mensa rotunda-サラダデイズ・スピンオフ 作:杉浦 渓
新しい変身術の教授は、ずいぶんと若い人だった。
女性にしては背が高く、細身のパンツに白いシャツブラウス、ショルダーホルスターが印象的だ。
「変身術というのは、魔法のごく一部に過ぎない。過ぎないが、しかし、非常に奥が深く難解なものだ。そして、さらに困ったことに、ネズミをゴブレットに変身させることが出来なくても、人生にはまったく影響しない。変身術が得意な人は、わたくしの知る限り、変人ばかりなんだ。役に立たない術の習得に、延々と時間を費やすわけだからね。ところが、なぜこの学科が世界中の魔法学校で必須科目とされているか。それは、魔術理論を理解し、構築する能力を育むためだ。感性で魔法を使うことには限界がある。しかし、論理で魔法を発展させることには、原理的に考えて限界はない」
教室を、コツコツと、ゆっくりとローファーの音を響かせて教授は言った。
「だから変身術は全員がひと通り学ぶべき必須科目とされる。さて、今日は杖は使わない。杖をローブに仕舞って、前に出ておいで。一番役に立つ変身術を学んでもらおう」
エイミーがみんなと一緒に、おずおずと席を立つと、一番前の一列の机には、全てにゴブレットがひとつずつ置かれている。
「このゴブレットは、全部で6個。5個は変身術によってゴブレットの形をしているだけだ。本物はひとつ。まず最初に、本物を探してもらおう」
全員が、一番前の一列をぐるぐる回りながら、ゴブレットに尻尾や羽が生えていないか目を皿のようにして、おそろしく真剣に観察している。
「・・・一応ね、変身術の教授がかけた変身術なんだから、見た目に違いはないはずだよ」
「先生、見分け方がわかりません」
「じゃあ、ひとつヒントをあげよう。いいね? 『本物のゴブレットには魔法は使っていない』」
エイミーはぽかんと口を開けて、教授を見上げた。
「ん?」
「こ、これが変身術?」
「正確には、変身術を学ぶ目的を理解するためのデモンストレーションだ。魔法学校で学ぶ範囲の変身術をマスターすれば、この6個のゴブレットの正体を全て見分けられるようになる」
教授が杖を振ると、黒板に板書が現れた。
・本物のゴブレット
・ティーカップからゴブレット
・剣からゴブレット
・カエルからゴブレット
・ネズミからゴブレット
・鷲からゴブレット
「全部違う。本物のゴブレットにはもちろん魔法は使っていない。ティーカップからゴブレット。液体容器としては同じ目的の無機物同士だね。剣からゴブレット、これは無機物同士ではあるけれど、目的も形状もまったく違うものだ。カエルからゴブレット。生物から無生物への変身。ネズミからゴブレットは、毛の生えた生物から無生物への変身。鷲からゴブレットは?」
「・・・空を飛ぶ生物から、空を飛ばない無機物への変身?」
正解、と微笑んで、全員を席に戻るように促した。
「人間は、変身術を使わなくても生きていける。しかし、偉大な魔法使いや魔女で変身術を苦手にしている人はいない。むしろ変身術の得意な人が、偉大になる傾向にある。その理由は、こうした論理性にこそある。Aという目的のために魔法を使うと仮定する。Aを達成するには、Bを付与し、かつCを排除し、Dによって選択的分岐を設け、Eによって発動する。このような発想をするのに必要になるのが論理性だ。呪文を唱えて杖を振るだけなら、猿でも出来る。しかし、魔法を発動させることは出来ない。そこに理論の裏付けがないからだ。理論を身につけることで、出来ることは増える。魔法効果大のAの結果を求める場合、魔力量小の人物aはどうすればいいだろう」
「・・・誰かに頼む?」
クラス全員が失笑したが、教授は笑わなかった。
「それも正解のひとつだよ。他には?」
「それも正解なら・・・魔法道具を使う!」
「正解だね。他には?」
「・・・魔力が少なくて済む魔法をいくつか組み合わせる」
「正解だ。命題を達成するために取り得る手段を考える。これが一番必要な能力だ。じゃあ、ゴブレットの問題に戻ろう。わたくしは『本物のゴブレットを探せ』という課題を出した。必要な情報は何だろう? 見た目ではわからない」
「えーと、魔法を使ってないものを探す」
「どうやって?」
「どう・・・あ、魔力を確かめる?」
正解だね、と教授は頷いた。「だから、この6つの中から本物を探すのが一番簡単だ。あとのは段階的分岐を検討しながら探すことになる。原型が生物か無生物か。無生物ならば、その原型はゴブレットと同じ目的か違う目的か。生物ならば、毛があるかないか、飛ぶか飛ばないか。これを識別するには、当該魔法についての知識が必要になる。君たちは今の時点では、まだ魔法を学んでいない。ご家族の魔法や寮で上級生が使う魔法を見たことはあるだろうけれど、自分が知識をもとにした魔法を使ったことはまだない。しかし、魔力を使ったことはあるはずだ。すると、魔力の痕跡なら感じられる。つまり、本物のゴブレットを探し出す能力は、すでに持っていることになる。変身術の最終的な目標は、この6個のゴブレットだと心に刻んで欲しい。鷲をゴブレットに変身させることそのものには意味などない。ゴブレットを見て、本体が鷲だと見抜くために変身術が必要なんだ。つまり、拡大して表現すると、物事の本質を理解するための訓練が変身術だ。小手先の技術とはまったく目的の違う学科だから、その理解がなければ変身術なんかいくら頑張っても無駄だよ。5年生7年生で受ける統一試験の勉強をしていると、頭を掻き毟って喚き始める人が現れる。『大皿をフラミンゴに変えて何か意味があるのか?!』・・・わたくしの変身術の恩師は、顔色ひとつ変えずにこう言った。『あなたの人生の目標が移動遊園地の奇術師ならば意味はありますが、そうでなければ意味などないということぐらいそろそろ理解しなさい』身もふたもないことしか言わない先生だった」
この教授もかなり身もふたもない人だ。
「先生」
「何かな?」
「先生は、動物もどきだと聞きました。すごく特殊な能力だって。どうして動物もどきになったんですか? 動物もどきは役に立ちますよね?」
教授は腕組みをして、真剣に首を捻り始めた。
「動物もどきになった理由は・・・寝るためだね。熟睡するため。役に立つこと・・・熟睡できること、かな」
全員がぽかんと口を開けた。
「この前、セントラルパークを変身して散歩していたら、ニューヨーク市警に捕獲された。狼のように巨大な犬が野放しになって飼い主が近くに見当たらないからって、通報されたんだ。よって、散歩の役にも立たないことが判明した。他に役に立ったことは・・・人狼を狩ったことぐらいかな。学生時代に、学校で人狼病に罹患していた教授が変身してしまって。すごくいい先生だったから、生徒を傷つけてクビになって欲しくなかったからせっせと追いかけ回して、気絶させた。あとは・・・役に立ったわけじゃないなあ。動物もどきじゃなければあんな試合に駆り出されることはなかったし・・・うん。普遍的に動物もどきが役に立つのは、どのような状況でも熟睡できることだ」
おずおずとエイミーは手を挙げた。
「先生は、ホグワーツの出身ですよね? ホグワーツには人狼がいるんですか?」
「うん。ホグワーツという学校では、年に一度は命の危険に見舞われる。わたくしが入学して、校長先生からの初めての演説は『死にたくなければ3階西の廊下に行かないこと』だった」
「そ、それは、どうして?」
「ケルベロスが飼われていた」
「そんな生き物学校にいるわけがない!」
「ホグワーツにはいた。約60年前まではバジリスクもいたという記録がある。バジリスクに比べたらケルベロスで、まだ命拾いしたほうだとは思う」
全員が「この先生、頭がおかしい」と思ったようだった。
頭のおかしいイギリス人のウィンストン教授は、サンダーバード寮のクィディッチチームの練習風景をたまたま目にした時に、ブラッジャーがおとなしいと言って、ブラッジャーの魔法をかけ直して満足して歩き去った。そのせいで、箒から3人がブラッジャーに叩き落とされた。
頭のおかしいイギリス人のウィンストン教授に、数人の男子生徒がイタズラを仕掛けようと「サーペンソーティア」で毒蛇を目の前に落としたのに、ウィンストン教授がしゃがんで蛇に何か話しかけ、お互いに納得したように頷き合うと、颯爽と学校の外の森に向かって歩いて行った。蛇もその後ろを、まるで案内される来客のように素直について行ったらしい。
ニューヨークに出来たウィーズリー・ウィザード・ウィーズで買ってきたという形態沼地を居室の前に仕掛けても、平然と朝食に現れた。確かめたが、形態沼地は跡形もなくなっていた。
もはや何をしても、頭のおかしいイギリス人のウィンストン教授を止められないのか、と無力感に襲われ始めた頃、イギリス魔法省からの来客があった。ウィンストン教授の旧知の友人だというその魔女にイタズラを仕掛けようと、ある男子生徒が、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ製の「暴れバンバン花火」を放った。
イギリス魔法省の魔女はおもいきり呆れた顔をして「もうちょっとマシなものを作るように言いなさいよ」と、数回杖を振っただけで全ての花火を無言のまま消し去った。
「ホグワーツ怖ぇ」
ついに男子生徒たちが音を上げた。
「ホグワーツで採れる魔女はみんなああなのか?」
「2人しか知らないうちの2人ともああなんだぜ。その可能性は高い」
頭のおかしいイギリス人のウィンストン教授は、ホグワーツに対する恐怖を学生たちの胸に焼き付けて僅か2年でイルヴァーモーニーを去ることになった。マクーザとイルヴァーモーニーは引き止めたが、ホグワーツの校長である魔女がさっさと返せと強硬に主張したらしい。
退任が発表されて、アンニュイに窓の外を眺めて溜息をつくウィンストン教授に、エイミーは「どうかしたんですか?」と尋ねた。
「いやあ・・・アメリカは平和だったなあと」
先日20世紀セーレム救世軍にカチコミをかけて関係者全員を捕縛し、スカウラーの子孫であることを証明しておきながら平和とは、やっぱりこの先生は頭がおかしい。
「ホグワーツに帰ったら、やっぱり変身術ですよね」
「いや。闇の魔術に対する防衛術だよ。わたくしの気持ちとしては、そっちが本職でね。それは望むところなんだけれど・・・こき使われそうな予感がひしひしとする。予感っていうか、悪寒っていうか」
「ウィンストン先生が?!」
「・・・なぜそこで驚くのかな」
「いえ・・・先生に怖いものはなさそうだなと」
あるよ、とウィンストン教授は腕組みをして、また溜息をついた。
「ミネルヴァ・マクゴナガル、ハーマイオニー・グレンジャー、ダフネ・グリーングラス・・・恐ろしい魔女ばかりだ」
頭のおかしいイギリス人のウィンストン教授は、サンダーバードを連れて、イギリスへ帰っていった。
ホグワーツ出身の魔女への恐怖心をアメリカの若い魔法使いの心に焼き付けて。
たまにエイミーは、6個のゴブレットを並べてみる。
そうしてウィンストン教授が頭がおかしいかどうかについて考える。
「本物はひとつだけ」
ケルベロスのいる学校。これは確かにおかしい。しかし、嘘か本当かはわからない。
人狼が教授になる学校。人道的ではあるが常識的ではない。しかし、嘘か本当かはわからない。
サーペンソーティアを怖がらない魔女。珍しいとは言えるが、あり得ない存在ではない。
バジリスクがいた学校。これは事実だとわかっている。国連に報告書が提出されてから、公式の記録として文献に記載があるからだ。討伐者の名前にものすごく気になるものがある。確か、国連の議長とホグワーツ校長だったような・・・しかし、それはこの命題には無関係だ。
いずれにせよ、エイミーにはまだウィンストン教授の頭がおかしいかどうか、本質的に理解するための知識が足りていないということになる。
「まあ、だいたいの推定は可能よ。『バジリスクが住んでいたような学校で育てばああいう人が出来上がる可能性は高い』」
この仮説に満足して、ウィンストン教授の頭はそれほどおかしくないと思っておくことにした。