月の首都とも言うべきクレイドル。
北海道以上の大きさを持つそのクレイドルの中でも更に中心部分にある政庁にて、ハモンは通信を送ってきた男――タチ――からの報告に驚きの表情を浮かべる。
「MIP社が? それは本当?」
『はい。ジオン軍にて少数ですが採用されたMAのビグロの生産ラインを買い取って欲しい、と。またビグロの開発に携わった者の受け入れも希望するとの事です』
はぁ、と。ハモンはタチの報告に溜息を吐く。
とはいえ、MIP社がそのような真似をする理由も幾らかは分かっている。
元々ジオン公国にある兵器メーカーのうち、一番ルナ・ジオンと関係が深かったのはMIP社だった。
これはジオン軍で採用されているのがMSで、MIP社の開発しているMAが主力とはなっておらず、どうしても他の2社に遅れを取っていた事が大きい。
一応MIP社もズゴックという水陸両用MSの傑作機を開発したのだが、MSに関してはそこで終わってしまっている。
そんな訳で一番接触しやすい相手としてアクセルが選んだのがMIP社で、それ以降も色々とMIP社はルナ・ジオンと深い関係にあった。
だが、それを知ったツィマッド社がヅダの開発チームを送ってきた事により、話は変わる。
ヅダの開発が本格的になり、最終的にはヅダがルナ・ジオン軍の主力MSとして決定したのだ。
そしてツィマッド社に遅れまいと、最近ではジオニック社もグフカスタムやグフ・フライトタイプを含めてルナ・ジオンに接近している。
その辺りの事情を考えると、ジオン公国三大兵器メーカーの中で後塵を拝する事になったMIP社が、ジオン公国の時の二の舞はごめんだと考えて行動を起こすのも当然だろう。
その結果が、MAのビグロの複数を譲渡するという行為であり、ビグロの生産ラインまでをも譲渡するという思い切った行動をMIP社に選ばせたのだ。
「まぁ、ルナ・ジオンでMAが運用しやすいのは事実だけど」
ハモンは紅茶を飲みながら、呟く。
ジオン軍にてMAが本格的に採用されなかったのは、やはりコストという点が大きい。
ただでさえジオン公国は連邦の30分の1の国力しかないと言われており、それは概ね間違っていない。
であれば、少しでも多くのMSを製造する為にはMAを採用しない……もしくは採用しても限定的にすべきと考えるのは当然だった。
だが、ルナ・ジオンの場合は、背後にシャドウミラーがいる。
元素変換装置キブツによって資源の類は格安で大量に入手出来て、しかも月を拠点としているので収入という点でも非常に大きい。
その辺りの事情を考えた場合、ルナ・ジオン軍がMAを運用出来る下地は十分にあるのだ。
とはいえ、MSの操縦はヅダを含めてそれなりに共通性の類はあるが、MAの操縦はMSとは全く違う。
この辺りの事を考えると、MAをルナ・ジオンで使うには難易度が高くなる。
それでもアプサラスの件もあってか、MAを運用する準備はある程度整っているのだが。
『そうなると、受け入れるという方向で構いませんか?』
「ええ。あの人も、採れる選択肢は多ければ助かるでしょうし。ただ、MIP社には操縦訓練用のシミュレータを用意するように伝えてちょうだい」
『分かりました』
そう言い、タチとの通信が切れる。
あの人とハモンが口にした瞬間、タチの表情が一瞬変わったのはハモンにも分かった。
ハモンも、女として……それも酒場の歌姫という立場にあった女だから、他人の機微には鋭い。
特にそれが男女間の機微ともなれば尚更に。
だからこそ、タチが自分にどのような感情を抱いているのかは理解していた。
それを知った上で、あの人……ラルの存在を口にしたのだ。
自分でも酷い事をしているのは理解しているが、下手に気を持たせるような真似をするよりはこちらの方が良かった。
(早く、誰か良い人が見つかるといいのだけど)
そう考えつつ、ハモンは再び書類を手に取る。
以前はラルの副官的な立場にいたハモンだったが、今は軍だけではなく政治の方にも顔を突っ込むようになっていた。
ルナ・ジオンという国は、新興国家であるだけに人材が少ない。
……その分、その少ない人材は軒並み有能なのだが、それでも1人で片付けられる仕事の量には限りがある。
正確には質や信頼性を問わなければ相応に使える者もいるのだが、セイラとしては……いや、アンリやラルといった面々としては、あまり許容出来ない。
そのような理由から、ハモンが政治の方にも顔を出す事になっていたのだ。
勿論、ハモンにその手の能力がなければ白羽の矢は立たなかったのだろうが、幸か不幸かハモンには政治に関する才能も十分にあった。
そうして書類を整理していたハモンは、1枚の書類を見て動きを止める。
そして少し考えた後で、とある人物に通信を送る。
『はい、何でしょう?』
映像モニタに表示されたのは、メリル。
以前サイド7に潜入していた人物だが、ホワイトベースがクレイドルに来た時にそれに一緒に乗ってきて、現在はルナ・ジオンの外交を行っている部署で働いている人物だ。
目尻が下がっており、どこか穏やかな印象を受ける美人ではあるが……その性格は、決して見た目通りのものではない。
「ちょっとこっちに来た書類について質問があるんだけど……ブッホ・ジャンク社との提携について」
『えーっと……ああ、その件ですね』
ハモンの言葉に少し迷った様子のメリルだったが、すぐに思い出したのか、頷く。
「月の周辺にあるジャンクは、ルナ・ジオンで集めた後でシャドウミラーに買い取って貰う筈でしょう? なのに、そこに月以外の業者を入れてもいいの?」
『ブッホ・ジャンク社はまだ出来たばかりの新興企業なので、問題はないと判断されたんだと思います。もしこれがどこかの紐付きなら、許可は出なかったでしょうけど』
紐付き、この場合は、どこか大企業なり連邦なりの下部組織や子会社である事を意味している。
そのような企業が、もし月の周辺に無数にあるジャンクの収集作業に参加した場合、月で妙な行動をする可能性がある。
そこまでいかなくても、情報収集くらいは確実にするだろう。
それを警戒しての言葉だったが、紐付きではないと知り、ハモンは安堵する。
「そう、それならいいんだけど。……けど、ブッホ・ジャンク社というのは、随分と鋭いわね。月の周辺がいい稼ぎになると判断したんでしょう?」
『普通なら躊躇してもおかしくないところに、自分から突っ込んでいけるのは新興企業だからこそかと』
メリルの説明に、ハモンは納得したように頷く。
新興企業だからこそ、挑戦出来るということに好感を持ったのだ。
ルナ・ジオンも新興国家というのが関係しているのだろう。
……もっとも、ルナ・ジオンはジオン・ズム・ダイクンの血を継ぐセイラが建国した国であると考えると、それなりに歴史があると言ってもいいのかもしれないが。
「なら、取りあえずブッホ・ジャンク社の一件については、問題がないと判断してもいいのね?」
『はい。勿論、月の周辺で妙な事をしたら、その時はこちらの法律に基づいて処分してもいいと思いますが。ただ、私が会った感触ではそのような事をしそうには思えませんでしたよ。少し、驚くくらいこちらに好意的でしたし』
好意的というのが、表向きであればメリルもここでそれを口にはしないだろう。
メリルも諜報部やら外交部といった場所で働いているだけに、相手の態度が表面上のものなのか、もしくは本心からのものなのかを察するのは難しくはない。
そんなメリルがこう言ってくるという事は、メリルと交渉した人物は心の底から、ルナ・ジオンに好意的だったのだろう。
とはいえ、それはあくまでも交渉に来た人物だけで、実際に現場に出る者まで同じかどうかは、不明だが。
ジャンク屋の中には、粗暴な性格をしている者も多い。
そのような者が何らかの問題を起こすという可能性は十分にあった。
……とはいえ、もしそのような事があった場合は、強制的に農場に叩き込まれる事になるのだろうが。
「そう。ならいいわ。……後は、ブッホ・ジャンク社がどれだけ役に立つかだけど」
新興企業だからこそ、問題がないと判断して月周辺での仕事を許可される。
だが、新興企業だからこそ、ジャンク屋としてのノウハウがないという可能性は十分にあった。
『それは結果を見ない事には……それに、結局のところジャンク屋というのは、ジャンクを集めるという仕事です。ノウハウも必要でしょうが、なければないでどうにかなるでしょうし、そうしているうちに自然とノウハウも得られるのでは?』
「だと、いいんだけど。……取りあえず、話は分かったわ。ありがとう」
『いえ』
短く言葉を交わし、通信を切る。
そうした後で、再びハモンは書類に……ブッホ・ジャンク社についての書類に目を通す。
特に何か問題があるようには思えないのだが、何となくこのまま素直に認めてもいいのか、と疑問に思ってしまう。
そのまま少し考え……だが、結局ハモンはその判断をセイラに任せる事にする。
ルナ・ジオンという国を率いるセイラは、まだ10代の少女だ。
だが、ジオン・ズム・ダイクンの血を引くだけあって高いカリスマ性を持ち、ニュータイプとしても覚醒している。
ブッホ・ジャンク社の人間と会った時、向こうが何か邪な考えを抱いてるのなら、それを察する事が出来るくらいには。
「姫様には少し休んで貰わないといけないのだけど……こうなると、アクセルがいないのは痛いわね」
基本的に生真面目な性格のセイラだけに、どうしても仕事にのめり込んでしまう。
自分が国を率いる身になったからというのもあるだろうが、それでも部下として……いや、女としてセイラのような年若い少女が仕事だけに集中しているのは、あまり好ましくはない。
「アクセルがいれば、姫様も適度に休憩をするのだけど」
アクセルがクレイドルにいる時は、よくセイラと共にお茶会をしていた。
セイラ本人はそれを隠しているつもりだったのかもしれないが、傍から見るとそれを楽しみにしているのは丸分かりだった。
……その楽しみにしている理由が、アクセルだからなのか、それともお茶会だからなのかは、ハモンにも分からなかったが。
ハモンと一緒に酒を飲む機会の多いシーマは、意味ありげな笑みを浮かべていたが。
「気分転換でもしようかしら」
そう呟き、部屋の中に音楽を流す。
それはシャドウミラーに所属するシェリルの歌声。
ハモンも元は酒場で歌っていただけに、歌については非常に詳しいし、デビューしたばかりの歌手よりは歌が上手いという自負がある。
そんなハモンが聞いても、シェリルの歌は別格と言ってよかった。
ハモンにとって、少し前まで一番の歌い手と言えば、シャアとセイラの母親であり、自分より前にエデンの歌姫をしていたアストライアだったが、シェリルの歌はそれに勝るとも劣らぬと言ってもいい。
そんなシェリルの歌を聴きながら、再び書類に目を向け……ふと、1枚の書類で目を止める。
「アクシズ?」
ハモンも、ジオン軍に関わっていた者として当然のようにその小惑星の名前については知っていた。
ジオン軍が資源採掘用に火星と木星の間にあるデブリベルトから持ってきた小惑星で、現在では基地としても運用されている。
また、木星に向かう際の中継地点としても使われており、ジオン軍にとっては非常に重要な拠点の1つでもあった。
だからこそ、そのアクシズから……それも、アクシズの長を務めているマハラジャ・カーンから接触があったというのは、ハモンにしても驚くべき事だ。
(いえ、ダイクン派だと考えれば、そこまでおかしな話ではないのかしら?)
ハモンがシェリルの歌を聴きながら、そう考える。
ルナ・ジオンを建国する際にダイクン派に声を掛けてはいたのだが、その中でもマハラジャは出来れば味方に引き入れたい人物だったのは間違いない。
だが、アクシズという遠い場所にいる事に加え、マハラジャは娘をドズルに愛妾として差し出し、ザビ家との仲も決して悪くはなかった。
実際、辺境中の辺境とはいえ、ジオン公国にとっては重要拠点であるアクシズを任されているのだ。
ダイクン派として弾圧されていた者達にしてみれば、ダイクン派を裏切ってザビ家に擦り寄ったと思われてもおかしくはない。
「どうしたものかしらね。信用するには難しい。けど、切り捨てるには惜しい。……難しいところだけど……」
判断に悩み、取りあえず上からの指示を聞いた方がいいだろうと判断し、保留とする。
「さて、次は……あら」
今まで聴いていたシェリルの歌が終わり、別の歌に変わった事に小さく呟きつつ、ハモンは次の書類に目を向ける。
連邦軍がサイド6において何らかの施設を作っているという報告。
それも、大々的にではなくどこかの企業を表向きにして、その裏で。
「ジオン軍がフラナガン機関を作ったりしたけど、今度は連邦軍かしら。……ただ、連邦軍はニュータイプについてそこまで信じていなかったと思うけど。……取りあえず、これは詳しく調査する必要があるわね。ルナツーの返還交渉の際に突っついて貰おうかしら」
呟きつつ、ハモンは書類にその旨を書き込み、次の書類に手を伸ばすのだった。