「何にもない⋯⋯なぁ⋯⋯」
貸し与えられたアパートの一室。畳張りの床に寝転がりながら、古い染みの出来た天井を眺める。視界に入るベランダの方から見える外には雪が降っていた。
「こんなんで良いのかな⋯⋯」
あれから一ヶ月が経とうとしている。
その間、僕は何もすることなくこの一室とフィーネの城とを行き来していた。大晦日なんていうものもいつの間にか過ぎていた感じである。
そう言えば、雪音クリスとは同い年ということもあってか、よく分からないが仲良くなっていた。いや、本当にいつの間にか一言二言の挨拶だけだったのが談笑する程にまで仲が進展していたのだ。
「はぁ⋯⋯」
窓越しに降り頻る雪を見つめる、暖房なんてない安アパートの部屋の中。寒いだろうなぁ。漠然としながらもそんなことを思う。そう思いはするものの寒さなんて微塵も感じないのだが。
「分かってはいるつもりだったけど⋯⋯喪っていく感覚って、こんな感じなんだ」
いつからか、温度を感じなくなっていた。体温なんてとっくの昔に感じられなくなっている。LiNKERの連続投与や、度重なるレーヴァテインとの接続による過熱で、熱を感じる機能がおかしくなってしまったらしい。フィーネはそう診断した。それでも、レーヴァテインとの接続時の過熱だけは感じるのだからおかしいことだ。まあ、LiNKERの使用を控えて、歌も歌わなければいつかは回復するらしいが⋯⋯。
だとしても、今世は愚か前世でもこのような経験などしたことがない僕としては、温度が感じられないというのは喪失感が大きかった。
少しばかり寂しい気持ちになったのも、まあ、事実なんだ。
「ほんと、ボクなんかが転生して良かったのかなぁ⋯⋯?」
ポツリと零した疑問に、苛立ちと虚脱感が宿る。苛立ち二割虚脱感八割⋯⋯と言った感じ。
皮肉なことに、原作から乖離しかねない全ての不安要素を排除すると決意してから一層のこと、こうした弱気な疑問が頭をぐるぐると回るようになった。情けない話だが、怖気付いているのかもしれない。
そういうところも含め、僕なんかよりも適任は居たんじゃないかと、僕なんかよりもよっぽど事を上手く運べる似たような思想の人間が居たんじゃないかって⋯⋯そう思うんだ。
もうここまで好き勝手やったんだからいい加減、そんな栓の無いことを考えるなって思いはするんだけど、ね。
「ねえ⋯⋯
僕じゃない誰かに問い掛ける。当然、この部屋にいるのは僕一人だけ。だから答えなんて返ってくるわけもない。
だけどさ。
何となく、僕の中に不知火唄という少女が生き続けているということが分かるんだ。
「もう、一年と少ししかないのか⋯⋯」
あと一年と少し。たったそれだけの時間で原作が始まってしまう。これからやることが多くなるだろうと意気込んでも、蓋を開けてみればこんなもの。今日も今日とてゴロゴロと。
無駄に過ぎていく。
「⋯⋯はぁ」
そう言えば、最近は立花響にも会っていない。まあ、彼女は僕なんか必要ないだろうけど。もっと言えば、僕が誰かを必要としているだけであって、僕みたいな異物を必要とする人間なんてこの世界にいるわけもないんだ。強いて言えば、手駒的な扱いでフィーネは必要としてくれているのかもしれないけど。
「⋯⋯⋯⋯はぁ」
先よりも重くなったため息に、自然と気持ちも下降する。
ただ、一つ言えること。
⋯⋯居場所が無い、ということは思ったよりも辛いことらしい。前世でも知人と呼べる知人は少なかったけど、今生程に人と会話をしていないわけじゃなかった。不知火唄という十代も半ばな少女としてのあれそれと、前世から継続して変なところで情緒不安定かつ独断先行気味である僕のコンビは、思ったよりもこの身体、精神的にキツいものがあるらしい。
畳の上で寝返りを打って、ドアに続く廊下を視界に収める。ゆっくりと瞼を落としていく心地好い感覚。寝るのは、無駄に時間を使っている感覚に陥るのだが、それでもこの一瞬が貴重とも思えるのだ。
やがて襲いくる睡魔に身を委ねようとして⋯⋯コンコン、とドアを叩く音が聞こえた。驚きで目が覚める。
「⋯⋯誰か来る予定でもあったかな⋯⋯」
妙に冴えてしまった頭では居留守で寝ることも出来そうにはない。まだ然程働いていない頭を捻って、今日の来客の予定を思い出す。
⋯⋯ううん⋯⋯いや、特には無いはずだけど⋯⋯。
今日はフィーネの隠れ家に行く必要も無いから、雪音クリスと会う約束もしていない。フィーネがここに来ることもまずない。となると大きめの荷物の配達か、知人の誰か⋯⋯。
ここを知っている知人なんてまずいないから、十中八九、何らかの荷物の配達だろう。フィーネがなにかを注文したのか。断定した僕は、ゆっくりと起き上がり扉の方へと向かう。
「は⋯⋯い⋯⋯?」
「
⋯⋯は?
小さく開けた扉から覗いたのは、赤いシャツ。それを押し上げる見覚えのあり過ぎる筋骨隆々の肉体。
間違いない。
⋯⋯何でここに?今、翼さんに次いで会いたくない人物なのに。⋯⋯いや、この人がここに現れたことはもうどうしようもない。問題は、どう乗り切るかだ。
「風鳴弦十郎⋯⋯司令⋯⋯」
「まだ、司令と呼んでくれるんだな」
「⋯⋯ッ」
動揺している。冷静になれ。平静さを持て。焦って乗り切れる相手じゃない。
「⋯⋯どうしてここに⋯⋯?」
「決まっているだろう?君を迎えにきたんだ」
「⋯⋯」
迎えに、ねえ。
手を差し伸べてくる風鳴弦十郎を見て、段々と心が落ち着いてくる。何だ、慌てる必要は無いじゃないか。
「ボクは、もう戻りません。彼処にボクの居場所は、無い」
「⋯⋯唄くん⋯⋯」
「ボクが居ても、迷惑になります。それに、ボクなんかいなくたって翼さんや奏さんがボク以上に上手にやってくれる。⋯⋯二課にはボクなんて、要らないんですよ」
僕がいなくても、二課はどうにかなるだろう。物語の重要なファクターに成り得ない僕があの場所に存在する意味は無い。ならば僕は、僕にしか出来ない不安要素の排除に徹するべきなんだ。
「君は、そんなことばかり考えていたのか⋯⋯?」
「⋯⋯そうですよ。翼さんに剣を向けたあの日に、分かったでしょう? ボクは必要のない人間なんだ。それは、ボクが一番わかってる」
そうなんだよ。誰がどう思おうと、僕は必要のない人間なんだ。だって、この世界に僕という存在は、元から欠片も存在していなかったんだから。
「しかしだな。君があの時あの場所に居たからこそ、奏くんは救われ 「それは、結果論じゃないですか⋯⋯! そもそも、ボクは、奏さんを助けられていない⋯⋯ッ!」 ⋯⋯!」
奏さんは、今も尚眠り続けている。僕は、奏さんを生き残らせることは出来ても、彼女を助けることは出来ていない。
僕じゃ、奏さんを助けられなかった⋯⋯!
僕程度では、戦姫絶唱シンフォギアを良い方向に改変することすら出来はしないんだ。
一度は死んで、もう一度生を受けたはずの転生者なのに。僕じゃあ、運命は変えられなかった。それだけが事実。
「これなら、あの時、奏さんの代わりに僕が
頬に鈍い痛みが走る。
⋯⋯打たれたのか⋯⋯司令に。
「お前は、そうして、自分だけを責めて! だが、周りのことは全く見てこなかったんだな!?」
「⋯⋯っ!?」
少し、頭が冷めた。
考えてみれば、こんな苦しそうな顔をした司令を見たのは初めてかも知れない。
駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。分からなくなる。
この世界は戦姫絶唱シンフォギアだろ。僕は、こんな司令は、知らない⋯⋯。
「君は⋯⋯ 「ボクは、違うっ!! この世界のッ、異物なんだッ!!」」
こんな、こんな風鳴弦十郎は知らないッ!!
戦姫絶唱シンフォギアに、こんな男は居ないんだ。これは、風鳴弦十郎の皮を被ったナニカだ。そうに違いない。じゃないと、僕の知る戦姫絶唱シンフォギアは、何なんだ?
いや、違う。僕が、悪いんだ。
中途半端に干渉だけして、何も成せていない僕こそが悪いんだよ。だから、この人は何も悪くないんだ。
「唄くん⋯⋯」
「もう、帰ってください⋯⋯! 貴方と、ボクは、同じ世界に息をしていない! これ以上の会話は無駄です!」
⋯⋯帰って、ください。
もう、誰かと相対していることが辛い。僕という異物と、この世界の人々との間の違いが浮き彫りになって、ただただ辛いんだ。
▽
「⋯⋯何やってんだ、俺は」
自分のやったことに後悔はしていない。だが、反省はする。もっと上手くやれたはずだと。彼女に悲しそうな顔をさせずに済む方法がきっとあっただろうと。
「なにが、そこまで信用出来ないんだか⋯⋯」
多分、これは彼女自身が解決すべき問題でもあるのだろう。これ以上、自分達に出来ることはないのかも知れない。そう考えると、自分の無力さが本当に嫌になる。
あの赤い髪の少女なら⋯⋯天羽奏なら、多少なりとも彼女に思いを伝えられるのだろうか。
「⋯⋯いや、まだ終わりじゃない。まだ、出来ることはあるはずだ」
降り積もる雪を肌で溶かして、風鳴弦十郎は歩き出した。
今日は、やっと見つけられた不知火唄とは別に、街中で、もう一人の少女の痕跡を見つけたのだ。そちらも確認しに行く予定であった。
「⋯⋯大人になって、こうも悩んだのは久しぶりだな」
俺もまだまだ若い。そう零した男の顔には、諦めなど微塵も存在しなかった。
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