1
三 盲担TTE
あれから暫くが経って、季節はすっかり冷え込んで、外套を羽織っても外出の憚られる寒さとなった。三人はこのところ、毎日、椛の部屋で呑んでいた。呑む、というには些かに落ち着きの欠けた酒宴ではあったが、外の薄暗い寒さと暖かい明りが灯る部屋の、冬特有の対比は、飲酒をとりわけ穏やかな、優しい行いへと変えていた。しかし、それは対外的な視点からの見解であって、三人が実際穏やかに飲んでいるかどうかは、また別問題である。
「えー、なんでしたっけね。わたしは、ふたりのながいあしが、うらやましいんだーっ、でしたっけ? ねぇ、にとりさん」
「射命丸おまえ、うるさいぞ。飲みすぎて脳が腐ったんじゃないか」
文はへべれけの体でにとりに絡む。元来、椛の部屋、天狗の寮で騒ぐことに禁忌感を抱いていた文だったが、冬の寒さと協議した結果、外出は否決され、誰かの部屋で呑むことが決定した。それから三人で話し合ったが、集う場所は結局、椛の部屋に決まった。椛の部屋にはストーブがあったのだ。
「にとりさん、無視しましょう。無視」
「あ! 危険思想がなんか言ってますよ、にとりさん!」
危険思想、その言葉に、にとりは思わず腹を抱えて笑う。デマイゴでの出来事は、今となっては酔っ払いの、格好の肴と化していた。
「私、文さんほど恥ずかしい人を知りません。かまってほしいんだなぁって思われながら、ひとを詰るのは楽しいですか」
「たのしいですよ。だって、お酒飲んでたら、なんだってたのしいに決まってるじゃないですか」
椛は目を丸くして、やおら腕を組み、しばしの黙考のあと、「たしかに」と、なにもわかっていなさそうに、はにかんだ。にとりは煙草をふかして、二人に対しおもむろに、「酒は悪ふざけに似ている」などと意味ありげな言葉を意味深に呟いてみせる。とどのつまり、三人とも既に出来上がっていた。
意味深な呟きに、二人はきょとんとして、にとりのほうを向く。
「ちょっと考えたんだけどね。この酒というやつと、何か似ているものはないかなって」
にとりは言いながら、胡座に肘をついた片方、人差し指と中指の間に挟んだ煙草をゆらゆらと動かした。二人は興味ありげに、先端の朱燃を追う。
「えー、お酒とかけまして、悪ふざけととく。その心は。……どちらも度が過ぎれば“きつい”でしょう」
あ、いつもとちがう! にとりの「ちょっと考えたんだけどね」を幾度となく拝聴してきた椛は、にとりの語り口の変化に感動しながら手を打った。傍ら、文は既に興味を失った様子で、なにやら手元の、巨大な物体を弄り回す。
ストーブはときたま酸欠気味に埃を吐いて、明るい部屋を暖めた。カーテンの向こうの、薄暗い銀世界には雪がちらついて、寮前の枯れた木々に揺れ落ちている。
「お、射命丸。けっこうな大きさになったじゃないか、それ」
「ええ、ええ。だんだんそれっぽくなってきました」
にとりもにとりで、床の上、なにか作業をしながら文のそれを見やった。二人と同様に、椛も“それ”のと似た、巨大な物体を弄っている。
「でも、お二人とも、結局それは何を作ってるんですか。いまだにみえてこないんですよね、私には」
「え! わかりませんか! いやあ、その見る目の無さはやっぱり犬ですね」
言葉とは裏腹に、文は、よくぞ聞いてくれた、とでも言いたげな、とてもうれしそうな表情をみせた。巨大なそれは柱の形状をしており、全体、ビールの空き缶という素材で構成されていた。空き缶で作られた柱を掲げて、文は口を開く。
「木ですよ、木。時期ですからね、ツリーを作っているんですよ。ほら、枝だって」
言いながら、文は柱の上部先端付近を指す。そこには連なったプルタブが幾つもくっつけられており、プルタブはとりわけて貧相な、枝の役割を担っていた。
「木か。お前らしくてなかなかいいじゃないか。きっと、話し相手にもなるだろうし」
「にとりさんのそれはなんですか?」
椛がにとりに問いかける。にとりは、床の至るところに空き缶やなんやを配置して、なにかを作っている様子だった。床のそれらは、二人が手洗に行く際などによく躓くので、にとりのみが知る薬剤等で、今ではしっかりと固定されている。
「よくぞ聞いてくれた! これはね、村を作ってるんだよ。わたしの村だよ」
え、村ですか。 文と椛は同時に発音して、各々作業の手を止め、にとりに近寄った。二人がよくよく床を見やれば、置かれている空き缶は、どうやらにとりの持ち込んだ手道具で形を整えられており、言われてみると建物らしき形状をしている物がちらほらとあった。興味有りげな二人の反応に、にとりはもう話したくてたまらない気持ちで喋りだす。
「うん。この大きいやつがね、みんなの寮で、こっちが、みんなの工場なんだ。村のみんな、大体は寮に住んで、この工場で働いているんだ。みんなで助け合って、毎日元気に働くよ。けど、この村には主人公がいて、主人公だけ、こっちの小さい家で、恋人と二人で暮らしてるんだ。あ、このプルタブが主人公で、このプルタブが主人公の恋人。こいつはね、みんなと同じ工場で働いてるんだけど、生まれが特殊でね。みんなと仲は悪くないんだけど、みんなとは別々に暮らしてる。はじめは一人で暮らしてたんだけど、いつだったか恋人ができたんだ。だから、それからはもう寂しくなかったよ。でも、二人で過ごせるのは夜だけ。朝が来たら働きに行かなきゃいけないから。ああ、かなしいなあ。だからそんなとき、わたしはこの工場を灰皿にするんだ」
にとりは空き缶で出来た工場に、咥えていた煙草をぐりぐりと押し付けた。
「でもね、この工場には煙草の灰が必要だから。これも、わるいことではないんだよ。必要なこと」
みんな、幸せになるといいですね。にとりが平常より深く酩酊していることを察した二人はにとりの頭を撫でながら言った。しかし、にとりは本気で嫌がって、触るな、と二人の腕を振り払う。酔っ払いとは難しいものである。
「椛の、その大きくて丸いのはなんですか」
「これは、地球ってやつですよ」
三人は退屈だった。というのも、当然である。働きもせず酒を飲めば、必然、話題というのは底をつく。外で飲むのをやめたとすれば、かえって話題の消費は早まる。三人に残っていたのは、もはやくたくたに擦り倒されたデマイゴのみだった。三人は話題のなさに、仕方なく、デマイゴでの出来事を嘯く。すると、デマイゴでの常ならぬ、非日常な体験が僅かばかりに蘇る。そんな体験の残滓は、殊更三人の退屈さを助長させた。退屈さを埋めるよう刺激を求めて、酒の量ばかりが増えていき、気付けば、大量の空き缶に埋め尽くされた部屋があった。そうして、三人はそんな部屋を見つめては、おもむろに、工作に打ち込み始めたのだ。文とにとりはもはや、椛の部屋に住んでいた。たまに帰ることがあっても、それは、空き缶工作の材料を持ち込むための一時帰宅に他ならず、椛の部屋からは日がな一日、絶えず空き缶の、ガラガラとした音が響いた。
「へぇ、地球。……あ、そうだ。私、部屋からツリーの飾り付けをもってきますよ。もうずっと前に買ったやつを、何処かに仕舞っておいたんですよね、たしか」
「射命丸、ついでに酒を買ってきてくれよ。ほら、もう無くなりそうじゃないか」
「だめですよ、にとりさん。次の買い出しは文さんじゃなくてにとりさんじゃないですか。こういう決めごとを破るところから、堕落というのが始まるんです」
「やだよ。さむいもん。……みんなで行くんなら、考えてやらなくもないぞ」
三人は流れる時間を忘れ、工作の日々にのめり込んだ。しかし、奇行から得た幸福な日常というのは、そんなに長くは続かない。隣室の、文と椛の同僚たちも、それを許さない。
幸福というのはトカゲのようなもので、三人が得たのは、トカゲの切った尻尾だった。尻尾はすぐに乾燥して、干からびて、価値を見出すのも難しい、雑然とした塵の類へと成り下がる。
「お、もうこんなに積もってますよ。雪」
「さ、さむいよ。冬だからって、毎年降ることないのになぁ」
「雪が降ったら冬なんですよ、にとりさん」
降り積もった雪に静まり返る世界の中、三人の笑い声がよく響いた。
三人が今なお遠ざかり続けるトカゲの本体に気がつくには、きっと、時間がかかるに違いない。代わりといってはなんだが、三人の、その手に握り込んだそれが干からびるまで、それほどの時間は要さなかった。
三章はこれで終わりです
よかった