このままでいてほしい)」
「(………………)」
阿賀野は正直、心底今の矢矧は面倒くさいと思っている。
夫婦の大切な娘を溺愛してくれるのは嬉しいが、あがのの一挙手一投足にいちいち反応してくるからだ。
しかし矢矧は元々が面倒見の良い子であるため、守るべき存在がより身近になったことでこれまで鳴りを潜めていた母性本能がここに来て解き放たれているのだろう。
「(はぁ……可愛くてため息が止まらないわ)」
「(矢矧って本当にあがの好きだよね〜)」
「(こんなに可愛い姪っ子を好きにならない方が無理あるわ。阿賀野姉ぇ、本当にあがのを産んでくれてありがとう)」
「(う、うん……)」
もうあがのが産まれて何度目になるか分からない矢矧からの『ありがとう』を、阿賀野は苦笑いして受け取った。
ーーーーーー
日も傾き、任務等に励んでいた艦娘たちも続々と戻ってくる。今日はまだあがのがお昼寝から目を覚まさないので、提督が埠頭まで足を運んで戻ってきた艦娘たちから報告を受けていた。
「ーーという具合だ」
「ん、ご苦労さん。各自傷の修復をしたあとに補給してくれ」
此度、旗艦を務めた那智の報告を聞いたあとで提督が指示を出すと、艦隊は声を揃えて返事をする。
あとは晴れて解散なのだが……
「ヘ〜イ、テ〜トク〜♡ マイワイフがマイドーターに付きっきりで〜、寂しい思いをしてはいマセンか〜?♡ 今だったら〜、ワタシがその気持ちを埋めてあげられマスヨ〜?♡」
……金剛がこれ幸いとばかりに提督へ擦り寄ってきた。表情こそはあくまでも提督が寂しい思いをしていないか心配している風であるが、傍から見れば今の金剛は大好物を目の前に舌なめずりをする獰猛な肉食獣にしか見えない。
「金剛……お前の好意はそりゃあもう前からすっげぇ嬉しいがよ……俺は阿賀野一筋なんだ。それに俺は子どもを理由に浮気とかするような人間じゃねぇ」
しかし提督は誠意ある言葉で金剛へ返す。どのガチ勢にも提督は毎回このようにちゃんとブレることなくお断りしているのだ。
しかししかし、これまた厄介なことにガチ勢としては妻阿賀野を一途に愛する提督がこの上なく愛おしく思え、余計にLOVEを募らせてしまう始末。
よって今の金剛もお断りされたのに「マイワイフ一筋のテイトクはやっぱりステキネ〜♡」と目をハートにしてメロメロ状態である。
「阿賀野ばっかりテイトクのLOVEをその身に受けてズルいデ〜ス。テ〜トク〜、ワタシにもほんのちょ〜っと、先っぽだけでもいいデスから、LOVEプリーズ♡」
「なんだよ、LOVEの先っぽってよ……」
「ン〜? レディの口から言わせる気〜?♡ テイトクはアマノジャックさんデ〜ス♡」
「ジャックじゃなくて天邪鬼な」
話が一向に噛み合わない両者。しかもその間に金剛は提督の体に自身の体を密着させてスリスリベタベタと過度なスキンシップを取っている。
提督が金剛の立派な金剛山の感触を感じつつ、どうしたものかと思案しているとーー
「いい加減にしてくれませんか、金剛さん?」
「つか、あとつかえてんだから早くそこ替われよ」
ーー今まで静かに金剛を睨……静観していた青葉と由良がとうとう動き出した。
二人して金剛の両肩をグッと掴み、相手が戦艦だろうと力強く提督から引き離す。
「トーサツ型重巡とメーワク型軽巡がワタシとテイトクのLOVEを邪魔しないでくれマセンか〜?」
「毎回コーチャでガンギマリしてるイギリスかぶれのヤヴァイ型戦艦が何を仰ってるんですか〜?」
「由良たちの愛する提督さんに〜、アブナイ型戦艦が近付くのって限度があると思うのよね、ね"?」
三者共に目からレールガンでもぶっ放しそうな程の眼力で睨み合う。これには流石の那智も触らぬ神になんとらということでとりあえず提督を三者から少し離れた場所へと誘導した。
こうした光景も本鎮守府では日常的なので他の者たちも特に取り乱すことはない。
それにーー
「ケンカしちゃダメぇ」
「アンタらが騒ぐと余計に司令官から嫌われるわよ? 少しは学習したら?」
ーー大天使文月エルと名奉行大岡叢雲守様が馳せ参じる。
文月のふわふわあまあまボイスに三者のボルテージはグッと下がり、叢雲の忠告で三者共に冷静さを取り戻すのだ!
三者揃って和解の意味を込めた握手を交わせばーー
「なんとかなったな」と安堵する那智
「よっ、大岡叢雲ン!」とよいしょする提督
ーーと、その場はやっと穏やかになる。
「何が大岡叢雲ンよ。アンタがしっかり止めないからでしょ?」
「サーセン」
「司令か〜ん、あたしも止めたんだよ〜? 褒めて褒めて〜!」
「お〜、褒める褒める! 文月は賢くて優しい子〜♪ お〜、よしよし!」
「ふみぃ♪」
こうして二人によってガチ勢の殴り合いの喧嘩は回避されるのであった。
ーーーーーー
「(全く……何やってんだか)」
「(まあまあ、慎太郎さんだって毎回ああなりたくてなってる訳じゃないから……)」
一方、執務室では埠頭の様子を阿賀野たちが見守っていた。仮に提督が誰かに連れ攫われてしまった場合、阿賀野が"絶対にそいつを仕留めるウーマン"になる他ないからだ。
「(にしても、みんな本当に提督のこと諦めないわよね)」
「(慎太郎さんモテるから♡)」
「(なんでそんなにデレデレした顔で言えるのよ……)」
「(だぁって〜、そんなモテモテの慎太郎さんが阿賀野一筋で愛してくれてるんだも〜ん♡ デレデレするしかないじゃ〜ん♡)」
こっちもこっちで相変わらず。なので矢矧はそんな姉に「(はいはい、良かぁございましたね)」と適当な言葉を返した。
ポーンポーンポーンポーンポーンポーン
すると壁掛け時計が一八〇〇を告げる。通常時ならば矢矧はこれで補佐艦任務はお役目御免となるが、あがのが喋れるようになってからの矢矧は何が何でもあがのと"バイバイ"と"また明日のキス"をしてからでないと執務室を離れようとしない。
矢矧曰くーー
『私が何もせずに帰ってしまうと、きっとあがのが悲しむから』
ーーらしいが、本当のとこは矢矧が最後の最後にあがのと喋れないのが嫌なのだ。そもそもあれだけ夫婦には『キスなんてしなくても生きていける』と言っていたのだが……。
「(今夜の晩ご飯どうしようかなぁ)」
「(あがのが何を食べたいかによるものね)」
「(まあ最悪食堂に行けば間宮さんたちが手早く作ってくれるし、あがのは私に似て出された物なら文句も言わずになんでも食べるんだけどねぇ)」
「(あがのがポチャポチャにならないようにね)」
「(あがのにお菓子食べるか訊く人No.1がどの口で言うの?)」
「(うっ……だってあがのが何かを頬張ってるの見るの可愛いんだもの)」
「(それは分かるけどさぁ、ご飯やおやつの時間以外に物を与えるのってあんまりよろしくないんだよね〜)」
「(以後気をつけます……)」
阿賀野から珍しく注意を受けて矢矧は謝るが、阿賀野は内心で『でも結局あげちゃうんだろうなぁ』と苦笑いしていた。
ただ矢矧が常日頃からこんな調子なので、他の艦娘たちはあがのに遊ぼうとは言うが食べ物は極力与えないようにしているのが幸いだ。これも一重に艦娘たちのチームワークのなせることである。
「ひよこさんバイバーイ! ひよこさーん! バイバーイ!」
『っ!!?』
背後から突如あがのの叫び声がしたので、二人は共にビクッと肩を震わせた。
あがのの方を確認すると、あがのはまたスヤスヤと寝息を刻んでいたので、今のは寝言だったことが分かった。
しかし寝言だと分かったのはいいが、何故『ひよこさんバイバイ』なのかが謎過ぎたため、二人して今度は声を殺して肩を震わせる。
「(ひっ、ひよこさんと何かあったのかな?)」
「(わ、分からないわ……でもこんな不意打ちされたら……ぷくくくっ)」
どうしてこうも子どもとは予想以上の行動を見せるのか……だからこそ可愛らしく、そこに愛情が湧くのかもしれない。
「(あがのたっての希望だし、今夜はオムライスかな)」
「(ひよこなら鶏肉料理じゃない?)」
「(そうなんだけど〜、オムライスの方が喜ぶと思うの)」
「(阿賀野姉ぇがそう言うのならそうなんでしょうね)」
「(うん♪ さて、流石にそろそろ起こしますか。夜眠れなくなっちゃうから)」
「(あ、なら私が起こしたい!)」
目を爛々に輝かせて申し出る矢矧。そんな目をされては阿賀野も「どうぞ」としか言えない。
母親の許可も得たので、叔母は早速あがのの頬を人差し指でふにふにする。
「んんぅ……」
「〜〜〜っ♡」
ただ嫌そうに指を退けただけなのに矢矧はあがのの可愛さを前に天へと召されそうな気持ちになった。
「あがの〜、あがの〜? 起きて〜」
「んん〜……?」
あがのが矢矧の声にゆっくりとまぶたを開ける。
「おはよう、あがの〜♡」
「おはよ〜、やはぎおねーたん」
矢矧はその言葉だけで胸の奥がキュンキュンと高鳴った。何しろあがのに向かって両手を広げたら、ちゃんと自分の胸に入ってきて抱きついてくれたからだ。
「あがの〜、おはようのちゅうは?♡」
「おはよ〜、やはぎおねーたん……んむん」
「ありがと〜♡ じゃあ私からも〜……ちゅっ♡」
「んへへへ♪」
頬にキスをされたあがのはくすぐったそうに笑う。矢矧はそれがもう可愛くて可愛くて仕方なくて、母親が見ているのも忘れて何度も何度も姪っ子の頬にキスをした。
「矢矧〜?」
「ハッ……ご、ごめんなさい。あがのが可愛くてつい……」
「いやぁ、別に私は怒ってないよ? ただ……」
「……ただ?」
すると阿賀野がふと目配せをしてみせる。
矢矧がその方向へ視線をやるとーー
「姪っ子にメロメロやはぎん」と提督
「あがのちゃんにメロメロなのです♪」と電
「矢矧さんも姪っ子の前ではそうなんだ」と響
「可愛いから仕方ないわよね♪」と暁
「私もあがのちゃんの子守りしたかったわ」と雷
ーー提督+第六駆逐隊のみんなに一部始終をバッチリと見られてしまっていた。因みに電たちは執務室に遠征の報告書を提出しに行く途中で提督に出くわし、提督たちとお喋りしたいのもあって一緒にやってきた次第。
「……………………」
「やはぎおねーたん、おかおまっか〜♪」
一方で矢矧は見られた恥ずかしさで完全フリーズ中。
「矢矧さん?」
響が矢矧の目の前で手をひらひらさせてみたが、矢矧の視線は動かない。
「矢矧さん、完全に固まってるわね……」
「これは再起動に時間が掛かるやつなのです」
「あがのちゃん、矢矧お姉ちゃん疲れちゃったみたいだから、今度は雷お姉ちゃんが抱っこしてあげるわ♪」
「わ〜い♪」
「ここまで恥ずかしがることもねぇのになぁ」
「あはは、矢矧だからね〜♪」
それから矢矧が再起動するまでの間、あがのの面倒は電たちがし、阿賀野はその間に晩ご飯のオムライスを作りに行き、提督は残りの書類を片付けるのであったーー。
今回はこんな感じになりました!
読んで頂き本当にありがとうございました!