王とその男   作:ぽー

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後編

 まぶたが、驚くほどに重かった。

 あまりに重いから、まだ夢の中ではないかと思った。痛みさえなければ、再び眠りに身を任していたかもしれない。

 仰向けの先には葉で茂った夜の闇があった。かさかさ鳴っていた。月は、どこにも見つからない。

 浅傷は全身をくまなく覆っているようだ。だが、それにしては痛みは柔らかいものだった。全身に、白い包帯がグルグルと巻かれているのに気付いたのは、少し時間が要った。

「手当てが?」

「目が覚めたか」

 剣を探そうとして、腕の痛みにうめいた。跳ね起きることも出来ずに、首を傾け辺りを探った。武器になりそうなものはない。敵か味方かは、武器を探した後でよかった。

 再びの声は、パチパチとさわぐ焚き火の方から聞こえた。

「怪我人はじっとしているものだ。宝剣なら、泉に浸してある」

 火に薪を一本くべてから、男は肩をすくめて言った。森の中、男が指差すほうに泉はあり、その淵には夜闇に輝く宝剣の姿が見て取れた。

「安心したかね」

「何者だ」

「何者、か」

「名乗らんか」

「まぁ落ち着こうか。油断しろとは言わんが、流石に武器になりそうなものばかり探されても、気が滅入る。一応、戦場付近で君を助けた命の恩人という奴なのだからな。なに、見返りを求めるわけじゃないが」

 男は不敵に笑うと、立ち上がりゆっくりと近づいてきた。何かを手にしていた。私は、無防備に寝転んだまま何も出来ない。

「塗り薬だ。済まんが体は見させてもらったぞ。なにぶん、服の上から薬を塗る方法は知らんでな」

「無礼な」

「私も気が進まなかったが仕方なかった。許せ、と二重の意味だが。もう一度見せてもらう」

「なにをする」

「薬を塗ると言ってるのだ。特に背中だ。華奢だといっても、君の背中は君の腕が届かないくらいには広い」

 さぁ、と半ば強引に座らされた。反論しようと口を開くと、鋭い平手が肩を叩いた。

「痛いだろう。それでいい。この薬を塗れば、朝にはまともに動けるようにはなる」

「乱暴な」

「全身に返り血を塗りたくった姿で倒れていたくせに、よく言う。幼い女の人殺しが他人を乱暴者と呼ぶか」

「違う」

「落ち着け。鳥たちが驚く」

 荒いだ私の声は、木々の蓋に跳ね返ってあたりに木霊した。羽ばたく音。森の静寂が束の間壊れてしまった。

「なにも、私たち二人だけじゃないのだからな」

 言って、男はぬるりとした冷たいものを、私の背中に塗り始めた。言いたいことはあったが、腹の底から動かさなかった。また、鳥たちが驚くのは忍びないと思ったからだ。

 薬を塗られるには痛みが伴った。毒だとは思わなかった。たとい毒だとしても、元より抵抗する力さえない。肩から背中、脇腹にかけて薬は塗られていく。自分で考える以上に傷は無数にあるようだった。刀傷は、塗布されるたびに熱を発し、痺れるように染みた。

 しばらく沈黙のまま、薬を治療を受けた。手の動きが気持ちよく、眠気に身を任せたくなったが何とかこらえた。

「しかし、戦場で何をしてたね。全身に傷を負って返り血を浴び、騎士の真似事か?」

 やがてくぐもるような笑い声をこぼしながら男は言った。私は慎重に言葉を選んだ。

「無礼だぞ。私は、一振りの剣を載いた一人前の騎士だ」

「それは失礼を。御身があまりに華奢であるからな」

「貴殿の目が節穴なだけであろう。人を斯様に判断するのは愚の骨頂と呼べる」

「そうか。私の目は節穴か。では、君がアーサー王ではないか、という見立てもやはり外れなのだろう。今森の外では敵味方ともども王探しの真っ最中でな。どちらに引き渡そうと、見つければ恩賞も頂けるというので期待していたのだが」

 薬を塗る手が止まった。射抜くような視線が、後頭部に刺さった。金縛りにあったように、振り向くことができない。固まっていく少ない意思をかき集めて、拳を握り締めた。振り向きざまに男を殴り、そのまま逃げる。出来る、とは思えなかったがいざとなればやるしかない。

「それともただの少女かな」

 つまらない冗談を言うように、男は軽く笑い飛ばした。

「君が赤竜の王だとしても、ただの少女だとしても、いま私が手を貸すのがただの傷ついた人間だということに違いはない」

 口ぶりは、どこか有無を言わさぬものがあった。背中をなぜる手が再び動き出す。緊張は、それで去った。男の手の動き一つで空気が硬軟する。もとより、主導権は完全にあちらにあった。

「そういうことだ」

 薬が塗り終わると、草葉に包まれたそれを男は私に渡した。

「さあ、終わりだ。あとは前だがそれは自分で出来るだろう」

「かたじけない」

「ふむ」

 男は頷いて焚き火のそばへと戻っていった。こちらに背を向け、自分は置物だ、とばかりに火の番を始めた。

 私は緑のどろりとしたものを手に取り、ゆっくりと体に塗り始めた。鼻につんとくる匂いがしたが、体には良さそうだと思っただけだった。ふと、自分にかけられている毛布と、ぬれた手拭いがそばに落ちていることに、いまさら気付いた。

 しばらく、何も考えずに薬を塗り続けた。二の腕の辺りの傷が深かったが、この薬がよほどのものなのだろう、すでに血は止まり肉が薄く盛り上がっていた。

 着る物も、取り易いように毛布のそばに置かれていた。血糊もなく、剣戟による穴も丁寧に繕われている。

 衣を身に纏っていく。具足を探したが、みれば泉の淵に剣と同じように置かれていた。

 私は立ち上がろうとしたが、体に力が入らず自力ではできそうもなかった。仕方なく首だけを火のほうに傾けた。

「感謝の言葉を」

 男は背を向けたまま答えた。

「まぁ、聞こうか」

「貴方に手当てをして頂かなければ、この命危うかったかもしれません。感謝します」

「礼、確かに頂戴した」

 梟が鳴いた。大きく息を吸った。肺が弱っているのか、あまり大きく吸うことはできなかった。代わりに、吐息を長く静かに吐いた。

 目の前には夜。右目にかすかに映る焚き火の焔。星は遠い。戦場は、どれほど遠いのだろうか。

「心配するな。今日の戦、危ないところだったが、なんとか竜軍が勝利を収めた」

「そうですか」

 二度目の深呼吸は、一度目よりは長く深くすることができた。三度目は、さらに長くすることができた。

 竜軍が勝った、という言葉を、私は四度目の深呼吸にのせて深く体に浸透させた。

 右手を握ってみた。力はさっきより入る。立てはしないが、とりあえず身を起こせるだけの量はあるだろう。まずは体を横にして、それから両手で上半身を支えた。ただ起き上がるだけでも、かなりの時間がかかった。それでも、さっきは座ることさえできなかったのだ。ようやく身を起こせたときには、額にじわりと汗が浮かんでいた。

「座れたか。ここはマナが豊富なので、回復が早いのだろう」

 言いながら男が持ってきたものは、器に盛られた食べ物だった。

「さゆだが、くるみも入っている。遠慮はいらないぞ。どうせ、顎を掴んででも食わせるのだからな」

 少し、笑えた。笑うと腹が痛みでよじれた。

「では、遠慮なく」

「熱いから、ゆっくり食べるといい」

 息を吹きかけて、ゆっくりと口をつけた。舌を焼くほどに熱かったが、体が芯から食べ物を欲していたのか、食欲に負けてすぐに次の一口に移った。

 食べ終わったときには、腹は熱く火照り、背中にまで汗が浮いた。そしてもっと食べたかった。

「出来れば、あと一杯いただきたい」

「まったく良く食うな。どうぞ、と言いたいところだが、胃が驚いてしまうのでそれで止めといたほうがいいだろう。なに、この程度のものなどいつでも食えるだろう」

 私は首をふった。

「いえ、これほどに美味なものは、生まれて初めて食べました。実に、いい味でした」

「いい水と適量の塩だ。食べ物は、それだけで美味くなる」

 くるみの最後の一粒を噛み砕くと、途端に眠気が強さを増した。どうしようもなかったので、体を横たえ、やおら眠気に呑まれた。

 睡眠は一刻ばかりで終えた。まぶたが開くと、男は眠る前と全く同じ姿勢のまま、火の番を務めていた。

 私は立ち上がり、火のそばに寄った。もう歩けるまでになった。眠る前は起き上がることさえままならなかったのに、だ。よほど食べ物が体に合ったのだろう。

 男は私が背後まで寄っても、振り向きもしなかった。ただ、火ばかりに視線を注いでいた。そこに、なにが映っているのか。それともなにを映したくないのか。

「質問があります」

 男が頷いたので、私は続けた。

「戦場で、助力をいただきましたか」

「というと?」

「私が宝剣を振るとき、横で支えてくれた覚えが。あと確信ではないですが、宝剣を抜く間、敵を食い止めていただいたかと」

 沈黙を、私はそのまま肯定と受け取った。

「何故」

「それが私の今回の使命だからだ」

 男の腕が伸び、指先が炎の先を指した。じりと指先が焼けたような気がした。そんな気がしたのは、男の全身がやはり炎のように赤いからに違いない。

「まだ立ってるのは辛いだろう。座ったら、いい」

 炎の周りは、世界が変わったのかと思えるほどに温かかった。感情が揺さぶられるような熱さだ。私は男に相対し、初めてその顔を真正面から直視した。熱いと思った感情が、なぜかゆっくりと収まっていった。

「二つ目の質問を。貴方は、精霊であられるか」

「精霊と来たか。確かに慧眼ではあるが」

 声を上げて笑いそうな顔をして、男は口元に苦笑を浮かべるに留めた。きっと鳥を驚かせたくないからだろうと、どうしてわかったのか。

「世界の抑止力と呼ばれ、時代に時代を渡り歩く精霊がいると、とある魔術師に聞いたことがあります。真偽のほどは定かではなく、誰もその姿を見たことはなく、口伝のみが残ると」

「みなすべからく死ぬからだ。今回も、たくさん殺したよ」

「確かに貴方からは血の匂いを感じる」

「そこまで感覚が回復したのなら十分だ。やはり竜の血を引いているだけはある。地脈の力を借りて、体を形作る魔力のほとんどは戻ったようだな」

「殺したのはどこの民か」

 恐ろしいものを感じた。男の体からは末端からでも、膨大な量の魔力が溢れている。赤が擦れて、ぼやけた朱色の魔力は、力強さと儚さを併せ持っている。

 それでも、この男が自国民を手にかけていたのなら、一矢を報いねばならない。

 じっと火に目を向けたまま男は言った。

「竜の民ではない。西の隣国だ。アーサー王が居ぬ隙を狙い、王都急襲を図っていた。急襲がなれば王の国は滅びたであろうが、歴史はアーサー王にまだ死を許してはいないらしい。西の都の、ありとあらゆる民を殺した。たった一つの遺恨も残らぬよう、幼子にさえ死を与えた。安心したかね」

 今度は、男はガマンをしなかった。高らかに上げた笑い声は、森の蓋に木霊して響きに響いた。

 だが、一羽たりとも鳥は飛び立たなかった。

「貴方の気持ちが、私にはわからない」

「論ずるまでもないさ。誰も他人の心を計る物差しなど持ってはいない」

「ゆえに、私は私の民を救っていただいたことに、感謝することしかできない」

 男の笑い声がやんで、沈黙が重くやってきた。時折、薪をくべる瞬間だけ時が動く。私は赤い精霊の顔を、もう一度見た。一瞬だけ視線が交叉した。それきりだった。何を話すこともなく、私たちは焔を挟み、森の朝を迎えた。

 朝日は右手から昇ってきた。地理は、それだけで大体分かる。ここはよほど霊脈が整っているのか、体はほとんど元に戻っていた。

「傷も塞いだようだな。もう礼はいい。済んだからな」

「はい。三つ目の質問を、よいか」

「聞こう」

「私も死後は、貴方のように精霊となることができるか否か」

 たとい、生前望みが叶えられずとも、時代をまたぐ精霊となれば達成できるかもしれない。私にとって、命にもかえがたい望みは、精霊となってこそのものなのではないかと考えたのだ。

 男は私の言をどう取ったのか、苛立たしげに立ち上がり呟いた。

「ああそうか。君があの道を進むのは、この邂逅ゆえか。皮肉なものだな。運命をあそこで結露させるためだけに、今回の私だったのか。いや、運命というよりはむしろメヴィウス・リングと呼ぶほうが相応しい」

「質問の答えを聞きたい」

 私も立ち上がった。背丈のある男の顔をみるには、見上げるような格好になる。見下ろす男の顔が、束の間はにかんだように見え、私は動揺した。

「アルトリア。君は王であり、少女だ。それを忘れるな。どちらが先んずることもない。そして聖杯などというのは、しょせん鶏の肋のようなものだ」

 男は確かにはにかんでいた。それは、口惜しさゆえか、憎まれ口か乗じたからか。ただ笑いたかったからなのか。

 見間違いではなく、朝陽が男の体を透過した。

「命を果たしたようだな。私は消えるだろう」

「質問に、答えていただいてない」

「私がどう答えようと、選ぶのは君だ。私の言葉には、何の意味もないのだよ。この出会いこそが後の君の選択肢を生むフラグなのだから。まったく。まさか全ての元凶が私だとは思いもしなかった。きっと私が何を言おうと、君の脳裏には残らないのだろうさ」

 いよいよ、目を凝らさねば見えにくいほどに薄さを増した。

 最後。これだけは、聞かねばならないことが残っている。

「では最後の質問を」

「最後と区切りをつけるのは、大事なことだ。言うがいい」

 木々の背丈を越えた日輪が、男の体をさらに射抜く。

「貴方の名前を、いまだ聞いていません」

 なぜ男は、一度泣きそうな顔を見せてから、そうしてはにかむのか。見下ろす視線が、温かく感じられた。一晩のうちに、多分始めて見せる素顔は、幼く見えた。

「そら、迎えが来たぞ」

 嘘だと思いつつも、私は振り向いた。嘘ではなかった。霧の中を蹴破るように、ドゥン・スタリオンが駆けてきていた。朝もやの中でも、馬の吐息は白く見える。耳に、男の声が聞こえたような気がしたが、ドゥン・スタリオンのいななきにかき消されてしまった。

 再び振り向いたときにはもう男はいなかった。幻想は幻想に戻る。精霊は、次に務めたる世界へと向かったのだろう。

 私は、鎧と剣を携えて、愛馬にまたがった。

 竜軍に合流し、都を平定してそのまま西へ向かわねばならない。

 嵐が来て、西の都は滅びてしまった。亡骸を全て埋葬し、嵐が来たのだと人々にふれなければならない。

 赤い嵐。精霊は口伝にのみ残るのだから。

 いまだ口の中に残るさゆの味を確かめながら、私は馬腹を蹴った。

 結末は、いまだ遥か。

 




2004年の作品です。古典じゃねぇか…
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