レティシアはある街の外れにあるホテルの一室に宿泊していた。
ハンターライセンスを使えば最高級ホテルに格安で泊まる事も可能であったが、また襲撃に遭うリスクを増やす程レティシアの危機意識は低く無い。
寧ろ入浴や睡眠など、隙が多く生まれる寝床の確保には、レティシアは細心の注意を払っている。警戒は当然の事だった。
ほとぼりが冷めるまで迂闊に行動できなくなったレティシアは、両親に電話でハンター試験を無事に合格した旨を報告し、暫く帰れない事情を説明して電話を終えた。
現在のレティシアは、身嗜みには気を遣うようになっている。ジャンヌ・ダルク無き虚無の世界で聖女の偶像を唯一体現し得るレティシアがまさかズボラな姿を見せる訳にはいかない。
なおギャグ時空は除く。
早寝早起きは基本。食事もバランス良く食べて自分なりに考えた修行もきっちりこなす。そして朝には三時間の祈祷を
一つ一つは些細な事であっても、それを365日片時も欠かさずに修行僧の如きストイックな生活を送る。困っている人が居れば身を顧みず出来るだけ手を差し伸べて、人を助ける。
まるで自分のプライベートの時間など存在しない、と思えるような日々であった。
「あ、あの!」
「?……はい、なんでしょう」
「は、初めまして! ボボクはジャック・シスタという者です」
「あ、これはご丁寧に。私はレティシアと申します」
レティシアは午前のランニング中に、不健康そうな青白い肌をした小太りの男性に声を掛けられた。黒髪黒目で彫りの深い顔つきをしていて、年齢は恐らく二十代半ばから三十代前半だ。
九十度直角で頭を下げた大仰な挨拶と共にジャックに手渡されたのは名刺。そこにはジャックがハンター協会から派遣された協専ハンターだと書かれている。
ハンター協会から渡されていた事前情報で大まかにレティシアの事を把握していたつもりだったジャックであったが、実際に目にした実物の少女から放たれる美少女オーラに明らかに腰が引けている。ジャックは美少女に耐性が無かった。
レティシアは相手に一言断りを入れて、ハンター試験で知り合った元受験者仲間のハッカーの伝手を使い軽く裏を取る。彼女の周囲は時にそういった用心が必要なほど騒がしくなっているのだ。
レティシアから連絡を貰ったハッカーである彼との電話の背後からは何故か複数人の騒がしい声や物音が聞こえたが、努めて気にしないでくれと相手に言われたレティシアは、恐縮しつつ用件を告げた。
ハッカーは僅か三分で仕事を成し遂げた。
実はハッカーの部屋には【聖女ファン倶楽部】なるメンバーが偶然にも居合わせており、ハッカーはこの電話の後に強い嫉妬に駆られたメンバー達に鬼の眼光で睨まれながら激しい追及を受ける事になったが、それをレティシアが知ることは無かった。
会話を聞かれない用心の為と言ったジャックに従い、レティシア達は宿泊していたホテルから少し離れた山へと足を向けた。小心者であるジャックは今改めて自分が目の前の美少女と二人きりである事を意識して密かに慄いた。
「レレ、レティシアさんが天然の念能力者であることはう伺っています。現時点でレレティシアさんが知っている、念についての情報聞いてもその……いいですか? あその齟齬があったらいけませんしッ!」
「正直に言うと、何も。この普通の人には無い不可思議な力が、念能力と呼ばれているらしいと知っているくらいです」
「でで、では先ずは基本から話した方が良いですね!」
レティシアは暖かな眼差しで、挙動不審なジャックの話を聞いた。中学校では彼の様な人種も多かったのでレティシアは割と耐性が有った。それに前世の自分の方が多分気持ち悪い。
時折質問したり、レティシアが合間合間で相槌を打つとジャックは如実に嬉しそうにして念について知る限りの事を喋った。慣れない者には聞き取り辛いかなりのマシンガントークだ。
レティシアはそれに内心で苦笑しながら微笑ましい表情で、相手の早口を真剣に聞いて頭に情報を叩き込んだ。進学校で飛び級もしていたレティシアは基本的に頭が良い。
(なんだかこの早口を聞いてると、妙に親しみが沸いてきますね)
前世の『俺』が果たしてどのような人物であったのかをレティシアは覚えていないが、ジャックのそんな仕草は彼女にとって大変好意的に映った。
(多分ジャックさんは、念が好きなんでしょう。好きな物を
絶対前世の"俺"であれば間違いなく目の前のジャックより興奮しているだろう自信があるレティシアは、途切れることのない相手の早口に根気よく付き合った。
ジャックは自身の口が暴走してしまっている事に気が付いていたが、拙い自分の説明を笑顔で真剣に聞いてくれている彼女を前にすると自分ではもうどうしようも無かった。この目の前にいる相手に失望されたくないという気持ちが芽生えてしまっただけに、もう自分でも止められない。
ジャックは
ほんとは
たとえ合わない依頼でも上に睨まれたくなければ受諾するしかない、それが協専ハンターの実態であった。
本当は【新人ハンターへの念教育】なんていうコミュニケーション必須の依頼など受けたくない依頼№1だったが、ジャックは今間違い無くこの依頼を楽しんでいた。
――受けて良かった。
「い以上が、念の基本になります。それではみ、水見式という念の系統を知る簡単な方法がありますので、ま先ずはこれをやってみましょうか」
「はい」
ジャックは手持ちのカバンから事前に用意していたコップに水筒の水を注いで、地面に落ちていた葉をその上に浮かべる。
レティシアに見本を見せる為に、先ずはジャックがコップの前で"練"を行う。
「風もないのに、葉っぱがクルクルと……」
「ボボクは操作系なので、こんな風に葉っぱが揺らぎます」
感心した様子で葉っぱを観察するレティシアに照れたようにジャックは頬を掻いて羞恥心を誤魔化した。別に大したことをした訳でもないのだ。
「レティシアさんは独学の割に随分と綺麗な"纏"をしていますよね」
「ありがとう御座います。そう言って頂けると嬉しいです」
半ば誤魔化しの為にジャックはそうお世辞を述べたが、実際に、彼女の"纏"は独学の割に整っているとジャックは思った。何時頃にレティシアが念能力者に目覚めたのかをジャックは知らないが、恐らく物心ついた時から念に触れていたのかなとジャックは推察した。
「それでは今ボクがやったように、コップの前で"練"をしてみて下さい」
「ーーはい」
レティシアが"練"を始めて直ぐ、ジャックはその異常に気が付いて目を剥いた。オーラ量が尋常では無い。天然の能力者の弊害なのか明らかに"纏"と"練"の練度差が激しかった。
"纏"が念を教わって数年の初心者ならば、"練"は明らかにジャックの遥か上を往く密度とパワーだった。顕在オーラ量だけならば既に熟練の念能力者の域。
更に異常は重なる――いつの間にか、レティシアの服装が変わっているのだ。
レティシアを見るジャックの眼をしきりに泳がせていた原因の一つである、彼女の眩しい背中がチャームポイントの白の大胆なホルターネックシャツが、いつの間にか装いを変えて紫色のミニドレスに鎧を着けたような武装へと変わっていた。
それは明らかに"物質化"した念であった。
「あ、これは……強化系? でしょうか」
「え、ええ。そうですね……んん?」
レティシアが特にそれを気にしていない様子であったので、ジャックも慌てて衣服から視線を外してコップへと視線を移す。
確かにレティシアが言ったようにコップの水かさが増えて溢れている。それだけならば強化系だ。
「これは……特質系ですね」
「ああ。やっぱりおかしいですよね」
「ええ。強化系なら――こんな風に葉っぱは光りません」
水が溢れている現象だけならば強化系と言っても良かったが、なんと葉っぱが陽光の様な輝きを放っている。更に細かく観察すると光が揺らいで……僅かに葉が燃えている様にも見えた。
「しかし、特質系ですか。出来れば強化系が良かったのですが……」
「ああ。操作系や具現化系の人は、良くそう言いますね」
ジャックも珍しい特質系の詳細については余り知らなかった為に、レティシアに詳しく語れないことを残念に思った。それほど特質系の数は少ない。当然それに応じて出回っている情報も少なかった。
「ええ。私はやはり、一番は防御力が欲しかったので」
贔屓目に見ても人当たりの悪い自分にも優しい彼女のことだ。きっと彼女は人を傷つけるより護りたい人なのだと、ジャックはレティシアへ眩しい眼差しを送った。
……なおレティシアがつい一週間程前に、襲撃してきた賊を割とあっさり斬殺した一件をジャックは知らない。これでレティシアは割と敵に容赦が無い系の聖女(Fate産)なのだ。
「もしかしたらレティシアさんの防御力が欲しいという願いに反応して、その鎧を物質化する念能力が発現したのかも知れませんね」
「え? ああ、そ、そうなんでしょうか。あは、はは」
(よし! とうとうレティシアさんの名前を言えたぞボクはッ!)
「な何か質問があれば、ボクが分かる事なら何でもお答えしますよっ!」
気持ち得意げにジャックは胸を張った。たとえ相手が明らかに自分より強くても、ジャックは今だけはレティシアの教師なのだ。レティシアもそれなら、と随分前から気になっていた質問をぶつけてみる。
「もうお分かりかも知れませんが……実はいつからか、ジャックさんの言う"練"をすると強制的にこの装備が物質化してしまうのです。これがちょっと不便で……そして逆に"練"……"堅"をしていないとこの装備は、出す事すら出来ないのです。これは制約と誓約に関係しているのでしょうか」
それは確かに不可解なことだったが、彼女の話しを聞く限りそれは天然の念能力者にはありがちな話の可能性が高かった。
「……なるほど。恐らくはそうでしょう。推測になりますが、その装備を物質化し続ける為には【"練をする"】或いは【"堅"をし続けなければならない】といったような制約があるのでしょう」
「なるほど」
レティシアの質問で、ジャックは恐らくその辺りに"纏"と"練"の余りにもかけ離れた練度差の秘密があるのだろうと察した。ここまでのオーラを得るにはたとえ天賦の才能があったとしても説明出来ない。
理由は不明だが、彼女は日常的に【装備】を出していた可能性が高いのではとジャックは思った。ジャックは彼女が今も装備を出したままで居る事から現在も"堅"をしていると確信しているが、現在は最初に感じた濃いオーラ特有の重圧を感じられていない。
つまり驚くべきことに、あの膨大な"練"のオーラの多くがその【装備】の物質化に消費されているのだ。だから今も"練"をし続けている彼女からあの強いオーラを感じないのだろう。
一体そこまでして造り上げられた【装備】はどんな効果なのだろうとジャックは思ったが、不躾に"発"の詳細を聞くことは師匠であってもマナー違反になる可能性が有る。彼は大人しく口をつぐんだ。
復習を兼ねてレティシアに念の理解について確認を取ると、彼女は驚くほどすらすらと念の基本知識から四大行や応用技の名称からその意味を、ジャックの説明よりも分かり易く簡潔に語ってくれた――ジャックはさり気なく自身の能力の無さに落ち込んだ。
「今日はお、お疲れさまでした。また明日」
「はい。今日は大変勉強になりました。また明日、よろしくお願い致します」
ジャックは去っていくレティシアの後姿を名残惜しそうに見送った。
「明日も、か……仕事が楽しいなんて、何時ぶりだろう」
ジャックは張り切って明日の授業計画を練り始めた。その表情はまるで新人のハンターとしてやる気に満ちていた頃と同じような、清々しい晴れやかなものであった。
◆◆◆◆
(制約と誓約……なるほど。ジャックさんは少しだけ勘違いなさっていたようですが、その方が私には都合が良い……正確には恐らく)
「――――『
ハンター協会から派遣されて来た協専ハンタージャックとの初日授業を終えた後。ジャンヌはホテル内の自室で、今日手に入れられた情報の整理を行っていた。どれも興味深い情報ばかりだったのだから、把握すべき情報は膨大だ。
ジャックは大きな勘違いをしていた。
『ジャンヌ』が着る装備の
その本質とは――――ジャンヌ・ダルクの再現に他ならない。
何を隠そう、レティシアの趣味は自撮りである……撮った自分の写真に恍惚と顔を上気させるさまは端から見て変人の極みだ。
しかし結果的にこの行為は当のレティシアにそのような意識は無いものの、レティシアの"発"『
オーラは強い感情に反応して常に揺れ動く繊細な物だ。絶望で心が折れていれば弱り、心が昂るほどオーラは充溢する傾向にある。そして一流のジャンヌスキーが疑似的にでも『ジャンヌ』を見れば興奮するのは、太陽が東から西に沈むのと同レベルの真理である。
恥ずかし気に笑ってはにかむジャンヌ。
凛々しい表情で佇み旗を構えたジャンヌ。
そして【レティシアへbyジャンヌ】と書かれた色紙を胸元に抱いた上目遣いのジャンヌ。
レティシアの脳に脳内麻薬が大量分泌されるとともに、レティシアの全身が底無しの多幸感に沈む。『
『
その為に普段からジャンヌロールプレイを行っているだけで興奮しているレティシアは、常に念へブーストを掛けているようなものであった。
レティシア本人は天然で生まれた能力の詳細を完全には理解していないので、これらの行為がより彼女の"発"を強めていることを知らない。
しかしこれは天然に生まれた念能力である。弊害もあった。
「"絶"……出来る気がしませんね」
レティシアには、致命的に"絶"の才能が皆無であった。或いはこれも制約になるのだろう。外面は相手に凛々しく清らかな落ち着いた印象を与えるレティシアだが、彼女は常に内面では気持ちを高ぶらせている。その為、己の精孔を閉じる事が極めて難しい。
レティシアには溢れ出る
もしレティシアが初めて精孔を開いた時に真っ先に覚えた、流れ出す
「"隠"……似た物なら、いつも使っていますね」
レティシアは睡眠などの例外を除き
つまり就寝中以外はずっと『
普段は私服のみを着用しているように見えるのは、ただ装備を
通常の"隠"ならばオーラを隠し不可視にしているだけで、物理干渉は出来る。物理干渉が出来なければ念弾を隠して攻撃する事などが出来ないので当然の事だ。
しかしレティシアは、"念"を知らなかった。念能力者の常識が無い。
代わりに非常識ならばあった――
レティシアの"隠"は物理干渉をしない……ではなく出来ない。レティシアからすれば装備を見えなくする=消す=
『――レティシアさんは独学の割に随分と綺麗な"纏"をしていますよね』
それは違う。
ジャックがこの時に"見た"オーラは、レティシアが『
もし落ちこぼれハンターのジャックが相手が念初心者だと油断せずに甘い"凝"をしていなければ、レティシアの隠されたオーラと装備を発見することが出来ただろう。
ジャックは……レティシアの多くを誤解していた。
「明日の授業……楽しみですね」
レティシアは届けられたルームサービスの夕食を摂って、残ったワインをすっと一口だけ飲んだ。そして今日のジャックとのやり取りを思い出して……茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべて、ほんのりと頬を赤らめた。
小悪魔な『