三人の『おお牧場はみどり』は地底深く、旧都の繁華街その入口付近へ至るまで続いた。昼間っから陽気なやつらもいたもんだ。馬鹿みたいに陽気なやつらだ、此処に何のようがあるってんだ。地底に住む酒浸りの有象無象が向ける怪訝な眼差しに気づくこともなく、三人はニコニコと、これからについて話し合っていた。
「やあ、ずっと歌ってたおかげか、意外と早く着きましたね。おわー! どうしましょう! みてくださいよ、この場末の感じ! 中繁盛ってところでしょうか、うんうん。いやあ! 楽しみですねぇ!」
文は感動が剰ったか、自らの頭を両掌で押さえつけながら揚々と謳う。
「ほんとほんと。そこかしこにぶら下がる提灯が祭りみたいで、まさしく常夜だね」
腕を組んで頷くにとりの言う通り、繁華街のそこかしこはロープが伸びて、ロープには提灯やら何やらが吊り下げられ、薄暗い地底を橙に彩っていた。
看板にまみれたぼろの直方体に囲まれた通りの狭さと暗さ、そして賑やかさは、にとりと文にとっては克明に夜だった。しかし、昂揚する二人をよそに、椛はどこで買ったかプラスチックのコップに注がれた小麦色の炭酸にちびりと口を付け、おもむろに口を開いた。
「でも、なんでしょうね。確かにここは落ち着くんですけど、でも、なんというか。……歌が悪かったのかな」
場に似つかわしくない椛の訥々とした語り口に、二人は笑顔のまま首を傾げた。
「あの、なんというか。……ここは薄暗くても、結局、外は明るいわけじゃないですか。広場を出てからまだあんまり経ってないし、ここも文さんの言う通り、まだ中繁盛だし。やっぱり、その、昼を感じるんですよ。外に居たときよりなにか、地底に潜ってからの方が、よっぽど。壁一枚隔てて晴天、みたいな。映画館を出れば真っ昼間、的な。私はどうも、裏恐ろしい気分になってきましたよ」
椛の話を聞いた瞬間、笑顔な二人の視覚野にも、青く透き通る空のイメージが鮮明に映し出された。おまえが口にしなければ私は平気だったのに、と思わない文とにとりではなかったが、結局、二人は「たしかに」と頷いては腕を組んで、やおら唸りをあげた。
「うーん。でも、そんなこと言ったってさ。さっさと酒を飲みたいことには変わりないんだよな」
「そうなんですけどね。でも、椛の言う通り、私もどうも裏恐ろしい気分になってきましたね。これじゃあ飲むにしたって、宿題やってないのに遊ぶ、みたいな気持ちで、十分に楽しめない気がするんですよ」
コップをちびりちびりとやる椛をよそに、二人は「うーん」と、振り出しに戻った。無論、二人が納期や何やらを放ったらかしておきながら“宿題やってないのに遊ぶ”ような気分になっていないのは、先程飲んだ缶ビールのおかげである。
椛のやる麦酒が三分の一程度となったころ、文が「そうだ!」と口を切った。
「映画ですよ! 映画。椛がさっき言ってましたけど、“映画館を出れば昼”が恐ろしいのは、映画館を出て、実際に外が昼だからじゃあないですか! 映画館を出て暗かったら? それはもう夜ですよ、夜! ああ、我ながら感心します。自分のインテリジェンスが恐ろしいですよ」
椛とにとりは酷く感心した様子で、天才、天才、と文へ称揚の拍手を送った。酔っぱらいを納得させるのは信憑性や説得力ではなく、酔っぱらい特有の自信満々な態度のみだった。
話がまとまるが早いか三人は映画館を探した。酒を扱う露店を三つほど梯子して、三人はようやっと目的の看板の前に立つ。
建物の左辺りには地下の劇場へと繋がる階段があり、階段隣の外壁には様々な映画のポスターが貼り出された看板が在った。
「『遊泳監視録ムラサ』……これとかどうですか、あんまり面白くなさそうですよ」
「そうかな、ポスターみる限りだと、けっこう面白そうなんだけど」
三人には映画館を探す中で交わされた或る取り決めがあった。それは、暗いシーンが多めで、かつ、いっとうつまらない映画を観よう、という取り決めである。映画を観るとして、それがつまらない映画ならば、実際に観賞している時間よりも、体感では長く感じる。とすれば必然、外に出たときの“夜度”も増すだろう。これも、文の発案だった。
しかし実のところ、外は既に夕暮れていた。三人が映画を見終わる頃には実際に、世界には緞帳が落ちているだろう。三人は地底の暗さの中で、その事実に気が付けないまま、つまらなさそうな映画を探した。
「あ、これとかどうですか。『とにかく明るい殺人事件』だなんて。ふふ、ありえないですよ、そんなの。ね、これにしませんか」
椛が口を開くと二人は即断した。こんなタイトルの映画が面白いはずがない。さっそく階段を降りようと、三人が一段目に踏み出した、その時だった。
にとりがハッと、何かを思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、劇場内はお酒飲めるのかな。飲めるにしても飲めないにしても、入る前に一杯買っといたほうがいい気がしてきた」
「それなら大丈夫ですよ。看板に書いてあったんですけど、館内飲酒オーケーらしいです。それに、中にお酒も売ってるとかなんとか」
「ほんと? よかった」
椛の言葉ににとりは胸を撫で下ろした。文も文で「よかったよかった」と嘯いて、揚々と階段を降った。
「あと、野次もオーケーだとか」
「ああ、いいですねえ」
地下へと続く階段は暗く、狭く。三人は一列になってゆっくりと一段一段を踏みしめた。これからつまらない映画を観ようという、三人の心は踊っている。文の後ろを歩くにとりは胸ポケットの煙草にぼんやりと思いを馳せ、文は階段の暗さと狭さに、無意識下で母の胎内を察した。一番後ろを歩く椛は、曖昧な笑みを貼り付けたまま、どこから取り出したか、やおら缶ビールに口を付けた。
『おいおいつまらなさすぎるぞ! 返せよ、金を。返せよ、金を!』
『もう死ねよ! 死になよ、死んでしまえよ!』
『誰だよこの映画を作ったのは! 何の病気に罹ればこんなのが作れるんだよ!』
暗い劇場の、大きな四角い明りに照らされた観客達の顔は、皆一様に赤らんでいた。観客達はみなそれぞれ、モニターに缶を投げるなり、悲鳴に似た悪口雑言を投げるなり、前の席の背もたれを蹴りつけるなりしていた。
館内の売店で酒とつまみを買い込んだ三人も周りの観客に倣い、各々非行に走った。
文は永い新聞記者の経験に物を言わせて、秀逸かつ醜悪な野次を飛ばした。背丈の短いにとりは、前の席に座った長身の男、そいつのもたれかかる背もたれを執拗に蹴りつけた。椛は曖昧に笑いながら、狼の駆けるようなピッチで飲み続け、開いた缶をコンスタントに、また淡々と、モニターへと放り続けた。
パンフレットに書かれたその映画のあらすじは、或る里で幼い少女が薬売りに任命され、蔓延る鬱病患者に抗うつ薬を処方していく、というものだった。しかしその実、少女が抗うつ薬を処方するシーンは一度として登場せず、鬱病を甘えと断じて曲げない少女が鬱病患者を結果的に殺す、という内容だった。これが筋書き通りにさらさらと流れるのであるならば或いは、シーンの一つ一つも酷く単調で、間延びしていた。ところどころに挟まれる意図の読めないお色気シーンや抽象的な会話もまた、映画のつまらなさに拍車をかけていた。
ともすれば、三人はますますご満悦、酸いと甘いの甘いが此処だ、といった表情で野次を飛ばし、席を蹴り、缶を放り続けた。
三人が映画館を出れば、そこには夜が在った。街はいっそう橙に、猥雑な、無秩序な、騒がしい喧騒が跋扈している。それは紛れもなく、三人の望んだ夜だった。
酒とつまみが有ったとはいえ、退屈な映画と窮屈な座椅子から抜け出した解放感と、街らしい夜の息遣いに、三人は心地よさげに伸びをした。夜だ夜だ、やっと夜だ、とはしゃいでは、つまらない映画という新鮮な魚を消化すべく、三人はすぐさま店へと駆け込んだ。
個室に通された三人は和気あいあいと、映画の悪口を交えながら酒を飲む。他の個室から聞こえてくる下品な笑い声や、あまりにも楽しそう“すぎる”話し声、それらの喧騒は居酒屋という舞台において、これ以上ないバック・グラウンド・ミュージックだった。
「や、それにしても、これは絶品ですね。なんのお肉なんでしょうか」
文は表面の白い肉の断片を口に運びながら、目を丸くして言った。座席は座布団が敷かれており、にとりは胡座をかいて、膝に肘を乗せては煙草をふかし、文に答えた。
「品書きにはとりわさって書いてあったんだろ? じゃあ、とりわさの肉だよ」
「え、とりわさ。そんな動物、聞いたことありませんね」
文は何故か感嘆混じりにあむあむとした。
「でも、名前を聞く限り、かわいい動物なんでしょうね。ふふ、だって、とりわさって。ふふ、あははは」
椛はすっかり出来上がった様子で、テーブルに突っ伏して笑い転げた。
それから三人は腕を組んで、とりわさとは如何なる動物か、それについて議論をした。名前からしてかわいい動物に違いない。いや、でもそういうやつが意外と強かったりする。毒を持ってたりする。しかし動きは鈍く、点滴は空を飛ぶ、でっかくて素早い動物に違いない。ともすれば、草食に違いない。こうもくさみがなく、あっさりとした味とすれば、普段はシソあたりを食しているのだ。
根拠の欠如を知ることもなく、みな真剣に、とりわさの生態を解き明かしていった。最終的に出た結論は、とりわさはとても可哀想な動物である、というもので、場の空気はやおら湿った。なにかに優しくしたい酔っぱらいはどこにでもいて、この三人ならば、その結論は当然の帰結であったと言えよう。
三人の優しさは地球の裏側にまで到達し、その後リデュース、リユース、リサイクルの輪を描く。三人はループに気がつくこともなく地球を慰め続けたが、文が不意に、かわいそうといえば、と口を切った。
「あの映画ですよ、主役の女の子」
主役は幼い少女が務めていた。二人はすぐさま腕を組み、文の発言の意図を慮る。
「作中では、最終的に村八分の憂き目にあってましたね」
椛の言葉に文は「いやほんと」と、つまらない映画をこき下ろした。
「ほんと。あんな映画に出演させられて、かわいそうったらないね。わたしが親だったら監督を殺してるよ」
実のところ、にとりはあの映画を楽しんでいた。前列の背の高い男に遮られ、映像は断片的にしか記憶していなかったが、それでも面白い映画であったと考えていた。しかし、文と椛の論調の辛辣さに、にとりは煙草をふかして合わせる他になかった。
「まあ、いろいろありますがね。一番はアレですよ。あの映画、妙にお色気シーンが多かった。水を浴びて透けたり、鬱病患者に迫られたり、年端もいかない少女があんな目にあうなんて。ああ。私はなにか、興奮してきましたよ」
文の言葉に二人は困ったように腕を組む。
「う、うーん」
酔宴に、色を持ち込むのはいつも文だった