社畜人生にお別れを   作:ブルー・プラネット

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洞窟探査開始

 荷物運びのシモベと共に洞窟に入る――黒い粘体(スライム)から人型に変態した――ヘロヘロは外壁に手をつきつつゆっくりと歩を進めた。

 仮想空間のゲーム(DMMORPG)『ユグドラシル』とは違う、現実味を帯びた洞窟は新鮮な気持ちを呼び起こす。

 何年かのブランクがあるとはいえ、未調査のダンジョンは不思議と気持ちを高揚させる。

 ヘロヘロの感覚としては特段の異常さは無く、クリーチャーとしての性質に思考が乱される事もない。

 だが、既に一週間近くの時間を眠らずに過ごしている。それだけでも実は驚きである。

 元々が人間なのでいくら身体がゲームのアバター(偽装分身)だとしても常識はずれなことは出来ない。それゆえに既定の時間になったらログアウトして本当に眠りにつく。

 徹夜組みとは違い、仕事があるヘロヘロ達『アインズ・ウール・ゴウン』はきちんと睡眠を取らないと命にかかわる。

 企業戦士には常に過労死が付きまとうので。

 

(特に魔法的な障害は感じられない。一定距離毎の連絡も順調だ)

 

 外敵の存在は未だ確認されず――

 話し相手が陰に潜む影の悪魔(シャドウ・デーモン)だけでは味気ない。しかし、話題もない。

 NPCとは違い、こちらは完全に悪魔だ。一定条件で居なくなってしまう。

 洞窟に意識が向いている事もあり、しばらく無言のまま歩き続けた。

 

          

 

 人型の装備品は腐食することなく歩行にも支障がない。それに満足しつつ奥へ奥へと向かう。

 整地された道は無く、何者かに開発された壁の痕跡も今のところ見当たらない。

 外からは漠然とした大きさしか分からなかったが、内部はかなり広大であるといえる。

 目測は当てにならないものだ。そう思いつつ随分と時間が経った。

 時間と言えば――この世界の一日が何時間なのか分からない。

 地球は二四時間だが、それはあくまで目安――

 

 正確な時間ではない。

 

 人間が自分達の都合で正確性を持たせたに過ぎない。

 であれば正確な時刻とは何なのか――

 公転する惑星は時とともに変化するもの。一定である事など――と余計な思考に囚われるのは多くの無駄知識を垂れ流すギルドメンバーのせいか、と軽く憤慨する。

 とにかく、時刻を把握できる時計のようものを入手するか自分で測定する方法を確立するしかない。

 時間で動くのが日本人らしさでもあるので。どうにも時間の分からない状況というのが気持ち悪い。

 

(……体内時計がどこまで通用するのか分からないけれど、目安があるのと無いのとでは……)

 

 気分的には口を尖らせて不満の色を(にじ)ませているところ――

 現実世界の過酷な労働環境の弊害か、精神的に荒んでいる気がした。今はそんな事を考えても仕方がないと頭では分かっているのに。

 壁に手を付けて頭を軽く振る。

 余計な雑念は帰ってから、と自分に言い聞かせる。

 

(頑張れ、俺。帰りを待つNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)達の為に)

 

 自分達が与えた言葉の反復を既に超えていることは分かっている。

 未知の返答に対する興味もある。

 だからいって延々と語り合える程の語彙があるわけではない。というか、彼らは現実世界に生きていない者達だ。ヘロヘロの話題など何の意味があるというのか。

 無意味でも今は気分的に楽になりたい。すぐに解答を導き出す黒い粘体(スライム)は何度か自分を叱咤(しった)して前に進む。

 

          

 

 一人で居ると余計な思考が止め()もなく湧くのは(さび)しさの表れか、それとも狂気に囚われているのか――粘体(スライム)なのに。

 種族としての一面が強く表れているとすれば――いずれは自我を失い――モンスターそのものと化す、とか。

 そんな兆候は感じないが、ありえない話しではない、と思う。

 だいたい暗い洞窟を――影の悪魔(シャドウ・デーモン)というシモベが居るとしても――(あか)りも()けずに進めるほど自分は勇気があるわけではない。だが、今のところ気持ち的にも平気だ。

 

(……本当は暗闇に閉ざされた空間なんだろうけれど……。『闇視(ダークヴィジョン)』のお陰ってやつか? 魔法じゃなくて『常時発動型特殊技術(パッシブスキル)』の方の……)

 

 元来、粘体(スライム)に知力は備わっていない。けれどもPC(プレイヤーキャラクター)として選択できる。

 初期の粘体(スライム)がまんまアホでは何もできないのと同義だ。その辺りは各プレイヤーによるメイキング次第だ。

 歩きながら今一度自分の種族を思い出しておく。それは通路にめぼしい物が無くて暇だったから。

 通路らしい道は無く、広くて不格好な岩盤があるのみ。人工的に作られた洞窟ではなく、山に空いたただの空間のようだ。

 大抵のダンジョンは何処か人工的だ。奥に行けば何らかのボスとかアイテムの入った宝箱があったりする。

 その手の自然洞窟の場合は反対側に出るだけで終わるタイプということもあり得る。

 

(だけど……ほんのり明るいのは自分の特殊技術(スキル)の影響か? 魔法の灯りがあるわけではないし……。鉱石とか?)

 

 身体に備わっている特性と内面が人間であるヘロヘロの感じ方に齟齬でもあるのか、と少しずつ疑問点が増えていく。

 魔法である『闇視(ダークヴィジョン)*1』の場合、景色は白黒の場合が多い。

 全く見えない状況を照らす意味では充分と言える。

 次に粘体(スライム)が元々持っている『擬似視覚』というものは知力によらない能力で人間が物を見る感覚とほぼ同じだ。

 実際には振動感知、嗅覚、聴覚、超音波の反響などを利用している。当然、それらを遮断されれば感知が難しくなる。

 

          

 

 自分の能力を確認しつつかなり歩いたと思うのだが、一向に生物の気配がしない。それとも単に自分の歩く速度が遅いせいか、と薄っすら思わないでもなかった。

 シモベに先行を禁じているので進んだ先に何があるのかは分からないし、楽しみは後に取っておくべきだと思った。

 折角未知のダンジョンに入ったのに完璧な地図をいきなり渡されると冒険のし甲斐が無くなる。

 多少のワクワク感は欲しいし、これから自分が何すべきか見定めるためにも色々と経験しておきたいと思った。その為には強敵の存在くらい許容してもいい、と。

 NPC達には心配されると思うが、無理な戦いはする気は無い。

 

「……帰り道は……分かるか?」

 

 今更になって気づいた。

 魔法で撤退できる手段はあるけれど、徒歩で帰る時に道に迷わないか、である。

 絶対に迷わない自信は無い。場合によれば魔法禁止領域に入っている事もありえる。そうなれば頼れるのは自分の記憶力と足元のシモベ次第――

 地面に問いかければ明瞭な答えが返ってくる。

 彼らもまた独特の音声を持ち、日本語として聞こえる。

 

(シモベ達の声はわりと同一感があるな。しかも日本語か……。それとも()()()()()()()()で実際は違うとか……)

 

 一部のモンスターは人間と意思疎通は出来ない。その中で会話が可能なものは専用の言語を理解している必要がある。もちろん魔法によって意思疎通を図ることも可能だ。

 ――知性の無いモンスターが相手の場合は徒労に終わるけれど。

 だが、今の状況は魔法とかゲームの仕様の枠組みを超えていて、どういう理屈なのかがヘロヘロには理解できない。

 単なる命令で使役する者達だった筈なので。

 手間が省けるのはありがたいが無駄に長く会話するハメになっている気もする。

 

(……なんだかいちいちシモベ達のご機嫌取りをしなきゃいけない気分にさせられる。この先やっていけるかな……)

 

 一般メイド達がすぐ表情を曇らせるので気になって仕方がない。

 余計な対人スキルは煩わしい限りだ。

 寂しさと引き換えに息苦しさが増大しては意味がない。その辺りも時間をかけて解決していく気がする。

 ヘロヘロは体内に臓器があれば胃炎で今頃転げ回っている気分を感じていた。

 

          

 

 不穏な未来を夢想しつつ奥へ奥へと進んでいくと霧のようなものが視界に入ってきた。それと同時期に天井から水滴が落ちる音も聞こえた。

 内部の温度はよく分からない。尚且つ、装備品が優秀なせいで薄く凍るような事もないので冷気なども不明。

 シモベは陰に潜んだまま大人しい。

 完全密閉というわけではないけれど、人並みの感覚が欲しいと思った。少なくとも熱いのか寒いのか判断する上で人間は便利だからだ。

 

(湧き水なのか湿度が高いせいなのか、全く分からない。温度感知ってどうやるんだったっけ?)

 

 粘体(スライム)である自身の身体の感覚は当てにならず、シモベ頼りだが――こちらも当てにならない。

 そもそもお前(シモベ)に体温なんかあるのか、と疑いの目を――足元の影に――向けるヘロヘロ。

 

(それから霧なのか(もや)なのか分からないが……。進むごとに濃くなっていくな。悪魔系には何の支障も無さそうだが……)

 

 それは当然ヘロヘロにも言える。

 様々な特殊技術(スキル)と豊富な武具やアイテムに囲まれているのだから大抵の障害は克服している。

 いきなり溶岩にでも落ちない限り、毒霧などでは動じない。

 有効なのは魔法攻撃くらいだ。

 

「ヘロヘロ様。前方に草や鉱石が確認できました」

 

 唐突に日本語が耳――比喩的に――に届いた。

 一人で悶々と思索していると不意の音声はびっくりする。もちろん気持ち的な驚きであって肉体的なデメリットは受けていない。

 いくら恐怖に完全体制を持っていたとしても人間の感覚が抜け切っているわけではない。

 

(……そうはっきりと喋るな、びっくりするわ)

 

 仲間内ならこういう場合、声を潜めるものだ。

 ――それは気分的なものだったり、大声を出すと敵に見つかったりと色々と――

 他のモンスターに見つかりでもしたら叩き潰すか、どうせ履いて捨てるほど出せる召喚物だし、と少し不満を(あらわ)にする。

 

「……視界状況は少し曇っている程度か……」

 

 新規攻略のダンジョンが矢鱈と鮮明である場合は人が良く通るものとヘロヘロは思っている。そうでない場合は大抵、エリアエフェクト(地域特有の視界障害や毒の霧など)による障害だ。――これは各エリアに存在する演出であったり、自然現象として現れるもので天候による視界不良も含まれる。

 ヘロヘロの視界状況でも確認できている。

 進めば進むほど奥が見えにくくなる。ただ、そんな状況であっても外壁や地面の状況は分かる。

 エリア(地域)の輪郭や敵性体の形さえ捉えられれば問題は無い。

 問題の霧に実際に毒があるのか、判断はつかないがシモベが平気であれば無視して構わないようだ。

 

          

 

 それから少し歩いたところから不思議な光を放つ水晶のような鉱石と草を発見する。

 生物の気配を待ったく感じさせない洞窟の中では異彩を放つ光景ではないかと。

 一見するとお宝の山に見えるが実際に調査して低級の鉱石であれば取るだけ無駄。その結果が今の状況という事もありえる。

 誰も取らないからこそ自然豊かな景色が出来ている、のかもしれない。

 だが、今のヘロヘロはどんな等級だろうと現地の物質や生態系は貴重な情報である。

 早速、採取を始める。道具は――拳のみ。シモベは当然、荷物持ち。

 

「………」

 

 採取に特化した『野伏(レンジャー)』や『森祭司(ドルイド)』を連れているわけではないので、知恵を働かせるしかない。

 最初に見つけた鉱石はそれ自体が発光しているように青白い光りを放っていた。地面に生えている草は白い花をつけている。

 どうみても雑草の類だが、念のために採取する。

 拠点には専門職が控えているので、もし何らかの効能でもあれば話しのネタとしても有益だろうと判断する。

 

「……『採取しますか?』……『イエス』……」

 

 何らかの行動に出る時、こんなアナウンスが流れるんだろうなと思って一人芝居を始める。

 ――実に虚しい行為だ。もちろん、実際に声として発声されるわけではなく自分の聴覚――または自分だけにしか聞こえない仕様が一般的だ。

 

「……『採取しますか?』……『ぺっ』……。……どんだけ傲慢なんだよ」

 

 寂しさゆえか、声に出していたことに気づいて恥ずかしくなった。

 特に足元のシモベには聞こえている筈なので。

 

(ソロプレイ時はだいたいこんなもんよ。ついつい独り言を出すのは普通、普通……。魔法だって喋らないとダメな場合があるし……)

 

 『無詠唱(サイレント)』という特殊技術(スキル)*2があるが魔法職ではないため取得していいな。

 ユグドラシルには『レベル』と呼ばれる強さがあり、上限は『一〇〇』だ。

 各種族レベル、職業(クラス)レベルも無尽蔵に増やせるわけではない。

 下位が一五。中位が一〇。上位は五レベルまでとなっている。

 『マルチクラス』を採用しているので条件次第では職業(クラス)レベル一を一〇〇個取得する事も可能。

 亜人種と異形種は必然的に種族レベルをどうしても取得しなければならない。その代わりレベルダウンしても最初の取得レベルを失うことは無い。種族レベルの無い人間種になるわけではないので。

 

(……この世界でもユグドラシルの設定が適応されているのかは不明だが……、大部分では適応されていないと見るべきだ。……普通に考えても荒唐無稽。無数の平行世界があるならば……、それだけ様々な仕様があるものだ)

 

 レベル制ではなく熟練度だったり、インフレ*3する能力値だったり――

 あまりにも馬鹿げた数値だとゲーム内では攻略し甲斐が無くなるだけじゃなく、飽きやすくなる。

 制限された数値、または一定の限界がある方が望ましい時もある。

 そうでなければ新規ユーザーが参入しずらくなるものだ。

 

(……レベル換算で一万以上は勘弁願いたいものだ。……仮にあると仮定すれば世界どころか、()()()()()()()()()ことは確実……。……でもまあ……、それが事実ならとっくに宇宙は滅びに向かっている)

 

 拳で鉱石を殴りつつ自分の能力と荒唐無稽さを推論する。

 今の攻撃で鉱石に加えられたダメージを一〇とする。壁はそれより少し強く殴れば多少は砕ける。

 その数値が――もし――馬鹿げたものであるならば殴る時に発生する衝撃波。()いで当たった時に発生する膨大な熱量は果たして現実にどういう振る舞いを起こすのか。

 少なくとも真空状態になり、物質的に未知の物理法則が――とまで考えてやめた。

 あまり頭――脳があるのか、種族的には疑問だが――を働かせては動くだけで嫌になる。実際、そこまで怠惰な気持ちは湧かないけれど、楽しく冒険できれば文句はない。

 

          

 

 空中で(てのひら)を右に左に移動させる。それだけで空気の流れが――普通であれば――感じるものだが、そこまで微妙な差のようなものは分からなかった。

 風圧を感じるためには少し強くしなければならないらしい。ということで実践してみた。

 暴風じみた風は発生しないが、耳にかすかな風切り音は届いた。

 

(感じ方がいまいち分かりにくいけれど、これは果たして常識範囲内なのか?)

 

 左手で風を仰ぎ、右手で雑草採取。

 人間であれば手間取る行動も偽装分身(アバター)では比較的簡単に出来た。

 器用なのか、それとも練習によって出来るようになったのか。

 考えながら作業していたので経過時間はもう分からない。

 あまりのめり込んではメイド達が心配するので、シモベに一定時間になったら自分(ヘロヘロ)を呼ぶように命令する。

 霧が濃くなっている部分にて連絡が出来るかの確認も怠らない。

 

(消費したMP(マジックポイント)やスキルはちゃんと回復するものかな)

 

 単純作業のように草と鉱石を採取しているが、一向に他の人間や生物とは出くわさない。

 誰も居ないかもしれない。

 しかし、ゲーム感覚が未だに残っているヘロヘロとしては()()()()出会いがあるような気がしていた。

 意味もなく転移するわけはなく、いずれは怒涛のごとく事件に巻き込まれるものだ。

 今はいわば『(なぎ)』――

 長い歴史を持つ世界なのに短期間に起きる時間はとても短いのが通説だ。

 ――自分が主人公特性を持っているのであれば、そうなってもおかしくはない。そうでなかった場合は一〇〇年ほど何も起きない場合がある。

 世代を重ねる文化があるならば、それもまたありえないことではない。

 

「……では、君はいったん帰還して、別のシモベをここに呼んで」

「畏まりました」

 

 採取物を影の悪魔(シャドウ・デーモン)に託し、帰還を命じる。

 その間ヘロヘロは黙って待つつもりは無く、洞窟内の探索を続けた。

 壁や天井から突き出ている謎の鉱石を根こそぎ採取しては面白みに欠ける。雰囲気作りはとても大事だ。だから、過度の採取は控えることに決めていた。

 

(……先ほどから水滴が落ちているところから地底湖くらいはあると思うが……。実は人間にとって有害な大気が充満しているとか……。毒っぽい霧なら開発が途絶えていることもありえるし、凶悪なモンスターが実は居るとか。それとも単に……、空気が薄くて長時間活動できない状態ということも……)

 

 可能性を追求すればきりが無い。

 現在位置からあまり離れず、他の場所に向かう。といっても代り映えのしない景色ばかりだ。

 小さな坑道でもあればいいのだが、広い空間がうねっているだけでほぼ一本道が続いている。

 または螺旋構造で上や下に続いていることも――

 

          

 

 新たなシモベの到着を確認してから探索を継続する。それと同時に拠点の様子を聞いておいた。

 それから目に付く植物や鉱石を適当に採取しながら奥へ進んでいく。

 霧の方は濃くなったり薄くなったりと一定ではない。

 それから随分と奥まで進んだところで気配を感じた。それと同時に足元に控えているシモベに緊張が走る。

 

(ようや)くエンカウントか。調査しながらだから随分と時間が過ぎてしまったな)

 

 元々のんびりと冒険する予定だったので急ぐ理由はヘロヘロには無い。

 無理せず、堅実に――

 ゲームの中でも引きこもりの如く活動することが多かったな、と。

 もちろんレベル上げの為に戦闘は(おこな)ってきた。しかし、それは最初の内は楽しいけれど、段々と楽しみが減るものである。

 

(……なんやかんやで脱退者も出たし……。まあ、自分も新しい会社を転々としたり……)

 

 感慨深げな思考に陥りそうになった頃に様々な音が届いてきた。

 新しい世界での初戦闘になるのか、このまま敗北して消え去るのか。

 複数の選択肢が常に自分の脳内に浮かんでは消えていく。

 

「シモベ君は撤退準備を。俺は軽く運動をしてくるよ」

「御身自ら、ですか!?」

 

 足元の影が酷く驚いたようだ。

 一般的なシモベは驚いたりしない。ただ淡々と命令に従うのみだ。

 下手に自我を持つとおかしな反応を返すようだ。それはとても面倒くさそうな気がした。

 だいたいシモベと常に喋り続けるのは徒労でしかない。一人で黙って作業したい人間にとっては邪魔以外の何物でもない。

 

「……一人で何もできない無能だと言いたいのかね?」

「……い、いいえ」

 

 少し意地悪な言い方をしてみた。シモベはヘロヘロの仲間であれば軽く流す程度の冗談を理解することが出来なかったようで、声が震えていた。

 怒りによるものであれば理解できる。そうでなければ恐れを抱いている事になる。

 従僕(NPC)たちの反応を見ればだいたい理解できる。それに気づかないとでも思われたのであれば非常に心外だ。

 

 俺は初心者プレイヤーではない。

 

 危機意識もない馬鹿だと思われるのも心外である。

 歴戦のプレイヤーを()め過ぎだ。

 ――とはいえ、いちいち細かいことで叱ってばかりでは短気だと思われて委縮されるので、シモベの言葉は無視する。

 

「シモベ君は安全圏にて待機。何かあれば撤退するように。……無理に深追いはしないから。あとこれ、命令だから」

「……は、はい。畏まりました」

 

 主特権は実に都合がいい。

 足元から離れていくシモベの気配を一応、感じ取りつつ――

 通路の奥から近づく何者かの気配に神経を集中する。粘体(スライム)の感覚器官がどうなっているのかの疑問点はこの際、無視する。

 

          

 

 敵を感知する特殊技術(スキル)や魔法はあるにはある。ヘロヘロ自身は身体(からだ)の感覚を確かめるために()()()使用しない事に決めていた。

 無警戒だと思われるが初心者の気持ちで臨むので多少の危険行為(リスク)は織り込み済みだ。

 鬼が出るか(じゃ)が出るか――

 楽しみというほどの事もないけれど、新しい世界で出会う初対面(ファーストコンタクト)はとても大事だ。

 自然と全身に意識が分散していく。

 

(……非実体でも戦えない事も無いけれど……。いきなりラスボスだったらどうしよう)

 

 序盤の村に魔王がやって来て、それを倒したらすぐゲームが終わるようではクソゲー以外の何物でもない。

 そんな事がありえないと願いつつ、数分ほどその場に待機していると天井付近に動く気配を見つけた。といっても結構距離があるので全体像は未だに不明。

 この洞窟は天井まで一〇メートル以上もあり、横幅も相当広い。奥行きは数時間かけても出口が見えないところを見るとキロメートル単位ではないかと予想する。

 鉱石などの光りのみが頼りの洞窟内において新たな高原を生み出すと他の敵を招く恐れがある。出来れば数は少ない内に調査だけやりたかった。

 

(輪郭は判然としないが蜘蛛型のモンスターか……)

 

 ゆっくりと天井を移動する物は脚が複数あり、怪しい光りを放つ目が見えた。

 複眼かは遠くてまだ判別できなかった。

 視力について色々と疑問があるが、人並みには見えている筈――

 単なる『闇視(ダークヴィジョン)』程度では鮮明さに欠けるようだ。そもそも、この能力には距離制限がある。

 仮に魔法による上位版を使ったとしても鮮明さは大して変わらない。それはこの能力が視力を良くする効果を持っていないからだ。

ヘロヘロはまずジャンプして届くか試してみた。相手はまだ遠くに居るけれど。

地面を這いずる粘体(スライム)が人間形態になったところで身体(しんたい)的に超人になったわけではない。

屈伸運動の後にジャンプ。即落下。

目測が正しければ飛び上がった飛距離は人並み。

 

(……装備品が重いのかな? 今の行動で装備が勝手にずり落ちる現象は無し……と。物理法則の影響を想定してみたが問題はなさそうだな。……なんでだろうか……)

 

 本当に自然の法則が適応されているのならばヘロヘロは存在していられるわけがない。

 強力な溶解液を内包した邪悪な粘体(スライム)なのだから。

 落下した後、ビチャっと嫌な音を立てて体液をぶちまけるのが正しい在り方だ。――たぶん、と。

 

          

 

 気を取り直して(こぶし)に勢いをつけて放つ。

 衝撃波が発生して天井を粉砕、という常識外れな現象は確認できなかった。

 

(……軽くやったんだから当たり前だけど……。勝手に衝撃波が出たらそれはそれでビックリものだ)

 

 一つ一つを確認して納得していくヘロヘロ。

 見た目には分からないが、本人は至ってのんびりと実験を続けている。焦りは微塵もない。

 内心では色々と考察し、驚きを現すことがあるが人間に比べれば酷くゆっくりとしたものだった。

 聞く人が聞けばあまりの緊張感の無さに激怒するほど。しかし、本当に危機的状況や戦闘に関しては真面目に取り組む。

 ふざけているわけではない。現実の疲れを引きずっているだけだ。

 何度か壁に拳を打ち付けたり、蹴りの練習の後、もう一度ジャンプすることにした。

 ゲームでの戦闘経験は数年ぶりなのでいきなりの実践に身体がついていかなかっただけ、という言い訳を思いつつ――

 

粘体(スライム)といっても全身が柔軟性のある肉体だ。それなりのステータスがあれば……)

 

 と、内心で言葉を続け――二度の屈伸の後に真上に飛び上がる。

 粘体(スライム)というクリーチャーは知力以外はしっかり高い。それと異形種は人間種よりもステータスの伸びが良い。

 地面を軽く砕きつつ高い天井に数秒――いや、一秒もかからずに到達。即座に手をつき衝撃を緩和する。そうしないと頭を打ってしまう恐れがあるから。

 いや、頭部という概念は無いけれど。人型を形成している都合の比喩である。

 

「……最初にしては合格ラインだ」

 

 少し勢いがつき過ぎかなと危ぶんだが想定内の結果に一先ず満足する。

 その後、地面に降り立ち、改めて敵性体を見据える。

 次は物理攻撃の確認だ。こちらは既に壁を殴って確認済みだがモンスターに通じるかは未検証。

 普通のオブジェクトと違いモンスターの防御力はステータスの存在で色々と常識外れなところがある。

 

(洞窟に居るモンスターが友好的なら……という想定は普通はしない。ユグドラシルのプレイヤーである確率も高くはないはずだ。だが……もしも、という場合がある)

 

 同郷の()は大切にするべきか、敵と判断してさっさと排除するか。

 どちらにせよ一方的な敵対行為を率先するのは悪手である。先手を譲り、それから色々と確認していこうと決めた。

 

          

 

 天井に手をついた音でも聞き取ったのか、敵性体が勢いを増して近づいてきた。

 少しずつ大きくなるそれは体長二メートルほどの巨大蜘蛛。見たことがないので現地のモンスターだと断定する。

 ヘロヘロの感覚では中位程度の大きさ。

 下に降りてくる様子が無ければ空中戦を()いられる。警戒心の強いモンスターであれば戦い難いが好戦的なら天井に張り付いていようが問題は無い。黙っていても向こうから来るのは目に見えて明らかだ。

 

(この手のモンスターはだいたい……一〇レベル程度……。一発当てておくか)

 

 雑魚モンスターと侮らない理由は個々のモンスターの強さは一定ではないからだ。

 この世界のモンスターにも同じことが言えるとは思っていないが――分かる範囲で言えば自然界のモンスターは持っている能力に左右されやすい。

 最弱で有名な小鬼(ゴブリン)骸骨(スケルトン)でさえ豊富な種類が居る。

 モンスターの情報を自分で書き込む『百科事典(エンサイクロペディア)』というアイテムをプレイ開始に全プレイヤーに配布される。冒険の時はそれを頼りにするのが基本だ。

 独自にまとめて公開しているプレイヤーも中には居る。

 

(あ、そういえばモモンガさんから餞別としてたくさんのアイテムを貰っていたっけ……。すっかり忘れていた。……というより俺の部屋には……無かったような……。たまたまかな?)

 

 あるいは小さな革袋が箪笥(タンス)に詰め込まれている場合もある。大事なものは人目につかないようにするのが基本であり、警戒を怠らないモモンガらしさが伺える。――だが、それは実際に確かめてからだ。

 何も入ってなかったら絶叫する自信がある。

 転移で頭がいっぱいだったこともあり、確認作業を怠っていたんだろうと思うことにした。

 確実にアンデッド(エルダーリッチ)達はアイテムの所在を知っているようだから、というのは不味いかなと小首を傾げる。

 雑念に囚われていてもモンスターの姿から視点は外さない。

 移動速度は早め、身体は巨大サイズと認定。――淡々と情報を積み重ねていく。

 

(無警戒に襲ってきているところから敵でいいか……。細かく分析するの面倒くさいから)

 

 一発殴ってから判断するギルドメンバーの顔が思い出された。

 確かに索敵手段が無ければ身体の感覚で覚えるしかない。これが初心者であれば命取りだが――果たして――

 ヘロヘロは天井から糸を使って降りてくる蜘蛛に飛び掛かる。

 実戦での距離感はやはり――実際に(おこな)って確認するしかない。

 

          

 

 第一打(ファーストアタック)()()()軟らかいものだった。

 ガントレットは――自分専用の装備品――今のところ溶ける兆候は見せていないけれど、敵性体(大きな蜘蛛)の首より下に今、拳がめり込んだ。

 自身が粘体(スライム)だから、という事もあり互いの感じ方に齟齬があるようだ。

 どちらが軟らかいかと言えば今回は相手方(蜘蛛)だった。

 軽く当てる程度でこの結果だ。

 柔軟性に富んでいるモンスターだと認識する。

 ――ここまでを空中にて(おこな)った接敵戦闘の内に思考した。

 

(高速思考か? いや、戦闘に際し、自分の身体が()()()に最適化されたと思うのが一般的か)

 

 時間を止めたわけではないので徐々に場面は動いていく。

 当てた拳がモンスターの身体の弾力によって反発される。そのまま落ちてもう一度飛ぶより、このまま一蹴り追加する。

 拳以外にも蹴り技も繰り出せる。

 当たり前の事だと思われるが――専用(クラス)や専用特殊技術(スキル)を持っていないと()()()()()()すら出来ない。

 ゲームのアバターゆえの行動制限なのかもしれない。

 

(……んー。感覚的に……ダメージを与えたって気にはならないな。もっと硬い敵も見つけておかないと……)

 

 目の前のモンスターを倒す事とは別の考えにヘロヘロは囚われた。

 一撃にて倒せなかったモンスターを強敵として認め、攻略を模索するのが基本なのだが――彼の場合は既に次の事柄に思考が移っていた。

 自身の戦い方はもちろんのこと、モンスターと相対した時の自然な振舞い方など。

 活動的ではない自分が率先して戦闘行為に興じる意味も含まれる。

 

(……この洞窟のレベル帯はよく分からないけれど……、想定通りであれば……初心者用のダンジョン……)

 

 そんな事を(つぶや)きつつ口から糸を噴射してきた蜘蛛の攻撃を避ける。その糸が地面に着く前にそれ()を掴んで引っ張ると()()()蜘蛛の首が千切れた。

 意外とあっさりした感触に失望感は否めない。所詮は虫か、と。

 単純な殴打によるダメージ現象とは違い、肉体的にはヘロヘロの知らない概念が――と死体と化したモンスターを眺めてため息をつく。

 相手が弱かったからか、それとも自分が強かったからなのか。ただ単純に首が弱点だった――様々な事を考えてみたが簡単にモンスターを倒してしまうと力が抜ける。

 

          

 

 調査用にモンスターの死体も回収し、新手の調査を開始する。――さすがに一匹しか居ないわけではあるまい、と。

 草と鉱石を回収しつつ連絡を適時送りながら奥へと進む。

 途中で別の道に続く大きな空洞をいくつかみかけた。

 自然にできた坑道はどこまでも果てが無いように思えた。

 

(段差になっていたり、落盤で塞がっていたり……。整地された空洞ではないから距離感がつかめず迷いやすそう)

 

 冒険者が付けた目印や立て看板の存在もない。

 調査しながらゆっくりと進んでいるから実際には大して進んでいない事もありうる。

 夕方になったことを拠点で待っているソリュシャンの連絡で知り、帰還することにした。

 連絡用の魔法は未だに有効だったので転移魔法で帰ることにした。

 一日目で踏破するには広大過ぎた。無理をする理由は無いので今日は諦める。

 拠点に戻ればNPC達がヘロヘロの期間を喜ぶ。これはギルドメンバーに出迎えられたような気分で悪くは無かった。

 

「……ただいま」

「お帰りなさいませ」

 

 にこりと微笑むソリュシャン。――つい先日まで物言わぬゲームキャラクターだったのが幻のように思えてきた。

 自宅に帰っても癒しというものを味わったことが無かったヘロヘロにとって、女性陣の声は不思議と心地よかった。それほど疲れてもいないが、ついお風呂にでも入ろうかなと思わせるほど。

 残念ながら簡素な拠点なので真っ当な設備が整っていない。

 自室に戻ろうとした時、アイテムの事を思い出したので各自に調査を命じた。役立たずのメイドにもアイテム整理くらいは出来るだろうと思って。

 足手まといはさっさと殺しておいた方が楽かも、という考えがないわけではない。蘇生費用も安価だし――

 たかがNPCを殺害するのに躊躇いなど――悪のロールプレイをしてきた自分達には実に似つかわしくない。

 

(わざわざ自分達のNPCをいちいち殺す(やから)は居ないんだけどね)

 

 軽く嘆息した後、自室に戻る。

 折角人型に変態したのに元の粘体(スライム)に戻るのも勿体ない。けれども、形を維持し続けるのも疲れるのでは、と自分に尋ねた。

 そもそも疲労しないので――本来ならば――現状維持したままでも平気である。

 単なる気分の問題だ。

 

          

 

 さて寝ようか、と思いはすれど眠気は感じない。

 一日いっぱい起きた状態でいることは本来であれば苦痛でしかない。だが、粘体(スライム)の特性において睡眠は必要ない。それとは別に『維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)』を装備している一般メイド達も眠る必要が無くなっている。

 元々が人間であるヘロヘロとは違い、彼女達は睡眠についてどういう思いがあるのか。

 そもそも数年間放置されて平気な人間はおそらく居ない。――居たらそれはそれで凄いけれど――

 知るのが怖い真実というものかもしれないと思うと自然と身体が震えてくる。恐怖に完全耐性を持つモンスターだとしても――

 

(……そういえば部屋に入った途端に外の音が聞こえないな)

 

 外というのは扉の向こう側。拠点内の廊下などの事である。

 多くの女子が居るのに静かである。

 大抵の女性は人数が多くなればそれなりに話し声が聞こえてくるものだ。事実、扉からソリュシャンの声が聞こえたので、完全に密閉された密室空間ではない。だからこそ静かすぎるのが逆に怪しい。

 絶対に喋るな、とは命令していないし、お互い不眠を許容するので多少の騒音は――と思ったけれど、実際に聞こえてきたら(うるさ)いと怒鳴りそうだ。

 黙っていても暇なので姿鏡にて装備を改めて確かめる。

 人型として行動することに問題は無い。戦闘もクリアした。

 残りは――外部からの看破。

 

(探知系、感知系を遮断し過ぎるのは逆に怪しいか……。偽装するにも色々と手間だし……)

 

 何より面倒くさいのと外出の度に貴重な資源を消費することになる。

 先の見えない冒険ともなれば節約も視野に入れなければならない。

 怪我の回復については治癒要員が一人居る。いくつかの魔法についても優秀なアンデッド達が居る。

 残りは――今の拠点をどうするか――

 ずっと得体の知れない場所に占拠しているわけにはいかない。地に足を付ける意味でもどこかしらにしっかりと根付かないと野盗などと間違われてしまう、かもしれない。

 

(大抵は序盤に村があってお世話になるパターンだが……。ついでに事件に巻き込まれるフラグが矢鱈と立つ。異世界特有の様式美かは分からないが……、それに無理矢理乗るべきか? ……精神的な癒しが欲しいから……あえて避けてみるのも手か……)

 

 『お約束』に従う道理はない。また、そういう法律だの制限が制定されているわけではない。

 企業戦士として暮らしてきた自分には休息こそが必要不可欠。それはただ休むだけじゃなく、精神的苦痛を伴わなければ先の洞窟での探索も容認するという意味も含まれている。

 

          

 

 帰ったからとて人間として暮らしてきた感覚で眠る必要は無い。しかし、一日に使える数に制限のある特殊技術(スキル)の回復にはどうしても『一日』という単位が必要だ。

 ゲームとしての原理であれば納得はする。だが、この世界でも同じことが起きるかは未知数であり、起きれば――それはそれで疑問だ。

 今回は単なる徒歩とMP(マジックポイント)の消費程度。これなら少しの休息で済む。

 

(それから昼夜問わずに活動自体は出来るから……。別にまた探索に赴いたところで怒られるわけもなし。……会社の事も……()()考える必要もない)

 

 本当は考えたいが既に何日も経過している。既に解雇通達か、本体が衰弱死でもしているか――

 または――実は普通に会社に行って仕事をしている。

 

(……今ここに居る俺は本体から分離した精神生命体のようなもの。そう仮定すればゲーム世界にこびりついた残滓が動き回っているだけとも言える。……それがどうして別の世界に居るのかは説明がつかないが……)

 

 精神生命体というか単なるデータのコピー(分裂)体とでもいうような不確かな概念――

 今のところ何の警告も無く、活動も特に問題がない。いずれ急な消滅に見舞われるかもしれないけれど、それはそれでどうしようもない。

 メイドを含めて、ここにあるものを現実世界に持ち込めるわけがないので。

 ただただ役目を終えて消えるのが定めだ。

 

(どうせ消えるのであれば一日一日を楽しく、または後悔しないように過ごす。物語の主人公のように大きな波のうねりに巻き込まれたくはないけれど……。平々凡々過ぎても退屈なだけだしなー。……でも、なるようになればいいか……。他に楽しみが出来るまで……)

 

 ゲーム以外では仕事と生活の事ばかり考えていたヘロヘロにとって急な休暇は非常に困惑するものであった。

 そもそものんびりしている余裕は無い。

 毎日の生活にも事欠く日本での生活は過酷を極める。それから解放されているわけだが、どう過ごせばいいのか――

 予定が全く決まらなくて困っている次第だ。

 事前に計画を立てていればまた違った結論に至るところ。先行きが真っ黒だったり真っ白だったり、色味のある未来図を描きたいものだと嘆息する。

 

          

 

 朝まで馬鹿正直に待つ必要が無い事に――姿鏡で拳の打ち方を為しかめている最中――気づき、不眠のNPC(ソリュシャン)を呼びつける。適度に連絡魔法の確認をしないと今はとても心細く感じられたからだ。

 この能力も一過性で消えてしまうかもしれない。そう思うと安易な胡坐はしばらくかけそうにない。

 戦闘メイドは二名なので交代制でシズを呼ぶ事も検討しておく。

 すぐ近くに陣取っているソリュシャンは一分もかからず駆けつけてくれた。

 見た目が女性だから時間によってはシャワーを浴びているシチュエーションも無いわけではない。

 ――この拠点に満足な風呂施設は備わってないけれど――

 多少の汚れも便利な魔法で解消できてしまう。

 

「睡眠不要だから活動時間に制限が無い。……待っている間、ソリュシャン達はどう過ごしている? 厳密な予定表などを立てては息苦しいかと思ってるけど……」

「ヘロヘロ様の無事を祈っておりました。他のメイド達には室内の掃除、アイテムの整理などを……。シモベ達には外敵の気配感知に当たらせております」

 

 用意した椅子に座ったソリュシャンはスラスラと流れるように喋った。

 やはり人工的な合成音声とは思えない血の通った肉声に聞こえる。

 姿勢の良い姿を見ていると元々が粘体(スライム)種だという事を忘れてしまいそうだ。

 

「睡眠不要だからと言って無理をさせる気は無い。……しかし、アイテムの効果によって不眠症にならないものか……。眠りたいものには休息を。……特に一般メイド達は……な」

「はっ。……仰せのままに」

 

 (うやうや)しく(こうべ)を垂れる戦闘メイド。

 言葉だけで様々な動きを見せるなど――

 何度も思うが、やはり新鮮な気持ちにさせてくれる。

 では『ガーネット』が製作したシズもヘロヘロの命令を聞くのものなのか、という疑問が湧く。

 この世界――というかこの施設内での最上位者はヘロヘロである。それを理解してるのであればソリュシャンのような反応を見せるはずだ。しかし、設定によれば違う製作者の意見を聞かない事もありえる。

 一旦ソリュシャンを下がらせて、少し経った後にシズに連絡をする。――一応全NPCとの繋がりは作っておいたので無視しない限りは返答がある筈だ。

 一般メイドとメイド長。アンデッド達は問題なし。

 一番の懸念はやはりルベドだけだ。

 先ほど連絡してみたら『……何?』と威圧的――または不機嫌そうな反応に思わず『……すいません』と言ってヘロヘロの方から連絡を切ってしまった。

 NPCを怖がってどうするとすぐに気づいたが手遅れだった。

 気持ちが消沈しているところにシズがやってきた。彼女は首を傾げながら呼びつけたヘロヘロを見つめ続けた。

 

          

 

 剣と魔法が主体の異世界ファンタジーにおいてシズの存在は異質そのもの。ルベドも大概ではあるが――

 服装は寒さをしのぐ為に厚着した様なメイド服。ただし、首に巻いているマフラーと頭につけているホワイトブリムという頭飾りは迷彩柄である。

 その頭飾りと同じ名前の『ホワイトブリム』というギルドメンバーによってデザインされた。それとメイド服は全て(ホワイトブリム)が手掛けたものである。

 赤金(ストロベリーブロンド)という色合いの真っすぐで長い髪の毛は腰まで達しており、左目は眼帯(アイパッチ)で隠されている。

 肌は色白。瞳はエメラルドグリーン。虹彩は標準を見定める十字型。表情はどこか作り物めいており、感情というものが欠落しているように見える。

 およそメイドとはかけ離れた外見を持つが人間型の異形種である。

 

「……シズ・デルタ。……御身の前に……」

 

 全くの無表情ではあるが上位者が誰であるかは理解しているようだ。ソリュシャンと同じように胸に手を当て、恭しく(こうべ)を垂れる。

 場合によれば片膝をつく。

 NPC達がヘロヘロに対する姿勢において立ったままでいる場合は一人の時が多い。

 言葉は少なめだが態度に関してはルベドより温か味がある。

 

「よく来たね。椅子に座りなさい」

「……いえ、このままで……」

「命令です。……お前達はそう言わないと従わないのか? それはそれで助かる場面もあるけど……」

 

 ヘロヘロの言葉を意外だと思ったのか、シズは彼を見つめたまま止まった。しかし、それはほんの僅かな時間で、すぐに動き出し、用意された椅子に座った。

 無理矢理従わせる事に抵抗がないわけではないけれど、色々と面倒くさいなと思わないでもない。だが、それは仕方がない。

 彼女達は血の通った人間プレイヤーではなく、ゲームに登場するNPCだから。

 

「……では、お言葉に……従います」

 

 眉根を寄せて不満をにじませる――ような顔にはならなかったが、雰囲気的には不満そうではあった。いや、不服か。

 自分の仕事を全うしようとする彼女達が主であるヘロヘロによって否定されることについて、どういう気持ちなのか――ヘロヘロ自身は知るのが怖いと思っているので、いちいち尋ねたりしない。もちろん、時と場合による。

 

          

 

 ソリュシャンはヘロヘロ自身が性格設定を施した。対してシズは他人が設定した。どういう反応を返すのか、全く分からない。

 各NPCはギルドメンバーがそれぞれ担当しているので、ギルドマスター以外のギルドメンバーが全てを把握していることは――ありえないとは言わないが、知りえていない場合が多い。

 

(シズは生物のモンスターではないけど、ちゃんと自発的に動いている。……やはり彼女も何らかの内面的な感情とか備わっているのか?)

 

 種族的にあり得るのか、とヘロヘロは疑問に思う。

 性格は知りえないが、大体の種族や簡易な状態は話しで聞いている。

 一般メイドの行動データを構築した関係上、メンバーにも秘密にされているNPCは殆ど居ないといっていい。

 知らないのは細かなステータスなどの部分であり、大枠の種族などは共有されている。

 

「いきなり裸になれとは言わないが……。腕まくりしてくれないか?」

 

 シズのメイド服は頭以外は肌の露出が無い。

 一般メイドも長いスカートを履いているけれど、シズほどではない。

 彼女のスカートは膝辺りまでの長さがあり、鋼鉄を思わせる金属製のスカートが背面を覆っている。ただし、前面部は解放され、布地の黒いスカートが覗いていた。

 

「……セクハラ?」

 

 椅子に座ったシズの太腿は迷彩柄の布地で隠されており、ロングブーツも武骨な白銀の金属製だった。

 そこに人間型のヘロヘロが視線を向けていると気づいたシズが自信を抱くように警戒の態勢を取る。

 

「上位存在の頼みは聞けないのか?」

 

 疑問を疑問で返す。

 威圧する意図は無く、言葉は至極穏やかさを意識した。

 

「そもそもシズは人間ではないから恥じらいとは無縁だと思ってたよ」

「……乙女なので……、異形種でも恥ずかしいと……思ってはいけませんか?」

 

 乙女というよりは、と内心で苦笑しつつヘロヘロは感心する。

 既に何度か見てきたNPC達の動きは本当に意志ある生物を思わせる。

 一定間隔で決まった行動しか出来ない雑なゲームキャラクターとはまるで違う。

 細かな反応に適切な対応を見せ、どれ一つとっても同じだと思わせない高等さがあった。

 

「……ですが、至高の御方のご命令とあれば……」

(……絶対服従というわけでもなく、自分の気持ちというか意見を言うところは不思議だ。シズにも内面があり、様々な感情を持っているというのか?)

 

 各NPCには個性があり、それら全てをヘロヘロがプログラムしたわけではない。

 ――大半は関わったけれど、だからといって自由自在に操れる事にはならない。

 

「……俺の感覚では言葉一つ与えたら、何の疑問も抱かずに行動すると思っていたんだけど……」

「……命令に即座に従わない私は……不敬?」

「傲慢な支配者であれば不敬罪だ」

 

 そう言うと椅子から立ち上がり、片膝をつく姿勢を取るシズ。

 目上の存在に対し、戦闘メイドである自分の対応が間違っていたと言っているようだった。

 急な対応変化に驚きつつ椅子に座るように命令する。

 自由な思考ができるといっても主従関係まで無視する気は無いらしい。いや、ヘロヘロ自身、もう少し厳しい上司であればNPC達は砕けた言い方だの自分の意見などを言ったりしないのかもしれない。

 細かい部分に対し、個人コンソールもギルド全体を把握する『マスター・ソース』も無い今は想像でしか判断できない。

 

「お前たちにとって俺はどういう存在なんだ? ……今更なようだけど……。……忌憚のない意見を述べよ……、か?」

 

 NPCは対話で成長するようなシステムは備わっていない。そもそも話す必要がない。

 単なるゲーム内に存在するNPCであり――ただの人形の如きNPC――

 

「……おそれながら……。……ヘロヘロ様は我らNPCにとっての上位存在……。……適切な言葉は分からないけれど……、創造主……神……」

 

 たどたどしい言葉使いでシズは答えた。

 自分の言葉が正しいのか迷っている風にヘロヘロには見えた。

 そもそもシズは()()()()()()ことがあるのか疑問である。

 

          

 

 NPCにとっての創造主という意見について、それはあながち間違っていない。

 神という高尚な存在かと言われるとこそばゆいのだが、とヘロヘロは照れた。しかし、武骨な装備で身を固めた今、その表情は(うかが)い知れない。――粘体(スライム)形態であっても同様なのだが――

 ヘロヘロの立場からすれば被造物たるNPCが自由気ままに動き出したこと自体に驚きを禁じ得ない。そんな彼らに神様扱いされたのがごく最近である。

 それ以前は物言わぬ人形でしかなかったのに――

 

(……声として聞かされると恥ずかしいな)

 

 創造主であり、神の如きヘロヘロとしての気持ちはごく単純なものだった。

 大層な存在だと思われているが自分としては単なる平民風情――底辺で今も馬車馬(ばしゃうま)の如く命をすり減らす労働者だと思っている。

 たかが数日で随分と出世したものだと呆れるほど。

 

「ならば……。神様の為に命令を聞いてくれると嬉しいな」

「……私の創造主『ガーネット』博士のご命令ならば……。……ヘロヘロ様は至高の御方だとしても……。……不敬だとしても……、実行に移すのは難しい」

(……ガーネットさん。余計なプロテクトをかけやがったな。……まさか自爆機構でも取り付けたのか? それなら頑なな部分も理解できるけど……)

 

 戦闘メイドは単なる置き人形ではない。きちんとステータス配分されたNPCである。

 敵対プレイヤーに対し、黙って見過ごすことはない。

 ヘロヘロは行動は設定したが、その他の部分には殆ど関わっていない。だから知らない事が多い。

 

「……だけど、セクハラに抵触しない範囲なら……」

(……ソリュシャンはセクハラどころじゃなかったけれど頑なな拒否はされなかったよ。これは彼女に施されたフレーバーテキストの影響かな? ……個性は大事だもんね。……クソっ)

 

 ヘロヘロが一人で納得している間、シズは厚手の手袋を外し、腕まくりを始めた。

 姿形の基本は人間である。これはソリュシャンも同様――ここには居ない戦闘メイド達も基本形は人間を模している――である。

 それゆえに疑問を覚える。

 デフォルトの姿であれば種族本来の姿が分かる。しかし、外見データによって覆い隠されてしまって、見た目で判断できないものと化した。

 しかも、それは単なるデータではなく肉体として定着している。

 裸体そのものをゲーム上に再現できない『ユグドラシル』なのだから腕まくりをすれば透明化する筈だ。それなのに色白の肉体が現れる。――褐色肌がデフォルトなら、そうなる筈だ。

 奇麗な手が現れた後、今度はロングブーツを脱ぎだした。

 慌てて止めるのがお約束(テンプレート)だが、ヘロヘロは止めなかった。折角見せてくれるものを止める理由がどこにある、と気持ち的にも興味が(まさ)っており、意外と積極的になっている自分に驚く。

 先の戦闘でも初めて出会う大きな蟲型モンスターに対し、恐れを抱かなかった。

 ゲームの中のモンスターであればおかしなことは無い。しかし、ここは全くの未知なる世界だ。本物かもしれない、という確証が無いと証明することが出来ない。

 感じ方といえば――ゲームだから平気で、そうでなかった事実に直面すれば驚いたり慌てたりする可能性も無いわけではない。

 

(……だが、実際にどうなんだろうなー。感触は本物っぽい。……そう思い込まされているだけで……。自分の認識がゲームに最適化されている場合、それを否定することなんか出来るのか? ……出来るとすれば思考伝達の超加速化くらいしか浮かばない)

 

 量子論や量子力学という()()()()を引き合いに出せるほど博学ではないヘロヘロにも知識の限界はある。

 そうだとしても――仮想現実と現実空間の二つの肉体を合一には出来ないし、してはならない。

 一般的に仮想的な肉体を失えば元の身体に戻れる。その不可逆はありえない。

 この理屈で言えば今も存在しているゲームのアバターたるヘロヘロはどういう存在なのか。

 思考伝達の超加速化を肯定すれば現実の肉体が仮に死んでいる場合、時間差によってこの世界に存在するヘロヘロもいずれは消滅するおそれがある。

 程度に()るが最長で一年ほど。一般論として言われているが、全て推論に過ぎない。

 仮想空間から現実の人間を殺す方法があるのか、と言われれば――ある、と言える。それはオンラインゲームが出来る前から長く議論されてきた問題だ。

 娯楽の少ないヘロヘロの世界において危険を気にしてはやってられない、という意識が蔓延している。

 

 それ(ゲーム)が危険だと分かっていても人は娯楽を求める。

 

 脳内に専用のナノマシンを注入することで仮想空間内にアクセスできる仕組みとなっている。ゆえに何らかの方法で端末などに介入すれば理論的には殺人も不可能ではない。

 実際、それら危険な要素を防ぐツールも数多(あまた)開発されてきた。

 

(電脳法によれば何らかのストッパーが機能するはずなんだけど……。それすらも凌駕する事態が起きたとか? ……全く、底辺の人間の人権は尊重されないものらしいな)

 

 もちろん、想定が事実であれば、だ。

 別の可能性も無いわけではないけれど、それはそれで電脳空間に閉じ込められた意識体であるヘロヘロは戻るべき身体を失った状態で苦しみ続けることになる。

 つまり『今』ここに居るヘロヘロだ。

 

(……本体が無事ならいいか。……っていう楽天的な考えはきっと一時的だ。思考している自分もまた生命体のように振舞っているから……。生存本能によって帰還を望むようにか、この世界で長く生きることを選ぶ……なんて事になっていくんだろうなー)

 

 そんな無駄なことを考えている間、シズは靴を脱ぎ終わった。

 現れた足はデザイン的に人間とほぼ変わらない。

 形がよく奇麗である。それが素直な感想だ。

 全員を見比べる気は無いが画一的だと逆に面白みがない。ペストーニャのような犬の頭部が逆に蠱惑的に見えるのではないかと――

 

「……機械的なものではないんだな」

 

 関節部分が機械的になっていないのが少し残念だと思う程度。

 しかし、表面的に人間でも中身はどうなのか――

 切り開いてみるわけにはいかないが、その辺りを当人達は把握しているのか。

 

(……各キャラクターはゲームの仕様によって用意されたもの。ゲームの中では気にしなかった部類が気になるのは……、何故なのか。命令に従順だから、が今の最適解……)

 

 実際に全裸になったり、腕まくりをしてくれた。

 そういう(疚しい)命令を組み込んだ覚えは――もちろん――無い。

 

          

 

 シズに靴を履くように言いつける。するとすぐに実行に移す。

 具体的には靴を持って足を入れる。ただそれだけ。一見すると()()()()()()()()()()見えない。

 プレイヤーであれば面倒な作業は全てボタン一つ押すだけで済む。そもそもゲームのシステムで出来るようになっている。

 やはり本来のゲーム仕様とは何かが違う。いや、そう思い込んでいるだけかもしれない。

 

「……命令で……、自分の腕を切断できる?」

 

 と、何気なく物騒な言葉を吐く。

 ロングブーツを履き終わったシズは外見からでもわかる不機嫌な表情を見せた。

 

「……必要であるとご判断されたのであれば……」

 

 嫌そうに言うが――やはり最上位の存在からの命令には従う気持ちがあるらしい。

 本当は嫌だけど、という本音が覗く分、機械的ではないと思わせる。

 ――では、命令だ――と言ったらどうなるのか興味はあるが言わない事にした。それは単に引け目を感じたから。そうでなければ興味が(まさ)り、とことんまで突き詰めようとする。

 

「シズは色々と個性を貰っているようだ。……それはそれで興味深いな」

「……はい」

 

 素直な彼女の様子を見ていると頭を撫でたくなる。

 身長こそ小柄ではあるが子供という呼ぶには低くない。

 幼さの残る風貌は実に愛層の子供――

 

(そういう風貌だからこそ沈着冷静な行動が出来る。といってもシズの活躍はほとんど知らないけれど……。武器の種類から言って感情豊富なキャラクターには不向きだよねー)

 

 物騒以外の話題としてパーソナルデータの開示を求めてみた。

 事細かなところまでではなく、大雑把な範囲で、と付け加えた。

 

「……名前から、ですか?」

「種族と職業(クラス)。後は俺の言うことを聞くかどうか。こんなことは聞かれたくない、または命令されるとコ困る大雑把な内容とか。……極秘事項は除く」

「……それはパワハラ……」

「ハラスメント上等」

 

 そう元気よくヘロヘロが言うとシズは唸った。

 微妙な人間臭さに実に可愛いものだ、と装備の中で笑う黒い粘体(スライム)

 

*1
詳細は『ギルガメッシュ』を参照。

*2
または『特技(フィート)』とも呼ばれる。

*3
インフレーション。

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