trpgダブルクロス:天開司卓「Certification of Hero」 作:夏目ヒビキ
シーン7「歪み」
時間は少し遡る。
それは、まだ日も沈みきらない昼下がりの出来事だった。たった一人でアスファルトの上を踏みしめて歩いている。未だに昨日起きたことが信じられないが、こうして世間が騒ぎ立てているのだから事実なのだろう。
彼な名前は森藤涯。世界の裏側を知らぬ人間の一人ーーの、はずだった。そう、彼と出会いさえしなければ。
日差しの陰に隠れた路地裏で、メガネをかけた痩せ型の男が佇んでいた。その男はこちらをみやると、近くに寄ってくる。当然面識もないので無視しようとしたがーー
「君ーー森藤涯君、だよね?」
「……そうだけど。おっさん誰だよ」
「いや。俺はしがないライターでね。こないだの事件について取材したいんだ」
森藤は少し不振に思い、そそくさと肩を押しのけていこうとする。
「悪いが、怪しい奴には付いていくなって教えられてんだ。ーーじゃあなおっさん」
目すら合わせずにそこから立ち去る。だが、背中から先ほどの怪しい男の声が投げかけられてきた。
「お前も大変だなあ……!ーー
誰のことを指しているかは分からなかったが、少し、カチンときた。
「……なにぃ?」
振り返って再び男の方をみやると、その手には一枚の写真が握られていた。目を凝らしてみれば、蒼羽に似た人物が写っているようだった。ーーが、身体はなぜか異形と化している。
「こんなのがお友達じゃ夜も眠れんだろう?」
男は下卑た笑みで森藤に問いかける。森藤もさすがにこれには少し動揺したようだった。
「これがアイツだって言うのかよ?ーーコラだろ、これ」
森藤の鋭い発言に一瞬驚く男。ただ、話を逸らすのはお手の物だった。
「ーー大体おかしいと思わないか?あんなめにあって無傷で即退院?ショッピングモールは全壊なのに?」
「それは、運が良かったんじゃねえの?周りのものが壁になったとかーー」
「おいおいおいおい。他人事じゃないんだぜ……?」
その男の一言に、森藤は眉をひそめた。
「……え?」
そんな森藤の様子を見て、男は口の端を吊り上げながらゆっくりと言った。
「無傷で帰ってきたのはーー
事の核心。そしてその反応をみた男はさらに畳み掛ける。
「俺たちがお前を見つけられたのは運が良かった。--教えてやる。力の使い方を」
「でもーー」
後ずさる森藤。ただ、そこで逃がすような彼ではない。
「俺はいいんだぜ?ーーお前の身近な奴がミンチになったとしても」
静寂。まだ日は天高くあるというのに、辺りの雰囲気は不穏一色。そして遂に、ゆっくりと影は片方の影ににじり寄る。
「ーーいい子だ。まずは見に行こうじゃねえか。奴の本性を」
影はうなずくと、日の光も陰ってしまうような路地へと歩み、消えていった。その場に残されたのは、不気味なほどの静けさだけだった。
♢
「えーー?」
灼熱の炎を纏い、〈ディアボロス〉ーーもとい、春日恭二を吹き飛ばした蒼羽。だが、それを歓喜する間もない。彼女の元には、再び絶望が訪れる。
夕陽の射し込む路地裏に、佇む一つの影。その正体は森藤涯。蒼羽の何者にも変えがたい大切な人間であり、この姿を見られたくもない人間だった。
大きく見開き、揺れる彼の瞳。衝撃のあまり言葉は出ず、ただ、立ち尽くすのみ。そしてそれは蒼羽も同じだ。
しばらくの間。嫌な静寂が辺りを支配する。
ーーそれをようやく打ち破ったのは、コミヤだった。
(逃げられると厄介か。なら、捕まえる……!)
獣化を保ったまま、森藤の方へ跳躍。一瞬何が起こったのかすらも分からないほどに、疾く、正確な動きだった。白い流星が彼の元へと迫る。
「ッ……!」
森藤はその跳躍が自分を狙ったものだと気付き、危険を感じ身を躱そうとするが、咄嗟の状況。あえなくコミヤの変化した妖狐に首ごと咥えられてしまう。
首ごとーーとは言っても、そこはコミヤである。絶妙な距離感で森藤の服の襟のみを捉え、外傷はない。
目の前で起こったあまりの状況に、呆然とする蒼羽。コミヤを止めようともするが、彼と落ち着いて話をしたいのも確か。中々身体が動かない。
そして何より、蒼羽が震えている理由。
それは、彼が奇しくもコミヤと同じように獣のような牙を剥き出し、周囲を威嚇していたからだった。日常の象徴であった彼も、まさかーー
その瞬間だった。森藤は、もう一度毛を逆立てると身体を振り切る。コミヤは咄嗟に動こうとするが、あえなく普遍的な繊維で編まれた服は破れ、そのまま森藤の戒めは解かれてしまった。
「させるかっ!!!」
シュンは魔眼を再び展開。全体に張り巡らせ、逃亡を阻止しようとする。
だが、彼はそれすら振り払うように人ならざる動きと俊敏さでその場から逃げ出した。ビルの合間を縫い、さながらパルクールのように頭上を駆け、夕闇の向こうに消えていく。ビルの壁面には、獣の爪を立てたような痕が残っていた。
「し、森藤ーー」
蒼羽は膝から崩れ落ちた。何より大切な彼が、自分に牙を剥き、彼方へと消えていった。はじめて彼から拒絶されたような気がしてーー彼が恐ろしくなり、自分もまた、彼から恐れられているのだと感じた。彼の目の前で力を行使し、戦いに没頭していた自分を見られたという事実が辛かった。
彼女の、最後の縋る筈だった物が自分から離れていく。その事にはもう、耐えられない。涙が溢れ出し、嗚咽が止まらかった。
そんな蒼羽の様子を見てか、春日は愉悦の笑みを浮かべる。死にかけの筈だったが、瞳は爛々と光っていた。
「あーあーあ。可哀想に……!あんな善良な一般市民をーー」
コミヤもシュンも春日を睨みつける。だが、春日はそんなことは意に介さなかった。
「ーーまあ、いい。その嬢ちゃんの勧誘が終わった時点で、俺の役目は終わりだ。こっちはあのダイヤの原石を逃がすわけにはいかないからな」
コミヤは今にでも飛びかかろうとする勢いだった。だが、春日の方が一瞬速い。
「それじゃあ、あばよ!!」
そう誇らしげに叫ぶとーーどこにそんな力が残っていたのかーー身体を起き上がらせ、路地の向こうへと消えていく。一瞬にして気配は消え去り、戦いの傷跡のみがその場に陰々と残っている。
「チッ……」
コミヤが舌打ちをする。だが、それも空虚に響くのみ。その場にあるのは、傷だらけのブロック塀と壁面。それに、彼の服だった物の切れ端だけ。蒼羽の行き場のない号哭を受け止める者も、受け止められる者ももう、居なかった。