ブラック・ジャックをよろしく   作:ぱちぱち

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古き良きナデシコ二次を目指しました(成功したとは言ってない)

誤字修正。げんまいちゃーはん様、たまごん様、佐藤東沙様、Paradisaea様、北犬様、乱読する鳩様、酒井悠人様、仔犬様ありがとうございます


なんか変な誤字?被り?があるので修正。もし他にもありましたら誤字報告頂ければ嬉しいです!


テンカワアキト

「少し、昔の話をしよう」

 

 

 

 

 ワイワイと騒ぐ店内。俺の料理に舌鼓を打つ人々。

 

 長年願った夢。奪い去られ、一度は完全に諦めた夢の光景。

 

 この光景を見る度に、胸をこみ上げてくる熱い感情と。脳裏に焼き付いた悪夢を思い出さなければいけない不快感を飲み込んで。

 

「酒の肴になるかは、分からんが」

 

 ちらっと店の最奥に目を向ける。そこに毎日のように座る人物は、突然押しかけてきた迷惑な友人とやらに絡まれて迷惑そうな表情を浮かべている。

 

 その姿にすっと不快感が消えていくのを感じ、夫婦揃って随分と依存してしまったと苦笑を零す。

 

 彼に頼まれたのなら、仮に命を賭けろと言われても否やはない。膨大すぎるほどの恩を少しでも返せるなら。

 

「全てを失った男が、復讐に走る。よくある話さ」

 

 昔の恥を口に出すなんて、どうという事もない。

 

 

 

 

 

 テンカワアキトの人生は、運命に翻弄されつづけるものだった。

 

 幼い頃、研究者だった両親を事故――後に暗殺だったと聞かされた――で失い、天涯孤独の身となり。それから18歳になるまで、両親が残した遺産で細々と火星で暮らしてきた。そのまま火星で一生を終えるのか。そう思っていた矢先に起きた戦争。木星蜥蜴と呼ばれる機械仕掛けの虫達によって故郷は焼かれ、助けようとした少女を助けることが出来ずに失い。

 

 虫達の攻撃で殺されたと思ったアキトは、気づけば火星から何故か見知らぬ土地――地球に降り立っていた。

 

 地球での生活は、厳しかったが楽しくもあった。土の痩せた火星では美味しい作物は育たない。だから、そんな作物を魔法のように美味しく調理するコックに憧れていた俺は、調理師免許を持っていたのもあり住み込みで働かせてくれる食堂にお世話になる事ができた。

 

 時折来る木星蜥蜴襲撃の報に怯えながら、食堂の主、サイゾウさんの指導を受ける日々。半年ほどそんな生活をしていたある日、アキトは食堂を追い出される事になった。臆病なパイロット崩れを雇えない、そう言われて。

 

 途方に暮れながら荷物を担ぎ、自転車を漕ぎ当て所なくうろついて。偶然出会った幼馴染を追いかけたら、宇宙戦艦ナデシコへ乗艦する事になり。気づけばコック兼パイロットとして木星蜥蜴と戦う日々の始まりだ。

 

 意味がわからないだろう? 笑っちまうが、本当に気づけば、としか言いようのない流れだった。

 

 今、思い返してもなぜそんなことになったのか。運命、としか思えない出来事ばかりの日々だった。友となれた筈の男と死に別れ。新たな仲間との出会いと別れ。そんな日々を繰り返し、必死にあがき続けて。そして戦争の元となった火星の遺跡を外宇宙へ捨て去り、地球と木星の戦いは終わった。

 

 ナデシコクルーは、それぞれの道を歩み始めた。

 

 戦争の結果に納得がいかなかった木星側の残党は気になったが、それも終わった出来事だと思っていた。軍を退役したアキト達が関わることはないだろうとの思いもあった。ユリカと、ユリカが引き取った元ナデシコクルーの少女ホシノ・ルリと共に、屋台を引きながらラーメンを売り歩く毎日。

 

 裕福ではなかったが、ようやく手に入れた穏やかな。幸せな時間。戦いの日々は過去の事になっていた。

 

 だが、ハッピーエンドの後も物語は続く。

 

 アキト――俺たちは、その事に気付くのが遅すぎた。

 

 全てが、遅すぎた。

 

 

 

「脳味噌を内側から捏ねくり回される、とでも言えば良いのかな」

 

 カラリ、と音を立ててグラスの中で氷が回る。

 

 過剰投与されたナノマシンは俺の神経をヤスリで削り上げるように攻め立て、耐え難い苦痛を与えてきた。空き時間、戯れのように兵士から受けていた暴行なぞそれに比べれば可愛いものだ。そのまま殺してくれ、と何度思ったことか。

 

 あの日。ユリカとの新婚旅行にでかけた日、シャトルに乗り込んだ俺達を待っていたのは、地獄の日々だった。

 

 事故に見せかけて連れ去られたシャトルの乗員たちは全てが火星出身者や関係者だったという。火星生まれの人間は遺跡とナノマシンの影響により、CCクリスタルがあればどこにでも移動できるA級ジャンパーとなる。

 

 つまりこのシャトル自体が、火星出身者を集めるための大掛かりな罠であり。俺とユリカもまた、その罠に捕らえられたというわけだ。

 

「最初に服を剥ぎ取られてね。連中、俺たちを完全に実験動物か何かにしたかったんだろうな。俺はYの2531だったかな。ユリカはSの……なんだったか」

 

 何度も呼ばれていた自分の番号は今でも思い出せるんだが。苦笑を浮かべるも、それに返ってくる言葉はない。まぁ、相槌を打つことも難しい話なのは分かっている。

 

「俺たちを捕らえた木連……木星側の残党は、ボソンジャンプという転移手段を手に入れようとしていた。この世界では使えないが、俺達の世界ではこのボソンジャンプが唯一の空間転移手段でね。これを手に入れた物が世界を制する、だとか。まぁ、そんな事を言われていたっけ」

「それを使うには、テンカワさん達A級ジャンパーが必要って事ですか」

「いや。正確に言えば俺たちは自分で転移先を決定出来るって位で、必ず必要って程でもない。必要なのはボソンジャンプの要である火星の遺跡。後は、ジャンプ先を設定する演算ユニットがあれば良いんだ」

 

 実際、ただ一人の演算ユニット以外は廃棄処分にされる予定だったのだから。ボソンジャンプを独占したかった奴らにとって、演算ユニット以外のA級ジャンパーは邪魔でしか無かったのだろう。実験に使えるだけ使ったら、後はポイっと捨てるだけだ。

 

 俺の廃棄処分が決まった日。実験――拷問を担当していたサディストは、嬉しそうにその事を俺に告げていたな。体をもがかせて逃げようとする俺を薄気味悪い笑顔で眺めながら、白衣を着た科学者は呪文のようにこう唱えていた。「正義のために」と。

 

 正義のために数百人にも及ぶ老若男女を使い潰し。正義のためにその数十、数百倍の人間を戦火に巻き込んだ。どれだけの人間が死のうとも、連中にとってはそれも仕方のない犠牲とやらだったんだろう。

 

 ――人間が、最も残酷になる時。それは自分が正義だと確信した時。その時、人は人の皮を被った悪魔となる。

 

 自分が正しいことをしていると思い込んだ時、善人の皮を被った悪魔は姿を表し、戯れのように厄災を振りまく。

 

「次元統合が始まったのは、正にその瞬間だった。運が良かったよ。統合が始まる前から救出部隊は動いていたらしいんだが、アレがなければ間に合わなかったかもしれん」

 

 なにせ統合によってボソンジャンプは使えなくなったのだ。自分たちの正義を執行するための玩具が使えなくなった。それを聞いた時の連中の顔は、中々に見ものだった。

 

「ボソンジャンプが使用できない理由は現在も判明していない。一番有力な仮説は時間移動に類する転移手段だから、というのだったかな」

 

 チキュウエリアにいるドラえもんというロボットが持つタイムマシン。ボソンジャンプと同じく統合以後使えなくなったその機械とボソンジャンプの共通項は時間を飛び越えるという点。

 

 他にも時間に関する技術はあるにはあるが、過去に飛ぶ力を持つ技術は全て使用できなくなった。現在では最もあの技術に精通していると言えるアイちゃん――イネス・フレサンジュも太鼓判を押す事実だ。

 

 もう、ボソンジャンプが原因で俺とユリカが何かに巻き込まれることはない。

 

 ――――それがなんの慰めになるというのか。

 

 ……月臣に助けられ、数日の間意識を失い、ようやく目を覚まし。視界に映るのは吊り下げられた点滴と白い天井。そして側で涙を流しながら縋り付くアイちゃんの姿を目にしたあの日。

 

 自分が生き残ったことに現実感を持てず、自分だけが助かったことに理解が追いつかず。ユリカが隣に居ないことにすら気づかず。

 

 体を動かすことすらままならない俺を補助するようにつきっきりで世話をしてくれるアイちゃんにか細い声で感謝の言葉を呟きながら。彼女の手に持つスプーンが口に運ばれたあの時を。

 

 あの時の事を俺は生涯忘れることは出来ないだろう。

 

「最初に食べたのは、確かおじやだったと思う」

 

『ああっ……ああああああああぁ!!』

 

 口の中に広がる感覚。何かがあるという事しか分からない。食感も、味覚も、何もかもが失われたその感触。

 

 味覚が戻った今は最早思い出すことも――思い出したくもない、無の世界。

 

「塩を取ってくれと頼んだんだ。味付けがされていないと思って」

 

 俺の言葉に笑顔で了承を伝えてきたイネスの顔を思い返す。泣き笑いのような、何かを悔やむようなそんな笑顔を無理やり浮かべた、酷い表情だった。

 

「どれだけ塩を振り掛けても、意味なんかないのにな」

 

『ああああ! あ”あ”あ”あ”あ”!!』

『テンカワ、止せ!』

『おにいちゃん、止めて!!』

 

「味覚がね。なくなっていたんだ。いや、感覚系統は全て、かな。特に酷かったのが味覚ってだけでね」

 

 その後の事は、実はよく覚えていない。俺を押さえつけた月臣曰く、俺はただただ絶叫しながら右手を壁に打ち付けていたそうだ。何度も、何度も。半死人と言える状況の中、信じられないような力で壁を殴り続けたそうだ。

 

「妻を奪われ。夢を奪われ。未来すら奪われ」

 

 瞼に焼き付いた地獄の底の底から見上げた正義の味方の目を思い出しながら言葉を吐き出す。思い出したくもない光景。だが、忘れられない光景。

 

「後に残ったのは、憎悪だった」

 

 拉致されたときでも、拷問を受けたときでもない。ユリカを失った事。味覚を失った事。その二つを自覚したあの時、あの瞬間がテンカワ・アキトの死だった。

 

 あそこでテンカワ・アキトは死んで、そして今のテンカワ・アキトが生まれた。

 

 

 

 リハビリには一年近くかけた。途中でラピスとの感覚の共有が出来なければ、まともに体を動かすことも出来ずに死んでいただろう。体が動くようになってきてからは、リハビリと並行して月臣による戦闘と機体操縦の訓練を受け。

 

 後に統合軍と呼ばれるモノに火星の後継者たちが参加した頃合いから、俺と奴らの戦いは始まった。

 

「連中、世界が違えど世界に自分を合わせる、なんて器用なことは出来ない奴らばかりでな。世界が無駄に広がったせいで各地に根を張ろうとしていたから、それを一つ一つ潰すのは手間だった」

 

 なにせ奴ら、タイヨウ系エリア群に防衛機構が入ってくる際に手を貸して、各地に自分たちのシンパを送り込んでいたからな。

 

 ユーチャリス(戦艦)があったとはいえ、ボソンジャンプが無ければただ空を征くしかない。エリア間の移動に難儀したのは、記憶に新しい。

 

「だが、防衛機構に中途半端に入り込んでいたのはこちらにとってもありがたかった。連中のリストと赴任先(居所)をルリちゃん……ホシノ中佐が把握できたからな」

 

 まぁ、ネルガルの隠し工房に彼女がやってきた時はどうすればいいか分からなくなってしまったが。

 

 防衛機構に所属する際、原作持ちであれば必ずあることをしなければいけない。

 

 そして、どうやら自分やルリちゃんはそういった原作持ちの中でも、中々に著名な存在であったらしい。

 

「工房に入ってきた時は、びっくりするほどの無表情だった。初めてナデシコに乗り込んだ時、初対面の時を思い出したよ」

 

 原作を見た彼女は、そのままネルガルにハッキングを仕掛け、俺達の居場所を突き止めたそうだ。

 

 護衛にサブロウタだけを連れてやってきた彼女は、最初に自分。その次にラピスと、ばつが悪そうな顔を浮かべるイネスに視線を向け。

 

 ポロポロと涙を流しながら、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。

 

「――駄目だな。女の涙には、勝てない」

「わかる」

「お前はそもそも嫁に勝てない、だろ」

「育児放棄のクズは言うことが違うな?」

「テメー、いつまでも引っ張るなっつってんだろうが! 今は一緒に居らぁ!」

 

 苦笑を浮かべながらそう口にすると、髭面の客人達と先生がゲラゲラと笑いながら相槌を打ってくる。場の空気が少しだけ軽くなったのを感じ軽く会釈を送っておく。

 

 そしてふと見れば、カウンターに座る面々のグラスが空いているのに気づいた。どうも集中しすぎてしまっていたようだ。すこし一息入れる意味も含めて、空いたグラスに酒を注いでいく。

 

 トキ先生の弟が作ったという酒。荒けずりだが、悪くはない。

 

「こっちにおでんを追加してくれ。仲間以外が作るおでんは初めてだが、こう、なんだ。出汁が違うっていうのか? こいつも悪くねぇな」

「こっちはラーメンをくれ。久しぶりに食いたくなってきた……ああ、カップヌードルじゃねぇぞ?」

「なぜ俺を見ながら言った」

「かしこまりました」

「あ、テンカワさん。こっちにもおでんを」

「肉」

「はいはい」

 

 一気に場が騒がしくなる。俺の邪魔をしないよう、皆気を使ってくれたのだろう。職務を忘れていた事に恥ずかしさを感じながら、注文を捌いていく。一通り注文を片付け、時計に視線を向けるともう結構な時間だ。

 

 余り引っ張るのも悪い。そろそろ本題に入るべきだろう。

 

「そこから先は、お客人以外の面々は知ってるだろう。カセイエリアに散って勢力拡大を狙う連中を相手に破壊活動を行っていた。連中が先生にご執心になってからは、良く顔を合わせたっけな」

「学園都市が最初だっけ。良い腕してるな、って思った」

「お前と空中ですれ違った時、正直肝が冷えた。こいつと北辰を同時には相手できないと思ったからな」

 

 迎撃のために打ち出されるミサイルや銃撃を軽々と躱し、右目から迸る赤い焔を牽きながら学園都市に向かって飛んでいく鬼神の姿を思い出す。負けるつもりはない。

 

 だが、勝てるかと言われれば厳しいと言わざるを得ない。

 

「それで」

 

 それまで黙り込んでいた、今回の主賓客。黒い様相の男が、グラスを一気に呷りそう口にする。

 

「なぜ、俺にその話を聞かせた」

 

 黒い男。ガッツと呼ばれた男の言葉に、テンカワ食堂の店内に再び緊張感が張り詰める。男の纏う空気が、一段と重くなったからだ。

 

「お涙頂戴のつもりか? それとも、復讐はくだらねぇ、とかいうおためごかしか?」

 

 一言、一言。ガッツが口を開く度に、彼の言葉に灼熱のような憤怒が散りばめられていく。

 

 浴びせかけられた怒気に、だがその事実が心地良い。

 

 くっと頬を釣り上げ、ガッツの言葉に静かに首を横に振り。

 

「――俺がアキトに依頼したからだ」

 

 俺が返答をする前に、店の最奥から声が飛ぶ。

 

「先生」

「すまんな、アキト。あまり吹聴したくない話だったろうに」

「いえ。この場にいる人間には、いつか話そうと思っていた事なので」

 

 先生――ブラック・ジャックの言葉に、首を横に振る。

 

 外との流通を一手に担うオルガ。先生の代わりに村医を務めることもあるトキ。欲を言えば今は村外に出ている忍び衆のまとめ役である弦之介にも知っていて欲しい事情だ。今の状況で自分たちが狙われる事はほぼ0だろうが、火星の後継者の残党が根絶やしになったとは限らない。外との関わりを持つ者。それと自身と妻の体を見せなければいけない相手には、情報を渡しておきたかった。

 

 ――まぁ、約2名ほど。先生に絡んで来た余計な人間がいるが。先生の友人という事だし下手に吹聴するような事はないだろう。

 

「今回の治療は、長期に渡る。施術は一度で終わるが、それからが本番と言えるものだ。心ってのはそれだけ面倒で、慎重にならなきゃいけない」

 

 そんな俺の内心をよそに、先生は淀みなく今後の予定をガッツに語り始める。そもそも俺は精神科医じゃないんだがな、とじろりと隣に座る男を睨みつけながら。

 

 先生の言葉に、男から感じる憤怒の感情が途切れる。彼にも分かるのだろう。この眼の前で友人に愚痴を零す人がどういった人間なのかが。

 

 この人は、裏切らない。患者を決して裏切らない。助けるとか、助けられないという話じゃない。そこじゃないんだ。

 

 医者の嘘は方便という言葉がある。望みがないのに信じさせ続けるのは残酷なことだと言う人もいる。事実だろう。それは、俺も分かっている。

 

『少し手間だな。だが、治せる』

 

 戦いも佳境。ほうぼうに散っていた残党を少しずつ潰し、後少しで復讐が終わるという時分。騙し騙し壊れかけた体を使っていた俺と初めて会った時。先生は少しの検診の後、そう俺に告げた。

 

 信じられなかった。

 

 俺の知る最も優れた科学者にして医者であるイネス・フレサンジュですら口を濁した俺を。俺の体を軽く見ただけの医者が、よくも治るなどと。

 

 激高し、胸ぐらを掴んだ。なんと叫んだかは、覚えていない。ただ、口汚く罵っていたことだけは間違いない。右拳を振り上げ、殴り飛ばそうとし。

 

『――――っ』

 

 合わさった視線。燃えるように静かに揺らめく瞳の光に射抜かれて、蛇に睨まれたカエルのように動きを止めた俺に。

 

『治るんだ』

 

 胸ぐらを掴む俺の左手に手を添えて、ただ一言そう告げた先生の姿。この人の言葉は、嘘や方便なんかではない。そう信じさせてくれる、残酷なほどの力を持っていた。言霊、とでも言うのか。ああ、そうなんだと、腑に落ちたかのように体の中に先生の言葉は染み込んでいった。

 

 ――脳裏に刻まれた正義の味方どもの姿は、もう生涯消えることはないだろう。だが、もうそれは俺にとってどうでもいい事になっていた。

 

『だから、諦めないでくれ』

 

 瞼の裏に焼き付いた正義の味方どもの姿を消し去って余りある、本物の姿。正義なんて言葉じゃない。人を救うのは、そんな言葉なんかじゃない。

 

 人を救うのはいつだって希望と、そして救われようとする自分自身の心なんだから。

 

 

 

side.K 或いは蛇足

 

 

 

「……つまり、キャスカの世話役に店主の」

「そうだ。女性にしか分からない、言えない悩みというものは多い。特に似たような境遇の存在は、弱音を吐きやすくなる」

 

 そして、”弱音を吐く”というのが本当に難しいものもこの世には存在する。

 

 目の前に座る男性、ガッツの恋人の話を聞き、最初に頭に浮かんだのはユリカくんの事だった。テンカワ夫妻は夫婦揃って人体実験の被害者となり、精神と肉体に多大な障害を負っていた。いや、今もまだ悪夢に魘される事がある以上、完治したとは胸を張って言えない状況である。

 

 本来ならば彼女に負担がかかるような事はしたくない。だが、これは一つの好機でもある。

 

 弱音を吐くという事が出来ないのは、ユリカくんも同様。夫であるアキトにも吐き出せないような心の闇は、彼女にも存在する。

 

 完全に同一の状況ではない。だが同じような経験を持つ存在と話す事は、彼女達の心理ケアに役立つだろう。

 

「…………わかった。よろしく、頼む」

「承った。全力を尽くそう」

 

 僅かな葛藤の後。頭を下げるガッツに頷きを返す。彼女の治療は、長期に及ぶだろう。だが、それほど心配はしていない。聞けば一度は完全に心を壊され、バラバラにされた彼女は今、正気を取り戻しているという。

 

 俺が行うのは最後のひと押しと、その後のケア。彼女の魂に根付く彼女を縛り付ける見えない茨を取り除き、心を落ち着ける事ができる環境を作り上げるだけだ。彼女やガッツの首筋に刻まれた印は闇に潜む何かを引きつけるというが、ここに彼らが到着してからこちらそういった妖の類が襲ってくるという様子も見えないし、ここに居る住民も病人にちょっかいを掛けるような者は居ない。

 

 ――病人としか思えない目の前の男にちょっかいを掛ける悪い娘は居たが、今はなのはくんが相手をしてくれている。明日になればケロッとした顔で姿を見せるだろう。

 

 ……なのはくんには、少し悪いことをしたかもしれん。後でなにか埋め合わせをしておくべきだろう。

 

 だが、今はその前にやるべきことがある。

 

「キャスカくんの話は終わった。次は、お前さんだ」

「なに? 俺は、どこも」

「右目と左腕。そして長い戦いで積み重なった全身のダメージ。それだけでも長期入院させたいところだが」

 

 白髪化した前髪に目を向ける。自身に向けて言うようでなんだが、白髪化なぞそうそう起きる事ではない。そして初めて会ってから感じる目線の違和感。自宅で出した茶を飲んだ時、その味に驚く周囲の中一人何事もないかのようにカップを傾けていた姿。

 

 あのお茶を初めて口にして、そんな反応を返したのはただ一人。

 

 被るのだ、この男の姿は。

 

 かつて、初めて会った時のテンカワアキトに。

 

「視界、大分狭くなっているな」

「……」

「それに味覚が狂っているんだろう。治療前のアキトを思い出す」

 

 俺の言葉に肯定も否定もせず、ガッツは小さくため息を付いた。

 

「何故、アキトに話をさせたのか聞いていたな。お前さんの境遇が、現状がアキトに似ていたからだ。だから聞かせた。今、そこに立つアキトの話を」

 

 明日の仕込みを無言で行いながら、アキトは俺の言葉にくっと頬を釣り上げるように苦笑を浮かべる。つい1年前まで、アキトはラピスの助けがなければ一人でまともに歩くことも出来ない状態だった。目の前に座るガッツよりも症状は酷かった。なにせまともに生きられるか、というレベルの状態だったのだから。

 

 俺の言葉に肯定も否定もせず、

「……で、お医者先生は何がいいたいんだ?」

 

 焦れたようなガッツの言葉。その言葉にふぅ、と一つため息をつく。そうだな、何がいいたいのか。この男にかけるべき言葉が頭の中を浮かび、消えていく。

 

「その腕で」

 

 下手な言葉をかけるつもりはない。無理やり治療をするなんてつもりも、ない。

 

「掴もうとしたものを掴み取れるのか?」

 

 だから、自然と口からは疑問の言葉が湧き出てきた。

 

 俺の言葉に、返答はない。虚を突かれたかのようなその表情を見ながら、湧き出る言葉を口にし続ける。

 

「その瞳で、守るべきものを見失わずにいられるのか?」

「…………」

「感覚を失い。髪が白く染まるほどのダメージを受けて体が無事でいられるはずがない。騙し騙し戦い続けられても、やがて限界は来るだろう。たとえどれほどお前の精神が強靭でも」

 

 精神力で肉体を支えている。それが出来る人間がどれほどいるか。ロジャーが気に入るはずだ、と内心で独り言ちながら、何も言わないガッツに視線を向ける。

 

「戦うなというわけじゃない。復讐を諦めろなんて詰まらんことも言わん。先に言った通り好きに生きればいい」

「だったら……」

「その前に。お前はここで、体を癒やすべきだ」

 

 ガッツの言葉を遮るように、そう口にする。少し喋りすぎたか、のどが渇いた。グラスに残った水を飲み干しテーブルの上に置く。

 

 カウンターの向こうで仕込みをしていたアキトが、それに気づいてすっと水差しを持ってくる。ありがたく水差しを受け取りコップに注いでいると、アキトはそのままカウンターの内部に戻らず無言で葛藤するガッツに視線を向けた。

 

「あんまり悩むなよ。この人、色々言ってるがお前を応援してんだぜ。ええと、ガッツ、さん」

「おい」

「……ガッツでいい」

 

 アキトの言葉に顔を上げたガッツ。じろり、とアキトを睨みつけると、苦笑を浮かべてアキトが軽く頭を下げてくる。余計なことをしているという自覚があるなら仕込みに戻って欲しいんだがな。

 

「こう見えてこの人。俺やお前さんよりも年季の入った復讐者だからさ。あんたを治したいってのも、掛け値なしの本音なんだ。この人は、そういう人なんだよ」

「おい、アキト。それぁ漫画の」

「分かってますよ、間先生。でも、今は良いでしょう」

 

 アキトの言葉に、ガッツは無言で俺を見る。いや、全然良くないぞ。それは俺じゃなくてブラック・ジャック先生の話であってだな。

 

「お前さんたちの世話は、俺とユリカが請け負う。暫く時間もある。だから、ゆっくり考えてみてくれ」

「………………ああ。そう、だな」

 

 その言葉に頷ける所があったのか。ガッツは小さく首を縦に振り、手に持ったグラスを眺めながら考え込むように黙り込む。

 

 無言でアキトに視線を向ける。ね、言ったでしょ? とばかりに微笑む姿に確かに助かったんだが違う、そうじゃないと首を小さく横にふる。折角先入観抜きで、医者として、接することのできそうな相手だったというのに。

 

 俺の視線に気づいてか気づかずか。そのままガッツと今後についてを話し始めたアキトに一つため息を吐く。

 

 助かったのは、事実だ。俺を見かねてか声をかけてくれたおかげで、アキトとガッツの間で接点が出来た。ガッツは話してみる限りかなり頑固な一匹狼タイプに感じるが、一度懐に入れた相手はかなり気をかけるタイプだろう。

 

 精神を癒やすのは時間と環境。この二人にとっても、互いの関係が良いものになってくれることを祈ろう。

 

 さて、仕事は終わりだ。俺は精神科医ではないというのに、あいつら医療関係なら俺に振ればなんとかなるとか思ってるんじゃないだろうな?

 

 神様、神様! どこからこっちを見ているかもわからない神様!

 

 俺の心の安寧のためにも! 次の統合ではブラック・ジャックをよろしく!

 




テンカワアキト:出典・機動戦艦ナデシコ
TV版と劇場版を連続視聴してその落差に本人すらため息が出たらしい。

ガッツ:出典・ベルセルク
キャスカの治療のため、自分の住む世界を離れマリネラ山中へやってきた黒い剣士。
烙印の影響がない夜に戸惑いを感じながら、仲間と過ごしている。

髭面の男:出典・ワンピース
前作主人公コンビの片割れ
面白そうな場所に住んでるなお前、と黒夫に絡んでいる

育児放棄してた男:出典・HUNTER×HUNTER
前作主人公コンビの片割れ
2軒めに行くはずがマリネラ山中で忍びと鬼ごっこになった。反省している。

オルガ・イツカ:出典・機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
前作主人公コンビに巻き込まれて決死の山中踏破を成し遂げた。

三日月・オーガス・ミクスタ・バーンスタイン:出典・機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
楽しかったらしい

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