社畜人生にお別れを   作:ブルー・プラネット

2 / 7
蒼穹とNPC

 通常であれば若干のタイムラグの後に意識は現実の身体に戻り覚醒する。その間に様々な風景が見えるが脳内からナノマシンが除去されるまでの間、待機時間を表現するプログラムが走っているためだ。

 いわゆる体感時間を現実の時間に合わせるために点を引き延ばし、線として表現するようなもの。

 夢から覚める時とは違い、全てが意識できる。それゆえに夢と現実をしっかりと区別することができる。そうでなければゲーム依存症が進行し、日常生活に支障が出てしまう。

 長くゲームに携わってきたプレイヤー達はオンラインゲームから現実への回帰は慣れたもので、(うなじ)に存在するプラグを引き抜く事にも抵抗は無い。――むしろそういうプレイヤーでなければフルダイブ系のゲームは遊べない。

 娯楽の無い二一〇〇年代を楽しむためには多少の無茶も通さなければやってられないのだから。

 

(……いつもの風景が見えない。……何らかの不具合かな?)

 

 先ほどまで黒い粘体(スライム)だったプレイヤー『ヘロヘロ』は意識下で首を(かし)げる。

 感覚的にはいつも通りだ。

 古いゲームの不具合は特段、珍しくもない。

 数分も待機していれば自動的に復旧する。

 

 しかし――(ヘロヘロ)はいつもの感覚でやり過ごしてしまった。

 

 『ユグドラシル』という長く親しんだゲームが終了し、自動的にログアウトして現実に回帰するものだと()()()思い込み、仮眠に似た状態で意識を手放してしまった。

 肉体的に粘体(スライム)であるモンスターは睡眠を必要としないし、視界の祖語は自動補正で解決してしまう。

 そう――

 今回はそれに全面的に頼ってしまった。いつもの習慣のように――

 少し意識を向ければ()()()()()()()()に気づいた筈だ。

 それどころか人間的な感覚で目蓋を開いておけば暗転中の風景など何処にも無い事が理解できたはずだ。

 

(暗転が終わらない。……いや、ウインドウはもう無い)

 

 ユグドラシルのサービスは終了した。だから、ゲームの仕様であった様々な別ウインドウが無いのは当たり前だ、と思った。

 今は自分のPC(パソコン)へと仕様変更している最中だと――

 それなのに中々画面が切り替わらない。

 強制的にプラグを引き抜く事は危険行為である。最悪、半身不随の障害が起きる可能性もある。

 脳や神経に直接作用するシステムは時間がかかっても待つべきである、というのが多くの見解だ。それにヘロヘロのPCは仕事柄(プログラマーとして)、最新の機種を扱っている。

 

          

 

 暗い画面をいつまでも見ていると飽きてくるのだが、それでも待つのはいつもの習慣だ。

 途中で余計な操作をすると危険だからだが、少しは周りの様子を見るべきかと迷った。

 頭ではわかっている。しかし、暗転中の操作は急には出来ない。

 何度か手足の感覚を取り戻し、落ち着いて行動しようと覚悟を決める。

 無暗矢鱈と動かしてはいけない。――そう自分に言い聞かせる。

 

(……時間的には暗転中。思考に不具合は認められない。耳にも異音は無い。……はぁ。後は……触覚のみが頼りか……)

 

 意識だけの空間で触覚による操作がどこまで通用するのか――

 完全な闇と化した空間を視覚的に認識しようとするのは――普通であればしないし、やらない。またはやってはいけない。

 

 余程の緊急時以外は。

 

 初心者にありがちなパニックによる事故はこの手のゲームではよくあることだ。

 ヘロヘロは呼吸を整えて周りの景色を確かめることにする。

 もしウインドウや何らかの緊急メッセージ――または警告文――が表示されているかもしれない。

 なにはともあれ、確認作業から始めることにする。

 

「……わぁお」

 

 意を決して目蓋を開ける、ような感覚で視覚的に景色を見ようと試みた。その結果、思わず声が出た。

 それを表現するならば『ひかり』そのもの――そうとしか言いようがない。

 通常であれば盲目効果間違いなしの圧倒的な光量だった。だから――思わず目を瞑った。

 さすがに他の人間でも同じ反応を示すに違いないとヘロヘロは思いつつも異常な光景が脳裏から離れられない。

 

(な、なんだ今の!? 白い世界どころじゃないぞ)

 

 暗転中の景色は通常であれば黒。――実際には完全な黒ではなく黒に近い青だ。

 壊れている場合のみ単一的な色で表現される。

 使用者の負担にならないように本来ならば様々なデータや画像が用いられ、安心感を与えてくれる。

 今まで気にしなかった仕様に今日ほど驚かされたことは無いのではないかと思った。

 

          

 

 数秒から数分かけて目蓋を開けて確認するもやはり白い景色が目を焼くように襲ってくる。

 通常であれば暗い景色しか映さない。そういうものしか見てこなかった、とも言える。

 ユグドラシルのフィールドでさえ明るい場所はあまりない。――あるにはある。

 現実世界の空は大気汚染の影響で分厚い雲に覆われ、晴れた日は生まれて()の方、見たことは無いが歴史書などのデータでは知っている。

 ゲームの中の『ナザリック地下大墳墓』の()()()()()()()()()()()の原風景を再現したものとなっている。

 暗雲立ち込める世界に生まれ育ったヘロヘロ達日本人にとって奇麗な空は絵空事――まさに言葉通りの神話でしかない。

 今まさにその神話の様な光景というか風景を自分は見たのではないかと思った。

 光りに目を慣れさせながら何度か確認作業を繰り返した結果――白い景色は陽の光り。

 決して白一色だけの単一風景ではない。

 青白く広がるものはまさに『(そら)』の色であった。

 それを空だと認識できるのは知識のお陰だ。そうでなければ現実味として受け入れなかった。いや、ゲーム的な仕様かバグの一種としか思わなかった。

 

(……ましてこれほどの景色はユグドラシルにもナザリックにも存在しない)

 

 自分たちが作り上げたものならば現実がなくともすぐに受け入れられる。けれども、目の前に広がる光景は全くの未知だ。しかし、それでも空だと認識できたのは知識として備わっていたからに他ならない。

 自分の脳が『これは空です』と認めている。

 感覚が一致しているからこそ疑いのない事実として認識できる。

 これはとても素晴らしいことだ。

 

(……(あお)く澄み切った空とはよく言った。……ブルー・プラネットさんでもここまでの色は再現できまい)

 

 自分たちが作り上げた空も相当の出来ではあるけれど、本物には遠く及ばない――と思わせる何かを感じさせてくれた。

 サービス終了時に見せてくれたサプライズか、と思ったがゲームの運営会社にこんな芸当が出来る余裕も資金力も無いはずだと――

 では何だと問われてもヘロヘロには答えられない。

 自分でも知らない()()が起きた。それは自分でも知りたい、と。

 

(……ログアウトボタンは押してない。……強制ログアウトの弊害? まさか……)

 

 ここで視点を下に(かたむ)ける。

 先ほどから違和感があった。いやに()()()()()()()から見上げていないかと。

 案の定、すぐ地面が見えた。

 人間であれば地面から首を出ているような状態になっているとしか言いようがない位置取りだ。

 視点のみしか情報がなく、時計などを表示するウインドウ類は見当たらない。それと俯瞰モードにも切り替えられない。

 

(……身体の感覚からいって……、未だに粘体(スライム)モードなのは確定だな)

 

 まして、ここは自分の部屋ではない。

 PCが置かれている机も見当たらないし、考えられる原因は(おの)ずと絞られる。

 

          

 

 通常であれば『夢』だと言っているところだ。

 しかしながら普段の日常や夢でも今の状態は見たことがない。

 習慣に(なら)うならば自室の風景に切り替わっていなければならない。また、何らかの事故であればオンラインからの自動切断が起きて、多少の頭痛と引き換えに現実へ帰還出来るはずだ。

 

(……空と地面を往復すれば結果はもう出ていると言っていい)

 

 全く知らない土地。

 その結論はすぐに出た。そうとしか言えない。

 機械文明の果てに荒廃した現代日本がどうして森が生い茂る風景を生み出せるというのだ、と。

 ここはまるで地球が遥か昔に失ってしまった原風景を現したような時代――いつだと言明は出来ないが、とにかく自然豊かな世界であることは確定した。

 

(フラグを立てまくったからといって、すんなりと異世界に行けるほど生温(なまぬ)いのか? それでいいのか? いいんなら喜んじゃうぞ?)

 

 そう言いながら手足の感覚を確かめる。

 喜び勇んで酷い目に遭うのは空想と現実の双方に存在する。だから、ヘロヘロは慌てずに対処に努めた。

 何が原因だろうと落ち着いて行動する。そうしないと死ぬのは自分だから。

 いくら社畜と言っても自殺願望があるわけではない。

 ゲーム内では――特定の条件下において――自殺もやむなしだが。

 

(いやいやいや。それでも充分に驚いている。これだけの景色を用意されて声に出さないわけにはいかないでしょ。……でも、恥ずかしいから頑張って耐えている)

 

 思索しながら自分の身体の状態をチェックするヘロヘロ。

 視界の隅に映るのは黒い物体。

 

(……大体は分かっていたが……。人間のままでいるわけはないよな)

 

 とあっさりと受け入れるヘロヘロ。しかし、内心では見た目にはわからないほどに取り乱していた。

 言葉と態度はイコールではない。

 ゲームに慣れ切ったモンスターの姿と現実に存在する人間としての自分の身体の感覚の差は結構簡単に埋め合わせることが出来る。

 何年も遊んできたゲームキャラクターの感覚を昨日今日で忘れるプレイヤーが居たらおかしい。

 

          

 

 自動的にログアウト出来ずにモンスターの姿のまま見知らぬ世界に飛ばされた。――世間一般では『転移』と呼ばれるものだが――実際に起きるとは思わなかった。

 所詮は空想の産物である、と今まで思い込んできたことだから。

 自分がここに居るのであれば他のプレイヤーも少なからず来ている可能性はありそうだと思った。

 運営最終日に自分と同じような気持ちを願っていないとは言い切れない。

 いつまでも空想の世界の住人になりたいと僅かでも思うものだ。それが遊び心のある大人なら尚更だ。

 

(……いや、まあ……、自分だけがここに居るとは思っていない。思ってはいなかったが『他にも居る』という事実を素直に受け取るのは難しい)

 

 周りに何者かが動く気配を先ほどから感じていたので。

 空だけ見て周りの事を()()と無視していたが、そろそろ現実逃避も辛くなるころだ。

 ただでさえ自分がユグドラシルのモンスター『古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)』であることを自覚し、それを否定しなかったとしても――周りに居る者たちも同様とは思いたくない。それと同時に同時期に転移させられた者達であると認めなければならない。

 相反する気持ちの(せめ)ぎ合いは長くは続かないものだ。

 

(……一人だけであれば寂しいままで終わる。しかし、大勢であれば自由が束縛されるおそれがある)

 

 あえて意識しなかった周りに少しずつ目を向けてみる。すると先ほどから黙ってヘロヘロを見つめる存在の気配が増えていく。

 増えているというよりはヘロヘロ自身が無視した者達の数が確定しているだけだ。

 一人二人と――合計二〇人ほど。

 内訳は制作系と一般メイドと『六連星(プレアデス)』とルベドとその他。階層守護者は流石に抵抗があったので用意しなかった。

 最後の瞬間に配置したメンバー全員であることは何度か確認して理解した。

 

(俺がここに居るならモモンガさんも来ている可能性があるか……。その前にそろそろ連絡しなければならないか? それとも……)

 

 目の前に広がる美しい光景をしばし堪能してからでも遅くはない。そんな気持ちが湧いていた。

 流石に不気味な大気に覆われた世界しか知らないヘロヘロにとって、目の前に広がる光景はあまりにも神々しすぎた。自分の手に余る宝だ。それを黙って手放せと言われれば抵抗してもおかしくないほど。

 だが、現実で待つ自分の身体は飢えを知る人間だ。会社に出向いて働かなければならない。

 そう思いつつ辺りに意識を向ける。いつまでも眺めているわけにはいかないと本人も自覚してきたので。

 玉座の間に居た時と同様であれば距離的に白骨死体同然のモモンガの姿を見失うことはあり得ない。――けれども、彼の慌てるような声や自分を呼ぶ声は今も聞こえない。

 無視しているわけではない。本当に聞こえなかった。

 

          

 

 軽くため息つきつつ周りと背後に意識を向ける。――身体が粘体(スライム)なので振り向くという無駄な動作はしなくていい。

 意識だけで視点移動できる感覚はゲームと同様だった。だからだろうか、動きに違和感が無かった。というかゲームと同様に扱える事にこそ疑問を抱くべきだ。しかし、ヘロヘロはまだそのことに気づかなかった。

 

NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)達は……って、あれ?)

 

 周りに控えているNPC達の様子がいつもと違う。違和感はすぐに気づくが詳細までは判明しなかった。

 確かに()()()()()()()、としか――

 女性NPCの殆どがヘロヘロを見つめたまま表情を暗くしたり、険しくしている。中には胸のあたりで手を組んで今にも泣きそうな顔だったり――

 

(……こういう間違い探しは……得意というわけでは……)

 

 ヘロヘロの脳内で依然と違う点を見つけよ、という問題が渦巻いた。若干のタイムラグが発生している時点で自分は意外と鈍感だったのだなと呆れて苦笑する。

 この手の反応を()()()()()()書籍データで読んで来たはずなのに。

 他人の事なら気づく点は間違いなく『冴えない主人公』だ。つまり自分が(まさ)にその条件に当てはまる。

 

(……いえ~い。異世界サイコー……って叫ぶ度胸が……湧いてこないぜ……。おいおい、腐れ粘体(スライム)君。現実逃避は御茶の子さいさいではなかったのかね?)

 

 どう見ても、どう考えてもここは異世界だ。

 それ以外に適切な言葉があるなら言ってみろよ、と自分に問いかける。当然、否定などできるわけがない。

 見たこともない――ましてゲームのような世界は、と。

 ここが地球上のどこかの地域だとした場合、空が奇麗な点で現実の日本ではない。更には他の国でもない。

 

 美しい景色は一〇〇年以上も昔に失われた。

 

 であればユグドラシル以外のゲーム世界なのか、と聞かれれば疑問を覚える。

 周りに見える風景は確かに現実離れした美しさを秘めていた。資金力のあるゲーム会社なら再現することも不可能ではないかもしれない。しかし、それでも電脳法の壁を突破することは至難の業だ。

 よそのプレイヤーをそのまま別のゲームに許可なく移動させることは立派な誘拐であり監禁罪に問われる。

 端的に言えば犯罪行為だ。

 ヘロヘロ自身に意図はない。何者かの介在が無ければ出来ない。

 

(早速『GM(ゲームマスター)コール』を……。……おう、ウインドウが出せない……。……まあ、それくらいは想定内だ。異世界だから)

 

 特定の動作を(おこな)えば――普段なら――目の前に半透明の四角い枠が現れる。しかし、何度かやってみたものの一向にプレイヤー専用のコンソールが現れない。

 ならば、と念の力を試してみる。ここは普段から(おこな)ってきた動作を脳内で再現するに限る。――しかし、結果は(かんば)しくない。

 何らかの行動が成功したならば特定の音が鳴るものだ。それが今回は鳴らないどころか、何も効果が表れなかった。

 GMコールが無駄であるならば『魔法』――または魔法のアイテムに頼るしかない。

 

          

 

 先ほどから一人で(もだ)えている粘体(スライム)の少し後方では(ヘロヘロ)の事を心配している者達が今も黙って佇んでいた。

 彼らはNPC。その判断に間違いはなく――ヘロヘロがちゃんと向き合えば正体が確定する。しかし、それを避けているのは度胸が無いためだ。

 結論自体はすでに出ている。だが、それでも確かめるのが怖い。

 口では何とでも言えることでも――

 現実に起きれば足が(すく)むのは致し方ない。歴戦の強者(つわもの)だとしても。

 本来は単なるサラリーマンであり、社会的弱者でもあるヘロヘロにとって勇気ある行動は実際には取れない。それが現実だ。

 ――気持ち的な――背後から受ける視線――の様なもの――を受けつつ次の確認作業『インベントリ(異空間の倉庫)』に着手する。

 身体がモンスターであることは自覚した。であればゲームの機能が未だに通用するのではないかと予想する。そしてそれは真実だと思った。

 自分のイメージがどこまで通用するのか半信半疑ではあったものの黒い触腕と化した自分の手はすぐに何とも言えない空間に埋没する。そこはゲームの中ではありふれた自分専用のアイテム倉庫『インベントリ』である。

 自分のNPCに多くのアイテムを与えたとしても自分の物が無くなったわけではない。

 数年ほどほったらかしにしていたので全ての確認作業を怠っていたわけだが、それでも何らかのアイテムがまだ残っていることは確認した。

 

スクロール(巻物)がいくつかと回復薬(ポーション)が何本か……。後は自分専用の武具……、まだ他にもありそうだけど……。感覚的に何があって何が無いのか分かるのは不思議だな)

 

 実際に異空間に頭を突っ込んで確認したわけでもないのに、と。

 アイテムの取り出しはあくまで演出で、実際はコンソールによって行動を制御したり操作したりする。

 膨大なアイテムを保管している場合は視認によって全て確認など――そう簡単にできるものではない。

 そんなことを考えながら自分の出来る事と出来ない事を確認していく。

 NPCに全て与えていたと思っていた私物が思いのほか残っていたのはありがたいことなのか、単なるズボラだったのか――

 

「………」

 

 どちらであろうと今は不要な考えにとらわれるべきではないと判断する。

 異形種は元々魔力(MP)を持っている者が多く、最低でも魔法のいくつかは覚えているものだ。仲間との連絡にも役立つ。

 高レベルともなれば逆にMP(マジッポイント)を持っていないのが珍しいほどだ。

 

(……早速連絡しようとしてみたもののノイズ(雑音)ばかり……。名前とか顔を思い浮かべるだけで自動的に発動しているようで便利だと思ったのも一瞬だけか……)

 

 しかし、ノイズという事は何らかの原因で繋がらないだけでこの世界にいる可能があるかもしれない。または完全に引退――ログアウトなど――によって普通になっているだけとも考えられる。

 モモンガを含めたメンバーとGMへの連絡は失敗に終わった。

 回線の不調かなと思いたいところだが、それはあり得ないと思う自分が居る。

 

          

 

 確認作業などでたっぷりと三〇分間悶えた結果は全滅――

 試しに後方に控えているNPC――というか『ソリュシャン・イプシロン』に連絡をする。するとすぐに返答があった。

 金髪で縦ロールのお嬢様の嬉しそうな声が近くで聞こえてきた。それに対してヘロヘロは大層驚いた。

 何故ならソリュシャンに声を設定した覚えがないから。

 全く聞き覚えのない女性の声だ。驚かないわけにはいかない。

 

(……この甘ったるい声の出し方は何だ?)

 

 設定したのは確かに自分である。だが、それにも限界がある。

 モンスターに声が無いわけではない。それはゲーム的に設定された専用の音声があるから当たり前だ。しかし、NPC達は違う。

 ありとあらゆる状況に応じた返答など設定できない。だからこそ、魔法による連絡に対して応えないのが正しい。

 

「……今のはソリュシャンの声……で間違いないのか?」

 

 意を決して尋ねるヘロヘロ。

 それに対してあえて無視していた後方が騒がしくなる。

 それはソリュシャン以外にも声を発する存在が居る、という証明だ。――ヘロヘロに緊張が走る。だが、ここで一気に気持ちが冷静に引き戻される感覚を味わった。

 今まで熱い気温の直中(ただなか)に放り出された状態だったところに冷水を浴びせられたかのように――そこまで劇的かは自信が無かったけれど――一気に落ち着きを取り戻す。

 平静な気持ちで改めて問い返す自分にびっくりしつつも返答はやはり変わらない。

 

「はい。ソリュシャン・イプシロンにございますわ」

 

 女性にここまで艶っぽい言われ方をしてもらったことはエロゲー(十八禁ゲーム)の中でしか記憶に無い。

 初めて聞く彼女の言葉は今でも聞いていたいところだが、現実の厳しさに比べればのめり込むほどではなかった。

 

「……基本的なことだが……。お前のパーソナルデータを教えろ」

「畏まりました」

 

 主の言葉に何の疑いも無い、というようにソリュシャンはヘロヘロが設定したデータの殆どを言い当ててきた。自分の事だから当たり前だと思うけれど、他人の声として聞くからこそ驚くことがある。

 彼女が喋っている内容は基本的にヘロヘロしか知らないデータだ。それをどうして他人であるはずのソリュシャンが言えるのか。それと内面的な部分を何のコンソールも出さずに話すことは果たして可能なのか、という部分にも疑問に思う。

 創造主であるヘロヘロをして、自主的に喋るソリュシャンに覚えがない。

 

「……そこまででいい」

「了解しました」

(……つまりNPCに自我が備わったってことか!? 他のNPCも同様っぽいから同じ質問しても無駄だろうな)

 

 常に流動する粘体(スライム)の身体を持つヘロヘロとて今日ほど驚いたことは無いのではないかと思う。

 通常の驚きとはまた異質であることも――

 異世界に転移、なんてまだ生易しい出来事だったと言えるのかもしれない。

 自分が創造したNPCが意思を持った。それだけでも生身であれば心筋梗塞に陥る自信があるほどだ。

 

          

 

 一度決壊した疑念の後は他のNPCの様子も聞きたくなる。一つをクリア出来たのであれば惰性的に次も出来るものだ。勢いというものは侮れない。

 最下層にて配置したのが女性陣ばかりだったせいか、彼女達に囲まれている状況が急に恥ずかしくなった。しかも、喋るだけではなく表情が豊かになっている。

 声もそれぞれ違うし、なによりもヘロヘロを驚かせたのが言葉に合わせて(くちびる)が動いたことだ。正に生物のように。

 ゲームのNPC達に表情データも音声データも本来は存在しない。あるのは元々実装されていたモンスターとしての音声データだけだ。

 その理屈からすればプレイヤーによって音声データを与えられるのではないかと思われるが、残念ながら自分好みの音声データを用意することは難しい。

 それを(おこな)うには声優などに頼む必要がある。一プレイヤーに過ぎない者達の要望に応えてくれる声優が果たしてどけだけ居るというのか。あと、頼むための方法や資金の問題も忘れてはいけない。それらを踏まえた上で――確実に一人だけ都合のつく声優が居るには居る。しかし、一人だけでは味気ないので諦めざるを得ない。

 例えば案内役のNPCなどは確かに喋る。ストーリー上、必要だからだ。

 あたかも人間的に様々な言葉に対して柔軟な返答など出来るわけがない。それも自分で考えて適切な回答をするなど――

 それが出来るのはプレイヤーでもない限り不可能だ。

 

(流石にNPC達が実はプレイヤーだったっていうオチは考えすぎか……)

 

 それはあり得ない。そう言い切れる原因の一つは――

 ナザリックに配置している大勢のNPCの外見データは各プレイヤーがデザインして与えたものだからだ。

 元々ソリュシャンという女性が現実に存在し、キャラクターを演じていると考えるには無理がある。彼らの外見を作り上げたのは間違いなく仲間達だ。

 ソリュシャンの外見とそっくり同じ人間が演技をしていることも常識的に考えられない。そこまで外見データが一致している人間がそこらに居てたまるか、とヘロヘロは憤慨した。

 

「……ナザリックに居た記憶はあるのか?」

 

 この質問に多くのNPC達は肯定の意見を述べた。

 詳細を何人かに尋ねてみるとほぼ正確に答えてきた。

 口裏合わせをしている可能性が無いわけではない。それでも目の前の景色を無視して話しが進むとは思えない。

 この世界は何だと聞けば全員が分からないと答えた。

 

(……覚えがない世界だから他に言いようがないが……。ナザリックのNPCであることは自覚しているのかな。創造者に歯向かうこともありえないこともないだろうし……)

 

 規則によってNPC達に酷い目に遭わせた事実は無いが、そのあたりを彼女たちはどう思っているのか。――と、思いはしたが今、それを聞くべきかと自問する。

 自分にはほかに解決しなければならない問題があるのではないのか、と。

 例えば自分一人だけ転移する流れが基本っぽかったのにNPCごととは何なんだ、と(いきどお)ってみる。

 現実を直視したくないのか、チラっとしか確認していないが配置した全員が居るのは分かった。逆に配置していないNPCは居ないような気がする。

 それが真実なら少し離れた位置に居たモモンガやアルベドも居ないとおかしい。しかし、連絡はつかないし、ソリュシャンに尋ねてみても姿や気配は感じられないと答えてきた。――もちろん自分でも探してみた。

 いつまでも空ばかり見ているわけにはいかないので。

 

          

 

 小一時間はあたふたしただろうか。

 結論として転移したのは自分達だけ。より正確にはヘロヘロの一定距離内に居たNPC達ごと。

 扶養家族を引き連れた状態の転移は記憶に無い。もちろん、創作物の中での経験談として、だ。

 自分の身に起きる事は夢物語――それが真実になるとは誰も思わない。

 いざ当事者になってみると驚きっぱなしであった。

 

(頭が真っ白になるというのはこのことか……。しかし、いつまでもこの状態のままでいられるわけもなく)

 

 次にすべきことを考えなければならない。そこは齷齪(あくせく)働くサラリーマンとしての本能が刺激される。

 時間に追われる生活が身に染みているので、咄嗟の行動が出来なかったとしても頭はもう冷静だ。

 まずは持ち物の確認から――

 ソリュシャンに大部分を預けたが、それはそのまま所持しているようだ。

 頼めば渡してくれるところから創造主を(ないがし)ろにする気は無いらしい。普通であれば独占して逃亡しそうなものなのに。

 今のところ彼ら(NPC)の目的は不明。考えすぎなだけかもしれないし、杞憂に終わればそれはそれで構わない。

 しかし、それが杞憂ではなく、何らかの目的でもあれば、と思うと怖い。

 人をあまり信用しないのは底辺の人間であれば誰もが抱く思いである。それをすぐに払拭できる人間をヘロヘロは知らない。

 

「………」

 

 目が死んでいる――または死んだ魚のような濁った瞳など――設定のソシュリャンが微笑んでいる。自分でそういう設定を(ほどこ)したのだから彼女の表情に不満を抱くわけにはいかない。しかし、自我の事を棚に上げるとしても折角自主的に喋る美人に勿体ない設定を付けてしまったなと後悔し始めた。

 改めてソリュシャンや他のNPCに今度は()()()()目を――視点を向ける。

 女性陣は(みな)美人揃いだが、その他を含めてモンスターである。更に美人以外はどう見繕っても不気味な生物としか言えない。――というかアンデッドモンスターが何体か居る。

 メイドの他は制作系が多い。単なる飾り立てで集めたので、まとまりというか統一感が無い。

 

(……命令無しで勝手に動くNPCが何を言い出すのか怖いと思いつつ……。今のところ……いきなり敵対行為は確認できないな。数年間も放置してきたソリュシャン以外はよく知らないけれど……、他の者達は何か言い分とかあるのか?)

 

 思考は混乱したままだが気持ち的に悶え狂うほどではない。

 焦る気持ちがまだ少し残っているという程度――

 異世界だけでも結構な衝撃だというのにNPC達が自主的に喋るのは想定外だ。

 もっと機械的というか事務的というかゲームキャラクターらしい非人間的な動作なら安心していたかもしれない。それが血肉を得たばかりか、自分の判断で応答してくる。

 高度なAI(人工知能)でもすぐには無理だ。それほどのデータ量を――ゲーム会社はプレイヤーが作り上げるNPCに与えはしなかった。

 ヘロヘロが組んだプログラムでさえ人間と遜色ない動きは再現できなかったのだから。

 

          

 

 NPC達の顔を確認した後、次にすべきことは現地調査だ。その程度の頭は回る。いや、回ってくれた。

 未知の世界に放り出された人間はとにかくあたふたと転げまわり、(うるさ)く叫ぶのが子供向け文学の特徴だ。その知識があるのでヘロヘロはそれらの慣習に(なら)うことはなかった。というか、大の大人が見晴らしのいい景色を目の前にしてみっともなく叫ぶのはいかがなものかと思う。

 

(……正直に言って、意外なほど冷静な自分に驚いてはいる。見知らぬ世界に居るのに慌てない日本人はまず居ない。……つい先刻まで未知の異世界ファンタジー風のオンラインゲームをしていなければ……)

 

 (かど)に差し掛かる人間を驚かすように、意外な展開に冷静でいられるほど本来の人間という生き物は冷血漢ではない。

 だからこそ疑問に思った。

 

 自分はどうして楽しく――もとい、冷静でいられるのか。

 

 いや、本当に冷静なのか自信が無い。

 十二分(じゅうにぶん)に驚いていて対応が滅茶苦茶になってはいないだろうか、と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()かもしれない。

 思い込みならまだしもNPC達の反応は決して幻想ではないはずだ。――何度も確認している。

 自発的に今も喋っているのは疲れによる幻聴にしては出来すぎてはいないか――

 そう思って何度もNPCに声をかけてみたものの結果は変わらなかった。

 

「……であれば何年も放置されていた間に何をしていたというのか」

 

 声に出して愚痴る黒い粘体(スライム)

 それに対する解答はすぐには来ず、NPC達で話し合いだした。

 NPC同士で討論するようなプログラムは組んだ覚えがない。他の二人――ク・ドゥ・グラースとホワイトブリム――が追加のプログラムを与えたというのであれば納得できるが、彼らにしてみてもここまで複雑怪奇な行動は与えられないはずだ。

 NPC達はプレイヤーよりも単純な行動しかとれない。だからこそ戦闘で役に立つことは(まれ)である。

 

(メイドだけであればホワイトブリムさんの仕込みで納得するけれど、制作系などの無関係なNPCまでとなると話しが変わる。一部のNPCは自分達(ヘロヘロ)以外のメンバーも関わっていることだから)

 

 NPCにいつまでもこだわっている場合ではなく、世界の事や自分の事も残っている。

 それと見知らぬ土地にいつまでも居座っていては怪しまれる。

 かといって彼らをどこに集めておけばいいのか――

 様々な問題が一気に押し寄せてきて本当にヘロヘロは困り果てた。

 あれもしなければ、これもしなければと問題が次々と増えていく。その現状に精神的に疲れを感じる。

 本当であれば現実の疲れを忘れる為にゲームを楽しむものだ。苦痛を覚えては本末転倒というもの。

 

          

 

 外見的には微妙に揺れ動く様にしか見えない黒い粘体(スライム)だが、内心では目まぐるしいまで苦悩していた。

 相談できる仲間が居ない。

 距離的に近くにいたでろあギルドマスターたるモモンガの姿は確認できないし、連絡も不通となっている。

 だが、ソリュシャンで試したところ連絡行為自体は正常のようだ。であれば考えられる点として強制ログアウトによってプレイヤー間の連絡手段が絶たれている。けれどもNPC達との繋がりは途切れていない。しかし、ここに居ないNPC――アルベドなど――とは繋がらない。

 

(指定したキャラクターがギルト所属であれば繋がるはずだ。それが出来ていないというのは何故だ?)

 

 運営の細かい仕様によるものであれば一般プレイヤーにはお手上げだ。

 崖下にでも落ちたかな、と思いつつ辺りを見渡してみる。

 遠くに崖や川の気配は感じるが急な場面転換によるモモンガの叫びは今も聞こえない。――魔法による合図も無し。

 現状の探索をもっと(みつ)にすることも出来なくはないが――さて、どうしたものかとヘロヘロは悩む。

 実質独りぼっちとなったわけだし、と。

 

自由だぁ~! ……と叫ぶところなんだろうけれど……、心配する女性陣が(そば)に居ると調子が狂うな)

 

 確かに見知らぬ土地に居て、連絡手段を絶たれた状態だ。

 本来ならば会社の事が気になるがどうしようもない今は束縛からの解放に喜ぶべきだという気持ちが強かった。

 自分ではどうしようもない。不可避の緊急事態だ。

 

(自分一人ならまだしもメイド達が一緒だからな……)

 

 可愛い女性陣が困っている。――そう素直に思えたら幸せなのかもしれない。

 だが、ヘロヘロは知っている。自分でいろいろと調整もしたので『知らない』と無責任なことは言えない。

 見た目は人間の女性――外見年齢で言えば十代後半――である一般メイドは厳密には人間種ではなく異形種。それも『食事量増大』というペナルティを持つ『人造人間(ホムンクルス)』だ。

 このまま放置すれば飢えにより何をしでかすかわからない。

 ゲームの中ではただの設定に過ぎないこと――なのだが、ヘロヘロは()()()危機感を覚えた。

 ソリュシャンは自分と同じ粘体(スライム)種なので食事に関して心配はしていない。

 

(世界の事も気にかかるが……。まずは探査……または……食糧問題だ、な……)

 

 自分のアイテムは心許(こころもと)ないがモモンガから寄こされたアイテムを活用することにする。

 何を貰ったのかまだ確認していなかったので。

 

          

 

 現場の様子をアンデッドモンスターに任せ、身を隠せそうな場所を探す。

 自分たちが居る場所は何処かの広場――としか言いようがない所。丘なのか山なのか、それともどこかの森の中の開けた場所――のように見えた。

 人工的な様子は感じられない。

 自身が粘体(スライム)である事を失念していたが、メイド達の様子から大気成分には問題が無いようだ、と判断する。

 ナザリック地下大墳墓があった地域は毒の沼地帯で、高レベルモンスターが徘徊している。かなり上級のプレイヤーでもないかぎり探査が困難である。

 ――しかしここは少なくとも攻略困難そうな雰囲気が感じられない。

 異世界だと思うのは奇麗な空が見えているからだが、(なん)にもモンスターが居ない場所であることもありえる。

 生物すら居ないとなれば――それ以降の事はさすがにヘロヘロも予想できない。

 

「……創作系が何体か居るとはいえ……、これからの事を考えなければ……」

 

 一般メイド達は非戦闘員。ソリュシャンは戦闘は出来るが屈強な敵が現れれば倒されてしまう可能性がある。

 全てのNPCを最高レベルにするほどの余裕はギルドには無い。これは他のギルドであっても同じことだ。

 であれば経験値を稼げば良いと思われるが、ユグドラシルの仕様では彼ら(NPC)は経験値を稼ぐことができない。ゆえに成長することもない。

 もし、それ(レベリング)が出来るならどのプレイヤーもやっていることだ。

 出来ないという事には理由がある。

 

(木々の中に身を潜める必要があるのか?)

 

 森に入った後で気づいた。

 ここがゲームの世界でないならば隠れる必要がどこにあるのか。

 現地の人間、または何らかの生物に見つかっては色々と面倒ごとが起きるから、という答えは適切か、と自問する。

 一般論では隠れて様子見が常套手段だ。だからこそヘロヘロは真っ先にそれに思い至った。

 

(隠れる場所としてはあまり適していないが……。次は外敵の警戒というところか)

 

 敵という概念で言えばユグドラシルでは多い部類の問題だ。だが、ゲームは終わった。(プレイヤー)も解散していると考えるのが自然である。――余程根に持つ陰湿なプレイヤーが居ない限りは――

 そして、異世界に来てまで『アインズ・ウール・ゴウン』を倒しに来る(やから)は間違いなく頭がおかしい。クレイジーだと認定してもいいと断言できる。

 異形種だからと差別されたり、(いじ)めはゲーム内であれば頻繁に起こっていた問題だが、この世界でも同じような現象が起きるとは断言出来ない。

 

(……だが、それらを一人で悶々と考えて適切な解答を導き出せるとは限らない。……ここはじっくりと腰を据えて調査するしかない)

 

 という覚悟の後で勤労が解消されたわけではないと思い知り、ため息のようなものをつく。

 粘体(スライム)には厳密な口という概念が備わっているわけではない。

 様々な反応は人間と大差なく機能することに苦笑を覚える。

 

          

 

 多少の方向性が定まった後は(ねぐら)の整備だ。特にメイド達をいつまでも立ちっぱなしにしておくわけにはいかない。

 インベントリ(異空間の倉庫)から『グリーンシークレットハウス』を取り出す。

 はた目からは急に巨大な一軒家の様な物体が出現したように見えるはずだ。

 知らない者が見れば驚愕の現象である。

 森の奥とはいえ急に人工物が現れれば充分に目立つ。――もちろん外壁の隠蔽も想定している。

 

(寝泊りはこれで充分かな。……人数分の寝床は調達できるはずだが……)

 

 ヘロヘロが枯れ木などを集めているとソリュシャンが手伝いを申し出てきた。

 通常であればありえない。先にも説明した通りNPCは特定の命令しか出来ない。自発的に手伝いを申し出ることもない。

 それなのに何の命令も与えていない状態でプレイヤーの動きを察知し、それに反応したかのような動作を見せた事に――彼女(ソリュシャン)の動作をプログラムしたのはヘロヘロだ――驚いた。

 

「ヘロヘロ様がこのような些事をなさらなくとも……」

「……ん。あ、ああ……やってくれるのか?」

「もちろんでございますわ。我らは至高の御方の為に存在するもの……。何なりとお申し付けくださいませ」

 

 姿勢よくニコリと微笑むプレアデスの一人――ソリュシャン・イプシロン。

 ゲーム時代ではありえないNPCの笑顔。この柔軟な反応を実装しなかった――または出来なかったユグドラシルを自分は面白いと感じたことがあっただろうか、と今更ながら自問する。しかし、それは愚問だとすぐに結論が出た。

 

(自発的に喋るようなNPCが居てはゲームに集中できないじゃないか。……それがあったとしても規制の壁が高くあって、まともに遊べない)

 

 規制があるからこそ如何わしい内容にならなかった。それは認める。

 今更自我を手に入れたNPCが現れてもヘロヘロはすぐには対応できない。いや、他のプレイヤーであっても同じはずだ。

 枯れ木を集めるソリュシャンの様子を呆然とした面持ちで見つめるヘロヘロ。

 ふいにモモンガの姿を幻視する。

 自分と同じく異世界かどこかに転移でもしているのならば今頃NPC達の対応に苦慮しているのではないか、と。

 同一世界に居る可能性こそ不確かな状況だ。仮に居た場合は見つけてあげなければならない。そうでない場合は――良い考えが現時点では浮かばないので保留にさせてもらう。

 

          

 

 金髪ロールの美人NPCであるソリュシャンは雑事をこなすために生み出したわけではない。

 設定上は暗殺者(アサシン)職業(クラス)を持つ戦闘民族――

 実際は合計レベルが乏しいために実践に投入するには心許無いキャラクターだ。

 

「………」

 

 この世界にどんな生物が居るかは分からないが、レベル帯によれば自分一人で彼女達を守らなければならなくなる。

 異世界に来ても働き詰めでは精神が摩耗するばかり。――いや、折角の新世界なのだから戦闘になる前に調べられるだけ頑張ってみるのも悪くはないかもしれない。

 

リアル(現実)のブラック企業務めに比べれば耐えられる。……それに新しいゲームとして楽しむことも……。って都合よく出来るわけはないか)

 

 楽しみ前に休みたい。それが本来のヘロヘロの気持ちである。――その為に拠点設置に邁進しているわけだ。

 このグリーンシークレットハウスは見た目は小さな一戸建ての様な建物だ。魔法のアイテムなので扉はキャラクターの大きさに合わせて変形する。そして、中は驚くほど広い。

 魔法のアイテムは物理法則を無視した現象を引き起こす。例えば武具はキャラクターに合わせて大きさを調整する。

 原理はゲームの仕様という言葉で片付けられる。しかし、現実には存在しえない。

 ここがゲームの世界であるのならば大して疑問に思わない程度で済む。もし――そうでなかった場合、ユグドラシルの仕様が何故、通用するのか――

 

(このアイテムやソリュシャン達が存在するだけでユグドラシルの続編……、または実装前の何らかの世界であると言えないか。世界だけ構築された未実装の新しいゲームの世界……)

 

 自分の身体が粘体(スライム)であるのでゲームの世界である、というのが自然な発想だ。

 ユグドラシル以外のゲームだとすれば警告とか来そうなものだが、仕様の違いで来ないだけという事もありえる。

 例えありえたとしてもヘロヘロにはどうしようもない。不可抗力の事態である。

 この世界のGMが来たら素直に謝罪する事も(やぶさ)かではない。既にユグドラシルは運営を停止している、筈だから今更どうしようもない。

 

(ログアウトのボタンを新たに実装してもらうまで居候させてもらおうか。それしかできないだろうし)

 

 慌てても仕方がない。そうヘロヘロは結論を出す。

 彼が思索に(ふけ)っている間もソリュシャンは働き続けていた。

 美人を一人で働かせる邪悪な粘体(スライム)だと言われても弁解できない。これについては自分の属性(アライメント)が極悪だという事で勘弁してもらおう。

 

 ヘロヘロのカルマ値は(マイナス)五〇〇である。

 

 選んだ種族や職業(クラス)によって変動する項目である。これにより行動の制限が色々と変わっていく。

 有名どころでは『聖騎士(パラディン)』という職業(クラス)を取得する条件が『極善』でなければならない――

 この属性(アライメント)(あたい)はストーリーにおける選択でも変動する。それとPK(プレイヤー・キラー)に類する行為などでも。例えば町中に配置されているNPCを殺害したり――

 それから特定の条件を満たさない限り属性(アライメント)(あたい)は無暗矢鱈と乱高下したりしない。

 

          

 

 ソリュシャンが作業している間、他のNPC達は手持無沙汰だった。

 当たり前だが彼らに仕事を与えていないのだから。

 一般メイドに出来る事は掃除とベッドメイキングくらい。それ以外は食事による空腹の抑制――

 アンデッドンスターの方は放置していても何らデメリットは無いので無視する。――いや、アイテム整理を頼んでおく。場合によればアイテム製作ができるかもしれないので。

 必要なアイテムはそう多くない。しかし、材料があるのか不明であるため、それらを彼らに頼んで果たしてどこまで行動できるのか気になる。

 普段であれば創作系のギルドメンバーに依頼して終わりだ。NPCを活用することは無い。

 だからこそ何が起きるのか全くの未知であるため、少し――結構怖いと思った。

 

(俺に頭脳労働をさせやがって。……と(いきどお)っても仕方ないか)

 

 プレイヤーが現時点で自分一人だけ。NPCの思考パターンが不明なため、当然の帰結である。

 しかし、彼ら(NPC)に解決の糸口を提示させて――万が一、それが出来るほど賢い者達であるならば、それはそれで恐ろしいことだ。

 元人間(ヘロヘロ)として彼らに劣る存在であると認知されてしまったら駆逐される可能性が出てくる、かもしれない。

 駆逐する理由は浮かばないが偉そうに命令してくる存在をいつまでも許しているとは思わないだろう、という考えからだ。自分なら、と思って――

 今も心細そうな顔で見つめてくるメイド達――のように見えているだけでデフォルト(初期設定)の表情ということも――がヘロヘロの言葉を待っている。

 自分達にも命令をください――というのはソリュシャンの態度からだが――という顔なのか、気持ち悪い邪悪な粘体(スライム)の機嫌を損なえば殺される、とかなんとか思っているかもしれない。

 

(今までコミュニケーションを取らなかったNPCだ。彼らどんな思考パターンを持っているのか確認しなければならない。……少なくともソリュシャンは俺の従僕である事を認めているようだが……、どこまでが本音かは……分からない)

 

 NPCの本音を引き出すすべに心当たりはないし、彼らの言葉が真実である保証もまた無い。

 そんな状態でこの先暮らしていかなければならない。少なくとも現実に回帰するまで――

 回帰したいのか、と問われれば当然、嫌だけど仕方がないと諦める。

 働かなければ死んでしまうし、どの道何もしなくても死ぬ。

 

(……ならこの世界にいつまでも居ればいいじゃん)

 

 それはそうなのだが、ヘロヘロとて子供じみた結論を素直に受け入れるほど馬鹿ではない。

 そんなご都合主義がいつまでも通用するわけがない。あるわけがないのだ、現実的に。

 来てしまったのは仕方がないと諦められるほど実際は短絡的ではなかった。

 知らない土地に放り出された人間――身体は粘体(スライム)だが――の取るべき行動は限られる。

 多くの創作物がそうであったように――主人公特性があれば難局も乗り越えられる。しかし、ヘロヘロは自分にはそんな都合の良い特性は無いと思っている。

 無いならいずれは破滅する。または――何かが起こる。そんな予感がする。――悪い方に。

 

(正義だけが生き残るわけではない。悪もまた突き詰めれば立派な特性だ。……そこまで悪人になりたいとは思ないけれど……。そうでなければ特性が得られず、いずれは世界から放逐されるか……)

 

 拒絶によって放逐されるとして、それを具体的には何を意味するのか――

 端的な解答としては『死』だ。しかし、ユグドラシルのプレイヤーにとってそれは通過点に過ぎない。

 死んだら蘇生すればいいだけ。その手段は様々だ。だからこそヘロヘロはその結果には恐れは感じない。

 

 ――本来ならば――

 

 ここはユグドラシルではない。その仕様が通用する保証もまだ未確認だ。

 もし、その仕様が無効になっていた場合は本当におしまいである。そうなった後、ちゃんと本体である人間の身体に戻れるのか。それともこのまま死後の世界とやらに行ってしまうのか。

 それを確認する方法は実際に死ぬしかないけれど、試したくはない。

 あと、NPC達の死の概念についてだ。

 彼らはゲームデータで出来た存在だ。いわば電脳生命体のようなもの。それらが自我を得たとしても人間的な死と同一の考えでいいのか疑問であった。

 

(寿命がある生命体ならある程度は気になるけれど、不老不死のような概念を持つNPCは後々どうなるんだ? 半永久的に世界に残り続けることになる。……この世界は少なくとも無限ではないはずだ。その場合は……)

 

 永久不変の存在の行く末は有限のヘロヘロには考えが及ばない。そんなことを実際に確かめたこともないし、それを確かめるすべはゲームの中以外にあるとは思えない。

 現実世界の日本や諸外国の知識人とて答えが出ない問題ではないのか。

 

(……馬鹿正直にゲームキャラクターの将来を考える知識人が居るとは思えないから不毛な問答なんだけれど……。でも、目の前に居る彼らを無視していいとはどうしても思えない)

 

 赤の他人として切り捨てるのは簡単だ。

 しかし、後の世に残り続ける彼らの行く末には興味がある。それは純然たる好奇心だ。

 他のメンバーが居ればより専門的に調査する筈だ。

 

(タブラさんやぷにっと萌えさん。死獣天朱雀さんは乗り気になる分野だろうな)

 

 ゲームにしか興味が無いモモンガは逆に見守る側だ。彼はゲームの事しか興味を抱かない。

 仕事の他にやりたいことや夢などを語らないから。

 語らない、というよりは夢が無かったり、興味を持つ他の分野が無いだけだと思われる。もちろん、これはヘロヘロの思い込みでしかない。

 

          

 

 余計な思索に耽りつつも作業はちゃんと見守っていた。

 女性の細腕による作業だがケガはしない。だって粘体(スライム)だから。

 見た目には無傷でもダメージがあるかもしれない、というところはおかしさを覚える。

 人間的に血が出るわけではないけれどダメージという概念が今もまだ残っているならばソリュシャンは死ぬ可能性がある。

 モンスターとしての粘体(スライム)は決して不死ではない。ダメージを受け続ければいずれは死ぬ。それはヘロヘロも同様に。

 骸骨(スケルトン)も死ぬ。

 アンデッドモンスターの死は滅びである。核のような概念があり、それを失うと二度と行動できなくなる。

 半実体のモンスターも同様に。

 完全無敵のクリーチャーは存在しない。ゲームバランス的にもあってはいけないのだが、仮に存在すればプレイヤーにはどうすることも出来ないし、攻略できないゲームを作っては運営もいずれは厳しくなる。

 では、この未知の世界ならば無敵のクリーチャーが存在し得るのか、という問題が出てくる。

 もし仮に存在すれば当然ヘロヘロには太刀打ちできない。しかし、手持ちのアイテムの効果があればまた違う可能性が現れるかもしれないが、現実的な考えではない。

 いや、ゲーム的な思考そのものが現実的ではないけれど。

 

(想定ばかりしていても不毛極まりないが……。モンスターとしての俺がここに居るのであればプレイヤーの存在も否定できないことになる。または別の転移者……転生者も考慮に入れるべきか)

 

 自分一人だけが特別だ、とは思わない。

 現時点で出来る事はまず世界の調査だ。仲間云々は後回しでも良い。

 ――それからNPC達の調査も予定に入れる。身の安全を確約するまでは安心できない。

 

(……他のメンバーが転移とかしていても同じように考えるんだろうな。……全く、ご苦労な事だ。俺は早く眠りたいよ)

 

 しかし、ここで重要な問題を思い出す。

 粘体(スライム)は基本的に食事も睡眠も必要としないクリーチャーだという事に――

 ゲームの仕様であればログアウトして現実の方で食事や睡眠をとって終わりだ。しかし、ここではログアウト自体が出来ない。

 今のところ眠気や空白は感じないが、それがいつまで耐えられるかは未知数である。

 

(……まさかな……)

 

 身体が粘体(スライム)であるならば、とヘロヘロはいくつかの危惧を更に思い出す。

 人間ではない証拠探しの為に視覚や行動、または呼吸などに意識を向ける。

 意識的に呼吸を止めてみる。それと視覚をどこまで移動できるのかも確認する。

 小さな確認作業によって自分の行動範囲を確定することはとても大事なことだと思った。

 結果としては息苦しさは全然来ない。――その間にも視界を急転回させたり、脳に揺さ振りをかけるような無茶な視点移動を試みてみたが苦痛は無い。いや、多少は不快感があった。――ヘロヘロは粘体(スライム)に脳と呼べる部分があるのかについては失念していた。

 慣れない行動に関しては人間的な反応が残っているようだ。

 さすがに複数の視点に増加させるようなことは出来なかった。というか感覚的にどうすればいいのか分からなかった。

 

          

 

 色々と悶えてみるものの不快感だけが蓄積されているようだったので一旦やめることにした。

 その手の実験は今しなければならないわけではない。そもそも自分の事より他人(NPC)を優先しなければならない。

 拠点の隠蔽作業が終わり、メイド達に中に入るように命令する。

 野外にいつまでも放置しているのは(すこぶ)る目立つから。それと調査に出したアンデッドにも帰還を命じる。――どこまで行ったのか分からないが連絡が(とどこお)りなく繋がったので安心した。

 ここまで何時間費やしたのか、時計が無いので分からないが空を見る限りそれほど経過していないと予想する。

 実際、これほど澄み切った空の一日の経過は経験が無いので分からない。しかし、他のメンバーはそれらの事象を勉強していて第六階層の空として作り上げた。

 それを参考にするとして正しいのかはこの際無視する。

 

(……太陽がある。……太陽と呼称する、が正しいか……。あれほど見事のものを目にするとは思わなかったが……。方角とかは不明……。日の出とか日の入りも分からないときてる。それでも景色に変化が無いのは時が止まっている……わけはないな。森の木や葉が揺れているから)

 

 メンバーの情報が正しければ夜に近くなれば暗くなるはずだ。それが起きれば一日という概念が存在することになる。

 太陽があるからといってここが地球という保証は無い。感覚的には異世界と呼称したかった。

 

(……この世界を照らす大きな光りこそが太陽……。結構直視しているが目が痛くなる状態にはならないな。……(まぶ)しさも抵抗(レジスト)しているということか?)

 

 ゲームの中では眩しさはデータ上のもので実際の肉体に変調は来さない。来すようではゲーム会社として色々と不味い事態になる。

 一般プレイヤーはゲーム内で死ぬことはあるが本当に死ぬわけではない。けれどもショック死という概念があるので、そこら辺の安全管理はどこのメーカーでも(おこな)っていた。――たぶん。

 フルダイブ型のゲームにおいて痛みは軽減されている。腕を断ち切られたとしても何らかの衝撃を感じる程度だ。少なくともユグドラシルは眠っている本体にも影響がある危険なゲームでは無かった。

 そのゲーム内のキャラクターの姿を模している今の自分はゲーム時代の補正をそのまま受け継いでいると言えるのか。

 太陽を直視してもバッドステータスの感覚は得られない。そもそもウインドウや個人用コンソールが出せない時点で確認のしようがない。

 ソリュシャンを含むNPC達は自発的な行動ばかりではなく、ゲーム時代には無かった『個人の音声』と『表情』が備わっている。

 観察していて気づいたことだが一般メイドも同様のようだ。ただ、骸骨の姿であるアンデッドモンスターの表情は変化しなかった。――骨格そのものまで歪むような場合はびっくりして倒れる自信がある。あと、年甲斐もなく叫ぶことも。

 

          

 

 NPC達を優先的に拠点に入れた後、ヘロヘロは改めて周りや空に顔を向ける。

 世界が変わった。それはいい。

 問題は自分一人ではなかったことだ。

 想定外の事態に今更驚くことは無いと予想していたが甘かった。

 単なる転移だけではない謎の現象――それに名前を付けるのであれば何と付けたものか。大して(がく)の無い自分にはお手上げだ、とヘロヘロは人間的に両腕を広げて軽く天に向かって挙げる仕草をした。

 

(感覚的には人間のまま……。夢と希望はあくまでも夢想の中でこそ輝く。……確かにその通りですね、ぷにっと萌えさん。……でもまあ……来てしまったものは仕方がない)

 

 不可抗力の現象に対し、ヘロヘロが取るべき選択は多くないと予想する。だが、それでも奇麗な空を前にすれば小さな悩みは次々と浄化されていく、気がした。

 自分は只今(ただいま)の限りにおいて自由である。それは真実だ。

 

(とにかく、のんびりできる時間が出来た! 多少の些事は許そう)

 

 何に対して許すのかは分からないが、とにかく新たな世界に降り立った事だけは改めて自覚した。そして、確認する。

 ここは自分の知らない世界であると。

 今は――そう思うことにした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。