赤い弓の断章   作:ぽー

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第四話

 怒りはやがて眠るように消えていった。

 収まってみれば、本当に怒りなど湧いたのかと思ってしまうほどに跡形もなかった。所詮、私の感情などその程度だった。感情を認識するのではない。状況を認識してから感情を思い出す。怒るだろうという場面で怒る。もし剣を振るうこともない英霊となったのなら、その怒りさえ発露することはなくなるのだろう。

 倒れている一人に注意をむけた。手を放り出すようにして倒れこんでいる。もがいた様子はあまり見えず、もがく暇もない程に一瞬で気を失ったのだろう。結界の力がそれほど急速で、猛烈だったということだ。

 顔の造形は崩れたとはいえ、死んではいない。だが虫の息なことには変わりない。発動してすぐでここまで衰弱できるものなのか、いまも息を絶え絶えに命を吸われ続けている。三十人の命を根こそぎ枯らすほど搾取された力の量は、けして侮ってはならないものだった。

 凛に指示を仰いだ。

「何人?」

「広い部屋だ。三十人はいるな」

「そう……いいわ。放っておいていい。サーヴァントの気配は追えるわね。行って」

 倒れている男に一瞥をくれた。

「見捨てるのだな?」

「二度も言わせないで。追うの」

「いい判断だ」

 ならばもう用はない。凛はマスターとして正しく命を告げた。

 呻き声もあがらぬ惨状を後にして、私はかすかに感じていたサーヴァントの気配を頼って駆け出した。サーヴァント同士の共鳴は耳鳴りに似ている。音源を間違うことなく、上を目指す。蹴破った窓から壁づたいに駆け抜けた。

 窓の外。世界は結界に汚染され赤みを増していた。

 屋上には、身を隠すこともなくサーヴァントとそのマスターがいた。

 矢をつがえる。立ちはだかる敵のサーヴァントが、鎖を引きずる短剣を抜いた。狙いを定めながら、その鎖剣の内部をみる。剣は、全て私の属性なのだから。

「まあ待てよ」

 背後のマスターが言った。着ている学生服はこの学校のものだ。凛のいうことも当てにならない、と内心苦笑する。まさにここは魔術師の巣窟ではないか。

 少し考えて、私はつがえた矢を下ろした。同時に敵のサーヴァントも構えを解く。無理をせずとも、すぐにこちらの戦力は増強されるのだ。

 サーヴァントは女だった。髪が長く背の高い女。相対するだけで伝わってくる、セイバーやバーサーカーのような圧力は感じない。結界の発動に力をさいているからか、と気になった。二つ目に気になったことは、少年の手に広げられている本だった。

「へー、お前が衛宮のサーヴァント……じゃないか、遠坂のやつだな。こんなに早く駆けつけてくるなんて感心じゃん。藤村を人質に取られたのがそんなに痛いのかい? いや、いいんだけどさ」

 口元だけではなく、心底おかしそうに声を上げだした。手で太ももを叩いた。傑作だ、最高だよ。呟きながら少年は笑い続ける。

 逆に横で控える黒いサーヴァントの涼しげな沈黙が、己のマスターを蔑視をもって扱っているのかもしれないと思ったのは、禍々しい眼帯で己の目を緊縛しているからだろうか。一人、人間を抱えている。女だった。

 私は視線をサーヴァントに向けたまま言った。

「お前がこの結界の主か?」

「ああそうだ。僕のサーヴァントが作って今使った――バン、て」

 心地よさげに笑う。誰であろうと、力の発露は歓喜を呼ぶ。その水準をどこに持ってくるかに、個人の観念が混じるだけだ。

 他人を度外視した殺戮。よかろう。だが、あくまでサーヴァントの呪術が発揮されたに過ぎないそれを、自分の功績のように手を叩くさまは、人のもてる最低の品位だった。おそらくこの顔は、誰が見ても嫌悪を催すだろう。

「凛、結界の作製者とサーヴァントに接触した。屋上だ」

「待って、そろそろ――見えた。セイバー!」

 凛の気配が近づいてくる。さらに、横にセイバーがいる。衛宮士郎もいるだろう。およそ三百メートル。セイバーが動いた。気配が弾丸のように移動し、急速にその距離を縮める。

「新手です」

 髪の長いサーヴァントが、笑い続ける己のマスターを庇うように立ちはだかった。猛烈な挙動で飛来したセイバーは、足元の石畳を粉に変えて慣性を殺した。土埃が風にさらわれた。両脇に抱えられていた凛と衛宮士郎が、足を地に着けながら呆然とした。

「慎二、おまえ」

 主を庇ったサーヴァントを疎ましく押し退けながら、男は嬉しげに笑う。

「やあ仲いいなお前たち。マスター同士手組んで僕を殺そうっていうの?」

「……知ってたのか」

「未遠の橋であんだけの大騒ぎしといて。はっ」

「あなた、マスターだったのね」

「意外かよ」

「ええ。ごめんなさい、正直心底眼中になかったもの」

「お前」

 三人が話し合うのを私は聞き流しながら、拳を開閉した。ライダーの半身がこちらをのぞいている。彼女のもう半身は、セイバーへ挑んでいるのだろう。二対一挟撃の状況で、腕に女を抱えたまま眉一つ動かさず、同時に攻められても対処できるように淡々と体をずらしただけだった。

「さて、でも二対一よ?」

「節穴もいいとこだよ。人質が見えないのか?」

 敵が完全にこちらに背を向けていた。勝機だった。それをむざむざ見逃したのは、察した凛が視線で私を押し留めたからだった。

 人質がある限り戦う気はない。眉をひそめて、私は白々しく鼻を鳴らした。戦闘はない、と踏んで静観を決め込むことにする。勝手にするがいい、と凛に伝えた。答えは返ってこなかった。

「藤、ねえ」

「ぐだぐだとさ、映画みたいな言い合いするのも時間の無駄だ。藤村は生きてるし、今のところ殺す気もない。用件が済んだら、ちゃんと自力で歩いて帰れる」

「用件、だと」

「ああ。簡単だろ? すごく、簡単な話だ。馬鹿でもわかる」

「待て、まだ聞きたいことがある。他の教員は、死んだのか?」

「他のやつ? どうでもいいだろう」

「教えろ」

「ああ? なに凄んでんの?」

「慎二」

「……ふん。おいライダー」

 ライダー。これでセイバー、ランサー、バーサーカー数えて四体目の戦力が明らかになった。内、ランサーのマスターはいまだその姿を現さず、完全に姿かたちが分からないのはキャスターとアサシンのみとなった。

 ライダーは、どうでもよさげに答えた。

「死んではいない。放っておけば死にますが、あと十分はかかるでしょう。その間に適切な処置を施せば助かる」

「聞いた通りさ。でもさ、どうでもいいだろう? ――ああ、そういえば衛宮。お前ってそういうヤツだったよな。ははっ、偽善者」

「……今すぐ、結界を解除しろ」

「……耳、大丈夫か?」

「十分で死ぬっていうのは、重体ってことだ。今すぐ、止めるんだ」

「ははっ、なんだ。大丈夫じゃないのは頭か」

「慎二、今すぐ結界を」

「だから! だからさ、言い方ってものがあるだろう? 本当に頭が悪いな、お前。育ちの悪いやつは何やらしたって不味い」

「――頼む」

「そうそう。そうだよ。ライダー、結界解いてやれ」

 ライダーが気だるげに頷いた。さらりと流れる髪の毛は、彼女の意思を端的に表しているようだった。口元で小さく呟くと、赤い血で引っかいたような結界が、境界を混ぜ込む音を立てて霧散した。どろどろとした瘴気も、吸い上げ続けられていた魔力も消えた。同時に、目前のライダーからの、圧力が増した。

 衛宮士郎がそうやって罵倒されるのを、凛は腕を組んで涼しげに聞いていた。

 内心はどうあれ、人質の有無が彼女の行動を大きく制限するのなら、はっきりいって、弱点であった。今ここで、人質ごとライダーを刺し殺せば、その逡巡も、ともに殺すことになるだろうか。赤から青へと戻っていく空に目を移して、人の心がこうして綺麗に反転するわけがないと、知識としてのそれを思い出して踏みとどまった。

「この種類の結界は付けたり外したり出来ないんだってな。ほら、外してやったぜ。僕はお前のことが嫌いじゃないからな。言うとおりにしてあげるよ。優しいだろ?」

「今すぐ病院に」

「結界が解けたのなら、放っておいても、一時間経ったって死にはしない」

「本当だな」

「嘘ついて何になるのさ。いい加減頭使うの覚えろよな。僕が、死なないって、いったんだぞ?」

「わかった。信じる。次だ。藤ねえを放せ」

「でもさ、いくらなんでも自分の要求ばっかり通そうっていうのは虫がいいと思うんだ」

 おい、と慎二という名の男がいうと、ライダーは人質の服の襟に手をかけ高々と掴みあげた。セイバーの重心が獅子の襲撃のように落ちる。飛び出そうとする彼女を、マスターの右腕が制止した。

「慎二、条件をいえ」

「なんの?」

「藤ねえを、解放する、条件だ」

「知ってるって。冗談だよ。あはは、笑えって」

 衛宮士郎の拳が固く震えていた。飛び掛るのを我慢出来る、最後の一握り程度の理性は残っていたようだ。

「ちっ、詰まんないやつ。条件は、そうだな。結界を張ったのは僕が望んでやったわけじゃないっていうことが前提なんだよ」

「そこのサーヴァントにそそのかされたってのか?」

「お前ってよくよく馬鹿だよな。この奴隷がどうやって僕をそそのかすってのさ。はっ、冗談でももうちょっとまともなこと言えよ。望んでないってのは、やむにやまれず、ってやつだよ。ほら、そこにいるだろう? 共通の敵じゃないか、遠坂っていう」

 一息置いて、芝居じみた仕草を交えていった。

「遠坂を殺せ」

 干将莫耶を待たせた。そうと決まれば、いつでも出せるということでやはり重宝される。飛びかかり敵マスターに切りかかるまで半秒、呼応したセイバーがライダーを切り伏せるのにさらに半秒。余裕だった。ただ、人質の首は最初のタイミングで胴から離れる。

 だがそれもいざとなれば、だった。二人ともこれ以上ないほどに甘いマスター。私の突進を止めるために、令呪を使わないとどこの誰であろうと保証できるものではなかった。

「僕は衛宮、君と戦う気なんかこれっぽっちもないぜ? 君もないだろう? お前が僕を殺す気になれるわけがない」

 誰一人、その場では肯定しなかった。気付かないまま、ライダーのマスターは話し続ける。

「そいつは生粋の魔術師ってやつさ。まあ僕もだけど、それほど聖杯を望んでいるわけでもないし。そいつとは違うよ。理由があれば親だってやっちゃいそうだしな」

「遠坂は、殺せない」

 簡単な言葉だったが、明確な決別だった。凛が小さく安堵の息を吐いていた。殺されなかった、という安堵ではなく。衛宮士郎を殺さずに済んだ、という意味であろう。やつが条件を飲んだのなら、拳の中の宝石は等価交換の原理に従い、衛宮士郎という男の頭部を消し去ることになっていた。同じように示しはしなかったが、セイバーも安堵を感じているのだろうと想像がついた。私は悩みさえしなかった。

 ライダーのマスターは苛立たしげに問い直す。

「……勘違いしてるのか? 藤村は死なないっていう楽観?」

「いや、お前はきっと藤ねえを殺す。やるっていったら、やるやつだ」

「わかってるじゃん」

「慎二。聖杯が欲しいか?」

「そういうわけじゃない。自衛。遠坂が死んだら、僕はもう手出ししない」

「どうして、遠坂が死ななきゃならないんだ」

「凶暴だから。十分だろ、理由なんて。すぐ隣に殺人鬼がいるなんて、僕は耐えられないんだ。そう。言ったら、これは皆の願いだ。ていうか衛宮さ、お前がそういうの一番許せないんじゃないの?」

 苦虫を噛み潰したような表情の凛を、私は冷ややかに見やっていた。

 覚悟はしていたはずだ。それを承知で黙っていたのだから、これは払うべき負債。

 たとえこの後、同盟と呼ばれるものが瓦解したとしても摂理なのだった。この場で唯一人なにも知らない衛宮士郎が、聞きなおす。

「遠坂は、人殺しなんて」

「はぁ? はっは。あはは。おめでたいなお前。そうか、ワイてるくらいおめでたいから遠坂にいいように使われてるのか」

「な、に?」

「横にいたじゃん。近くで見てただろ。そこの――ほら赤いやつが、自分たちが逃げるために、歩いたり車で渡っている、人ごと、橋をぶっ壊したところをさ!」

 

 

 

 急所というのは、人体にばかりあるものではない。

 戦争時の布陣にして、数学の定理にて、世界の運命にて、時の流れにて、あまねく全てに急所というものがある。ならばそれらに包括される全てに急所があるという必然。

 ライダーのマスターの指摘は、こと衛宮士郎という男に対しての急所を、抉るように突いた。

 その男にとって、人命の代価によって己が生きるということは、死の宣告に相似している。

「知ってるだろ? まさか知らないとは言わせない。四人か、五人か? 見るも無残な姿で発見。お前たちが逃げるためにそいつらを人身御供にしたわけさ。冷静に考えても等価交換とは思えないけど、自分が一番大事だっていうことまでは否定しないよ。でもさぁ」

 セイバーの姿勢が今度こそ臨戦した。ライダーが人質を盾のようにかざし、挟み撃たれる両方向から並行するように立ち位置を変えていく。背後に回りながら、ライダーのマスターはとどめを刺すように言った。

「もう一度言う。そういうこと、お前が、一番、許せないんじゃない? ――死んで償えよ、偽善者」

 他人の死の上に立つ。原風景と同時にトラウマであり、生き延びた理由と同時に死へと走る原因。赤々と燃え上がる街を背に、砕かれた家屋に押しつぶされる人々を脇に、自分一人が、運という理由一つで生きる権利を得た不合理を、呪ったはず。

 ならばそれは、これ以上ないというほどの、急所と呼べた。

「……遠坂、知ってたのか」

 凛は答えなかった。二人の間に、間違いなく亀裂が走った。自然な流れで二人が敵対し、殺し合い、私が殺す。妙な所で、迂遠だが、展開は私の理想に徐々に近づいていた。

「士郎、ここで倒します」

 主の迷いでさえ己の剣で断つ、と言わんばかりにセイバーの気迫が増した。瞬時にライダーの手が女の首にかかった。凛がレイラインで、衛宮士郎が体で従僕を律した。吊り上げられた女の呻きだけが、膠着した屋上で流れた。

 間桐慎二が、既に勝利者のような面持ちで宣言した。

「今夜、堕ちた橋のところに来いよ。遠坂の命と引き換えに、藤村は返してやる。来なくても返してやるけどな、ちょっと、形は変わっちゃうけどさ」

 ライダーが自分のマスターを抱きしめた。片腕に人質、片腕にマスター。それだけで、サーヴァントの力は計れなかった。

 長らく黙っていた凛が、極上と極悪が同居した笑みで告げた。

「一つだけ忠告してあげるわ間桐くん。あなたが人質に取ってると勘違いしている藤村先生。大事にしなさい。傷一つ付けたりしないこと、もし間違って――それこそ致命的な命題を間違って、殺しちゃったりしたら……百に千切って穢土に撒いてあげるから」

 呪詛。主にそれが汚染しないうちにと、彼女は地を蹴った。

「それではまた夜に。ごきげんよう」

 ライダーはにたりと笑った。

 残ったのは、紫の軌跡。

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