人間、幸せでありながらも波穏やかな日々が続くと刺激が欲しくなるものだ。じゃあ如何にして打破するか、たいして考える気があったわけもなく、雲だらけの海を肴にティータイムと洒落混んでいたのだが……おかげさまでその小休止が閃きの電流を走らせてくれた。
「ねえ海未さんや。『お茶する』といえばカフェだよな」
「……そうですね」
「カフェという枠組みの中には、メイド喫茶があるよな」
「変な企みでもしてます?」
「ははっ、まあ聞いてくれ」
洗濯ものをたたみながら早速すべてをぶったぎろうとしてくる彼女に脱帽こそするも、決してごもらず前置きを口にする。
「ときにさぁ。メイドさんっていいなと」
「出会った頃もそんなこと言ってましたね」
「ああ。てきぱきと仕事をこなす姿勢はもちろんのこと、特にメイド服を纏ってるのがいい」
「後半が本音ですよね」
「いやー、かつては通ってたからねお恥ずかしい。贔屓気味なところはあるかもな」
「今でも時々出向いてますよね?」
「と、いうわけでだ!」
「スルーですか。…………まぁそれについては後で詳しく聞くとしましょう」
眉を潜める園田さん。悲しいかな、その程度では怯まないのだよ。意志は固い。
「是非、園田大先生にはなってもらいたい。一日我がメイドに――」
「む、無理です!」
「よーし白紙に戻そうじゃないか」
海未の、人形のように綺麗な顔が赤く染まったのを見計らい、素早く撤回する。大事なのは頭っから了承してもらうのとじゃない、彼女が一瞬、自身のメイド姿を浮かべることこそ意味がある。
何故か? 不本意な妄想をしてしまったと、恥じらい悶える彼女を拝めるのだ。最高じゃないか。
では、ご馳走いただいたところで。
「気持ちはよくわかったよ海未」
「おや、あっさり諦めるんですね」
「まあね。嫌がっているのになってもらうのはどうかと思うしな?」
「白々しい……」
作戦実行――。
さあ園田海未よ、翻弄されるがいい。清楚な奉仕天女を一目見るべく捻り出した渾身のアイデアでな!
「だからなるよ、こちらがね」
「はい?」
「もちろん、奉仕する立場に」
「あなたがメイド服を着るのですか……? ま、まさか! そういった趣味が……」
「待ってくれ違う」
いや流れからしてメイド路線で解釈できなくもないが絵面的にまずすぎる。どうか距離をとらないで園田さん。ああ、願うも虚しく一歩下がったぞ園田さん。というか想像しない方がいい、たぶん体に悪いよ園田さん。
……必死に弁明すること一分、なんとか彼女の誤解を解くことに成功した。
「というわけでな。普段色々お世話になってることですし、たまには君の執事でもやらせていただこうかなと」
「……あなたがですか?」
「ひどいっ!?」
道は険しきかな、心が折れそうだ。決して容姿方面じゃないよな!? きっと家事スペックについてだよなあ!?
現場で起きているオーバーキルなどを存在しなかったかのよう、さらに海未は指摘した。
「いえ、持っていないのではないかと」
「え? 何が?」
「執事服」
「…………」
「ジャージでもいい?」
「いっそ清々しいです」
かくして。妥協はあれど、執事大作戦は決行に至った。
「お茶を淹れましたよ。さ、どうぞ」
「い、いつもと雰囲気違いすぎませんか? なんだかこう、くすぐったいのですが……」
ほら、海未が目を逸らし、そわついている。照れてる照れてる。
「何をおっしゃるのです。今限定とはいえ、私はあなたに仕える身。忠義を尽くさずして執事に非ず……うわっやべえ溢した!」
「余所見するからです!」
最初はいくらか不安だったものの、
「部屋の掃除はお任せください」
「できるのですか?」
「こう見えても私、学生時代は掃除当番において丁寧な仕事をすると、数多くの先生方にお褒めいただいたものです」
「そうですか……。では、お言葉に甘えて少しくつろがせてもらいますね」
「ありがとうございます。塵一つ残さず、さながら新築のような仕上がりにしてみせましょう。さーてまず掃除機を……あれ……掃除機はっと…………どこだ?」
「向こうの押し入れの中ですよ」
「あ、あはははー。わわわわかってますともー!」
いざやってみればそりゃもう余裕綽々で、
「肩――お揉みましょうか?」
「お、お願いします」
「……上から見てもすげえ鎖骨綺麗だなぁ」
「やっぱり結構です!」
「アッ! つい素が!」
「っ~~!」
とっても上手くいっている。
最初は呆れていた海未だが、すっかりたじたじのメロメロなご様子だ。やったぞ。
奉仕とは素晴らしいものだ…………。
「ちっくしょう!」
膝をつくにゃ十分すぎる体たらくでして。みよ、なんだかんだ温かく見守っていた海未も、とうとう片手で額を覆っている。なんと虚しいことか。せめて格好だけでもそれっぽかったらうまくいっただろうか、外の窓にいつしか張り付いていた蛾に訊いてみたくなるくらいだ。嗚呼無情。
「でっ、でも! あなたの真心は伝わりました。すごく嬉しかったですよ?」
あやすように海未が肩を叩いてくれる。慈愛に満ちるあなたは美しいが、残酷な追い討ちでしかない。
「もう執事なんてこりごりだぜ」
「慣れないことするからですよ……。さ、そろそろご飯作りますから、あなたは休んでいてください」
「ん。悪いね」
お言葉に甘えて腰かけ、開けた窓際に注意してみれば確かに外は夕暮れだ。奮闘してる間に日が落ちんとするところまできていたなんて、感心と似て非なる脱力感を抱いてしまう。
キッチンにて、手を洗い終わったらしい海未は既に食材に包丁を入れている。ここからじゃほとんど後ろ姿しか見えないけれども、きっと横顔は想像以上に静かで、あたたかいのだ。
メイドどうこうじゃなくたって、何気ない日常でもまた彼女は映える――ふとした瞬間を目にしては、ときたま思う。
「ん?」
メイド……?
「そうだよ! そうじゃなかった!!」
ソファーからぶっと飛び上がる。執事ぶって奉仕する先に目的があったことを。渾身のアイデアの結末を。
「海未さんやい!!」
「……何ですか、さっきから声を大にして」
「出番でっせ!」
自分が
でもほら海未が手を止めた。さぁ、満を持して――
「お断りです」
「あふん!?」
あっれー?
「う゛あ゛あ゛」
再度崩れ落ちる解雇済ジャージ執事と、ゴミでも見るような視線を送る園田海未ちゃん。……え? わりとご褒美なんじゃ?
「当たり前です。あの流れで私が着用すると思ったのですか?」
悟りを開きかけているのを知る由もなく、正論をぶつけてくる海未。くそっ、これじゃあこっちがただのバカみたいじゃないか! あ、馬鹿か。
しかし簡単に諦めつくほど、海未のメイド姿はありふれた物じゃない。ならば究極のカードを切らせてもらう。
「でも、高校時代に着たことあるって。だから必死にお願いすれば可能性あるかも、って君の幼馴染がな?」
「な、何故知って……!? まさか……」
一転。彼女は前のめりでの説教体勢を崩し、畏れるように身を引く。ほぼ見当はついた模様だ。ではせっかくなので、あたかもそれらしくドヤ顔させてもらう。
「ああ。――南ことり先生だッ!」
「ことりっ……あなたはなんということを吹聴して……」
虚空を眺めくらりとする、ミスメイド服お断り娘。どこかトラウマじみた反応、かつても可愛らしい策略に幾度と嵌められたことが窺える。
いいぞ、かなり海未ちゃんはなかなか参っている。あと一押しすればメイド服を着てもらそうだ。
フリッフリなヘッドドレスと、落ち着いた蒼とのコントラスト。白黒ばっちりのゴシック可愛い服に圧倒されつつも健気に対応するビューティフルアロー。もう何言ってるか自分でもわからないが既に天国目に浮かぶ。
「あれ? ……ちょっと待ってください。あなたはいつ、ことりからその情報を得たのです?」
みたいな具合で、非常にハイだったので。ゴールは目前だと、1、2秒。達成感に限りなく近い喜びに思考を手放していて。
「え、いつって、この間メイド喫茶に行った時さ。バイトでことりちゃん出てたんだよ」
「へぇ……?」
内容をなんとなくで捉え、無警戒にいつものノリで答えてしまった。
「そん時に色々訊い……あっしまっ、うんいや友達の友達がね?」
「そうですかぁ」
さぞ楽しかったんでしょうね、と海未が微笑む。すごくにこやかである。オムライスを注文し、オプションで「あーん」してもらったとか言えない。
「あーん、ですって?」
「読心術?」
「顔に書いてありました」
「すげぇな」
さてさて。すげぇなじゃなくて、ちょっとメイド服どころじゃなさそうだ。
「そこに正座してください?」
「はい」
問答無用、でなくても即答。無事お灸を据えられましたとさ。ちゅんちゅん。
「ぜっ、絶対に着ません!」
後日、クローゼットの前で何やら海未が叫んでいた。
本当は冥土の土産になるはずじゃなかったんだ許せ