memories   作:ぽー

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いまこの味をそっとしまう

 できるだけ衣擦れの音を殺しながら、私は床を出た。

 日の出前の、夜から朝へと移り変わる時間帯だった。白んでいく空はどこか暗示的で、一日の全てはきっとこの瞬間に決まってしまうのだろうと思った。

 私は静かに着替えを始めた。季節柄、この世界の朝の冷え込みはとても厳しくて、薄い服では凍えてしまいそうになる。ローブでは寒さに耐えられない。ここ最近は、この前町に下りたついでに手に入れた服を好んで着ている。それは羊毛で編まれていて、驚くほどに温かく着心地も悪くなかった。首まですっぽりと包んでくれるので、外気も防いでくれる。

 ぬくもりが、夜の愛を彷彿とさせた。

 いまだに思考はおぼろげな膜に包まれて、あまりものをよく考えられない。もうその隣で眠りについていたいとも思う。こんなに冷え込んでいなければ、きっとその誘惑に負けていただろう。

 そんな今だから私は馬鹿なことを思いついたのかもしれない。

 彼に、自分で作った朝食を食べてもらいたい、などと。

 着替え終わると、いまだ眠りについたままの彼を起こさないように気をつけながら、布団をかけ直した。昨日の夜がさらにまざまざと思い浮かんできて、束の間、もう一度その腕の中で眠りにつきたくなる衝動と戦わなければならなかった。

 外にでても、やはり日の出前だった。

 庭から門の前を通る。壁に挟まれ、町はさらに遠くにあるもののように見える。林がなければ海さえ一望できるだろうが、私の興味をさしてそそりはしなかった。

 この町の名を冬木というらしい。名を知っても、やはり感慨は浮かんでは来なかった。私の目にはほとんどの集落は醜いものとしてしか映らない。人が群れたところで作り上げられるものは浅ましさでしかないと、諦めて久しい。

 あまり長い間ながめる気にはならず、早々ときびすを返した。冬の朝。林。木々が霧をたちこめさせる。水分が空気中で散り散りになる。自分の耳をなでた。湿気が多いと手が耳へと伸びてしまう、というのがいつからかの癖になっていた。髪が指にかかる。手にふれた感触はあまりいいいものとはいえず、少し悲しかった。彼が目を覚ます前に、一度湯浴みをしなければならない。

 朝食を用意する。それはきっといい考えだ、という喜びがある。反面、ただの自己満足だ、という後ろめたさもある。

 どちらにするか決めきれないまま、私は作業に逃げ込んだ。

 私にはよくわからない、宗教的な意味合いの持つ建物をぐるっと回って沼へとむかった。林を背負った仄暗い沼の底に、ここ数日で溜め込んだ魔力の核が沈めてある。

 呼びかけると、球体然とした力の塊が浮かび上がってきた。この町の住人の精神力を、命が損なわれない程度に頂戴した集大成である。流石に、とてつもない密度だった。

 私はそこからいくらかを引きちぎり、とある形に変えていく。

 意志をただ形にすることは容易い。英霊の類にどこまで通用するかは期待できないが、めくらましや陽動にでもなれば重畳であろう。核の錠前をこじ開けて、熱された中身を引っ張り出す。それが常世の雑念で冷え固まってしまう前に、憎い、と念じながら形作っていく。憎さが人を殺す。殺すことで何かを達成することが出来るのならば、私は憎むことを躊躇わずに選ぶ。

 竜の牙を媒介にして悪意を因子に含んでいく。ガチガチと骨をかき鳴らしながら、生まれいでた兵隊が列を成していく。人の精神液と悪意で練り上げた人形たちは、やはり醜かった。害意を追求した果ての、無骨な刃しか持ちえてはいない。

 しばらく作業に没頭した。この冷えこみが集中力を維持するのを少なからず手伝った。だったらこの寒さも捨てたものではないかもしれない。

 とはいえ魔力を練り上げる作業は疲労をともなう。そのくせ体温は上がらず、吐息は白いままだ。やはり、こんな寒さはどこかに捨ててしまったほうがいいと思いなおした。

 五体ずつの列が八を越えたあたりで、私は一旦作業を終えた。

 朝食をどうするか、まだ決めきれてはいなかった。悩むときは作業に没頭する。悩むために、この作業を始めたのかもしれなかった。

「私、ほんと変われない」

 自嘲すら冴えない。

 母屋に戻るとまずは湯浴みをした。文字通り浴びただけなので、体はすぐに冷えだした。体をぬぐい、下着だけを替えてさっきの温かい服を再び着こんだ。羊毛がまた夜と連鎖する。気付いた時には、私の足は厨房へと歩き出していた

 廊下の途中で人と出くわした。

「あ、おはようございます」

 ここの寺に住み込んでいる、信徒の一人だった。毎朝一人か二人が当番で、全員分の食事をこしらえる仕組みになっているらしい。今日は一人のようだった。

「ええ、おはようございます」

「お早いですね。お散歩ですか」

「少しばかり早起きしてしまって」

「そうですか」

「今から朝食の準備?」

「あ、ええはい」

「これだけの人数だと、大変でしょう?」

「もう慣れたものですよ」

「それでも、大変そうに見えるわ。ですから私、自分たち夫婦の分だけでも自炊しようと思いまして」

「お気遣いはありがたいですが、お客さまに手伝ってもらうわけには」

「お客さまだなんて他人行儀」

「いえ、そういうわけでは」

「だったらいいでしょう?」

「あ、はい。確かにそうですね」

「これからは、私たち二人の分の準備は結構だと、他の方にも伝えておいてくださる?」

 わかりました、といって男は深々と頷いた。私の暗示は波紋を呼ぶ。一人に仕掛けておくだけで、他の全ての人間にも影響が及ぶだろう。

 私は蛇口の水で手を洗って、かけてあった割烹着の二着のうち、より綺麗な方を手に取った。

 狭くはない台所を、男と二人で分け合いながら使う。この時代の料理を私はよく知らないので、やはり男に暗示をかけて料理の知識を引き出した。漬物や、味噌汁の作り方、たまごを焼くときのコツなど、男は自分の作業に徹しながらも、口だけは他人のように説明を続けてくれる。

 ご飯を炊く釜も二つあって、小さいほうを私たちの専用に変えた。炊き具合を調整しながら、火を使って魚とたまごを焼く。

 無駄なことをしている、という考えからは目を背けた。

 魔術をもってすれば、このような過程はそれこそ細かく分断されて時間などかからない。包丁を握ってネギを端から慎重にきざんだ。けれど私は元より、魔術を使う気などなかった。魔の力を行使するときの源は、憎いと思う心だ。憎悪の言霊を乗せて作り上げたものを彼に食べさせるなんて、考えるだに罪深くおぞましい。

 殺したり憎んだりして達成できるのならば躊躇などしないけれど、殺すだの憎むだの、いま携わっている作業には一切の関わりがない。だから私の手でと思ったし、私の手でなければ、とも思ったのだ。

 いま私が作っているのは、おどろおどろしい竜牙兵などではない。きざみネギをまぜて焼く、ただのだし巻きたまごなのだから。

 二つ目の膳を運ぶときには、彼はもう居間で腰を下ろしていた。

 寝巻きではなく、いつものとおり仕事着に身を包んでいた。居間には私たち二人きり、私がこしらえた膳の前に彼は座っている。向かい合うようにして私たちは正座をした。

「おはようございます、宗一郎さま」

「さま? なんだそれは」

 思わず言葉が淀んだ。私は頭の中で何度も繰り返した文句を、一言一句間違うことなく吐き出すことに集中した。

「サーヴァントは、マスターを敬うものです。私は貴方を正当なマスターと認めた。それに私の郷里では妻は夫を敬うものです。せめて、戦場を離れているときだけは、そう呼ぶことが私にとっては楽で」

「名には拘らん」

「では、私は貴方を宗一郎さまと呼びますし、けれど外では、宗一郎とだけ呼びます」

「ああ」

 そして箸を取ると、彼はご飯を口に運んだ。たまごを焼いたもの、味噌汁と続く。ただ黙って口に運んでいた。美味しいとも、不味いとも言わなかった。

 いまだに朝食を作った是非について悩んでいた。何かを決断したわけでもなく、ある意味考えるのを放棄して、私はこれを作った。そんなものを食べていただくだなんて、許されることなのだろうか。

 かすかな恐れを覚えながら、私も自分の箸を手にとって料理を口に運んだ。この時代、この国の料理は私にとって少し奇異だけれど、慣れればいいだけの話だと思う。舌に広がるたまごの味は、ほんのり塩が強かった。

 私がこの国の料理を心から好きになることが出来れば、この時代でずっと生きていけることが出来るかもしれないと、甘い夢を見そうになる。

 しばらくして、彼は箸を休めて言った。

「わざわざ食事を用意したのか」

「ええ」

「茶番か?」

 ねぎらいが返ってくるなど、甘いことは考えていない。私は決して表情を壊すまいと口を引き結んだ。多分、うまくいった。

「夫婦を装うのに、私が食事をととのえないというのは、逆に不自然で、他人に不自然だと思われることが、催眠や暗示を解いてしまう糸口にもなることがままあって」

「もっと強固な魔術を使えばいい」

「私はこの暗示と結界の状態が、最も隠密に適していると判断しています。それに料理といっても、大した手間はかかってませんから、何の負担にもなってません」

 私は嘘ばかりを連ねている。

 それはまさに、痛々しくも白々しいだけの茶番なのかもしれない。

「勝つために妥協はしないし、貴方にもしてほしくない。食事は大事です、マスターの健康を守るのもサーヴァントの務めです」

 よほど気をつけなければ、息を吸う度に不自然な仕草がもれてしまいそうになる。こんなにちっぽけで、視野の狭い自己満足を拾うことに、私は躍起になっている。滑稽ではあれ、惨めだとは思わなかった。

「そうか」

 返事はそれだけだった。

 また食事が再開された。目の前の料理が美味いだの、不味いだの、彼はそのような些事に頓着する人ではない。

 ふと思う。けれど、仮に十年隣に居られたのなら、彼の感想を聞くことが叶うかもしれない、と。

 こんな空想は意味をなさない。軽く自嘲してみたい気分になった。湯浴みを終えても、思考はおぼろげな膜に包まれたままだ。けれどこの想像は心地がよすぎて、私の夢は途切れそうもなかった。

 三十年経てば褒めてくれるかもしれない。四十年も経てば、一度くらいは微笑んでくれるかもしれない。そして五十年を越えたとき、本当の意味で私たちの間に言葉はいらなくなる。

 これは本当に甘い夢だ。それを失いたくないと、心から思う。

 心の中の宝箱が埋まっていく。

 ここは静かで、カチャカチャと食器の音しかない。障子の向こうから朝日の射線がにじりよってくる。その中で私は彼の顔を見て、自分の内側から今まで見たこともないものが溢れてくるのを感じた。これをなんと呼べばいいのか、私にはわからない。

 温かかった。

 誰にも譲りたくはないと思った。

 だから私は戦えるだろう。

 そのために多くの代償を払うとしても。

「茶をもらえるか」

 きっと私は戦える。

「はい、宗一郎さま」

 けれど今だけは、ただの女のメディアに戻ろう。

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