黒森峰のヴィットマン   作:ハンバーグ大好き

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さむい


聖グロのダージリンさん

 今日のクルトは整備部の四人で聖グロの戦車のメンテナンスを行っていた。パンターの整備前だったが、部品が予定よりも数日程遅れて届くという事で、結局聖グロの学園艦へと派遣されて今に至る。問題が無い車両とある車両はすぐに分かり、そして生真面目な生徒が多いのか、しっかりとリストアップされているので問題の箇所にすぐ取り組む事が出来るのである。

 

「こっちのクルセイダーのエンジン、終わったっす」

 

「お、流石だなミハエル。若いのに良い腕してるよお前は」

 

「ヴェンドルフさんにパッキンの外し方のテクを教えて貰ったからですよ」

 

「お前さんが身につけようと思って身に付いた技術だ、教えたって受け入れなきゃ意味がねぇ。自信にしな、学生なのに立派な整備士だよ」

 

 その言葉を嬉しく思い、照れ隠しに頬を拭えば僅かにオイルの黒が肌色に滲む。だが、この汚れも彼にとっては勲章にも等しい物。まさに縁の下の力持ちとして働いている象徴の様で、鼻につくオイルの香りも彼にとっては受け入れるべきモノであった。

 

 次に向かう車両はチャーチル、イギリス首相の名を冠するその戦車は長方形の形が特徴で、足回りも長いが速度はそれほどでない戦車だ。トランスミッションの調整に加え、起動輪や転輪と言った、履帯ではなくそれを回す部分がどうやら錆び付いているので、部分的な錆びを取り除き新しい物に変えろと言う事である。

 

 もしこれが黒森峰であれば、その程度の事ならば自分でやれと言われるであろう部分だが、聖グロは彼等を『金』で雇い、『技術者』として呼んでいるのだ。であれば、頼まれたからにはやるのが整備士、例え、生徒自身がやれる範囲であっても、それが彼らの仕事であるならば黙ってやるのだ。

 

 彼からすれば文句はない、実際の戦車にこうして触れ合えるという機会がそもそも貴重、黒森峰にあるドイツ式戦車ではなく、別の国のモノに触れあえるというだけで彼にとっては喜ばしい事なのだ。故に、地味な作業を嬉しそうに行う彼の姿を見て、聖グロの女子生徒は奇妙な物を見る様に視線を向ける。そうだろう、まるで小間使いの様な事まで喜んでいるのは奴隷か何かと思われてしまう。

 

 実際にそこまでは思ってはいない、彼らの仕事にはいつも感謝しており、そういった役割を変わってくれているからこそ、自分の前にはオイルの臭いではなく紅茶の香りとスイーツの甘い香りが漂うのだと知っている。だが、雑務を喜んでやっている人間を見ていると、やはりそういう風な視線を向けてしまうのも仕方のない事だ。

 

「こんな格言を知っている?」

 

 起動輪を外した時の事だ。そんな言葉が聞こえ、思わず手の力が抜けてレンチが足に落ちた。

 

「あいったー!!!!」

 

「優れた人は静かに身を修め、徳を養う」

 

「いったた……諸葛孔明ですか」

 

「あら、御存知でしたの?」

 

「まぁ一応。ところで、何か用件でしょうか?」

 

「いえ、私の乗る戦車ですから、しっかりと見届けようと思いまして」

 

「成程」

 

 それを確認して、クルトは作業に戻る。体を車輪付きのボードに乗せて、寝た状態のままで作業する。履帯は外されジャッキアップされた戦車の下にもぐり込み、誘導輪を外して横に置き、足が見えてそちらに視線を向けた時の事だった。

 

 座ってみてれば良いのに、と忠告しようとして、そして気付いてしまった。聖グロの制服も勿論スカートである。加えてロングタイプではなくそれなりに丈が短い、元は女子高なのである意味で当然であった。故に位置、角度が幸運というか不幸にも、見えてしまった。どうやら向こうも少ししてそれに気付いた様子で、何とも言えない空気が漂う。

 

「……すいません、どうせなら、座って見てた方がいいですよ、って言おうとしたんですが」

 

「……えぇ、その忠告、痛み入りますわ」

 

 淑女らしく、自分にも悪い所があるという落としどころで納得したのだろう。少しだけ頬を赤くした生徒、ダージリンは、近くに置いてあるテーブルへと座りしっかりと脚を閉じて、彼の作業を見守る事に決めた。驚きだったのは、恥じらいを見せた顔は年相応の少年といった感じだが、いざ作業を再開した瞬間、まるで熟練の整備士の様な風格を漂わせるのだ。

 

 戦車道に於いて、実際に操縦する選手として、突如現れた麒麟児を西住まほだとするならば、整備士の界隈での麒麟児はまさに彼なのだろうと理解した。仲間内からはあの偉大なる戦車乗りの名で呼ばれており、歳の差をなくすほどの信頼が結ばれているのが分かる。普通であれば大人の整備士が必ず付き添うであろう作業も、誰もが他の作業に集中し、彼一人に任せている。それは腕を理解し、出来ると分かっているからこそ、余計なおせっかいで時間を使うくらいならば他の作業をした方がいい、という判断である。

 

 見ている限りでは一切の淀みなく作業を進め、黒森峰には無い車両にも関わらずしっかりと整備している。話を聞けば、黒森峰の整備部は以前から各校へと派遣されていたらしいが、彼が入学したのは今年で、今はまだ夏手前だ。全国大会を直前に控えており、各学校が戦車の整備に勤しんでいる頃合い。猫の手も借りたいので新人を使っている、という訳ではなく、やはり一人前として扱っている。となれば、いったいいつ頃から整備士をしているのかとダージリンは気になって仕方がない。

 

 何故彼女がこうも気にするのか、その理由は単純に、整備士という存在は戦車に大きな益を齎すからだ。細かい調整や整備は当然として、パーツのみを入れ替える事での部分的なスペックアップ、改造キットを使って別物にするなど多様性に富むのだ。

 

 実際、黒森峰の戦車はたった二か月の間で信じられない程に強化されていると言う。勿論、以前までは細々と整備されていたが、人数が揃った今年の春から有り得ない程に伸びている。一つの車両が凡そ全体的に30%強化されたとしよう、実際に戦車道で使う戦車の最大数は第一、第二試合は10輌、準決勝では15輌、決勝では20輌となる。この時点で第一、第二試合では以前よりも300%、準決勝では450%、決勝に至っては600%と前年度よりもバカげたスペックの差が開くのだ。しかもそれが部分的ではなく、全体がバランス良く強化されての事である。

 

 加えて、黒森峰の戦車はドイツ本国でも非常に活発的に使用されている戦車であり、研究や完成品の発見などが進んでどんどん強化されていく。無論イギリスにも強力な戦車はいるが、それはむしろ戦後に研究が進んだからこそであり、戦時中に開発されてティーガークラスに対抗するとなればセンチュリオンを持ち出すほかない。だが聖グロのOGは伝統を重要視し、マチルダ、チャーチル以外の戦車を何故か認めない。クルセイダーですら最近漸く認められた異端児である。

 

 戦車ごとにスペックが違うのは当然だ、劣っている部位があるからこそ、相手が劣る部位に対して優れている点を押し出し勝利を捥ぎ取る行動が生まれる。例えばマチルダは主砲性能の連射性が高く、また装甲の硬さを活かせるが、速度が遅いため高機動戦闘に持ち込まれては勝ち目がない。

 

 イギリスの戦闘ドクトリンに則るのであれば、支援砲撃による疑似的なファランクス形態を取り、強固な装甲を活かして手数で押し切るという単純明快なモノ。だが黒森峰相手にそんな事をしても、実戦的に動く的が目の前で固まっているだけの状態になってしまう。自慢の装甲も、より強化された主砲によって以前よりも容易く撃ち抜かれ、既に彼の者等にとっては脅威にすらなり得ないだろう。そんな状態に押し上げたのが、たった一人の生徒が加わった事が原因だなどと信じたくも無い現実である。

 

 確かに大人である教師に対し、生徒側は話しづらいというのは分かる。だからこれまでは、戦車道を担当する教師に整備願いを出し、それを受理するだけだったのだろう。しかし、生徒という身近な形で現れる事でより現実的な要望を聞く事が可能になり、多少の我儘や、整備に可不可の気軽な確認が可能になり、それらが結果的に生真面目な黒森峰の生徒を後押しする形となった。

 

 たった三か月、されど三か月。本格的に入学する四月より前、体験入学の時点で既に整備に加わっていたら? 最初期に細々としたチューンアップが認められてその時点で整備していたら? 今、黒森峰の戦力を考えるとゾっとする。短期間でそれだけの事を成し遂げた黒森峰整備部の存在は計り知れない事となるだろう。

 

 事実、目の前で朝から行われている整備も、昼前の時点で既に二十輌近くが不備のあった点を整備されて新品同然となっている。これらに更に強化を施すとなれば、三か月もあれば十分。黒森峰に入学すると言う事は以前から陸地で分校に通い、戦車の特性も理解している。手掛けるのも容易い。

 

(……欲しいわね、整備部。四人全員とはいかずとも、彼一人を受け入れる事で我が校に吹く追い風の強さは計り知れない)

 

 もし彼が居れば、時間は掛かるだろうが少なくとも来年には、確実に以前とは比べ物にならない程の戦車部隊が完成する。実に欲しい。恋愛と戦争では手段を択ばないイギリス人の系譜である聖グロの生徒として、学園艦の生徒としての血が騒ぎ出す。聖グロは黒森峰の共学化に煽りを受け、検討が進んでいる最中だ。試験データとして彼を受け入れる事が出来れば実に大きい。黒森峰の整備部も要請で数日間借りる事でより大きな力ともなる。

 

 そう考えれば、先ほどのは惜しいと思える。恥ずかしさはあるがたかが布一枚。見せつけて色仕掛けにでも落とせば良かったかと後悔する。偶然にも今日はそれなりに勝負出来るモノで、タイツには隠れてしまうがデニールは低いので割かしはっきりと見える。

 

 一回の印象で男は女を見る目が変わる。思春期の男は色仕掛けで容易く落ちると彼女は冷静に判断した、だからこそだ。先ほどまでは意識していたが、閉じていた足を僅かに、やはり羞恥心はあるがわざと広げる。今の状態であれば俗に言うチラリズムという奴で、スカートの影が僅かに邪魔をして見えているのか居ないのか判断が難しい所。そこから、本当に指二本分程度のスペースを開けてスカートを伸ばせば、トラップゾーンの出来上がりだ。

 

 さて、これでどうだと、半ば血迷ったダージリンが視線を向けるが、彼が熱視線を向けるのは悲しい事にチャーチルの転輪とビスである。わざとらしく急き込んでも、一切興味を示さない。これだけはやりたくなかったダージリンだが、意を決して近づく。もはや淑女とも呼べないが、彼女は彼女なりに未来を見据えての行動。今年中には敵わなくとも、来年、再来年であれば、という気持ちを込めての行動。

 

「もし、宜しいですか?」

 

 しゃがみ込む、普通であればスカートを前側に寄せ、脹脛から足首で固定してガードする。だがそれをしない事でどうなるか、大絶景の完成。

 

「どうしましたー?」

 

 しかし腹立たしい事に、彼は整備の為に目線を戦車に向けたまま作業している。女性と話す時ぐらいはちゃんとこっちを見ろと内心で悪態を付いた。

 

「いえ、整備の進み具合について聞こうかと」

 

「そうですねー、後は転輪を固定して履帯を付け……ればこの車両の整備は完了です。後こういうのはあんまり言いたくないですけど、下着が完全に見えちゃってるので気を付けた方良いですよ」

 

 しれっと注意され、何事も無かったかのように作業に戻る。そしてダージリンは戦慄した、もしやこいつ、性癖がアレな方かと。思わず整備部の三名に慌てて視線を向け、見れば見る程確かに、ダンディである意味同性受けは良いであろう三人を見て納得した。とんでもなくクソ失礼な思考だが、彼女の中ではクルトはホモに認定されかけている。

 

 実際の所は昔からエリカで起きたハプニングで慣れたお陰で動じないだけ、内心ではとんでもなく動揺している。その証拠にビスを取り付ける作業で妙にてこずっているのが証拠だ。だがダージリンは気付けない。

 

「後は履帯だけで作業終わりです、それじゃ自分はこれで」

 

 そそくさと離れていく姿を見て、ダージリンは闘争の炎を心に燃やす。何が何でも彼を手に入れて、聖グロに栄光を齎してやろう、と。因みに落とし穴として、彼女達が頑張ってオイル塗れになりながら整備すれば、時間はかかるが実現可能なのだが、今のダージリンは悪い意味でも盲目でもあったのだった。

 

 

「今日は難しい所が無くてさっさと終わりそうだなぁ」

 

「っすねー、問題個所を最初から教えてくれるのでとっかかり安いってのもある気がします」

 

 現在、昼時に四名はファミリーレストランで食事を摂り終えて休憩中である。喫煙席に座る三名は手早く作業が終わった事をぼやいており、ヴェンドルフの発言にクルトが同意した。

 

「そういや、さっき聖グロのお嬢さんからアプローチ掛けられてたよな? ミハエル」

 

「あぁ、あれですか。単純に整備の具合を聞かれてただけですね」

 

「何だ面白く無いな。学生なんだからもっと恋にも注目してやれよ、戦車を口説いたって帰って来るのは砲撃だけだぞ?」

 

「余計なお世話っすよカリウスさん、俺は今は別にそういうのは興味無いんです」

 

「興味無いって、女が嫌いとかじゃないんだろ?」

 

 リッベントロップの言葉には頷く。それは勿論当然だ。因みにだが、クルトの初恋というより、興味を持った相手は実を言えば、子供の頃、テレビや雑誌で取り上げられていた現島田流の家元である島田千代であり、密かに危うい道を走りかけていた過去は誰にも話していない。話せない。とは言え、もしこの三人にそれを言ったとしてもわからいでかと返って来るのは間違いなかったが。

 

「後は単純に余裕も無ければ、恋愛関係になるのかなって風には見れないんですよね」

 

「所謂、お友達の延長って感じか」

 

 紫煙を吐き出したリッベントロップの言葉に頷きながらコーヒーを一口含む。人並の恋をしてみたいと考えても、そういう相手もいなければ感情にもならない。

 

「あのお嬢ちゃんはどうなんだ? 逸見エリカちゃん、ずっと付き合い長いんだろ?」

 

「確かにエリカに一時期は惚れた事もありましたよ。けど、その状況が続きすぎたら今度は何だろう、親友的な感情が湧き初めまして……」

 

「あ~、そうか、そっちに移っちまったのかぁ」

 

「あれっすよね、家族愛的な方って奴」

 

「そうですねぇ」

 

 若人の恋愛はこうも難しい物だったのかと大人三人は思わずため息を吐く。普通、此処まで付き合いがあればお互いを強く意識する時だってあった筈だ。現にクルトはそうなっている。だが恐らく、エリカという少女は戦車を見つめ過ぎてクルトの本心を寸での所で見る事が出来なかったのだろう。それは悪意でもなく、友達という善意が邪魔をした、運命のいたずら。彼女は確かにクルトを信頼しているのだろう、でなければ家に上がり込むなど普通の女の子であればまずはしない。結果的に、彼女からすれば兄妹や家族の様な意識にすり替わり、結局は今のクルトと同じ感情に落ち着いてしまったのだろう。

 

「まぁアレだ、これから先長いし相手は落ち着いて見つけて行けよ。顔は良いから卒業までには見つかるさ」

 

「良い顔してますかねぇ? どう考えてもそこらへんの人って顔ですよ?」

 

「本人はそういう意識なもんさ。顔に関しては他人の言葉の方がよっぽど説得力があるってのも忘れるなよ」

 

「はぁ……」

 

 腑に落ちない様子でコーヒーを飲みながら、あまり真に受けない様に留めておく。クルトという人間は、自己評価が低い人間だった。自分よりも優れている人間を間近で見て育った故に、自分程度の者など幾らでもいるのだと自惚れないための指標としてエリカを立てていた。海軍五訓戒の様に、悖らず、恥じず、缺らず、憾まず、亘らずを教訓とし、常に自分を高める事を意識し過ぎて、自分に対して逆に卑屈になっている点もあった。故に容姿を褒められたところでお世辞にしか思えず、自分程度の顔で良いというのであれば、この世には恋人がいない悲しい人間はもっと少ないはずだろうと考えてしまうのである。

 

 尤も、自分で見た自分と他人から見た場合ではまた評価は変わる。確かに内面性はクルト自身が分かっているが、一見だけではそれを知る事は出来ないとなれば、まず向かうのはその顔立ち。高校一年生でありながらそれなりに大人びた見た目と雰囲気、ジャーマングレーの髪はまるで第三帝国の鉄血軍人を思わせる。肉体も整備士故に、やや細身ではあるが、その内側にはしっかりと鍛え上げられた肉体が隠れており、プロポーションは良い。それを言ったところで彼には全てお世辞と受け取られてしまうだろうが。

 

「にしても、ミハエルも良くブラック飲めるよな。俺がミハエルくらいの歳だった時はカフェオレじゃないと飲めたもんじゃなかったぞ?」

 

「まぁヴェンドルフさんの言う通り、俺だって前までは飲めたもんじゃないって思ってましたよ。でもエリカが大人の真似して飲んでるのを見て、試しにって市販のを飲んでみたら、案外と水っぽく感じて今では慣れちゃいました。インスタントとか市販の缶コーヒーだからこその質をそこそこに飲みやすさを追求した結果ですね」

 

「ふぅむ、そんなもんかねぇ?」

 

「えぇ、今では食後に飲むこの苦さがすっきりして逆に良いぐらいです」

 

「そうなるとお前さんも煙草とか吸いそうだなぁ、食後の一服、吸い続けてると溜まらなく美味く感じちまう」

 

「あ、煙草は今の所吸うつもりはないです。エリカが嫌ってるんで」

 

 その発言をして、何で恋人じゃないんだと突っ込みそうになって、三人は諦めた。普通、ただ友達や親友が煙草の臭いが嫌いだというだけでは、別にいない時に場所に気を付けて吸えばいいだけの話である。彼の口ぶりからも、それが無ければ吸うのも特に嫌う様子は無かった上に、現に喫煙者三名と同席している状態だ。

 

「ま、お前さんの自由だ。酒に煙草にギャンブルに女、大いに結構。自己責任で好きにやればいいさ、どのみち体に良くないモンなんて若かろうが老いてようが変わらん。俺はミハエルが煙草を吸おうが酒を飲もうが咎めるつもりはないぜ、勿論未成年でも、な」

 

「そこは注意しましょうよ、監督不行き届けって扱いで怒られるのは皆さんなんですから」

 

「それが言えるならお前さんは大丈夫って事だよ」

 

「いてっ」

 

 隣に座るカリウスからの激励に咎める様な視線を向けつつ、その勢いで時計へと向かった。時刻はもう少しでランチタイムを過ぎる頃。休憩の時間も終わりに近づいていた。

 

「おっし、それじゃあそろそろ行くか。最後に仕上げてさっさと帰るぞ」

 

「おっす」

 

「うぃっす」

 

「分かりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うあっ」

 

 思わず跳ね起きて、周囲を見る。そこで気が付いた、何で自分は自室にいるのだろう、と。間違いなく自分の部屋であり、この場所が黒森峰学園艦というのは間違いない。しかし、クルトの記憶が確かなら、聖グロで仕事をしていた筈だった。そして、床に無造作に投げ置かれていた鞄を見て思い出した。

 

 確かに聖グロでの整備は恙なく終わった。のだが、試験運転の際、クルセイダー担当組が初手からリミッターを外して走行し、エンジンが爆発。計五台のエンジン総とっかえという地獄が始まり、後ろで平謝りをする聖グロ代表車長の声すら耳からすっぽ抜けながら整備していたのだ。予備でエンジンがあったのは助かったが、逆にそのせいで長引いたとも言える。結果的に、気付けば学園艦に戻っており、眠ってしまっていたのだろうと察した。

 

 死ぬほど疲れたという言葉は簡単に言えるが、まさか本当に死にそうになるとは思わなかったと溜息をつく。もはやどうやって帰ったからすらも記憶になく、最後の最後にエンジンを取り換え、動いたのを確認した後から何一つ覚えていないのである。

 

 喉はカラカラで口の中がべたべたして妙に気持ち悪い。口の中をオーラルクリーンジェルで軽く掃除した後に時計を見れば、朝の七時。何も食べずに眠ったせいで空腹感がもやもやと動く。幸いだったのは今日明日は休日という点だろう。

 

 あまり朝からがっつりと食べるのも胃に悪いので、冷凍庫から鶏ガラスープを固めて置いた袋を取り出し、鍋に少しお湯を張ってゆっくりと溶かす。

 

 

「お邪魔します。って、アンタ起きてたの」

 

「あれ、何しにきたのエリカ」

 

「昨日家に行ったら死んだ様に寝てたから様子見に来たのよ。寝ぐせ凄い事になってるわよ」

 

「おっと」

 

 手で確認すれば確かに、真横に跳ねて耳の様になっている。とは言えそもそもエリカが来る事が想定外だったので、食事を済ませてからでもいいかと開き直る。

 

「朝飯どうする?」

 

「食べる」

 

「あい」

 

 程よく溶けた鶏ガラスープを袋から取り出し、シャーベット状のそれを溶かして炊飯器の中を見る。どうやらエリカが炊いてくれたらしく、三合ほど入っている。冷蔵庫からネギと卵、解してある鳥のササミを取り、鍋に塩を一つまみ、醤油を小さじ半分、ごま油を数滴入れて混ぜ、刻んだネギとササミを入れて軽く煮込んでから、茶碗二杯分の米を投入。ぐるぐると解し混ぜた後、一旦強火にして煮立ったのを確認してからタマゴを回し入れれば、ふんわりと白と黄色のタマゴが浮かび上がる。

 

 少し厚手の器に入れ、白ゴマを振り掛ければ完成だ。

 

「あい、昨日から何も食べてないし今日は雑炊的な何かにしてみた」

 

「私はタイミング良く来ただけだし別に文句はないわよ。いただきます」

 

 朝食らしいといえばらしい。薄らと香る香ばしいゴマ油に、ネギの薬味と鶏ガラスープのやさしさ。塩気も程よく、タマゴがまろやかで思わず次々と蓮華が進んでしまう。ふとエリカが目の前を見れば、よほど腹を空かせていたのか、一心不乱に食べ進めて既に丼を殻にしているクルト。冷蔵庫からヨーグルトを取り出して更に食べている。

 

「朝からどんだけ食べるのよ」

 

「仕方ないじゃん、昨日疲れて眠ったままなんも食べてないんだから」

 

「そんなに大変だったわけ?」

 

「というか、緊急事態が起きた」

 

「緊急事態?」

 

「整備自体は終わったんだけどさ、テスト運転してる時にクルセイダー運転してた人がリミッター外して、エンジン爆発して五台分総とっかえ、その前までの整備が楽だった分あれは地獄だったね」

 

「うわぁ」

 

 想像したエリカは思わず顔を顰めた。試合中、背後から撃たれてエンジンが爆発する事は多々あるが、回収されていく戦車を見れば実に痛ましく思う。そして思うのだ、これを整備するとなればどれだけ時間がかかるのだろうか、と。実際に目の前で整備してる人間がいるが、あの疲れ様は相当だったんだろうと考える。それまでの整備は楽だったと言うぐらいなので、やはりエンジン周りはてこずるのだろうと察した。

 

 目の前でもりもりとヨーグルトをお代わりするだけでなく、普通にホットドッグを作って食べている事からも相当な空腹だったのは間違いない、そしてそれだけ消耗したのだろう。

 

「まぁ、お疲れ様。それじゃ私戻るから」

 

「え、何しに来たの?」

 

「だから様子見に来ただけって言ったじゃない」

 

「そうだっけ、ばいばい」

 

 腹を満たした事で余計に感じて来た眠気、もはや挨拶も適当になり食器を片付けてもぞもぞとベッドへと向かう。未だにほんのりと暖かさが残るベッドは何とも言えない心地良さがあり、そのまま死んだ様に眠る。

 

 昼、エリカが様子を見に来た時は、実に気持ち様さそうな寝姿に、そっとしておこうと考えたとかなんとか。

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