誰もがそれをやめられない!   作:kodai

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「ああ! 全然、美味しくも、まずくもありません! 水です、ただの水。あはは!」

「ほんと! こんなものであんな目にあったなんて、信じられないくらいに、ただの水だよ! なんだよ、これー!」

「あはは、ほんと、なんなんでしょうね! でも、なんだか嬉しいです。いま、楽しいです、私!」

 笑い合う三人に、こいしも笑って、口を開く。

「おめでとう! おにいさんたち、よかったね。えへへ、なんだか、こいしまで嬉しいな。……さあさあ、三人とも! もう、ここに用はないでしょ? そしたらはやく、帰んなきゃ! ほらほら、出てくでてく。だいたい、他のお客さんが入ってるときは、絶対、入っちゃダメってルールだったんだから!」

 三人は笑うこいしに押されながら、笑いながら、出口までよたよたとした。三人とも、なんだか少しだけ寂しかったが、別に、これがこいしとの永別になるわけでもない、と笑って、各々、こいしに別れを告げる。

「こいしちゃん、ありがとね! わたしさ、あれ以来、こいしちゃんのことあんまり好きじゃなかったんだけど、やっぱり好きだなー! なんて! えへへ、また地底で会ったら、そのときは一緒に飲もうよ」

 にとりのプラスマイナスゼロぐらいの言葉にこいしは微笑んで「ありがとー」を発音した。続けて、椛が口を開く。

「あっ、にとりさん、なんかずるい! 私も、こいしちゃんのこと可愛いなーって思ってるんですよ。最初に名前知ったのも、私だったし。なんて! いや、ほんとにありがとうございました。……ちなみに、私たちの中で、誰がいちばんアリだと思いますか?」

 椛のマイナス二ぐらいの言葉に、こいしは笑いながら「もちろん、公務員のおにいさん」と発音する。あからさまにショックを受けるにとりと、小さくガッツポーズをする椛に苦笑して、最後に、文が口を開いた。

「ほんと、ありがとうございました。いやあ、お世話になりましたね、実際。他の二人は知りませんが、私はここに来なかったらたぶん、これからも、ちょっとした広場の、ちょっとした主を続けていたでしょうね。なんて! いえほんと、ありがとうございました」

 文が「それでは」と締めれば、にとりも椛も、元気よく「それじゃあ」と手を振った。

「うん、じゃあね。今度こそほんとに、ここに戻ってきちゃダメだからね。とゆーか、次来たときにはもう、きっと、本当に閉まっちゃってるだろうから。だから、ええと、なんだろ。……みんな、やっぱりちゃんと、大人なんだもんね。えへへ、それじゃあね!」

 こいしが手を振って、三人は扉の外へと向き直り、名残惜しそうに振り返りながら手を降って、歩き始めた。にとりと椛は扉から離れてそこそこに、完全に前へと向き直って、各々“やりきった”際の、いつものポーズを取る。にとりは両手をポケットに突っ込んで、すこし、背筋を曲げる。椛は腕を組んで、胸中の感慨を噛みしめるように眉を顰め、右左上方の虚空にきょろきょろと視線を泳がせた。

 最後まで振り返っていたのは文だった。こいしとの別れの名残り惜しさもあったが、文は何より、セーラー服の女がどうにも気になったのだ。

 今この女をデマイゴから、胎の世界から無理矢理に引き摺りだすなんて無責任なことはできない。ただ、いずれあいつが胎から這い出たときに、迷子だからといって先達が泣いていたら、あいつはまた、胎へ還りたがるに違いない。私一人がそれをしたところで、なにも変わらないかもしれないが、わめて私は、堂々と背筋を伸ばして歩いてやろう。そして、二人と笑い合ってるところを、見せつけてやる。世界は海のように広大で、行く宛の検討さえつかなくて、泳げなかった頃に戻ることも、容易じゃない。それは不安で、寂しいことかもしれないが、たまに楽しいことがあれば、それだけで笑えるんだ、ってところを、見せつけてやらなきゃいけない。

 以上、それらの感慨を、文は無意識下に察した。文本人からすれば、やけにセーラー服の女が気になっていたら、やけに爽やかな気分になってきた、というわけなので、自身の気分の推移が非常に不可解だった。

「そうと決まれば、私、すぐ帰って、明日の準備をしないと。ええと、お二人は、どうですか」

「私も、椛とおんなじですよ。今日はゆっくり休んで、明日からに備えます」

「わたしだって、もちろんそうだよ! えへへ、じゃあさ、なにか歌って帰ろうよ。わたしさ、正直言うと、歌って歩くの、好きなんだよね!」

 知ってましたを発音しながらも、文と椛は立ち止まって、腕を組み、やおら唸りをあげ始める。にとりはそんな二人にはしゃいで、我先に! とでも言いたげに、腕を組んで、二人に続いた。

 しばしの黙考の果て、三人は同時に、あっ、と声をあげる。

「私、いいのが思いつきましたよ。うってつけのやつが。いやあ、恐いですね、自分のインテリジェンスがおそろしい」

「おい待てよ射命丸。わたしだって、とびきりのを思い出したぞ。いいよ、じゃあ、せーので戦わせようよ。わたしのと、おまえのをさ」

「ちょっと。私も混ぜてくださいよ。なんて、ふふ。もしかすると、三人とも同じの、考えてたりして。そうだったら、たのしいですよね」

 文もにとりも、なんだか椛の言う通りな気がしたが、共感を表面には出さず、勝負の体を繕った。しかしやっぱり、三人のうちだれもが、きっと、同じ歌を選んでいるであろうことを察していた。さて、いよいよ勝負の幕が開く。

 

「せーのっ」

 

 

 

 

 ぞうさん ぞうさん

 おはなが どこまでも

 野をこえ 山こえ 谷こえて

 はるかな まちまで ぼくたちの 松を

 いろどる 楓や蔦は

 山のふもとの 裾もよう

 

 ぞうさん ぞうさん

 だれが どこまでも

 列車のひびきを おいかけて

 リズムに あわせて ぼくたちも 赤や

 黄色の いろさまざまに

 水の上にも 織るにしき

 

 

 

 

 明くる朝、目を覚ました三人は銘々に行動に移った。椛は昨晩夜なべした書いた辞表を手に取り、荷造りの済んだ部屋から飛び出し、にとりは河童の上司と共に、山のお上への謝罪に赴いた。文は、目を覚まして久々に、机に座った。机は以前とまったく変わらない座り心地で、文を迎えたのだった。

 

 それからまた、時が流れた。

「なんだかな。……はたてさんも、遠慮せず来ればよかったのに。『いいから、三人で行ってきなさい』なんて言ってさ。わたしやっぱり、あの人のことよくわかんないよ」

「まあまあにとりさん。はたてさんははたてさんなりに、気を使ってくれたんですよ。私ははたてのそういうところ、けっこう好きなんですけどね……まぁ、いないひとを褒めたってはじまりません。さっそく、始めましょうか」

「うう、なんだか照れちゃいます……。いや、やっぱり恥ずかしいですよ、就職が決まった程度のことで、祝われるなんて」

 そこは地底の居酒屋だった。特に、三人が選んだ、というわけではないが、奇遇にも、そこは以前つまらない映画を観た後に利用した店と、同じ店だ。店には暮れも早々に喧騒が響き渡り、他の個室から聞こえてくる下品な笑い声や、あまりにも楽しそう“すぎる”話し声といったそれらの喧騒は、三人の個室にまで筒抜けになっている。しかし、そんな喧騒や、店の、橙の照明たちは、これから始まる久々のたのしみを、三人に殊更感じさせるばかりだった。

「いえいえ、これは椛の就職を祝うばかりの会ではありませんよ。私だって、祝ってもらわなくては困りますからね!」

 文は結局、すぐに記者に戻ることをしなかった。いくら永い間務めたとはいえ、怠惰が原因の解職だ。そう簡単に、戻れるはずがない。仮に戻れたとしても、メンツが立たない。

 そう考えた文は、なにか、自身の経験にものを言わせて、エッセイなぞを書くことにした。娯楽の少ない里でならなにを書いても売れるに違いない、エッセイとかが簡単そうだ、私ならば、何を書いたとしても面白くなるにきまっている。などといった傲慢さの数々を腹積もりに、文は数ヶ月かけてエッセイを書いた。そして、今日はその出版記念の会でもあるというわけだ。

「うーん。出版に就職、それに比べると、わたしのはちょっと見劣りするかもしれないけど。でも、わたしだって頑張ったし、祝ってほしいから、祝ってね」

 にとりは今日が、復職後の初給料日だった。にとりはあれから、仕事に無事戻れたが、同じ仕事に戻る、ということはしなかった。にとりのやっていたマニュアルの作製、改訂の仕事には、例の、後輩河童が就いていたためである。しかし、まるっきり別の仕事を始めたわけでもない。にとりは、経験の浅い後輩河童の指導役の座に就いたのだった。

 後輩河童はやはり後輩よりも後輩らしく、後輩然として、知ってて当然のことを当然のように知らなかったため、復職後のにとりは随分と難儀したものだ。しかし、とりわけて、にとりにとってその日々は、明るく、楽しく、健全な、労働の日々だったといえるだろう。

「そんな! 私ですよ、いちばんどうしようもないのは! だって、とりあえずやってみようって思って始めてみることにしただけで、人生これに決めた! とか、そういうわけじゃないですから」

 哨戒を辞めた椛の前には、本当の自由が広がっていた。自分に合った仕事、自分が本当にやりたいこと。すべてが未定であったために、椛の視界に広がったのはあまりにも広大な世界だった。備え付けの家具だらけの寮を出て、二人と違い潤沢に蓄えた貯金で貸家を選び、家具だってなんだって、自分で選ぶ。もちろん仕事にしてもそうだ。いままで趣味という趣味も持たなかったので、趣味を持ってみるのもいい。貯金があるから、何もせず、ぼんやりするにしたって何にしたって、椛の自由だった。

「あ! 来てしまいましたよ、とりあえずの、生が。愛想振りまき合うのもこのへんにして、やってしまいましょう!」

「ちがいないね!」

「はい!」

 

――三人のこの物語にも、いよいよ一段落がつこうとしている。義務というわけでもないが、どうしたって、このあたりで締めなければならないようだ。

 しかし。

 どうにも、締め方というものが思い浮かばない。不誠実かつやぶから棒ではあるが、例のエッセイの最後のページを引用する、という形で、締めさせていただきたく思う。

 

 

しかしそれでも、みな、やつの尻尾を手放せない。手の中で尻尾が干からびたなら、また、やつの本体を探しては、追いかけてしまうだろう。

 それはきっと、猫の毛繕いそのものなのだ。毛玉を吐くとわかっていてもやめられない、動物じみた習性から、自分の届く範囲しか繕えない仕方なさまで、そのものなのである。

 非行として吸い始めたタバコを、気付いたら手放せなくなっているのと同じように。

 泳げなかった頃には二度と、戻れないのと同じように。

 月が沈めば、日が昇るのと同じように。

 きっと、世界中の誰もがそれを、やめられないままでいる。

 

 

 ――との、ことである。文の言わんとするところというのは、つまるところ……ああここで、乾杯の時間だ!

 

 

 

 

「――それでは、私の出版、にとりさんの復職ないしは初給料日、椛の自由に基づく再就職を祝って――」

 

 

 

 

 

 ――乾杯!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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