楓さんと二人っきりの夕食を終えた日の翌日、俺は眠気眼を精一杯に擦りながら今日も今日とて事務所内の掃除に励んでいた。
「なんか眠そうだな、相沢君」
「す、すみません」
俺のバイト先の上司である山上さんは、机の上の資料を自らの鞄へと仕舞い込みながらこちらを一瞥して見せた。
「体調悪いとかだったら早めに行ってくれよ」
「いえ、そういうのじゃないんですけど……」
「なんかあったのかい?」
「あったというかなんというか……」
俺は一瞬口ごもってしまう。この心の中のもやもやを上手く言葉にできる自信がなかったからだ。
「そういえば昨日、ライブのDVDを貸していただいたじゃないですか」
そう思った俺はジャブ程度の会話から上手く自分の思いを言葉にできないかと探っていくことにした。山上さんなら、俺の気持ちも上手く汲んでくれるかもしれない。
「あれな、ちゃんと観たかい?」
「観たというかなんというか……」
「さっきからはっきりしないなぁ。聞いてる側からすると不安でしょうがないぞ。プロデューサーたるもの、自分の発言には自信が無くても自信があるように見せねば」
「あの、自分プロデューサーじゃないんですけど……」
「そりゃ失敬した。で、DVD絡みの話?」
「はい、その、つい、観すぎちゃったんですよね……」
自分で口にしてもなんともはっきりしない話である。本質にたどり着くまでに長い話になりそうだ。
「そんなに面白かったか?」
「ええ、広い会場に豪華なセット、出演アイドルたちのパフォーマンスも素敵で楽しかったです」
「で、君はそのステージを何度も見返してたから寝不足な訳か」
この歳になって睡眠時間の管理もできないとは何とも情けない話だ。
「だけど」
ふと山上さんの声が鋭くなった気配を感じる。
「君がそこまでそのステージに入れ込んだのは、ただ面白かったってだけじゃないんだろう?」
不敵。まさにその言葉がぴったりなほどの笑みに俺は思わず心の中で精一杯の両手を挙げた。全く、この人はどこまで俺のことを見透かすのだろうか。
「バレてますか?」
「完全に、とは言い難いけどね」
やっぱりこの人には敵いそうにない。それと同時にこの人なら俺のこの気持ちを何とか代弁してくれるのではないだろうかという思いを抱く。持つべきものは、やっぱり頼りになる年上だ。
「昨日、仕事終わりに実はここで一度ライブのDVDを見たんです。それからというもの、帰宅途中も、家に帰ってからも、あの時の映像が頭から離れませんでした。だから、何度も何度も自宅でそれを……」
「君も魅せられてしまったのかもね」
「は、魅せられて……?」
「シンデレラの話は知ってるかい?」
「ええ、おとぎ話ですよね。シンデレラという少女が魔法使いの魔法に掛けられてお城の舞踏会に出かけるとそこで王子様と懇意になるとかいう」
「ああ、俺たちプロデューサーはね、魔法使いなんだよ」
「魔法使い?」
「そうだ。少女に魔法をかけて、ステージという舞台に導くその魔法使いの役さ」
「それが魅せられた話とどう繋がるんです?」
今の話からするとどちらかというと魔法に魅せられているのはシンデレラの方では?
「さぁ、それは自分で考えてみたほうが面白いかもしれないぞ。果たして、その魅力に惹かれてしまったのはいったいどちらなのだろうか。さて、俺は取引先との打ち合わせがあるからそっちに出かけるかな」
「戻ってこられます?」
「うんにゃ。今日も多分直帰になる。あ、そうだ。加奈があと1時間ぐらいで戻ってくると思う」
「加奈?」
「今井加奈だよ。自分の部署の所属アイドルぐらい覚えておいてくれ。この前熱海でも一緒だっただろう?」
「あ、今井ちゃんのことですか!」
「今井ちゃんって呼んでるの相沢君ぐらいだぞ……」
「そ、そうですか」
「今雑誌の取材でちょっと出てるから戻ってきたら今日はもう上がっていいって俺が言ってたって伝えてくれないか?」
「それぐらいなら大丈夫です」
「よろしく頼む。もしかしたら夕美と文香も来るかもだからその時は同じこと言っといてくれ。それじゃあ行ってくる」
そう言うと山上さんはパンパンに膨らんだ鞄を片手にその場を後にしてしまった。何と言うか、熱海から戻ってきてからずっと忙しそうだな。
それにしても……。
「魅せられた、かぁ」
思い出すのは先ほどのやり取り。少女に魔法をかけた魔法使い。それがアイドルに憧れる少女をプロデュースするという考え方なのであれば魔法に魅せられたのはシンデレラの方ではないのか。それなのになぜ山上さんは俺に対して魅せられたなんて言葉を使ったのか……。
俺の心の中のもやもやは先ほどよりも更に濃いものになっていったような気がした。
「ただいま戻りましたー!」
山上さんとのやり取りから1時間ほど経っただろうか。俺が一人パソコンに向かって頼まれていた資料の入力作業に勤しんでいたその時、人一倍明るい声が事務所内に響き渡った。
「あ、今井ちゃん。おかえりなさい」
「相沢さん。お疲れ様です」
夏にぴったりな爽やかな水色の肩出しのワンピースに身を包んだ今井ちゃんは手に持っていた小さな可愛らしいショルダーバッグをソファの上に置くとそのまま給湯室の方へと向かっていった。
「相沢さん、麦茶飲みます?」
ふと、給湯室の方から今井ちゃんはちょこんと顔だけ覗かせてこちらを見つめている。なんというか、小動物感があって可愛いな。俺にもし妹が居たとしたらこんな子が良かった。まぁ、うちは男兄弟。親ももういい歳だから地球がひっくり返ってもそんなことはありえないんだろうけど。
「相沢さん?」
「あ、悪い。せっかくだし貰おうかな」
「わかりました!」
そう言って彼女は二人分のグラスを抱えてこちらへと戻ってきた。
「えっと、相沢さん?」
「ん、どしたの?」
さっきから随分と名前を呼ばれているもんだ。
「せっかくなのでこちらで一休みと行きませんか?」
時計をちらとみるともう午後3時を回っている。せっかくだしお言葉に甘えてみようか。
「そうだね。麦茶ありがとう」
「いえいえっ」
彼女の向かい側に腰を下ろすと俺はグラスに手を伸ばしそれを一気に半分ほど煽る。冷房の効いている室内とはいえ今日は猛暑日一歩手前の暑さだ。火照った体に冷たい麦茶が一気に染み渡っていく。
「……」
「……」
「……」
「……あの」
ふと、机を挟んだ向こう側の今井ちゃんが恐る恐るこちらに声を掛けてきた。
「どうかした?」
「いえ、そういえばこうして相沢さんとお話する機会って今までなかったなって」
「あーそういえば」
俺がこの事務所で働きだしてからそろそろ2週間が経とうとしている。が、彼女の言う通り改めてこうして面と向かって話をするのは今日が初めてかもしれない。
熱海の時も殆ど雑用ばっかりだったしなぁ……。
「今井ちゃんも雑誌とかの取材で忙しいみたいだしね」
「あー、それでですね、相沢さんにお願いがあるんです!」
机にほぼ乗り上げながら彼女は突然こちらに顔を突き出してきた。
「い、今井ちゃん……近いっ」
「ご、ごごごごめんなさいっ」
慌てて彼女は元の位置へと腰を下ろすと照れ臭そうに髪をかき上げる。いちいち忙しい子だなぁ。まぁ、そこも彼女のいいところなんだろう。ネットでもそういう書き込みをよく見かける。
「それで、お願いってのは?」
「名前ですよ名前っ!」
「名前?」
「そうですよっ!今井ちゃんって呼び方はよろしくないと思いますっ!」
え、俺、なんか彼女が気を悪くするような呼び方をしてただろうか……?というかぷくっと膨らませた顔がなんだか小学校の時にクラスで飼ってたハムスターを思い出す。
「なんか悪いこと言っちゃってた?」
「いえ、そうじゃないんですよっ、そうじゃ。でも、何と言うか羨ましいなぁって思って……」
「羨ましい?」
「ええ、夕美さんのこと、相沢さんは名前で呼んでるじゃないですか」
「あー、まぁ。でも、あれは出会った直後にそう呼んでほしいって本人から要望があって……」
「じゃあ要望したら呼んでくれるってことですね!」
ニッコリという効果音が今にも聞こえてきそうな満面の笑み。これはつまり……。
「呼べってこと?」
「はいっ!夕美さんばっかりズルいです」
「ズルいってどういうことだよ……」
「私だって呼ばれたいですもん。なんか心の距離?みたいなの感じてやだなーって」
「それはなんか申し訳ない」
「それに、夕美さんすごく嬉しそうに話すんですよ?私と文香さんどういうリアクションをすればいいのか……」
「それ、俺は悪くないだろ」
「でも、ズルいので」
まったく、表情がコロコロと変わるなぁ。
「じゃあ、加奈ちゃん」
「はいっ!」
屈託のない透き通った笑顔。これが彼女の一番の魅力なんだろう。等身大の女の子が、等身大の自分で精一杯頑張っている。その姿に多くのファンが心惹かれている。
「そういえば、加奈ちゃんはアイドルになってから長いの?」
名前の下りもひと段落ついただろうから俺は世間話程度に話を振ってみることにした。彼女のこと、ネットで情報を漁ってみたもののそれ以上のことは何も知らないからな。
「そうですよ。もう1年ぐらいでしょうか」
「そうなると夕美ちゃんよりもずっと先輩だな」
「歴的にはそうなりますね。でも、夕美さんは頼れるお姉さんって感じです。宿題とか教えてくれますし」
「そうか、頼りになるんだな」
「まぁ、勉強に関しては文香さんの方がよっぽど頼りになりますけどね……あはは」
「それ、本人には言わないようにな……」
「もちろんです」
そう言って手帳とスマホを机の上へと置きながら彼女は苦笑いを浮かべる。
「ここに入ったきっかけはオーディション?」
「いえ、山上プロデューサーからのスカウトです。たまたま私が街で迷ってた時に声を掛けたのが山上さんで……。後日お礼を言いに行ったらそこでスカウトを受けたんです。でも、未だに上手く飲み込めてないんですよねぇ」
そう言って彼女は机の上の手帳へと手を伸ばすとそれをぱらぱらとめくりながら疑問の声を上げた。
「飲み込めてないっていったい何が?」
「私がスカウトされた理由です」
そんなの加奈ちゃん自身にスカウトされるだけの魅力があって……。魅力。魅かれるものかぁ……。
「山上さんは何て?」
「私が平凡な子だから……って」
「平凡な子?」
「はい、私、田舎から出てきたんですけど、ずっとアイドルとか都会の可愛い女の子に憧れてて。こんな私のどこが良かったんだろうってメモには書いてあります」
「メモ?」
「はいっ!私メモを取るのが癖みたいなところがありまして……。このメモのスカウトされた日のところにどうしてこんな私をスカウトしたんだろうって昔の私が書いてました。今も、気持ちはあまり変わってません。あ、別にアイドルが嫌とかじゃないんですよ!?プロデューサーは優しいですし、お仕事は常に新しいことばかりで新鮮ですし、皆さん優しいし、沢山可愛い衣装も着れますし……私自身も、少しは可愛くなれたかなって」
照れくさそうにぎゅっとメモ帳を握りしめて笑う加奈ちゃん。その表情を見ていると山上さんがどうして彼女に声を掛けたのか何となくその理由が分かったような気がした。
そうか、山上さんは魅せられたのかもしれない。可愛さに憧れる彼女に。だからそんな彼女に魔法を掛けようとした。
彼女がその憧れに近づけるように、彼女が今よりも輝けるように。
「山上さんは、きっと加奈ちゃんのそんな真っすぐさに魅かれたんだと思うよ。可愛さに憧れる、等身大の女の子に」
「……相沢さん……」
ふと彼女と目が合う。数秒の沈黙の後、加奈ちゃんは先ほどまでの満面の笑みではなく、ただ小さくそっと微笑んだ。その瞬間、俺もきっと魅せられたんだろう。今井加奈という魔法に。
「あぁー!!」
一瞬が数分にも数時間にも感じられたかのようなその時間を破ったのは事務所の入り口から聞こえてきた聞き慣れた声だった。
「文香ちゃんどうしよぉ。相沢さんが加奈ちゃんを口説いてるよぉ」
「これは……山上さんへ連絡をしなければ」
そこに居たのは、夕美ちゃんと鷺沢さんだった。
「違う違う誤解だって!だからそれは本当にやめてくださいお願いしますっ!!」
そんなことされた日にゃ一発で退職案件です。実入りのいいこの仕事を簡単に手放すわけにはいかんのですっ!
それに、それに……菜々さんの件だってまだ解決してない。
「って冗談だよ、相沢さん」
「もう、心臓に悪いからやめてくれ。それと、二人ともおはよう」
「おはようございます!」
「おはようございます」
明るく手を振る夕美ちゃんとは対照的に鷺沢さんは小さくぺこりと頭を下げた。
「ん、なんかうれしそうだね、相沢さん」
「そうか?」
そんなつもりはなかったけれど、確かに今の俺は笑っているのだろう。心の中のもやもやが少し晴れたような気がしたからだ。
俺は昨日魅せられてしまったのだろう。菜々さんのステージに。きっと彼女の元プロデューサーもそんな姿に魅せられた。知らないはずの誰かの気持ちに少し近づけたような気がして、少し嬉しかったんだ。
きっとおとぎ話の魔法使いも魅せられてしまったのだろう。シンデレラの人柄に。憧れに近づこうとするその懸命なひたむきさに。
「どうしたんですか、相沢さん。さっきとは違ってなんか嬉しそうですけど」
「ん、夕美ちゃんに魅了されてた」
「へ?え、あっ……」
ゆでだこのように顔を真っ赤にしていく夕美ちゃん。可愛い。
「……なんてね」
「ちょっとどういうことですー!?」
あの日、夕美ちゃんのステージが俺にとってそうだったように。慶ちゃんの目に映るものが、そうだったように。
ということでお読みいただきありがとうございました。
今回も誤字脱字等気を付けてはおりますがもし見かけた方がいらっしゃいましたらご指摘いただけると幸いです。
それと、ご感想や評価等頂けると泣いて喜びますのでそちらも良かったらお願いいたします。
不定期更新ですが引き続きよろしくお願いいたします
次回……次回こそ可愛い慶ちゃんを……ぐぬぬっ……