「あ……え、えっと……その、ですね…」
もじもじといつもの映姫らしくないしおらしさがうかがえる。
「……あぁもう、どうなんですか?」
そんな可愛い態度に、されど江戸っ子は少しいらだってしまう。
映姫は小さく震えて、やがて決心したように口を開いた。
「こ、小町」
「はい」
「ひ、膝をついてください」
「……はい…?」
「そしたら、目を閉じていてください」
「……はぁ…」
言われたままに、膝立ちになって目を閉じる。
花のかすかな香りが、鼻の奥をくすぐった。
「……とても、とっても、嬉しいです。小町」
ふわ、花の香りと共に唇をかすかな感触が通り過ぎて行った。
「――え、ちょ、映姫様…?」
何事かと目を開こうとすると、
「め、目は閉じたままです!」
「は、はい!」
「私はこのまま仕事に行きます!あなたもサボってばかりではいけませんよ!」
「わ、わかりましたから、もう目を開けても…」
「だっ、だめですだめですっ!私がここから去るまで、目はそのままです!」
「えぇー……」
ザッザッザッ、と小さな足音が遠ざかっていく。
だって、見せられるはずがない。その足音の主、四季映姫・ヤマザナドゥの顔は、
誰も見たことのない紅に染まり、誰も見たことのないニヤケ顔になってしまっているのだから。
その時とほぼ同刻。
太陽の畑で、春良達はメディスンと幽香の二人に別れを告げていた。
「も、もうこないの?」
「いんや。落ち着いたころにまた来るよ。ここの花も、帰る時には見ておきたいし」
「……ん。待ってる」
「……ま、頑張りなさい」
幽香が不適な笑みを見せて春良を見る。
「有るべきものが無いとしても、気に病むことはないわ」
「――っ…?」
「意味は、わかるでしょう?」
やはり、わかってしまうものなのだろうか。
失われた、記憶。
「……はい。ありがとうございます」
「それじゃぁ春良さん。行きましょうか?」
「あぁ、また背中頼む……」
「戌井春良」
こあくまに負ぶさろうとしていた春良に、幽香が声をかける。
振り向き、見ると幽香はどこかを指差している。
「向日葵、きれいでしょう?」
「え……? あ、そうですね。とても綺麗です」
「向日葵はね、届かないと分かっていても、太陽に手を伸ばすの」
「…………」
「貴方も手を伸ばしてごらんなさい」
まだまだ眩しい輝きに、春良は手を伸ばす。
届くはずのない光に目をくらませると、ふと、声が響いた。
「……ほら、綺麗でしょう?」
カァッ、と太陽ではない別の何かが光をもらす。
「……あ…………!!」
春良の印が、太陽の光を受けているかのように輝き、収まった時、それは確かな証となって春良の腕に残った。
「四つ、目……?」
腕を、見る。
五芒星は、上の印だけをのこして、全ての印が染まっていた。
「後、一つ……」
何か、実感がわかない。
後一つ、使命を果たしたとき、一体どうなってしまうのだろう。
突然もとの世界に連れ戻されるのか、本当に記憶は戻るのか。
「や、やりましたね!春良さん!」
「あ、あぁ……」
ここでの思い出は、一体どうなってしまうのか。
「…………」
同じ事を思っているのか、上海は不安そうな顔で春良を見つめている。
「い、今の何?」
「あ、えっとな、俺には使命ってのがあって……」
説明を始めた春良は見ずに、幽香は傘の端から視線だけを空に向けた。
「……気にくわないわね…」
その空には、両端にリボンをつけた空間を裂いたかのような一本の線がひかれていた。
「……お互い様よ」
その線の奥、妖艶な女性は扇を一降りして、見えない妖怪をにらみつけていた。
「そうなんだ…。じゃぁ、後一つで、戌井春良は帰るの?」
「多分、そうなるかな…」
「も、もう幻想郷には来ないの?」
その言葉に、春良の背後の二人が体を揺らす。
誰からともなく無言になり、その辺りに静寂が訪れる。
「…………あ……」
ごく、とつばを飲み込む音が、春良の中で大きく響いた。
「戌井春良」
「……え?」
とん、とメディスンが春良の胸に額を当てる。
本当の別れを怖がっているのか、その体は小さく震えていた。
「ぜったい、絶対また来てよ。私、待ってるから」
「…………ありがとう」
その会話は、少なくとも冷たい会話ではなかった。
しかし、こあくまと上海は、その会話に不安を抱くことしかできない。
「……それじゃ、行くか。諏訪子達もきっと待ってるからな」
「……はい!」
「……!」
あの春良が、『勿論』と言わなかった。
小さな不安は、春良の笑顔で心の奥底へしまい込まれた。
「あーあ、行っちゃったぁ…」
「別に、ついて行っても良かったのよ?貴方はもうどこへでもいけるのだから」
春良達が飛んでいった空を眺めて、メディスンが寂しそうに呟く。
幽香はそんなメディスンを見て、傘をたたみつつ言った。
「んー。まぁ、そうしたかったけど…」
「まったく、貴方が自由に動かないのなら、その簪も意味がないじゃない」
「私は自由だよ?」
その声に、幽香は顔を上げてメディスンを見る。
くるっ、とその場で回り、メディスンは幽香にとびっきりの笑顔を見せる。
「自由だから、ここに居るの。風見と一緒に居たくて、私はここに居るんだから、ね?」
「…………」
誰かのために、花を咲かせる花があったとする。
その花が、その誰かのため『だけ』に存在しているのは、誰にでも分かることだろう。
「……はぁ。今日は疲れたわね。メディスン、鈴蘭畑から種を持ってきてちょうだい」
「…………風見…?」
「何よ。早くしなさい、私は気が長い方ではないわよ?」
ならば、その誰かが何らかの理由で、命を散らしてしまった時、その花は開花することがあるのだろうか。
「……う、うん。じゃぁ、行ってくるね?」
「早くしなさい」
「……分かった」
その花は、きっと待つのだろう。
「……さて、殺気がだだ漏れよ」
「……へぇ?それで友人を逃がしたのかしら、健気ね」
「どうでもいいわ、あの子は。ただ、邪魔だっただけよ」
ひっそりと、蕾のまま風雨に耐え、誰かが再び訪れるのを。
「悪いけど、貴方が他の妖怪と手を組むと私の計画に支障が生じるかもしれないのよ」
「……私が誰かと手を組むことはないわよ。きっと」
一生涯を賭け、誰かのために生きた花。
「……もう良いわ。しばらく、この異変から外れてもらうわよ」
「ご託が過ぎたわね。貴方に従うつもりなど、毛頭無いわ」
「…………残念ね」
それが、花映塚。