赤い弓の断章   作:ぽー

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第三話

 橋を見ていた。

 運が良ければ、バーサーカーのマスターが来るのではないかという淡い期待があった。

 期待は淡いまま、泡沫に戻った。

 人々。何かが去来した。束の間、現れては消えたその思いを形にすることなく、私は街を見据え続けた。

 舟で川を渡ってから、私たちは凛の提案に従って衛宮の屋敷に向かうことになった。戦線を共にするという理由で、凛もこの屋敷に寝泊りすると言い出したことに、私は特に反対はしなかった。

 衛宮の屋敷に居座ることになり、私の役目は屋根の上で眼となることだった。鷹の目を間断なく配りながら、平行して自己の戦力を整えていく。

 サーヴァントの戦力とは、等しく魔力を指す。レイラインの供給だけではなく、土地から流れ出るマナ、空気を漂う微細なものに至るまで、たとえ雀の涙以下であろうとも、私はそれを拾い続けることにした。生前会得した、流動の魔術の応用だった。応用とはいっても、英霊の器に収まってさえこの程度の技量しか発揮することが出来ない。己の狭窄さを嘆くのは、肉のある頃にすでにし終えている。

 朝からそうして、今はもう昼を大きく過ぎた。回復状況は六割強。悪くはなかった。

 凛も今日一日は屋敷の中から動こうとはしなかった。事故のために学校が休み、というわけではなく、単に日曜なのだった。回復に専念したい私としては、彼女がじっとしているのはそれだけでありがたいといえた。屋根の下、彼女らの会話に興味はなく、私は私の作業に終始した。

 やるべきことは実に多い。思い出すということも、私が行うべき作業の一つであった。

 生前、私もこの聖杯戦争を戦ったはずなのだ。私がまだ衛宮士郎として生きていた時代、この冬木の街を暴力で争った聖杯の覇権。

 実際に、セイバーのことを私は克明に覚えている。

 私の時代とこの時代が、一つの齟齬もないループなのだとすれば、何も考えずにただあるがままに戦えばいい。が、なぜか確信があった。石のような確信だった。決定的に、どこかが違う。衛宮士郎があのときとずれているのか、アーチャーの私がずれているのか。どちらにしろ、どこが違うのか、という一点は闇のままわからずじまいなのは自明だった。全ては、成った果実をもって判明する。

 失った記憶の指紋を取り戻すのは、並大抵の労力ではない。それなりの時間をかければある程度の歴史の回復も可能だが、此度の現界している際にはいくつかの事項を取り戻すことでさえ、かなりの運と偶然があったところで難しい。なにより、英霊に記憶はなく、ただ記録があるのみという、アカシック・レコードの弾圧は相当なのだ。そんな世界が私の逸脱を許すとは到底思えないが、たとえ取り戻したものが断片だけだったとしても、戦況は大きくこちらに味方するだろう。

 冬はことさらに日が短い。

 夕方が過ぎた。考えごとは、冬の短さをさらに助長する。それでも街の監視に手を抜いているわけではない。時が経つのが早いということ、それが不意に罪悪のように感じ、恨めしく思える。英霊とサーヴァントは違う。ただ呼吸することに意識を向けるなんてことを、最後に行ったのはいつだろうか、見当すらつかない。抑止力として不必要なこと一つ罷り通らなかった私だった。それが今は、人間のように冬の寒さを実感している。

 私は一日かけて手繰り寄せたわずかな要素を繋げて形作ろうとした。ぼやけた輪郭の向こうに、なんとか既視感だけでも感じることが出来たのは、イリヤスフィールという少女についてだけだった。惜しい所までは、来ているような気がする。

 あの白い少女との繋がりを、はっきりとさせることができないまま、沈んでいく夕陽を背中に感じていた。

 夜は過ぎていくのが遅い。時が減速する。

 夜。星の歩み。凛。私はこの時代に戻ってきたのだ。線を引く星を見ていると、下らない感傷に襲われかけた。感傷は、死んだはずの記録も引きずっていた。イリヤスフィール。イリヤ。現代に戻ってきたという感傷に、涙を流すほどに揺さぶられていたのなら、私は白い少女についての思い出を甦らせることが出来たのだろうか。時間が足りない。あの少女が気になる理由さえ、私は思い出せずにいる。星は線を引いたまま薄まってゆき、日の光に消されて没した。

 朝だった。想像と感傷を打ち消して、魔力の回復状況を事務的に考察した。

 八割弱。おおよその目安が算出されたちょうどその頃合を見計らったようにレイラインを介して凛から意識が流れてきた。

「アーチャー、異常は?」

 朝を迎えた街を見下ろしたまま答える。

「ないな」

「じゃ、ちょっと話あるから下りてきて頂戴」

 立ち上がり部屋に向かう途中、いつもの調子で朝の不機嫌が顔に出ているのではないかと想像した。あの顔は正直なところ精神に支障をきたす。口に出しはしないが、それだけが少し気になった。

 別棟の一角。凛の部屋は、他とはだいぶ違う様相となっていた。他人の家を好き勝手にいじくり回すという行為も、この域まで達すると一つの才能のように思えてくるから不思議である。

 部屋の主は従者の入室を認めると、腰を下ろしていたベッドから立ち上がり唐突に告げた。表情は平静だった。杞憂に安堵する。

「なにか、思い出せた?」

 準備は出来ていた。彼女の質問に、私は肩をすくめた。

「いや、それが存外手こずっている」

「ふうん。それでも二日も三日も経ったんだから、些細な事柄くらいは思い出せて当然だと思うんだけど」

「存外というのは、セイバーに受けた傷も勘定している。魔力をそこに充てているのが影響しているようだな、どうにも不具合がまだ濃い」

「ふん、まあ何とでもいえるけどね。わたしを騙そうと思うのなら、容赦なく令呪を使うわよ」

「私が君を騙す? その理由があるなら、逆に私が君に問いたいな。この英霊は聖杯を掴むために来臨したのだ。己の主を陥れるのがその近道ならば是非ともやるが、私にはそうは思えない」

 視線が交叉した。凛が笑うまで、私は気を抜こうとはしなかった。

「ん、いいわ。とりあえず信じておいて上げる。瑣末なことでもいいから、気づいたことがあったり思いついたことがあったら逐一報告するように」

「君は為政者としても適性があるな。人を試して人を使うことに長けている」

 他人の尻拭いなんか、と言い捨てて彼女は鼻で笑う。

 罪悪感がないといえば嘘になる。それ以上に、彼女を騙し通すためにはまだ手が必要だと考える自分が先に立っているだけだ。

 余計な考えを振り払った。

「それで、用件は何かね。陣を出すというのなら今すぐにでも構わんが」

「うん。用件ていうほどじゃないんだけど、ちょっと落ち着いたから状況整理をしたいと思って。作戦も立てとかなきゃいけないし」

「ふむ。この話が誰まで伝わるのかによって、私の口ぶりもだいぶ変わってくるのだが」

「私とあなただけ。どう取ってもらっても構わないわ」

 衛宮士郎にも言わない。同盟を結んだ相手にも内密にする、最も内輪の作戦会議というわけだった。凛の口の端が嗤うように吊り上った。

「忘れてない? 勝利者とは孤高に立つものよ」

「ああいいだろう」

 頷いて、私も嗤った。私たちは聖杯という孤高に手を伸ばす。それが憎悪と汚濁のダムだったとしても。

 

 

 

 まずは、未だ正体不明のサーヴァントについてだった。

 キャスター、ライダー、アサシン。

「厄介ね」

 セイバー、アーチャー、ランサー。この三つは能力的に優れているとされる。自然正面より激突するのが第一の戦術となるので、戦うときは純粋に力比べとなる。

 ただ最も厄介な相手というのは、えてして正攻法で来ない相手だ。そして恐らく、その厄介な相手に、私と彼女の姿見は露見してしまっている。バーサーカーと演じた橋上での大立ち回りはどう考えても目立ちすぎた。

「そんなに容易くことが運ぶとは思ってないから、良しね。結果論だけれど、バーサーカーを見れたのはよかった。ヘラクレスだなんて化け物、いざという時に初対面だったらどうしようもないし。ついでにマスターも引っ付いてたのはめっけもん。あと、情報があるとしたらランサーかな」

「ほう」

 あの短い一戦で、ランサーの正体を見抜いたというのなら、大したものだった。が、もちろんそんなはずがない。

「セイバーが立ち会った時、宝具を使ったらしいのよ。確かにゲイボルクと」 「ふん、ゲイボルクなどという魔槍、一人しか使えるはずがない」

 ケルトに轟いた槍の名手。ゲイボルクの遣い手はクー・フーリンしか存在しない――いや、と即座に打ち消した。八番目のサーヴァント。今この段階で彼女に告げるのはそれほど効果がないと思い、話すことをやめた。

 凛はそのまま、セイバーから聞き取ったゲイボルクの能力について語る。曰く、因果逆転の槍。放たれた瞬間に心臓を穿つ、呪いの棘。私はそれら全ての事柄を知ってはいたが、やはり黙っていた。

「しかし大御所がぞろぞろきてるわね。ランサーについては手の内も判明したし対処もできるけど」

「問題はバーサーカーだな。あれは知っていたからといってどうにかなる概念ではない。宝具もまだはっきりとはしていない」

「どう主観を混ぜても目下最右翼ね。マスターも自滅するような生ぬるい相手じゃないし。アインツベルンの刺客、か。送り込んでくるのは知ってたけどまさかあんな子供だなんて。けど狂化したヘラクレスなんて動く核みたいなものをしっかり御してるのをみると」

 ぶつぶつと持病の独り言を続ける凛を放っておき、私は私で考えをめぐらしていた。アインツベルンのイリヤスフィール。衝動が甦りかけ、すぐまた消えた。人らしい喩えを使えば、喉まででかかった、というやつだった。そういうものは結局、吐き出されることはなく、腹の奥に消えていくのが常。

 ほどなく凛も我に返り、再び会話に戻った。

「イリヤスフィールの他に気になる動きがあったの。未遠大橋の爆発であまり目立ってないけど、新都で原因不明の集団昏睡事件が起きているのよ。明らかに魔術師の仕業」

「キャスターだな」

 十中八九間違いないな、と付け足した。事件の規模を聞いてみるとなおさらだった。現代の魔術師の段階に当てはめることの出来ない高みにいると見て、間違いはなさそうだった。

「それに賢い。巧妙に経路が細工されているし、多分デコイもあるわ。案外、一番のダークホースかもしれない」

「となると、学校の派手な結界はライダーかアサシンに絞られるな。まああれほど目立つシロモノをアサシンが設置するとは思えんが」

 そこまでは考えている、と凛はうなずく。

「ランサーは?」

「ないとは言い切れんが、違うだろうとは言える。ランサーの戦闘方法は魔力を大量に必要としない」

 速戦速決。膨大な魔力は逆に彼にとっては枷としかならないだろう。なにより豹の素早さとして名を広めた英雄のこと、手間のかかる結界は意に反する。

 それからしばらく、学校の結界についての話となった。そも学校はしばらく休校になるという。橋が落ちたためだった。生徒は主に住宅街である深山に集中しているが、新都に住んでいる学生がいないわけでもない。橋が陥落した原因を政府も企業も特定できずにおり、マスメディアの放つ不確定性な憶測が混乱を呼んだためでもあった。中でもテロ説が反響を呼んでおり、安全がはっきりするまで――先だってはこの一週間を休校にすると決まった。いって、休みが短くなるわね、と凛は冗談交じりに付け足した。

「ありがたいといっちゃありがたいかな。聖杯戦争に集中できる。僥倖ってやつね」

「私としてもな。学校に行くな、とわざわざ忠告する労力が減ったよ」

 会話はそのまま学校に設置された結界と、仕掛けたマスターについてに及んだ。

 マスターの質を上中下と区別して予想する。上ならば即座に消す。中ならば学校が正常通りに運行されるのを待って解き放つ。下は今使う。

 二人とも、上か中だろうということで大筋は合意した。

「流石に今日明日に発動するってことはないでしょう。たかが教員数名の生命力を貪って意味があるとは思えないし、大体あの出来なら完成まであと一週間はかかるわよ」

「私も同感だが、君のいった万が一が狙いすましたように何度か続いたからな」

「じゃあ断言するけど、ないわ。万が一で不十分なら億でも兆でも持ってきなさい」

「皮肉にならないことを祈るがね」

 ライダーのマスターについての考察は、情報が不十分で長くは続かなかった。学校内部の人間だと主張する私と、外部犯と譲らない我がマスター。平行線のまま結論は出ず、相手の出方を待つしかないということになった。

「あとは、セイバーについてね」

 その話題が自分にとって影響のある、鋭い剣であることを思い出した。昨夜から、セイバーについて考えなかったわけではない。ある意味、遠坂凛という少女以上に、セイバーに関しての知識は甦っている。

「セイバーか……」

「どう? 何か気づいたことはある?」

 考える素振りだけを見せた。元から知っていることについて気付くも何もない。私はなるたけ当たり障りのない受け答えをした。

「女性、ということでかなり絞られるとは思うが」

「そうね、思いつくだけでも」

 あれこれと凛が上げていく候補に、私は適当に相槌を打つに留まった。どれも断言はせず、可能性についてしか語らない。不審に思われないように細心の注意を払った。もとより、あっさりとやられすぎたという不信感を、私は彼女に与えてしまっているのだ。

「わからないことだらけね。ま、士郎のサーヴァントで良かったってことだけははっきりしてるけど」

 こんなところかな、と呟いて凛はとすとベッドに腰を下ろした。セイバーの話題がピリオドを打ち、内心安堵している自分がいた。

 うーん、とベッドの上で背を伸ばす凛。ここが遠坂邸ならば紅茶の一つでも淹れていただろうが、あいにくここは茶葉といえば緑のものしかない家だった。同じことを考えているのか、凛も物足りなさそうな顔をしつつも仕方なく我慢している風だった。不意に目が合うと、凛はおかしそうに笑った。

「同じこと考えてるわね多分」

「私は茶夫ではないぞ」

「はいはい。暇見て、道具一式と葉を持ってくるから、そのときはよろしくね」

「人の話の都合のいい部分だけを取捨選択するのはやめないか。いい加減、呪われるぞ」

「自分の狭量を訴えられてもねー。くしし」

「呪われろマスター」

 なんとでもいったら、と言いつつ彼女は口をつぐんだ。冗談の類ではなく深刻さを帯びていた。私はいくつか予想を立てつつ訊いた。

「何か気になるのか」

 曖昧に返答しつつもやがて、どうしても気になる、と前置きしていう。

「学校に偵察に行ってきて頂戴。あの間抜けが張った結界がどうなってるか、少し気になるわ。解呪してたら、あっちにとってもこっちにとっても一番いいんだけど」

 教員たちの臨時会議がある、とのことだった。今日を逃せば少なくとも今週中は発動されはしないだろう。逆を言えば、発動されるのならば今日、ということだった。

「結界の状態を確かめてくればよいのだな」

「ええ、確かめるだけでいい。戦闘は避けなさい。確認が取れたら、すぐに戻ってきて」

「上か中か」

「これで下だったら笑え……ないわね」

「いってくる」

 霊体になり、屋敷を出ると再び実体に戻った。

 街道を縫うように進んで、学校の敷地へ向かって走る。学校への地理は完璧に把握している。それほど遠くはなく、五分の力で地を蹴っていても一分もかかりはしなかった。

 丘の上、高台に造られた建物が見えてくる。私の鷹の目は校舎の微細な造りまでも見て取った。

 しかし、すぐに必要なくなった。

 赤さが弾けて世界を包んだ。巨大な果実を握りつぶしたかのようだった。果汁は血、果肉は人を食む。

 結界が、発動していた。

「凛。笑い話ではないと先に断るが、下だったぞ」

「本当に笑えない」

 赤い閃光が昼の世界を切り裂いていた。血で爪を立てたような赤い傷口が、校舎を丸ごと包み込んでいる。その赤さは事態を正確に直喩している。生命力が猛烈な勢いで吸い上げられている。嗚咽のような空気の振動が、汚濁に満ちた赤さと共に波打っていた。

「二つ再確認したことがある。遠坂凛は優秀な魔術師だが迂闊さがある。まずは二度と数字を喩えに使わないでくれ。何かの因果か呪いなのかと思えるよ」

 うるさい、と伝わってきた。

「もう一つ。さっきは言い間違いだった、相手のマスターは下などではないな」

「それについては同意よ、まったく」

 下の下どころか、虫にも劣る下衆に違いない。怒りを押し殺して、彼女は指示を続けた。

「中に人がいるか確認して」

「人がいるから、発動しているのだろう」

「サーヴァントの気配は?」

「結界の瘴気ではっきりしない。が、間違いなくいるな。私も中に取り込まれれば正確な場所もわかるだろう」

「わかった。あなたはそのまま突入。索敵後、捕捉次第攻撃。あたしも士郎とセイバーつれてすぐに向かう」

 彼女の言を最後に、レイラインの会話を切断した。木の枝を蹴り上昇。重力に従って、そのまま結界の中へと私は押し入った。

 ぬるい粘膜のような結界の壁を通り抜けると、辺りは濃い瘴気の世界に様変わりした。ここは人の住めない世界。火星の過酷を持ってきたような世界の中を、私は活動できる無二の存在として駆け抜ける。サーヴァントの気配は感じない。相当能力の低い者なのか、反応はどこまでも微弱だった。

 西棟の一階に人の気配があった。結界の威力は人を根こそぎ乾物にする程で、生存者がいるかどうか、かなり際どいところだったが迷っているいとまはない。発動した瞬間に私が居合わせたのは、どの程度のラックとなるか。

 窓を蹴破って室内に突っ込むと――計算違いだった。そこに人はいなかった。

 倒れ臥したもの。皆、人の原型を留めてはいなかった。

 はっきりとした怒りを、私は彷彿した。

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