亀裂の向こうにドクターは   作:Tutu-sh

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大地溝帯での邂逅

「ふう……」

現代からおよそ四〇〇万年前、新生代新第三紀漸新世前期のアフリカ。広大な荒野の渓谷が広がっていた。岩肌に手を添えながら、ヘレン・カッターが人類抹殺のために一歩一歩進んでいた。額から流れる汗を腕で拭う。

──もうすぐね……もうじき着く。今でこそ七十億近くまで増えているけれど、初期の人類は驚くほど少なかった。あと数回繰り返せば地球から人類を一掃し、私は世界を救う──

ついに河原がヘレンの目に入った。その奥では人類の祖先が――アウストラロピテクス・アファレンシスが――家族で水浴びを楽しんでいた。後のホモ・サピエンスも河川や海で遊ぶことがあるだろう、その姿の前身がありありと体現されていた。しかしヘレンの前にそのような光景は、ただ単に抹消すべき対象としか映らない。調査チームの追跡が遅れているのをいいことに、ヘレンはアウストラロピテクスの毒殺を一度成功させていた。サイト333と呼ばれる現場で、後に十三体の同時に死亡したアウストラロピテクスの化石が発掘される。その根源に彼女はなっていた。二度目も同じことだ。

彼女は草むらに腰を下ろし、迷いのない動きでリュックサックを地面に降ろして開封した。中から白いプラスチック製のボトルを取り出すと、すぐにリュックを背負い直した。人類の未来を、地球の未来を揺るがす一本のボトル。ボトルのキャップを手が包んだ、その瞬間だった。

「──!」

人類文明や人間社会との繋がりを一切持たない遠い遠い太古の世界で、八年以上におよぶ時間を生き延びてきたヘレン。彼女の聴覚が、異変を察知した。アウストラロピテクスの群れと彼女の間にはかなりの距離が開いていた。というのも、アウストラロピテクスも当時の過酷な環境で一生を過ごす野生動物であり、超人的な感知能力はヘレンのそれに匹敵するか遥かに上回る水準にある。そこで彼女は、風上かつ上流から毒を川に流して抹殺を計画していたのである。アウストラロピテクスの声がかすかに鼓膜を震わせるほどの距離。

しかし、突然彼らの声が大きくなった。怯えている。何かに怯え、警戒し、威嚇する声が響く。谷にこだます音は彼らの声だけではなかった。ヘレンが数々の時代を旅して一度も耳にした覚えのない、独特の轟音が、アウストラロピテクスの群れの方から轟いていた。水面に波が立つ。やがて空中に青い物体が回転しながら姿を現し始めると、アウストラロピテクスは蜘蛛の子を散らすように散り散りに逃げ出した。川では水飛沫が上がる。

「一体何事だというの──」

「ヘレン」

理解の追い付かないヘレンに、背後から声がかけられた。ダニーだ。怒りを必死にこらえながら、ダニーが彼女の頭に拳銃を突き付けていた。

「……あら、追って来たの。よく来られたわねダニー」

振り向かずに、ヘレンが返事をした。彼女は自らの置かれている状況を整理する。──声をかけたということは……間違いない、彼は銃を持っている。スタンガンや鉄パイプなら声をかけはしない……私に逃げられてしまうから。絶対に逃げられない自信のある銃だから、こうして私に警告している。それも今回は背後から……学習は、しているわね──

「不審な動きをしたら撃つ。何が不審か判断するのは俺たちだ。とりあえず、喋ることだけは許可してやる」

「フフ……やはり銃を持っているのね。撃たないの?」

「本来ならすぐにでもここで脳天ブチ抜きたいとこだが、いくらお前が相手でもやって良いことと悪いことがある。助っ人の目の前でもあるしな。お前はセンターで拘束させてもらう」

「助っ人?」ヘレンは青い箱の方に目をやった。「アビーとコナーじゃないわね……誰なの?あの青い物体と関係が?」

「さあな。お前の知る人間かもな」

「……」

ヘレンが無言で箱を睨んでいると、それまで宙を舞っていた箱がヘレンとダニーたちの方へ向かってきた。箱は真っすぐに飛来すると、やや右にそれてヘレンから五メートルほど離れた場所に着弾した。着陸の衝撃と音が走る。木の扉が開く音がし、中から蝶ネクタイをした古風な若い男が姿を現した。

「……知らないわね。あなたは一体誰なの?」

「僕はドクターだ」

「ドクター誰?」

「ドクター誰。いい響きだな。ドクター誰。気に入ってる、僕のお気に入りのフレーズだ。僕はドクター。ただのドクター。本家本元のドクターさ」

ヘレンの方へ歩み寄りながらドクターがつらつらと喋る。

「ここでも手を動かさないと喋れない?」アビーが鬱陶しそうに聞いた。

「そう。手は大切な器官だからねえ」ドクターは空を見上げながら、なおも歩きを止めずに喋り続ける。「霊長類が母指対向性を獲得したからこそ、君たち人類は物を掴めるんだ。果実を掴んでいたその手はやがて道具を握り、火を起こし、金属を加工し、豪華絢爛たる文明を築き上げる……そして」ドクターは歩を止め、顔に皺を寄せつつヘレンと向き合った。「君はその歴史の流れを断とうとした。これは許されないことだ」

「どう許されないの?」顔色を変えずにヘレンが問う。

「逆にどう許されると思う?」ドクターが即座に問い返す。

「あなた……タイムトラベラーでしょう?」

ヘレンが突如核心を突く。情報量にアドバンテージがあると信じていた調査チームは、ヘレンが急速に知識量で迫ってきたことに戸惑いと脅威を覚える。一方でドクターは涼しい顔をしていた。

「そうだ。よく分かったな」

「当然よ。私たちがいるのは始新世新第三紀漸新世ザンクリアン。確かにあなたの服装は古風だけど、それより遥かに古い時代にいる。タイムトラベラー以外の何だっていうの?」ヘレンはターディスに向かってアゴをしゃくってみせた。「猿人を追い払ったあの箱。電話ボックスにしか見えないけれど、あれがタイムマシンね。私が見てきた未来でタイムマシンは開発されていなかった……でも亀裂が存在する以上、時空間を跳躍する技術があったって不思議じゃないわ」

「話が早いな。何よりだ」ドクターはやや頬を緩めた。無論、本心からではない。「さて、ついてきてもらおうか。あの箱は電話ボックスじゃない、ポリスボックスだ。一九六〇年代に使われていたものそっくりに偽装してある。私人逮捕した犯人をここに繋いで、警察に通報、警察が来るまでそこで待つ。ポリスボックス本来の役割を──」

「まだ話は途中よ、ドクター。あなたお喋りね」ポリスボックスについて語るドクターをヘレンが遮る。「あなたがそのポリスボックスで時空を旅しているなら、見たことがあるはずよ。荒廃した世界を。絶望の世界を」

ダニー、アビー、コナーの三人の表情は硬かった。腐敗に満ちたあの世界を、彼らはその目に焼き付けてきたからだ。建物は塵と煤に覆われ、ロンドンは失われていた。世界の七割が突如消失したかのような断崖絶壁は、その底を見せないほどの深淵に呑まれていた。放置された自動車は灰色に汚れ、建造物は破損があちこちに散見された。殺戮のために進化した化物と、増殖のために進化した怪物が闊歩し、戦闘し、蹂躙する。人間ほどの大きさの芋虫が、次世代の虫を養う女王と化す。壁には血がこびりついていた。数分が永遠にも感じられ、地獄すら生ぬるく感じられるほどの魔境を彼らは経験していた。ドクターは無言だった。

「地球上のほぼ全ての生命が死に絶えた。この世界を失わせるわけにはいかない。だから人類を消す。未来生物は人類の手で生み出された存在。人類を歴史上から抹消すれば、未来生物は生まれず、地球は平和のうちに繁栄できる」

「その代わりに人類を滅ぼそうってのか?」ダニーが食って掛かる。「人類は必ず進化を遂げる。生物もだ。進化の流れをコントロールはできない」

「ニックみたいね。でも二人とも、間違ってる」

「いや、正しいさ」ドクターが割って入る。「彼の言うとおりだ。君一人で進化を……歴史を変えてはいけないんだ」

ヘレンは鼻で笑う。「聞いて呆れるわね……ドクター。あなた本当に未来を見た?あの生物が自然界の秩序を作り変え、四十億年の歴史に終止符を打とうとする世界を。その世界を実際に見て、そんな綺麗ごとを言えるのかしら?コナーとアビーもよ」

「僕はその世界の先を知っている。人類は滅亡なんかしちゃあいない。一時的に地球を脱出しただけだ」

衝撃の言葉に、調査チームは一斉にドクターの方を向く。ヘレンも眉をひそめた。

「ちょっと、どういうこと!?」

「あの世界で生き延びているって言うの!?」

「おい嘘だろ!」

「ああ、口々に喋るな!人類は一時的に地球を脱出する。イギリスもそうさ。スターシップUK、国家レベルの宇宙船を作って宇宙へ飛び出していくんだ。そして地球が再び居住可能になったとき、君たちの子孫は地球へ戻ってくる。そしていくつもの人類帝国を築き上げ、また宇宙へ第二のグレートジャーニーで広がっていくのさ。そして五十億年後に赤色巨星となった太陽に地球が呑まれても、人類は宇宙で繁栄する。百兆年後の世界でも、終焉を迎える宇宙で懸命に生き延びようとしているんだ。」ドクターは一呼吸置いた。「いいか、人類はこの先もいろいろな苦境に遭う。でも逆境を乗り越えていく力があるんだ。人類を、ここで根元から断ってはいけない」

「もしそうなら……この世界に救いはない。人類は飛び去った先の惑星でも同じように侵略と破壊を繰り返し、遺伝子操作の果てに生物を生み出す」

「そんなことは僕がさせない。僕が阻止してみせる」

「そう?できるかしら」ヘレンは頭を掻き、一呼吸置いた。「現にあなたは私だって止められない」

「何──」

コナーが言い返そうとしたその時だった。ドクターの方から異様な音がした。サイキックペーパーに通知が届いたのだ。

「……すまない、三人とも。ヘレンを見ていてくれ」

ドクターは内ポケットから手帳を取り出し、サイキックペーパーに表示されている文言を読んだ。彼の表情は険しくなった。

「……一体何が?」

「……亀裂だよ。現代で他の亀裂が発生した」

 

センターでは、レスターが机に拳を叩き付ける音が響いていた。

「くそ!一体どうなってるッ!!」

レスターの荒々しい怒声が彼のオフィスにこだまする。高い足音を立ててサラが駆け込んできた。

「レスター、報告です。さらに新たな亀裂が。場所は――」

「もう報告はいい!今更一つや二つ亀裂が増えたところでどうにもならんからな。ああ、全く何が起きているんだ……!」

「分かりません。亀裂の同時多発的な発生としか……」

「これもヘレンの仕業と見て間違いない……だがどうやって!?」

レスターはオフィスから出て、螺旋通路の手すりから身を乗り出した。そこから目に入るメインフロアの中央には、おなじみの亀裂探知装置が鎮座している。しかし、その画面に映し出されているものは普段からは考えられないものだった。時空の亀裂。世界各地で時空の亀裂が発生し、探知装置に表示された世界地図は赤く染まっていた。けたたましいサイレンがメインフロアに響いていた。

「この状況ではUNIT本部のこれ以上の協力は望めん……幸いにもUNITロンドン支部がある。先ほど会談して話はついた。そこは幸いと言えるが……」

レスターはメインフロアに視線を送った。メインフロアでは白髪のドクターが作戦の指揮を執っていた。大量の書類と通信に追われ、見るからに多忙を極めている。そして再びサイレンが鳴り響いた。

「ああ、またか……」ドクターは無線のスイッチを入れた。「通告する!アバディーンで時空の亀裂が生じた!対応する時代はジュラ紀後期!詳細は今送信するファイルを参照しろ!」

「ご苦労だな。」螺旋通路を下り、レスターがドクターの背後に立っていた。「ベッカーは既に対応に当たっている。必要ならサラも送る」

「女性を現場に送りたくはないが、やむを得ないかもしれんな」

「原因の予想はつくか?」

「ヘレン・カッターが背後にいることは間違いない。だがそのプロセスが理解できん。一体どうなっている……」

再びサイレンが鳴った。亀裂探知装置の画面には、新たな亀裂の発生地が表示される。

「また亀裂だ。……何、ロンドン塔?」

「何だと!?」

ドクターが立ち上がって画面を食い入るように覗き込む。ロンドン塔、そこはUNITロンドン支部の本拠地であった。

 

四百万年前のアフリカでは、現代の異常事態が四人を震撼させていた。

「亀裂の数が数百を超えている……どうして……一体どうしてこんな……」

「お前がやったのかッ!」

ダニーがヘレンの頭へ銃口を押し付ける。焦燥と憤怒、そして不安が混ざり混沌とした感情が感じられる声。それに対して、ヘレンは氷のように冷静沈着だった。

「さあ?どうかしら。でも確かに、私以上に亀裂を熟知した人間がいるかしらね?」

不敵な笑みを浮かべる。調査チームの側からその笑みは見えなかったが、歪んだ正義感が重力を感じさせるまでの禍々しさを醸し出していた。ドクターも警戒の色を強めていた。マスターやダヴロス、かつて戦った強敵たちと同じだけの評価をこの女にくれてやらなくてはならないかもしれない──そう感じざるを得なかった。

「あら。どうしたのそんなに縮こまっちゃって……動いてもいいのかしら?」

ヘレンが振り向く。ヘレンが動く──そう感じた調査チームは一斉に攻撃に動く。コナーが飛び掛かりに動き、アビーは蹴りを繰り出そうとする。ダニーが引き金を引こうとした、その瞬間だった。ダニーの手の甲から、突如血が噴き出す。痛みをこらえてうめくダニー。そのまま引き金を引くが、手の甲が裂けた痛みと衝撃により、銃口はもはやヘレンの頭を向いてはいなかった。重い銃声が響くも、弾丸はあらぬ方向へ飛んでいき、荒野のどこかへ消えていった。面食らう調査チームをよそに、次々に出血の波は広がっていた。蹴りを繰り出したアビーの足首と脛、捕らえようとしたコナーの両手首に直線状の傷が入り、血が流れ始めた。鋭い痛みにコナーとアビーはバランスを崩し、地面に倒れ伏した。ダニーはまだ立ち止まらず、攻撃を加えんと左腕の拳を振りかざしていた。しかし、その拳にも縦横無尽に切れ目が入り、血が飛び出る。血を滴らせながら、ダニーもバランスを崩して地面に倒れた。

「これは……!」

ドクターがうめく。ドクターは頬が切れていたが、倒れてはいなかった。しかし、うかつに手出しはできない。ダニーが拳銃を落とした今、現場の支配者はそれを拾い上げたヘレン・カッターただ一人だ。

「二丁目の銃なんて……ありがたいわね。弾はまだ残っている……有意義に使わせてもらうわ。有意義に」

「何をしたんだ!」

コナーが立ち上がりながら問う。今回はスタンガンで倒されたわけではない。ダニーとアビーも追って立ち上がり、臨戦態勢に入って構える。その様子を、ヘレンは微笑みながら見ていた。

「太古の世界に足を踏み入れているのよ?野生動物に対して何の準備もしないわけないじゃないの。学習したかと思ったら……復習が足りないわね」

「ワイヤーか」ダニーが察する。「ワイヤーを隠し持っていたか……俺たちが攻撃に転じる一瞬!それを振り回して切りつけた……」

「正解。致命傷は与えられなくても射程距離は長いし、長時間座りこんだりするときには必須よ。食事中だとかね。食事中に油断をしない生物なんていない。あの捕食者だって、私が姿を始めてみたのはペルム紀で餌を食べている時だった。備えておくのは必然よ」

拳銃を片手に構えたまま、ヘレンはデバイスをポケットから取り出して操作し始めた。四人は動く好機を逃さまいと必死に見つめるが、彼女の動きには寸分の隙もなかった。伊達に野生の王国で長く生きてはいなかった。

「どこへ行くつもりだ」

ドクターが問いかける。

「答えると思う?あなたに」歯を見せずに笑ってみせる。紛れもなく、余裕の表れである。「でも、作戦は変更しないと。自前のタイムマシンを持ったタイムトラベラーがいるなんて不利そのもの。条件を整えてくるわ」

「一体どんなだ」

「それは教えないわダニー」

ついにセッティングを終え、ヘレンがデバイスを作動させる。電子音に続き、宙に見慣れたガラスの破片が出現する。彼女は顔を四人に向けたまま、亀裂の中へ足を踏み入れて行った。

「ごきげんよう。旧世界の遺物たち」




TUTUです。
アウストラロピテクス抹殺、初めてNHKで見たときには驚きました。ドクター・フーに匹敵しうる壮大さを見せつけてくれましたよ、ヘレンは……。

というか本編ではラプトルの化石がサイト333から発見されていないのが不思議ですね。
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