熱海の撮影会から戻ってきて数日が経った日の午後、俺は段ボールに山盛りになっている資料を棚へと戻す作業に勤しみながら、菜々さんとの何気ないやり取りを楽しんでいた。
「それでですね、ゼミの後輩の大木がそこで言うんですよ。先輩、俺もっとすごいもの見たことありますよって」
「えっ、道端に放置されているイルカの魚拓よりすごい物って何なんですか」
山上さんからこの仕事を指示されてから既に時計の長針が3回ほどてっぺんを指したが、近くに置かれている段ボールの中には未だに山盛りになったそれが置かれており、無くなりそうにはない。
昼過ぎに事務所に戻ってきた菜々さんが慌てて手伝ってくれているのだがこれ、いつになったら終わるのだろうか。
「いやぁ、それが実はですね、虹色に光る……」
俺が話のオチを自慢げに菜々さんに話そうとしたその時だった。
「まだやってる感じかい?」
「あ、山上さん、戻られたんですね」
「いやぁ、聞いてくれよ。営業先の担当がまためんどくさい人でさぁ」
肩に背負っていたスーツの上着を近くのソファへと投げ捨てるように置くと、そのままそのソファにうつ伏せで沈み込む山上さん。
「あの、相沢君話のオチは……」
「何かお茶でも持ってきましょうか?」
「それはありがたいな。確か昨日夕美が冷蔵庫に麦茶を作ってたはずだと思う」
「あの、話のオチ……」
「で、掃除終わりそう?」
俺は冷蔵庫の中からプラスチック製の容器に入った麦茶を取り出しながら先ほどまで格闘していた資料の山へと視線を送る。
「あの、虹色の……」
「いやぁ、大変ですよ。夕方までに終わるかどうか……」
「だよなぁ……。急でごめんな。営業2課の連中が急に必要なものがあるって騒ぎだしてさぁ」
「そんな事情があったんですね……」
「だから虹色のですね……」
「ま、気長にやってくれ。今日は他にやることもないから」
「ありがとうございます。分かりました」
冷蔵庫でキンキンに冷やされたそれをもって山上さんの元へと向かう。
「せっかくだし相沢君も少し休みな。今日は他に仕事ないし」
「ありがとうございます」
俺は山上さんに先ほどの麦茶を手渡すと、自分の分の麦茶を取りに再び給湯室へと足を向ける。
「だぁかぁらぁ!!!」
そんな折、急に菜々さんが雄叫びを上げる。
「びっくりしたぁ!」
「急にどうしたんですか菜々さん!」
握っていたコップを落としそうになって慌てる俺。見れば先ほどソファに寝転がっていた山上さんも跳ねるように飛び起きていた。
「虹色に光る何なんですかぁあああああ。このままじゃ一日3時間しか眠れませんよっ!」
「お肌に悪そうですね」
「そういう問題じゃなぁあああいい!!!」
それだけ叫ぶと菜々さんは部屋の扉を勢いよく開け放つとそのままどこかへと立ち去ってしまった。
「……菜々ちゃんどうしたんだ……?」
「……えっと、多分……」
先ほどの会話を思い出しながら俺は山上さんに一連の流れを説明する。
「で、その大木君が見た虹色に光るものってなんだったんだ……?」
「ああ、虹色に光ってるようにみえるただのカナブンでしたっていうオチです」
「うわ、くだらないな。菜々ちゃん今日の夜それで寝られないのかよ」
「……なんか罪悪感湧いてきました」
「戻ってきたらなんか一言言っといてあげな」
「はい」
それだけ言うと山上さんは机の上へと何やら資料を広げだした。
「新しい仕事ですか?」
「ああ、今度のライブの資料だよ。大体のことは決まってるんだけどまだ詳細が煮詰まってなくてね」
「大変ですね……。そういえば、ライブって行った記憶あんまりないんですよねぇ。せいぜいが大学の友人のライブぐらいで」
「あらまぁ。そのライブの規模は?」
俺は4月に増田が下北沢でやったライブの会場を思い浮かべる。半ばチケットを押し付けられるようにして行ったそれだったが案外楽しかったのを覚えている。
あの時の規模が確か……。
「300人も入らないって友人は言ってましたね」
そう言っていた増田とは相変わらず最近連絡が取れないことが多い。バイトが忙しいのか、それともまたどこかで放浪しているのか……。
「なるほどねぇ。ってことは何千、何万ってライブは経験ない?」
「恥ずかしながら全くないですね」
「なるほどねぇ。じゃあ……」
そういって山上さんは立ち上がると棚から一本のDVDを手渡してくる。
「何ですかこれ」
「2年前にうちが出したライブのDVD。事務所の大型ライブの時の映像だよ。後学のためにせっかくだから見るといいよ。っとごめん、電話だ。はい、お世話になっております、山上です。はい、その節はお世話になりました……」
受け取ったそれには、俺でも見知った346プロダクションの顔ともいえるアイドルたちの顔写真がたくさん写っており、まさに事務所の集大成ともいえるパッケージデザインだった。
「あ、高垣さんだ」
そのパッケージには今よりもちょっとだけ幼い高垣さんが写っており、その綺麗な横顔に一瞬見入ってしまいそうになった。
「はい、今からですか?はい、すぐに伺います……。いえ、とんでもございません。では、後程……はい、失礼いたします」
そんな俺を他所に山上さんは適度に電話を打ち切ると先ほど投げ捨てたスーツの袖に再び腕を通している。
「ちょっとまた出てくる」
「あ、わかりました。ちなみにどちらへ?」
「TVK。今度のライブのスポンサーなんだよ」
「あーなるほど」
テレビ関東(通称:TVK)。関東圏を中心に全国にいくつものキー局を持つ日本でも屈指の放送局だ。さすが一流事務所。スポンサーのネームバリューもトップクラス。
「戻ってこられます?」
「あー、打ち合わせの後多分飲みに行くだろうから直帰になるかな」
「大変ですね……」
「ほんとな。酒ぐらいゆっくり飲ませてくれって感じだよ。まぁ、これが仕事だからしょうがないんだけどね。相沢君も適当なところで切り上げてくれていいからな。それじゃあ行ってくる」
そう言うと先ほど菜々さんのせいで開けっ放しになっている扉から山上さんは姿を消した。
さて、俺も休憩はここまでにして再びあの資料の山に取り掛かるとしますか。
「終わったぁあ!!」
資料の山と再び格闘すること4時間。見れば時計の針は6時を回ったところだ。
西からの日差しがずっと差し込んでいたからか随分と時間を勘違いしていたようだ。夏の太陽は顔を出している時間が長いからな。
「んんっ」
ぐっと背伸びを一つすると凝り固まった背中の筋肉が一気に伸びていく感覚を味わう。
何と言うか、最近この事務所のおかげか体を動かす機会が増えた気がするな。
「晩飯、どうすっかなぁ……」
山上さんは上がっていいと言っていたもののこのまま帰っちゃうのもなんか忍びない。
俺は部屋入り口のタイムカードに自分の身分証を晒すと今日の仕事をここまでとした。
この前知った話だが、この機械はどうも入り口の入退社用の機械と連動しているらしく、ここでかざすと一階の会社入り口に設置されている機械の方へと情報も送られるらしい。
実際切らなきゃそのままずっと残業代が加算されるのだろうけどそれだと流石に問題になるかもだからちゃんと忘れないうちに切っておいた方が無難というか安全だろう。
「ラーメンとか食いてぇな」
俺は自分の荷物からスマートフォンを取り出すとこの辺のラーメン屋を探すことにする。あー、家系いいなぁ……。ん、こっちの味噌ラーメンも気になる。おー、つけ麺って選択肢もあるのか。
この346プロダクションは渋谷駅から徒歩で10分。周りにはオフィス街と都内でも有数の大学があるために飲食店も多い。
晩飯に困るなんてことはないと思うが……。
「失礼いたします~」
そんな時だった。俺の思考を遮る様に第3営業課の入り口から呑気な声が聞こえて来た。
「誰かいませんかぁ~。って相沢君だぁ」
「た、高垣さん!?」
そこに居たのは一人の美女。至近距離でないと気づかない程度の綺麗なオッドアイがこちらを見つめている。なぜ近づかないと確認できない目の色を俺が確認できるかというと……。
「高垣さん、近いです……」
鼻先が触れそうな距離で彼女がこちらを見つめているからに他ならない。
「ど、どうしたんですか今日は」
「お弁当」
お、お弁当……?そう言って彼女は目の前にいかにも自分は高いですよとその見た目からびんびんに主張している二つの弁当箱を俺の目の前に差し出した。
「今日の撮影で余ったので山上さんにでもと思って貰ってきたんです」
そう言って彼女は嬉しそうに笑いながらソファへと腰を掛けた。
「でも、この様子じゃいない見たいですねぇ」
あー、そういえば山上さん今日は戻らないって言ってたな。
「午後にスポンサーと打ち合わせをするって出ていってそれっきりです。今日は直帰するかもとおっしゃってました」
「あら、それは残念……」
そう言って落ち込む高垣さんは俺史上一番残念を顔に出しているのではないかというくらいの凹みようを見せている。悪いことをしている訳ではないのに事実を伝えてしまったことに若干の罪悪感が沸いてしまう程だ。
「あら?」
コロコロと表情の変わる彼女の手には俺が昼間に山上さんから受け取ったDVDが握られている。そういえば机の上に置きっぱなしにしてたな。借り物をそんなところに置いておくなんて、反省せねば。
「また懐かしいDVDですね」
「山上さんに借りたんです。俺が大きなライブに行ったことが無いって話をしたら貸してくれました」
「あら、そうなんですか。それなら」
そう言って高垣さんは徐にパッケージから中身を取り出すとテレビに備え付けられているデッキへとそれを流れるように入れる。
「せっかくなので、一緒に見ませんか?」
こうして俺は夕食時にトップアイドル高垣楓と彼女の出演しているDVDを見るというファンがいくら積もうとも味わえない稀有な状況に置かれるのだった。
俺、明日彼女のファンに殺されたりしないだろうか……。
「山上さんに差し上げる予定だったお弁当は相沢君にあげますね」
「そ、それはありがとうございます。夕飯どうしようか迷っていたところだったんです」
「良かったですね。今日のお弁当は菊久のすき焼き弁当なんですよ」
リモコンを器用に操作しながら弁当の蓋を開ける高垣さん。
「わぁ!美味しそう!」
嬉しそうにすき焼きを見つめる彼女はクリスマスプレゼントを開けるときの子どもみたいな表情を浮かべている。本当にコロコロと表情が変わる人だ。何と言うか、見てて飽きない。
テレビや雑誌などではクールな印象しか持ってなかったけれどこれが彼女の本当の姿って奴なんだろうか。
「ほら、相沢君もどうぞ」
そう言って弁当を差し出してくる彼女の手とは反対の手にはいつの間にか缶ビールが握られている。
「どこから出したんですかそれ!?」
「……乙女の秘密ですっ」
可愛く言っても許されるわけじゃないですからね。後ここ事務所の中です。
「こんなところで飲んで大丈夫ですか?」
「心配ないですよ。私と志乃さん、早苗さん辺りはよく怒られていますし」
「それじゃあダメじゃないですか!」
「そんなプンプンしたらお弁当が美味しくなくなってしまいますよ」
「……まぁ、これ以上言うのは何と言うか野暮ですね。それじゃあいただきます。……って何だこれっうっまっ」
割り下がしっかりと沁み込んだ牛肉は俺が今まで食べたすき焼きのどれよりもおいしかった。撮影で貰ってきたと口にしていたからてっきり冷たくなって美味しくなくなってるものだと思っていたけれど、これはこれは……。
「ちなみにそのお弁当、3200円らしいですよ。私も滅多に食べられないので嬉しいです」
「さんぜっ、ごほっ」
なんだその値段っ!?
「なんでも三重県の有名なお肉を使用しているとか……」
本当に松坂牛です。ありがとうございました。
「今日の撮影のスポンサーさんがご用意してくださったのですが、何と言うか三重だけに見栄っ張りだったんでしょうか?」
「……アルコール回るの早くないですか?」
「平常運転です。ほら、始まりましたよ」
気づけばテレビには開演前の薄暗い薄暗い場内が映し出されている。
「東武ドームでしたっけ?」
「はい、私は初めてのドームだったので緊張しましたぁ」
「東武ドームってキャパいくらでしたっけ」
「35000人ぐらいですねぇ」
35000……。そんな人数の前で歌って踊るってどんな気分なんだろうか。
高垣さんと手探りの会話を続けている傍ら、映像はだんだんと進んでいく。
気づけばもう1時間は経とうという頃だろうか。
「あ、次私の出番ですよ!」
嬉しそうに笑う高垣さん。それと共に52インチの特大モニターからはテレビで何度も耳にしたことのあるイントロが流れ出した。
「私も若いですねぇ」
「今じゃもう歌姫ですからねぇ」
「歌姫ですか」
先ほどまでニコニコしていた高垣さんの表情が一瞬だけ固まったような気がした。気のせいだろうか。それとも、歌姫という世間からの評価に思うところがあるのだろうか。
「その名前は何と言うか、重すぎるかもしれませんね。彼女を見ているとそう思います」
どこかドキッとさせる憂いを帯びた表情を浮かべる高垣さんから慌てて視線をテレビに戻すと、そこには俺がここ最近で見慣れてしまった顔がステージの上に立っていた。
「菜々さん……?」
「このDVDは、彼女が最後にステージに立った時の映像ですよ」
……そういえば麗さんが山上さんに話をしておくなんて言ってたような気がするな。もしかしてこれを貸してくれたのは山上さんに何らかの意図があったのだろうか。
「菜々さん、楽しそうですね」
「ええ、彼女と、そして彼が勝ち取った舞台ですもの」
彼、そう高垣さんが表現した人物こそ、菜々さんの元プロデューサー。
「高垣さんは……」
「楓」
「えっ?」
「菜々さんって呼ぶのなら、私もそう名前で呼んでほしいです」
んなっ、いやいやいや、急に何を言い出すのでしょうかこの人はっ。夕美ちゃんや慶ちゃんを名前で呼ぶのとはこちとら大違いやぞっ!?
「えっと、それは……」
「ダメ、ですか……?」
何て言われて断ることのできる奴がいたらそいつは一回死んだ方がいい。
「呼ばせていただきます、楓さん」
「よろしいっ」
そう言って彼女は嬉しそうに笑った。
「それで、相沢君は何を言おうとしてたんですか?」
「えっと、楓さんは、もう一度菜々さんにステージに立って欲しいんですか?」
「もちろんです。彼女の姿は私の憧れですから」
意外な言葉が出てきた。『歌姫』高垣楓の口から、菜々さんが憧れだと。こう言っては申し訳ないけど、菜々さんと楓さんは全くと言っていい程方向性が大違いだ。
「憧れ、ですか……?」
「ええ。歌姫高垣楓はみんなが作り上げた偶像なんです。でも、本当の私はこうしてビールを片手に親父ギャグを口にするのが大好きなただの普通の女性ですから」
そう言って楓さんは寂しそうに笑う。
「菜々さんは違うと?」
「違う、というと語弊があるかもしれません。あ、語弊と言えば五平餅ってご存知ですか」
「話が脱線してます」
「あ、ごめんなさい、ついつい」
「それで、菜々さんが違うっていうのは?」
「彼女は自分がなりたいものを精一杯自分という偶像に投影しようとしています。他人から作られていった私とは違う。その偶像には、安部菜々という一人の人間の生き様が宿っているんです。それが、私が彼女が憧れる理由です」
生き様。
その言葉が俺の中にズシリと心に沈み込むような音を立てた。
それを言うのなら、そんな楓さんだって……。
「他人から作られたなんて悲しいことを言わないでください」
「でも、私にはなりたいものなんて……」
「なりたいものなんて、無くていいんじゃないですか?」
「えっ?」
本当にやりたいことが明確な人間ってのはそう多くはない。周りに、そして自分に騙し騙しの誤魔化しを精一杯に押し付けながら生きているもの。これは山上さんの言葉だ。でも、そんながむしゃらの生活の中で、もしそこに僅かでもある真実に手を伸ばすことが出来たのなら……。
「俺は、さっきのステージの上で笑っている楓さんは、心から楽しそうだった気がします。それが楓さんが本当に楽しいと思って笑っているのだったら、それは楓さんがステージの上で表現をしようと思った高垣楓の姿なんじゃないでしょうか。あなたの想いは、ちゃんと高垣楓に宿っていると俺は思いますよ」
それは、楓さんが見つけた生き様だと思うから。
「相沢君……」
「あ、えっと、すいませんっ!楓さんなんかに偉そうな口を利いてしまって!」
俺はトップアイドルに向かってなんてことを口走ってるんだ。
「いえ、嬉しかったですよ」
「え、あ、えっと……?」
「柄にもなく愚痴なんて口にしてしまったので、そう言ってもらえて嬉しかったです」
「何と言うか、それは良かったです」
「みんなが作り上げたなんて先ほどは表現しましたけど、訂正しますね。私は、みんなに作ってもらっているんですね。後はそれを、私が私らしく楽しんでいけばいい」
「素敵な考え方だと、思います」
「ありがとうございます。そうなるとより一層……」
楓さんの見つめる先、そこには楽しそうにステージの上で歌いながら他のメンバーと掛け合いを行う菜々さんの姿があった。
「ステージに立って欲しいですね」
「ええ、俺も実際に菜々さんのステージを見て思いました。菜々さんは、最高にカッコいいアイドルだって」
だからこそ改めて思う。俺は出来るだろうか。彼女にもう一度ステージに立ってもらうことが。
彼女の生き様を、もう一度その舞台の上に灯すことが出来るのだろうか。
ということでお読みいただきありがとうございました。
今回も誤字脱字等気を付けてはおりますがもし見かけた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると幸いです。
それと、ご感想や評価等頂けると泣いて喜びますのでそちらも良かったらお願いいたします。
不定期更新ですが引き続きよろしくお願いいたします
メインヒロイン青木慶とは何だったのかってぐらい出てこねぇ