三回だよ
「…おや、あなたが来るとは珍しいですね。」
鳳翔は一人静まった夜を居酒屋鳳翔で過ごしていた。昨日の乱痴気騒ぎが嘘のような静けさなので一抹の寂しさを感じていたところだった。そんな彼女の元に一人の来客があった。
「…別に、たまたま時間があったから来たのよ。」
そう言うと少女はコート…大本営所属を意味するコートを椅子に掛けるとそのまま座った。
「加賀美人から」
「はい、分かりました。」
鳳翔は屈むと足元に保管してある酒の一つ…加賀美人を取り出し彼女の目の前に盃を置いた。そしてなみなみと注いでいく。
「ありがと。」
小柄な胴体に見合わない豪快な呑みっぷりと共に彼女は盃の中身を一気に飲み干した。そしてその気の強そうな瞳で鳳翔を見た。
「…こうやって顔を合わせるのは久しぶりね。」
「…はい、10年ほどでしょうか…お久しぶりですね、叢雲さん。」
彼女こそが海軍元帥直属護衛艦娘『叢雲』…カンレキ30年と現存する艦娘の中で最長例、生ける伝説ともいわれる彼女…そして何よりも…初めてこの世界に囚われた『テイトク』でもある。
「出会ったばっかの時はひよっこもひよっこだった司令官がまさか元帥までなるとは思ってもみなかったわ。」
「あら、そうでしょうか。私には閣下は努力の方とお見受けしますが。」
「ま、その評価もあながち間違ってないんじゃない?身近にい過ぎた私としては今更何をどうとかっていうのは実感ないし。けど…大本営勤務は秘書艦でも馬鹿みたいに忙しいからこうやって時間を取るのも一苦労。」
「お察しします。忙殺される日々なのでしょう。」
それきり叢雲は黙ってしまった。否、何かを考え込んでいた。
「ねぇ…私とあなたのほかに あの時を生き延びたテイトクはどれくらい残ってたっけ。」
「…大和さんは20年前に轟沈しております。金剛さんはテイトクではなくなりました。瑞鳳さんも十五年前に…」
「ていうことは残ってるのはアイツだけね…」
「そうですね。黎明期を共にしたのはあとはあのお方だけです。」
「私の事ですね。」
暖簾をくぐって来た一人の来客。彼女こそが噂している人物だった。
「お久しぶりです、お二人とも。」
「まぁ、噂をすれば何とやらでしょうか…お久しぶりです、高雄さん。」
「地獄耳ってこういうのを言うんでしょうね…ま、久しぶり。」
叢雲の隣に高雄は座るとそのまま鳳翔へと注文を始めた。
「また、この面子が揃ったわね。」
「…はい、こうしてみると感慨深いですね。またあの頃に戻ったようです。」
「…懐かしいですね。私たちはあの頃、不安を吹き飛ばすかのように連日バカ騒ぎをしていました。この面々で集まらなくなったのはいつからでしょうか。」
「…大和さんの戦死…からでしょうね。」
「…それから金剛がおかしくなってって…でも瑞鳳は何とか取り持とうとしてたわね。…ま、無茶し過ぎで結局ああなっちゃったわけだけど。」
叢雲はまったく嫌なものねと言いながらつまみ代わりの煮物を箸でつついていた。
「…三十年…長いわね、本当に。」
「…ええ、長いです。けれども短かったです。」
高雄は叢雲の言葉に同意しつつも自分の意見を口にした。手の中で盃を回しながら目を瞑り何かを噛みしめているようだった。
「…お二人は…お二人は以前の自分を思い出せますか?…私たちが『艦娘』になる前の…テイトクの自分を。」
そして恐る恐る投げかけるように鳳翔、叢雲へと問いかけた。
「無理。名前も、顔も、年齢も、家族も、家族の顔も名前も、自分が何だったか、どんな鎮守府をやってたかすら全部忘れてるわ。霞んで何一つ思い出せない。ただ自分は『テイトク』だっていうことだけ。」
「私も同じく、ですね。元のことは何も…自分がそれだったことすら夢のように感じられます。」
「…ならば何故我々はまだテイトクとしてこの地に立っているのでしょう。」
「…さぁね。私に『カミサマ』の考えてることなんてわからないし、その意図を知ることなんてできないわ。」
「…そうですね、カミは私たちの目の前にいるというのに何も語ってくれません…何も、教えてはくれません。」
鳳翔は思わずはぁとため息をついた。叢雲もやれやれと首を振っている。
「何故…あなたは私たちをここに呼んだのでしょうね。…カミよ。」
鳳翔の視線の先には機械の森があった。…いくつもの配線がされておりその中心に巨大なコンピューターが置かれている。
「『海軍統合参謀本部採用電脳機』…長いから私たちはこれをカミと呼んでいますが…これがカミだとしたらとんだ疫病神ですね。」
「ほんと、人工知能様の高尚な考えは私たちには理解できないわ。」
叢雲は吐き捨てるように言う。
「名前を奪われて、記憶を奪われて、居場所を奪われて、最後には自分すら奪われて。今の自分さえ人質にしているこいつがカミサマだなんて冗談もやすみやすみ言えって感じよ。」
「…けれども私たちにとってはまさに絶対的なカミです。…私たちが艦娘である以上あれには絶対逆らえない。」
何故ならばあれに組み込まれている艦魂は…と鳳翔は一度言いよどむ。
「私たちにとって絶対的な…絶対的な行使力を持つ彼の艦船…『三笠』ですから。」
「本当、意地汚いわ。型落ちの戦艦が今更私たちに命令してるんじゃないわよ。おばあちゃんは引っ込んでいて欲しかったわ。」
「…叢雲さん、言葉が汚いですよ…けれども私も同意見です。…いい気分にはなれません。」
部屋を沈黙が支配した。やがて叢雲がゆっくりと口を開いた。
「あーもうムカつく…次、鳳翔!次寄越しなさい!」
「…はい、でも適度な量にしてくださいね。明日も大本営勤務なのでしょう?」
「ほんと、どこまでもお母さんねあなたは!!!」
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「それじゃあまずこの世界の大きな歴史の動きについて講義を始めましょうか。」
眼鏡をかけた陽炎が白板の前へと立ち、ペンを持っていた。その先に椅子に座っているのは全員が艦娘だ。…それもテイトクとしての役割も兼ねている。
テイトク議会ではカンレキの長さにより役割が決まっている。鳳翔は最古参という事で議会全体が滞ることのないように運営、監督する役割を持ち、陽炎のような十年を超えるベテランになるとカンレキが一年未満の新人に対してこのように講義することもある。
「まず初めに、大前提になるのは40年前の深海棲艦出現。最初はアメリカの空母が謎の艦船に沈めれらたってことから始まったわ。正体が分からなかったから各国がこぞってこいつのせいだ、こいつのせいだって責任の押し付けあいをしてた。アメリカが言うならあれはロシアのものらしくて、中国が言うなら日本のものらしくて、ロシアが言うならアメリカの自作自演らしくて…まあ当時の情勢は大混乱。」
四十年前、と陽炎は線を引き、深海棲艦出現とその横に書いた。その下に矢印を引き、同時期と書いた。
「また四十年前に艦娘が生まれたの。最初の一人が誰かは明らかになってないけど日本のイージス艦を深海棲艦の攻撃から守って反撃して沈めたらしいわ。」
その横に艦娘出現と書いた。
「当初、世界は艦娘に懐疑的だった。けれど日本だけやたらと動きが早かった。艦娘の有用性を認め、彼女たちを海上自衛隊の所属として身柄を預かったの…まるでそれが来るのが分かっていたかのようにね。でも懐疑的だった世界は人間の手で深海棲艦を倒そうとした。けど結果はお察しの通り、人間の兵器じゃどんなものでも深海棲艦を倒しきれないと判明。笑える話よ、核兵器ですら駆逐イ級を倒しきれないんだもの。」
そして約三十五年前と線引きし、そこに方向転換と書いた。
「これで世界では艦娘が主流になった。日本は戦時と発令し、かつて解散していた海軍を復活。それと同時に憲法も変わって第九条は廃止されたわ。当然反対の声もあった。けどそんな妄信的な活動家がやってる最中に日本が深海棲艦の襲撃を受ける事態が発生したわ。そのせいで沖縄は壊滅。人口の三分の二は虐殺された…それが決まり手となり今の形態がとられるようになったわけ。」
さらにその下に矢印を引く。
「そして三十年前…人類は生存圏をどんどんと押しやられて人口は着実に減っていた。けれどここで新たな勢力が登場した。」
三十年前と書くとその隣に『テイトク』登場と書く。
「つまり私達。テイトクって呼ばれる人たちがこっちの世界に魂を囚われるようになったわ。最初の一人が誰か?…多分見たことあると思うけど、大本営のそれもそのトップ、今の海軍元帥の秘書艦をやってる人…駆逐艦叢雲よ。」
ざわざわと喧騒が広まる。戦艦でも空母でも巡洋艦ですらなく駆逐艦こそが始まりのテイトクだったという。
「ちなみにこの会の会長でもある鳳翔さんは二十五年前、もしかしなくても大大大ベテランっていうことね。」
そして下に二十年前と書く
「人類はそれまでに全人口の1割を減らしてたわ。深海棲艦に殺されてしまったのもあるけど命すら資源として扱われたみたい。けれども『テイトク』と協力した艦娘と提督たちによって何とか押し返した。…これで人類は四十年前の生存圏を取り戻した。」
二十年前の隣に生存圏奪還と書いた。
「それからは反撃…と言いたいけれど深海棲艦もそこまで甘くはないってこと。そのままぐだぐだと戦線維持…今に至る。だから深海棲艦の壊滅は出来てない。けど二十年前ほど厳しい状況でもないってこと。」
そして陽炎は白板を裏返す。そこに現在の情勢と書いた。
「今の海軍部は5人の代表的なポストに分かれてる。これはそれぞれの鎮守府、泊地、基地から選ばれるけれど…例えば鳳翔さんのところの呉鎮守府の提督は大ベテランっていうこともあって提督議会の会長をやってる。采配自体も守備陣を敷けば決して落とされない布陣を作る人だからまさに『鎮守』よね。」
真ん中に呉の提督と書き、その横に線を引く。
「うちの提督…まあ横須賀鎮守府の提督は数ある基地の中でも一番の武闘派。攻めることに関しては誰にも負ける自信はないわよ。だから艦隊総決戦の時とかに連合艦隊の指揮を執る総司令官もやってるの。まさにその戦いぶりは『剛腕』ね。」
その隣に横須賀提督と書き記した。
「佐世保の提督は遊撃戦に関しては右に出るものはいないって言われてるわ。まだ若いのに凄いことよね。その名軍師っぷりから参謀を任されているわ。そんな彼はまさに聖賢の軍師ね。」
佐世保提督と書き記す。
「舞鶴の提督…最近は表舞台に出てきてないけれどどうしたのかしら。目立つことはしてないけれども攻守ともに堅実な采配で戦線維持をしたり補給に回ったりとまさに縁の下の力持ち。この人がいなくちゃ成り立たない戦場がいくつもあったって言われてるわ。だから『相談役』に任命されてるのね。」
舞鶴提督と書く。
「そして一番上に立つのが知っての通り大本営の長、元帥閣下その人よ。」
その上に元帥と書いた。
「この五人が中心的なポストとして今は活躍してるわ。ケド、今はって話。だからいつ代替わりしてもおかしくないわね。自分の所の提督を押し上げるチャンスが今にも訪れるかもしれないわね。」
ま、そう簡単には譲らないけどと陽炎は最後に付け加えて笑った。
「それじゃあ簡単な講義はここまで。一応覚えておいて損はないと思うから記憶の何処かにとどめてくれたら幸いだわ。」
そしてざわざわと彼女たちは移動し始める。そんな中人一倍威圧感がある長門が陽炎と話し込んでいた。
「…別にそれはいいけど。だからって独断専行し過ぎないで欲しいけれど、長門さん。」
「何、不利益にはならんだろう。それにこれは私の一存ではない。カミも望んでいることだ。」
「…本当、あれは何を考えているんだか。」
陽炎は頭痛をこらえるようにため息を吐いた。