晴天に恵まれた昼下がり。今日も興野提督率いる艦娘たちはそれぞれの役割に大忙しだ。
「…………あがの、イジメられてないかしら。心配だわ……」
「電ちゃんたちに限ってそんなことないわよ、矢矧」
「そうだよ〜。それに鎮守府にあがのちゃんをイジメる人なんていないよ〜」
「ほらほら〜、みんなお口より手を動かして〜」
「特に矢矧な。お前、あがのがいない時は誤字脱字のオンパレードだぞ」
「うぐ……ごめんなさい」
執務室では提督と阿賀野たちが今日は大量の執務に追われ、今回ばかりはあがのを電のいる暁型姉妹の面々に預けている。
今日に至っては天龍や龍田、高雄といった面々も任務で席を外しているので育児の時間が終わってから電たちにバトンタッチしたのだ。
そしてあがのが電たちに連れられて執務室をあとにしてからというもの、矢矧は精彩を欠いてミスを連発している。
普段であれば可愛い姪っ子に醜態は晒せないとして矢矧は事にあたるが、あがのが側にいないと心配で仕事が手につかないのだ。
「こんなとこあがのが見たら幻滅されちゃうかもよ〜? せっかくあがのの中で矢矧はカッコイイお姉ちゃんって位置づけなのに〜」
阿賀野がチクリと矢矧に釘を刺すと、矢矧は軽く己の頬をパンパンと叩いて気合を入れ直す。仮にあがのからカッコ悪いお姉ちゃんだと思われたりでもすれば、矢矧のハートはブレイクされて暫くは立ち直れないだろう。
「そんなの絶対に嫌っ!」
なので矢矧は大規模作戦張りに集中力を高めた。あがのが生まれてからというもの、『あがののため』という魔法のコトバを使えば矢矧は本領を発揮するのだ。
「やはぎんは本当に俺ら両親が呆れるくらいあがの命だよなぁ。まああがのにとって今は嬉しいかもしれないが、大きくなってうざがられないようにな」
提督が矢矧に軽く注意するとーー
「そんなのあがのに限ってあり得ないわ! あがのが……あの天使が私を拒絶するだなんて……っ!!」
ーー矢矧も最初こそは威勢良く否定したが、頭の中でそうなってしまった時のことを思い浮かべてしまい、無言で大粒の涙を流し出した。
「あらら〜……矢矧は本当にあがののことになると色々と忙しくなるねぇ」
そんな妹を阿賀野は苦笑いで見、そっとポケットティッシュで涙やら鼻水やらを拭いてあげる。
「でもこればっかりはなぁ。周りがどんなにそういう風にならないように育てても、その通り大人になるとは限らねぇからなぁ」
まあでもあがのは優しい子だし、周りにも愛されてるから不良とかにはならないだろう……と提督は付け加えた。
「不良……『お父さんマジキモい。近づかないで』って言われたら、提督はどうするんです?」
「…………執務室に忘れ物取りに行ったふりしてトイレで号泣するな」
能代のふとした質問に提督は苦笑いで言葉を返す。提督自身も自分で言ってて自分が情けなくなったが、今は『おとうさんおとうさん!』と来てくれる愛娘からある日冷たくされたら……なんとも言えない悲しみに暮れるだろうと思った。
しかしーー
「あがのに限ってそれはないよ」
ーー阿賀野が清々しい笑顔でそう断言する。
そんな阿賀野へ能代は「仮にの話で……」と返したが、
「だからないよ。絶対に。もしそんなこと慎太郎さんに言ったら、私はあがのが仰け反るくらいビンタする」
阿賀野はまたも清々しい笑顔で即座に返した。阿賀野の表情は笑顔だが、能代や他の面々からは阿修羅に見えたであろう。
「で、でも、あがのちゃんなら大きくなってもそんなことは言わないよね。反抗期とか思春期とかなら仕方ないかもだけど、親が悲しむようなことは言わないと思うから」
空気を読める子酒匂エルが話題をそれとなく逸らすと、今度はみんなしてあがのが大きくなった時のことをそれぞれ思い浮かべた。
「せめて言葉遣いは鈴谷さんくらいに留めて欲しいとこね。日本語なのに何言ってるのか分からない言葉を使われたら、私はショックかも……」
能代が難しい表情を浮かべて言うと、周りも確かにと同意するように頷く。
「私、あがのが男の人連れてきたらガングートさんから教わったシステマか武蔵さんから教わった柔術で潰すわ」
「おい、やはぎん。そういうセリフは父親である俺のセリフじゃね?」
物騒なことを口走る矢矧に提督がすかさずツッコミを入れるが、提督としては娘がこの人だと思って連れてきた相手なら首を縦に振ると決めている。それに自分が何かしなくてもどこぞの重巡洋艦一番艦や軽巡洋艦四番艦、高速戦艦四姉妹などなど、多くの者たちがあがのが連れてきた男の身辺調査結果を分厚い資料並にあげてくるだろうから。
「そういえば提督って阿賀野姉ぇと結婚したから、そういう親御さんへの挨拶ってしなかったのよね?」
矢矧のふとした質問に提督はーー
「まあ親御さんへの挨拶ってのはなかったが、大本営のお偉方には挨拶してきたぞ。お偉方は艦娘と普通の人間が結婚するのは反対しないが、明らかに素行が悪い人間なら結婚を認めないからな」
ーー自分の経験をそのまま口にし、初めて知ったと阿賀野を除く面々は驚きの表情を浮かべた。
「提督は口が悪いのに良くOKが出たわね」
「ジュウコンもしてるのにね」
「で、でも司令は阿賀野ちゃん一筋だったもんね!」
矢矧、能代と何故OKサインが出たのか不思議に思っている中、酒匂だけはちゃんとフォローする。そんな酒匂にだけ提督は今度、酒匂の大好きなプリンを作ってあげようと心に決めた。
「あぁ、もう執務すっぞ! あがのを迎えに行くのが遅くなる!」
そして提督のこの声でみんな気を引き締め、執務に取り組むのであった。
ーーーーーー
夕方に差し掛かってきた頃。執務室では未だに提督たちは缶詰状態。しかしもうあとは提督が確認すべき書類を残すのみで、阿賀野たちは自分たちの机の上を綺麗にしている。
「ねぇ、阿賀野姉ぇ……」
「まだ慎太郎さんが終わってないからダメ〜」
「うぅ……私の可愛いあがのがぁ……」
その中でも矢矧は既にあがのを迎えに行きたくて堪らないご様子。しかしその母親からのお許しが出ないため、矢矧は自分の机とドアの間を行ったり来たりしている。
「きっとあがのは今頃私に会えなくて泣いてるはずだわ……グスン」
いや、泣いてるのはアンタだよ……とその場にいる全員が思ったのは秘密だ。
しかし矢矧はもうまるで電池が切れたおもちゃのようにくたりとソファーに横たわり、普段はあがのが枕にしているクッションを抱きしめて寂しさを緩和している。
そんな矢矧の耳にーー
「きゃはははっ♪」
ーー可愛い可愛い姪っ子のはしゃぐ声が窓の向こうから聞こえてきた。
「あぁ、あがの……あがのに会いたくて、あがののはしゃぐ声の幻聴が聞こえるわ……」
でも矢矧は電池切れ。故にその声も現実か幻かも判断出来ていない。
それもそのはず、執務室があるのは本館の二階。そんな二階の窓の外からあがの笑い声がこんなに鮮明に聞こえてくるはずはないのだ。
がーー
「おとーさーん! おかーさーん! みてみてー!」
ーー窓の外ではあがのが上から下へ、下から上へとビュンビュン移動している。そして妙に下が騒がしい。
「っ!!?」
矢矧覚醒の時。カッと目を開いた矢矧は即座に窓を開けた。
「あがの!? あがのなの!?」
「やはぎおねーちゃーん!」
下からビョーンと鎮守府の屋上近くまで飛び上がるあがのと、そこから落ちていくあがの。普通ならばそんな状況下でこんなに笑っていられないだろうが、子どもは意外と怖さも楽しさに変えてしまうところがある。
「…………あぁ、そういうことか」
一方で阿賀野は矢矧が娘に釘付けになっている間に下を確認すると、
「そ〜ら〜、高い高〜い!」
「ちょ、武蔵さん、上げ過ぎよ!」
「高いが他界になったら笑えないよ」
「あがのちゃんもあと1回だけにしないさいねー!」
「あ、危ないことはお姉ちゃんが許さないのです〜!」
武蔵と暁型姉妹が集まっていた。
要するに武蔵があがのをスーパーウルトラデラックス高い高いをしてはるか上空へ上げ、それをあがのが楽しんでいるのだ。
矢矧はそれを目にしたのが初めてであるため目を丸くし、口をパクパクさせているが、初見ではない他の面々は『あぁ、武蔵(さん)またやってる』くらいである。
位置エネルギーのなんちゃらで降下してくるあがのが危険かもしれないが、武蔵という最高のキャッチャーと武蔵自慢の2つのキャッチャーミットがあがのを傷つかせない。それに武蔵自身が我が娘(自称)あがのへ傷をつけるなんてことは天変地異並のことなので、提督も阿賀野も安心して娘を任せている。
それに何よりあがの本人がこの高い高いの虜になっているため、強く注意するのことが難しいのだ。
「あがのぉぉぉぉぉっ! 危ないからやめなさぁぁぁぁぁいっ!」
矢矧が懸命に止めるよう訴えてもーー
「もういっかいやる〜!」
ーーあがのは矢矧が求めるお返事をしない。あがのという子どもは普段から人の言うことには素直に従うが、自由奔放な両親の子どもということで楽しいことは止められないし、誰にも止められないのだ。
「あがのぉぉぉぉぉっ!」
「やはぎおねーちゃーん♪」
ーーーーーー
「お迎え行けなくてごめんね、あがの〜」
「だいじょうぶ!」
「お父さんたちはお仕事終わったから、このあとは一緒だぞ〜」
「わぁい♪」
親子感動の再会(?)である。
ただその脇で矢矧はあがのに怪我がなくて本当に良かったと、あがのを後ろから抱きかかえていた。
「この武蔵が我が子に傷をつけるなんて思わないでくれ。矢矧」
「そういう問題じゃないの!」
「まあ限度ってのがあるわよね……」
「でもあがのちゃんが望んでることだからね」
「私たちとしてはやらせてあげたかったのよね」
「そ、それに、あんなにキラキラしたお目々で見られたら許しちゃうのです……」
武蔵と矢矧の横で暁たちは苦笑い。当然、能代も酒匂も苦笑いする他ない様子。結局はみんなあがのには甘くなってしまうのだ。
「あがの〜、楽しいからって矢矧お姉ちゃんたちが心配することはしちゃダメだよ〜?」
「するなとは言わないが、言われたらちゃんと止めないとダメだぞ〜?」
しかし両親はちゃんと娘へ言い聞かせる。寧ろこういう時こそ親は我が子に言い聞かせないといけないのだ。
その証拠にあがのは「は〜い!」と元気にお返事をしたので、今後からスーパーウルトラデラックス高い高いは1回、2回で済むだろう。
「あ、そうだ、あがのちゃん、あれをみんなに渡してあげなさいよ♪」
「うん!」
雷の言葉にあがのは頷くと、スルリと矢矧の腕から抜け出して電が持つ風呂敷を受け取った。
そしてーー
「
ーーあがのが電たちに教わって作ったおにぎりをみんなにプレゼントした。
これには両親は勿論のこと、能代たちも心の中で歓喜という悲鳴をあげる。
お世辞にも上手とは言えない小さな小さなまんまるのおにぎり……それでもそのおにぎりはこれまで食べてきたおにぎりの中で、これ以上ないご馳走に見えた。
「あがのちゃんがね、司令官たちのために何かしてあげたいって言ったから、暁たちでおにぎりを提案してあげたの♪」
「教えるのは基本雷に任せて、その間私たちはおかずを作って来たよ」
「唐揚げとタコさんウインナーとポテトサラダなのです♪」
「因みにおにぎりの中味は全部あがのちゃんチョイスよ♪」
「ありがとう、あがの、みんな」
「ありがと〜♪」
提督も阿賀野もお礼を言ってうんと娘をハグすると、あがのは嬉しそうにキャッキャと笑い声をこぼした。因みにあがのがみんなのためにおにぎりを握ったご褒美として、武蔵がスーパーウルトラデラックス高い高いをしてあげたということらしい。
こうしてその場にいるみんなで食卓を囲み心温まる時間を過ごしたが、感動で矢矧のおにぎりだけは無条件で(己が流す涙によって)塩おにぎりと化したというーー。
前半は子どもがいたらこんなことを親は思うのかなって思って書きました。
後半のは子どもなりの優しさや思いやりって身にしみますよね!ってことで!
読んで頂き本当にありがとうございました!