赤い弓の断章   作:ぽー

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第四話

 小さな背中が山門に消えて、山を揺らすような爆音が、再び鳴り響きだした。どこかで聞いたような剣戟音も、途切れることなく届く。

 偽臣の書はまだ焼けてはいない。ライダーの姿が飛び出して来るのを期待するのはいささか安直過ぎる。衛宮士郎が投影を使いこなすのは、まだまだ後の段階だ。脳髄を焼ききりそうな痛みに耐えながら、干将莫耶を振っているのが精一杯だろう。力を十全に発揮できていないとはいえ、ライダーがサーヴァントであることに変わりはない。拮抗していることだけでも、十分すぎた。

 衛宮士郎が、まさか来るとは思わなかった。その是非を、今は考えまい。考えるべきことは他にある。

 我がマスターは生きている。衛宮士郎も戦いの場へと再び足を踏み入れた。

 その二人を目の前にして、私一人がこんなところで足止めを食っている。そんな事象は存在しない。

「考えごとはやめておけ」

 つまらなそうな呟き。迫る不可解な太刀筋の袈裟斬り。弧を描いたのちに反転する、今まで見たこともない太刀筋。それを弾く。この邪剣使いに、まともな一刀など期待する方が愚かだ。

 さらに追い討ちをかけてくる銀色の刃を、しゃがみ込んでかわし、デュランダルを突き出す。物干し竿目掛けた突きを、焦る風もなく簡単に流される。

 剣技で勝機はない。さらに振り下ろされる一撃を、左剣の腹で受け流して、私は跳躍した。

 空っぽの空へ。月を背負って、私はデュランダルを口に咥えて空いた手に弓を持った。

「来い、先の竹とんぼのような遊戯で失望させるな」

 アサシンの声。その通り、しがない模倣には違いない。だがこの玩具は人を殺せるぞ。

 骨子を捻じって狂わせる。歪ませた私だけの剣の矢。目一杯に引き分けて、解き放った。

「偽・螺旋剣――“カラドボルグ”――」

 錐揉みながら空気の断層を切り裂く、穿孔の矢。

 赤熱化して、門番の侍に断罪の鉄槌が落ちていく。

 巨大な鉄橋さえ砕く一撃だが、それもまた、奴のいった竹とんぼの焼き直しでしかなかった。

 威力も慣性も技で殺し、侍の一振りで直角に曲がった螺旋剣は、見当違いの林の中で持てる熱を撒き散らして爆発した。橋を粉微塵に吹き飛ばした剣は、アサシン一人突き破れずに、林の木々をやけくそのように燃え散らかしていく。

 カラドボルグクラスの打撃力でさえ、容易くいなしてしまうのか。着地をしながら思った。

「流石に、アーチャーか。だがこの身、この刀を抉るにはあと百は撃たねばならんぞ。それほどの時も魔力もあるまい」

 山門の奥では、魔術の衝突が作り出すオーロラが光り続けている。かすかに、剣戟音も混じっている。だが、いつまで保つかわかったものではない。どこか楽しそうな、アサシンの顔。

 時が惜しい。

 考えろ。凡人の私が、考えることをやめたのなら活路がどこにある。隙を探せ、目は物を見るだけのものではない。一挙手一投足を、洞察しぬく心眼。それこそが、私の鷹の目の本質だ。

 何かを見落としている。私は、重大な何かを見落としている。

 思い出せ、何か不自然なことはなかったか。アサシンになくてもいい、林でもいい、この石段でもいい。私自身、何か不自然はなかったか。

 思い当たる節が、一つだけあった。私は手に持つ武器を選ぶとき、詠唱の長さを気にしていた。それは、いい。詠唱の文節はシングルに近づけば近づくほど良いなど、誰にでもわかる。重大なのは、その理由だ。詠唱が必要な武器をどうして使えないと思うのか。詠っている間に、切り捨てられるからだ。どうしてそう考えるのか。どうして、詠唱が長いと不利に立つのか。隙があるから。隙があるとどうなる。攻め込まれる。攻め込まれるから、隙を作ることは絶対にしてはいけない。

 だが、今まで一度でも、アサシンから踏み込んできたことはあったのか。

 食い込んだ杭が外れ、思考の歯車が回転を取り戻した。

 アサシンは、ほとんどあの山門を動こうとしない。頭上の有利は確かに重要だが、奴ほどの力量があるのなら私を仕留める為に駆け下ってきても問題はないだろう。高きより低きを見るは勢いこれ破竹、を知らぬわけがない。何より、あの男には燕返しという秘剣がある。

 そしてもう一つ、決定的なもの。一度目に放った私の矢。下段から突き進んだ三本目を、回避したというのにアサシンはわざわざ切り捨てた。山門へと向かうだけの矢を、なぜ切り捨てたのか。

 それを、守らなければいけない理由とは。

「貴様――正規のサーヴァントではないな」

 悟られた不利を、おくびにも出さずにアサシンは答える。

「隠すことでもないな。左様、この身はこの場に縛り付けられたただの門番。主もなく、怨霊と大差ない粗末なものだ」

 忘れていた事実。佐々木小次郎がどうして「アサシン」などという不適過ぎる配役を演じているのか。佐々木小次郎というその剣客も、英雄としては不足すぎる上に、アサシン。どこかに歪なものがあったとしか考えられない。

 例えば、マスターが正規の存在ではない。

 全てに合点がいった。

「なるほど、貴様を呼び出したのは人間の魔術師ではなく、キャスター。呼び出したはいいが契約できないという理屈を、その山門にくくったことで誤魔化したわけか。あの女めが、やってくれる」

「どうでもよいだろう」

 頭上で、流麗に髪をなびかせながら、幻想に生きる侍は答えた。

「そう、そんなことはどうでもよい。あの女の思惑も、この身の不遇も、満足に刀を振るうことも出来なかったことも、佐々木小次郎の虚実も、もはやどうでもよい――話はそも明瞭。貴様がこの門を抜くか、我が刃に破れるか、それだけだ。それだけだろう」

 来いと。この私を楽しませろと。磨いた剣を披露せよ。鍛えた技を出し尽くせ。その全てを見た後に、我が秘剣の露と消えろ。アサシンの周りに揺れる、竹を割ったような殺気が、何よりはっきりとそう告げていた。存分に、死合おう。

 その言葉に、かすかに惹かれるものを感じつつ、私は振り切った。

「いや、斬り合う気はない」

 振り返り、私は石畳を降りていく。登るのではなく、下りていく。長い長い石畳を、登ってきたときと同じように一歩ずつ下りて行き、第一段目にまで戻ってきた。

 アサシンは追うことが出来ない。土地に縛り付けられた、門番なのだから。

 柳洞寺へと繋がる、まるで地獄へと落ちていくような階段。

 佐々木小次郎と呼ばれた男は、遠きその地獄の底で、紫銀の光に揺れている。

「未だ大道芸を続けるか、アーチャー」

「なに、今までのは単なる余興だ。楽しんでもらうのは――これからだ」

 組み上げる記憶の欠片。

 キャスターがルールを破ったように、私も破ろう。

 投影魔術に特化したこの魔術回路。その中でも、私は剣とそれに連なる武具しか練り上げることが出来ない。せいぜい鎧か、盾。そんな私にとって銃火器は全くの分野外であるし、イメージで作り上げることなど不可能だった。

 だがこの一丁だけは、例外に当てはまる。

 拳銃の骨子を把握できず、基本理念さえ習得出来ない私が、なぜこの黒い銃身を持っているのか、簡単なことだった。一つ、これは銃の形をしているだけだ。過去、これは槍であった。剣であったかもしれない。それがたまたま、この形をしているだけのこと。

 二つ。聖骸布以外に、これが、私が持っている数少ない贋作ではなく、実物だということ。

 グリップを、握りこんだ。

「種子島か」

 遠く地獄の釜の底、それでもアサシンの声は朗々と響く。

「この銃は不良品でな――いや、それは私の方か。どうしても上手く扱うことが出来ない。威力だけなら一級とはいえ、放つまでに十秒もかかるのだから話にならない」

「フン、この刃が届く所にいたのなら十を五回は切り捨てられるが、この距離だ。しかも長旅も出来ない身と来ている」

「手段を選んでいられる場合ではないのでな」

「無用な気遣いだ。生前、そいつを斬ることは叶わなんだ、意趣返しと思えば興も乗る――斬り捨てればよいだけのこと」

 構えた。刀と銃、お互いに。

 この間に、もはや何のしがらみもない。私はただ撃つ。小次郎はただ斬る。あるのはそれだけ、純粋で、わかりやすい。まるで今宵の月が尖っているように。

 魔力を注ぎ込む。

 十秒も待たなければならない武器に意味はない。身動きの取れない相手にのみ、通用する間の抜けた武器だった。それでも聞き及んだところによると、これは遠い未来、星の分身さえ撃ち殺すシロモノに昇華する。

 接続。

 荒廃の果てに、地球という『世界』が死んだあとに生成されるという終末の筐体。星を殺すとされる銃身は、純然たる終焉を呼ぶために過去の全てを凌駕しなければならない。搾り出されるような一滴の破滅は、貪欲な意志さえ持った。破壊という可能性の終着に立つために、過去に向かっていくつもの仔を産んだのだ。あらゆる時代に産み落とされた可能性は、殺し合い研磨され、未来の最終形態をより高みに昇らせる。

 生前、ソカリスという女から譲り受けた、その百番めの仔のレプリカ。

 どの仔も暗黒色を持ち、二つ名はブラック・バレル。

 風が木々を揺らした。さんざめいて、恐ろしさに震えているのか。

 魔力をつぎ込んでいく。まだ三割を超えてもいない。掌に収まるようなピストルは、貪り尽くすように魔力を飲んでいく。

 アサシンは動けない。土地に縛り付けられた霊魂は、それ以上離れることを許されない。それに恐らく、動いてはならぬと令呪で縛られている。木々のざわめきが消えた。境内の炸裂も消えた。胸の奥、あるはずのない鼓動の音だけが、嫌に五月蝿い。

 佐々木小次郎が構えを取った。神仏の理に挑んだ、執念の構えを。

 満ちる。

 十秒など、誰が長いといった。まばたき一つや二つではないか。

 最初で最後の引き金に手をかけた。

「――“ロンギヌス”――」

 ノートオン。

 

 

 

 閃光が山の闇を叩き潰した。

 力が、溢れた。膨大な増幅に、私は反動で飛びそうになる体を懸命に押さえ込んだ。

 小指ほどの銃口から飛び出した、定義さえされない純白のエネルギー。石畳を消し去りながら、疾走する破滅の仔。それは真実、何者をも殺すだろう。猛烈な反動に痺れながら、私は弾丸の軌跡を追った。立ちはだかれるものなど居るはずがない。石畳の幅を超える容量の前に、元より逃げ場などない。

 圧倒的な奔走、白は真紅へ変わり、濃紺となり、紫の尾を引いて灰色と化し、最後は黒に染まる。とぐろを巻いて目標へ肉薄する。轟音は世界の断末魔を聞くためにある。これは星を殺すための予行である。弾頭は、極東の島国でわずかに名を馳せた侍など、消し炭さえさらに燃やして無へと投げ込むだろう。

 圧倒的。

 しかしその圧倒を、静かに見つめる二つのまなこ。

 絶対の消滅を前にして、侍は、煌く刃を翻し、詠った。

「燕返し」

 侍は、ただすべきことをした。最強を信じる、己の全力の一刀。

 振り下ろされる細身の刀。怒濤のような爆発の前で、その姿は馬鹿馬鹿しくさえあった。

 走った罅は三つだった。

 滑稽に見えた一刀の前で、駆け抜ける三本の亀裂。触れれば溶けてしまうはずのエネルギーの塊に、糸でも通したかと思うような切れ目が三本駆け抜けた。

 それはどんな魔技か。音を置き去りにする速度に対して、三度も刀を振る時間などあるはずがない。しかし通った軌跡は三つ。同時に参撃したとしか思えない、一振りで三度斬る。天上天下、その男のためだけの、キシュアゼルレッチ。秘剣、燕返し。

 切断。

 星を殺すことになるありえないはずの銃撃は、空間を凌駕するありえない斬撃に断たれた。

 六色の竜に似た銃弾は、交差する三本の亀裂に六匹の蛇に変えられ、のた打ち回り雑木林と地面と山門を根こそぎ抉り飛ばした。咆哮は断末魔に似て、六つに分かれた星条の筋は、生まれた場所に帰っていくように、真っ黒な夜空に遡っていった。

 私は、思わず呟いた。

「佐々木、小次郎」

 もはや人の技ではない。

 一刀神力を超える。技量の極みの前に、神殺しの銃槍は敗北した。

 分断された六本の弾丸が巻き上げた土煙が、ゆるゆると風に流れて晴れていく。視界がはっきりとする前に、力を一つ残さず吐き出した拳銃は、砂塵になって崩れ落ちた。世界すら干渉できない荒漠な未来へと、還っていったのだ。

 私は階段を登っていく。やはり、一歩ずつ。土煙が晴れるのが、無性に遅く感じられた。その侍の姿。アサシンに抱いた、敬意に似た感情のせいかもしれない。

 地獄の底へと登る階。放たれたブラックバレルの銃創をなぞるように歩き続け、私は再び山門の前に立った。

 佐々木小次郎は、変わらない月を見上げていた。

 この男は勝ったのだ。ブラックバレルの熱に侵され、釘のように小さくなるまで溶け尽くされた日本刀。神々しささえ感じる、小指ほどの玉鋼の結晶だ。アサシンのサーヴァントは邂逅の時と寸分の違いもなく、立ち尽くしていた。

「見事、侍」

 私の言葉に、アサシンは満足気に微笑む。

「なに、斬ろうと思えば斬れるものだな――意趣返しなる、か」

 穴があき、向こう側が見える腹をおかしそうに撫でながら、血一滴口からこぼすことはなく、侍は声を上げて笑った。

 握る刀が銃弾の熱に耐えられる物だったのなら、もしかすればアサシンは無傷でここに立っていたのかもしれない。ロンギヌスを切り裂き、なおかつ軌道さえ逸らしきり、無傷だったのならば、私に為す術はなく、この階で朽ちていたのは逆だったろう。

 笑い疲れたと言って、アサシンは石段だったものに腰を下ろして言った。

「あの少女の剣気は清らかで好ましい。王道こそが似合うな、外連に染まるのは忍びない」

 願わくば彼女と剣を交えてみたかったと、もはや叶わぬ思いを清々しげに含んで。

 私は何も言わず、石段の最後の一歩を登りきり、真紅の川を腹から流すアサシンの横を通り抜けた。

 歩き出し、速度を上げて走り出す前、口を突いて出た言葉。

「さらば巌流」

 木霊す、侍の声。

「ゆけ、贋流」

 山門をくぐった。


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