数年後ーー。
「ユパさまだ!」
「ユパさまが帰ってこられた!」
風の谷は活気付いていた。
畑で採れたばかりの新鮮な農作物がたっぷり入ったカゴを背負いながら歩いていると、いつもは農業をする住人たちが行き交う農道がやけに騒がしい。
人だかりの真ん中には、赤ん坊を抱くヒゲを蓄えた初老の男性と、ナウシカが親しそうに話しをしているのが見えた。
「おぉ、ジーク。久しいな」
「師匠も、お変わりないようで」
ジークヴァルド。
俺は、風の谷の族長の娘であるナウシカと共に、腐海辺境一の剣豪であるユパ・ミラルダから剣や体術の教えを受けたことがあった。
ユパは大きな手で、カゴを背負う俺の頭を優しく撫でる。よして欲しいが、カゴがあるがゆえに何も抵抗ができない。その様子を見ていたナウシカは、まるで幼い子供のように表情いっぱいに表現している。
「ジーク!ユパさまがきてくれたの!」
「見ればわかるよ、ナウシカ。おおかた、腐海探索中に出会ったんだろう?」
住人たちがはしゃいで持っているドーム状の何か。その一部だけでもこの村近辺で採取できるものではない。それが王蟲の抜け殻と知ったのは、ユパへの歓迎が落ち着いてからだった。
「ジークも誘ったのに」
「俺は今日収穫しなきゃならないものがあるから無理と言ったはずだが?」
ナウシカの腐海探索には何度か同行したことはあるが、そのどれも嬉々として行ったわけじゃない。腐海の研究のための素材集めや、王蟲の定期的な活動記録をつけるためだ。
だいたい、腐海に入った途端に行方を眩ますナウシカを探す身にもなってほしい。今では慣れたが、探してる途中で虫の巣窟を見つけてしまった時など、心臓が止まるかと思った。
ナウシカもナウシカで、やっと見つけた思えば虫の抜け殻や、一人じゃとても持って帰れそうにない素材を見つけてくるわけだし。
それを報告するたびにミトや、城のオジたちに怒られるのは俺ということを彼女は知らないんじゃないだろうか?いや知ってるな、だって怒られてる俺を見て笑ってるもの。
「ジークの意地悪」
「ほっとけ」
そのやり取りに、谷のみんなが可笑しそうに笑っていた。
****
ジークヴァルド・ハイデル
それが俺の名前だった。
今では旧世界扱いとなる超軍事国家で、戦闘機人のパイロットとして生きていた俺は、なぜかこの世界で目を覚ました。
俺が見たあの絶滅の光。
あの時から千年が経っていると知った時は、なにかの冗談だと思った。そう思い込みたかった。
ナウシカにより、風の谷の地下にあった遺跡から救助された俺は、五日間の昏睡状態の後に目を覚ました。目を覚ました時、俺を覗き込んでいた大ババ様が、飛び上がるように驚いていたのは今でも覚えている。
それからは激動だった。たまたま風の谷に訪れていたユパの立会いのもと、ナウシカと族長であるジルと面会した俺は、この世界の経緯、状況を聞いてしばらく愕然としていた。
文字は読めないが、言葉が通じること。それが俺に更なる現実味を味合わせた。
見渡す限りの酸の海。
メーヴェから見た人が生きられない腐海。
そして錆とセラミックに覆われた大地。
そこには、俺が知る過去の産物はひとかけらも残されていなかった。あったとしても、化石や遺跡と化したものだ。
俺は、彼らに謝った。
ナウシカやジルは困惑したが、謝るべきだと思ったからだ。
こんな世界にしてしまったのは自分たちだ。
一兵士でしかなかった俺だが、それでも世界を滅ぼしてしまった罪人の一人だ。
誰もが楽観視していた。世界が滅びるわけないとタカをくくっていた。その結果、こんな過酷な環境で生まれ、育ち、生きていくことをナウシカたちに強いてしまっている。
過去の繁栄を知る俺にとって、その現実は重くのしかかった。
何故俺が生きているのか。何故俺はこの時代で目覚めたのか。何もわからない中で、現実を突きつけられ、俺は目に見えない巨大な負の感情で押しつぶされそうになった。
だが、ジルやナウシカは、そんな俺を迎え入れてくれた。
「誤った道を歩んだ過去を知るならば、それを改め、新たなる道標を我々には教えてほしい」
ナウシカの父の言葉に、俺はただ涙を流した。
幸い、風の谷の住人と同じように俺はこの世界に順応できた。最初は咳や苦しさがあったが、今では村の中で運動したり、農業を営んでも平気だ。
近い歳であるナウシカは、右も左もわからない俺の面倒をよく見てくれていて、谷の住人との仲を取り持ってくれたり、ユパとの鍛錬に誘ってくれたりと何かと世話を焼いてもらった。
そのかわり、彼女の腐海への探査にも付き合わされるようになったが。
ユパが去った後も、俺はナウシカについて行き腐海の謎を探っている。戦争で戦うことしかできなかった俺でも、この世界で目覚めた以上、何か理由があるはずだ。
それに、戦はこの世界でも巻き起こっている。
大国トルメキアや、ペジテ。
人間は星が滅びかけても、数を減らしてもその本質を変えることはできない。そして、その戦火がこの温かな場所に及ぶかもわからない。
もし、この平和な場所が戦火に晒されることになるなら、俺の力がみんなの盾になるはずだ。
城の地下に眠る力ーー。
それを使わずに、この穏やかな日々が続くことを、俺は切に願っている。
****
「ここには馴染んでいるようだな、彼は」
病床に付するジルのとなりに腰かけるユパは、穏やかな声色でそういった。
「えぇ、今ではこの村の立派な男手です」
「そうか、しかし惜しいな。次の旅には彼を共に連れて行きたかったのだが」
ユパの言葉に、ナウシカもジルも驚いた。
「ユパ様がそんなことを言うなんて、意外」
「後継者を作るつもりにでもなったかな?」
ジルの言葉に、ユパは思わず笑った。
「いや、まぁその事も考えてはいたが、近頃の腐海の進行具合に疑問を感じてな」
「やはり、広がっているのか」
「あぁ、この旅だけで二つの村が腐海に飲まれた。彼ならば私と違った見かたで腐海の謎を解き明かしてくれるかもしれん」
「ふむ、しかしそれならばユパよ。お主がここに腰を据えるのも、また良いのではないか?」
ジルの言葉に、ナウシカは嬉々として目を光らせたが、ユパは言葉を言い淀んだ。その様子を見て鍋で薬膳スープを煮込んでいた大ババが独特な声でわらう。
「無駄じゃよ、ジル。ユパはさすらう運命を定められておる。そしてジークも然り」
「ジークも?」
大ババの言葉に、ナウシカはキツネリスのテトを撫でながら首をかしげる。
「ジークがたどる運命もまた、奇怪に満ちておる。だが、彼の行き着く先は戦い。彼は誰かを守る戦いのために、生きることを定められておるのじゃよ」
大ババの言葉に、ナウシカは憂える。
父と共に、彼の知る過去文明の話を聞いた。
今の戦争や、争いよりも苛烈で、悲惨で、凄惨な戦い。多くの人を殺し、殺されて。
そんな戦争で親も兄弟も友人たちも、多くの大切なものを失いながら戦い続けた彼の過去。それでも変えられなかった世界の滅亡。
彼が抱くものはあまりにも多く、重い。
そんな彼が、いまだに戦いに囚われているなんて、ナウシカは考えたくなかった。
ナウシカは窓から空を見た。
風が吹き荒れている。
願わくば、彼が二度と、この城の地下に眠る力に触れることがないようにーー。
ナウシカはただ、慈愛の願いをするのだった。