愛し合う姉と弟の物語ですが,あからさまな姉弟愛の描写はありません。
これまでと同様,
声に出して語られるせりふは「 」で,
心の中のつぶやきは〔 〕で示しています。
Pixiv,「小説家になろう」にも投稿しています
Ⅰ
「南国」と呼ばれる九州にあっては不吉なほど白く透き通った肌,亜麻色の髪,青い目,外人のようだということで「ロミー」と呼ばれ,いつ頃からか自分でもそう名乗るようになった。
医学的にはアルビノ症,メラニン色素が合成できない先天異常。直射日光を浴びるとやけどのように肌が赤く腫れあがり,長期的にはガンのリスクが上がる。だから,日中の外出は厳重に制限されている。陽光を浴びる外の景色を部屋の中から眺めることは許される。夕日が沈むころ散歩することも許されている。それが限界。だからボクは物心つく頃からほとんど外でほかの子たちと遊ばず,家の中で本を読んで過ごした。
でもそれは,病気のためのいやいやながらの選択ではなく,ボクにとってうれしいことだった。姉=ヒカル以外の子供,とりわけ男の子はボクにはがさつな野蛮人としか思えない。そんな子たちと一緒に外で遊びたいなんて一度たりとも思ったことはない。
本はたくさんあった。両親が医者だったから医学関係,科学関係の本はたくさんあったし,ボクのためやヒカルのために買ってくれた本もある。やがて学校や街の図書館から借りることも覚えた。
ヒカルは2歳年上。正確には1歳半年上。ヒカルは真夏の7月生まれ,ボクは真冬の1月生まれ。性格にも現れているかも。動と静,陽と陰,太陽と月。学校に行くようになって,ボクは早上がりなので,学年は1年違いになった。だからいつの間にか1つ年上と意識するようになった。
ロミーという呼び名は,ヒカルが付けてくれたもの。ボクの本名ヒロミから「ロミー」。幼いボクの髪をなでながら「ロミーは外人みたいにきれいね」と言ってくれた。そして,外国の絵本に描かれている天使のような子供たちや,外国映画に登場する子役たちの写真などを見せ,「ロミーもこんなふうにきれいなんだよ」と語りかける。
幼い頃はヒカルと一緒に寝ていた。ヒカルの柔らかで温かい肌に触れていると,いつの間にか寝入っていた。やがてボクにも個室が与えられ,そこで寝ることになったけど,自分の部屋にいるのは好きじゃなかった。本をもってヒカルの部屋に行き,机に座って勉強したり本を読んだりしているヒカルの脇で,ベッドに寝転んで本を読んでいた。時おり,ヒカルは勉強に疲れたのか,ボクのそばに来てくれる。そしてボクの亜麻色の髪を指でくしけずるように撫でてくれる。その指の感触が心地よかった。そして,かすかに香るヒカルのにおい。
一緒にリンゴを食べることもある。二人ともリンゴが好きだった。秋から冬にかけて,リンゴを1個もってヒカルの部屋に入り,ボクが2口~3口丸かじりしてヒカルに渡す。ヒカルが2口~3口丸かじりしてボクに返す,そうやって1個を代わる代わる丸かじりして食べた。
やがて寝る時間になると,ボクは自分の部屋に戻る。その時,ヒカルはボクを優しくハグしてくれた。
夕日が沈む頃,ボクは散歩に出かける。ヒカルも一緒に付き合ってくれる。細長い湾の向こう側の半島の低い山並みに夕日が沈み,夕映えが広がり,それが明るいオレンジ色から紅,暗赤色へと暮れていくのを二人で眺めていた。三日月がかかっていることもある。夕映えの空が暗くなるにつれて月が輝きを増すのを眺めていた。日の光より月の光が好きだけど,とりわけ三日月が好きなのは,この頃からのこと。時には,三日月のそばに明るい星が輝いていることもある。
「金星=宵の明星よ」
とヒカルが教えてくれた。帰り道,夕映えの光は西の山ぎわに残るだけ。空には宵の明星だけでなく,いろんな星がまたたいていた。
星も好きだった。かつて北九州工業地帯の一角を占め,工場の煙で星も見えないと言われていたふるさとの街の空。ボクが子供の頃にはずいぶんきれいになっていた。日本全体で製造業が衰退するのにあわせて,ボクの街もさびれていったから。衰退はボクが生まれる前から始まり,子供の頃,日本中がバブルに浮かれていた頃,加速度的に進んだ。そして,街がさびれるにつれて星空は美しくなった。
興味に任せていろんな本を読み,いろんな分野になじんでいったけど,最初に興味を持ったのが星の話であるのは,自分でも必然だと思う。星の話。星にまつわる神話,とりわけギリシア神話。オルフェウスの竪琴。美少年ガニュメデスをさらうために鷲に変身するゼウス。目の前に現れた熊が母の変身した姿だと知らずに矢を射かけようとして子熊に変えられ母と共に空に上げられた若い猟師。それらの神話を題材にした文学作品や絵画。そして,星の科学~天文学,ニュートン力学,相対論,宇宙物理学,原子物理学,素粒子論~。100億年以上も昔のビッグバンによる宇宙の誕生。元素の生成,星々の誕生。そして,やはり100億年以上先に予想される星々の死,それから遙か先に予想される宇宙の死。生と死の狭間にあって光り輝く星たちの成長,衰退そして運動を記述する理論。
ある時,ボクは学校の図書館から借りた本を読んでいて,ヒカルに声をかけた。
「消しゴム貸して」
ヒカルは消しゴムを手渡してくれた。ボクは読んでいる本のページの落書きを消そうと思って,〔消しゴムのくずをベッドに落としてはいけない〕と思って,立ち上がり,ヒカルの勉強の邪魔にならないよう,机の隅に本を置いて,
「なんでこんな下品な落書きをするんだろう」
と言いながら,せっせと落書きを消し始めた。ヒカルは,そんなボクと本のページを見て,笑った。
「まあ,小学生の男たちって,そんなものよ」
ボクが読んでいたのは,星にまつわるヨーロッパの神話・伝説の本。ところどころ,挿絵がある。著者が描いたのではなく,それなりに有名な昔のヨーロッパの画家たちがギリシア神話などに題材を得て描いた「名画」といわれる作品。古典的なヨーロッパの美意識に従って,女性はほとんど裸体で描かれている。それに鉛筆で下品な落書きがされている。〔なんで,きれいな女の人の体を素直に『きれい』と思って眺めることができないんだろう?〕と思いながらボクは落書きを消していった。ボクには小学生の男の子というのがますます理解不可能な生き物に思えるようになった。
解剖学に興味を持ったのは,たまたま家にあった比較解剖学の図鑑を手にしたから。やがて,ヒトの体の構造の巧みさに心を奪われるようになった。もともと魚から進化したヒトという生き物が,遠い昔の魚類や爬虫類から受け継いだ体の構造を,直立歩行という自分の条件にあわせて変化させ,使いこなした。その結果としての今のヒトの解剖的構造。その構造の部品一つ一つもまた機能にあわせた意味ある形になっている。やがて,解剖学の学名に使われるラテン語にも興味を持つようになった。
上小脳動脈 Arteria cerebelli superior
前下小脳動脈 Arteria cerebelli inferior anterior
後下小脳動脈Arteria cerebelli inferior posterior
など・・・・そして小学校5年生頃に勉強し始めた。
地図帳を見て楽しむようになったのは,たぶんヒカルが社会科の副教材として地図帳を配布された時から。ヒカルが使わない時に自分でいろんなページを開いて眺めていた。2ページ見開きに,日本なら九州とか関東といった地方別,世界ならヨーロッパとかアフリカといった州別の地図が印刷され,ところどころにもう少し詳しい地図,たとえば京阪神地域とか,首都圏とか,地中海沿岸地域などの地図が合わさって一冊の本になっている,あのありふれた地図帳。
時として人の横顔や動物の姿を連想させることもある海岸線の不思議な形。平野は緑に,低い山地は薄い茶色,だんだん標高が高くなるにつれて濃い茶色に色分けされた陸地,浅いところは薄青,深くなるにつれて濃い青で塗られた海。陸地には山や川が記され,見知らぬ街の名前とそれを結ぶ鉄道や道路が描き込まれている。何度も繰り返し見ているうちに,まだ一度も行ったことのない土地の名前を覚え,ある種の親しみを感じるようになる。「いつか,行ってみたいなあ」というかすかな憧れを伴いながら,そして,「でも,すべての土地には行けるはずもない」という諦めをも伴って。
好んで開いたページはヨーロッパ。まず心惹かれたのはギリシアや地中海地方。ただ,その強い日差しにボクの肌は耐えられないと思えた。でも実際に緯度を調べてみると,アテネでさえ東京よりは北にある。ローマは函館くらい。マルセイユは札幌と同じ緯度。〔地中海って,イメージと違ってかなり北の海なんだ。日本海とほぼ同じ〕。パリは北海道の最北端の稚内より北にある。イギリスは全体がカムチャッカ半島に重なる。
「スコットランドに住めば,ボクもあまり日差しを気にしないで済むかもしれないね。パリだって,東京よりはずっと北にあるんだよ」
とヒカルに話しかけた。
「本気でイギリスやフランスに住みたいのなら,英語やフランス語を勉強しないといけないね。フランス語はラテン語の進化形らしいから,ロミーには英語よりフランス語の方が楽かもね」
とヒカルは応じてくれた。実際にボクがフランス語を勉強し始めるのは,もうちょっと先のことだけど。
ボクは,ヒカルと二人でヨーロッパに住むための小さな家の図面を描いたりもした。大きな家でなくていい。必要最小限の家具があるだけの家。木造がいいな。でも冬の寒さを防ぐよう断熱はしっかりして,窓は紫外線を遮るガラスを使った二重窓。ボクが,窓ガラス越しに日差しを浴びて外の景色を眺められるように。部屋は居間兼用のダイニングキッチンと二人の寝室のほかはバス・トイレだけ。普段使わないものは天井裏にしまっておく。天井裏に上る階段は,寝室に取り付けるか,居間に取り付けるか・・・・。こんなことをヒカルに話す。
「ずいぶん具体的ね。本気で実現したいの?」
どうだろう? ボクにとって,ヒカルと一緒にヨーロッパに住むなんて,夢物語でしかなかった。でも,夢であっても,夢であればこそ,緻密な夢を見たかった。そして,こんなことを考えているのが,それだけで楽しかった。「この街でないどこか」への憧れだったのかもしれない。
学校は,おもしろくなかった。だけど,嫌がって登校拒否するほどでもなかった。
外でやる体育の授業は免除され,教室で一人静かに本を読んでいた。校庭での朝礼も免除された。これはみんなの嫉妬を買った。確かに,校庭に立たせられるのが好きな子供なんかいない。
登校時間も下校時間も日差しのある時間帯だから,ボクは真夏でも長袖に長ズボンで手足を保護し,つば広の帽子をかぶって首から上の衣服に覆われていない肌を日射から守り,サングラスで目を紫外線から遮蔽して通学した。髪を肩まで届くほど伸ばしたのも,襟から出ているうなじの肌を日射から守るため。その姿を優雅と感じる美意識を持ち合わせていない子供たちにとって,ボクの通学姿はからかいの種だった。もちろん,ボクの亜麻色の髪も,青い目も,白すぎる肌も。ガイジン,ロミーとはやし立てた。
ヒカルが褒め言葉として付けてくれた呼び名を,小学校の子供たちは嘲りとからかいの渾名として使うようになった。ヒカルとボクの二人だけの世界と外の世界はまるっきり別なんだと自覚した,これが最初のできごと。外の世界の嘲りやからかいは,無視することにした。ボクには,ヒカルがそばにいてくれれば,それだけでいい。それに,嘲りやからかいがそれ以上ひどいイジメに増悪することはなかった。それは間違いなく,ボクが「ヒカルちゃんの弟」だったから。
ヒカルは,学校一の人気者。頭が良くて,美人で,性格もいい。ヒカル自身は常識を疑うこともできる人だけど,世間のたいていの人たちは常識に盲従して生きていることをわきまえて,世間では常識に従った振る舞いができる。場の空気を読むこともできる。誰からも好かれた。そんな優等生で人気者のヒカルの弟だから学校のガキたちの悪意から守られている,これはボクが小学校に入学してじきに感じ取ったこと。ヒカルはボクの守護天使。そしてボクを励まし,慰めてくれる。
「小学生なんて,特に男子は,美意識を持ち合わせていないし,自分と違うものをバカにするから,ロミーを『ガイジン』と言ってバカにするけど,ロミーはすごい美人なのよ。この透き通るような白い肌も,亜麻色の髪も,青い目も,女の子より可憐な顔立ちも・・・・。小学生の子供には分からないけど,大人になったら,みんなロミーの美しさに驚くようになるよ」
大人になったら・・・・小学生のボクにとってそれは遥か遥か遠い,現実感のない話だった。ただ,そういって慰めてくれるヒカルの優しさはうれしかった。そして,学校一の人気者がほかの誰よりボクをかわいがってくれるのが,誇らしかった。
ヒカルが中学生になり,ボクが6年生になった頃,フランス語を勉強し始めた。ヒカルに勧められていたからということもあるし,その頃,ピエール・ルイスの“Chansons de Bilitis”に出会ったからでもある。『ビリティスの恋唄』と日本語タイトルを付けられた吉原幸子の翻訳。大判でところどころに東逸子による美しい挿絵があり,フランス語の原詩もいくつか収録されている。この原詩をフランス語で読みたいと思った。その年が暮れる頃には,辞書を引きながら読めるようになった。そして,「ベルエポックのサフォー」と賞賛されたルネ・ヴィヴィアンに出会った。
春休みも間近なある日,ボクはヒカルに語りかけた。
「ヒカル,ボクと手を合わせて」
そう言って,ボクは右手を開いてヒカルに伸ばした。ヒカルは左手を重ね合わせてくれた。
- A l’heure des mains jointes,
Je t’ai donné les derniers lys de mon passé -
- 手と手を重ね合わせる時
わたしは過ぎし日の最後のユリを君にあげた -
「誰かの詩?」
「うん,ルネ・ヴィヴィアンという19世紀末から20世紀初め頃のフランスの詩人。正確には,イギリスに生まれたけど,パリで暮らしてフランス語で詩を書いた女性」
「ふーん,女流詩人なんだ」
「そう。でも,最後のユリをあげる『君』も女性なんだよ。ルネ・ヴィヴィアンの詩はほとんど恋愛詩だけど,女性への恋を歌った詩なんだ」
こう語りながら,ボクはヒカルの脇に座り直し,体をもたせかけた。ヒカルは腕を回してボクの肩を抱いてくれる。ボクはもう一度,ヒカルと手を重ね合わせて,
- A l’heure des mains jointes,
Je t’ai donné les derniers lys de mon passé -
と繰り返した。そんなボクにヒカルは
「ロミー,女に生まれたかった?」
ボクは首をかしげた。そんなこと,ヒカルに問われるまで,考えたこともなかった。ルネ・ヴィヴィアンとその恋人たちとの関係,サッフォーと彼女を取り巻く少女たちの関係,そんな関係に憧れはしたけど・・・・。
「ロミーは女にならなくていいよ。男にならなくてもいいよ。ロミーは今のままでいいの」
ヒカルはそう言ってボクを抱き寄せた。膨らみ始めた胸の感触が心地よかった。
小学生と中学生の狭間の春休み,ボクはルネ・ヴィヴィアンを読んで過ごした。