拳のマニフェスト   作:蜘蛛ヶ淵

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シリアスって何なんでしょうね…。


人間卒業

 関西圏のとある県に在る地方都市冬木から、

遠く離れた関東圏内のとある県…三咲市三咲町。

 その繁華街と住宅街のほぼ境目(さかいめ)に設けられた、結構な広さを誇る公園内。

 (よい)の口など()うに過ぎてしまった現時刻午後10時過ぎ。

 本来、この時間帯であるならば人の気配などあったとしても知れたもの。

 いつもならば近所を徘徊する野良猫達の談笑や、

虫達の微かな鳴き声ぐらいしか存在しない。

 けれど彼等にとって残念な事に今夜は雨だ。

 野良猫達は軒先を求めこの場に居らず、

虫達も(まば)らに響く雨音により、鳴りを潜めてしまっている。

 生物の息遣いも申し訳程度にしか感じられない公園内。

 小雨がポツリ…ポツリ…と、地面を優しく叩く音だけが聴こえる仄暗い園内は、

現在二つの強大な気配によって占領下に置かれていた。

 

―――ネロ・カオスと衛宮士郎である。―――

 

 小雨が降りしきる中、何かしらの動きを見せるでもなく、

ただ静かに対峙する傍迷惑の権化・両名。

 刻一刻と進む時間の中、何かしらの言葉を交わすでもなく、

双方共に不気味な薄嗤いを その(かお)に浮かべながら、

互いの足元付近に視線を落とすのみである。

 まるでこの二人の居る時間と空間だけが、ごっそりと破り取られたかの様。

 男二人が三間(さんけん)程の距離を取り、見合う様にして立っている…。

 (ただ)それだけの事だというのに、死を連想させるかの様に映るその光景は、

そのうちに相対する両者から発せられる熱気と殺意により、

中心部分から空間が グニャリ…と、ゆっくりとゆっくりと()じれていく。

 万物がそんなありえないグラップラー的な事象を錯覚する中で、

(せき)を切った様に止まっていた両名の時間が徐々に動き始める。

 公園という(いこ)いの場が修羅場へと変貌を遂げていくその過程で、

一方に居る黒尽くめの大男スペック…、

もとい吸血鬼ネロ・カオスの身体の内から、

大小様々な気配が何度も表れては消えて…と、絶えず(うごめ)く。

 それ等は相対するもう一方の大男である花山…衛宮士郎に対し、

明確な殺意と抑えきれぬ食欲を向けており、

彼等の主であるネロ・カオスに食事の了解を得ようと、

それぞれが健気に自己主張をし始める。

 飼い主である彼を除き、どんな動物学者であろうと決して聞いた事が無いであろう、

人が持つ本能的な恐怖を掻き立てる獣達の鳴き声。

 金属音にも似た鳥達の翼の羽ばたき。

 そして、地面をまるで砕くかの様な大型動物達の激しい足踏みの数々…。

 それ等が統率の欠片(かけら)も無く混じり合い、

形容し難い不協和音が暗い園内に響き渡る。

 本来この様な騒音が響き渡れば、当然ご近所迷惑であるし、

何処ぞから警邏(けいら)中のパトカーでもかっ飛んで来そうではあるが、

そんな気配はまったく無い。

 恐らくは園内に張られている結界に、防音効果でも付与(ふよ)されているのだろう。

 真っ当な人間であるならば、そんな身の毛がよだつ状況に遭遇した時点でSAN値直葬、

発狂しながら絶望のドン底へと精神が転がり落ちていくのだろう。

 ところが、その異音を聴覚どころか全身で受け止め、

一種恍惚(こうこつ)(ひた)っている衛宮士郎という逸般人の場合はと言えば、

SAN値減少どころか、これから始まるであろう闘争の幕開けに、期待と不安で胸一杯だった。

 期待や不安…と言うならば、士郎本人だけではなく、

(かたわ)らで彼を見守る中年一同にも当てはまる。

 強くなり過ぎてしまったが(ゆえ)弊害(へいがい)により、

これまで本当に彼は対戦相手に恵まれなかった。

 しかし…いずれは来るであろうこんな日を、誰もがずっと待ち望んでいたのだ。

 これまでの三年間、試す事の出来なかったアレやコレ…。

 人間や木偶(でく)相手に出来なかったソレ等が(つい)に今夜、

ここに解禁されるのだ。

 

 (さっきの熊(もど)きとの()り取りで身体と精神のズレは解消されている。

 …とは言え機眼(きがん)(タイミング)の見極めが未だに甘いな。

 いままでの実戦と言えるかどうかも怪しい実戦じゃ技の程度も知れるし、

イメージトレーニングとの違いもモロに出てるワ。

 深刻な問題ではあるが、もう始まっちまう以上、

実戦で覚醒・矯正(きょうせい)させていく他にない…。)

 

 ナイフに脂を塗り付けた様な嫌な眼つきでニタニタと(わら)いながら、

自身の状態が理想と現実でどう違うかを確認する為、

彼は頭の中で、今まで習得させられた動作を一通りなぞらえる。

 その都度、身体中に(おお)われた彼の筋肉がピクリと何度も反射的に()らぐ。

 そんな細々とした点検作業に、身体の方が我慢の限界に来ているのか、

とっとと始めろと武者震いを行う事で抗議し始める。

 これまでの三年間、散々お預けを喰らった上に、

積み上げた成果が(ようや)く問われるこの一戦に対し、

身体の抑えが効かなくなっている様だ。

 (かたわ)らで観客に徹している中年連中も、表面上は平静を保ってはいるが、

その心中はこの一戦に対し胸を(ふくら)らませ、浮き足立っていた。

 …―――今夜、この三年間の答えが出る…。

 士郎を始め、中年一同誰もが求めていたソレに答えてくれるであろう相手が、

ようやっと現れてくれた事に対し、

落ち着きが無くなるのも致仕方のない事なのだろう。

 

 (例え、ここで死んでも悔いは―――…。)

 

 これから行われるであろう死臭漂う暗黒舞踏に対し、

(うす)(わら)いを浮かべつつ、そう言葉を(つづ)ろうとして…。

 一瞬、藤村大河の困った様な笑顔が彼の脳裏を(かす)め、

瞬く間に()き消えていった。

 

 (…チッ。コチトラもはや死なんぞ何(べん)も体感しまくったし、

(あき)れるくらいに殺されまくったワ。

 ここまで来たんならもう拳を信じて突き進むのみよ。)

 

 武者震いによる(たか)ぶりで震えていた彼の身が、

本格的な実戦の空気に当てられたのか…。

 言いようの無い不安と恐れによる震えが、その身に混じり始め、

彼から一瞬表情が消え掛けた。

 萎えかけ、恐れを抱いた彼の心持ちであるが…、利き手を握り拳へと変え、

もう片方の掌に勢いよく叩き付ける事で自らに喝を入れ、

その小さな負の感情を無理矢理 戦意へと塗り替える。

 再びニヤつく(わら)いを浮かべ、半端ながらも覚悟を決め込んだグラップラー士郎。

 そんな彼の周囲を、野性味(あふ)れた獣臭と、

ソレに混じって嗅ぎ慣れた濃密な鉄の臭いが漂い始める。

 その芳醇(ほうじゅん)な香りは、

一度は陰りを見せた士郎の戦意高揚を促すが如く、彼の鼻腔(びこう)を刺激する。

 得も言われぬ(かぐわ)しい匂いの中、

場の支配を主張し始めた目の前に(たたず)む黒い男の身体から、

見た事も無い多種多様な形をした、何とも冒涜的な生命が溢れ出る。

 名状しがたいソレ等を、視覚のみならずその全身で感じ取り、

士郎は(まばゆ)い眼差しで、その尊い(おぞましい)光景を見据え、

感慨深い溜息と共に両の空拳を静かに構える。

 

 (どうか、お前こそが…、

俺の不安(こぶし)を全力で受け止めてくれる誰かであってほしい…。)

 

 士郎の切なる祈りを殺意と捕らえたのか。

 それに呼応し、主たる吸血鬼を守るかの様に獣達が前に躍り出て、

横一列に倣い雁首揃え、それぞれが唸りを上げる。

 その内の一匹が、聴いてる者の下腹が底冷えする程の遠吼えを上げたと思えば、

それが食事の合図だったのか我先にその肉たる者を喰らおうと、

雪崩(なだれ)の如く士郎の元へ殺到し始める…。

 

 

 

―――吸血鬼と人間による壮絶な生存闘争が、今…児童公園にて火蓋(ひぶた)を切った…。―――

 

 

 

 …幾つもの死の体現が目前まで迫っている…。

 士郎の知覚が鋭敏になるにつれて、徐々にそれ等の動きが緩慢(かんまん)になっていく。

 そんな状況下にあって、彼は特に緊張する素振りも見せず、

微睡(まどろ)みに(ひた)る様な気分で、揺ら揺らと身体を左右に揺らす。

 

 …――相手が人の形をしているのならば、

例え大英雄を(うた)う存在であろうが、この拳で応戦してみせてやる――…

 

 日課である脳トレ中の彼は、フィードバックで全身血塗(ちまみ)れになりながらも、

是迄(これまで)そう自身に言い聞かせ続けていた…。

 もはやそれは信仰そのものにまで昇華されており、

無論 彼をそんな人間に仕立てあげたのは中年一同である。

 弟子の敗北、ソレ即ち師の敗北であるが故に…。

 敗北=死という紀元前におけるローマ闘奴(とうど)としての当時の在り方は、

2000年の時を超え、衛宮 士郎という青年の身に、

泣くまでその身に刻み込まれ、見事に継承されていた…可哀そうに。

 …しかし今、21世紀最後の闘奴(とうど)たる彼の、

その眼前に展開されている敵性対象の群れは、

その全てが獣の形をした人()らざるナニかである…。

 一斉に押し寄せるその数も()る事ながら、

生物としての(てい)すらまともに為しているかも怪しい有象無象。

 現実的に観るならば、拳闘や空手等では、どう見ても対処しきれないこの異常事態。

 しかしこの世界、レギュラーキャラは()れなく人外とお約束の型月ワールドな訳であり、

両の拳を構え、独特のリズムを刻み始める彼もまた、

この三年間ですっかりと人外の仲間入りを果たしていた。

 まぁ その人外の仲間入り…と言っても彼の身体は、

三年前の着工から突貫工事を行いつつも、未だ完成に至っていない。

 入るな危険の看板が至る所に設置されている

超大型軍事要塞予定の歩く火薬庫な訳だが。

 

 形状・行動共に統率性が一切感じられない獣達。

 一斉に襲い掛かってきたソレ等、

有象無象の『攻撃』と呼ぶには余りに酷い粗雑なソレ等を、

彼は制空圏で自身のパーソナルスペースを広げてからの、

両手を攻防同時に行う古流空手の技法である夫婦手(めおとで)を主軸においた戦法により難なく対処。

 迎撃出来るものは打拳により斬って落とし、

無理だと判断したものは受け流してからの後回し。

 人間と違い、呼吸を置く間も無く続く馬鹿げた連撃や、

視覚外からの攻撃などに最初は驚かされこそしたものの、

制空圏を発動させているからか、言うほどの焦りは特に無く、

彼は終始穏やかな心持で「ああ、こんなものか」と、

何とも不思議な納得感が、現在の彼の心を占めていた。

 …穏やかという割には、終始影が差した不気味な笑顔で、

その両の(まなこ)は怪しげに発光しているが…。

 まぁとは言え、先程までの一触即発による感情の(たか)ぶりが、

まるで嘘の様である。

 実戦において、ここまで長く制空圏を使用した経験が無いせいか、

彼は新鮮()つ、おかしな感覚に酔い()れる。

 流れに身を任せる感覚に心地よさを覚える中で、

時間の感覚が徐々に曖昧(あいまい)になっていく…。

 …そして、ふと気が付いてみれば周囲の害獣達の数が、

片手で数えられる程(まば)らになっている事に、

驚きと名残惜しさを感じてしまう。

 驚愕(きょうがく)と哀愁の中 とりあえず…と、

彼はある程度片付いてしまったその締めとして、

自身とほぼ同じ大きさはある、鹿によく似た哺乳動物っぽいナニかを、

繰り出した打拳一発で公園の(はし)まで景気よく殴り飛ばす。

 その後、前方から打ち漏らした害獣の何体かが、

此方へと(ひるがえ)り、再び攻撃に転じる気配を彼は背中から感じ取る。

 けれど彼は、それ等を視認する事は無く、

ネロ・カオスを視界から外さぬまま流れる様に迎撃体制へと移行する。

 自らの左脚を前方に出し、

右脚を重心と共に後ろへと少しだけずらして腰を落とす不動立ち。

 背後から此方の右肩へ迫り来る気配に対し、

腰を勢いよく時計回りに(ひね)り体重をタップリ乗せて、

(ひじ)を自らの肩より上へ突き出す『後回し猿臂(えんぴ)』で迎撃開始。

 無論、左(てのひら)で右拳を包み込みしっかりと固定させる事も忘れない、

まるでお手本の様な猿臂(えんぴ)で、

背後から襲ってきた害獣を容赦なく撃ち抜き、あっさりと沈黙させる。

 撃ち抜いたその勢いのままに、

右脚を(じく)にして腰を徐々に沈ませつつクルリと回り、

自らの両拳を前方に突き出す夫婦手(めおとで)の型を再び取って、

彼は襲い掛かってくる残りの害獣共に対して、

次なる迎撃処理へと入る…。

 

 (圧縮打法は上手い事イってるな。

 機眼(きがん)(タイミング)の方は…そもそもコイツラ人間じゃないからな、

呼気が掴み辛いワ。

 そもそも呼吸してんのか、コイツラは?

 息してないの何匹か見かけたんだが、まぁいい…。

 受け流しの方はまだまだ…か。

 害獣共に対して身体の方がまだビビってやがる…。

 まぁヤ○ザも結局慣れだったし、コイツ等の方も殴ってる内に慣れるだろうけど。

 あ、熊だ。今度は見様見真似の数え貫手でも試してみようか?

 いや、折角の人型だし時間をかけて間接からじっくりと壊してみたいし…。

 う~ん、どうするかなぁ。)

 

 間断無く続くこの無間(むけん)地獄において、現在の彼は生の充足に満たされていた。

 力の限り己の有り様を表現出来るこの一時(ひととき)に幸せを感じていた。

 この型月世界で訳も分からず必死に過ごした三年間、

いくら思い起こしてみても、決して味わう事の出来なかったこれ等の前向きな感情…。

 そんな感情の大波に乗り、思わず鼻歌を歌ってしまう程に絶好調だった。

 これまでの経験ならば一合か、せいぜい二合で終わってしまう…。

 それが彼の知る実戦であり、

(ただ)のストレスとフラストレーションのささやかな捌け口というだけの認識だった。

 むしろ相手に考慮して手心まで加えなければならない分、

実戦も彼にとっては苦行の一部としか捉えられなかった。

 けれど今この時、この場において相手に気遣う必要も無く、

(おの)が力を存分に振るえる事で、三年間血塗(ちまみ)れに(いろど)られた青春の日々と、

これまでに掛かったクリーニング代は決して無駄では無かったと、

初めて彼は、そう実感出来ていた。

 制空圏の影響により心は静寂であるにも関わらず、総身は興奮に震え粟立っていた。

 しかも不思議な事に、相手を殴れば殴るほどに身体の底から力が湧き出でて、

集中力も増している。

 その為、殊更(ことさら)彼の()る気は更新に更新を重ねていき、

遂には第三の欲にまでその影響が働き始めてしまったのか…。

 彼の股座(またぐら)に収まっている一物までもが、

ムクリと、鎌首を(もた)げだしていた。

 

―――衛宮士郎…灼熱の時間(とき)―――

 

 対してネロ・カオス…彼の現在の心情は、寒冷混じった時化気味である。

 得体の知れぬ存在に出くわした瞬間に感じた言いようの無い恐れ。

 ソレに伴ってやって来る不快感と焦りから、彼のゴースト直感が囁く。

 

 ―――目の前に(たたず)む人間は、自身が最も嫌う人種と同一の匂いを(まと)っている…と。

 

 一刻も早く従僕を殺したであろう目の前の人間を、

この世から排除したい衝動に駆られ、

物量に物を言わせてさっさと終わらせてしまおうとした訳だが。

 その(ことごと)くを(またた)く間に殴り殺され、あげくに喰われてしまった。

 …その存在が無かった様にぱっくりと…。

 この辺りで直感通り、アレは彼の嫌うトラブル人間であると確認が出来た訳だが、

彼自身に退くという選択肢は無い。

 今までその手の人種に遭遇(そうぐう)したならば、

自らの手で対処してきたという自負があるからだ。

 …本来…この手の裏家業に勤しむ人種(主に聖堂教会)は、

想定外の事態なんてモノに遭遇したならば、

様子見しつつ情報収集、駄目ならとっとと退却し、

上や雇用主に報告を上げるまでの流れを視野に入れて、慎重に行動する。

 対してネロ・カオス…本名、フォアブロ・ロワインという男の元々の本職は、

ワンマンプレイの代名詞『魔術師』である。

 教会と違って、縦・横共に繋がりは基本的に薄いし、それに比例して情も薄い。

 トラブル関連は自らの手で処理するのが当たり前。

 魔術師というカテゴリー上もあり、想定外だのトラブルだのという事象とは、

切っても切れない間柄。

 それ故、避けては通れぬ(いさか)い事や派閥闘争に付き合い上、嫌々ながら巻き込まれ、

そんなトラブルの果てに死の際を垣間見た経験は何度もあった。

 まぁそれは、この男の人付き合いの良さも要因の一つではあるが、…とりあえず。

 そんな様々なトラブルを乗り越えて、その身を死徒というトラブルの権化へと変じて以降は、

そういった(わずら)わしい世間のしがらみからも、やっと開放された上、

死を匂わせる様な事態に巻き込まれる機会もめっきりと減ってくれた。

 死徒に成った事で、新たな(つな)がりや厄介事もまた生まれはしたが、

それくらいの事ならば まだ想定内。

 一介の魔術師であった当事と比べれば、

人間関係や死に縁遠くなった分、精神的負担は減った方だ。

 死徒に成り代わって以降は、聖堂教会から定期的に送られる襲撃に辟易(へきえき)していたが、

不死である彼には最早それも瑣末(さまつ)事。

 並みの魔術師ならば死を伴う嫌がらせの数々も、

現状の彼にとっては(わずら)わしくは思っても、片手間程度で処理出来る。

 これまでに彼が携えた魔道の(すい)を用いれば、

教会から送られた刺客程度では、遅れを取ること事態が()ずありえない。

 もし仮に、想定外の事態にまで追い詰められたとしても、

一度理性のタガが外れてしまえば、彼等が考えついた戦術・戦略の一切を度外視し、

()散らせる程の力を彼は有している。

 強大な力を持つに至った現在の彼にとって、

荒事というのは、もはやストレスとフラストレーションの()け口でしかなく、

トラブル足りえないモノとなっていた。

 そう、死徒に変じて以降のこれまでは…。

 そして今回の一件も結局は…と、そう見通していた。

 

 (―――ましてや相手は見た目こそ威圧的ではあるが、所詮は(ただ)の人間。

 例え特殊な手札を持っていようと、結局は片手間で始末出来る。)

 

 …そう、見通していた…というのに、

目の前で広がる現状というか彼視点で言えば惨状は、

そんな思惑とは180度真逆(まさか)の展開…これである。

 長々と書き連ねてみたが、とどの詰まり人間を辞めて久しく過ごしてきた弊害(へいがい)を今回、

彼は分かり(やす)いくらいに表面化した形で認識した事になる。

 死徒である彼にとって、襲撃事態が定期的に訪れる予定調和。

 それ故に魔術師であった頃と比べて、

予期せぬトラブルに対しての危機意識や慎重性が薄れてしまっていたのである。

 …目の前で衛宮士郎(トラブルの元)が全身をフルに使い、動物愛護反対を訴える中、

何故こうなってしまったのだろう…と、彼はこれまでに至る経緯を、

レ○プ目で思い返す。

 

 

 

 

 来日して早々、友人が根を張る地へと足を運び、

本来ならば久方振りに顔合わせ等をすべきなのだが、当人とコンタクトが中々取れず。

 事後承諾の下、仕方なく彼の領地で餌場を幾つか品定め。

 早速見つけた それなりの広さを誇る公園を第一候補として仮決定。

 簡単な人避けの結界を園内に施しつつ、獣達の幾つかを番としてその場に残し、

さて次へ行こうかと思った、その矢先…。

 周囲の探索を行う為に放った従僕…その一体との繋がりが突然途絶えてしまった。

 何者かに殺されたのか、若しくは思わぬ要因で死に至ったのだろうと、

彼なりに適当な予想を組み立てる。

 だと言うのに、彼の身体にその従僕を構成する生命因子が、

何時まで経ってもその身に戻ってこない…。

 本来、従僕が死を迎えれば、必ず彼の身に還ってくる(はず)だというのに。

 この時点で彼は異常性に気付いていたが、

それは自身の内に発生したエラーか、若しくは未知なる進化か、

又はその種に限り発生した、何らかの変異に()るものだろうと彼なりに結論づけていた。

 

 (もしかしたら何らかの要因で、この身から独立を果たしたのかもしれない…。)

 

 この時の彼は、これらの原因が外的からの力に因るモノだとは思いもよらなかった。

 取り合えず、解き放った従僕がどのような状態にあるのかを一刻も早く確認したいが為、

学者特有の浮き浮き気分で、繋がりが途絶えた地点へと軽い足取りで向かい、そして―――。

 

 

 

 

 ―――そして現在…、原因の元に対し、怒りに任せて従僕共をけしかけて、

いつもの様にさっさと終われと悪態吐きつつ行った駆除作業は、

彼が恐れる想定範囲外(トラブル)により、遅々として進まぬ状況にあった。

 

 『海の幸から山の幸まで、地の果てまで続く満貫全席じゃのぉ~!』

 

 『なんと ♡なんとなんと 、なんとなんとなんと ♡』

 

 『いや、それアンタの台詞じゃ無いだろ。』

 

 『え、コレ全部食っていいのか!!』

 

 『ああ、しっかりと食え、おかわりもいいぞ!

気に病む事は無い、存分に食え!どうせ皇帝(ネロ)の奢りだ。』

 

 『…何故こんな所にチマキがあるんでしょう?』

 

 『それはチマキではない、私のおいなりさんだ。』

 

 もはや彼の中に薄々と感じていた確信は、ここに至り確証へと至った。

 

 (…こいつ等…、私が何世紀もかけて育て上げてきた生命因子を喰っていやがる!

 目の前の人間の身体を介して!)

 

 どういう手段を用いて、あんな(おぞ)ましいモノを幾つもその身に降したのかは知らないが、

所詮は人間…などと、(とら)えるべきでは無かった。

 その(あなど)りの結果が目の前のこの惨状。

 永い時間をかけて、観察し続けてきた大切な研究成果…。

 それは本来研究家である彼にとって、もはや我が子と言っても過言ではない。

 そんな大事な子供等が面白半分で殴り殺され、

身体(いえ)に戻る事無く生命因子(その在り方)ごと(むさぼ)り喰われていく。

 その度に彼自身を構成する広大な異界に小さな穴が空き、哀愁(あいしゅう)の風が吹き荒れる。

 …まぁ風穴が空く度に、彼の世界は失われた部分を他の因子によって補われ、

瞬く間に修復されてゆく為、結果を見れば損失なのかもしれないが微々たる物で。

 彼の身の内に構築された世界の規模から観れば、その損失は限りなくゼロに等しい。

 

 (そう、何も問題は無い……。だが、そういう問題では無いのだ。)

 

 眉間に(しわ)を寄せ、彼の目の前で繰り広がれる悲劇を、

喜々として作り出す諸悪の根元を、怨みの篭った眼で睨み付ける。

 人間であった頃ならば感情を抑え、割り切る事も出来ただろう惨々たるこの結果。

 冷静に観るのならば、彼にとって目の前で暴れる人間(ゴリラ)は、

高々(いき)の良い食料一匹程度、ムキになってまで得るべき物では無い獲物。

 微々たる損失と割り切って、物量で攻め上げた状態を維持しつつ、

このままアレを疲弊させるべきか。

 若しくは日の出までの制限時間を考慮して、

撤退も視野に入れるべきか…そんな想定をする状況である。

 しかし、現在の彼は吸血鬼。

 当時、魔術師として持てる限りの(すい)を掻き集め、人外へと昇華したこの男には、

連綿と積み重ねてきた超越者としての矜持があり、この現状を割り切るという事が出来ない。

 しかもその矜持の結晶とも言うべき従僕達(研究成果)が殺されたとあらば尚の事。

 無論、撤退など論外である。

 結局彼は、目の前にいる敵対象が人間である事から、

(あなど)りを捨てきれる事は出来なかった。

 ある意味、英雄王(金ぴか)と通じるものがある。

 意識を改める事も無く、結局彼は…タカが人間如きに…と、

自らの矜持とその結晶が踏み(にじ)られた怒りと憎しみに、

その身が塗りつぶされていく。

 結果、彼の堪忍袋の緒がブチブチと嫌な音を立てて、

引き千切られようとしていた。

 何時もの如く、差し向けられた刺客共を蟻の如く踏み潰す…。

 聖堂教会の皆さんからはもうお馴染みとさえ言える、彼最大の武装を以って…。

 

 

 

 

 何時の間にやら、雨が止んでいた。

 怒涛(どとう)の如く襲い来るSAN値チェックの荒波は、

粗方士郎の手によって美味しく片付けらた。

 本来ならば死屍累々(ししるいるい)であるはずの園内は、

(かたど)っていた最後の一匹が死を迎え、霧の如く消え逝くと、

本来そうあるべきである真夜中の静けさを取り戻した。

 だが、目の前に広がるこの惨状を見るに、

日常に戻った…とは、とてもじゃないが言えはすまい。

 ネロ・カオスと呼ばれる怪物が、この浮世に顕現(けんげん)せしめた等活地獄によって、

園内は見るも無残な光景が広がっているのだから。

 要所要所に設置されていた遊具は、最早 使い物にはならないし、

景観を整える為に植えられていた木々も、

園内を取り囲むそれ等を除き、薙ぎ倒されてしまっている。

 それに、その惨状の中心地点には、

そんな暴挙をヤらかした非日常の権化・計二名が今(なお)健在なのである。

 お互いがまだ底を出し切っていない事もあり、

(むし)ろここからが開幕本番と言ってもいい。

 先程までの一幕により、相当の距離が空いた場所で、互いを認識しあう二人。

 相手を見据(みす)えリズムを刻む士郎とは対称的に、

俯き微動(びどう)だにする事無く、静かに(たたず)むネロ・カオス。

 お互いがその場から動かぬ様子から、

(しば)らくの膠着(こうちゃく)が続くのかと、ギャラリー連中は観ていたが、

突如対峙(たいじ)する一方、ネロ・カオスが勢いよく天を(あお)ぎ叫び出す。

 もし一般人が聞いたならば、底冷えする程の雄叫びを上げるや、

彼の身体から生まれている朧気(おぼろげ)な影法師から、黒い獣達が一斉に現出する。

 それ等は、彼の足下から始まり全身にかけて、

生理的嫌悪を(うなが)す様な音を立てて這いずり(まわ)ったかと思えば、

時を経てずして彼自身を完全に(おお)い尽くし、その有り様を変えてしまった。

 理性をかなぐり捨てて、怒りと共に(まと)ったソレの名は武装999…。

 怒れる教授のご降臨(こうりん)である。

 

 (あぁ、ゲームで見たなアレ。確か突進三回だったか…。)

 

 『ようやっと本番みたいだぜぇ…。』

 

 『人ではないと事前に知ってはいたが、何とも奇っ怪な。』

 

 士郎を始め各々が、異形へと変貌(へんぼう)()げた黒い大男に対し感想を(ふく)む中、

異形に包まれた怪物が雄叫びを止めたと同時に、突貫の一歩目を踏み込む。

 その反動でアスファルトにより舗装(ほそう)された地面が派手に砕け、その破片が宙を舞う。

 そのたった一歩目で、30メートル相当は離れていたはずの互いの距離が、

(またた)く間に()められる。

 踏み込んだ粉砕音を後方へ置き去りにして、

怪物は今まさに士郎へとぶつかる直前にあった。

 

 「…は?」

 

 制空圏が展開されているにも関わらず、瞬く間に彼の領圏内へと入り込み、

肉薄する怪物に対し、あっさり虚を衝かれてしまった士郎。

 そこから生まれた驚きと、次に生まれる焦りとが合わさり、

気もロクに練り込まれていない形だけの回し受けで、

その突進を凌ごうと試みるが――。

 

 『あぁ…、馬鹿野郎が。』

 

 彼のその慌てようを観て、独歩ちゃんが片手を自らの額に当て、

首を小さく振りつつ(なげ)く。

 その呟きが吐かれた直後、凄まじい衝突音が周囲に響き渡った。

 受け流しが成功したならば、この様な不細工な音など発生する筈は無い。

 相反する両雄は今だ健在。

 仕掛けた側は無論の事、(しの)いだ側もであるが、しかし…。

 それは(しの)いだと果たして言えるのだろうか…。

 一合目の突進を受け流そうとした士郎の両腕は、

上着が皮膚に巻き込まれ、血と肌とスカジャンとが混じり合った奇妙な(まだら)模様を描く。

 ユニークな擦過傷(さっかしょう)を負った事により、

思わず苦痛の声を上げる…、そんな(ひま)すら与えられず、

怪物による折り返しによる突進が、背を向ける士郎に再び襲い掛かる。

 気の運用を咄嗟(とっさ)に切り替え、対処に移ろうと振り向き様に相手を(とら)えた時には既に遅く。

 皮一枚にまで迫ったソレの突進に対して、現状の彼に取れる手段は、

衝撃の直前に後方へと飛び、少しでも衝撃を(やわ)らげる事だけだった。

 …結果…、2メートル近くある大男が勢いよく宙を舞い、

大きく弧を描くという豪快な絵面(えづら)が展開。

 重力に逆らうソレは激突地点からかなり離れた地点へと、

嫌な音を立てて無様に墜落(ついらく)

 その後も止まる事は無く、地面をゴロゴロ転がり続けるソレは、

園内を取り囲む様に植えられた木々の一つに背中からぶつかった挙げ句、

その反動で前方へと前のめり。

 …()めにヒキガエルの様な(うめ)き声を上げ、

(ようや)く彼は一時ながら落ち着く事が出来た。

 

 『面白いくらいに意趣(いしゅ)返しされたのぉ。』

 

 蘭白老師が大爆笑しながらそんな台詞(せりふ)を吐きつつ、

倒れ()す士郎の身体状況を遠間(とおあい)から観察する。

 現在、衛宮士郎の容態は全骨格の至るところに(ひび)が入り、

腹部に収められている臓器の幾つかは破裂。

 防御に使った両腕は、皮膚表面が(まだら)模様を描き、形は奇妙にへしゃげており、

所々から折れた骨が皮膚から突き出てしまっている。

 中途半端ながらも二度目の接触時に()いて、

咄嗟(とっさ)に『硬気功(こうきこう)』をその身に施し、防御力を極限まで引き上げていたというのに、

気の練りこみが甘かったのか、この惨状。

 これだけの現状説明で判るとおり、彼は完全に危篤(きとく)状態である。

 とは言え吸血鬼の攻撃を…ましてや、その最上位であるネロ・カオスの概念武装を(まと)った突進、

往復による計二回も接触して(なお)、人の形を保っていられるこの男・衛宮士郎…、

この程度では死なないし終わらない…。

 と言うか、決して終わらせてはくれないのだ…主に中年一同が。

 

(―――大きな収穫だ……………

せる…………………………………………………………………………)

 

 立ち上がる事を全力で拒否する敗北台詞(せりふ)を脳内でのたまいつつ、

意識が地獄の底へと()ちていく士郎。

 そんな彼の身体から地面へ、大きな血溜(ちだ)まりが出来ていく…。

 人間は最高速度の新幹線に()かれた場合、

恐らく真っ赤な花が血の(きり)と共に咲くはずであるし、

開花後は影も形も残るまい。

 新幹線ネロ・カオスに二度も()かれ、この程度の損害で済んだのならば、

彼にとっては僥倖(ぎょうこう)と言えるだろう。

 何故ならばこの程度の損傷、イメージトレーニングによるフィードバッグにより、

最早(もはや)日常茶飯事だからである。

 身体に取り入れられた膨大(ぼうだい)(ジン)により、

彼が負った致命傷であるはずの大怪我の数々が、(またた)く間に修復される。

 その際に身体中からけたたましい異音が(かな)でられ、

患部からは日常では滅多に()ぐ事のない異臭が周囲へと放たれる。

 何時もならばこの異常、彼の学び舎である教室内で行われ、

絹を引き裂く様な悲鳴の一つでも聞こえるモノだが、

ここはそんな学び舎から遠く離れた関東圏。

 何時もの如く息を呑み、ブルーシート越しから彼を見守るクラスメート達は居ない…。

 そんな冬木の地から遠く離れた見知らぬ場所で、

彼に取って日常である筆舌に尽くし難い違和が、身体中を駆け巡る。

 急激な修復作業が行われる中、彼はいつもの如く、

主に脳トレ終了後に襲ってくる死の微睡(まどろ)みに(ひた)されようとしていた。

 いくら怪我が完治されようが、その身に受けたダメージまでは抜ける事は無い。

 治癒(ちゆ)を行う上で急激な新陳代謝が作用した影響と、

何より怪我を負った原因である、新幹線並みの衝撃をモロに受けた事により、

彼の意識は現在、今朝済ませたはずの日課である(さい)の河原手前までの、

往復ランニングへと出かけていた。

 …無論、身体に流れるのは爽やかな汗などではなく、真っ赤な血であるが。

 

 

 

『…て…(タス)

 

 …心地良い微睡(まどろ)みの中、誰かの呼ぶ声がする…。

 

 『………s(タス)

    『………て!』

       『(セス)…』

 

 ―――声が…誰?

 

士郎(セスタス)、立て!!』

 

 ―――セスタスって誰だ…!?

    ―――…オレか?

       ―――あれ、待って?俺、そんな名前だっけ…?

          ―――ん…?あれ…?

 

 

 

 

 

『起きろぉォ!立ち上がれッ士郎(セスタス)!!』

 

 

 

 重い(まぶた)を徐々に開け、声のする方へ気だるく首を動かしてみれば、

その視線の先には両手を握り締め、倒れ込んだ士郎に対し、

何かしらの言葉を叫んでいる誰か…。

 しかし士郎は何故、その誰か(ザファル)が必死に叫んでいるのかが解らない。

 

 (何だ?何で叫んでる?この程度の怪我、何時もの事じゃないか…。)

 

 ボヤける頭で愚痴(ぐち)を垂れつつ、彼は再び微睡(まどろ)みの中に溶け込もうとした。

 だが、どうにも何時(いつ)もとは勝手が違う。

 視界に入る景色が(うす)暗い上に土一色、その上うつ伏せで倒れているからだ。

 はて、何故こうなっている?…と、彼の中で疑問が浮かぶ。

 

 ―――血溜(ちだ)まりの方は、まだいい…。

       何故俺は暗がりの中、うつ伏せに倒れているのだろう…と。

 

 本来、彼が致命傷を負う場所は、決まって自宅か真昼間の教室内である。

 気を失うにしても、前者であるならば、

何時の間にか自室で床に就いている上、起きたら起きたで大河の第一声が耳に入るし、

後者ならば両腕を胸に組み、オッサンの様な大股開きで、

自分の身体に見合わない学級椅子に座ったままの状態が常である。

 この三年間、ここまで無様に倒れた事などありはしないし、

仮に死ぬにしても、最低限の体裁を整えた上で、彼はちゃんと地獄へ堕ちてゆく。

 何より、これ程の血溜まりが出来てしまえば、何時もの如く血飛沫も辺りに飛び散り、

学校ならば女子生徒連中が、自宅ならば大河が悲鳴の一つでも上げるものだ。

 ―――それが無い時点で………そんな考えに至ったところで、

彼は自身が置かれた異常性に気づき、(こうべ)を勢いよく引き上げる。

 

 (………どこだ、此処(ここ)は?)

 

 ボヤけた視界に映る先は、見慣れぬ場所だった。

 辺り一面が(うす)明かりの中でも判るくらいに酷い有り様で、

災害にでもあったのか、所々に設置されていた街路樹が圧し折られ、

何らかの設備だった物が散乱している。

 

 (何かの破片でも腹にぶっ刺さったのか?

 …その程度の事で、ここまで血溜(ちだ)まりが出来るものなのか?)

 

 一般人の観点から「お前の言ってる事はおかしい」と、

ツッコミが入るであろう疑問が、彼の中で湧きあがると同時に、

「早く気付け」と脳内で警鐘(けいしょう)がけたたましく鳴り響く。

 

 (何だ?いったい何を見落としている?俺は!?)

 

 場の状況から情報を取り入れるべく、忙しなく視界を働かせていたその先に、

警鐘(けいしょう)の原因であろうソレは居た。

 黒い人の形をしたそのナニかを視界に認めた瞬間、頭に閃光が(はし)り、

彼はこれまでの経緯(けいい)(またた)く間に思い出す。

 

 「チィ…!」

 

 力の抜けた身体に無理矢理にでも熱を(とも)し、起き上がる為…再び闘う為に、

既に完治した両拳を地面へと押し付ける。

 朦朧(もうろう)とした意識が目的を思い出した事で、

徐々に霧が晴れていくかの様にクリアになっていく。

 五体の感覚を取り戻しつつある彼に対し、ギャラリー達の反応は様々なモノだった。

 必死の形相で彼を叱咤激励(しったげきれい)し、起き上がることを(うなが)す者。

 その程度の損傷ならば立って当然と彼の挙動を見守る者。

 戦意が(くじ)かれたならば所詮(しょせん)そこまでと冷ややかに観る者。

 

 ―――()いていたブーメランパンツの両端を、両肩まで無理矢理引き伸ばし、

股間を強調しだす者…。

 

 変態の両肩から景気よくパン!…という乾いた音が鳴り響いた直後、

「ゲフォアッ!」という呻き声と共に盛大に喀血し、再び地面へと突っ伏す士郎。

 ザファル先生の声援により()り減った気力を取り戻そうとしていたというのに、

変態野郎による無言の応援(?)のせいで、完治間近の横隔膜(おうかくまく)痙攣(けいれん)を引き起こす。

 ソレによりダメージを負った身体中が引き()り、

絶えず血を吐きながら彼は白目を()きつつ悶絶(もんぜつ)開始。

 

 『何をしている!場の空気も読めんのか!』

 

 『私なりの激励のつもりだったのだが…。』

 

 『そんな激励の仕方があるか!』

 

 『…あ、コリャもう駄目かもわからんね…。』

 

 中年共が(いさか)いを起こすその(はし)で、

彼は必死に失いかけた意識を現世へと(つな)ぎ止める。

 引き()る痛みを少しでも(やわ)らげる為なのか、

何故かラマーズ呼吸法を用いているが。

 (かす)んだ視界の中で、見慣れた人物の幻影が、

うつ伏せで倒れる士郎の(そば)に、腰を下ろした形で現れる。

 

 

 

―――はぁ、また士郎が死んでる…。

 

 

 

 何時(いつ)もならば疲れた顔であんまりな台詞を口にしつつも、

彼が目を開けるまで枕元に座っている藤村大河はこの場に居ない。

 それが殊更(ことさら)に自身の置かれた状況が、

日々感じている安らぎからは程遠い切迫した事態だと、

朦朧(もうろう)とした意識下であろうと本能で理解する。

 (うす)暗い闇の中、園外に設置された街路灯から差し込まれる、

微かな(あか)りによって生まれた彼の影法師…。

 ソレがうつ伏せの状態から起き上がろうとしている

彼の(かす)んだ視界に収まると、此処は彼が望んだ修羅場であり、

同時に彼が追い求めた敵の存在を改めて認識。

 …そして…そんな望んだ相手によって、

初めて与えられた現実的な苦痛も相まって、

彼は実戦による本格的な死というものを強く意識してしまう。

 

 (―――(ひと)り…誰にも看取(みと)られぬまま……俺は、死ぬ?)

 

 枕元でいつも疲れた様に微笑(ほほえ)んでいた彼女の顔が、

彼の中で遠い存在に成り代わろうとしている事に、

得体の知れぬ感情が彼の(なか)に生まれ、胸の辺りでざわつき始める。

 本来ならば持ち掛けたであろう彼の戦意。

 それが変態の(いき)な激励で()し折られ、

不安と恐れが死という形で身体に()し掛かり、

デカイ身体が産まれたてのゴリラの如く小刻みに震え出す。

 そんなゴリラに―――…。

 

 『(ひと)り…。』

 

 様々な感情が渦巻き意識が朦朧(もうろう)とする中、

少年特有の中性的な声が突如 ゴリラ士郎の耳元に響く。

 

 『―――闘いは孤独だ…道連れは俺自身の影法師だけ…

頼るべきは双拳(そうけん)のみ…。』

 

 (あきら)めという負の念に(とら)われかけていた彼を鼓舞(こぶ)するかの様なその叱咤(しった)は、

全身へと染み渡り絶望を戦意へと()り替える。

 

 『()えた脚なら気迫で支えろ!(あきら)めるな!立ち上がれ、立ち向かえ!

 自ら招いたこの窮地(きゅうち)、自分の(こぶし)で打開しないでどうする!?』

 

 (…うぅぬぅれェエ―――!!)

 

 何処(どこ)かで今も(なお)闘っている誰かの声が、

倒れかけた彼の心身に決して消えぬ火を()けた。

 うつ伏せの状態で彼は地面に顔を向けたまま、

今だ痛む腹から声無き雄叫(おたけ)びを上げ、心身に(かつ)を入れる。

 

 (…三度目ッ、三度目が…来る!)

 

 焦燥の中で己の上半身を何とか起こし、軸足である左(ひざ)を曲げ腰を落として(うずくま)る。

 立ち上がる事をを拒否する右太腿(ふともも)に何度も右拳を打ち付け(げき)を入れる事で、

振らつきながらも立ち上がり、彼は自身を()き飛ばした張本人を必死の形相で視界に入れる。

 暗がりの中でも判る今だ解除されていない吸血鬼の概念武装。

 三度目である止めの突進が来ると判断した彼は、

息を整える暇も無く衝撃に備える為、大股開きになり腰を深く落とす。

 未だ(まだら)模様が浮かんでいる両腕を、

顔面手前で交差させての何とも分かり(やす)い防御行動である。

 

 (クソったれがッ!)

 

 ダメージによりフットワークが覚束ないこの現状。

 短い悪態を吐きつつ「今みたいな本来の覚悟があれば…」と、

先程喰らった怪物の突進を苦虫噛み潰した表情で反芻し、

中途半端な行動を悔いる彼は防御した両腕越しに、

たった二合で自分をここまで追い詰めた怨敵を、恨みがましく睨みつける。

 しかし当の相手は此方に振り向く事もなく、

彼の記憶にある三度目の突貫を起こそうとしない。

 二度の突進があれだけ間髪入れずに行われたというのに、

その後、此方に振り向きもしない怪物に対し訝しむ士郎。

 最早一切の油断も無く、怪物の次なる動向を見据えるが、

何時まで経てど彼が懸念する三度目の突進が来ない。

 むしろクールダウンでも計っているのか、

異形と化したその身体をこちらが観て判るくらい大仰に何度も弛緩させ、

状態を整えさせているかの様にも見える。

 

 (………もしかして、突進って二回だけ?…俺の記憶違い、か?)

 

 そう思い至った瞬間、気が抜け落ちそうになるが何とか保たせる士郎。

 突撃を喰らった衝撃と地面に叩き付けられた挙げ句引き摺る様に横転した事で、

無残に擦り切れてしまったスカジャンを引き裂く様に脱ぎ捨て戦意を引き上げる。

 周りに気を病む事無く音を立てて行った士郎の存在に気付いたネロ・カオスは、

筋肉を弛緩させつつ驚きと共に此方へと振り返る。

 本来ならば人の形を保つこと事態不可能である全霊の突進。

 ソレを二度も受け、尚も耐え切った目の前の人間に対し、

彼の中で鳴りを潜めていた恐怖という感情が、

塗り固めたはずの殺意に僅かばかり混じり始めた。

 そんな好敵手の心情など露知らず…士郎の方はそんな彼を視界に留めつつ三戦立ち。

 腰まで引いた両腕…その両拳を掌へと変え、それをゆっくりと前面へ押し出しつつ、

同時に肺に溜まっていた空気を徐々に体外へと出来る限り出し切る。

 …『息吹』…取り乱した精神を平常に戻し、気の流れを高める空手独自の丹田呼吸法。

 

 「ふぅぅ……ぅぅぁぁああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!

 

 『息吹』により心身が整った事を実感した瞬間、

変態に対しての怒りとここまで追い込まれてしまった自身の不甲斐無さを、

雄叫びを上げる事で発散する。

 同時に自らの筋肉を最大まで一気に膨張させる事で、

彼は着用しているタンクトップをド派手に破り脱いでしまった。

 ご存知、これは世紀末救世主を真似てみた脱衣法であり、

かつて士郎が自信を持って他人に自慢出来る持ちネタだったものである。

 …―――思い起こせば今年の二月。

 藤村大河によって無理矢理参加させられた檀家催しによる節分行事。

 彼はその風体から理不尽にも赤鬼役に抜擢されたのだが、

ならばその腹いせとして牙一族に迫る程の鬼を演じてくれようと、

この世紀末式脱衣法を豆持った子供達の前で披露した。

 結果を言えば、参加した子供達による阿鼻叫喚の泣き声が寺院内に鳴り響く

地獄絵図と相成った。

 男性陣からの受けは約一名…柳洞 一成を除いて非常に良かったのだが、

女性陣からの受けは約一名…蒔寺 楓を除いてドン引きだった。

 子供達が目を真っ赤にさせてガン泣きする柳洞寺という名の賽の河原…。

 満面の笑顔で檀家連中に応える赤鬼士郎に対し、

「加減を覚えなさいよ!」という叱責と共に大河キックが赤鬼の脛へと炸裂。

 蹴りをカマした当人が、自らが放った蹴り脚を両手で押さえ蹲り、

涙目で士郎を睨み上げるその隣で、

雷画翁が腹を抱え笑っていたのはまだ記憶に新しい。

 この地獄の節分以降、彼はこの持ちネタを大河による厳命により、

強制的に封印せざるを得なくなった訳だが、

何人(なんぴと)も咎める者の居ない今、ここに解禁された。

 

 『「ひゅ~~~…。服なんか着てられるか!」』

 

 まるで何処かの誰かと重なり合ってるかの様な不思議な気分の獄卒・衛宮童子。

 興奮で真っ赤になっている上半身が露わになった事で、

制空圏の精度がより上がった事を実感する。

 この勢いでズボンの方も脱ぎ捨てたい衝動に駆られていたが、

目の前の吸血鬼がその様な間抜けな隙を見逃す筈も無いだろう事から、

恍惚にも似た何とも言えぬ感情を抑え込み、諦めざるを得なかった。

 溢れ出る氣を身に纏い、両腕を音も無く前へと伸ばし上方へ…。

 その後それぞれを左右へ、世紀末救世主伝説初期OPの様に暗闇の中スローな動作で、

大きな円を描くようにゆっくりと両腕を回しながら深く息を吐き、

再び前羽の構えを取った士郎。

 今度は前回の様に咄嗟に行った中途半端なものではない。

 氣を整え練り込むだけ練り込み、全身へと行き渡らせた本格的な迎撃体勢である。

 

 (―――あの突進…知覚は出来ても即座に反応する事は不可能…。

 しかも現状、ダメージの残滓で微かに震えるこの足で回避に回るなど…。

 恐らく万全の状態であろうと、あの突進は避けられまい。

 ならば全力で最初の一撃は受けに徹してくれよう…。だが…。)ニチャア

 

 「コーホー…」と男の呼吸法を行いつつ物騒な攻撃設計を組み立てるは、

見た目世紀末の現役中学生(15+生前の年齢α)。

 そして大雑把ながらに組み立てられたその内容―――…、

 

 (…実行するには、氣が足りぬ…。)

 

 そう思うや否や、彼は無意識下で三咲市に張り巡らされている龍脈から、

吸えるだけの精を吸い上げ続け、その影響からか大地が鳴動し始める。

 結果、素肌を晒し薄っすらと湯気まで出ていた彼の上半身は、遂に発光までし始めた。

 地球(ガイア)にバックアップを無理矢理引強制させた事により、

彼の新たな持ちネタが生まれた瞬間である。

 …しかし龍脈を枯渇する勢いで精を吸い上げ続けるこの一芸…。

 二年後、冬木の地で行われる聖杯戦争において知り合う事になる少女…遠坂凛に、

三白眼が殊更強調された形相で「二度とするな殺すぞ」と、そう言われたのを皮切りに、

その数年後、原因足る彼の身元を探り当てた全国津々浦々の霊地管理者連中が、

度々彼の下へ定期的に訪れては出会い頭の攻撃と同時に「二度とするな殺すぞ」と、

警告され続ける破目になる訳だが、その程度で終わってくれるならば、

彼自身は屁でも無く塩対応。

 しかしその後、抑止力までもが手を替え品を替え何度も襲撃かましてきた為に、

身内に被害が及ぶことを懸念して、

泣く泣く彼自身の手で封印する事になる事が確定されている文字通りの厄ネタである。

 突如大地が震え始めた挙げ句、目の前の敵性対象である人間の全身が、

蛍光灯の如き眩しさで輝きだした事により、目に見えてうろたえるネロ・カオス。

 

 「何なんだ!?本当に何なんだ、貴様!!?」

 

 あまりの出来事にかなぐり捨てたはずの理性を一旦 取り戻し、

吸血鬼は、現在も振るえ続ける地震の原因であろう眼前に居る人間LEDに対し、

泡を吐きつつ大声で問いかける。

 

 「愚地独歩…デ

 

 「…オロチ…ドッポ…ッ!」

 

 『…もう好きにしてくれや。』

 

 反射的に偽名で応える士郎に対し、そう称する人物が、

まさかこの期に及んでまだ偽名を名乗っているとは露知らず、

相手の名前を再認識するネロ・カオス。

 そんな二名の遣り取りを呆れた表情で眺めつつ、

剃り上げた頭部を一撫でするオロチ・ドッポご当人。

 …若干緩みはじめた空気を醸すギャラリーとは対照的に、

その目線の先にいる二人の漢達による死闘は、

今、最高潮を迎えようとしていた。

 動揺する感情を抑えて努めて冷静に、

ネロ・カオスがどれだけ感知能力を働かせても、

魔術回路を一切使っている痕跡が見られない眼前の人間発光体。

 最早この未確認生物の行っている事象に、

怪物は今まで培った知識と経験を総動員しても理解がまったく追いつかず…。

 それでも彼は挫ける事無く、灰色の脳細胞をフル活動。

 

 (―――もしや目の前のこの男、私を排除する為に現れた抑止力か…?

 …否、自身の固有結界(在り方)を鑑みればそれは無い。

 …ならばこの男はいったい何だ?!)

 

 堂々巡りの思考に陥り、彼は思わず後ずさり。

 そんな無意識の上で行った反応に気付き、

吸血鬼はこれから訪れるであろう自らの破滅を幻視する。

 

 (…何を…馬鹿な。)

 

 咄嗟に浮かんだ映像を恥じると共にその感情を掻き消す為、

彼は腹の底から雄叫びを上げる。

 自らを再び殺意で塗り固める最中も、頭の中では警鐘が鳴り止まない。

 その鐘の音を雄叫びの声を張り上げる事で無理矢理にでも掻き消す。

 身体中に行き渡らせた魔力を纏い、力の限り一歩目を踏み抜くと、

その瞬間には既に両名の間合いは詰められており、

遠く離れていた双方が息詰まる程の距離にまで肉薄する。

 後退のネジを全て外し迎え撃つ衛宮士郎と、

進撃にアクセルベタ踏みフルスロットルのネロ・カオス。

 相対する二名の知覚が鋭敏になるにつれ、

彼等の身に纏わり付く時間の流れが徐々にスローになっていく。

 …今、正ににぶつかり合おうとする…そんな二名をそっちのけにして、

周囲の動きがゆったりと感じる時の流れすらガン無視し、

中年達は何時も通りの調子で意見を交わす。

 

 『スケールの違いなんていう弊害をモロに受けてるなぁ、アレ。

 まぁ(あり)ンコ踏み潰す為に必死に修行する人間なんてこの世には居やしねぇが。』

 

 『あの黒コートがこれまで殺してきた連中は、

奴から見りゃあ(あり)だったんだろうがなぁ…。

 今、テメェの目の前に居るのは(おんな)じスケールの生物(にんげん)なんだぜぃ。』

 

 ネロ・カオスの行動に対して呆れた様に感想を評する入江文学に対し

応える様に話す愚地館長。

 

 『結局凝り固まった考えを改める程の柔軟性は持っていなかったという事じゃろ。

長く生きてると誰しもがそうなっちまう…ワシ等も気ぃつけんと…。』

 

 『と、言いますか彼の場合、年齢が千年以上…でしたっけ?

 それだけ在り続けたならば、人間だった頃の事など忘れてしまったのでしょう。

 彼自身の現状を(かんが)みれば、仕方の無い事かと思いますが…ね。』

 

 人の振り見て…という諺を思い出しつつ腕を組み成り行きを静観する蘭白老師と、

ネロ・カオスの有様に何やら思う所があるのか、

手を顎に当て考え込む仙人志望の元スプリガン・朧。

 

 『そもそもあの男、闘技者では無いだろう。

 身体を運用する上での技も術も見受けられん。

 挙げ句に一度功を奏した策に拘り、また突進だ。

 あの膂力と瞬発力だけなら目を見張るものはあるが。』

 

 『牙無き人から見れば、それだけで充分 脅威ではあるんじゃろうなぁ。

 しかし相手はあのシロちゃんじゃ。

 あそこまで単純な手は二度は通じんて。

 あの面妖な奇術で押し続ければ、いずれは逃れる機もあったじゃろうに…。』

 

 『さて、逃げるだろうか?

 あの男の視点で言えば蟻に馬鹿にされている訳だろう?』

 

 『うむ、まぁ結果は御覧の通りじゃて。』

 

 何時も通り対戦相手の総評を淡々と述べる平常運転のザファル先生と、

士郎の前に立ちはだかった吸血鬼に対し、哀れむ様に言葉を紡ぐ無敵超人。

 

WELCOME!(いらっしゃいませ!)

 

 一同の議論の末、変態仮面がM字開脚で発した締めの台詞。

 それにより完全に止まっていた世界に、時という因子が激流の如く動き出す。

 時間の流れが正常に戻った瞬間、

ぶつかり合った二人を基点に凄まじい音と衝撃が園内全体に響き渡る。

 周囲に散乱していた嘗ての設備がその余波により四方八方へと飛んでいく。

 怪物による全霊を賭した突貫…。

 その馬鹿げた一合を瞬間的に、前方へ突き出した両の掌で受け止めて(なお)

一拍置く事も無く動き出す男・衛宮士郎。

 最大の一手を放ち刹那、硬直した相手…ネロ・カオスの僅かな間隙を縫うかの如く。

 彼は左脚を軸点に自らの身体を回転し、その動きによって舞い上がる粉塵と共に、

怪物の左真横を旋風(せんぷう)となって横切っていく…。

 その身を一瞬、竜巻へと変えた大男は怪物の左斜め後ろ側へと(またた)く間に占位を変える。

 不恰好な形ながら強引に()じ開けた勝機への扉。

 それは人外の領域にドップリと浸かったこの大男だからこそ出来る力技。

 占有出来たその場所に、回転を加えていた軸足の勢いを無理矢理止めると、

舗装された地面に僅かな軌跡が出来上がる。

 土煙の舞う闇の中、光り輝く大男が握り締めたその右拳で狙うのは、

異形の鎧で手厚く守られた極太い首筋…では無く。

 動きの阻害を嫌ってか、装甲が全体に比べ薄い両脇腹…第一に狙うは無論左脇。

 まともな人体であるならば、12対で構成された肋骨の環状結合されていない最下部位。

 その内側に収められた臓器に目掛け、今…彼は渾身の一撃を放つ。

 大地に縫い付ける巨大な釘を自らの右拳に連想し放たれたソレは、

凄まじい打撃音と共に意識が漂白する程の痛みを怪物に齎した。

 衝撃の瞬間、腕の全筋肉を締める事で運動エネルギーを拳の打点部分へと圧縮。

 更にその身に取り入れた膨大な量の(ジン)により、

原作漫画以上に馬鹿げた破壊力へと変貌を遂げ、怪物を撃ち抜いたその魔拳。

 …悪魔の鉄槌『腎臓打ち(キドニーブロー)』…近代拳闘においては無論反則技である。

 本来ならばその身が混沌と化しているこの怪物に、人間としての機能などとうに無く。

 士郎が撃ち放ったその箇所に、目的の臓器など既に存在してはいない訳ではあるが…。

 しかし士郎の拳には、中年達の特性が宿っている。

 怪物の身に纏った分厚い鎧越しに、

人であるならば収められているであろう腎臓部分をド派手にブチ抜かれた衝撃が響く。

 久方ぶりに怪物は人としての痛みを思い出し、

足がよろけ嘗ての勢いも遂には止まってしまう。

 士郎の連想通り、地面に縫い付ける事こそ叶わなかったが、

その威力によって齎された被害は甚大であり…。

 怪物…ネロ・カオスが幾星霜を掛けて、

その身に構築してきた異界に巨大な風穴が穿たれる。

 

 「グァアアあ"あ"

 

 ネロ・カオスが痛烈な叫び声を上げると共に、その身に苦痛を与えた下手人に対し、

振り向き様に自らの左腕を勢いよくその下手人…士郎 目掛けて振り抜こうとする。

 型も何もあったもんじゃない怒りに任せての裏拳打ち…。

 彼はその反撃を流れる様な動作で掻い潜り、

(なお)も叫ぶ怪物の懐へ、音も無く入っていた。

 

―――…最初の相手が…―――

   ―――あんたで良かった…―――

 

 そんな囁く様な言葉が、ネロ・カオスの耳にはっきりと聴こえた直後…。

 彼の右脇腹、人間ならば収められているであろう腎臓部位に新たな衝撃が走り抜け、

それが激痛へと変じていき、その身を光が(はし)る様に侵食する。

 彼の右脇腹に差し込まれた士郎の左鉤突き…。

 そう、それは左鉤突きから始まった。

 …それとは即ち…。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 『煉獄という。』

 

 衛宮士郎がグラップラーとして身体が仕上がりつつあった、三年目の春…。

 衛宮家、居間…その中央に置かれた座卓を囲み、入江文学による講義が行われる中、

皆が思い思いに余暇を過ごす。

 縁側に腰を掛け、一間毎に設けられた柱の一つに背を預けながら、

ボクシング入門と書かれた書籍を静かに捲りつつ感慨深い息を吐く、

頭にターバン巻いた色黒のオッサン。

 その縁側の軒先で攻夫の何たるかについて延々と立ち話しつつ、

大地から精を強制徴収しているタンクトップ着た2M超えのクソジジィと、

黒いカンフー服着た年齢不詳・黒い長髪の美青年。

 現在まともに文学の講義を受けているのは、彼の真向かいに座り、

これから無理矢理 件の技を習得させられるであろう衛宮士郎(仮)。

 そんな彼の右隣の席に座り、技の性質上、興味本位から参加している愚地独歩。

 そして左隣で正座しつつお茶を啜りながら拝聴している無敵超人。

 この三名のみである。

 …最後に問題の人物は、一人でどう自縛したのか知らないが亀甲縛りに成っており、

天井の中央からロープでぶら下がっている…。

 聞きたくも無い変態野郎の鼻歌を極力無視し、

文学の説明のみを拝聴する様に努める士郎。

 

 『一撃に重きを置いた空手に連打、か…。』

 

 『この場に逆鬼君が居れば満面の笑みで喜びそうじゃのぉ~。』

 

 『ま、俺が5分くらいで考えついた技なんだけどね!』

 

 (煉獄…仕組みだけなら覚えている…。大雑把にだが。

 …確か、五つの連続攻撃が計七つあって、そこに左右二つのー…、

5×7×2で構成された反撃させない高速連打…だった、はず?

 まぁどんな技でパターン化されてたかまでは、まったく思い出せんが…。)

 

 講義を聴き感想を述べる二名の前で、

十兵衛ちゃんに張り合ってなのか、原作上で考えついた時間が更に5分短縮され、

くだらない嘘をのたまう38歳無職。

 そんな三名の存在を隅に置き、煉獄がどういう技だったかを、

うろ覚えながら思い出す士郎。

 亀甲縛りで天井に吊るされた変態が旋回しながら歌い出す…。

 そんな奇怪なオブジェの下に置かれた座卓を囲み、

今後の予定を大雑把ながらに組み立てる男四名。

 その後、形稽古による反復練習の積み重ねにより、

士郎は煉獄をその身へ浸み込ませていった…無論、独歩ちゃんも御一緒に。

 …しかし問題は習得後にこそあったのだ…。

 

 

 

 

 

 

 『技は充分に浸み込ませた。

 だがよぅ…、こちとら実戦相手は愚か訓練相手にすら難儀してる始末だ。

 そいつ等、どこから見繕えばいい?』

 

 『隣にメタルスライムの巣窟があるじゃねぇか。』

 

 「いや、あの…出来れば表沙汰になる様な事案はちょっと…。」

 

 衛宮家敷地内にある結構な広さがある道場。

 そんな道場内のほぼ中心で胡坐を掻きつつ、

どう体得するかについて疑念を言葉にする武闘家・ドッポに対し、

腕を組みつつ当然の如くそう答える勇者・ブンガク(ロト)

 そんなレべリング作業を平然と推奨する効率重視の中年勇者に対し、

両掌を合せつ擦りつつ、現実的な代案を何とか促そうと試みる武闘家・シロウ。

 

 『ふむ…。じゃあ、もう借りるしかないのぉ…。お隣さんに。』

 

 梁山泊から来た武闘家・ハヤトのその一言により、

その発想に思い至らなかったデンジャートリオは目から鱗がポロポロ落ちる。

 早速駄目元で、お隣さんの大親分・藤村雷画翁に相談してみた所、

粋のいい鉄砲玉を二名も紹介してくれた。

 空手にも明るく段位持ちだそうだが、現在はどう間違ったのかヤクザ稼業。

 若気の至りでつまらぬ喧嘩に首を突っ込んだ挙げ句に補導され、

社会的に腐っていたところを藤村雷画直々に拾ったそうだ。

 組自体が抗争に縁も無く、日々ヤる気を持て余していたこの半グレ二名…、

そんな彼等の御協力の下、遂に煉獄は体得の至りへと成りはした。

 だが訓練相手として招かれたこの二名、燻っていた空手家としての熱が再燃したのか、

煉獄について必死に教えを乞い続け、遂には土下座までする始末。

 結局彼等の熱意に負けて、『基本的には門外不出、

衆人環視の目が無い状況でのみ使用可能』という絶対条件の下、

彼等にも一から教える事に相成った。

 

 

 

…『煉獄』とは…

 

空手団体進道塾・塾頭、山本陸が編み出した秘奥義である!

その内容は5つの技で構成された連続攻撃を1セットとし、

内容の異なるモノを7パターンまで用意。

更に左右反転による構え2つ分を組み合わせたものである。

状況に応じてパターンを組み変える事で、

相手の反撃を決して許さぬ高速連打…それが『煉獄』なのである!

 

 

 

門外不出という条件を出したのは、第三者に観られた場合、

この技の法則性に気付いて対策を講じられる事を恐れての事である。

 

 

 

…事実色々あって、こうして富田流によってパクられているし…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …藤村の家には二匹の獄卒が棲んでいる…。

 裏稼業連中がこの二名について語る時、そんな出だしから始まる武勇伝…。

 …―――後に恐れられる藤村組の赤鬼・青鬼誕生秘話である。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 …―――ち』『両―――…

 

 …―――時と場所を戻し、現在…。

 両脇腹の激痛に苛まれつつも身を縮こませ、

必死の形相で防御に徹し続ける怪物ネロ・カオス。

 頭部を覆うその両腕越しの先には、今も尚 止まる事の無い連打を続ける男・衛宮士郎。

 金色に輝く奇っ怪な大男が繰り出し続ける、息もつかせぬ高速連打。

 

 (ただの勢いに任せての連続攻撃か…。)

 

 痛みという冷や水を被せられ冷静さを取り戻し、そう相手を分析する吸血鬼。

 …しかし彼のその分析は…10、15、20と流れるように繰り出される攻撃によって、

何時しか間違いである事に薄々ながら気付き始める。

 

 (…―――まさか、この一連の攻撃は勢いによるものではなく、

繋がっているモノなのか?)

 

 そんな疑問が彼の中で生まれ、その考えに行き着いてから瞬く間に、

30、40と打撃の数が超えた頃には疑問は確信へと変わった。

 これは一つの技であると…。

 

 (だが、この連撃が長く続くとは到底思えん…。

 いずれは呼吸に乱れが生じ、勢いも衰え始めるだろう。)

 

 生命因子で覆われた分厚い鎧が剥がされていくにあって、それでも彼は冷静だった。

 

 (…―――どれだけ強かろうが所詮は人間…いずれは体力が尽き息も上がる。

 …その瞬間をただ待てばいい…。その時こそが貴様の最後だ…。)

 

 理性をスッカリと取り戻し、努めて冷静になったネロ・カオス。

 けれど悲しいかな相対しているこの人間、

相手を殴れば殴るほどに活力と集中力が湧いてくる社会不適合者。

 彼に憑いている中年共の特性がその身全体を覆っている為、

(さなが)ら人間ストームブリンガーとでも称しようか。

 現状の彼の攻撃は、例に挙げた魔剣の通り人間の魂…だけでは無く、

その魂と共に、あらゆる呪い・術・結界といったオカルト要素を

小難しい理屈など抜きにして吸収し、己が活力へと塗り替える。

 例え実質不死の存在であろうとも、いともアッサリと…とまではいかないが、

喰い殺すゲフンゲフンもとい吸収する事が可能だろう。

 …ネロ・カオスの読み違いの下、

彼の存在を守るべく装着された、膨大な数で構成されている生命因子の肉体を、

ソウルイーター為らぬオカルトイーターと化したその拳で、

時には脚で喰らっていく光り輝く大男…その名は衛宮士郎。

 煉獄による高速連打がより一層激しくなるにつれ、

彼の股座に鎮座する唯一無二のご子息も完全に起き上がり、

今の彼はとても痛気持ちがいい!

 テンションとボルテージがクライマックスに差し掛かった現在の彼が織り出す攻撃は、

その一合一合が非常に馬鹿げた威力を叩き出しており、

防御に徹する等という悠長な選択肢を吸血鬼から綺麗さっぱりと奪い取る。

 彼の内に構築された固有結界に穴が空く度、

リアルタイムで行われていた補填作業が、遂に追い着かなくなったのだ。

 ここまで来ると、一体どちらが怪物なのか判ったモノではない。

 嘗て聖堂教会に黒き混沌という名を冠された吸血鬼は、

この場に於いて最早待つという事さえ出来なくなってしまったのだ。

 ジリ貧の状況下、それでも彼は諦める事無く虎視眈々と反撃の芽を捜す。

 ここまで追い詰められた以上、目の前の人間に対し最早油断をする気は彼には無い。

 飽きる事無く攻撃を繰り出す相手を、彼は両腕越しから必死で観察し続けた。

 …そう、観察し続け…そして観てしまった…。

 

 …―――攻撃を繰り出す相手…衛宮士郎のその背後で、

両手を後頭部に組み、上半身を振り子の如くリズミカルに動かす変態仮面の姿を…。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 「ぶオ!!」

 

 緊迫に置かれた中で変態の奇態をモロに捉え、盛大に吹き出すネロ・カオス。

 笑いのツボにはお国柄やら価値観、個人差等が影響するモノらしいが、

緊迫した状況下で、こんなふざけた存在を目の当たりにすれば

誰でも笑ってしまうのは恐らく万国共通と思われる。

 そしてそんな憐れな隙を晒してしまった吸血鬼を見逃すほど、

社会不適合者は優しくない。

 

 …―――『裏『裏『鉄―――…

 

「げオ”!!」

 

 痙攣した横隔膜に社会不適合者士郎の繰り出す裏拳が深く入り、

彼の間抜けな笑顔が苦悶の表情へと、あっという間に切り替わる。

 事ここに至り、防御の体すら為す事が困難になってしまったネロ・カオスに対し、

それでも一片の容赦無く、苛烈なまでの連打を繰り出し続ける衛宮士郎。

 所々で音速の壁にでもブチ当たっているのか、

繰り出す攻撃や間接の駆動部の節々で、パンパンと乾いた音が屋外に響き渡る。

 そんな彼から奏でられる衝撃音にシンクロするかの如く、

上半身による振り子運動が更に激しくなっていく変態仮面。

 殴る者、殴られる者、踊る者…光と闇と音とが調和された空間の中、

遂に各人が各人による悟りへと至る。

 

 …―――嗚呼、なんてこった…今なら解る。俺にも解る…。

 精子が止め処なく作られていくのが解っちまう…!!

 

 …―――ここが…、私の終わり、か…。

 

 『フォオオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

 

 

もはや彼等は止まらない…絶頂に至る、その瞬間まで…。

 

パン

 

パン

 

パン

 

パン

 

パン

 

 燃える…燃えて逝く…。

 彼がこれまで積み上げてきた世界(つみ)が、煉獄の炎によって浄化されていく…。

 

 『チタタチタタチタタチタタ…。』

 

 『何やっとるんじゃ?』

 

 『いや、こうして肉を叩く調理法が、とある漫画にあるんだよ。』

 

 『あぁ?坊主が散々ブッ叩いたろう、ソレ。』

 

 『そうだっけ?』

 

 『さぁ食べなさい。』

 

 『まずは貴様が食ってみろ。』

 

 煉獄の炎により荒涼と化した彼の領地で和気藹々と過ごす七人のインベイダー。

 一体何処から取り出したのか、二本のキッチン包丁でまな板に置かれた謎肉を、

几帳面に叩き続ける無精髭生えたオッサンを中心に取り囲み、

残りのムサいオッサン達が思い思いに寛いでいる。

 屋外で暢気に闘いを観戦している中年共とは別にして、

何故かネロ・カオスの体内にも同時に中年共が存在しているこの状況…。

 理不尽極まる事態に直面し、彼は当初混乱の極みにあった。

 殴られる最中、覚束ない思考を働かせこの理不尽をについて熟考した結果、

分霊という概念に思い当たる。

 …まぁ、彼らが英霊や神霊の類かと言えば、正直怪しいところだが。

 ともあれ、この内外共に燦々たる状況に直面し、

彼は身体は愚か精神も完全に圧し折れる。

 最早自力で身体を支えること事態が困難になっていた。

 殴られた反動でバランスを崩し、もうとっとと楽になりたい衝動もあって、

進んで横倒れになろうとする。

 …しかし…そんな彼の脇腹に素早く『鉤爪』が差し込まれ、

苦痛と共に無理矢理、直立にされてしまう。

 

 (…―――横には、倒れられない…。)

 

 為すがままに打たれ続ける彼は今度は前のめりになりつつ、

膝から崩れ落ちようとした。

 だがその瞬間、『肘打ち』が彼の顎を綺麗に捉え、

訪れる痛みと共に景気よく打ち上げられたと同時に、再び直立に姿勢を正される。

 

 (…―――前にも、倒れられぬのか…。)

 

 鈍い痛みに襲われ諦観の唯中、

何時しか倒れる事そのものが彼の目的へと成り代わっていく。

 

 (…―――もう解放してくれ…。)

 

 後方へ重力に身を任せ倒れようとした瞬間、

『踏み砕き』による痛烈な一撃が彼の爪先に深く入る。

 痛みと衝撃によって三度立たされた挙げ句クリアになった意識へ、

『上段足刀』による顎への一撃で脳を激しく揺らされ、瞬く間に酩酊状態にされる。

 もはやモーションすら置き去りにして、連打を与え続ける士郎に合わせる様に、

その身を委ねる嘗て怪物として恐れられた彼…。

 苦痛と衝撃に身を侵される中、前後左右…何処にも倒れることが許されない。

 まともに頭を働かせる事など出来るはずも無く、

何時しか彼の脳内はたった一つの疑念で埋め尽くされる。

 

(…―――なんで?なんで倒れられない?なんで?なんデ?ナンデ、ナンで!?)

 

…―自らの意思で倒れる事も許されない―…

 

(…―――ナンで…なんで…ナンで、なんで…なん…、)

 

…―言葉も届かない―…

 

(…―――…もう…止めて、クレ…止めテ…ヤ…、)

 

…―泣いても―…

…―叫んでも―…

…―懺悔しても―…

 

(…―――助けて…助けて…た…、)

 

…―逃れる術はない―…

 

 

 

 

 

            ……―――『裏拳』

             『裏打ち』

          『鉄槌』

      『肘打ち』

   『手刀』

『左下段前蹴り』『右背足蹴り上げ』『左中段前蹴り』『左中段膝蹴り』『右上段膝蹴り』『振り上げ』『手刀』『鉄槌』『中段膝蹴り』『背足蹴り上げ』『鉤突き』『肘打ち』『両手突き』『手刀』『貫手』『右中段回し蹴り』『左上段後ろ回し蹴り』『左中段猿臂』『右下段熊手』『上段頭突き』『鉤突き』『肘打ち』『両手突き』『手刀』『貫手』『下段回し蹴り』『中段回し蹴り』『下段足刀』『踏み砕き』『上段足刀』 『左下段前蹴り』『右背足蹴り上げ』『左中段前蹴り』『左中段膝蹴り』『右上段膝蹴り』『裏拳』『裏打ち』『鉄槌』『肘打ち』『手刀』―――……

―――それが煉獄―――

……―――『振り上げ』『手刀』『鉄槌』『中段膝蹴り』『背足蹴り上げ』『左上段順突き』『右中段掌低』『右上段孤拳』『右下段回し蹴り』『左中段膝蹴り』『右中段回し蹴り』『左上段後ろ回し蹴り』『左中段猿臂』『右下段熊手』『上段頭突き』『鉤突き』『肘打ち』『両手突き』『手刀』『貫手』『裏拳』『裏打ち』『鉄槌』『肘打ち』『手刀』『左下段前蹴り』『右背足蹴り上げ』『左中段前蹴り』『左中段膝蹴り』『右上段膝蹴り』『下段回し蹴り』『中段回し蹴り』『下段足刀』『踏み砕き』『上段足刀』『裏拳』『裏打ち』『鉄槌』『肘打ち』『手刀』

                       『左上段順突き』

                    『右中段掌低』

                 『右上段孤拳』

            『右下段回し蹴り』

   『左中段膝蹴り』―――……

                                  

 

 

 

 

 …この三年間、溜まりに溜まった欲求不満を発散するかの如く打ち続けられた煉獄…。

 士郎がもう何手目になるか分からない右拳による『鉤突き』。

踏み込みがまったく足りず、それが盛大に外れるやいなや、

矢の如く続いていた連打から、念願叶って解放されたネロ・カオス。

 煉獄と言う支えが無くなり、焼き払われたその身体は、灰の如く崩れ落ちる。

 漸く倒れる事が出来た彼の身体は現在、

高い身長を除くその全体が急激に萎んでおり、まるで衰弱死寸前の病人の様。

 それでも辛うじて意識を保っている辺りは、人外としての面目躍如といったところか。

 彼に取って生涯の支えであり、自身の至上命題でもあった固有結界『獣王の巣』が士郎…、

と言うか、中年達の食害により散々に喰い荒らされてしまった今の彼に、

戦意も気力ももう感じられない。

 戦いに敗れ生命因子を粗方喰われた影響で、固有結界の維持すら困難となった彼は、

完全に黄昏に暮れており、直に訪れるであろう滅びを素直に受け入れようとしていた。

 

 (…―――弱肉強食は、世の常か…。

 終わらせた相手が強者であるならば、もう何も言う事は無い…。)

 

 そんな悲観的な考えに至る彼とは対称的に、

衛宮士郎…今の彼は身体中を駆け巡る絶頂感で何度も痙攣する状態に堪え、

恍惚の表情で何時の間にか晴れている満天の空を仰いでいた。

 煉獄による度重なる激しい動きにより、遂に限界を迎えた士郎の股座にあるご子息は、

盛大に雄としての役割を果たしてしまった。

 その結果、集中力や攻撃精度も盛大に右肩下がり。

 次のパターンに入る為の一手目(右鉤突き)を繰り出す事が億劫になり、

これまた盛大に空振ってしまったのである。

 現在、身動き一つ億劫な状態で彼は生前読んでいた、

陰惨極まる格闘漫画の主人公が口にした、ある台詞を思い出す。

 

―――そのギリギリの先にはなぁ、女の股座より気持ちいい事があるんだぜ。―――

 

 事実、その通りだった。

 人を殴って盛大に吐精する等、彼にとって生まれて初めての経験である。

 勝者と敗者がそれぞれ違う理由で黄昏始めた辺りから、

勝者である衛宮士郎の身体から放たれていた光はその輝きを失い、

傍迷惑な地震の方も治まっていた。

 

 (…嗚呼、俺は…俺はなんて卑しいんだ…。)

 

 某漫画のイカレタ銀髪の主人公と同じ様な台詞を、

脳内でのたまうバトルフリーク。

 遠い眼差しでゆっくりと地面に横たわる愛しき怨敵へ視線を移す。

 性交渉ですら子供のお遊戯だと断言出来るほどの触れ合いをした漢同士。

 そんな彼等に煩わしいピロートークなど一切必要無い。

 それでも言葉を相手に伝えたいならば、ただ一言、こう言えばいい。

 

 『『『『『『『「ありがとう(ごちそうさま)。」』』』』』』』

 

 静かに横たわる怪物だった男を取り囲み、

士郎を始めとした一同は感謝の言葉を送る。

 言葉が重なる中、歯の隙間に挟まった食べカスを取り除く為か、

その口から鬱陶しく「シーハー」とせせる音を出す者が何名か居るが、

気にしてはいけない。

 …その言葉が耳に届いた瞬間、目を見開き彼等を見上げるネロ・カオス。

 そんな彼を感慨に浸る瞳で見つめる漢・士郎...ある意味真っ白に燃え尽きた彼に、

老人二名がそれぞれ現状に対して意見を述べる。

 

 『人避けの結界が完全に晴れちまったな。

 まぁ元々大掛かりなモノじゃないし、術者自身の手で維持されていた簡素なモンだ。

 コイツが坊主にボコボコに殴られてる辺りでもう使い物にならなくなっていたし、

当然っちゃ当然だわな。』

 

 『シロちゃんが派手に轢かれた辺りから、

コチラに出歯亀決め込んどった者も居るしのぉ。

 宴(たけなわ)、そろそろ引き時じゃろうて。』

 

 名残惜しいが、この乱痴気騒ぎもどうやらここまでのようだ。

 衛宮士郎は倒れたままコチラを今だ呆然と見上げるネロ・カオスに

警戒する事もなく背を向けて、

後ろ髪を引かれる思いで嘗て児童公園だった場所から立ち去った。

 …淡い栗の花の香りをその場に残して…。

 

 

 

 

 「オロチ・ドッポォ…オロチィ・ドッポォオぉお…!!」

 

 つい先程まで修羅場だった荒地を這い蹲りながら、

彼をここまで追い詰めた相手の名を口ずさむ…。

 嘗て、混沌と言う異名で恐れられた二十七祖が一体、ネロ・カオスは最早おらず。

 そこには絶対者としての自信も矜持も消えかけていた憐れな吸血鬼…、

その一匹が一刻も早く、この場から離れようと藻掻いていた。

 もはやナケナシとなった生命因子を掻き集め、

繕う事で何とか己が存在を維持する様必死に努める。

 嘗て死闘を繰り広げた経験は数あれど、

ここまで完膚無き敗北を味わった経験など彼には無かった。

 況してや、その後礼を言われ、その挙げ句に見逃されるなど、

彼にとっては前代未聞の事であり、筆舌に尽くし難い屈辱である。

 様々な情念が渦巻く彼の胸に、しかし僅かながらの清しさも生じていた。

 それは死力を尽くし命を削り合った者同士に芽生えた、共感の様なものだろうか。

 

 (―――思い返してみれば…あの死闘とも呼べる戦いはまるで

互いを語り合っているかの様な何とも可笑しい一時だった…。変態は別にして…。

 

 口の片端を吊り上げ薄く笑う、心なしか人間味のあるその表情(かお)で。

 オロチ・ドッポ(衛宮士郎)との再戦を渇望し、

誓いとしての言葉を胸に秘めようとした瞬間、突如として彼の意識が断たれた。

 

 

 

 

 「二十七祖第十位、混沌の消滅を確認…。」

 

 この世界の裏側を識る人間達に於いて恐れられていた吸血鬼の一体…ネロ・カオス。

 その存在は、この街に派遣されていた聖堂教会代行者である彼女の手により、

完全な終焉を迎えた。

 本来であるならば致命傷を与える事など不可能な存在。

 しかしそんな彼の現状は、目に視える程に解れていた箇所に刃をするりと通すだけで、

いともアッサリとその首を落とせる程に弱体していた。

 断頭に用いた刃は役目を終えると、文章が書き綴られた一枚の用紙へとその姿を変え、

ソレは風に乗り彼方へと飛ばされていった。

 ソレを見届ける事も無く、

彼女は刃の無くなった黒鍵の柄を着用している法衣の中へと仕舞う。

 彼女の視線は今だ、嘗てそこに吸血鬼の亡骸が在った地面を油断無く注視している。

 信じられぬ事象を観た事による余韻もあるのか…。

 彼女は柄にも無く興奮してしまい、両の掌がじっとりと汗ばんでいた。

 …完全にいち観客である。

 

 (まさかあの混沌がただの人間に…。いや、アレは本当に人間か?)

 

 彼女…シエルの中で人間の定義が大きく崩れかけていた。

 彼女は思い出す…。

 どう視ても魔術回路を行使していないただの人間が、

何とも解らぬ方法で霊脈から魔力を強制的に徴収し、

全身を金色に輝かせ、恐らくはあの微弱ながらの地震まで引き起こし、

…挙げ句の果てに、教会が恐れる死徒を打倒してしまった。

 彼女なりにこの一晩の経緯をまとめてみたが、結論を言えば…。

 

 (……意味が解らない……。)

 

 …これである。

 その上、ネロ・カオスを殴り続ける彼の真後ろで、

奇妙な舞を必死に披露していたあのパンツ被った変態については、

女性の観点から言えば、解りたくもないし思い出したくもない。

 魔術回路を行使せず、あれだけの奇跡の数々を起こした事から、

あの大男はこの世に誕生した新たな聖人なのかも…と、思い至りはしても、

その聖人のバックで振り子の如く踊り続ける嫌なオプションが付いてる以上、

そこから生じる個人的嫌悪が沸き上がり、絶対に認めたくなどなかった。

 …が、上に報告書を提出する以上、文章として記さねばならない事案である。

 二十七祖の一体が討伐されたのは喜ばしい事ではあるが、

正直これからの処理を思うと、非常に憂鬱な彼女であった。

 目撃したモノを洗い(ざら)い報告したところで、

最悪上司に「頭大丈夫?」と本気で言われかねない。

 溜息と共に彼女は視線を彼が去っていった方角へ目を向ける。

 

 「オロチ・ドッポ、か…。」

 

 微かに栗の花の香りが漂う園内…。

 心なしか疲れた声色で彼の名前を呟くと、彼女はその場から音も無く立ち去った。

 

 

 

 

 

 これが後に、下北沢ヤンキー狩りボクサー…、

三咲町ヴァンパイア狩りグラップラーと呼ばれる、

『聖人(仮)指定オロチ・ドッポ』誕生の顛末であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


―――二年後―――


 

 

 

 

 ―――…2005年…初冬が近づき木々も衣替えを迎えつつある冬木市深山町、郊外…。

 日本各地と比較してみれば春の如く暖かな気候の土地柄ではあるが、

さすがに早朝ともなれば、少々の肌寒さを感じてしまう。

 しかし、そんな事など物ともせず黒いボクサーパンツ一丁のみでをほぼ全てを外気に(さら)し、

大の字で母なる大地に横たわり瞑目(めいもく)する大男がそこに居た。

 裸男(らおとこ)が寝そべるその場所は、(かつ)鬱蒼(うっそう)とした森が広がっていたのだが、

現在は寂寥(せきりょう)とした更地である。

 一見すれば土木現場と見紛うその場所は、その所々が穴だらけ、

大小様々な木々が生えていたであろう場所はその数々が根元から引き抜かれ、

どんな手法を用いたのか、引き千切られた物・両断された物等

無残な末路を迎えた色とりどりのモノが、

破片となって辺り一面に転々と散らばっていた。

 これらの惨状は、全て更地のど真ん中で寝そべるパンツ一丁の大男…、

衛宮士郎の五年間に及ぶ鍛錬(たんれん)による成果である。

 あの初体験(ネロ・カオス)による()り取りから二年…。

 元々精悍(せいかん)だった風体は更に磨きがかかり、現在身長213cm体重160kgという、

ある意味負けフラグが立ちそうな数値を誇る肉体へとその身を昇華させていた。

 最早存在自体が特徴の(かたま)りである彼の肉体は、常にベストコンディションを維持させており、

筋張ったその皮膚からは、鍛錬(たんれん)後によるモノなのか()っすらと汗が浮き出ている。

 そして身体の至るところには大小様々な傷が付いているが、

なかでも一際目立つのは左腕であろう。

 肘から指の先に掛けてまるで鉄の如く黒ずんでいる。

 まるで彼が今履いているボクサーパンツの様に…。

 まぁ、裸一丁の大男が屋外で臆面も無く眠ってるこの異常な状況を(かんが)みれば、

黒ずんだ左腕程度注目に値しないだろう。下手すれば通報案件である。

 (しば)らくすると彼はゆっくりと(まぶた)を開き、上半身を起こす。

 彼の視界の向こうには、()っすらと西洋細工の古城が霞んで見える。

 五年に渡る鍛錬(たんれん)の余波を受け続け、

その所々に傷が付き、尖塔(せんとう)の幾つかが欠けている。

 幾重にも張られていた高度な結界も現在は所々が穴だらけ。

無論、森の周囲に張られたそれ等も使い物にはもう為るまい。

 これまで、度重なる近所迷惑を引き起こす士郎に対し、

「やるなら森でやってくれ」と藤村 大河に懇願(こんがん)された為、

鍛錬(たんれん)の場を移してみたが、思いの他 伸び伸びと自身と向き合えたと彼は感じる。

 まぁ彼が好き勝手やった事で、後にアインツベルン勢は来日早々、

この有り様に対して、教会に抗議する暇すら惜しみ、

不眠不休で工房の復旧に勤しむ破目になるのだが、

そんなものは彼の知った事じゃなかった。

 現在この森の現状を知るのは、

二年前ローカル番組で士郎を見かけて以降、使い魔を通して彼を観察し続ける間桐 臓硯と、

聖杯戦争監督役という立場から、冬木の地を定期的に視察に回る言峰 綺礼、

計二名のみである。

 冬木管理者である遠坂 凛はフェアプレイの精神からか、

戦争本番まで敵領地には決して近づかない様にしている為、

森がこの様な有り様になっている事を欠片も知らない。

 まぁ仮に近づいても周囲は一応木々に覆われている為、

一見は森ではあるし気が付くまい。

 …中に入って10メートル弱歩けば土木作業場であるが。

 本来、この様な蛮行が知れたなら、監督役から手痛い制裁が与えられるモノなのだが、

彼の養父である切継が(かつ)てアインツベルン陣営として第四次聖杯戦争に参加していた事から、

今だに衛宮=アインツベルンという図式が、

間桐・言峰両名の中で深読みという形で成立していた為、

特にお(とが)めなどは来なかった。

 …仮にアインツベルンとの関係が既に御破算(ごわさん)している事が知れたとしても、

この両名が制裁に動く事など無いだろう。

 間桐 臓硯は自らに不利益さえ被らなければ他陣営の事などどうでもいいし、

言峰 綺礼は他人が四苦八苦する(さま)を観賞する事が密かな趣味だからである。

 

 

 

 

 鍛錬(たんれん)による心地良い疲労に身を委ねつつ、

遠くに浮かぶ西洋細工の城を胡坐(あぐら)を掻きながら眺める士郎。

 パンツ一丁のこの大男の身体に、

あらゆる箇所から使い魔による視線が注がれているが、

特に士郎は咎める様な行動に移す事はなかった。

 「(むし)ろもっと観ろ」と、視線を感じる方角に向けてサイド・チェストまでかます始末。

 その瞬間、四方から感じた視線が波を引く様に無くなると、

(しば)らくしてパトカーによるサイレン音が幾つも森を包囲している様子が

彼の耳朶(じだ)にまで届く。

 妖怪ジジィとパンツ男による二年に渡るこの死闘…。

 結局それは、第五次聖杯戦争が始まる前にケリが着くという事は無かった様だ。

 鉄の様に黒ずんだ左腕で額から浮かぶ汗ををひと拭きすると、

朝食が待っているであろう我が家に帰るべく、

彼はアインツベルンの更地から静かに立ち去った。

 

 

 

 

 

 




次回…『俺は正義の味方だが…』。
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