現界の混乱を収めたのも束の間、また違う混乱に私は閉口する。
貧乏くじを引いたか、と後ろ向きな考えがめぐった。頭痛を呼ぶほどに深刻なものだが。
世界の英霊が頭痛など全く馬鹿馬鹿しいが、聖杯戦争を勝ち抜くために私を召喚したのが、能力も未熟な年端も行かぬ少女であるのなら、仕方もないものであろう。
私を召喚した主――マスターである可能性を持った彼女は、部屋に踏み込んだ姿勢もそのまま、束の間静止し、あちゃー、といった具合に天を仰いでやっちゃったとか何とか呟いている。私の存在が目に入ってないのか、意図的に無視してるのか、しばらく部屋の惨状に目をやりながらブツブツと独り言を繰り返して、ようやく私の方に目をやると不機嫌を貼り付けたような表情で言い捨てた。
「それで。アンタ、なに」
「開口一番それか」
これはまた、とんでもないマスターに引き当てられたものだ、と呟いて、自分の運気のなさは筋金入りではないかと半ば呪う。
「これは全く……予想を裏切ることなく、本気の貧乏くじに違いない」
自分で召喚を果たしておいて、アンタなにもない。魔力だけではなく、このお嬢さんは性根までイビツなようだった。魔術師で性格がゆがんでいるのも珍しくはないが、ならば目の前の女性は実に魔術師然としているということになるが。
あとどうやら威勢もいいようで、私の存在に何ら臆することなく鼻を鳴らして彼女は言い捨てる。
「――確認するけど、貴方は私のサーヴァントで間違いない?」
「それはこちらが訊きたいな。君こそ私のマスターなのか。ここまで乱暴な召喚は初めてでね、正直状況が掴めない」
状況が掴めない、というのも実に真実だった。抜け落ちた記憶が未だ戻らず、時代に関する報告までもが欠落していて、私は少々混乱をしているようだ。なにもかも全て、へたな召喚をした目の前の少女の責である。
ふと部屋に目をやる。召喚の過程より感じていたものがあった。この時代、私が生身でいた時代とそう遠くないのではないか、という予感である。見れば、家具も部屋の作りもどこかしら見たことのあるようなカタチをしている。
暗い期待と同時に、少なからず苛立ちが募った。いざ目的を果たさんとして、この少女を引き連れて戦いになど赴けるだろうか。なんとも、聖杯というのもいい加減なものだ。この程度の力量で呼べるのならばその奇跡とやらも大したものではあるまい。
言いそうになったが、しかし私は歯がゆい思いを何とかこらえることが出来た。その代償に、素直に話に応じようという気持ちを失ってしまったのだが。
「私だって初めてよ。そういう質問は却下するわ」
「そうか……。だが私が召喚されたときに、君は目の前にいなかった。これはどういう事なのか説明してくれ」
「本気? 雛鳥じゃあるまいし、目を開けた時にしか主を決められない、なんて冗談は止めてよね」
「む」
やり込めた気でいるのか、少女はさもえへんと言わんばかりに意識を高揚させている。確かに、いわゆる私の理は通らないそれだが、かといって彼女におとなしく従おうという気が起きるわけもない。
つまり、腕も前もないくせに一人前ぶるのが、いつかの誰かに見えて、腹が立つのだ。
自分ひとりで納得をしたのか、彼女は話を続ける。
「まあいいわ。わたしが訊いてるのはね、貴方が他の誰でもない、このわたしのサーヴァントかって事だけよ。それをはっきりさせない以上、他の質問に答える義務はないわ」
「……召喚に失敗しておいてそれか。この場合、他に色々言うべき事があると思うのだが」
具体的に言えば、侘びの一つや二つや三つや四つのことだが、現状説明というのも妥協できる線ではある。
「そんなのないわよ。主従関係は一番初めにはっきりさせておくべき物だもの」
そしてこうくる。
ああ、ならば私にも考えがあるというものだ。今後において役立つ提案であるのから、いつかは言わねばならない話だったが手間が省ける。ついでにわずかながら持っていた、少々気の毒なと思う憐憫を主成分にする気持ちすらも、綺麗さっぱりどこかへと飛んでった。
「ふむ。主従関係はハッキリさせておく、か。やる事は失点だらけだが、口だけは達者らしい」
ピクリ、と彼女の眉が動く。威勢も達者だな、と付け加えたくなった。
「――ああ、確かにその意見には賛成だ。どちらが強者でどちらが弱者なのか、明確にしておかなければお互いやり辛かろう」
「どちらが弱者ですって……?」
無論、この場合の弱者をわざわざ言うまでもない。召喚手順もまともに踏めない、そんな彼女とこの私がどちらが脆弱なのかわざわざ指摘するまでもないだろう。
「ああ。私もサーヴァントだ、呼ばれたからには主従関係を認めるさ。だが、それはあくまで契約上の話だろう? どちらがより優れた者か、共に戦うにふさわしい相手かを計るのは別になる」
見れば――もはや堪忍袋も何とやらといったところで、今にも頭から湯気を発さんばかりに血が上っているようだ。それを確認して、私はしっかりと言い添える。
「さて。その件で行くと、君は私のマスターに相応しい魔術師なのかな、お嬢さん」
くっ、と口の端を尖らせるが、まだガマンは利くようである。
相乗的に私のやり返し的楽しみも増える。
「――貴方の意見なんて聞いてないわ。わたしが訊いているのは、貴方がわたしのサーヴァントかどうかって事だけよ」
虫くらいならば殺せるであろう、中々具合のいい殺気のこもった視線を向けながら言う。私もいよいよ興が乗ってきたのか、久しぶりに味わう楽しい気持ちで言い返した。
「ほう。なるほどなるほど、そんな当たり前の事は応えるまでもない、と? 実に勇ましい。いや、気概だけなら立派なマスターだが――」
「だ・か・ら順番を間違えるなっていうのっ……! 一番初めに確認するのは召喚者の務めよ。さあ答えなさい、貴方はわたしのサーヴァントなのね……!?」
「――はあ。強情なお嬢さんだ、これでは話が進まんな。……仕方あるまい。仮に、私が君のサーヴァントだとしよう。で。その場合、君が私のマスターなのか?」
地団駄を踏みながら、詰め寄ってくる彼女のその剣幕に、少々ならば妥協しても良いという気持ちになった。
しかし勘違いされても困るので、あくまで仮の話だが、と付け加える。
「あっ、当ったり前じゃない……! 貴方がわたしに呼ばれたサーヴァントなら、貴方のマスターはわたし以外に誰がいるっていうのよ……!」
ほう。と勿論ウワベだけだが、一応考慮する振りくらいはしてみる。
鼻息荒く契約を迫る少女。私は、私を仮にでも召喚しきったその力量を過小評価はしていない。私も生前同じ魔術師であったのだから、事の困難さ及び難渋さは重々承知している。なので、試験の一つでもしようという気になった。私が、全身全霊を持って協力できるか、というテストである。サーヴァントがマスターを試すなどという話も聞かんので、楽しんでいるというのは否定はしないが。
「まあ仮の話なんだが、とりあえずそうだとしよう。それで。君が私のマスターである証は何処にある?」
これで、ただ呆けたように印綬を示すだけならば、
「ここよ。貴方のマスターである証ってコレでしょ」
その程度、ということである。
赤く浮かび上がる、三つのマナの具現によって彩られた幾何学模様の紋章。聖杯戦争参戦の証。
しかしそれもただの形骸に過ぎなかった。
ふふん、と何が嬉しいのか自慢げに右手をかざしながら、彼女は言い捨てる。
「納得いった? これでもまだ文句を言うの?」
これはもう、本気で頭も痛くなろうというものだ。
私は彼女を過小評価したとは思わないが、聖杯を過大評価している可能性もでてきた。
「……はあ。まいったな、本気で言っているのかお嬢さん」
「ほ、本気かって、なんでよ」
むっと頬を膨らませる。確かに令呪はサーヴァントを縛る戒めの類であり、それを御する資格を持つものとしての最低限の持ち物であるが、それとこれとは話の次元が違う。我らは一方的に隷属を誓う「使い魔」とは一線を画すことを、彼女は全く理解していないようである。
もはやそれを説明することすら億劫ではあるが、私の内部に残ったかすかな親切心が口を開く。自分でもまだまだ人がいいとは思うが、これでも一応、どういうハチャメチャな工程を経たかは想像もつかないが、一つの奇跡とも呼べるサーヴァントの召喚に成功しているのだ。
あと恥や外聞もあるようで、私の説明を聞くと閉口したようにしばし口を噤んだ。
「あ――う」
ぐうの音も出ないのか。しどろもどろに何かを言おうと引っ込め、くっと唇を噛んでからまた言う。
「……なによ。それじゃあわたしはマスター失格?」
「そう願いたいが、そうはいくまい。令呪がある以上、私の召喚者は君のようだ。……信じがたいが、君は本当にマスターらしいな」
まったく、なにが起こったのかは判然としないが。それこそまさに奇跡ではないのか。肩をすくめるほかない。
「まったくもって不満だが認めよう。とりあえず、君は私のマスターだ。だが私にも条件がある。私は今後、君の言い分には従わない。戦闘方針は私が決めるし、君はそれに従って行動する。これが最大の譲歩だ。それで構わないなお嬢さん?」
とりあえず。この単語の部分を一段と強調して言う。どんな愚か者であろうと私の意図が伝わるように。私の要求に、納得がいくのかいかないのか、少女はフルフルと肩を震わせながら呟いた。
「……そう。不満だけど認めるくせに、わたしの意見には取り合わないって、どういうコトかしら? 貴方はわたしのサーヴァントなんでしょ?」
肩ばかりでなく、声までもがやや震えている。泣くかもしれない、と思ったがこの程度で泣き崩れるのならば御しやすかろう。
「ああ、カタチの上だけはな。故に形式上は君に従ってやる」
だが戦うのは私自身だ。告げて、不意に彼女が聖杯を手にして何を願うのかが気になった。
取るに足らない愚かな願いだろうとは思うが、まぁ新たな滅びを呼ぶような類のものでも、それを防ぐため降臨したわけではないので私には何の関係もない、のでどうでもいい。とりあえず君は無力だという前提に立ち、言うとおりに行動させ、一週間ほど地下にでもいてもらったらとりあえず死なすことはない、となるべくやんわりと告げた。
「ん、怒ったのか?」
見ると、なにやら不満そうな顔でこちらを睨んでいる。心なしか眉の角度がありえないように目える。それとも自分の無力を悟ったのだろうか、何となしに、私は同情することにした。
「いや、もちろん君の立場は尊重するよ」
形式上の参加者としての。
「私はマスターを勝利させる為に呼ばれたものだからな」
こんな小娘だとは思わなかったが。
「私の勝利は君のものだし、戦いで得た物は全て君にくれてやる。それなら文句はなかろう? どうせ君に令呪は使えまい。まあ、後のことは私に任せて、君は自分の身の安全」
ふっ、と私は否応なく寒気を起こさせる――いつぞや、地雷を踏んだときに感じたのに似た――何かしらの前兆めいた予感。
ダンと床を蹴り、
「あったまっきたぁーー!! いいわ、そんなに言うなら――!!」
轟く怒号。不意の出来事に、私は上手く聞き取ることが出来なかった。
彼女は、なんと言ったのか。
令呪を使うと、いまだ耳鳴りの続く私の耳には、そう残っているような気がする。
「――Anfang……!」
ふっ、と魔力がもれる。
「な――まさか……!?」
その文句は起動を意味する言葉。
令呪発動の、第一の解呪コードである。
まさかも何も、本気で令呪を使用するというのか、目の前の少女は。
奇跡の具現。
サーヴァントを律する最後の三つ。
聖杯戦争の代替不可能のジョーカー。
切り札の中の切り札。鬼札の中の鬼札であるそれを、まさか真剣にただの口汚い罵り合いのせいで使うというのか。
「そのまさかよこの礼儀知らず!」
口から流れ出る魔術仕儀の呪文。正式な手続きであった。これ以上なく流麗に流れる呪文式は、まず間違いなく、彼女の右手のラインと私の内部構造を直結するであろう。
なんというか。まさに、度を越えた無鉄砲。
「ば……!? 待て、正気かマスター!? そんなコトで令呪を使うヤツが……!」
「うるさーい! いい、アンタはわたしのサーヴァント! なら、わたしの言い分には絶対服従ってもんでしょうー!?」
「なんだとー!?」
そんな馬鹿な、と内心呟くがそれは口に出す気力もないということだ。何という傲慢、無鉄砲、考えなし。
一片の齟齬もなく令呪がその機能を発動させる。史上初、口喧嘩の帳尻合わせに世界の至宝が発動される。
「か、考えなしか君は……! こ、こんな大雑把な事に令呪を使うなど……!」
言うが、もはや後の祭りも三日か四日。私の基本構造が連鎖を起こし、召喚者と直結したラインのおよそ六乗ほどのエネルギーが湧き上がる。亀裂が走る。浸透する。熱。魔力が渦を巻いた。私の存在を抽象的な鎖が取り巻き、熱を奪い、力を与え、そしてそれもまた召喚者の抽象の口へと直結する。
とめどなく検索されは実行される言葉の意味。永続的な言葉の概念は、緩やかに変化を起こして私に襲いかかる。
巻き起こる魔力の風。一言いってやろうと、張本人を見た。
が、言う前に言葉はどこかへ消えた。あきれてものも言えないとはこのことだ。
どうでもいいが、自分でやっといて、やっちゃった、という顔はやめろ。
やがて令呪の発動が正式に許可され、刻印が示され、しとやかな強制力を以って、私の存在に核変を起こす。壱の令呪の使用を確認。
と同時にマスターと精神的なレイラインが貫通した。私は思わず呻いた。枯渇気味の私の霊体に、十分すぎるほどの供給が流れてくる。
驚くのも無理はない。その量たるや、並大抵の魔術師など歯牙にもかけぬ圧倒的なものであった。
奔流は固く、流麗で、時の流れの中で研磨された極上の質を保ち、方々に熱を振りまきながら私の中に流れ込んでくる。
魔力を補充された令呪の刻印が、低くうなりその役割を明白にさせる。
命令の名。絶対服従。私は二重の意味で頭が痛くなった。
なんと後先考えないマスターであるのか。そして、なぜこれほどの力量を見抜けなかったのか。己もまだ未熟であると思わざるを得ない。
真綿で全身を包まれているかのような違和感。
その一つ一つに契約者の名が刻まれている。もし仮に指示に従わない場合は、真綿は全ての筋肉を鈍らせるほどに収斂し、私を縛るであろう。
しかし逆に、彼女の命に従うならば程よい緊張を保つ素晴らしい衣服となる。
永続的な命令であるにもかかわらず、これほどまでの質量と密度を保つには、やはり術者の才に依存するところが大きく、つまるところ、目の前の少女の魔術師としての力量は、私の目算を嘲笑ってしかるほどに、強力なものであったのだ。
彼女の評価を私は改めた。聖杯戦争に参加し、この私を使役するに足る能力を、確かに保持したすばらしいマスターだと。
令呪が完全に浸透する。脈打つ内部の鼓動を感じながら、此度の戦争で真に勝とうとするならば、彼女との協力なしには成し遂げることは出来ぬであろうと知った。
彼女は我が忠誠に足る。アーチャーのクラスはマスターを決して裏切りはしないであろう。
その力量を一度で見抜けなかった己の未熟さを恥じながら――我がマスターの類まれに後先考えないその性格をうらみつつ。