空に燦燦と輝く太陽、目の前に広がる青空よりも澄んだ海、そしてその色をより鮮明に魅せる真っ白いキャンパスのような砂浜。
最初こそ興奮したその光景も既に6時間以上視界に収めていればもう煩わしく思うばかりだ。
全身を襲う疲労感が、両手にズシリと重くのしかかるクーラーボックスのせいなのか、既に飽きかけているこの景色のせいなのか分からないままにただ心を無に近い状態にしながら一人歩みを進めていた。
「さすがに……しんどいぞこれ」
身に着けているTシャツも既に俺の全身から噴き出た汗を目いっぱいに吸い込んでおり肌に張り付いてうっとおしいうえにここに着いた当初よりかなり重く感じられる。
俺は今、スタッフと演者用に用意されているドリンクが目いっぱいに詰められたクーラーボックスを運びながらこの熱海の砂浜を一人で歩いていた。
今日俺がここに居る理由、それは346プロダクションアイドルの水着撮影の雑用として仕事をするためだ。
雑用だとは事前に聞いていたけれど流石にここまでこき使われるとは……。とは言うものの役得なところも多分にあったのでそれは言うまい。
「お、遅いぞ相沢君」
「流石にこの量を一人なんで遅いのは勘弁してくださいよ……」
目的地のテントへと足を踏み入れた直後、俺の元に声を掛けてきたのはバイト先である346プロダクションでの俺の上司である山上プロデューサーだ。
「仕事なんだから頑張ってくれー」
「と言いましても俺ただのバイトなんですから……」
急に前日に熱海に行くぞなんて言われて来てみれば炎天下の中荷物運びやテント設営。流石に文句の一つぐらい言っても良いんじゃなかろうか。
「時給は他よりもいいはずだぞ?」
その言葉に俺の脳裏にいくつも浮かんでいた悪態の言葉がすっとまるで火照った体に制汗シートを当てられた時のように引っ込んでいった。
確かに……事前に知らされていた通りであればこのバイト、実はかなり時給が良い。1時間働くだけでその辺のコンビニとかだとその倍を働かなければいけないほどの給料が貰える。それに関しては全くもって不平不満の一つもない。
「そ、それを言われるとそうなんですけど……」
全くもって偶然降ってきたこの仕事、その点に関してはかなり手放すのが惜しい。それに……。
「あれ、相沢さん!お疲れ様です」
「あ、ああ……。夕美ちゃんもお疲れ。撮影はもう終わり?」
「はい、私はもう今日はここまでです!」
水色をベースに彼女のイメージでもある花柄をふんだんにあしらった水着、そしてそこから見える健康的な素肌。新進気鋭の新人アイドル相葉夕美の水着姿をこうして生で拝めるというとんでもないおまけ付きでもある。
「見すぎです。相沢さん」
そこに現れたのは既に何回か目にしているプロダクションのTシャツに身を包んだ黒髪の少女。
「け、慶ちゃんもお疲れ。そ、それよりも見すぎってどういうことだよっ。そそそ、そんなことないぞ!?」
「誤魔化すならもっと上手く誤魔化しましょうよ……」
慶ちゃんは346プロダクションの専属トレーナー見習い。今回の撮影にはトレーナーの勉強の為に参加している。まぁ、本当のところは山上さんが予算をケチったせいでどうにも人手が足りないということで白羽の矢が立ったらしい。
「山上さん、文香ちゃんと加奈ちゃんの着替え終わりました」
「ありがとな、今回スタイリストさん一人しか手配できなかったからさ」
「これくらいであれば……」
今回の撮影には他にも数人のアイドルが参加しており、我が営業3課からは夕美ちゃん、鷺沢文香さん、そして今井加奈ちゃんの3人が参加している。
ちなみに夕美ちゃん以外の二人とは朝の時点でちょっとだけ言葉を交わしてはいるもののそれ以上でも以下でもない何とも言えない関係だ。今後親しくなる機会は来るのだろうか。
「相沢君、アイドルの水着姿を生で拝んでおいて感想の一言もないのか?」
「い、いや……それは……」
こういう時素直に直接本人に感想を言うのはその、セクハラには当たらないのだろうか。いや、むしろ見られる仕事なのだから褒める方が当然なのだろうか……。
「むむむ……」
「何がむむむなんですか。私も相沢さんに褒められたいなぁ~」
そう言いながらこちらへと顔を寄せてくる夕美ちゃん。その体勢、その……胸元が強調されて俺の精神衛生に大変よろしくないんですよね。
「あ、相沢君!ここに居たんですね。ちょっと手伝って欲しいことがあって……」
そんな時に現れたのは今回の仕事に帯同している菜々さん。こちらは夕美ちゃんとは違って動きやすそうなTシャツにホットパンツ、その上に半袖のパーカーを一枚だけ羽織っている格好だ。
「どうしました菜々さん?」
これは菜々さんナイスタイミング。この機に乗じてなんとか夕美ちゃんからの熱い視線を回避したいところだ。
「実は楓ちゃんの撮影で人手が足りなくて……。白いパネル持って立っててくれるだけでいいので手伝ってもらえないでしょうか?」
「ってことらしいです、山上さん。行ってきますね!」
俺は夕美ちゃんとの一部始終を何やらニヤニヤしながら見つめていた山上さんの方へと視線を動かす。
「そりゃしょうがないな。相沢君行っておいで。菜々ちゃん、他は大丈夫?」
「はい、今のところはそれぐらいですかね……」
ということで俺はこの場を抜け出す口実をしっかりと手に入れた訳だ。……女の子一人に掛ける言葉も見つからないとは、全くもって自分でも情けない限りである。
「もう、根性無しなんだから……。あの時はかっこよかったのになー」
「夕美ちゃん、それぐらいにしとこ。相沢さんも忙しいんだから……。まぁ、一言ぐらいはあっても良かったと思うけどね……」
そんな夕美ちゃんと慶ちゃんの会話が聞こえないふりをしながら俺は菜々さんの後に続いてテントを後にした。
「んー、もうちょい視線左に向けてみようか」
「こんな感じですか?」
「そうそう。それでちょっと遠くに視線飛ばして、イメージとしては遠くに居る大切な人を想う……って感じかな?」
「ん~こんな感じです?」
「あーいいよ!それで何枚か撮らせて」
暫くしたのち、菜々さんに連れられて向かった先で俺は60センチほどの正方形の白いパネルを抱えていた。そんな俺の目の前では今、高垣さんが撮影を行っている。
白いワンピースに麦わら帽子、そこから伸びる蠱惑的な白い手足は、海から差し込む夕日に照らされて上手く言葉にできない魅力を醸し出している。
「すげぇ……」
思わず感嘆の声が漏れる。昼前の水着姿も確かに素敵だったけど、それを超えるこの暴力的
な程に絵になる力。
俺は改めてトップアイドルというものの片鱗に触れたような気になる。もちろん彼女の魅力はこれだけではないのだろうが、今目の前の光景だけでも彼女がトップアイドルたる所以がひしひしと伝わってくるのだ。
「うん、それじゃあ後は水着と夕日で何枚か撮って今日はここまでにしようか」
そう言いながら今回の撮影に帯同しているカメラマンの吉田さんは何やら傍らのカバンからごそごそと道具を取り出している。
「でさ、聞いてよ楓ちゃん。この前教えたお店あったでしょ、あそこが今期間限定の烏賊の料理やっててさぁ……」
「烏賊ですかぁ!またお酒に合いそうな……」
どうも吉田さん、高垣さんとは既知の仲らしくこうして撮影の合間に雑談を交わす様も今日一日を通して見慣れた光景になっていた。
先ほど目の当たりにした彼女の姿も、そんなトップアイドル高垣楓を身近に知る彼だからこそ引き出せるものなのかもしれない。
「あ、バイト君もありがとね。今日は撮影スタッフが少なくて困ってたんだよ」
「あーいえ、こんなことでよければ何でも声かけてください!」
「はいよー。それでこの前六本木のさぁ……」
俺も既に何回もこうして声を掛けてもらっている。残念ながら名前は覚えてもらっていないようだが業界で生きていくにはこういうつながりも大切なのかもしれない。
「あーそだ、菜々ちゃんもこの後せっかくだから撮っていく?」
「うぇ!?」
さっきまで高垣さんと談笑していた吉田さんが急に撮影で使った小道具を片づけていた菜々さんへと声を掛けた。
「な、菜々ですか!?」
そういえば菜々さんの撮影は今日はないのだろうか。彼女自身も昨日事務所で会ったときにアイドルだってことを口にしていたし撮影があってもおかしくはないと思うけど、今日は俺と一緒に裏方の作業をしてばっかりだったな。
「な、菜々はその……。あ、そういえば山上さんに頼まれてたことがあったんですー!あ、吉田さん、撮影は事務所を通してお願いしますね!それでは失礼しますー!」
……話題の逸らし方が露骨にも程がある。一体何があったのか俺にはわからないけど何かがあったんだろうっていうのがバレバレだ。なんでそんなに寂しそうな表情を浮かべるんだ。菜々さんにそんな顔は似合わないのに。
吉田さんも苦笑いを浮かべながら機材の片づけに戻っているし。彼は菜々さんの表情の意味を知っているんだろうか。
「相沢君なら何とかできますかね?」
「うわ、びっくりした!」
気づけば高垣さんの顔が隣にあって思わず飛び退いてしまう。
「あら、驚かせてしまいました?」
「と、突然だったもので……」
そんなに綺麗な顔が突然隣にあったらそりゃ驚きますって……。
「というか名前、憶えてくれていたんですね」
まさかトップアイドルに名前を呼ばれることが人生であろうとは……。これは孫の代まで自慢できる案件ですよ。
「私、お仕事で一緒になった人の名前は忘れないようにしているんです。名前だけに、えっと……ネーム……違いますね、なめぇ……ダメですね」
「無理にダジャレを言おうとしなくてもいいですよ」
こんな時にまでキャラを突き通そうとするスタイルは正直見習いたいとは思いますけどね。
「それで、何とかっていうのは……?」
高垣さんの発言で気になったのはそこだ。俺なら何とかできる……?
「ん~」
そういって高垣さんは自分の顎に人差し指を当てながら何やら思案の表情を浮かべる。いちいち仕草が可愛いなこの人。
「私の口からはなんとも。という感じでしょうか」
要するに本人の口から聞いてくれ、ってことですね……何やら厄介ごとの香りがプンプンです。分かります。
「俺なんかに何か出来ることがあるでしょうか?」
正直俺に菜々さんの抱えているものが解決できるとは到底思えない。人の悩みを読み取ってそれを解決に導くなんて、それこそ……。
「超能力者じゃないんですから……」
「超能力者ですか」
「ええ、ましてや俺と菜々さんはあって2日目ですよ。おいそれと悩みを話してくれるとは……」
「そうですねぇ……それでも」
衣装の麦わら帽子からなびく髪を掻き分けながら高垣さんは波打ち際へと足を向ける。
「魔法使いなら、何とか出来るかもしれませんね」
そう言って笑う高垣さんは、今日どんなレンズの向こうの姿よりも俺には輝いて見えた。その笑顔に込められた意味を、俺はまだ知らない。
「相沢さんも酷いとは思いませんか!?」
そう言いながら慶ちゃんは俺の奢りのコーヒー牛乳を勢いよく自分の喉に流し込んだ。
「そりゃ確かに私はまだまだですけど、何がお前はまだトレーナーを名乗るには程遠いだな、ですか!私だって未熟ながら勉強だってたくさんしてるんです!聞いてますか相沢さん!」
「聞いてる聞いてる」
「それ聞いてない人の台詞です!」
現在時刻は午後8時。二泊三日の熱海撮影の初日を終えた俺は今回の拠点となる宿で夕涼みがてらの散歩へと出ていた。
そしてそこに偶然居合わせた慶ちゃんに捕まって今に至るという訳だ。かれこれ30分近く姉への不満を口にしている慶ちゃんだが。4姉妹の末っ子ということもあっていろいろ思うところがあるのだろうか。俺はまだ慶ちゃんのお姉さんには会ったことがないが話を聞く限りかなりストイックな人たちみたいだ。
「……素面だよね?」
「未成年ですよ!飲んでません!そんな相沢さんはこんなところに居ていいんですか?」
「いやぁ……」
思い返すのは先ほどの惨状。夕食は宿の宴会場を貸し切って行われたのだがやたらとお酒に強い高垣さんと吉田さんに絡まれて身の危険を感じた俺は逃げるようにその場を後にしてきたのだった。
明日も撮影あるのに大丈夫なのだろうか。
「あー、あれはご愁傷さまでしたとしか。大丈夫ですか?」
「菜々さんが逃がしてくれたからね……」
俺の危機を感じてか途中から菜々さんが二人の相手をしてくれていた。というか菜々さん自分で自称17歳を名乗っておきながらあの場でバカバカと差し出されるアルコール類を流し込んでいったのはキャラ的に大丈夫なのか。
「そういえば……」
そんな菜々さんの姿が脳裏に浮かび、俺はふと昼間の出来事が蘇る。あの時の彼女の表情が、今日一日ずっと心のどこかに引っかかり続けている。
もしかしたら慶ちゃんなら事情を知っているのかもしれない。
かといって本人のいないところで聞いてもいいものか……安易に首を突っ込むのは逆に失礼なのではないだろうか。
そんな逡巡する俺の心を動かしたのは、あるフレーズだった。
『魔法使い』
高垣さんが言っていたけど最近どこかでこの言葉を聞いたような気が……。
「どうかしましたか……?」
……あ、思い出した。いるじゃないか、目の前に。その言葉を口にした人間が。俺にきっかけをくれたセリフ。その言葉を口にした彼女ならば、俺のこの心のもやもやを何とかしてくれるかもしれない。
「なぁ、慶ちゃん。一つ、聞きたいことがあるんだけど」
「えっと、なんでしょう」
魔法使い。果たして俺がそれになれるかどうかは答えは闇の中だ。だが増田が口にしていた。なるようになると。行きたい方向へと向かい続ける限り。
だから今は、行きたい方向へとただ向かうことにしよう。
「菜々さんに、何があったのか教えて欲しい」
なるようになったその先で、俺は菜々さんにあんな表情をしていて欲しくはないから。
ということでお読みいただきありがとうございました。
今回も誤字脱字等気を付けてはおりますがもし見かけた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると幸いです。
それと、ご感想や評価等頂けると泣いて喜びますのでそちらも良かったらお願いいたします。
不定期更新ですが引き続きよろしくお願いいたします。