どんな悪人であったとしても、彼女にとっては間違いなく恩人だったはずなのです。

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——じゃあな。そのうち、また来るよ。

 等間隔に並んだ石の塔。

 現し世から、わずかに逸脱したかのような領域。

 その間に用意された砂利道を歩く二人。一人は、赤いシャツを着た大柄な男。もう一人は、キンセンカとユリの花束を抱えた、小柄な少女。

 歩幅の差故か、砂利の擦れる音だけが、不規則に響く。

 しばらくすると、前を歩く大柄な男——弦十郎の足が止まり、その場所にある石塔に相対した。

 

「ここだ」

 

 弦十郎に追いつくと、小柄な少女——クリスも同じように向き合う。

 石塔に刻まれている文字は、

 

『櫻井家之墓』

 

 郊外に所在する、公営墓地の一区画。そこは、櫻井了子が眠っているはずの場所であった。

 実際には了子の名が記されているだけで、遺骨が納められているわけではない。

 櫻井了子の肉体はルナアタックの際、灰となって、風と消えた。故に、この場所は了子を弔うための、形だけのもの。

 

「今更だが、他の皆はいなくてよかったのか」

「ああ。別に、弔いに来たわけじゃない。あたし個人が、気持ちに整理をつけに来ただけだ」

 

 

 

 先日のブリーフィングの後、クリスは弦十郎を呼び止めた。

 

「あのさ、おっさん。今度の休み、連れて行ってほしい場所があるんだけど」

 

 クリスにしては珍しい、弦十郎への頼み事。以前、仏壇を家まで運ばせたせいもあってか、弦十郎は一瞬、警戒するような顔をしたが、要件を聞くと、その表情は真剣なものに変わった。そして、今度の日曜ならば、と了承したのだった。

 

 

 

 弦十郎は墓前で一礼した後、ロウソクに火を着けた。そのまま燭台に立てると、取り出した線香に火を移し、線香台へと供えた。

「クリス君、持ってきた花は両側の花立にお供えしてくれ」

「あ、ああ」

 随分と、手慣れている。クリスにとっては日本の墓参りなど馴染みのないものであるが、それでも、弦十郎の所作が無駄のないものであることは分かった。

 大人になると、そういう経験が増えるのか。それとも、弦十郎が特別多いのか。

 恐らく、両方なのだろう。

 花を供え終えると、クリスは墓石の正面に戻った。

 

 線香の煙が、鼻を掠める。あまり、馴染みのない香りだ。

 

 それが合図だったというわけではないが、事前に教えられた通り、クリスは胸の前で手をぴたりと合わせ、目を閉じた。

 そして、思考が巡り出す。

 

 永遠の刹那に存在し続ける巫女、フィーネ。自分を利用し、最後には捨てた相手。私利私欲のために、幾千、幾万の人間を犠牲にしてきた、紛れもない悪人。そもそも、弔っていい人間ではないのかもしれない。

 だが、クリスを戦火と女衒の地獄から救い上げたのは、紛れもなく彼女である。

 

 彼女の死後、クリスの中で絡まり続けた情念。それを、少しずつ解いていく。

 

 櫻井了子、もとい、フィーネ。フィーネ、もとい、櫻井了子。自分を助けたのは、どちらだったか。

 

 救済。利用。失望。廃棄。敵対。消滅。彼女と過ごした二年間の意味は、何だったのか。

 

 自分は何を失って、何を得たのか。

 

 想いは巡り、辿り、深淵へと落ちて往く。

 しかし、どれだけ潜れど解の灯りは見出せず。答えは、出そうにない。

 

 どれくらいそうしていただろうか。

 思考のわだかまりに耐えられなくなり、目を開ける。

 

 眼前には、先程と変わらない、『櫻井家之墓』という文字。どこまで行っても、それは同じ。

 

 ――何をやっているんだろうな、あたしは。

 

 何となく、そんな気はしていた。此処で、櫻井了子の墓の前で、明確な答えが出ることはないのだと。

 

 ふと横を見ると弦十郎はしゃがみ、両手を合わせて拝んでいる。

 何を祈っているのだろうか。櫻井了子との付き合いは彼の方が長い。彼女の死に、思う所も沢山あったはずだ。だが、その心情を表に出してしているところを見たことはなかった。少なくとも、クリスの前では。

 

 彼は一体、どうやって折り合いをつけているのかだろうか。気になって、つい見つめてしまう。

 クリスの視線を感じ取ったのか、弦十郎は目を開け、クリスを見上げる。

 

「もう、よかったのか?」

「……ああ。ここは、櫻井了子が眠っているべき場所で、フィーネを弔う場所じゃない。よくわかった。それに、ここでフィーネのことを考えるのは、乗っ取られた櫻井了子本人に悪い気がしてさ。だから、もういいんだ」

 

 半ば諦めたように、想いを吐き出す。連れてきてもらった手前申し訳ないが、結論は後ろ向きなものであった。

 

「……クリスくん、それは、」

 弦十郎が心配そうに、何かを言おうとする。だが、

 

「風鳴さん?」

 

 不意に横から名前を呼ばれ、弦十郎が声の主の方を向いた。

 釣られてクリスも横を向くと、そこには、眼鏡をかけた、初老の女性が立っていた。初対面のはずだが、どこか見覚えのある顔のようにも思える。

「櫻井さん……ご無沙汰しております」

 立ち上がり、深々と頭を下げる弦十郎。

 

 『櫻井』といったか。であれば、この人は――

 

「あの子の通夜のとき以来、ですね」

 

 櫻井了子の、母親か。

 

「急に声をかけてしまってごめんなさい。近くを通りかかったら、貴方が見えたものだから」

「ご連絡もなしに伺ってしまい、失礼を致しました」

「いえ、気になさらなくて結構ですよ。それと、そんなにかしこまらないで下さいな」

「ですが……」

「娘の件は天災みたいなものだったんですから。上司だったからといって、貴方がいつまでも責任を感じることはないでしょう」

 了子の母は、憂いと、慈しみと、諦めを帯びたかのような微笑みで、そう告げた。

 友里から聞いたことがある。対外的には、櫻井了子の死はルナアタック時に大量発生したノイズによるもので、遺体も残らなかった、ということになっていると。

 

「……恐縮です」

 あまり見たことのない弦十郎の姿に、クリスは少々戸惑う。そして同時に、罪悪感が芽生えてくる。弦十郎に謝らせてしまったこともそうだが、櫻井家の墓の前で、フィーネのことを考えていたことに。

 顔を合わせることに怖気付いたのか。気がつくと、クリスは俯いていた。

 

「昔からちょっと明るすぎるくらいの子で、職場で浮かないか不安だったのだけれど。帰ってくるたび楽しそうに、職場の話をしていたわ。あの子が変わらずに居られたことが、貴方達が了子に良くしてくれていた証拠です」

「いえ。私たちも了子さんの明るさには、いつも助けられていました」

 

 二人は会話を続けるが、 妙に居心地が悪くて、クリスは俯いたまま動けない。自分が接していたのはフィーネで、櫻井了子との接点はないのだから。

 このまま、会話が終わることを願ってしまう。しかし、会話が一区切りつくと、了子の母はクリスの方を向き、尋ねる。

 

「風鳴さん、そちらの女の子は?」

「ああ、この子は――」

「あたしは……。あたしは、雪音クリスといいます。フィ……了子さんには生前とてもお世話になったので、おっさ……風鳴さんに連れてきてもらいました」

 

 だが、弦十郎が紹介する前に、クリスは自ら名乗っていた。先程まで、会話をすることすら恐れていたはずだったのに。何故かは、自分でもわからなかった。

 

「そうだったの……」

 そういうと、了子の母は、ふふっと笑い出した。

 クリスは何故笑い出したのか理解できず、やや困惑の表情を浮かべた。

 その様子を察したのか、了子の母は、ごめんなさいね、と言い、釈明する。

 

「あの子は一人っ子だったから、昔から『妹がほしい』って言っててね。あなたみたいな子は、鬱陶しいくらいに可愛がってたから。あなたにも、きっとそうだったんじゃないかと思って」

 ふと、了子と過ごした二年間がフラッシュバックする。

 

 ――武装組織からあたしを救ってくれたこと。

 

 ――怯えるあたしを優しく抱きしめてくれたこと。

 

 ――美味しいご飯を作ってくれたこと。

 

 ――街で服を見繕ってくれたこと。

 

 ――そして、世界を変えるための力を与えてくれたこと。

 

 その全てが、嘘だったとしても――

 

「はい。確かに、ちょっと面倒くさい時もありましたけど、それでもあたしは、あの人と過ごした日々を大切に思ってます」

 

「そう……。わざわざ来てくれて、ありがとうね。きっと、あの子も喜んでるわ」

 

 自分の言葉が、建前なのか、本心なのか。わからない。

 それでもこれは、自然と湧いて出た想い。

 

「ごめんなさいね、引き止めてしまって。私はこれで失礼するわ」

 了子の母は会釈をして、立ち去ろうとする。だが、彼女は、クリスの「あの……」という声に呼び止められ、振り向く。

 

「……その、また此処に来てもいいですか?」

 

 クリスの言葉に、彼女は母親のように微笑みながら、答える。

 

「ええ、もちろん。あなたが納得するまで、好きなだけ」

 

 そういって、今度こそ振り向くことなくその場を去っていった。

 

 

 

 その後ろ姿を見つめながら、クリスはまた、思いを巡らす。

「なあ、おっさん……」

「なんだ?」

「あたしはさっき、櫻井了子の墓前でフィーネのことを考えるべきじゃないと思った。でも、さっきあの人に、また来てもいいか、って聞いちまった。何でだろうな……」

 答えは出ない、と。だから、もうここに来るべきではない、と。そういう答えを出したはずだったのに。フィーネと過ごした日々を、思い出してしまった。

 自分の感情も、わからない。クリスの心は、また絡まり出そうとする。

 

「これはあくまで俺の仮説、いや願望に過ぎないが」

 

 クリスの思考を遮るかのような、弦十郎の一言。

 

「フィーネは『櫻井了子の意識は12年前に食い尽くされた』といっていた。だが、それでも、自身を櫻井了子として周囲に認識させるということは、演技だけでできるものではない。櫻井了子としての記憶、思考、言動、行動。その全てを理解した上で、違和感がないように振舞わなければならなかっただろう。そして、そのことに誰も気付かなかったのであれば、その振る舞いが完璧であったということだ」

 

 了子の母は、櫻井了子は昔も今も変わっていないと言った。肉親すら、気付かないほど、フィーネは『櫻井了子』であったのだ。つまり、それは、

 

「確かに、俺たちの知っていた了子君の正体は、フィーネだった。だが、フィーネもまた、櫻井了子としての側面を持っていたんじゃないのか、と俺は考えている」

 

 本人のいう通り、弦十郎の出した結論は、恣意的な願望すら含んだ、机上の空論。今となっては、確かめる術すらない。

 それでも、クリスにとってそれは、終わらぬ思考の堂々巡りから抜け出すための光明に等しかった。

 

「沢山の人を苦しめたあの人をこんなふうに言うのはどうかと思うんだけどさ」

 

「あの人は確かにあたしの恩人だったんだ。最後は裏切られたけれど、それでも家族の様に接してくれてたこともあったんだ」

 

 ——だから、あの人が今際の際に、昔と同じ優しい声になった時、涙が零れたんだ。

 

 クリスの言葉を受けて、弦十郎が続ける。

 

「フィーネとしての了子君の行いは許されるものではないし、俺個人としても許せない。だが、人の見え方というのは実に多様で、決して一定のものではない。大抵の人にとっては悪人だったが、少なくとも俺たちにとっては二課のムードメーカーとして、君にとっては家族としての側面があったのも事実なんだろうさ」

 

「だから、好きなように、納得できるように、彼女のことを想えばいい」

 

 そう、始めから、ただ一つの解など存在しなかった。これは最後の最後まで、自己満足。自分の都合のいいように解釈できるかどうか。文句を言う死人など居ないのだから。

 

 ならば、ここには、二課のムードメーカーであった、そして、クリスの家族だった『櫻井了子』が眠っている。そう、思っておけばいい。

 一度絡まった想いは、そう簡単に解けるものではない。だから、

 

 ——じゃあな。そのうち、また来るよ。

 

 解けるまで、何度でも。

 

 眼前には、やはり変わらず『櫻井家之墓』。それでも、今ならば、もう少し素直に受け止められる。ここは、『櫻井了子』の眠っている場所であると。

 

 ぽん、と頭の上に何かが乗った様な感触。見上げると、弦十郎が微笑みながら、クリスの頭を撫でていた。

「……子供扱いすんなよな」

 クリスは不満を口にしたが、嫌な気分というわけではなかった。自然と、笑みがこぼれる。

 

「悪い悪い。さて、そろそろ昼だし、飯でも食いに行くか。そいで、その後は映画館だ」

 弦十郎の突然の提案に面食らったクリスだが、こういうのは慣れっこである。

 

「映画館はおっさんが行きたいだけだろ……。まあ、ここまで連れてきてもらった礼だ。付き合ってやるよ」

 

 

 

 

 等間隔に並んだ石の塔。

 現し世から、わずかに逸脱したかのような領域。

 その間に用意された砂利道を歩く二人。一人は、赤いシャツを着た大柄な男。もう一人は、キンセンカとユリの花束を抱えた、小柄な少女。

 傍目からは、親子のようにも見えるだろうか。

 

 砂利の擦れる音よりも少し大きく、楽しげな話し声が、響いていた。



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