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六 de 迷子
「どうしたのよ三人とも、らしくないじゃない! ほら飲みなさい、飲みなさいよ。飲まんかい!」
酔った姫海棠はたての酌は、即ち暴君の酌。テーブルの上に煮える鍋を中心に、射命丸文、犬走椛、河城にとりの三人は、萎縮していた。
姫海棠はたてがこの“仲直りの会”を企画したきっかけは、射命丸文の存在だった。はたては里へ生活用品やなんやを買い出しに行った際、或る噂を聞きつけたのだ。曰く、「向こうのちょっとした広場に主がいる」。興味本位でちょっとした広場に赴くと、そこには少年たちとちょっとした賭けに勤しむ文の姿があった。賭けの内容は“時間内に卵を立たせられたら十円。一回五円”というみみっちいもので、はたてはすぐに文を広場から連れ出した。はたてが事情を聞くと文は泣きながら「二人が冷たいんです」と語り、これは重症だと判断し企画したのがこの“仲直りの会”である。
しかし実際のところ、文が泣いたのは久々に友人と会話が出来た喜びからであり、二人に冷たくされたのが悲しかったわけではない。加えて、文は二人に冷たくされたなどと思ってすらいなかった。はたてに優しくされたのが思いの外嬉しく、泣いてしまい、焦って捻り出した言葉が「二人に冷たくされた」の一言だったのだ。
要するに、文はあまりこういった会合を望んではいなかった。二人には二人の生活、仕事があって、自分はその日常を阻害すべきではないと、少々卑屈になって考えていた。しかし実際、実現してしまった仲直りの会は、文、にとり、椛の三人に、克明に、気まずさを与えた。文に対し幾許かの申し訳無さを抱えていたにとりと椛が多少緊張しながら会に出向くと、そこには物言わぬ文の姿があった。文は友人たちとの久々の再開が嬉しいのと、緊張するのと、気まずいのとで、二人と会っても、何も言えなかったのだ。とすれば、にとりと椛はもっと気まずくなった。やっぱり、怒ってるのかな。ちょっとは、優しくしてやればよかったかな。気まずい空気の中、飲み慣れていないはたてはえげつないピッチで酒をやった。よって生まれたのが、暴君と、暴君に傅く三人組、という構図である。
「だいたい、クビになったぐらいでなによ。え、文! なに、クビになったら人生終わりなの。違うでしょ、断じて」
「いやあ、仰る通りで……」
はじめこそ、喋らない三人の会話を取り持つべく努めていたはたてだったが、如何せん、飲み方を知らなかった。あんたら、好きでしょ。と用意した酒は思いのほか口当たりがよく、場の妙な雰囲気とその口当たりの良さから、三人がちびりと口を一度つける度に、はたては一杯やってしまった。何より、はたての性質がそういった鯨飲の一因を担ったことは言うまでもない。はたてはもともと酔い易い性質もあって、所謂“一杯飲むと止まれないタイプ”の酔っぱらいだった。
――文に聞いたわ。喧嘩したんだって?
――まあ、私に任せておきなさいって。これでも文とは長い付き合いだし、きっと仲直りさせてあげるわよ。
――……あんたらがおとなしいと、私まで、なんだか調子でないのよね。
いまやはたての良心は死に絶え、酔っぱらいを酔っ払いたらしめるだめな部分のみが生きさらばえて、三人を苦しめ続ける。
「こら、そっちの二人も! そっちの二人も悪いのよ、ほんと。ちょっと前までは二人とも、おとなしくていい子だったのに、文に引っ張られて酒浸りになってから、どうもよくないわ。意思が弱いのよ、意思が」
「お、お恥ずかしい限りで……」
椛は気まずそうに答えた。
辛辣なのはにとりだった。文や椛がはたての暴力と似た言葉に頬を掻くのを見ると、なんだか、悲しくて、悔しくてたまらなかった。
――あらにとりじゃない。あ、椛まで。二人とも、今日は休み? そっか。いいわね、休日に友達と遊んで息抜きだなんて、健全で。え、私? いいのよ、気を使って誘ってくれなくても。にとりが人見知りなのは知ってるし、それになにより仕事だし。いいの、ほんと、気にしないで。それじゃあね、良い休日を。
普段は、あんなにも善良なのに。酒を飲んだからといって、こうも辛辣な急変が許されていいのだろうか。いや、よくない。許されない。
「はたて! ……さん! ちょっと言わせてもらうけどさー!」
にとりが堪えきれずに口を切ると、文が慌てて遮った。
「あ、あー! なんだか具合が悪くなりました、急に! ちょっと風に当たりたいと思うのですが、誰かついてきてくれやしませんかねえ! ねえ、にとりさん!」
文はにとりの手を引いて、廊下を抜け、玄関の戸を開けた。
冬らしく冷たい風が、ストーブと不協和な酔宴に火照った二人の身体をすり抜ける。 「……わかってるよ、射命丸。はたて、さんは酔ってるだけで、普段はいい人だって」
「やあ、その、なんというか。どうも、すみませんね。やっぱり、発端は私ですから……」
「いいよ。……わたしこそ、悪かったよ。最近、ちょっと冷たくしちゃってさ。……実はね、わたしも一昨日、クビになったんだ」
「え、それは、その。なんと言ったらいいか……」
いいよいいよ、笑ってよ。にとりははにかんで、遠い空に視線を投げる。文も困ったように笑いながら、にとりと同じ様にした。二人の視界に映る冬の空は、紺色に冷たく、多い雲が広大さを語っていた。
にとりは二日前のことを思い出す。改訂したマニュアルを提出した次の日のことだった。不如意な空転の日々から生まれたそのマニュアルの出来は酷いもので、誰がみても手抜き仕事と判ってしまうほどに滅茶苦茶だった。当然、河童達はそのマニュアルに騒ぎ立てる。各所から、にとりに対する幻滅や失望の声が響いたが、もちろん擁護する声もあり、中でもいっとうにとりを擁護したのは例の後輩河童だった。にとりさん、風邪でもひいたんすか。それとも、天才特有のスランプってやつですか。後輩の河童はにとりを気遣うように、また、心配するように、にとりに対し声をかけた。しかし、にとりの口から出たのは軽薄な言葉だった。
――別に。スランプとかそんなんじゃないよ。おもしろくなかっただけ。元々ね、好きでやってるわけじゃないんだもん。河童に生まれて、なんとなく得意だったから、こうなっただけでさ。
その言葉はにとりが空転の果てに頃に導き出した答えだったが、真実ではない。夜明け前に見つけ出した答えは信じてはいけないという諺が何処かの国にあり、幻想郷に生きるにとりがそれを知るはずもなく、やはり、にとりがその答えを見つけ出したのは夜明け前だった。
にとりの放った言葉が真実であれどうであれ、それは後輩河童を幻滅させるには十分な言葉だった。工場の通路、気まずい沈黙の中、自分の吐いた言葉に居た堪れなくなったにとりが視線を泳がせると、まずい人物と目があった。その日はちょうど、山のお上が工場の視察に来ていたのだ。にとりの属する河童の組織なぞ、結局のところは山の下請けのようなもので、いくらにとりが河童の組織で重要なポジションを担っていたとしても、お上連中には関係のない話だった。
にとりの言葉を聞いた山の天狗は、顔をしかめ、腕を組み、右手人差し指で二の腕をとんとんと叩いては、目を細め、にとりの顔をじっと見つめる。
それが、まずかった。不如意な空転の日々に伴う破滅願望めいた破壊の衝動と、みなの期待を裏切ってしまった無力感と、自分を慕ってくれた後輩を幻滅させてしまった自身のどうしようもなさの果てに、天狗の“言葉次第では許してやらんこともない”的目つきをみてしまったにとりは、もう破れなかぶれな気分になった。
――やい! なんだよ、偉そうに睨みつけやがって! いいよ、わかってるさ。言われる前にこっちが言ってやる。こんな仕事、やめてやるよ! やめてやるからさー!
吐き捨てて去っていくにとりの背中を、場に残された後輩河童と天狗は唖然とした面持ちで見つめていた。後輩河童の受けたショックは言わずもがな、しかし、天狗も同等に驚いていた。それもそのはず、お上にとって下請けの一個人などもはや個人ではない、ではないが、その天狗はにとりのことを知っていた。にとりがどれほど優秀で、みなから慕われているかを知っていたのだ。そのにとりがスランプというから視察を兼ねて来てみれば、にとりがらしくもなく愚痴を吐いており、なんと声をかけたらいいものかと、腕を組み考えていたら、あの台詞である。天狗は、それはもう驚いた。
しかし、そんな天狗の心を知らずに、にとりは今もこうして、はたての部屋の玄関前、手すりを掴んで空を眺める。
「あー。私もさ、戻ったら飲んじゃおうかな。酔えばさ、どうせ楽しいし」
「それがいいかもしれませんね。私もそうしようかな」
「じゃあ、戻ろっか。いつまでも椛一人にしてたら、かわいそうだし」
「どうでしょうね。はたてさん、ああなったらすぐに寝ちゃいますから。戻ったらもう眠ってたりして」
かもね、と嘯いて、にとりは玄関の扉を開けた。