亀裂の向こうにドクターは   作:Tutu-sh

7 / 12
ターディスの中で宿命が動く

「隔壁を閉鎖!」

弱さを感じさせない、芯の通った女性の声が響く。数々の異常存在を目にし、そして今後も戦っていくことになるであろう、ケイト・スチュワートの声だった。ロンドン塔では、ミミズとの攻防戦がいまだ続いていた。銃を装備した兵隊四人に護衛され、ケイトとオズグッドはミミズと霧からの退却戦を余儀なくされていた。ケイトの声に反応し、厚い鋼鉄で建造された隔壁が降りる。周囲には既に硫化水素が混ざった白濁とした霧が立ち込めていた。

「問題は霧じゃない、ミミズよ。連中がここへ到達する前に隔壁が閉じれば──」

その時、降りつつある隔壁の向こうで黒い影が動いた。先カンブリア時代のワームが、隔壁の封鎖に気付いて高速でのたうち迫ってきた。オズグッドの脳内には最早、一秒でも一刹那でも早く隔壁が遮断してくれることの祈りだけがあった。ワームの先端が変化する。実が潰れて中心軸が飛び出るかのように表面がめくれ、花弁のごとき形態をした内部器官が露になる。透明の粘液がしたたる。ワームの膨らみが前方へ滑らかに移動し、黒い体液が炸裂した。体液は大きく運動しながら兵隊の方へ真っ直ぐの軌道を描き飛んでくる。オズグッドが直撃を恐れて目を瞑り、体を強張らせたとき、体液が隔壁に命中して水音を立てた。そのまま隔壁は垂直に降り続け、霧を噴き上げながら重い音を立てて床に接し、運動を止めた。

「……封鎖、完了」

荒い深呼吸を繰り返し、ケイトは安堵したようにガス封じ込めの成功を確認した。オズグッドも、隊員たちも、皆大きく息を吐いた。

「間に合いましたね。気体も封鎖、あとは上に報告して、指示を乞いましょう」

「ええオズグッド。吸入器」

オズグッドは吸入器を取り出し、口に当てて吸い込んだ。ケイトその間に兵隊たちに退室するようジェスチャーをし、兵隊はそれを受けて装備をまとめ始めた。

「しかしどうして亀裂は……先ほどの封鎖区域では亀裂は確認されませんでした。亀裂調査センターの情報では亀裂は閉じもしなかった……つまり、封鎖区域の亀裂とメインフロアの亀裂は同一のものかもしれません」

「同じ亀裂が、二ヶ所に同時に出現したというの?」

「いえ、同時ではありません。おそらくは私たちが直接目撃したあの亀裂は、十八のオフィスの封鎖区域から移動してきたんです」

「ワームホールの移動なんて、想像もしなかったわ。あの亀裂がブラックアーカイブに進入する危険は?」

「安心はできませんが、亀裂の移動が直線であればブラックアーカイブに移動することは無いと思います。ですが運動の性質は依然不明ですので──」

「お話中失礼を!」隊員が一人会話に割って入った。「我々は亀裂から離れる方向に退却していた。そうですよね?」

「……ええ」ケイトが不思議そうに答える。「それがどうかした?」

「扉の先にも、まだ霧があるのです」

隊員が親指を扉に向けた。数人の兵隊が扉の前で立ち止まって困惑している向こうでは、霧が上から流れ込んでいた。

「嘘でしょ、どうして……」

ケイトが扉へ近づく。オズグッドは少し考えこんで、すぐに理由を解明した。

「ケイト。この上は先に亀裂が出現し、生物が入り込んだ区画です。そしてその先にあるのは階段……上階で発生した霧が、流れ込んできているんです!」

「でもどうして?」ケイトが振り向く。「区画は完全に封鎖したのよ?」

「あの体液が腐食性の性質を持っていたか、あるいは──」

その時、隊員が耳をつんざくような悲鳴を発した。階段の上に潜んでいたワームが隊員の喉元に喰らいつき、見かけによらない強力な力で持ち上げていた。隊員の体は宙に浮き、もがく手足からは彼の血が流れて滴っていた。

「こんなところにまで……!」

ケイトは歯を食いしばる。兵隊たちが即座に銃を構えるが、彼らには死角が生じていた。上から襲ってくるミミズにばかり気を取られ、階段を這って降りてくるミミズが視界に入っていなかったのだ。彼らが発砲して上のミミズの皮袋を千切り飛ばすと同時に、階段の霧に潜むミミズが飛び掛かる。反応が遅れ、その場にいた隊員二名も瞬く間に霧の中に倒され、悲鳴と体液の音が響く。ケイトに最も近い位置にいた最後の兵士が霧の中に銃弾を撃ち込むも、すぐに脚に食いつかれて引きずり落された。ケイトとオズグッドに助けを求めて両手を伸ばしながら、最後の一人は血を首から噴き出して動かなくなった。

「……ッ!」

次々にミミズが階段を降りてきていた。先の封鎖区域には既に亀裂は存在しない。ミミズが一度突破すれば区域内の霧が薄くなるのも時間の問題であるため、ミミズが餌のない空間にいつまでも残り続ける理由はないのだった。数匹のミミズは既に兵士の死体に群がって貪り始めたが、競争からあぶれた一匹がケイトとオズグッドの方へ向かってきた。

「万事休すね……」

ケイトは既に思考を放棄していた。この状況では何の気休めにもならないと知りつつ、オズグッドは目を瞑って頭を守る。ミミズが体を起こして捕食器官を広げた、その時だった。唸るような音が響く。UNITの職員なら耳にしたことのあるエンジン音が、霧の中に響いた。ケイトは、周囲の状況が変わりつつあることに気が付いた。霧が減った。完全に霧散したわけではないが、明らかに量が減っていた。半透明の壁、いや空間が出現しているのが目に入った。メタリックな色を基調とした、冷たいがどこか温かみのある内装。ターディスだった。宇宙最高の宇宙船の内装であることに、ケイトは気付いた。ミミズも異変に気付き、攻撃を躊躇して周囲を見回すかのように体を振る。オズグッドも目を開き、涙の浮かぶその目で環境の変化に驚きの表情を浮かべる。その奥には白髪の老人、先ほど通話した老人が立っていた。

「その生物は酸素が豊富な現代の大気では生きられない」

老齢の男が、ドクターが口を開く。ミミズはもがき苦しみ、ターディスの床でのたうち回る。全身を伸ばしに伸ばし、十分な量の霧を求めて暴れまわる。だがそこに生命活動を維持できるだけの霧は最早残っていなかった。ミミズは捕食器官を広げて伸ばし、限界まで体を引き伸ばして、その場に崩れ落ちた。

「空調を低めに設定しておいてよかった。気温が高いと破裂して子どもをまき散らすそうだ。子どもは近くにいる他の動物の皮膚を食い破って寄生する。二人とも、間に合ってよかった」

低い音を立てて、ターディスが完全に着陸した。ケイトとオズグッドは大きく口を開けて、正真正銘のドクターの登場に驚いていた。

「ドクターなのね、あなたがドクター!」

「本当にドクターなんですね!?」

「ああ、そうとも。だから落ち着きなさい。私にとって君たちに初めて会うのは数年後だから、そこのところを忘れないように。それに今後は何かと顔を合わせるさ」

ドクターが指を指すと、オズグッドは快諾してそのまま右手を差し出した。ドクターは苦笑いを浮かべて握手をする。

「あなたにとっては初対面ではないのね。そう。じゃあ、惜しいけど次の機会に反応するわね。」ケイトが疲れを隠しつつ続ける。「それで、どうするの」

「UNITの設備をオーバーライドして、換気させる。霧を抜くんだ」

ドクターは制御盤に戻り、モニターを回して動かし、キーをタイプする。モニターに映し出されたUNITの空調コントロールパネルが作動し、排気中と表示されるのが映った。

「そして、これを忘れてはいけないな」

ドクターは続けざまにキーを三連続で叩いた。するとモニターが時空の亀裂を映し、その亀裂は拡大と縮小を繰り返した後に音を立てて消失した。

「あなた、亀裂を閉じられるの!?」

「流石に世界中に生じた全ての亀裂を閉じるのは不可能だ。だがたった一つの亀裂くらいなら、ターディスで閉じるのは簡単だ」ドクターは自慢げに両手を広げ、微笑んでみせた。「さてケイト・スチュワート。UNITの科学部長」

「あら、私科学部長になるのね」

ケイトの方へ歩いていたドクターは、不意に歩みを止めた。「そうか、ネタバレだったか……」

「気にしないで。それで?何なの」

「UNITはこのミミズの攻撃でかなりの打撃を被ったな。だから提案だ。一時的にUNITを離脱し、亀裂調査センターの指揮を手伝ってくれないか。UNITの持つ知識と亀裂調査センターの持つ知識が互いに独立しているのは非常に効率が悪い。そしてもったいない。知識は多いに越したことはない。どうかな」

二人は顔を見合わせた。

 

タイムヴォルテックスの中を、流されるように青い箱が飛んでいた。ターディスの中では、急遽ドクターが倉庫から取り出してきた椅子に五人が腰を据えて互いの話を聞いていた。

「じゃあ、私はあなたたちの世界にはいないのね?」

ジェスが問う。自分の存在、そして世界の存在が否定されているようで、彼女は漠然とした喪失感を味わっていた。

「いないとは限らないよ。僕らがまだ出会ってないだけさ」

「でもそれも問題でしょ?」否定するコナーに、アビーが疑問を提起した。「ジェスはこれからどうするの?私たちの世界で暮らすなら、こっち側の世界にもジェス・パーカーがいるはずよ。同じような性格で、同じような姿をして、同じような仕事をしてきたジェス・パーカーが。歴史を辿れば、亀裂調査センターにそのうち私たちの世界のジェス・パーカーがやって来るわ」

「私はお荷物ってわけ?アビー」

「そういうわけじゃない。でも、自分と瓜二つの人間がいてやっていけるのかって話よ」

「だが、歴史の流れはジェスのいた世界には結びつかないだろ?なら俺たちの世界のジェス・パーカーが亀裂調査センターにやって来ることはない。出会わないんだ」

ダニーの発想に、ドクターは無言で頷く。

「じゃあ、同じ世界に同じ人間が二人いることは問題ないの?」

「それはわからない。」ドクターが口を開いた。「ヘレンがどれだけ世界の歴史を改変したかわからないからね。ジェス・パーカーは僕らの世界では既に歴史から消えているかもしれない。もしかすると、大量発生した亀裂に巻き込まれて……」

「亀裂の収束は、そっちでも起こっているのね」

「亀裂の収束?」

聞きなれない言葉に、コナーが聞き返す。ドクターの眉が動いた。

「ええ。亀裂の収束。時空の亀裂は人工的にも作れるけれど基本は自然現象よ。亀裂の発生にはパターンがあって、一定周期ごとに収束と呼ばれる現象を起こす。亀裂の発生頻度が急激に高まって、世界各地で亀裂が同時多発するの。フィリップ・バートンはそれを止めようと研究していて、ヘレン・カッターはその研究を利用した……いえ、むしろヘレンは最初からそう仕向けていたのね」

「俺たちの時代で起きてるやつか」

「何、そっちでも起きてるの!?」

「……教授はこれに気付いていたのかな」

コナーの表情に影が下りた。ヘレンを助けに行かなければ、教授が命を失うことはなかった。ヘレンという女に縛られ、翻弄されたニック・カッターという男を、彼は憂いでいた。アビーも沈鬱とした顔つきになっていた。その横でドクターが目を見開いて動きを止めていることに、ダニーはふと気付いた。

「……どうかしたのか、ドクター」

「亀裂の収束か」

ドクターは呟くと、突如立ち上がった。予期しない動きに、アビーとコナーは驚いて彼を見上げる。ドクターは飛び上がり、ターディスの制御盤にしがみついてキーを力強く素早くタイプした。

「どうしたの!?」

「アビー。コナー。ダニー。」ドクターは素早く振り返ると、それぞれに向かって指をさした。「亀裂の収束。時空の亀裂は一定周期ごとに収束と発散を繰り返す。それをグラフに表すとどうなると思う?」

「……分からない」

「コナー。分かるはずだ」ドクターが答えを促すように胸の前で手を回して差し出す。「同じ形を無限に繰り返すグラフだ」

「……波?」

「そうだ」

「正弦と余弦!」

「そうだ!」

コナーとドクターが交互に指を鳴らす。アビーとダニー、そしてジェスも遅れて理解を示す。

「実際はもっと複雑だが、ここでは正弦波としよう。時間をx軸にとり、亀裂の発生頻度の逆数の対数をy軸にとると、正弦波によく似たグラフが二つ得られる。グラフが二つあるのは亀裂の極性のせいだけど、この二つは位相がちょうどπだけズレている。この二つの波がx軸上で交わるとき、そのxの値が亀裂の収束の時だ。それが二〇一一年と被ったんだ」

「……よく分からないが、要するにその周期が分かったってことか?」

「周期というか、まあその仕組みかな。ヘレンは歴史をかき乱すことで、このDNAの二重螺旋じみた時空の構造を乱した。Y=sinθの関数で、θを定数倍すれば波長も変わる。ヘレンはそれを利用して、亀裂の収束を二〇〇九年に早めた。つまり二〇〇九年で亀裂の収束が起きた原因はヘレンだ」

「なるほど……」

ダニーは納得したが、今度はアビーが疑問を投げかける。

「でもヘレンにそんなことをする余裕はなかったはずよ。ヘレンは二〇〇九年の世界に到着したけど、そこで時空を乱したところで影響が出るのはもっと先の未来じゃないの?」

「ああそうだ。いい指摘だ」ドクターがアビーを指差す。「今までのヘレンにそんなことをする余裕はなかった。だが考えてみてくれ。ヘレンは二〇一一年の亀裂調査センターで何をした?亀裂の収束の情報を盗んだ。亀裂調査センターが手に入れていた最先端の情報をだ」

アゴに指をあてて思考を巡らせていたコナーの脳に光が走った。

「そうか、ヘレンが歴史をかき乱すのは“これから”なのか!」

そうだ、と言わんばかりにドクターは弾けるような音で手を叩き、その場でくるりとターンした。

「何、どういうこと!?」

「アビー。ヘレンは亀裂を介して時代を旅できる。そしてついさっき、時空の構造に関して情報を仕入れた。ここから推理できることは、ヘレンは亀裂調査センターから手に入れた情報に基づいて歴史を書き換え、収束を二〇〇九年まで加速させたんだ!」

「そういうことだ。ヘレンはおそらく、増援が来ないよう、あるいはあわよくば僕らが二〇〇九年に戻って加勢するのを期待して現代に破壊工作を仕掛けた。そして、アフリカで僕たちに囲まれた過去の自分に逃走経路のチャンスを与えるためでもあったんだ」

「謎が解けたわけか。よし、これで気持ちよくヘレンを追えるわけだな!」

長々とした解説が終わり、ダニーが活気を取り戻した。自身の拳を掌にぶつけ、そのまま指を鳴らす。

「そうだ。行くぞターディス、もうちょっと耐えてくれッ!」

ドクターは勢いよくレバーを引き下げた。ターディスは速度を急激に増し、タイムヴォルテックスの最中を飛び抜けて行った。




TUTUです。
実は時空間の構造に三角関数を持ち込んだのは、友人からヒントを得たものだったりします。電磁気学の電場とか磁場ってありますよね。電場と磁場はとても共通点の多い場なんですが、これがひょっとするとダークエネルギーなど未知の物にも適用できる法則なのではないかと。

そこで僕は、正弦波を時空間に適用することにしてみました。まあ、僕が波を完全に理解しているかと聞かれるとそんなことは全くないのですが。物理頑張らないと……。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。