爆撃はやみ、剣戟音も去った。
背後からの斬撃を、誰も予想することなどできない。空間転移や固有時制御といった魔法に近い技を使えたとしても、間に合わなければ意味がない。キャスターは、私が解き放った出来損ないの魔術――何十本もの刀剣に貫き通され、爆風に焼かれ、息も絶え絶えに地に落ちた。
セイバーが静かに一歩引き、キャスターの元へと歩いていく。我が身を守れと、指示でも出したのだろう。やけに静かになった境内の中で、重い脚甲の音だけが聞こえた。
ふと、ライダーの気配が消えていることに気付いた。
「やったのか」
答える力も倒すのに使ったようで、凛から答えは返ってこない。巻き上がった砂埃の向こうから、肩を貸し合った二人の影が見えるに過ぎない。探ってみても、ライダーの気配は、もうどこにも感じなかった。境内の隅で、呆然と腰を抜かしている男が一人、いるだけだろう。
凛も衛宮士郎もどこかしら傷を負ってはいるが、それほどの深手ではないとわかる。ただ、衛宮士郎の呼吸がどこかおかしいのを除けば、だった。
顔面の血色は青く後退し、浅く切り裂かれた腕からは血が垂れ、痙攣までしているのは魔術の反動に耐えられなかったからだ。それでも罅だらけの干将を握り締めて、酷使を堪えて衛宮士郎はライダーの本を焼いた。
「そっちも、やってくれたようね」
凛は、笑わずに言った。
「気を抜いてもらっては困るな。最後の詰めでいつもしくじる。それが遠坂凛の持つ唯一の悪癖だと、自分が一番よくわかっているだろう?」
「そうね、しっかりとケリをつけないとね――キャスター」
私は飛び出すタイミングを計った。弓を持つ。再び、ブロークン・ファンタズムを打ち出すにしても、セイバーがキャスターに近すぎる。いざとなれば、主を守るために身を投げ出すのがサーヴァントだ。セイバーを倒してキャスターを仕損じるのは全く意味がない。それにあれは魔力消費も激しく、完全に仕留めなければ次に手詰まりになるのはこちらの番だ。
考えは目まぐるしく回転を続ける。
段階を、戦いの場から交渉の場へと移行してもよかった。セイバーを解放するならばこの場を見逃す、という選択もなくはない。キャスターを肯んじることが出来ないという思いは残っていても、バーサーカーの戦力を殺ぐには使える、という判断が有効なことに変わりはない。
セイバーを縛る令呪も、厄介だった。
キャスターのルール・ブレイカーを、私自身が投影することには大きな抵抗がある。衛宮士郎はすでに凛の目の前で干将莫耶を振るい、闘っている。彼女がそれを投影魔術だと見抜けないだろうと楽観視することは、危険極まりない。私がここでキャスターの宝具を投影すれば、おろかな事実を悟られてしまう可能性は今までの比ではないくらいに跳ね上がる。それは何としてでも避けねばならなかった。
キャスターを倒せば全ては済むが、それがいかに難しいかは既に知っている。最初の不意打ちで仕留め切れなかったのは、全くの片手落ちとしか言いようがない。不意打ちの機会は二度とない。
私の投影で受けたダメージも、徐々に消えていく。傷の深さは相当なものだが、魔力の大半を回復に充てれば、それほどの時をかけずに回復してしまう。
ここで迷えば間抜けなことになりかねない。空間転移に、固有時制御。その気になれば大抵の現象は顕現できる。ここが不利な土地であるという事実は、一つも変わっていないのだから。
凛はどう考えているのか、質そうとする前に、彼女は一歩前に進み出て言った。
「相当な深手のようね、キャスター。ライダーも去ったわ。今はもう、セイバーだけが守りの盾、といったところかしら」
「……小娘」
「私たちは勝つわ。セイバーは令呪に従っているとはいえ、抵抗しているし私のアーチャーなら倒せる。そうしたら今度こそ、貴方を守る者はいなくなる」
「……なら、おやりなさい。セイバーを倒して、私に」
「けど、そんなことはやらなくていいのよ。考えたら、当然よね。マスターを倒す方が、何より早い」
「はっ、あははは。何をいうかと思えば、貴方が私のマスターを」
「葛木宗一郎」
スウィッチを切ったように、キャスターの哄笑は止まった。
「情報の出し惜しみはしないわ。あいつがマスターだなんて気付くはずがない、なにせ、正真正銘の人間なんだから、気付けるはずがない。本当に今回の聖杯戦争はイレギュラーばっかり……まぁいいわ。ともかく、葛木をいいように使っているのは貴方の方ね。自分の言うことに逆らわない木偶に仕立てて、情報操作に使う。魔術師らしいといえばらしいけど、バレたらそれまでよね」
血と、ローブのせいでキャスターの表情はわからない。しかしそれでもなお、明確な動揺がこちらまで伝わってきた。
不意に、それは狼狽に変わった。
「いけない!」
キャスターが声高に叫ぶ。叫びは、私たちの誰に発したものではなかった。
「いけません! 今は、絶対に許可できません! あっ、ああ」
「なにを……」
「凛、下がれ」
キャスターは続けて叫ぶ。
「やめて、やめて下さい! 今の内に、貴方は逃げなければ――宗一郎!」
マスターを下げて、一歩進む。それは、悪寒というほどでもなかった。
その男が現れるのを見て、感じたものはただ一つ。血の、匂いだった。
「よい」
この私でさえ、何一つ気配を感じなかった。キャスターのそれよりよほど空間転移かと思わせる男の出現。一度だけ周囲を見回して、簡潔にいった。
「説明しろ、キャスター」
まるで要領を得ない。ありふれたスーツに身を包んでいる男は、浮かんだ疑問を解消するために二度三度とキャスターに質問を繰り返し、答えを得るたびに小さく頷く。
「なぜ音と光を遮断した」
「そ、それは」
「私に知らせまいとしたからか」
「……ええ、そうです。けれど、宗一郎! 私は、私はただ」
「わかった」
キャスターの偽証も、穿たれたいくつもの穴も、興味なくただ理解を示したと頷く。その男に、生気などというものは一つも感じない。凛も動けなかった。
「これは味方なのか」
男は続けてセイバーに目を向けていう。
「え、ええ。令呪の縛りがある限りセイバーは我らの駒です」
「では何も問題はないな」
「宗一郎、何を」
「敵を前にして打倒以外なにがある」
唖然と息を呑んだのは、私たちばかりではなくキャスターもそうであろう。愚者の無謀にでも、蛮勇にでもなく、ただ為すべきことを為すという意志。その場にいる全ての者が男の存在を疑った。
「宗一郎、様」
「キャスター、立てるのなら飛び道具の相手をしろ……魔術師の家系というものは難儀なものだな遠坂。それがお前のサーヴァントか」
葛木宗一郎という男は、ゆらめくような殺気を纏わせながら、音もなくこちらへ歩いて来る。凛が、戸惑いを胸に抱いたまま、宝石を取り出した。
ただの人間だった。
男は魔術の理すら、何一つわかっていないだろう。何一つ武器も持たずに歩いてくるのは、この私を殴り殺す気だからか。何一つ、付け込む隙がないのは想像を越える強さを保持しているからか。
葛木という男が、常軌を逸して、冷静な状況判断が出来ていない、と私は考えなかった。拳法使いと戦った記憶はある。たとえ徒手が迂遠な戦闘方法のように見えても、極めれば必殺の手段を持つ術であることに、何ら変わりはない。
私は、干将莫耶ではなく、弓を取り出した。
「アーチャー」
「いったはずだ。悪癖を、意識しろと。私も油断などせん」
「……ええ、そうだったわね」
とはいえ、男は止まらない。距離は十歩を越えない。一発目の射を避わしきれば、こちら側の懐へ肉薄できると考えているのだろう。跳躍して、矢を撃ち放てば間違いなく勝てるが、凛がいる。男の目に、慈悲や躊躇の類の感情は生きていない。冷静な一撃で凛を殺すだろう。
一撃で仕留めればいい。相手もそう考えている。凛も、そうだろう。キャスターですら、同じ思考をしているに違いない。私が矢を放とうと、暗殺者が拳を叩き込もうとする、空前の間合い。
その中心に、異物が混ざった。
衛宮、士郎。
「待てよお前ら」
干将を交差して、構える衛宮士郎は避けた額から流れる血で、赤く染まった目と口でいった。
「なに、勝手に、始めようと……してんだ……」
「し、士郎」
様子がおかしかった。葛木宗一郎が止まった。隙と見て、突っ込んでくれば衛宮士郎は一撃で死んでいるだろう。追撃を阻むために私も矢を放たざるを得ない。背後の死を認識しないまま、この男はいまだ馬鹿な妄想に囚われているのか。
「好き勝手に、殺し合いなんか……お前ら……」
凛が叫んだ。
「士郎! 敵なのよ!」
「敵も殺さない」
「何を、馬鹿な」
「退けよ、葛木。見逃してやるから、退け。令呪を奪って、それで終わりにする」
「どきなさい士郎! 敵を前にして、そんな道理はないわ!」
「だったら俺を殺せよ、遠坂。俺は絶対にここをどかないぞ」
「衛宮」
幽鬼のように気配のなかった男、葛木宗一郎がいった。
「何の変化があった。私が知ってるお前とは、違うな。以前にも甘さはあったが、人並みに感情もあった。今のお前には、それすらない。何があった」
「わからない」
「なに?」
その顔は、苛まれる割れるような頭痛を、噛み締めているようだった。
「なにも、わからなくなった。人が死んで、傷ついて、戦って。セイバーがいなくなって、自分の無力が……この剣、気付いたら握ってた。これは、剣なんだ。俺は正義の味方を目指して、剣を。あの神父は言ってた。ようやく、願いが叶う、って。俺は、望んでたんだ。戦いを、望んでた」
衛宮士郎は、不安定だった。
正義の味方という根幹を壊され、男は立ち尽くした。新しい答えを見つけたわけではない。不安定は揺らいでいるということだ。その場に居るだけで、崩れていくような歪さは、走り続けている間はまだ崩壊はしない。無意識で、衛宮士郎は走っている。
不安定だった。叩かれた理想は妄想だと知った。それでも走ることの矛盾を、目前の犠牲に突きつけられた。ドロドロとたゆたっている。押せば溶けてしまうような在り様は、あまりに終わりに近い。
しかし終わりと始まりは同義であり、不意に、私はあらゆる全ての誕生とは、こういうものではないかと、思った。
「告げる!」
キャスターの叫びに、硬直していた場は再び戦場に引き戻った。
葛木宗一郎が動いた。柳のようにしなる足捌きで、急速に間を詰め寄せる。衛宮士郎を弾き飛ばし、私は莫耶を握って受ける。
拳の軌道は蛇腹の如く、うねる。急所という急所を、狙い済ます人体破壊の真髄は、対象がサーヴァントであろうと何も変わらない。食らえば卒倒し、悶絶の憂き目に遭うだろう。
この双剣は、直角する侍の太刀筋すら弾ききる代物である。鋼の陰陽は蛇の牙も毒も、漏らすことなく接触を許さないはずだった。魔力で補強されている拳を、捌き切る挙動に油断は微塵もない。それでも、拳はその合間を縫って走る。
キャスターに対して、凛の動きも早かった。トパーズの輝きを、詠唱で増幅し解放する。いくつにも分裂した光は、キャスターの影に疾く走る。空間転移の技さえなければ、ローブを残して跡形もなく消し去っただろう。
キャスターが高々と手の痣を掲げた。未だ二つを残す、赤い令呪の光だった。
「第二の令呪は貴方に宝具の使用を求める――焼き払いなさい、セイバー!」
その脅威の度合いを、推し量っている暇さえない。セイバーの宝剣が輝きを放つ前に、ルール・ブレイカーを投影する。それを阻む、葛木という男の暗殺拳。一つでも貰えば、立て続けに打ち込まれ動きを止められる。
セイバーの、宝具の気配がする。
機を計ったように、蛇の拳が後退する。私は、この男が攻めていないことに気付いていたが、手がなかった。
「あ、くっ、ああ! 凛……シロウ! 逃げ……て!」
セイバー。抑えこもうと――しかし抑えきれない魔力の波濤が、膨れ上がっていく。出し惜しみする是非もない。隙間をかいくぐって来る拳を、急所を避けて二発三発と受けながら、ありったけの幻想を砕いて壊して、こじ開けた空間の端からキャスターに向け刀剣を吐き出した。
流石に不意打ちとはいかなかった。
「Μαρδοξ――!」
矛先が走る進路上、精製されたガラスの盾が、光を放つ。
神代の魔術師の底力は、私の幻想に耐え切れるのか。幾本もの刀剣が、キャスターの唱えた防御壁に妨げられては砕けていく。オリジナルの力なら、一刀目で貫き通せるとしても、私の投影を経たものはランクが一つ落ちる。砕くか耐えるか、紙一重の境界面で、キャスターの魔術は生き残った。
「ちぃっ。仕方がない!」
もはや手はない、セイバーに向けて、ブロークン・ファンタズムの照準を合わせた。紡ぎ出す剣の設計図。そのわずかな隙に、関節を無視したような足刀蹴りが、延髄に叩き込まれた。ぐらつく意識を、歯を食いしばって手放さない。レイラインで、凛に逃げろと伝える。答えを聞く暇はなかった、私は途切れない連打を何発も、何とか急所以外に受けながら、出来損ないの幻想を射出した。飛び出した幻想は、ひどく間抜けな音を立ててセイバーの胸に突き刺ささり、爆ぜた。
「あ」
「アーチャー、貴方!?」
糸が切れた人形のように、金色の髪をした少女が崩れ落ちる。ちっ、と舌打ちしたキャスターが、またいくつもの魔弾の塊を。有無もなく凛は詠唱を始める。
有無がないのは彼女ばかりではなく、私もそうだった。が、私は拳の軌道を、徐々に理解しだした。二つ三つとタイミングを読み、四つ目で反撃に移ろうとする。それすら読んだように、葛木は私の斬撃を受け流し、足の向きを凛に向けて体を流した。
「え? あっ――くっ」
詠唱を断ち切らせる胸部への殴打。それで、詠唱はストップした。キャスターの魔術を相殺するための防壁が、完全に遅れる。
蛇蠍の敏捷性で、次の瞬間葛木はもうそこにはいない。キャスターの爆撃が投下されるのを見越しているからだ。ふりそそぐ、灼熱の力。間一髪、私は凛を抱えて駆け出す。数瞬後、着弾。呼吸を取り戻した凛が、途中下車するように私から飛び降りて詠唱を再開するまで四秒。
私はすぐに蛇を探した。暗殺者は、穴だらけの地面を我が大地とばかりに、自在に駆け回って衛宮士郎に迫っていた。
迎え撃とうとする出来損ないの干将莫耶を、容易くいなして二発三発。それだけで衛宮士郎の体は崩れ落ちた。衛宮士郎は死ぬだろう。延髄まで叩き潰す、喉輪が繰り出された。
なぜか、その未来が納得いかなかった。
追った。しかし、頭の芯に響くようなダメージが、私の追撃を遅々たるものにした。
夜の闇に生きた拳法の拳を止めるものは何もない。戦いを拒んだ男は、戦いの摂理に従って潰える。
その、葛木の胸を貫いた剣さえなかったのなら。
「う、あ」
誰の呟きだったのか。血が、静かに滴った。人間の体には不釣合いすぎる大剣が、胴から生えている様は、誰もが息を飲む。歪すぎる寸法の違いが、どこかおかしいと、思わせる。
蛇蠍は黙って見下ろす。
「ふむ、ここまでか」
男は最後、つまらなげにそう言って、口からスチームのような血煙を吐き出した。
壮絶で、疑いようのない断末魔だった。
血の沼の中で衛宮士郎はへたり込む。阿修羅のように甲冑を赤く染めたセイバーが、剣を引き抜いて眉根を寄せていた。
「え、なぜ?」
いつの間にか、背後の魔術のぶつかり合いも終わっていた。キャスターが、葛木宗一郎の体を抱いていた。
「宗一郎さま。どうしてこの人が血を流しているの?」
空間転移。寺の上へ。
「変ね、どうして。マスター、早く敵を倒さないと。あの者たちを倒さないと」
間桐慎二の脇。
「私と貴方で聖杯を取って、二人で」
林の奥。
「いったのに。宗一郎、だから危ないから出ずによいと……」
沼の中。
繰り返される消滅と出現。それを、さらに何度も何度も繰り返す。ランダムに、消えては現れる亡骸を抱いたキャスター。どれほど転移を繰り返したのか、月の下、二つは一つの影に合わさった。
「あれ? これなにかしら。血?」
空に、血だらけの魔術師と男がいる。
「あ、死んだ?」
瞼も閉じず、胸に大きな穴の開いた男を抱きしめて、女は叫んだ。
「ああ――あああ!」
木霊した叫びの中で、あああ、という叫びの中で、溜めに貯めた魔力が無秩序に増幅されていく。私は残った最後の魔力で三度目のブロークン・ファンタズムを。何の障壁もなく、刀剣の群は二人の四肢を切り裂いて爆ぜる。それでも、あああ、という叫びは止まらない。膨らんでいく魔力の波も止まらない。凛が、逃げるといったが、間に合わない。何千人、何万人の生命力を、さらに燃え上がらせた力の波は、最終段階まで来ている。解放されればこの山だけではなく、街まで焼き払うだろう。そしてこの地には、以後三千年は草木一つ生えはしない。魔女の悲しみは、いつの時代も世界を焼く。血の涙を流して、女は、数多の道連れを求めて、叫びをやめない。
その前に、一人立つ。
慄然と、一人の少女がその前に立った。
鎧われていた風の鞘、編みをほどかれて、あらわになる伝説と矜持の剣。
振り下ろした刀剣の名は、エクスカリバーという。
その剣の前には、常に勝利があるという、星が鍛えた聖剣だった。
夜の闇。
月まで届く光のきざはしが、戦いの終わりを告げていた。