「悪いな藤原書記。急に呼び出して」
「それは全然構わないんですけど――えーと、何か持っていく物でもあるんですか?」
「いや別に荷物の運搬を頼もうというわけじゃないんだ」
「ん? じゃあ何でこんな場所に?」
藤原書記の言う『こんな場所』とは、一般生徒はまず立ち寄らない『資材室』のことで、普段は使用されることがない備品が詰め込まれていた。
湿ったカビの臭いが鼻につき、カーテンの隙間から差し込む陽光に照らされ、埃が舞っているのが見て取れる。
人気がない薄暗い部屋で、二人きりという状況。
それはまるで告白するために呼び出したかのような――そんな邪推を抱きかねないシチュエーションではあるが、この二人の間にそういった類の空気が流れることはなかった。
この両名、お互い相手のことを、まるで異性として認識していないのである。
実際問題、白銀は愛の告白をしようというわけでもないので、特に緊張した様子もなく本題を切り出した。
「実はな、演劇部の部長から劇に出てくれないかと頼まれてな――本来なら断るところなんだが、あの人、押しが強いだろ」
「あーあの部長さんですか。そうですね、私も何度か助っ人で出演してますから、よくわかります。なんか断り辛いんですよねぇ」
「そうだろ? それでだ。演技経験もないド素人である俺に、その役が務まるのか自信がなくてな……つっても、まだ返答は保留中なんだけどな」
「なるほど」
「一応、自主練習はしてみたんだが、どうも上手く演じれているのかわからなくて、客観的な意見が欲しいと思ったわけだ」
「おぉ! じゃあ会長の演技を見せてもらえるってことですか?」
「察しが良いな。でも、あまり期待するなよ?」
「いやいやー期待しちゃいますよ。どんな演技を見せてくれるのか楽しみです!」
「まぁ百聞は一見に如かずだ――じゃあ始めるぞ」
目を閉じ大きく息を吐きだし、姿勢を整える。
それを少し離れた場所から見届ける藤原は、役に入り込む白銀の姿に思わず息を呑む――それほどまでに異彩な空気を身に纏っているのだ。
一癖も二癖もある曲者たちが集う私立秀知院学園――そのトップに君臨する生徒会長白銀御行。
その肩書は伊達ではない。普段から大勢の生徒の前で、威厳を振りまいてきたのだ。
一切萎縮することもなく、悠然とした所作で演技を開始する。
時間としては一分にも満たない、切り詰められた内容。
物語としての全体像は見えてこず、評価は難しい。
だが、それでも――
「凄いです会長! ここまで役に入り込めるなんて、なかなかできることじゃありませんよ!」
どこか現実離れした白銀の怪演振りに、惜しみない拍手を送り続ける藤原であった。
「そうか? 実は妹からは駄目だしされ過ぎて、自信がなくなっていたんだが、思いのほか好評のようなだな」
「圭ちゃんは会長に対して評価が厳しいですからね……面と向かって褒めるのが照れくさいんですよ」
安堵の表情を浮かべる会長に、藤原は優しく語りかける。
「そういうものか」
「はい。それにしても、今度の劇はSF要素を盛り込んだ内容になるんですね! 会長は特殊メイクでもするんですか? それとも着ぐるみだったり?」
「SF要素? そんな話は訊いていないぞ? つーか着ぐるみってまた訳の分からんことを。まぁ特殊メイクはあるかもな。喧嘩のシーンもあるし血のりとかは使いそうだな」
「へーじゃあ素顔のまま演じるんですね」
「化粧ぐらいはするかもしれんがな」
「まー昨今では寄生型が主流なのかもですね。盲点でした。確かにそれなら説得力があります。よく考えられてますねぇ」
「……寄生型って、お前はさっきから何を言っているんだ?」
どこかボタンを掛け違えたような噛み合わない会話に、お互い顔を見合わせる。
「……ちょっと待ってください。そういえば会長が何の劇に出るのかも、何の役を依頼されたのかも訊いてませんでした」
「そういえばそうだな。一応これは内密にな」
「はい、それは勿論」
「作品名は、あの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』だ」
「ロミオとジュリエット……………………ほんとにSF要素は入ってないんです?」
「変なとこにこだわるな。さっきも言ったがそんな話は訊いていないって。まぁ現代風にアレンジは加えられるということだけどな」
「それで会長は何役なんですか?」
「うむ、それがな。大役で恐れ多いが、主役のロミオ役という話だな」
「えぇ!? 会長がロミオ役!?」
「まぁ驚くのはわかる」
「驚いてはいるんですけど、ちょっと状況が上手く呑み込めていないというか、混乱しているというか…………え? あの、さっきと同じ演技をもう一度してもらってもいいですか? さわりの部分だけで構いませんから」
釈然としない表情で疑問符を浮かべ続ける彼女の要望に応え、再び同様の演技を繰り返す。
藤原自身が褒め称えた、渾身の演技を――
「ボクハセンゲンシマス、ミワタスカギリ、キギノコズエヲハクギンイロニソメアゲル、アノウツクシイツキノヒカリニカケテ!」
それは棒読みとは一線を画す、まるで機械音声のような抑揚のない声音。
そう、言うなれば、扇風機の前で声を震わせながら行われる『ワレワレハ、ウチュウジンダ』的な何か!
空気が静止したかのように、静寂が場を支配。
キャパシティオーバーした情報を整理、理解するのに数秒の時間を要した。
「……それがロミオの演技だと、そう言い張るわけですか…………なるほどなるほど」
そして時間差で衝撃が駆け抜けた!!
「断って!!」
藤原――堪らず絶叫!
「ど……どうしたんだ急に!?」
「一秒でも早く断りに行ってください! ダッシュです!」
「いや……お前、あんなに絶賛してくれたじゃないか!? 何でうちの妹みたいなこと言い出すんだよ」
「とんだ騙し討ちです! てっきり宇宙人を演じているのかと思ってましたよ!」
「はぁ!? どこに宇宙人要素があったというんだ! 俺は真面目にやっているんだぞ!」
「真面目にやってアレになることが恐怖です! 全ての表現者達への冒涜です! 謝って下さい!」
「……そこまで言うか。そりゃ初心者だから
「そんな次元の話じゃないんですって! なんでちょっと出来てる前提で話しているんですか! ちゃんと自身の演技力を認識して下さい! その上でしっかりと悔い改めて猛省するべきです!」
「…………んー」
不服そうな白銀の態度に、藤原は呆れたように頭を振った。
「はぁ……口で言っても埒が明きませんから、ちょっと動画で撮影してみましょう――さっきのもうワンテイクお願いします。自分自身の目で確かめてみればいいんですよ」
そんな流れで、スマホで撮影された録画映像を確認した白銀は、絶句する。
「……………………え? お前、何か音声加工した?」
「そんな時間あると思います? 無加工無編集、これが会長の
人は自身の声を直接聞くことは出来ない。実際自分の認識している声と、周囲の人が聞いている声は全くの別物なのである。カラオケなどで、自身の声を初めて聞いた時に感じる、違和感の正体がコレだ。
故に、自分の演技を客観的な視点で認識することもできない。
だが、白銀自身の感覚では、思い描く理想のイメージを再現できている――はずだった。そう“思い込んでいた”、しかし録画機能により、非情な現実――確たる証拠を突き付けられ、白銀は失意のどん底に堕ちていく。
「あぁ……はあぁ……もう嫌だぁ……」
精神的にやられ、ネガティブモードに陥った白銀は、埃まみれの床に座り込み――うじうじと嘆きの言葉を撒き散らす。
「落ち込む気持ちは分かりますが、別にいいじゃないですか。今回はただ断ればいいだけなんですから」
「………………」
「演劇部の部長さんは変な人ですけど、ちゃんと話は通じる方ですし――強制されている訳でもないんです。というか、相手側に迷惑がかかっちゃいますよ?」
「…………迷惑か……そうだな」
(……俺も断るのが最善だとは頭では分かっている。だが、そういう訳にはいかんのだ!)
そう。白銀にはロミオ役を断れない――否! 何としてもロミオ役を演じなければならない理由があった!!
(ジュリエット役には、四宮が抜擢される! 演劇部部長から聞いた確かな情報だ。まだ打診している段階だそうだが、四宮は前々から演劇部の助っ人に駆り出されているからな、まず間違いなく引き受ける。そうなった時、他の有象無象なんぞにロミオ役をやらせる訳にはいかない!)
それが白銀御行の本心であり、藤原には絶対に語れない裏事情であった。
(生徒会の業務だって滞る。できればこんな柄じゃないことしたくない! というか、あんな悲惨な演技力しかないんじゃ猶更だ! 人前で醜態を晒すのなんて御免だし、断ってしまいたい!)
「もし断り辛いんだったら、私から言ってあげてましょうか?」
(だが、これは意地だ! 俺の我が儘を押し通させてもらうぞ!)
「それには及ばん。断る時は自分の意志で断る。返事をするまでまだ期間はあるからな、何事も挑戦だ。断ることは簡単だが、最初からできないと諦めるのも違うだろう?」
これは相手を言い包めるために用いられた、正論のようなものだ。
「んーそれは素晴らしい心がけだとは思いますけど…………あの奇妙奇天烈な演技力でどうするつもりなんですか?」
対する藤原は、正真正銘の正論で難色を示す。
(くそ、なんて尤もな意見なんだ! 確かにこんな残念極まりない演技力のままではどうにもならん。それに、もしこんなお粗末な演技を四宮に見られようものなら――)
『あの……会長、ふざけるのも程々にして、真面目に演じてくださいますか――――え? 真面目にやってコレなんですか? はぁ……そうなんですか』
白銀の脳裏に忽然と現れる、演劇衣装を身に纏ったかぐやの姿。
いつもの嘲笑とはまた別物の、少し引きつった笑みを浮かべ、気遣うようにこう言うのだ。
『……お
(同情されてしまう! うわ、いつもよりダメージ大きいな!)
「確かに俺の演技力は壊滅的かもしれん! だが、まだ猶予はある! 死ぬ気で特訓すればどうにかなるはずだ!」
「特訓……ですか」
「なぜ
「わ、私は、ぜぇーったいに、手伝いませんからね!!」
「……いや、何も言ってないんだけど――そんな警戒するな。そりゃ、お前は教えるのが上手い。藤原のような優秀な指導者がいてくれた方が心強いのは間違いないけどな」
「ッ!?」
「でもこれは自分で解決すべき問題だ。俺の我が儘にこれ以上付き合わせるつもりはないさ。悪いな時間を取らせて。俺はこのままここで練習していくから。藤原はもう帰ってもらって構わないぞ。ほんとに助かった、ありがとう」
「……うううう」
ここは白銀の言葉に従い、素直に帰ってしまうのが得策――そんなことは誰よりも理解しているのだ!
だが、この白銀のしおらしい態度は、正に『押してダメなら引いてみろ』!
これは恋の駆け引きとして有名な
無理を押し通そうとするような、無作法な相手に対してなら、手厳しく突っぱねることは容易い。
しかし、相手の事情を
白銀は決して狙ったわけではないのだが――図らずもそんな感じになっていた。
更に加えて無自覚の褒め殺しの合わせ技で、藤原の心の障壁は次々破壊されていた。
だが彼女の脳裏に焼き付いて離れない、あの地獄のような日々。
バレー特訓で見せた絶望的運動センスのなさ。それを改善する為に、身を粉にして全身傷だらけとなった。
音痴克服に挑んだ時は、不愉快極まりない歌声を、永続的に浴びせ続けられ難行苦行を強いられた。
今回も同等の地獄が待ち構えていることは確実。
「…………会長一人じゃどんなに頑張っても……期日までに上達することは、無理じゃないですか?」
「だろうな。それでも精々足掻いてみるさ」
「…………オファーを受けた相手から断られるなんて、みっともないです。それでもいいんですか?」
「良くはない。でも、やれることをやった上でのことなら納得はできる」
「だったら…………ちゃんとやれることだけはやってみましょうか」
「ん? それは……どういうことだ?」
だとしても、藤原千花という人間は、困っている人を見捨てることができない、心優しい少女なのである。
地獄の底まで引きずり込まれると知った上で、つい手を差し伸ばしてしまう――『献身』と『慈愛』の化身。
「……だから、“今回だけ”手伝ってあげます」
「お前はそれでいいのか?」
「良くはないです。でも会長は一人だと無茶しちゃいそうですし、優秀な指導者がいた方が心強いんでしょ?」
或いは、母親としての義務感なのかもしれない。
こうして、二人の特訓の日々が始まったのだった。
『(ジュリエット様)。僕は誓言します。見渡す限り、樹々の梢を白銀色に染めている、あの美しい月の光にかけて』
作中の宇宙人言葉の翻訳です。
このフレーズに心動かされました。
ただし、それを台無しにしていくスタイル!