赤い弓の断章   作:ぽー

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第一章
第一話


 幾度目となるか此度の戦。血で血を洗わば何があらんや。千万の罪を以ってしかしそを叶えんとす。

 欲さば敵を討ち、望むなら之を守り、かくして己が最強を証明するならば。

 再び我が前に臨んで力を示せ。

「我が望みを叶えるべく」

 是とする。 

 契約開始を告げる鐘。奔流堰を切る。

 理念と要素を、幻想とも妄想ともつかない意志にて設計し吸収し乱立し型に嵌め希望ないし絶望を付与。

 この世においてただ一なる大地にして、掴む豪根にして、聳え立つ巨幹にして、錯綜する枝であり包む葉である揺るがぬ『世界』より望まれる落下の速度。要求という言葉は強要という腕力に塗りかえられ、逸脱という追放は現実と地獄を曖昧にする。

 鍵はそも契約のみ。是とされる。

 果実なる君。枝より伸びし呪縛を色にて切断。音の引力にて血の奔流。

 十の十乗をさらに十乗。

 初めの一にて因子は揃い、中を紡いだ十より至り、百を用いて衣服を纏い、千を以っては剣を携え、万を持して世界を覗く。億届きて運命を見定め、兆より先もはや要すべきものはなし。

 より先に進みし落ちるきざはし。

 残る全ての数を星に変え、ただ己が覚悟を飲むべくに使うべし。

 身命之鉄。他を圧倒せし身を奮い、囚われし命を呪え。

「否。身命之剣」

 是とする。

 十の十乗をさらに十乗。残すは一のみ刻印を結ぶ。

 約を結びし者との魂糸結合。その者携えし部品が最も重き閂を外す。

 刻まれし刻印。世界への解放門を秒数的定義にて限定解放。落下。力場は十分と断する。

 あらゆる断層を貫通し、銀河の数の制約を振り切り、平行の鎖を刻んだ君は弓引く呪いとして定義される。壱弐参の印綬に従い契約者へと三度屈服せよ。

「我が怨念を果たすべく」

 是とする。

 総じて突破せしめし関門八億二万。あらゆる因果を再構築。君の現界を全ての星は黙認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強力な魔力の導きが、全身を縛っていた。

 一部の隙もないがんじがらめは、そのまま世界変換の摩擦に耐えうる防護服となる。

 この摩擦に燃やされる程度の誘導ならば、現界することは出来ず、そのまま焼かれて再びアカシック・レコードの紙面へと舞い戻ることになる。

 こじ開けられていく世界の門。熱が迸った。私は小さく呻いた。誘導が、半ば乱れている。方向性が一手に定まらず、渦を描いて混乱の様相を呈していく。

 いくらかの破片が散った。それは私の記憶と呼べるパーツだ。通り過ぎる門に身を擦り、破片が一つ二つと砕け散っていく。重要な要素ではないが、現界した直後は混乱を呼ぶであろう。

 痛みもある。歯を食いしばった。愚かにも、不安定な魔力を用いての召喚のようだった。この時点で私は私の召喚主――マスターに見切りを付けることを決定した。不完全な方法論。期待は出来まい。力に溺れた、愚か者であろう。この程度の腕前しか持っていないというのに、殺し殺される鉄火場へ踏み入ろうとは――

 まぁいい、と鼻を鳴らす。

 聖杯戦争の概要は既に報告されている。サーヴァントとして、敵を討ち聖杯を手に入れる。マスターに期待できないとなると、単独行動をとることを予想して臨まなくてはなるまい。おあつらえ向きにクラスはある程度自由行動の取れるアーチャーである。一人夜に潜み、一人敵を討ち、愚かなマスターが愚かなりに知恵を絞るならば、無駄死にはしないようにしてやるのが慈悲というものだ。私が殺しはしないという前提の、今のところただ一人の人間であるマスターは。

 世界の入り口が近づいてきた。

 さあいつの時代か。次はどれだけの骸を積めばいいのか。また一つ、世界を焼き払えばいいのか。

 呪文が届く。形式は立派に形をなしてはいるが、しかしどこまでも不安定なそれ。しかもまだ声質も幼く、こんな子供が戦うというのか。

 やがて訪れた衝撃。魔力を放ってわずかに相殺する。

 丁寧には程遠い過程を経て、私は右足から幾十度目かの降臨を果たした。

 地に響くような衝撃波は次第に収まっていき、視界が晴れていく。

「さて」

 赤を基調に整えられた部屋だった。いや、整えられていた、という言い表し方のが実にしっくりくる。質の高い家具が整列し、厳かな雰囲気を持って主人も客ももてなす良き居間であったのだろう。ついさっきまでは。

 ソファーは根っから砕けていた。鏡面台はもはや原形すらとどめていない有様で、引き裂かれた絨毯とカーテンが実に痛々しい。あられのように飛び散ったシャンデリアはかすかに機能を留めてはいるが、ジジと音を立てていつその生命を全うするかは知れたものではない。亀裂の走った床。鉄筋の覗く壁。満身創痍の身で、懸命に秒針を歩かせる時計台が実に健気だが、他と同じで臨終のときは近そうだ。

 そしてあるはずのものがそこにはなかった。正しくは、居るべき人間であるが。

「どこにいったのやら、まったく」

 脱力して、私は何かの残骸と何かの残骸が折り重なって何かの残骸となった上で足を組み、呆然ともたれた。

 なぁ、まだ見ぬ我がマスターよ。まさか君は魔術試験か何かで私を呼び出したんじゃあるまいな。そうなら満点を上げるから、どうかさっさとリタイヤしてくれ。

 呟いて、途端に地下からダダダと階段を駆け上がってくる足音が響いてきた。

 よほど急いで駆け上がってきたのか、殊勝なマスターは扉の向こうからも息切れが聞こえるほどに忙しなく吐息を繰り返している。そのままガチャガチャとノブをまわすが――残念なことにノブというパーツが機能するほど、扉全体はまともじゃなかったわけだ。

「――ああもう、邪魔だこのおっ……!」

 長い歴史を旅してきた扉も、その前蹴りの一撃で天に返る。息を荒げながら部屋に踏み込んできた下手人は、まだ見目も幼い女の子であった。

 少女であった。赤い服を纏い、赤い魔力を纏った。

 匂いがあった。何の匂いかはわからなかった。私は、かすかな、理屈の通らない戸惑いを感じながら、決してそんなものに動揺すまいと、懸命に表情を固くした。

 静止の時間。ありがたいことに、彼女が口を開くまではしばらく間が空いていた。

 本当にありがたい。私は不可解な動揺を鎮めることに成功した。


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