誰もがそれをやめられない!   作:kodai

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「あっ」

 にとりは思わず声をあげた。扉の向こうに広がるのは、にとりにとって、どこか見覚えのある景色だった。どうしましたか、と文が割り込む。

「……扉の向こうは、部屋、みたいですね」

 部屋? と、今度は椛が割り込んだ。

「……ほんとですね、部屋です。にとりさん、もしかして知ってる部屋ですか?」

 扉の向こうには部屋があった。大きな棚も、低いテーブルも、壁に打ち付けられたハンガーすらも、全てが地面と同じ質感、同じドギツいピンクで構築されていたが、三人にはそれが部屋と判った。とりわけてにとりには、その実感が、判然たる克明さで訪れた。

「ううん、しらない。しらない部屋だね」

 紛れもなく、にとりの部屋だった。二人がそれを解さないのは、二人の脳内に在る“にとりの部屋”が、“ガラクタゴミ屋敷”へと改名していた為である。

 にとりの脳裏に懸念が浮かんだ。この世界が文の言う通りに『酔った際の欲求が具現化される世界』だとして、文の場合は河童めかした犬の出現という形でそれが成った。では、自分の場合は。今はまだ何も起きていないが、これから何かが起こる、そのように想像するだけで、にとりは裏恐ろしい気持ちになった。

「ダメですね。棚は空っぽで何も入ってません。椛、そっちはどうですか?」

「冷蔵庫も空です。つまんないの」

 部屋に入るなり物色を始める二人に、勇者かお前ら、とツッコミたいにとりだったが、それ以上の、今にも自身の部屋とバレてしまいそうな焦燥に、にとりは扉の前で立ちすくみ、部屋に入れずにいた。

 扉の外でもじもじしてる河童を見れば、当然二人は声をかける。

 どうかしましたか。

 瞬間、にとりは奇策を思い付いた。それは素早い行動だった。威風堂々扉を潜り、手始めに低いテーブルを蹴り飛ばす。文と椛の目が白黒とする。二人の目が白黒しているうちに、にとりは棚を投げ倒した。櫓投げだ。とどめに冷蔵庫の扉を開け、勢いよく閉めて、にとりのターンは終了した。

「こういう家具の裏にさ、ヒントが隠れているものだよ。往々にしてさ!」

 ぽかんとしていた二人はやおら、たしかに、と発声し、家具をひっくり返し始めた。そろそろひっくり返せるものが無くなった頃、椛が部屋を見渡し「あれ」と口を切る。

「なんか、このぐちゃぐちゃした感じ、見覚えがあるような」

 にとりの策は裏目に出た。

 二人の記憶に眠る、かつての綺麗な部屋が呼び覚まされる前に、見る影もなく荒らしてやろう。そう考えたにとりだったが、もはや、にとりの〝綺麗な部屋〟など、二人にとっては故人だったのだ。――先ほど、二人の中でにとりの部屋は“ガラクタゴミ屋敷”に改名していた、と記述したが、“ガラクタゴミ屋敷”これは正しくいえば“綺麗な部屋”の“戒名”だったのだ。改名ならぬ、戒名なのである。――実際と違い、すべてが地面と同じドギツいピンクの物質で構成されてはいたが、部屋の荒れ具合は、それだけで、にとりの部屋を想起させるには十分だった。

「言われてみればたしかに。どことなく、にとりさんのお家と似てますね」

「うちは、もっとせまいよ」

 でもこの棚。椛が口を開く。

「この棚、にとりさんが布団被せて、いつも椅子にしてるやつですよね。ほらこの座り心地、身に覚えがあります」

 わたしにはないよ。にとりが発音するのと同時に、荒れた部屋に、忽然と、三つの椅子が現れた。革張りの、高級そうな椅子だった。それはにとりにとっても見慣れぬ椅子であったため、にとりはしめた!と口を切る。

「ほら、こんな椅子はわたしの部屋にはないぞ! 二人も座ってみたらどうだ、そしたらきっと、ここがわたしの部屋とは関係のないことがわかるから」

 にとりが口を動かしてる最中、椅子の革は盛り上がり、破け、裂け目から錆びた金属が飛び出して駆動した。にとりが言い切る頃には、椅子はすっかり拘束の、拷問器具に姿を変え、にとりの体は施された機構にしっかりと拘束されていた。

「ほら、座りなよ。二人とも。ね。座ろうよ、三人で」

 そんなにとりがなんだか不憫で、二人は椅子に腰を落ち着けた。椅子は機械的に駆動し、二人の身体を拘束する。

「にとりさん。この椅子は、にとりさんのどういった欲求なんですか」

「大丈夫ですよ。聞いても照れたりしませんから、言ってみてください」

 先程、文が自身の酔った際の欲求を打ち明け、犬が消えたことを、三人は把握していた。打ち明ければ、椅子は消え、きっと次の扉が開かれる。それをわからないにとりではなかったが、口をついたのは誤魔化しだった。

「い、いやあ。なんていうのかな。この、椅子はさ。わたしが造ろうと思ってたけど、どうしても完成させられなかった椅子なんだよね。こんなふうに、身体を拘束するところまでは実現させられてたんだけど、その先がどうも。だからこの椅子の正体は言うなれば、まあ、技師としての〝完成への飢え〟ってやつかな。あはは。しかしこの不思議な世界でも、構想を実現させることは不可能らしいや。わたしほど優秀な技師になると、ときどき、どうしても実現不可能なものを思いついてしまう。なんとも、ああ、かなしいね」

 にとりが格好付け終わると、三人の腿の付け根上あたりの虚空に、ぽわんと、丸鋸が現れた。初めは宙に浮いていた丸鋸だったが、一寸すると、丸鋸と、椅子を繋ぎ止める機構がぼんやりと浮かび上がった。半透明の機構は次第に実体を帯び、終には現実に、三人の視界に確かな物として顕現した。

「にとりさん。この、動けば下半分を切断してしまいそうな丸鋸は、にとりさんのどういった欲求なんですか」

「大丈夫ですよ。聞いても照れたりしませんから、言ってみてください」

 丸鋸の出現に合わせて、にとりはこの椅子の正体を確信した。しかし、それを打ち明けられるかどうかは、また別の問題である。

「しらんし」

 にとりの薄情な一声と同時に、丸鋸が駆動を開始した。軸ごと削りとってしまいそうな回転に伴う轟音は、とりわけて、薄情な駆動音であったといえる。

 

 十四分が経過した。

 

 丸鋸は十四分かけて、ゆっくりと、確実に三人の太腿の付け根に接近した。回転する刃は今にも肉に食い込まんとしている。

「ああ! にとりさん、早く言ってくださいよ。にとりさんが吐かないと、私達の足、本当に!」

 はじめ四、五分の間は極めて冷静だった文も、今では見る影もなく慌てふためいて、にとりに打ち明けるよう叫ぶ。文の思うよりずっと、にとりは強情だった。

「わ、私はにとりさんの考えてること、なんとなく分かってますから! 白狼天狗はハナが利きます! だから、いまさら言われたって、おどろかないし、笑わないし、だってなにより知ってたし!」

 七、八分頃までは、急ぐことはない、言いたくなるまで待ちましょう、と、回答を急かす文を嗜めていた椛にしても、今となっては文と同様に、動かぬ体でのたうって、顔面を青白く染めていた。

「えっと、その、わたし、だって、そんな!」

 錆びた拘束椅子に身体の自由を奪われた文と椛は必死でにとりに懇願する。二人の顔は青ざめて、にとりの頬のみが紅潮していた。

「ああ、にとりさん! 早く、早く!」

「に、にとりさん! 言ってください! 後生だから!」

 目に涙を浮かべ、紅潮した顔をぶるぶると震わせて、にとりは意を決して口を開いた。

「あー! わたしは、わたしは二人が! 二人のことが羨ましいんだ! 妬ましいんだ! 自分の短い背丈が、嫌で仕方がないんだよお!」

 ぱっと、椅子が消える。文と椛は尻もちをついて、そのままへなへなと、地面に倒れ込む。二人とも、どっと冷や汗をかいた。二人をよそに、にとりは体育の座位で俯いて、両腕に顔を埋めていた。

 死ぬかと思った。息を切らして出所不明の涙を拭う文を一瞥し、椛はにとりに声をかける。

「あの、にとりさん。なんていうか、その」

「いいよ! ほっといて!」

 にとりが酔うと煙草を吸うのは、謂わば、自身の子供じみた性質の裏返しだった。自覚のあるなしに関係なく、にとりには大人という言葉への憧れがあったことを、文はともかく、椛は知っていた。

 二人に自身のコンプレックスを知られてしまったにとりの胸中は、恥ずかしさと後悔で一杯だった。これまで、二人の前で自身のやってきた“大人めかした”言動、ないしは行動が、全て仇となって咲き乱れた。

 ――『煙草だよ、煙草。射命丸、あいつはね、タバコのフィルターと似てるんだ』――。

「あー!」

 にとりは声を出さずにはいられなかった。思い出したくないことは、それを一番思い出したくない状況で思い起こされる。恥とは往々にして、そんなものである。

 死ぬかと思った、と繰り返し続ける文の右方で、椛はにとりを慰め続けた。にとりにとって、椛の優しさが余計に辛辣だったことは、言うまでもない。




ストックが切れたのでしばらく更新が滞りそうです(多分
それまで感想とか評価が増えてるといいなあ!
いいなあ!

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