mensa rotunda-サラダデイズ・スピンオフ 作:杉浦 渓
アルテミス・ウィーズリー=グレンジャーは今年の魔法史の教科書を開いて胸を高鳴らせた。
「おばあさま。やっとここまで来たわ。今年の魔法史は、いよいよ『アンヌス・ホリビリス』に入るの」
祖母は新聞から顔を上げないまま「1992年? エリザベス2世にとってはアンヌス・ホリビリスだろうけれど、魔法史で何かあったかしら・・・秘密の部屋が開いたことぐらいよ。特に大したことではないわ」と呟いた。
「違うわ。2世じゃなくて、魔女のエリザベス3世のアンヌス・ホリビリスは1997年よ。知らないの?」
「あ、あれはね、アルテミス」
「ホグワーツ天文塔の戦いに始まる地獄のような一年間。おばあさまの活躍だって歴史的意義を学ぶことができるわ。わたし、すっごく楽しみにしていたの」
違うわよアルテミス、と祖母が眼鏡を外して真剣にアルテミスの瞳を見た。「エリザベス3世は、そんな大層なスピーチをしたことはありません。エリザベス3世のアンヌス・ホリビリスとは、プリンセス・ダイアナがドディ・アルファイドと一緒にパリ郊外で交通事故死したことをきっかけに、毎日毎日ハウスエルフが泣き暮らし、アルファイド家がハロッズの経営に関わっていたせいでハロッズへの立ち入りを厳禁され、ダイアナの占星チャートを暗記させられ、なぜケンジントン勤務の闇祓いになろうとしなかったか責められ、アルファイド家の料理にハウスエルフがトリカブトを混ぜに行かないように監視しなければならなかった年という意味です」
祖母の発言にアルテミスは頬を膨らませた。
「『ホグワーツの歴史』の最新版にだって『エリザベス3世曰くアンヌス・ホリビリスであった1997年』って書いてあるわ!」
「不正確な情報には訂正を入れるよう行政指導する必要があるわね。とにかくエリザベス3世の言うアンヌス・ホリビリスは『プリンセス・ダイアナの事故死に始まる、極めて個人的に極めてクレイジーな一年間』のことなの。1997年を英国魔法界のアンヌス・ホリビリスと位置付けること自体は間違いとは言えないけれど、エリザベス3世の発言とは無関係だから、それは理解してちょうだい」
どうしていつもエリザベス3世を貶すのよ、とアルテミスは胸ポケットに御守りのように入れて必ず携帯している蛙チョコカードを印籠のように取り出して祖母に突きつけた。
「・・・あなたまだこんなものを持ち歩いているの?」
「おばあさまのことはもちろん尊敬しているけれど、歴史上の人物としてはエリザベス3世を心から尊敬するわ。うちの校長じゃあるまいし、エリザベス3世はハウスエルフから慕われこそすれ、ハウスエルフに振り回されるような人じゃないの!」
「・・・すごく振り回される人よ? というか、あなたは蛙チョコカード化された最初のハウスエルフについて調べたことがないの?」
「ハウスエルフのカードは全部ヘンリーにあげることにしているわ」
祖母は溜息をついた。
「だったらヘンリーから見せてもらいなさい。『正義の鉄槌ウェンディ』のカードを。詳しく調べておばあさまにレポートを提出すること。いいわね?」
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正義の鉄槌ウェンディに関する報告書
正義の鉄槌ウェンディとは、一番最初に自由に目覚めたハウスエルフのことを指す。
完全なる自由意志でエリザベス3世に教育係として仕え、エリザベス3世の政治や経済のセンスと英国王室への忠誠心を育てた。
その教育方針は独特で、杖使いの傲慢を糺すために振るったフライパンは数知れず。これが「正義の鉄槌」の異名のもととなった。
ウェンディが教育した英雄は、エリザベス3世に始まり、ハリー・ポッター、ドラコ・マルフォイ、ハーマイオニー・グレンジャーなど錚々たる顔触ればかりだが、彼女の真価が発揮されたのは、ホグワーツ決戦である。
ハウスエルフ大隊司令官として参戦したウェンディは、ホグワーツ配属のハウスエルフ全員に『ようふく』を着せた。これ以後『ようふく』はハウスエルフの誇りの象徴となり、ホグワーツで訓練を受けたハウスエルフは『正しくお仕えするための戦闘服』として、メイド服にヘッドドレス、白いシャツにベスト、といった服を清潔に維持することを選択するようになった。
フライパン小隊、キッチンナイフ小隊の先頭を走るウェンディの勇姿に多くの魔法生物は感激し、ハウスエルフのみならず、杖使いに虐待されがちであった魔法生物解放の契機ともなった。
晩年はホグワーツ校で後進の指導に専念。
「ガリオンだけがハウスエルフの人生ではない! ポンドとドルと円を使いこなしなさい!」
「ハロッズは敵だ!」
「ウィリアム王子の不幸は頭髪がチャールズに似たことに始まる」
など、経済と政治にまつわる名言やエピソードを数多く残している。
没後は日本の川辺に静かに葬られ、その墓碑には『河太郎の妻ウェンディここに睡れ。起きてくるな』とエリザベス3世直筆のメッセージが刻まれている。
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祖母は「よくまとまっているわ」とアルテミスを褒めてくれた。
「立派なハウスエルフだったのね・・・」
「あらゆる意味において自由なハウスエルフだったわ」
「どうしてそんな自由なハウスエルフが、ウィンストン校長のホグワーツになんて・・・魔法省にオフィスを持たせるべきだったんじゃない?」
「・・・ウェンディは、レンに仕えることを自由に決めたのよ。つまり、勝手に」
「どうして?!」
「一番教育が必要な魔女だと判断したからでしょう」
適当なことを言って、祖母は紅茶に砂糖を入れた。
「まあ、エリザベス3世について知りたければ、正義の鉄槌ウェンディについて、もっと詳しく調べることね。エリザベス3世の謎は、円卓の魔法戦士たちが一切その正体を明かそうとしないから守られているの。でも、ウェンディはなにしろ『あらゆる意味において自由』だから、ウェンディの発言を地道に解釈していけば、エリザベス3世の実像に近づくことが可能よ」
後年、魔法史家となったアルテミス・ウィーズリー=グレンジャーは、決してエリザベス3世の正体について語ろうとはしなかった。
そのことを問われるとアルテミスは必ずこう言った。
「アーサー王物語のアーサー王が実在したか否かは、歴史学において重要なことではありません。魅力的なテーマではありますが、それが何を左右するわけでもないのです。魔法界においても同じ。エリザベス3世物語のエリザベス3世が実在したか否か、魔法史では重要な問いではないのです。むしろ、エリザベス3世が、その存在をあえて曖昧なままにしている意図のほうが重要です。要するに、エリザベス3世の子孫に依存することを堅く禁じる意図があったのです。誰であるかを詮索することは、その遺志に反する行為ですから、エリザベス3世に近しい人物ほど真相を語ろうとしませんよ。彼らは伝説の人物のままにしておきたがっているのです。それでも、もし、どうしても知りたければ、『あらゆる意味において完全なる自由』を有する魔法種族の言葉に耳を傾けてみると良いでしょう。実にベラベラとよく喋っています。なにしろ、自由ですから。喋りたいことを気分のままに喋り、煽りたいことを気分のままに煽り、嘘をつきたくなれば好きなだけ嘘をつきます。その発言の中から真実を取捨選択することは難題ですけれど、得られる真実は価値のあるもの、でもありませんね。労力に見合うだけの価値はありませんでした。それでも調べたければ止めませんけれど、くれぐれも勘違いしないように。プリンセス・ダイアナ=エリザベス3世説は、完全なるデマです。そもそもダイアナは魔女ではありません。『あらゆる意味において完全なる自由』を手にしたある者があまりにもプリンセス・ダイアナのことばかり発言するせいで発生した重大な誤解の一例です。その者は、エリザベス3世の人権よりプリンセス・ダイアナを優先的に考えていただけなのです。それが最も顕著だったのが、アンヌス・ホリビリスです。その年、エリザベス3世は魔法界の窮状を救うと同時に、英国王室とアルファイド家を暗殺から守らなければなりませんでした。その艱難辛苦は筆舌に尽し難く、その思いが『アンヌス・ホリビリス』という表現を選択させたのです」