「お気持ちは解りますが、あの方にはいろいろ融通を利かせて貰っています。先月だって――」
「その件なら、既に予算の工面も働きかけましたし、出演依頼も一度はちゃんと引き受けました」
「『愛憎の女達』でのかぐや様の演技に魅了されたからこそ、もう一度舞台に立った姿を見たいんじゃないですかね」
『愛憎の女達』というのは、演劇部の定期公演で以前に上演されたサスペンスホラー作品であり、かぐやと藤原の二人は、この舞台に助っ人として参加していたのである。
芝居の中とはいえ、恋敵である藤原を刺殺し、怨嗟の声を浴びせるかぐやの熱演振りは、界隈で語り草になるほどのリアリティで、あまりの迫真の演技に、あちらこちらで恐怖の悲鳴があがるほどだったという。
事実として、かぐやの舞台上での活躍をもう一度見たいという声は多い。
「そんなの知りませんよ。あれで十二分に借りは返しているはずです」
「貸し借りなしというのなら、ここはまた今後を見据えて、恩を売っておくのもいいのでは? 一考する価値はあるかと」
「嫌だと言っているでしょう。あなた少し
再三の進言に煩わしそうに顔を顰めるかぐや。若干の苛立ちが籠った声音とともに、
「何か隠しているんじゃないでしょうね?」
そして嘆息混じりに追及するのであった。
「はい、隠していますね」
「そう、隠しているのね…………え!」
さも当然とばかりに発せられた言葉に、思わずスルーしてしまいそうになったが、幾ばくの間を経て気付く。
これは紛れもない情報伝達の故意の隠蔽。場合によっては
「隠してるのッ!? どういうことよそれ!?」
信頼していた従者の言葉に、狼狽えながらも問い詰める。
「いえ、隠しておいた方がいいかなぁと」
特に悪びれた様子もなく、即答する側近のメイド。
「いいわけないでしょ! ちゃんと包み隠さず伝えなさい」
「ですが、かぐや様が『なんで教えちゃうのよ!』とか言ってきそうですし」
「私をなんだと思っているの…………早坂。これは命令よ。いいから白状なさい」
「はぁ……強制されては仕方ありません」
(これで言質は取れた、と)
早坂はこくりと頷き、渋々といった感じで重い口を開いた。
とは言っても、意図的にそういう風に演出して見せているだけで、これは彼女の想定した通りの展開。
「端的に言うと、白銀会長、『ロミオ役』を引き受けるそうですよ」
なので、特に躊躇することなく核心に触れた。
「え!?」
「正確には、まだオファーを受けた段階で、返答は保留中のようですが、十中八九引き受ける流れになるかと」
「嘘!? 会長ロミオ役引き受けちゃうの!? なんで!? 確かにそういった話は小耳に挟んだことはありますけど、絶対に断わると思ってたのに!」
生徒会業務が滞ることを嫌う白銀を、間近で見てきたかぐやにしてみれば、これは想定外!
唖然とした様子で目を白黒させている。
「どうして隠してたの!? すぐに知らせなさいよ!?」
「繰り返しになりますが、かぐや様が『なんで教えちゃうのよ!』とか言ってきそうだからです」
「言う訳ないでしょ! あと微妙に精度の高い声真似をやめて! あぁもう! どうしたらいいの!?」
頭を抱え、椅子に腰かけたままバタバタと地団太を踏み取り乱す。
「このままだと白銀会長、他の女と恋愛劇を演じることになりますね。例えば――――書記ちゃんとか」
「藤原さんが!?」
スッとかぐやの表情に陰が差し――
「…………許せない。あの姑息な泥棒猫。普段は全く色恋に興味ないフリをして、隙あらば掠め取る機会を
おどろおどろしい声で呪詛を垂れ流す。
「いえかぐや様、これは例えばの話ですからね」
主人の悪鬼羅刹の様な形相に、早坂は自身の判断が正しかったことを確信する。
(よかった……マンツーマンでレッスンしてるなんて伝えてたら…………怖ッ)
「まぁ、どこの馬の骨ともわからない相手じゃなく、ロミオ役が会長と判ったんですから、これで万事解決ですね。今から引き受ければ、何も問題ありません」
「駄目よ! 一度断ったのに、そんな恥知らずな真似! それに今更前言を撤回したら、会長と共演したいが為に引き受けたみたいになるじゃない!!」
「正しくその通りじゃないですか――会長と共演したくはないんですか?」
「したいかしたくないかで言えば、したいと言えなくもないような気がしないでもないですけど」
「どんな言い回しですか…………はぁ……私の説得に応じていれば」
「なんで教えちゃうのよ! 私に知らせないままで説得しなさいよ!」
(うん、こんな感じになるって思ってました)
「善処はしましたけど、かぐや様が言えって強要したんじゃないですか」
優秀なメイドは抜かりなく、先手を打って自己正当化を図っていた。
「……それはそうですが」
責めるような物言いに、かぐやはしゅんと項垂れる。
どう見ても主人と従者の構図ではなかった。
「というか、まだオファー段階なんですから、かぐや様が会長目当てで引き受けただなんて誰も思いませんって」
「だとしても望月先輩には誤解されるでしょ!」
(誤解じゃないでしょ、なんて正論言っても仕方ないし――)
「それこそ問題ないでしょう。あの人はそもそも、かぐや様と白銀会長の主演を意図してこの演劇を企画したっぽいですし。願ったり叶ったりな訳で、わざわざ周りに吹聴するような方でもありません」
「そうだったんですね…………最初からそうと言ってくれれば」
「というこは、引き受けるんですね?」
「いえ、引き受けるのは……だって……『ロミオとジュリエット』の結末って…………うーん……」
「ん?」
もごもごと言い淀み、歯切れの悪いかぐやの態度から――
「あぁ、こういうことですか? 会長とラブロマンスで共演はしたいけど、『ロミオとジュリエット』がバッドエンドだから、それが心情的に耐え難いと」
――付き合いの長い優秀なメイドは、一連の葛藤を正確に読み取っていた。
女心は複雑なのである。
「全っ然違うから! 多忙な会長をこんなことに巻き込むのは駄目なんです! 勝手に人の心を推察しないで!」
「じゃあどうするんです? 会長が他の女性と共演するのも嫌だし、自分が演じるのも嫌。それでは埒が明きません。このままだとホントに会長と書記ちゃんとで共演しちゃうことになっちゃいますよ?」
(さぁここまで危機感を煽れば、いい加減かぐや様だって折れるでしょ。さっさと素直になって一緒に共演したいって言えばいいのに。本当に面倒な人)
そう! 早坂の真の狙いは主人と白銀を共演させることにあった!
なんやかんや言いながらも、心の奥底では白銀とのラブロマンスに憧れている。
だが例によってプライドが邪魔をして素直なれない困った主人の背中を押す。
不承不承であっても、多少強引であろうとも、これこそがかぐやの願いなのだと――早坂はそう確信していた。
(悲劇譚が受け入れられないというのなら、脚本を
全ては早坂の目論見通りに事は進む――
「…………だったら早坂! あなたが私の代わりに劇に出て!」
――――はずだった。
「……………………はい?」
正気を疑う発言に、早坂の思考は固まる。
「……………………え?」
言っている意味が解らない。何言ってるんだこの阿呆は――――そんな感情で埋め尽くされる。
早坂!! 突然の窮地!!
「……ちょっと待ってください! かぐや様は、会長が他の女性と共演するのが嫌なんでしょう!?」
「別に嫌なんてことはありませんけど…………でも、まぁ放置したままでは悪い虫がつかないとも限りませんからね。その点早坂なら信頼がおけますし」
「いや、だからかぐや様が引き受ければ丸く収まる話じゃ――」
「いいえ、私は断りました。四宮の人間に二言はありません」
プライドが高く意固地――それが四宮かぐやの最たる特徴なのである。
「いやいや、代わりって、私の学校での立ち位置知ってるでしょ? ウチ、全然そんなキャラじゃないし! 演劇で主役なんて無理無理! ぜーったい無理だし! かぐやちゃんマジおーぼー!」
瞬時にギャルモードに切り替え、かぐやの要求を拒絶する。
それも束の間、すぐメイドモードに戻し、教え諭すような声音で語りかける。
「いいですか? 私はかぐや様を陰ながらお護りすることが使命なんです。学園内で目立つ行為は御法度。私とかぐや様の関係は絶対に秘密――これは他でもないかぐや様からも厳命されていることですよ?」
「…………それは――」
ようやく無茶を言っているのが理解できたのか、かぐやの勢いが弱まった。
「――そうだけど! 早坂、あなた変装得意じゃない! どうにか別人を装えばいけるんじゃない!? 特殊メイクでも整形でも掛かる費用の心配はいらないわよ! 私に任せなさい!」
だが、無理難題を言い出すことこそかぐやの真骨頂!
消えかかった火種が、瞬く間に炎上する。
「誰がこんなことの為に整形なんてしますか。第一そんなリスクの高い真似できるワケないでしょう。演劇はOBや親族の方の来場もあって、不特定多数の目に触れます。罷り間違って“四宮本家の者”にバレでもしたら、私の首が飛びます」
「顔バレがマズいなら、顔を隠せるように仮面でも被れば解決でしょ!」
「仮面を被って劇とかできるわけないじゃないですか。脊髄反射で反応しないで下さい」
「そんなことないわ! 『オペラ座の怪人』なんて有名な作品もあります。『ロミオとジュリエット』と上手く融合すれば、斬新な物語が出来上がるかもしれません。脚本なんていくらでも弄れますしね」
奇しくも、脚本を
「もし声でバレるのを危惧するというのなら、私が声をあてましょう。セリフを事前に録音して音声を流す手法は幾らでもありますからね。それぐらいの協力なら私も厭いませんし、仮面で口元を隠せば不自然さも緩和される。あぁそれなら、会長も台詞を覚える必要がありませんし、負担が軽減できる!」
(マズい……このままじゃ押し切られる――言ってることは支離滅裂な妄言の類だけど、かぐや様が天才なのは確か…………どんな不可能なことであっても、実現可能なレベルに落とし込んで調整できる。このままじゃ本当に代役に仕立て上げられてしまう! …………仕方ないか……ここはプラン変更するしかない!)
劣勢を悟った早坂は、かぐやと白銀を共演させるという当初の目的を諦め――己が安寧の為、理論武装を展開する。
「ですが、そもそも演劇部の部長さんは、代役なんて認めないと思いますよ」
「なぜです? 舞台がお流れになるのは避けたいはずでしょう?」
「それはですね、あの方はかぐや様と会長との共演を望んでいるからです。ええ、間違いありません。常々二人はお似合いだと、会長の相手はかぐや様以外あり得ないと仰っていました!」
(実際、あの部長さんそんなノリだけど)
早坂の経験上、取り敢えずお似合いだと煽てればどうにかなる!
「へーそうなのね、ふーん、もぅ望月先輩ったら、良くわかっているじゃない」
身体をくねらせ満更でもない様子のアホをしり目に、早坂は畳みかけるように言葉を紡ぐ。
「かぐや様が引き受けないという以上、心苦しいですが、演劇事体を取り止めにするという方向で、働きかけましょう」
「……それはちょっといくら何でも」
「別に気に病むことはないと思いますが。かぐや様が乗り気じゃない時点で、どの道この話は頓挫していたはずです。そもそもまだ企画段階だったようですし、あくまでも打診を受けただけなんですから。断られることも想定内でしょう」
「…………いえ、だとしても、こちらの無理を押し通す訳ですから…………後日私の方から埋め合わせはしておきます。借りは作りたくありませんからね」
「そうですね。はい、それがよろしいかと」
結果――早坂の手引きによって演劇『ロミオとジュリエット』の定期公演は中止の運びと相成った。
そしてかぐやの良心の呵責による贖罪はというと――文化祭で行われる予定の演劇。その出演依頼を引き受けることで落ち着いたのであった。
それが四宮かぐやの運命を左右する、重大なターニングポイントとなることなど知る由もなく。
本日の勝敗――
「会長、オファー受けてきたんですよね? どうでした? 演技みてもらったんでしょう? 今の会長の演技は一流役者と引けを取りませんからね。会長の演技に驚いていたんじゃないですかぁ?」
「あ、ああ……それなんだがな」
「どうしたんですか……まさか断られちゃったんですか!?」
「いや、そうじゃなく、演劇事体を取りやめたそうだ」
「はい?」
「あれだけ苦労して特訓したのに……はぁ全く、理不尽な話だ」
「……ええ……ほんとですね」
――藤原の敗北。