赤い弓の断章   作:ぽー

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第二章
第一話


 とある国に人ならざる力を使う老翁がいた。老翁は心優しく世を憂い、山で一人暮らしていた。

 ある日ふもとの村から大勢の村人が山を登ってきた。老翁は途中で死なないようにと石と獣から人々を守った。穴蔵までやって来た人々のうち、乳飲み子を抱いた女が前にでて言った。女は痩せこけ乳も出ないようで、抱いている赤子はぐったりとしていた。

「あなたは神ですか」

 老翁は首を振った。

「神ではない」

「では神様に雨を降らせて下さいとお告げ下さい。里で教えを広める者たちは供物が雨を降らせると言います。神が怒っているのだといいます。雨が降らないと食物は手に入りません」

「教えを広める者は嘘を言っているのか」

「嘘かどうかはわかりませんが、腹は肥えています」

 山に住む老翁は言った。

「祈りなさい。私の住む岩窟は穴蔵だが、広く千人も二千人も入れる場所がある。そこで皆、車座になりなさい」

「祈ってどうなるのですか。雨が降るのですか」

「熱心に祈りなさい。今宵一晩祈れば、明日の朝には雨は降るでしょう」

 村人たちは、教えられた通りに車座に座り、一晩かけて熱心に祈りを捧げた。すると夜明けには雨雲が空を覆い尽くして、大粒の雨が降り注いだ。力のある男たちは喜び勇んで村へと戻り、鍬を手にして畑を耕し始めた。けれど病持ちと老人と乳飲み子を抱いた女が山を下りずにいた。不思議に思った老翁が尋ねた。

「どうして下りないのか、約束通り雨は降った」

 昨日と同じ女が答えた。

「雨は降って作物は育ちますが、作物が育った頃にはもうこの子は死んでいるでしょう。どうすれば良いのかわかりません」

「なぜ今食べる物もないのか」

「役人が全て持っていってしまうからです」

「役人は正しい量だけを取り上げているのか」

「正しいかどうかはわかりませんが、腹は肥えています」

「何があればよいのか」

「山羊が十頭はいないと、ここにいる者どもは冬を越せません。どうか山羊十頭をお願いします」

 すると老翁は言った。

「祈りなさい。二人同士で向かい合い、一列となって祈りなさい。乳飲み子は母と合わせて一人と数えなさい。今宵一晩祈れば、明日の朝には山羊十頭が与えられるでしょう」

 重い病のものも盲しいた老人も熱心に祈った。乳飲み子も母のする通りに祈りを捧げた。すると夜明けには山羊十頭を老翁が連れてきて、皆喜び勇んで乳を飲んだ。

「今日食わねば死ぬものから与えなさい。明日死ぬものは明日受け取りなさい」

 老翁がそういったので、すぐに死にそうな者から乳は与えられた。明日死ぬものは次の日に飲んだ。すると皆活力を取り戻し、病は山羊の乳一杯で治り、曇った目は乳二杯で治り、痩せこけた乳飲み子は乳三杯で夜鳴きをするまでになった。とうとう山には老翁だけが残った。

 しかし三日たつとまた村人が山を登ってきた。老翁は聞いた。

「どうしてまた山を登ってきたのか」

 また乳飲み子を抱いた女が言った。

「とうとう税が重くなりました。払えない者はその日に首を打たれてしまいました。今日払えた者も明日払うことは出来ません。雨も山羊ももう手遅れです。どうしたらいいのでしょう」

「税はいくらになったのか」

「銀三枚になりました」

「祈りなさい。右の手の平に銀三枚と書いて左手で封じなさい。立ったまま一晩祈り続ければ、明日の朝には銀三枚が与えられるでしょう」

 十頭与えられた山羊のうちの一頭を殺して、その血で銀三枚と書いた村人たちは一晩立ったまま祈り続けた。すると朝になれば手の平に書かれた血文字は消え、そのかわりに銀三枚があった。

 老翁が言った。

「その銀三枚を払うのは容易い。だがいつかまた税は上がるだろう。雨は降らなくなり人は飢えるだろう。その手に入れた銀三枚を一箇所に積み上げなさい。そして車座になって祈りなさい。すると銀は全て鋭い矢となるだろう」

 女が聞いた。

「矢を作ったらどうすればよいのですか」

 老翁は答えた。

「男はその弓と矢を持って腹の肥えた者どもに三本ずつの矢を当てて殺しなさい。女は人々を集めなさい。国中の人々をこの山に集めなさい。穴蔵に入れるだけの人は入り、あぶれた者は山の道に連なり裾野に座りなさい」

 一晩祈ると、銀は同じ数だけの矢と弓となった。男たちはその矢で村の役所と教会を襲い、税を取り立てる役人と教え広める者に三本ずつの矢を当てて殺した。女たちは国中に散って同じように苦しんでいる人を集めた。山から溢れた人々は裾野に広がり老翁の言葉を待った。乳飲み子を抱いた女だけが、子が途中で熱を出したのでその場にはいなかった。

 老翁は言った。

「国は荒れた。人々の心も荒れたのなら国を変えなければならない。祈りなさい。地に膝をつけて頭を地につけなさい。一晩祈れば古い国は滅び、新しく住み良い国が生まれるでしょう」

 人々はいわれたとおりに地に膝をつけ頭を地につけ祈った。とうとう東の空は白み始めたとき、天より一陣の赤い嵐が吹き、風に乗って空から一人の男が下りてきた。赤い男は右手に剣を持って老翁に尋ねた。

「お前たちは何をしているのか」

 老翁は答えた。

「国は荒れた。人々は雨を待ち、山羊を欲し、銀に困った。国が古くなったので新しくならなくてはならない。裾野に広がった人々の祈りがあと半刻も続けば国は滅ぶだろう」

 男はそれは許されないことだといって、手にした剣で老翁を一突きにして殺した。皆頭を地につけていたのでそれには気付かなかった。男はさらに天空に向かって手をかざすと、万の剣が雲の割れ目から降ってきた。皆膝を地につけていたので避けることはできなかった。剣は一人の頭に一本ずつ突き刺さり、祈りを捧げていた人は声を上げることなく殺された。山が血で真っ赤に染まったころ、乳飲み子を抱いた女が山にようやくたどり着いた。そこには老翁と村の人々の屍が転がっており、一人赤く染まった男が剣を持っていたので、女はその男が皆を殺したのだとおもって聞いた。

「あなたは神ですか」

 男は答えずに女を一突きにして殺した。乳飲み子は女の手を離れ、山から谷へ落ちて岩にぶつかって死んだ。赤い男は一人残さず死んだことを確かめると、万の剣と共に空へと戻っていった。

 これは天罰についての話である。


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