社畜人生にお別れを 作:ブルー・プラネット
一歩進む
ヘロヘロが考え事をしている間、――
それぞれの特殊な攻撃も巧みに
身体の硬そうな相手に対しては的確に関節部分を狙う。
彼女の攻撃スタイルは元々の創造者である『ガーネット』が設定したものだ。ヘロヘロは彼から提示された要望に応えただけで実戦の様子については詳しくない。
(自己判断できるところを目の当たりにすると……、本当に
通常であれば適時必要な命令を与えなければ満足に行動しない。しかも特定の
忘れたからといって曖昧な言葉や動作を示しても無駄。それが一般的だった。
今は自己判断し、学習して行動を修正している。
中身のあるプレイヤーに匹敵する行動はいずれ自分達を超えて牙を剥く可能性に繋がる。そしてそれは恐れの原因になりうる。
(……という危惧を抱くのが一般的だ。であれば……、一つずつ確認していくのが
「……そこまで動けるのであれば俺は必要ないな」
ヘロヘロの言葉にモンスターを解体していたシズは顔だけ主に向けた後、首を傾げた。
必要ない、という言葉の意味が理解できない、という風に――
「……ヘロヘロ様? ……今のお言葉が理解出来ません」
「
(……俺って意地悪~。だが、許せ。これも確認のためだ)
そもそもNPCに遠慮する必要は無い。――そうだと頭では分かっているがついつい敬語で対応してしまいそうになる。
言葉の使い方が実に自然なので。
「命令が無くとも自主的に動けているじゃないか。得体の知れないモンスターの命令を聞く必要は無いだろう、という意味で言ったんだが……」
足元に控えている
シズだけ特別扱いする気は無く、ソリュシャンであっても同じことを言っただろう、と。
(手に持つ武器をどうする? 納めるか? それとも……、向かってくるのか?)
この為に粗末な武器を持たせたわけではない。これれは本当に
仮に武器を振るわれたとしても脅威を感じるほどではないけれど、敵対行動に取られたまま疾走されるのは勘弁願いたいところ。
この判断は中々に難しい。
シズは機械的な種族『
見た目には人間の少女と遜色ない姿だが――
しかしながら行動や言葉からはとても機械だとは思えないほど生物的な反応を示す。動きもぎこちない機械特有の不自然さは無く、流動的で生物的だ。
そんな彼女の思考はゲーム上の仕様の為か、本来の機械的な思考とは違う反応を示していた。
その一つが疑問を覚えること。
正しい機械のありようはヘロヘロにも実感として理解できているわけではないけれど、疑問を抱くことは間違いで、プログラムに無いものは『出来ない』か『エラー』だ。
曖昧な『分からない』とは答えない。
(……ヘロヘロ様を必要としなくていい? ……どうしてそんなことになるの?)
シズの脳内では様々な疑問が浮かんでいた。
ゲーム時代であれば決して疑問を抱くことが無かったシズは転移によって生物的な思考を得たように考える。これは与えられた能力というよりは不可思議な現象によって
(……自主的な行動が
つまり今の自分はヘロヘロが想定している動きではない。それゆえに命令から外れた存在だから危ない。だから――そんな危険な要素を排除する為に切り離したい。
遠回しにシズは危険な存在となったので自由を与え、それによって敵対すれば危惧が正しいことが証明される、ことになる。
(!? ……ヘロヘロ様は私……、いや、被造物たるNPCを危惧している……)
自分の思い通りの行動を取らないNPCを危険視する事は正しい。それはシズとてそう思うし、それに対して疑問も抱かない。
だからこそ、それゆえに――
シズは自然と身体を震わせる。そして、手に持っていた短剣を取り落とす。
自分は今、ヘロヘロに危険視されている。そんなつもりはないと言い訳することも今は出来ない。
至高の御方の為だけに行動し、盾となって死ぬことだ。そこに疑惑や疑念は介在しないし、あってはならない。
ヘロヘロから一定距離を取ってシズは平伏する。今、彼の近くに寄ることは余計に疑われると判断したからだ。それと地面が多少ぬかるんでいたがレインコートを着ていたお陰か、それともそれがあっても構わないと判断したのか――べちゃ、という小さな音が洞窟内で鳴った。これはシズの額から顔面部にかけて濡れた為に起きた。
「……被造物たる身分を超えた事をお許し願います……」
突然の平伏にヘロヘロは驚いた。
敵対か逃亡しか考えていなかったので意外な行動に戸惑った。
それから数秒も経たない内に冷静な判断が戻り、シズの行動は敵対ではないと思えてきた。
少なくともNPCは一人で活動する目的を持っていない。それは自分も同様であるので
「……なんだ、折角の自由を手放すのか?」
「……自由など……欲しくはありません」
(えっ? 欲しくないの? 俺だったら……自由が手に入ったら満喫しようとか思うけど……)
後先考えていないヘロヘロは簡単に思った。しかし、それも時間が経てば手放しで喜べない事だと理解する。
シズとは違い、理解に時間がかかるヘロヘロとしては急にあれこれと対応できない。
「……戦闘メイドは至高の御方の為にこそ……。……その存在意義をお疑いならば……」
そう言いながら護身用として所有している自分専用の武器を差し出した。
この行動の意味するところを理解できないヘロヘロではなかったけれど、実際に見る事になると無い内臓に大きなダメージを受けたような気分になった。
(もしかしなくても自害用だよな……。選択を間違ったらシズが死ぬな、確実に……。……俺にそのつもりがなくてもシズ達はきっと勝手に判断を下してしまう)
拠点に戻った後でソリュシャンがこっそり――なんていう事態も起こりうる。
忠誠度が
ヘロヘロはため息をつく。それは失望ではあるけれど、対象は自分だ。
「もう一度聞くぞ。自由は要らないのか?」
「……要らない。……欲しくない、です……」
顔を伏せたままいつもの抑揚の無い声で呟く。そうしている間に――レインコート部分は濡れるだけで中身は無事だった。しかし、膝と
元々叫ぶキャラクターではないので仕方がない、と思わないでもない。そうしたのは発注に応えた自分だから。
平伏しているシズの頭を踏みつける、という映像が頭――というか仮想的な脳内――に浮かんだ。
部下に対して大柄な態度をとる人間は正しくブラック企業の重役。それに今、自分はなっている。
様々な葛藤がすぐさま浮かんだが現時点でシズの言葉に激高する理由は浮かばない。というか浮かんだら本当にブラックな人間として確定してしまう。
例え単なるNPCだとしても友人――仲間――が製作したNPCだ。それをわざわざ無下にするほど人間をやめてはいないと自負している。
だが、現実はどうだろうか。自分は調子に乗ってはいないだろうか。それか、NPC達の態度がいやに奴隷的で戸惑っている、とも言えはしないか、と。
普段の自分は平伏する仲間を目の前にしたりしなかったので、こういう場合の解決方法が浮かばない。――むしろ普段は逆の立場が多い。
だが、変に妥協してなれ合いばかりでは後々侮られてしまう、かもしれない。その気持ちが残っている限りNPCに真に気を許すことは無い。――たぶん。
(平伏する女の子を前にしても自分の気持ちに焦りは
そして、未知の生物との邂逅と損壊した死体を前にしても嘔吐感が湧かない。
絶対に気持ち悪いと認識して吐く自信があるにもかかわらず、だ。それに疑問を覚えないわけではない。明らかな異常だ。だからこそアバターに疑念を持つ。
(仮定の話しばかりしていても虚しいだけだ。それでもやはり気になることがあるのは好奇心ゆえか……。……喋り方までおかしくなってきたな……。まるでいけ好かない王様気分の偉そうな人間みたいだ)
実際、至高の御方という偉そうな身分として慕われているのだから否定しようがない。
こそばゆい名称も今更変更できないまでに浸透しているようだし。
事実、NPC達からすれば創造主なのは間違いない。それがそもそも間違いの元だとヘロヘロは思う。
(主人公特性のかけらもない黒くて汚い
というのを声に出せない
シズに対して怒りではなく、申し訳ない気持ちしかわかない。
それでも今の彼女にかけられる言葉をすぐに見つけられるほど器用でもないのがもどかしい。
(上司と部下の関係で言えば俺なら……、顔を上げてください、で済む。しかし、現実はそうではない。自由を得たのに社畜になりたいなどとはどういう了見だ、と激高するのが正しい現代社会。実に恐ろしい世の中ではないか)
奴隷禁止法を知らんのかね、とか。そもそも電脳法と風営法があってですね、とか。
様々な言い訳が現れては消えていく。
仲間が居ないと言葉一つ探すのも苦労する。そして、その苦悩は何故か、霧散する。
時間差があるのか、気持ち的に落ち着く様子に疑問を覚えた。
(……これはアバターというか……、種族の特性であるところの精神作用に対する完全耐性って奴か? 過度な感情の起伏を抑制しているっていう作用なら……よく分からないな……)
人間的な判断で行動しているヘロヘロが外部から精神攻撃を受けた場合、魔法などの概念が元々ない場合は洗脳などを受ける。しかし、ゲーム的に対策を施すと洗脳などを受けても即座に無効化する。
それが転移した世界でも有用であることは中々に証明し難いし、分かりにくい。
(既にアバターで活動しているから色々とおかしな仕様があることは覚悟していたが……、さすがは異世界。その言葉一つだけで不可能を可能たらしめるか……。もう、なんだそりゃ、だ)
転移前なら社畜でも構わなかったかもしれない。だがここはユグドラシルではない。
NPC達にも新たな目的とか芽生えても不思議ではないし、ヘロヘロに従う理由は本来なら無い筈だ。束縛系の命令を施しているわけではないので。
従わなければ死ぬ命令を受けていると思い込んでいる場合ならば平伏の理由も理解できる。
「……命令を拒絶すると自動的に死ぬと思い込んでいるのか?」
「……自身の命など関係ありません」
「はっ?」
束縛系を恐れるのであればまだ理解できる。そうでない場合は――平伏する理由は無い、筈だ。
今なら敵対することも出来る。油断を誘って逃亡を図ることも可能だ。もし、そのような事態になった場合は追わない事にしている。
ヘロヘロとしては単に面倒な事態は減ってくれればいい、という単純な考えだった。可愛い女の子に逃げられるのは気持ち的に痛いけれど。無理に追うのはストーカーじみて気持ち悪い。かえって私怨による復讐だの逆襲だのに見舞われる方が厄介だ。
「……御身に仕える事こそ……私達の幸せ……」
「馬鹿を言うな」
呆れた口調でヘロヘロは言った。
隷属を良しとするなど、と苛立ちを覚える。しかし、それは自分の気持ちから出た感情とは違う気がした。だからこそ驚いた。
シズが幸せを感じたなら否定を言う前に感心からだろう、と。
「ただの黒い
出来るだけ素の自分の喋り方を意識して尋ね返した。
何だか上司っぽい喋り方を強制されているような気がする。――アバターに。
まさかアバターがプレイヤーを洗脳でもしてきたか、と危惧した。しかし、種族の特性が生きているなら、それこそ即座に抑制されるべきものだ。
「……ヘロヘロ様を侮辱する気持ちなど……、滅相もありません」
(……えー。マジで? 俺が可愛い女の子の立場なら一目散で逃げるけど……。コールタールが近づいている~とか叫んで。……タブラさんの所有するホラー映画にそんな内容のがあったような……。映画というかドラマシリーズの一つだったかな?)
無理にタイトルを負いも出したいとは思わなかったので早々に脳内から叩き出した。
NPCとしての立場は理解できる。だが、それはあくまでユグドラシル内に限っての事だ。あと、ずっと平伏したまま彼女の意見を聞き続けるのも精神的に痛い。まるで持続ダメージのようだ。
いくら抑制されるとしても延々とこのやりとりをしているわけにはいかない。拠点で待つソリュシャンやメイド達が待っているのだから。あと、ペストーニャと話しをするのを忘れていた。大した内容じゃないけれど、一応彼女も居るので。
レインコートに覆われている髪の毛は地面に接触している場所から程よく泥水を――毛細管現象の如く――吸い上げて変色させていた。それと傍にモンスターの死体があるので体液なども混じっているかもしれない。それと平伏によって接触しているであろう前髪からも泥水を吸い上げている可能性が高い、とヘロヘロは視覚的な感覚で捉えつつ思った。
いつまでも平伏させているのは不味い。特に絵的に――
「自由を拒否すると俺がお前達の面倒を見なければならなくなるじゃないか。……保護者的に……。それでも俺の側がいいのか?」
NPC側からすれば邪魔だと宣告されたも同然の言葉だ。それを受けてシズは言葉に詰まる。
至高の御方が困っている。そして、それを解決するには自分達が邪魔である、と言われているのだから。
「ガーネットさんが居ればシズは少なくとも困らない。他の者もそうだな。これは今解決すべき問題ではない……、将来的な話しだ。お前達NPCは本当に自由が欲しくないのか……、と問う日はそう遠くない問題だ」
「………」
「命令は任意だ。義務ではない。……その事実を知って
掛け値なしで真実を突き付ける。
ヘロヘロには『事なかれ主義』の気持ちはギルドマスターよりも少ない。単に重役に就いていなかったので部下の気持ちに比重が傾いているだけだ。
(反乱を恐れるのはモモンガさんでも同じだと思うけれど……。ここは勝負に出させてもらう)
自分は拳で敵を打倒する
対等な存在として相対する。それこそが彼女の気持ちに応える正しい在り方だとヘロヘロは思った。そこに疑いは介在しない。というよりは介在してほしくないと強く願った。
「……我らの存在目的は至高の御方の役に立つ為だけのもの……。……それ以外の幸せなど考えられません。……個人の自我をお気にされるのであれば……、この頭蓋をお捨て頂いても構いません」
(頭を捨てたらただのゴミじゃんかよ。……そういうことだとソリュシャンは装備品以外に捨てられそうにないんだが……)
ただ、そんな事を思ったからとて実行に移す気は無い。
これもまた興味の内だ。
「そうだな……。お前達が身に着けた自我はとても気になる。……俺の知らない行動を取るNPCがとても怖い。何をされるのかとても……。そんな気持ちにさせているのに俺がお前達を必要とする理由が見つかると思うのか?」
「!?」
頭脳明晰たる機械の申し子『
適切な答えを言ってみろ、とヘロヘロからの挑戦状だ。これに満足に答えられなければ彼はずっとNPCに対して疑いの疑念を抱いたままになる。それくらいの事は瞬時に理解した。
だが、自分が望む答えを至高の存在に退治できるかと問われれば難しい、または無理だと言う自信があった。
「……信頼に足る証し……」
(……ヘロヘロ様に提示できるのは自らの自害のみ。……それ以外での
(かなり意地悪な言葉だ。それをシズはどう切り返すのかな。少し突っ込みすぎか? いや、この程度はまだ序の口……。彼らとは長い付き合いになる筈だ。……今の内にたくさん悩んでいこうよ)
もし、人間であれば口元を緩める仕草を見せているところ。
ヘロヘロとしては
曖昧にぼかしていたら後々大きな失態に繋がる。特に自分に対して――
こういう事は序盤でしないのが『お約束』というもの。しかし、そんな事を理解しているからこそ
ギルドメンバーとNPCは対等ではない。
そして、ならないからこそNPCは己の尊厳を得るために創造者に歯向かうのだ。
――というのが通常の――
(……実際に歯向かってこられても困るけれど。ルベドみたいな分かりやすいタイプであれば良かったのに、と思うことはあるよ。……あと、ガーネットさん。マジ、ごめん。シズを泣かしたかも)
いくら他人のNPCだとしても。友人の創造物たるシズを無下にしたいわけではない。そこはかとなく気にしているところだ。
ヘロヘロに信頼される方法はおそらく無い。何度目かの試行錯誤を
そもそもNPC如きが至高の御方の信頼を獲得できるものか、と。
一方的な搾取こそあれ、対等など
(……それでも信頼してもらわなければ……。
武器を受け取った時点で手遅れである。その解答が浮かんだ時点でシズは思考を放棄しようかと考えた。
どんな言い訳も今は疑心暗鬼の種にしかならない。むしろ物言わぬ――本当の人形であれば良かったのに、と。
自我という余計な概念が付随してしまった事で至高の御方は非常に迷惑を
NPCの役目はかの者達に安らぎ、または幸せを感じてもらうことだ。決して迷惑を感じてもらうためではない。
様々な葛藤がシズの中で渦巻いていく。
(……さて、数分ほど経過した。
ヘロヘロは静かになったシズに警戒しつつ反撃に備えて一歩だけ下がった。
顔を上げていないからとて音で認識されてしまうと意味がないし、それによって一層の警戒を与えてしまうおそれも覚悟した。
「………。……我々を……捨てないでください……」
悲痛なシズの嘆願。いつも以上に小さな声だったがヘロヘロの聴覚には届いている。
感覚器官が通常の人間種より優れていたお陰か、消え入りそうなシズの言葉でも
「お前達を必要とするかは……確かに俺が決める事だ」
至高の御方の鶴の一声。ただ一言を告げるだけでNPCの命運はいとも簡単に決してしまう。
それも踏まえてヘロヘロは問いかけ続けなければならなかった。この先の冒険においてNPC達と共に歩むために。
俺の為に死ぬ覚悟はあるのか。
そう言ったならば『ある』と答える筈だ。それでは意味がない。何故なら、
自分でもそう思うのだから実に嫌らしい結論と言える。
(他の言葉ならいいのか、という問題が浮上する)
何を言おうがNPCである限り満足することは無い。であれば自害一択だ。
それを否定したい気持ちがヘロヘロにはあった。
実に矛盾した難題だと自分でも思った。
(だが、それこそが俺に必要な命題だ、と思う。彼らの真意はおそらく『何も無い』かもしれない)
そもそも転移して自我が芽生えたばかりの彼らに
当たり前の疑問。疑念に疑惑――その全てはまだまだ未知に囲われている。
その上での意地悪な問答だ。真っ当な精神を持っているならば、いい加減に得体の知れない
(……ここまで追いつめて何も解答を得られないのであれば……、ただの
その
いや、どこかで
今のシズは実に生物的であり人間的だ。種族の枠組みからは疑問を覚える。
それとも至高の御方の前だからこその反応なのか、と。
(……雰囲気的にはここらで甘い言葉をかけるところ……。だが、もう一押しかな……)
普段の自分であれば可愛い女の子を追い詰めて楽しむような事はしない。だが、アバターである『
本来の性格とは裏腹に行動は頗る邪悪そのもの。それは本人の意思なのか、それとも――
「邪魔な付属物をたくさん連れ歩く労力は甚大だ。それでもお前達を必要とする理由が俺にあると思うのか?」
「!?」
「……そもそもNPCは単なるダンジョンギミックの一つに過ぎない。戦闘メイドの本分は第十階層まで侵入してきた敵の迎撃だ。それ以外でお前達を必要とする理由が本当にあると思うのか?」
これがまだナザリック地下大墳墓の中であれば必要だと言えた。しかしここは既に外だ。見知らぬ世界だ。守るべき場所ではない。
――拠点防衛は横に置いた。
それを踏まえても大勢のNPCをヘロヘロ一人で引き連れなければならない理由は厳密には無い。
彼らは単なる金魚の
(天然の金魚はとっくに絶滅しているけど。格言などは今も残っている)
厳しい言葉を投げつけてみたもののシズ達を放免したところで報復のおそれが消えるわけではない。むしろ手元に置いて監視するのが正しい――そうなると面倒ごとも付随して大変な生活が始まる。――いや、既に継続中だった。
そもそも俺は大層な人間じゃない。だから至高の御方とか言われても困る。――というやりとりをモモンガも受けている最中だと思うと仲間が不在である今、実に内臓に悪い現場だなと思った。そのモモンガが自分と同じ境遇であるとは限らないけれど――
もし――同じような境遇であれば、それはそれで仲間意識が芽生えるというもの。
それを何故、NPC達に適応出来ないのか、ともう一人の自分が
(そのNPCを仲間だと思うことが難しいんだよ、腐れ
真剣なやり取りをしているシズとは裏腹にヘロヘロの内面は実に幼稚であった。
精神面が異常に強化されているからこそ出来る芸当だ。そうでなければ平伏しているシズ――または女の子――に対していつまでも放置などしていられるわけがない。本来のヘロヘロとしての性格であれば――
思考を高速で
発した言葉を除けば一連のやり取りは三〇分ほど。その間、新たな脅威たるモンスターの出現に備える事も
ヘロヘロはそろそろ切り上げ時を狙っていた。
「不要ありきでは結論を出すのは難しいか……」
(……だよねー。俺でも無理だと思うもん)
それでも問いかけないわけにはいかない。今後の為なのだから、と言い訳をする黒い
自分の想定する解答というか望ましいものは決まっていない。ただひたすらに追い込んでいるだけなのが辛い処だ。そうでもしない限り、定型文的な解答ばかり出されてしまうし、気が付いた時に手遅れになるのも嫌だった。
(何が正しい解答かなんて……、分かるわけがない。でも、そこは機械人間たる
そうしないといつまでも平伏したままだ。引き際を見失っている場合は放置して撤退することもありえる。
それはそれで立派な苛めだ。出来れば――ヘロヘロとしては――それは避けたいところであった。
(本来の役割から外れてしまった戦闘メイド……。いや、NPC達に俺に必要とされる理由なんて浮かぶわけがない。出来ない事をしろ、とは正に傲慢なブラック上司。俺、凄い偉い……、偉そうな無能上司。オッケー? そんな奴が上司なら俺なら即殺したいと思うね。……でも辞表を書くとなると今後の生活を気にして泣き寝入りに突入だっぜ、イェー)
謎のテンションがヘロヘロの中で渦巻いているとは露知らず、シズは懸命に解答を模索し続けていた。こちらは至って真面目であった。
既に脳内では役に立たない自分は廃棄と自害の二択しか出ていない。それは出来れば選びたくないと思うのは至高の御方にどうしても見捨てられたくない願望――またはNPCの欲望――であった。
命令があれば自害も
至高の存在に
(はっきり要らないと宣言したとしても……、捨てないでと言い張るNPCであれば……。延々と同じ問答の繰り返しになる。……俺の気持ちとしてはどうなんだ? シズ達は不要か? 俺が答えを出すのは卑怯だと思うのだが……)
はっきりとやっぱり要ります、と答えてしまえば無駄な議論でNPC達を困惑させただけになってしまう。それはそれで面白くない。
彼らの苦悩を楽しみにしてはいけないのだけれど――
質問する機会を有効利用しない手はない。だからこそ――自分はかなり調子に乗っていると自覚できる。
このお調子者に従う理由は無くなった、とヘロヘロ自ら結論を導き出す。それでも尚こんなアホな
程よく泥水に浸かったシズ・デルタを
不思議と彼女を助けたいと思わない。いや、思う心はあるのだがどうにも精神が上手く作用しない。追い詰める事がとても楽しくてたまらない、というように。
おかしいとは思っている。
助け舟を出す気持ちがこんなにもあるというのに、という内なる言葉が今にも漏れ出そうになっている。だが、どうしても出ない。
こんな
――客観的な意見として浮かんでいる邪悪な部分――
それを自覚して尚シズに暖かな声をかける事が出来ない。それは
(……普段の日常生活における鬱憤の表面化かな? 確かに愉悦ではある。だが、同時に面白くないと訴える優しい俺が居る。早くシズをなんとかしろ。泥だらけじゃないかと……。それと同時にもっと苦しめクズ鉄の分際で、とか出るし……。何なんだ、全く……)
文字として出るわけではない謎の苛立ち。それはアバターの性質の顕在化なのか、と疑問を覚える。
それに打ち勝てなければNPCどころではなく、自分の自我を失ってしまうのではないか。
そう思うととても恐ろしいが数秒も経たずに平気な気持ちになる。
(……なるほど。これはアレだな。悪循環……。悪い方、悪い方へと事態が突き進むヤベー奴だ)
明確に自覚出来ているかと言われると自信がないが予感はする。
自他ともに認めるのんびり屋の社畜人間だと思っていたのに、案外邪悪な本性が隠れていた。それは滑稽であり、底辺を生きる者の宿命のようなものだと思えば納得もする。
だか、だとしてもシズを苛めて楽しむ理由は自分には無い、筈だ。それがデータで出来たNPCだとしても。
「……今から必要、不必要を議論しても仕方がないか……」
(序盤で
そうする為にはシズに適切な解答を述べてもらうか、未知のイベントが発生してくれるか――
またはこの場でシズを始末するか、だ。
(全く邪魔以外の何物でもないNPCの面倒を何で俺が見なければ……。……それはね、うんこ
天空より降り立つ神々しいヘロヘロ様のご降臨だ、と言わんばかりの自信が内に湧き出る。――なんてことがあるわけもなく、単なる自演だと自覚している。
一向に進まないのであれば自分で切り開くしかない。他人の手を借りるのに時間をかけていては時間の無駄だ。
時間で動いていたヘロヘロにとって休暇もまた貴重な時間消費の一つだ。大事に使いたいと思う心がある。
地べたに額を――少し埋まり気味だった――付ける小汚い
(……あれ? シズはどうして
泥水に浸かれば汚れるのは当たり前。誰もが思う。
だが、ヘロヘロからすればおかしなことに映る。
ナザリックに所属するNPC――ヘロヘロ達が自ら創造した者に限られる――の大半は『移動や行動に対する阻害』の対策が施されている。
極端な例では落とし穴があっても落ちないなど。
シズの場合は外部からの汚れ――つまり地面のぬかるみに対して――を寄せ付けない、筈だ。
だからこそ年中服を洗わなくて済む、という仕様がある。現実世界の様な
似たようなことは実際にある。例えば猛吹雪の中、平然と歩ける。土砂降りのエリアでも服が塗りたりしない。溶岩地帯においては熱によって装備が腐食、または朽ちるような事がない。
とにかく、彼女達は滅多なことでは汚れない。その前提が崩れていたので気になった次第だ。
(……今はいつものメイド服を外しているからか……。ホワイトブリムさん、メイド服以外にも対策付与していて下さいよ。……いくら魔法で奇麗にできるからといって……)
メイド服は仲間であるホワイトブリムが全て担当している。他の服飾には全く興味を示さないほどの徹底ぶりだ。
ヘロヘロの創造物であるソリュシャンの装備一式も彼が手掛けたものだ。だからこそ今になって『しまった』と思った。
(……盲点だったな。既知となったなら……、改善すればいい。俺は一つの失敗をネチネチと責め続けたりはしない)
既に手遅れなのでシズの格好は一先ず諦める。後で洗えばいいだけだ。問題は現状の復帰、または改善かな、と。
それにはシズよりも至高の御方自身が動かないと駄目かもしれない。
「……全く汚いNPCだ。掃除要員のメイド達が大喜びじゃないか」
とはいえ、魔法で奇麗にする予定なので
いくらシズでも自分の身体くらいは洗える筈だし、格下メイドの世話になるなど自尊心が許すとも思えない。――そんなものがあれば、だが。
「……んー。……俺に至高の御方だとか御大層な役回りは似合わないと思うんだけどな……」
ため息をつき、呆れ、諦めたような様子でヘロヘロは言った。
シズ達がぞ無様な偉そうな存在とやらを演じてみたものの下手過ぎて――自分でも似合わな過ぎてやる気が減退する。
ギルドメンバーが居た頃はNPC達と触れ合う機会は殆どなかったし、と。
「それより、シズ? お前達が思っているほど大した存在ではないヘロヘロ様にいつまで
「……しかし」
もう喋らないのかと危惧したがちゃんと反応を返したので――少しだけ――驚いた。
正直あまりに苛めすぎて返答することも諦めたのか、と。
ヘロヘロ自身も
――もうこの手の問答に時間をかけるべきではない。だが、必要な事でもある。NPCにとってもヘロヘロ自身にとっても。
これから長い付き合いになる上ではっきりさせなければならない問題は後回しにするべきではない。そう判断した。
もし、これが慎重なギルドマスターであったなら様々な要因は殆ど後回しにされているところだ。別にモモンガだけが特別卑屈な性格だとは言わない。
冴えないけれどお人好しで困っている者を見かけたらほっとけない。それなのに都合の悪いことは後回しにして事態を悪化させる。
正に『主人公』的な様相を持つギルドマスター。
もちろん、いざという時は真面目で頭の観点も良くなる時がある。それはいつだって敵と定めたものの迎撃だ。
(チームをまとめる奴がお気楽では話しにならない。まとめ役が居るお陰で俺達は随分と楽をさせてもらっている。……それは分かっているのだが……、時々気を使いすぎるところが気に食わなくなる)
社畜である自分が会社に盾突けないように。
対等だからこそ大きなことが言えない。下等だからこそ大柄な態度が取れる。
そんな奴なんだぜ、俺はとヘロヘロはシズを睥睨しつつ思った。そんな存在に必要と思ってもらおうと真剣にならなくていいんだぞ、と言いたい気持ちは
会社にしがみつく自分を見ているようで情けなくなった。
(……私達は自由を得るまでの間、ヘロヘロ様のお世話がしたいです。世界を調べ終わった
折角自我を得たのだから自由を謳歌する――そういう目的意識を持つのがNPCの本音ではないのかと思っていた。今はまだ表面化していないだけかもしれない。
先程から揺さぶりをかけているものの顕在化までには至っていない気配を感じていた。
端的に言えば――やり過ぎた、気がする。
だが、まだ追い込み足りないと言う自分が居る。それは悪に傾いた自分の意見だと思う。
正しい解答など本当にあるのか疑問だが、お互いが納得するような結論が出せないなら棚上げにすればいいだけだ。それもまた正しい最適解、とも言えなくはない。
「いつまで
「……し、しかし」
顔を上げずに返答するシズ。
その姿も見飽きてきたところだ、と言おうかと思った。
「じゃあ命令だ。……これがソリュシャンでも俺は今のように疑問をぶつけただろう。シズだから特別に、という事は無い。小汚いNPCよ、さっさと立て」
「……りょ、了解しました」
泥水から顔を引き上げる時、様々な擬音が聞こえてきた。
さすがに鼻水は出ていない筈だが涙とか出るのか、別の疑問が出た。しかし、顔を上げたシズの顔は泥水以外の異常は見られない。まして目が充血するという現象も。
顔の上半分が泥。手と下半身も見事にずぶ濡れ。そんな状態で拠点に
命令通りに立ち上がってくれた事に満足したヘロヘロは黙って手持ちの所持品の一つ『
行動阻害が施されていないので景気よく奇麗な水が泥を洗い流していく。表面的なものなのでブーツの中に入った分は魔法で対処することにした。かける水も魔法で出せなくは無いけれど魔法職ではない為、それらは拠点に戻ってからだ。
細かい部分は後回しにしたが、やはり洗い流せない部分――髪の毛に染み込んだもの――は目立つ。ここで自分が
ようはシズの全身にまとわりつかせて汚れを一掃すること。そこまで気を使う必要があるのか、と疑問を覚える。態度の大きい演技をしていた都合もあるので。
(お人好しの母親……。この場合は制作したてのNPCに汚れが無いか確かめる昔の自分達のよう、とも言えるな)
外装デザイン。服飾デザイン。行動プログラム。それぞれ分担して
「……そうそう、おっぱいで忘れていた」
既に予想は出来ているが実践するとなると抵抗がある。そして、例によって思考が脱線した事に対しては無視する。
小さな積み重ねを続けて大きな失敗に備える。それはギルドメンバーに限った話ではなく、常識的な処世術だとヘロヘロは思った。
それとルベドの事で忘れていたがNPC以外の部下について素で記憶から抜け落ちている者達も思い出すことが出来た。
どうやら興味が無い事――または関心の無い事柄――は記憶に留めない要素があるような気がする。
(……覚えたくない事や覚える価値の無いものは確かにある。だが、だからといって無視すると後々に響くのがお約束ではないのか? 記憶力に自信は無いけれど……、報告書の存在は
戻ったらじっくりと自分で書類をまとめようと誓った。
一つ頷くとシズが心配そうに見つめていた。
普段は表情の変化が分からない彼女の仕草も時間の経過と共に分かってきたのは世界に同調してきたから、と言えないだろうか。もし――その仮説が正しければ自分の本来の性質が実は何らかの影響で歪められている事になる。
(人間の……いや、人の意識は簡単に変えられる。それは洗脳とも言えるし、認識の錯誤とも……)
少しずつヘロヘロは自分が元々の自分とは違うものに変質する予感に恐れを抱く。だが、そうであっても異形種の特性が無理矢理に抑制してくる。
後回しにすべきではないのかもしれない。けれどもいつまでも解決しない考察に時間を取ることも出来ない。であれば――
前に進みつつ確認していくほかは無い。
――などと真面目を装いつつシズによからぬ事を抜き込む変態
「……ん」
案の定、ある程度の予備知識を保有していたらしく眉根を寄せる。
様々な雑念が湧いたが至高の御方としての特権を行使する。こういう時は実に都合がよく、ブラック企業の上司の気持ちとはこういうものかと呆れもした。
そりゃあ社員も嫌がるわけだ、と。
(命令内容が実に幼稚だ……。こんな調子で進んでいいものか……。……堅い雰囲気よりはましか? 息抜きが無いと異形種で居る事が辛くなりそうだし……)
無理矢理にでも自分を正当化する。その行為はきっと悪い事だ。
それと洞窟内なので実によく響くだろう、というワクワク感があるのは若さゆえだと思うことにした。
(内なる声に擬音は発生しない。であれば実際の発声ではどうだ? この仮説はある程度証明されているものの……、どストレートな単語であれば何が起きるかわからない)
そして、もし――
制限を解除されたアバターは更なる飛躍が約束されてしまう。それでいいなら早く元の世界に戻すことだ、と
「では、シズ。命令だ。……出来る限り大きな声で……」
言葉を話す以上は避けられない。けれどもゲームの仕様による制限もまた存在する。
折角なので身振りも付けさせた。
ヘロヘロが要望した命令は難しいものではない。けれども正直ある人間にとっては難題になったりする。
もし、何の感情も抱かない種族であれば抵抗を覚えたりしないものだ。少なくともヘロヘロはそう思う。
天に向かって両手を上げるシズ。言いなりになっている部分は滑稽だと他人事のように思ってしまった。多少の罪悪感を覚えつつも従ってくれる彼女に感謝を念を抱く。
「うんこ」
はっきりと発声されたシズの言葉。要望した単語に僅かばかりの恥ずかしさを
仕草に意味は無いが無いものの、女の子の言葉として聞くと実に背徳的だ。それと同時に――感心ばかりしてはいられない。周りの様子を窺いつつ次を命令する。
もし自分なら『もうやめて』と内なる絶叫を上げているところだ。これは立派な罰ゲームだ、と。もちろん、シズに罰を与えるつもりは全くない。後々何らかの
耳で聞く限り異常が無い事を確認した後は思いつくままの単語を言ってもらう。
(……規制に引っかかるような単語ってあまり思いつかないんだよな。言葉の繋がりによる偶然もあるわけだし)
『
ゲームである以上、どうしても言えない単語があり、だからこそ治安が乱れ易くなる。
適度な規制があるから長く運営されてきた。長期的な放任はされなかったのは今から思えば大したものだと言える。
シズにばかり発言させているのは
差別用語から卑猥な言葉。とても女性に聞かせられないものを淡々と――大きな声で言っていく。
アバターであるならばどうしても規制に引っかかる筈の言葉を紡ぐ。
(……羞恥心を気にせず言えるって気持ちが良いな。……シズの視線は痛いが……)
反応から単語の意味を理解しているように思える。流石はNPCだ。その優秀な存在形態に敬意を表したい。というよりどうして理解できるのか疑問にも思った。
尋ねたら素直に答えるのか、それとも恥ずかしがって言わない、ということもありえるのか。
洞窟に『うんこ』や『ヴァギナ』などの声が
大人として恥ずかしい気持ちは無くはない。確認作業だとしても。
頼んだ
これが一般の女の子ならば早口で済ませようとする。けれどもゆっくりと言え、と命令してあるのでシズは本当に万人に聞き取れるように言葉を発した。
結構な数をこなしたものの慣れたのか、最初ほどの羞恥は感じられず、頬の赤さは既に解消していた。
(……
体感的に十分ほどの確認を終え、発した全てに規制の音は被らなかった。残念であると同時に満足もしていた。次は他の女性陣も試したくなるほど――
もし、横にソリュシャンが居ても同じ命令を下した。シズだけ特別扱いする気はヘロヘロには無い。
女性器名称を語尾にして多少の会話を試みさせたのが一番の精神的ダメージだったかもしれないが、後悔はしていない。それを成せる至高の御方は実に偉大だ、と改めて感心した。
拠点に戻った後、シズが――こういう命令を受けたと仲間に告げて
「この実験は極秘扱いとする。……というより仲間に言い触らしたら恥ずかしい事態になる」
「……はい」
「……それはそれとして……。シズとしては……、やっぱり恥ずかしかったか? こういう単語を大きな声で言えっていうのは?」
「……ご命令であれば……恥ずかしいなどと……。……気持ちとしては……、恥ずかしいと思いました」
やはり女の子だからか、と。
「……安心しろ。俺もかなり恥ずかしいと思っている。……だが、種族的には矛盾を感じるけどねー。……とにかく、平然と言える。それは確認できた」
淡々とし過ぎている為に単語の意味を認識されていないのでは、と思いヘロヘロが気持ちを込めて叫んでみたものの結果は変わらなかった。
それをまたシズに復唱させると背徳感が凄くのしかかってきた。
単なるお遊びではなく理由があっての事だ。
平然と言えることでこの世界がユグドラシルとは違うと再認識した。それと規制に厳しい日本のゲームでもない。であれば外国製か、ともうっすら思ったが――
そもそもゲームではない、という前提であれば自分達の存在が説明できない。
(ゲームキャラクターが平然と現実世界で動ける仕様というのはちょっと理解に苦しむ)
だからこそはっきりとした結果が欲しかった。
結論は実に残酷なものだ。出来る事なら卑猥な単語は規制の音に封じてもらってもいいと思ったくらいだ。――そうすると洞窟内に不協和音が響く可能性がある。
「……まあいいか。確認は出来た」
そもそも女性達の裸を平然と見られただけで結果は既に出ていた、ともいえるけれど。
ますます元の世界に帰りにくくなった。この世界で受肉したとなれば魂の所在について考えなければならない。つまり――
『死』だ。
プレイヤーやNPCが死んだらどうなるのか。蘇生実験も視野に入れなければならない。
方法は既にある。問題はゲームと同様に適応されるのか、だ。
試したくない気持ちが強くなる。もし失敗したら――失敗どころか何も起きない事もありえる――という気持ちがあるので。
(今回は発声練習だけでやめておく。一日で確認するほど俺の精神は強くない。……例え生物的、種族的に強固だとしても……。気持ちは前に進むことを恐れている)
怖いと思う心がある。だから、今日の実験は終わりだ。
シズと共に前に進むことにする。引き返さないのは今日中に探索を終える予定で来ていた為だ。
下らない事に時間を費やしてしまったが目的は忘れていない。
(語尾の命令は解除したし、
ギルドメンバーだった場合はもっと過激に収拾がつかなる事態に陥る。特に制限に対して厳格に守ろうなどと考えるのは数人だけだ。
もしNPCが自発的に喋れればもっと大規模な発声練習が実現したかもしれない。
仲間の女性に関しては性的なことに意外と寛容なので問題は軽微だと予想している。特に桃色の
最後の『やまいこ』は教師という立場もあり、どちらともつかない気がする。だけれど巨乳NPCを創るような人だから嫌ではない筈だ。
「……では、冒険の続きだ」
「……了解しました、ちんこ……」
命令を解除したのにシズは余計な語尾を追加した。一瞬、聞き違いかと驚いたがその後は通常通りに戻った。
知らないふりをして進んでみたものの気にならないわけがない。
おそらく、彼女なりの心配りか、もしくは――忖度してヘロヘロと仲良くなろうとでも思い、歩み寄りの姿勢だったのか。
何にしても元のシズになった以上は新たな命令を思いつかない限り黙っていようと思った。
(俺は
言葉が聞こえた時点でヘロヘロの視点はシズに合わせられていた。形状は所詮、外見的でプレイヤーからすれば意味の無いものである。その気になれば足の裏まで視点を向ける事が出来る。ただし、まだ少し練習が必要だが。
勇気を出して言ったようだがシズの顔に恥じらいは認められない。そこは種族の恩恵によるものとして理解しておく。
ただ――雰囲気的にはとても可愛いと思った。
ペストーニャに同じ命令をしたら号泣されるよな、と下の階層に進んでいる時に思い出した。
治癒系の魔法を得意とするメイド長で語尾に『わん』と付ける。
ここには居ない者の事を考えても仕方が無いので脳内から追い出す。今は次の考えに意識を向けるべきだと思ったから。
あと数時間ほどで探索を終える予定である。それでも何の収穫も無ければ洞窟探査を終わりにする。そう決めた。
意外と深い洞窟に時間を取られ過ぎている気がした。
世界は広い筈だ。しっかりとした拠点を設置してから改めて洞窟に挑戦すればいい。
(……鉱石やモンスターも見飽きてきた。それが延々と続くようであれば無駄な時間を過ごしている気分になってしまう)
もっと複雑怪奇で豊富なモンスターが蔓延っていればヘロヘロとて去りたくないと判断する。しかし、変わり映えのしない
気分的に不快に思うのであればやめた方がいい。ヘロヘロはそれほど熱心に攻略したいと思うほどの欲求は無かった。
この序盤の洞窟に長くこもっていたのは
何事も初めが肝心だ。それはおそらく異世界であっても通じる概念だとヘロヘロは思う。
「地図があればここまで来るのにどれくらいかかるかな?」
「……地上からの推定距離ではおよそ七日ほど。……これは平均的な人間の歩幅と体力面から算出しました」
それが事実かは確認できないが結構な計算力というか演算力に感心する。
もし計算式を持ち出されたらお手上げだ。だからこそ口からいかようにも出まかせられる。であればより正確な
道順が分かってて駆け足であれば四日半。更に体力を無視すれば二日、下手をすれば一日半ほどで到達できる。
これは周りの探索、モンスターの討伐などを一切無視した場合だ。実に面白くない洞窟攻略ではないか、と小さく憤慨する。
丁寧に探索すれば思いのほか時間がかかるもの。そして、体力も想定以上に消費する。
山登りも下りの方が辛いと言われるので。
「我々の様な体力バカでもないかぎり、モンスターに警戒しながらでは相当な時間がかかるだろうな」
特にじっと警戒するとなると精神力が削られやすい。ヘロヘロ達は平気だが――
数値では測れない様々な要因を加味しても洞窟を早期攻略するのは基本的に難しいものだ。ただ、何度も攻略し慣れている熟練者は別だ。
珍しいものが無いか確認したり、たまに襲ってくるモンスターを討伐していくこと二時間が経過した。
体力面が
定時連絡を済ませた後は再探査の開始だ。
「今のところ魔法の効果に問題は無い。転移による帰還も支障が無さそうで良かった」
「……しかし、
洞窟を満たす靄。それは水蒸気ではなく、何らかの現象によって発生した
可燃性が無い事はシズの調査で判明している。
予想としては何らかの魔力が付与されたもの、であるはずなのだが毒性が無いので何とも言えない。
単なる演出なのか、それとも洞窟特有の現象なのか。
「体感的な温度は低温でも高温でもない。ここまで人間が入っても大丈夫なほど……。中々に興味深いな、ここは」
火山地帯ではないのか、今のところ温度は平穏のままだ。シズも頷いた。
ずっと平温であることが異常ともいえなくはないが、原因が分からないので保留にする。
出てくるモンスターも変化は無く、広さ的にも巨大生物が居るとも思えない。
そうしてお互い言葉数は少ないが会話しながら先に進む。
少し進んだところに長大な
(こういうところも通ろうとすれば時間はかかるよな)
特に水の中の移動は鈍重になりやすく、人間であれば移動手段も限られてしまう。
もし水深が腰辺りであれば徒歩による強行も不可能ではないが失われる体力は加速度的なものになる。
充分な
「……この先に強い気配を感じます」
武器に手をかけつつシズが報告する。足元のシモベ達には事前に連絡以外の警戒は伝えなくていいと厳命しているので大人しかった。それでも一大事だと感じれば命令無視もありえるのかな、と予想している。
シズは果ての見えない河川の先に顔を向け、何らかの索敵作業を始めた。
大物の気配であれば御の字だ。しかし、序盤の洞窟に早々都合の良いイベントがあるものかと疑問を覚える。
なにはともあれ、一区切りできる。何もなくても次は外の探索だ。そう心に決めた。