誰もがそれをやめられない!   作:kodai

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「あれ、おにいさんたち、ひさしぶり。……こいし、閉店って看板、置き忘れちゃったかな。……まあ、いいや。あれから、元気だった? おにいさんたち」

 三人の視界には、二度目の来店の際と殆ど同じ光景が映った。何の変哲もない床と壁、実況席のようなテーブルと、その上に置かれた「胎」の空き缶。床をのたうつ女は相変わらずセーラー服を着て、「溺れる、溺れる」と喚いている。ただ違うのは、部屋の隅にこいしの存在があったことだ。こいしは座り心地のよさそうな、革張りのロッキングチェアに腰をかけ、手には、なにかカップを握っていた。

 意気揚々と扉を開け放ったにとりと椛だったが、こいしの思いのほか落ち着いた態度に、すこし反省をして、「あ、その。急に、すみません」系の言葉を発音して、頭の後ろをかいた。

「別に、いいよ。でも、もう来ちゃダメだよって、言ったよねー?」

 こいしは冗談めかして、笑いながら三人に問いかけた。たしかに、三人とも、覚えがあった。デマイゴから脱出する際に、こいしはたしか、そんなことを言っていた気がする。椛は床でのたうつ女をチラと見やって、気まずそうに口を開いた。

「その、すみません。私たち、今日……」

 椛が言いよどんでる隙に、にとりも、ごめんよ、と呟いた。背後で文がなにか、壮絶に不安げな表情をしていたが、二人がそれに気づくことはない。

「あはは、うそうそ。こいし、おにいさんたちにまた会えて、とっても嬉しいよ。……えっと、別に、来てもいいんだけどね。こいしが来ちゃダメっていったのは、おにいさんたちはきっと、もう来ても意味、ないだろうなーって思ったからなの。だってほら、現に落ちずに、床に足をつけて、立ってる」

 にとりと椛は、やっぱり、と互いの顔を見合ってはにかんだ。二人は道中、自身の“これから”をなんとはなく悟っていた。それは、不確かな、急に湧いてくるやる気のように、ふわふわとした感慨だったが、こいしの言葉で、二人は自身の出した結論が、正しいものであることを確信できた。

 一方で、文は未だ、凄まじく不安げに佇んで、何かを凝視していた。文の視線の先にあったのは、はたての部屋を出る際に感じた漠然とした不安の正体だった。にとりと椛は先程から静かな文を不審に思い振り返り、ようやく、不安げな文を発見した。二人とも、そのまま文の視線を追う。

「ああ、その、セーラー服のひとはね。……常連さんなの。そのひとは、やっちゃいけないことをやらないように、やっちゃいけないことをして、ここに来るんだけど。まだ、迷子のままでいたいみたい。……こいしね、お姉ちゃんに言われて、このお店を閉めることにしたんだけど、このひとが自分のしたいことを見つけられるまでは、お店を開けてようって思って。それで、今日もここで、待ってたんだ」

 こいしは両手で、口元にマグカップを構えながら、のたうつ女を憐れむように見つめながら、訥々と語った。

 ――ああ! 溺れる、おぼれる、溺れちゃうよぉ! ひじり、ひじり、私溺れちゃう! 溺れてしまうよぉ!

 にとりと椛は、これまで女のことをすこし不調和なBGM程度にしか感じていなかったが、こいしの話を聞くと、たちまち、女がどうにも哀れに思えた。二人は女をどうにか救ってやれないものかと、やおら女に近づいた。しかし、こいしがそれを制止する。

「待って! そのひと、放っておいてあげてくれないかな。そのひとね、お友達、いっぱいいるんだよ。頼れる仲間の人達がね、いっぱいいるの。でも、そのひとはいま、そういう人達に頼らないで、ここにいる。だから、そっとしておいてあげて。ね」

 自分たちの取ろうとした行動が、自分たちが進むべき道を見つけられたのだから、このセーラー服の女にも見つけられるはずだ、という、そこそこに傲慢な優しさであったことを、二人は悟った。そういうことなら、しかたない。

「こいしちゃん、それじゃあ、わたしたちは帰るよ。事情は、よくわかんないけど、そのひと、幸せになれるといいね。それじゃ」

 椛もにとりに合わせて、ありがとうございました、と一礼し、扉の外へと向き直った。しかし、文は未だ女を見つめたまま、じっと、動かずにいる。

「文さん、しかたないですよ。心配なのはわかりますけど、私達にはなにもできることはないし、するべきでもないんです。ほら、行きましょうよ」

 しかし、文は不安げな表情を崩すこともなく、女を見つめ続ける。

「おい文、あのひとは見世物じゃないんだ。いつまでも見てたら、悪いじゃないか。それに、わたしたちは明日から、やることってもんがあるだろう」

 ――文の不安げな硬直は、女への哀れみから生まれた行動ではなかった。文は床で喚きのたうつ女を見て、暖かいはたての部屋を出て、冷たい外界の風に曝されたときの不安、その正体を察してしまったのだ。

 文の視界に、自分の欲求の世界で解を出さずにいつまでものたうつ女の姿は、まるで赤子のように映った。文はふと、自身が昔、暇つぶしに書いた記事を思い出す。

 産声をあげる生物はみな一様に胎内回帰という願望があり、悲鳴に似た産声は、狭く薄暗い、懊悩と似て不確かに安心な母の胎から放り出された不安によるものらしい。

 ああ、ともすれば、このセーラー服の女は、胎を出れば迷子になると知って、出れば二度とは戻れないと知って、胎から出るのが恐ろしいんだ。恐ろしくて、いつまでものたうっているのだ。

 けれど、それは自分自身にも言えることなのではないだろうか。にとりと椛の、二人の言うこともわかる。けれど、自分は今現在、確かな不安を感じていて、それはきっと、この女のように、迷子でいたい願望の表れに違いない。しかし、現に落ちなかった。こいしが言うには、自分はもう、迷子ではないという。

 文は再度女を見つめる。女は以前、誰かの名前を叫んでは、見えない水に咽喉を脅かされ続けている。すると、哀れみでもない、嫌悪でもない、不思議な感慨が、文の胸に浮かんだ。

「おい射命丸。いい加減にしろよな、どうにも、おまえは空気の読めないところがある」

 にとりは、すこし不機嫌そうに文の肩を叩く。そうしてようやく、文が静かに口を切った。

「にとりさん、椛。私が、働き始めたとして、暇な日はまた、前みたいに、一緒に飲んでくれますか」

 にとりは一瞬ハッとして、文の肩を再度優しく叩いてから、少々照れくさそうに口を開く。

「わたしは、べつに、構わないぞ。あんまりひどかったら、途中で返ってしまうけどな」

 椛も笑いながら口を開く。

「文さんこそ、ちゃんと付き合ってくださいね」

 二人の言葉に文は照れくさそうに腕を組んで、片手を額に当て、しばし悶えたが、いずれ、吹っ切れたように顔を上げて、言った。

「こいしさん。ビールはありますか、その、普通のじゃなくて、胎のやつ」

 こいしは微笑んで、懐から一本缶を取り出した。

「あ、わたしも、一本もらえないかな」

「わ、私も!」

 二人の言葉にも、こいしはにこにこと微笑んで、懐から缶をひとつ、またひとつ取り出す。懐の膨らんでいる様子もなかったのに、あまりにささっと、自然に現れる缶ビールは三人にとって手品のように映った。実際、手品なのかもしれない。

 三人はのたうつ女を跨いで、こいしに近づき、缶ビールを受け取る。三人はやにわにプルタブを引き放っては、口をつける。

「待ったぁ!」

 こいしは声をあげるのと同時に立ち上がり、三人を制止する。三人は然程困惑することもなく、缶ビールを構えながら、こいしの二の句を待った。

「……さて。ここが運命の分かれ道だよ。そのお酒が無味無臭の、ただの水なら、おにいさんたちはもう、迷子じゃない。でもね、もし、少しでも美味しかったり、まずかったりしたら、おにいさんたちはやっぱり、まだ迷子なの」

 こいしは言いながら、懐からもう一本、缶を取り出し、プルタブを開け放った。

「さあショータイムです。はたして、おにいさんたちは本当に、もう迷子ではないのでしょうか。それともやっぱり、まだ迷子なのでしょうか。ふふ、じゃあ、僭越ながら、こいしが音頭を取らせていただきます。いくよー!」

 

「せーの、かんぱーい!」

 

 乾杯! と声を重ねて、三人は缶を口元に構え、天井を仰いだ! こいしも、三人と同じようにして、缶の中身を、食道の奥へと流し込む。それを飲み干すのは一瞬だった。みな、酒飲み特有の感嘆詞を吐いて、次々に口を切る。

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