風呂敷を無限に広げたともいえるし、これだけで完結しているともいえるという。
――本社勤務は何時以来だろうか。
久し振りに渋谷に降り立った私を迎えてくれたのは、あの時と変わらぬ重厚で大正浪漫を感じさせる本館と、硝子とタイル張りが交差する近代的な高層建築のオフィスビルであった。
346プロダクションの総合職として採用された私は、多数の部署や子会社・海外支社等を2年ないし3年というハイペースで渡り歩いていた。
その長いキャリアの中で手掛けた仕事は皆やりがいがあり、私に新たな刺激を与えてくれた。
どの仕事も今の私を構成するかけがえのない要素だが「1番はどれか」と問われると、やはりこの渋谷本社アイドル事業部でのプロデューサー業だろう。
短い期間で移動を繰り返してきた私には珍しく、アイドル事業部には5年程在籍して事業部の立ち上げから軌道に乗せるまでの業務に携わる事が出来た。
346プロダクションでの最後のキャリアとして、アイドル事業部に戻ってこれたのは、その経験を買われての事かもしれない。
***
退職を除けば、人生最後の辞令を受け取ることに緊張していたのだろうか。
時間を確認すれば、交付予定時刻までかなりの余裕があった。
先に執務室に伺って挨拶するのも良いが、向こうの庶務担当者には辞令交付後に伺う事を事前に伝えている。
下手な気を使わせることは無いだろう。
それに、渋谷を少し散策してみたいという気持ちもあった。
若手で本社勤務をしていた頃は庭の様に感じていたが、東京のあまりにも早いスクラップ&ビルドの速度に脳内地図が更新を推奨している。
辞令交付までは赴任休暇だ、少しぐらいなら構わないだろう。
大通りから路地をいくつか入ったところに、見慣れないリサイクルショップが建っていた。
看板すら掲げていないそれは、煤けたショーウィンドにいくつかの掘り出し物と思われる物品をすこしばかり並べているのみで、おおよその人間が足を止めるに値しない店である。
しかし、私は足を止めた。止めざるを得なかった。
そのショーウィンドには、懐かしく、そしてあってはならないものが目に入った為だ。
「1度着たドレスは2度と着ない」とは、誰の言だっただろうか。
そんな貴族とは異なり、アイドルは何度か同じ衣装に袖を通す事がある。
とはいえ、業界トップクラスのお金持ちである346プロダクションではその機会は多くない。
ステージや撮影で用いた衣装や小道具は、擦り切れる前に出番が無くなって破棄される。
ところで346プロダクションは東京都内に居を構える事業者である。
前述の衣装や小道具は「産業廃棄物」として、都の指示に従って破棄されなければならない。
346プロダクションは多角経営を行っているとはいえ、流石に産廃事業までは手を出していないため、業者に委託して処分している。
委託先が小遣い稼ぎの為に流したのだろうか。
目の前にある硝子の靴は、かつて346プロダクションのアイドル達が足を通したものに間違いなかった。
「あの靴は?」
店に入るなり、挨拶もせず店長にそう問うた。
「アンタ、眼が高いね。それはかつてアイドル界に君臨したSランク級アイドル"島村卯月"が履いていたものさ」
千年を生きた大木の如き図体の老婆が、カウンターから声を上げる。
「そんなことは知っています」
何度観た事だろうか。
何度触った事だろうか。
遥か昔の事だが鮮明に覚えている。
彼女はこの衣装に身体を通して、アイドルの階段を駆け上がっていったのだ。
値札を見ると、当時私が調達した価格より、ゼロが1つか2つ多い値が記載されていた。
彼女はその年輪のような皺に刻まれた経験から、この品を見極めたのであろうか。
「何処で手に入れたのですが?」
回答によっては、346プロダクションへ都の監査が入る可能性がある。
「なんだい、関係者かい? 怖い顔だねぇ」
老婆は不気味な笑い方でこちらをからかいながら、ゆっくりと近づいてきた。
「見てのとおり、ここは寂れた中古屋で、私はしがないただのババァさ。それはどこぞのマニアが売りに来た品で、知人に見てもらったら大変価値のあるものだと教えてもらったんでね。私は何も知らないよ」
知らないわけが無いだろう。
私は咽まで出かかった言葉を飲み込んだ。
この老婆に問うたところで何も出てこない。
どうせ、悪いのは管理が行き届いていないこちら側なのだ。
「この靴を貰おう」
「ヒヒヒ……毎度あり」
予定外の現金支出だ。後で下ろさなければ。
***
「お待ちしておりました」
346プロダクション本館の正面玄関を潜るなり、秘書が私を待っていた。
時間にはまだ少し早いというのに、真面目な事だ。
千川さんといい、346プロのアシスタント達は優秀すぎて、少々過剰品質を叶えてしまうキライがある。
「この後、取締役からの辞令交付及び理事長との面談がございます。執務室にご案内いたしますので、しばらくお待ちください」
渡り廊下を経てオフィスビル内のアイドル事業部に向かう。
エレベーターのボタンも押さずに歩くだけというのは慣れないもので、どうも動きがぎこちない。
「時間になりましたらお呼びいたします。武内事業部長」
執務室に着くと、秘書が静々と退室した。
デスクチェアにゆったりと腰掛け、辺りを見渡す。
思えば遠くまで来たものだ。
木目張りの壁と天井、オーク材のデスク、両肘掛付の革張り椅子。
かつて少し憧れたこの部屋は、1人で使うには少し寂しい様だ。
今西部長がよく部下のところへ来ていたのは、そういったものがあったのかもしれない。
デスクの上に、先程リサイクルショップで買った硝子の靴を置く。
あの頃のアイドル達は、皆引退してしまった。
職員達も異動や退職で四散してしまい、この靴を知る者は今のアイドル事業部には残っていない。
ふぅ、と大きく息を吐く。
私の意識は、二十数年前へと沈んでいった。
―― Twelve O'Clock High 了 ――
「Twelve O'Clock High」という語感が使いたかっただけ。
「頭上の敵機」は傑作映画なので是非見ていただきたいところ(Pに勧めるものではない
しかし、最近の若人にグレゴリー・ペックをどう伝えたらよいものか。
「ローマの休日」の新聞記者とか?