誰もがそれをやめられない!   作:kodai

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 そうこうしているうちに、部屋の天井が、ダンボールか何かを開封するのと同じようにして、開いた。四つに分かれた天井はそのまま壁を引き剥がし、地面と同化する。にとりは恥ずかしさから両腕に顔を埋め、文は未だ消化しきれぬ焦燥を、地面にうつ伏せとなって吐き出している。よって、周囲の変化に気が付いたのは椛のみだった。

 部屋に散乱していたはずの家具も、気付けば消えている。椛が辺りを見渡すと、そこには広大な地面があった。地面はピンクが大凡の割合を締め、赤はどこか見覚えのある形状で、ぶちまけられていた。椛は、広いピンクの海と、赤く染まった所々に、或るパターンを見出した。

 ああ、これは世界だ。と、すれば。

 椛は静かに、空と呼ぶには虚しすぎる暗闇を仰ぐ。そこには、巨大な人面の月が在った。月は今までの温厚な笑みとは打って変わって、目玉をひん剥き、歯を思いっきり食いしばって、椛達に接近していた。今なお接近を続ける月は、あと数秒もしたら、椛達の身体を、世界ごと破壊してしまうだろう。しかし、月の接近には音が無かった。

 椛を除いた二人は、未だ各々の感情を消化し続け、月に気がつく様子がない。――これまで三人が人面というあからさまに稀有な特徴を持った月に一度も言及しなかった要因は、間違いなく、接近という“見せ場”でさえも無音で迫るその謙虚さにあると考える。彼の顔はどこぞの機関車に酷似していた。哀れみは、誰の心にでも存在する。――地面に描かれた世界地図、接近する月。椛は瞬時に、それらが自分の欲求であることを悟った。

「私、みんな無くなっちゃえばいいのにって、ときどき思うんです」

 落ち込んだにとりの頭を撫でながら、椛はするりと呟いた。

「え?」

 声を揃えて、二人が顔をあげる。しかし、その頃には月はすっかりと消え、宙には相変わらずの闇が在った。月さえも消えた深い黒は、宇宙と同じ色をしている。そんな黒い虚空の下、なんでもありません、と笑う椛の瞳に、二人は宇宙を見出した。

『おつかれさまでした! 途中からだけど、おにいさんたちのこと、ちゃんと見てたよー』

 突如、世界に声が響く。三人は瞬時に声の主を察して「あ、こいしちゃんだ」と嘯いた。

「ね、ね。どうだった? ハプニングだったよね? 楽しかったでしょ?」

 うつ伏せにへたり込んでいた文はすっと立ち上がり、頭を撫でられっぱなしのにとりは椛の手を素早く振り払った。椛も二人に合わせてしゃんとした。三人とも、自分たちの遊んでいるところを親に見られたような気持ちになっていた。

「おつかれさま、ってことは、これで全部おしまいですか」

『うん、おしまい! もしかして、ものたりなかった?』

 いえ、とんでも。げんなりして、文は首の裏をかく。にとりもすっかり居直って、「いくらただとはいえ、こんな目に合うなんて。むしろこっちが何か貰いたいぐらいだよ」と文に合わせた。椛が出口について訪ねようと口を開きかけたが、こいしが遮った。

『ふっふーん。実はね、報酬はちゃんと用意してあるのです。なんだと思う? ね、なんだと思う?』

「報酬だって。射命丸、何がいい?」

「謝罪ですかね」

 椛が出口について訪ねようと口を開きかけたが、またしてもこいしが遮った。

『正解は……出てからのお楽しみでーす。がーん! ショック! ……じゃあ、最初にできなかった、出口についての説明をするね。ここには出口っていう出口はないんだけど、出る方法があるの。けっこう、簡単だよ。自分の酔っ払っちゃったときの欲求を、十回唱えればいいの。ね、簡単でしょ?』

 三人は三人とも言いたいことがあり、銘々に口を開きかけていたが、こいしの、最後の一言を聞いた途端、各々開いた口が塞がらなくなった。

『どこかはわかんないけど、三人とも同じ場所には出るはずだから。それじゃあね!』

 またのご来店をお待ちしてます、もう戻ってきちゃだめだよ。と、支離滅裂な二言を残して、こいしはそのまま、二度と戻らなかった。

 ちょっとした時間が過ぎたが、その中で、三人が協議し決定した事項があった。

「耳、ちゃんと塞ぎましたか?」

「はは、馬鹿だなこいつ。ちゃんと塞いでたら聞こえるはずないだろ」

「あー! にとりさん! 誰が馬鹿ですか誰が」

「あ! ミイラ取りがミイラだ! やっぱりちゃんと塞いでなかったんだな。射命丸、お前ほど卑劣なやつは見たことがないよ」

 それは、椛の欲求をいまひとつ聞き逃してしまった二人が提案した紳士協定だった。自分たちが打ち明けたからって、椛までそれをすることはない。という体で結ばれた協定だったが、ミイラ二匹の狼藉に、椛の血管の危機を感じていた。――そして、三匹目だ!――。

「ふたりとも! ちゃんと耳塞いでてくださいよ。そっちが言い出したことなんだから、お願いしますよ。もう」

 椛が何か物騒なことを呟いていたことだけは察していた二人だったが、どうしても、はっきりと耳にしておきたかったのだ。

「だいいち、お二人だって、また聞かれるのも、聞くのも、恥ずかしいくせに」

 しかし椛の指摘も最もだったので、二人はしっかりと耳を塞ぎ、頷いて、準備万端の合図を出した。合図を互いに示し合わせて、いよいよ以て口を開く。

「私は二人に構ってほしい……私は二人に……」

「わたしは長い脚がほしい……わたしは長い……」

 声は頭蓋骨にこだまして、各々の聴覚に響き渡った。文とにとりは、ふと、椛の口元に目線を遣る。

「……。……。……」

 二人は、どうしても気になった。これほどまでに魅力的な椛の唇を、二人はこれまで見たことがなかった。二人して、ゆっくりと、耳元から手のひらを離す。

「……界滅亡、世界滅亡、世界滅……。…………」

 二人はそっと、耳をふさいだ。

目を瞑り、それぞれ十回唱え終えた三人の視覚野に、世界の暗闇がなだれ込んだ。それが紛れもなく意識の暗転を示唆していることを、三人は直感で察した。

「あれ」

 瞬間、感じた肌寒さに口を開いたのはにとりだった。目を開けると、見慣れているような、久しいような、景観。視界には雑多な店々が連なり、そのどれもが、出入り口を閉ざして、沈黙している。にとりの隣で伸びていた文も、目を覚ます。上体を起こせば、がさごそと、文は背中の後ろに雑然たるビニール袋の気配を感じた。椛も、少し遅れて上体を起こした。静まり返った場末の通りは、椛に白々とした早朝を想わせた。

 しかし空はない。そこは地底だった。地底の、用途の読めない木製の電柱の脇、低いコンクリートの塀の中、三人は捨て子の様相でゴミ袋に塗れていた。髪はぼさぼさ、服はしわくちゃ、目の下には、不足した睡眠に隈がよって、三人は見るからに、ネオン街から投棄された捨て子他ならなかった。

 街の静けさと肌寒さは、夜に甘えていた三人を突き放し、朝を思わせた。各々、おもむろに肘を抱く。

「あれ。ポケットに、なにか」

 言いながら、文は胸ポケットをまさぐった。にとりも椛も、「え、ポケット」と発音し、各々の服に付いた、いろんなポケットをまさぐる。三人はポケットから、同じタイミングでそれを取り出した。

 それは、小さなメモ用紙と、やたらに太い判子だった。小さなメモ用紙には、「ご利用ありがとうございました。他のお店がライターとかをあげてるのをみて、こいしも、粗品を用意したのです。それが、こいしの言っていた、報酬というやつです」と、上下どちらとも区別のつかぬ位置からのメッセージが走り書きされていた。三人は、数時間前にみたはずの、けれど、もはやどこか懐かしくなった“こいしちゃん”の顔を思い浮かべて、苦笑した。苦笑のままに、三人は、やたらと太い判子をみやった。印面には、文字ではなく、何か形が刻まれており、よくよく見ると、それはどうやら、唇の形をしていた。

 文はすかさず判子を握って、疲れにすっかり気怠くなった腕を動かし、隣の、にとりの頬を突いた。

「やめーや」

 にとりはそれを避けることはしなかったが、代わりに、頬にくっついたまま離れない文の判子を、やにわに振り払って、弾き飛ばした。飛ばされ、地面に転がっていく判子を無意識に追いかける文を見、椛は疲れからか、自分の役目を奪われたような気になって、ぼんやりとした。頬にべったりとキスマークを付けたにとりは、椛の頬へと、自分が文にされたのと同じように、判子を押し付ける。椛が虫の反応で報復をしたので、それは、ちょっとした戦争に発展した。判子を拾って戻ってきた文も乱入したので、三人の顔、またその周辺は、キスマークだらけとなった。疲労から、三人はそれを無感動にやり遂げた。

 要するに三人は、労働明けに気分を良くしたどこぞの馬の骨から、「おつかれさまです」の声をもらったり、朝早い露天商の、「昨夜は随分お楽しみだったようで」なんて邪推を投げつけられたり、早起きの、真っ当な商売人の、不愉快そうな視線を浴びたりしながら、帰路を辿ったわけである。帰路を歩く疲れ切った三人の頭は回らず、触覚と、聴覚だけが過敏になって、地面を踏みしめる感触と音のみが、意識のそばを、白々しく滑っていった。

 しかし、三人の心には所謂“やりきった”ような感慨もあったため、銘々に、格好をつけて闊歩した。文は、片手をお尻のポケットに入れ、その肘で、もう片手を脇腹あたりに挟み、少しだけ方をすくめ、また、背筋を曲げて、歩いた。にとりは、両手を外套のポケットに突っ込んで、文よりもっとわざとらしく、背筋を曲げて歩いた。椛は背筋こそ伸びていたが、腕を組んで、なにか、しきりに、右上や左上の虚空へ視線を泳がせていた。それがそれぞれの、持ちうる限りの美意識、というやつだったのかどうかは知れないが、ともかくとして。三人が他人とすれ違う際には、どこからともなく、間抜けな鳥が、鳴いたそうな。

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