赤い弓の断章   作:ぽー

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第三話

 朝を迎えた。イリヤが目を覚ましたのだ。白い世界で、私は椅子に腰を下ろしたまま、いつそこに出てきたのか、映写機のうつしだす外界に見入っていた。ココココ、という音が白い世界に映像を送る。外の世界。朝は、壊れずに明けた。

 私は隣に座ったままの少女に聞いた。

「これは?」

「わかりやすいでしょう? あなたに、続きを見せてあげる。見ながら、ちょっとだけ、休もうね。そしてまた頑張るの」

「ああ」

 何を頑張るのか、私にも薄々わかり始めていた。

 少女は床まで届かない足を揺する。私たちは二人で、椅子に背をもたれさせながら肩を並べて映写機を見る。いつの間にか手を繋いでいた。ぬくもりを感じた。はるかな昨日に失われたはずのぬくもりだった。

 視点は廊下を進んで、居間の障子の前で止まった。声が聞こえる。どこから聞こえるのか、と思った途端、私たちの足元にふっと木箱のようなスピーカーが現れた。どこまでもわかりやすくしてくれるらしい。イリヤと見合って、苦笑した。

 届いてくる声は、荒れていた。

「そうそう、あんなのは綺礼に預けちまえばいいのよ」

「シロウ。貴方の考えは立派ですが、イリヤスフィールに関わるのは危険です。今ならまだ間に合う。早々に教会に預けるか、その令呪を剥奪するべきだ」

 凛の声もセイバーの声も、何も変わらないように思えた。それが妙に嬉しくもあった。

 私の消えた後の世界を垣間見ている。私は幸福なのだろう。私は、ただこの目で見て、耳にしているだけで満たされていた。英霊として戦っていた昂りも今はもうなく、静かに、老いたように安らかであった。私がここにいることを彼女たちは知らなくても、知ることはなくてもそれでよかった。

「な、なんだよ、だってほっとくわけにはいかないだろっ。イリヤはまだ子供なんだし、様子もおかしかった。言峰に預けるのは、なんかかわいそうだし」

「かわいそう? アンタね、あの子にあんな目にあわされてまだそんな寝ぼけたコト言うわけ!?」

「同感です。シロウはイリヤスフィールに感情移入しすぎています。彼女は何度もシロウを殺そうとしたではないですか」

 私は傍らの少女と顔を見合わせて――イリヤはむくれていた――笑った。散々な言われようだな、と滑稽に。

 衛宮士郎はわずかに気圧されながらも、引かないという意志をしっかりと乗せて答えた。

「たしかにイリヤは敵だった。けどあいつに邪気はなかった。ちゃんと言いつけてやるヤツがいれば、イリヤはもうあんな事はしない。それに一番始めに言った筈だ。俺はマスターを殺す為に戦うんじゃない。戦いを終わらせる為に戦うだけだって」

 男の言葉が反論を封じたのはセイバーだけだった。凛は、眼光鋭く、睨みつけながらいう。

「そう。それじゃイリヤスフィールのした事を全部許すっていうの? 言っとくけど、あの子はわたしたち以外のマスターも襲っている。もしかしたらもう何人かマスターを殺しているかもしれない。それでも貴方は助けてやるっていうのね」

「誰か殺したのか?」

 私は聞いた。

「いいえ。結局、一人も殺さなかったわ」

 無表情に首を振る。それは、殺人を犯さなかったことは特にいいことでも悪いことでもないと、強く自覚している表情だった。別段、イリヤスフィールは善人ではない。敵がいて、チャンスがあったのならば、躊躇なく殺していただろう。

 それでも、殺せなかった。そのタイミングを奪ったのは、一体、誰なのか。

 これも一つの、救いではないのか。

「……そうね、それは正しい。けど士郎、わたしはアーチャーの事を帳消しにする気はないの。わたしのアーチャーは、アイツに殺されたんだから」

 ふふ、と笑い声。こちら側のイリヤだ。

「まさか本人が聞いてるとは思ってないでしょうね。わたしのアーチャー、だって」

「思っていても口には出さないということが、大事なことだというのに。凛もまだまだ未熟だな」

「照れてるの?」

「まさか」

 スクリーン。視点が動いた。障子を引いて、居間に入る。

「なによ、サーヴァントなんて最後にはみんな消えちゃうじゃない。そんなコト気にしてるなんてマスター失格ね、リン」

 全員の顔色が変わった。反論に出る二人をイリヤは相手にせず、士郎にお辞儀をしている。

 私は仕返す。

「だったら、君もマスター失格だな」

 イリヤは答えなかった。手の握りが束の間強くなった。

 サーヴァントに情を抱くのは悲嘆を前提にしなければならない。いつかは必ず別れるのがすべての存在に科せられている宿命だったのだとしても、もう死んでしまった我ら、そして彼らにはさらに重くのしかかる。

 私が無防備なのと同じく、目の前の少女の守りも薄い。彼女の過去が、手と手を通じて流れ込んでくる。思い出の中、バーサーカーはとても大きかった。

「いいの。バーサーカーにはもう会えないけれど、わたしのなかにいるから。ずっと一緒なのは、変わらないわ。変わらないもの」

 スクリーンの向こうで、イリヤは士郎の胸に抱きついていた。それを顔を真っ赤に染めたセイバーが阻止しようと腕を振り上げる。イリヤは楽しそうに遊んでいた。満面の笑みを浮かべていた。私はその笑顔の裏を探らずにはいられなかった。

 こうして、主観を離れて眺めると、彼らのどうしようもない若さに眩暈を覚えそうになる。誰も彼もが、若い。若いということは、純粋であるということだ。砕けていく自分も知らず、それを阻止できなかった無力も知らない。夢と希望という言葉が本当にあるものだと、皆信じて疑っていないのだ。

「でもそれは貴方が悪いわけじゃないのよ、アーチャー」

 頷いた。椅子に腰を下ろしたまま、飽きもせず、映写機の映像に魅入っていた。

 話し合いはどうやら済んだようだ。イリヤスフィールを匿うということに対して最後まで反対する気でいたセイバーも、途中で意見を翻した凛の説得で渋々認めた。

 朝食ということになり、準備にとりかかろうとした士郎は、はたと思いついたように手を止めた。

「ちょっと待っててくれ。今から、藤ねえと慎二を呼んでくるから」

 即座に、ストップ、と手を挙げたのは凛である。

「なんだよ。藤ねえもそろそろ起きる頃だから。昔っからああなんだ。怪我してしばらくはああやって寝まくる。でもいつの間にか食料は減ってる。そろそろリブートする頃合」

 藤村大河は、昏々と寝続けている。が、特に外傷があるわけではない。獣は、己の傷は寝て治すと聞く。おそらくその類であろう。似たようなことを、衛宮士郎もスクリーンの向こうで三人に説明していた。まったくの笑い話だが、大きな安堵が含まれていた。

「……知ってるでしょ。反対してるのは慎二の方よ」

 同意を求めるように肩をすくめるが、セイバーは自分が口を出す領域ではないと割り切って黙っている。あちらのイリヤは無関心を貫いていた。

「そっちはなおさらだ。元気なやつを、いつまでも部屋に閉じ込めておくことなんか出来るか。この家は牢屋じゃないんだ」

「でもあいつは罪人よ」

「だったら、俺も罪人だ。縛り上げて放り込めよ」

 橋上の事件は、まだ男の頭から消え去ってはいない。

 それ以上話すことはないと、廊下に出ようとして止まった。振り返って、曖昧な表情を浮かべる。

「ごめん。ちょっと言い過ぎた。けど、あいつは連れてくる。もう決めたんだ」

「……別に、いいけど。はあ、暗示を解くんでしょ? だったらわたしもついていかないといけないじゃない」

「あ、あの」

 セイバーがおずおずと手を挙げる。

「私もついていきます。その、もしものことがあるかもしれない。マスターの護衛は、当然の責務ですし」

「ああ、いや、別に危ないことなんてないぞ? セイバー、昨日の今日で疲れてるだろ? 座ってていいよ」

「疲れはありません! ……え、えーと、それよりシロウのことが心配です。凛一人では心もとない」

  「……じゃあ、頼むよ。ああ、でも、もしもがあってもセイバーは黙って見てるだけだからな。ケンカに助太刀はいらないからな」

 何かを察したように凛は口元に笑みを浮かべている。セイバーは顔を赤らめている。私も、胸の奥の温かいものが束の間、甦りかけた。熱くさえあった。思い出は遠すぎる。そのくせ、こうやって目の前で繰り広げられる舞台は、眩しいくらいに近い。

 

 

 

 結局の所、間桐慎二は団欒を拒否した。強制はしないと衛宮士郎は引き下がったようだが、それなりに強引に引っ張り出そうとした後でなのだから、どうなんだ、と凛は苦笑していた。セイバーはしきりに間桐慎二に不平を述べていた。彼女の気持ちを考えると、微笑ましくさえある。

 藤村大河のほうは目を覚ましてやってきた。居間でちょこんと座っているイリヤについての疑問もなかった。寝惚けているに違いない。

 開口一番に言った。

「あれ、士郎海に行ってきたの?」

「なんでさ」

「なんか黒くなってる。日焼けだ。わたしも明日行こうっと。タコ食べたい。吸盤」

 虚ろな瞳のまま、席に着く。鼻風船を膨らませたまま目を開けている様子はどこか異様ですらある。

 凛もセイバーも、ただその様に苦笑しているだけだった。衛宮士郎も寝起き悪いな、というだけである。

 私とイリヤだけは、笑うことが出来なかった。

 目を凝らしてどうにか把握しきれる程度ではあるが、確かに衛宮士郎の肌は浅黒く変化している。私は現在の己の構造がどうなっているかは知らないが、あるのかないのか、心臓が一際強く鳴るのを感じた。

「一応、言っておくけどね。バーサーカーを倒したのはシロウが投影したカリバーンっていう宝具。セイバーの力を借りながらだけど、その一撃でバーサーカーを七回も殺したの」

 剣の名は、私に桜のことしか思い出させはしなかった。

「魔力をだいぶ使ったんだな」

「土壇場でひねり出したって感じだった。あなたを吸収して、朝になった頃かな。逆に攻め込んできたときはちょっとビックリしちゃったけど。シロウ、強かったよ。セイバーと一緒にバーサーカーを攻め立ててた。あなたが持ってた双剣を振るって、バーサーカー相手に」

「強かったのか」

「到底勝てる相手じゃないはずなのに、逃げてなかった。もちろん全然相手にはなっていなかったけど。そのとき何となくわかっちゃった、双剣とあわせてね。ああ、アーチャーもシロウも、同じお兄ちゃんなんだなって」

 まぶたを閉じた。映像がまざまざと思い浮かんでくる。

 巨大な敵を前にして、紙一重と紙一重の間をくぐり抜けるように、双剣を振るう男。セイバーの力が大きいにしても、その姿は強く雄雄しくさえあった。支えきれずに吹き飛ばされる、セイバーも後退する。そこで、満を持して飛び降りた凛が宝石を放つ。吹き飛ぶバーサーカーの腕。だが千切れた腕は、千切れたまま凛を掴み――さらに隠し持った宝石がバーサーカーの顔面を砲撃した。それでも砕け散った頭部はすぐに再生し、腕は凛を握り潰そうと力がこもる。私が戦っていた時にその鋼の腕を断ち切っていなかったのなら、凛の体は瞬時に圧壊していただろう。まばたきしか出来ない程度のわずかな隙に、光が輝いた。バーサーカーの背後で煌く宝剣、それはカリバーンの閃光だった。士郎とセイバーが固く握り合っていた。

 士郎は、また階段一つ上がったのだ。

 再び目を開けた時、スクリーンの向こうではもう食事の準備はすっかり整っていた。

 他愛のない朝食のはずだった。献立もありふれたものだった。

「いただきます」

 声が重なる。カチャカチャと食器が音を立てる。一口二口、皆が口を運ぶ。やがて禁忌にでも触れたように、士郎と寝惚けた藤村大河以外の全員が動きを止めた。

 最初に口を開いたのは凛だった。

「……これ、誰が作ったの?」

「俺だけど」

 当たり前だという風に答える男に、セイバーは眉根を寄せて、凛は箸を置いた。イリヤも口を尖らせて箸を放り投げる。

「……何だかしょっぱい。美味しくない」

「……」

「士郎、味見した?」

「したさもちろん……」

 藤村大河だけは、寝惚けたまま黙々と箸を進めて、食べ終えるとごちそうさまと言い残してまた部屋に戻っていった。足音が完全に遠ざかると、音らしきものは一切消え去った。

「セイバー、不味いか?」

「……虚偽は口にしません。私には、これがシロウが作ったものだとは思えない」

「いや、そっちのがありがたいよ……すまん、今日は本当に調子が悪いみたいだ。なんだか、頭も痛いし……悪いけど、パンでいいかなみんな」

 空気が重くなる。衛宮士郎の動作だけが耳に届く。パンが焼けた。ジャムに、コーヒー。目玉焼きを作り直す。凛の視線は射殺すようだった。セイバーは、俯いている。出来上がった二度目の朝食、イリヤだけがはしゃぐようにしてかぶりついていた。

 そこで、映写機が止まりスクリーンが巻き上がった。

「さ、ここまで」

「あいつは」

「自分のことだから、わかるでしょ?」

「……感覚器官に影響が出るのは、末期に近いぞ」

「危険な状態よ。でもね、あなたに出来ることは何もないのよ。わたしにも、きっと止められない」

 そうなのだ、と思う。私はもう負けたのだ。本来ならばこのような状況になることもなく、消え去っていくだけのただの敗者なのだ。

 私に出来ること、イリヤは暗にそれを問うている。

 迷い続けることこそが、私の永遠の命題なのだろう。

「続きを」

「うん」

「あなたも、薄々気付いていると思うけれど。今回が最初ではないということに」

「ああ――」

 世界はあらゆる可能性に満ちている。私は私であると同時に、私だったものでもあり、私でないものでもある。抽象と具象が入り混じる鏡合わせの虚構の中で、私は、きっと何度もしくじってきたのだろう。

 衛宮士郎も、この道をたどるのだろうか。

「シナリオが全部でいくつあるのか、どこでフラグが立ってどこへ分岐するのか、それはわからない。けどあなたは、多分今までのどのアーチャーよりも、壊れていた。セイバーとも戦って、バーサーカーとも戦って、シロウとも戦って、戦って、戦って。ボロボロ、傷だらけのあなたが今回、どうなるのかそれは、でもやっぱり誰にもわからない」

「どうなろうとも、変わるまい。それが守護者だ」

「それは間違ってる。この世に、変わらないものなんてないのよ」

「変わるというのなら、私はこのまま酸化していくだけだ」

「――そっか。囚われてるのね、アーチャー」

「囚われている……そうだ、永遠に解放されることのない虜囚だ」

「世界にじゃない、自分に囚われているの。だから、狂った。シロウを殺せなかった」

 衛宮士郎は、言った。限界と可能性の境界で、人を殺さずに救うという、耳にしたこともない言葉。

 私はそれに、憧れたのだ。

 否定するためだけに歩いてきたこの道を、肩透かしにすら似た感触で、男は階段を駆け登ろうとしている。私はそれに憧れた。だが彼女はそれが壊れているという。最早この期に及んで、己のすべての判別の根拠が瓦解していく。

 私は、何を信じればいいのか。今までの自分か、これからの少年か、何もないのか。虚無。

 この選択の、正否を知る方法を、心から欲した。

「イリヤ、教えてくれ。壊れているのは、私なのか、それともあいつなのか」

 少女はただ、悲しそうな目をしただけだった。

 私は問い続けることしか出来ない。

「私はどうしたらよかったんだ。君は、正解を知っているのだろう」

「あなたは、どうしたかったの?」

「私は」

「わからないんだね。ずっとわからなかった」

 その指摘は、私に吐き気を催させるのに十分すぎた。

 さっきのように混乱はすまいという覚悟がなければ、また取り乱していたかもしれない。

「私は、衛宮士郎を殺そうとしていた」

「うん」

「だが、殺せなかった」

「なぜ?」

 吐き気がぶり返してくる。長い間の目的を、ただの勢いで否定することは、私にはどうしようもないほどの存在の否定なのだ。冷静さから手を放すまいと、懸命になった。なぜなのか、なぜ。なぜ。疑問から決して目を離すな。

「君がいう、壊れているというのは、私にはわからない。それは、当然だ」

「ええ、そうね」

「私は、遠坂凛を勝たせたかったのだ」

「それはサーヴァントとして?」

「そうだ。そして、かけがえのない友人として」

「つまり?」

「――彼女を悲しませたくなかった」

 思えば、召還を迎えた瞬間から、私は壊れていたのかもしれない、彼女のいう通り。不意打ちにも程がある再会に、そしてまたセイバーとの再会。混乱は一時頂点を極めたし、その中で、私の内部に変化が起きたというのか、やはり彼女のいう通り。

「……そうだ、彼女と共に過ごした、生活と闘争の過程で、衛宮士郎抹殺と、遠坂凛との聖杯奪取の二つが、並んだ」

「大事な、友達なのね。わたしにはどこがいいのか、全然わからないけどね? ――けどそれだけじゃない。頑張りなさい、シロウ。自分を見つめることは何より難しいけれど、絶対に逃げることは出来ないの。なぜならあなたは、そのために何度も、そしてようやく今、ここに――」

「セイバーが、いた」

「そうね。セイバーがあなたをたくさん壊したわ」

「セイバーの太刀で私の衝動が切り裂かれ、そして――私は、衛宮士郎に、とどめを刺されたのか」

 今まで歩いてきた全てを、否定した。殺すべき相手に、希望を重ね合わせてしまった。

 それら全てが合わさってのことだった。  イリヤの言葉が、あらためて身にしみた。

 ――貴方が自分殺しを諦めるなんて、ありえない事象だから。昔の自分に憧れるなんて、なおさら。

 凛がいた。

 己の一度目の死に再会した。そしてその救済。

 セイバーと出会った。

 現実が、私の記憶とは変調していく。

 度重なる戦闘。

 衛宮士郎。

 その全てが、重なりあった。やがて私を変えてしまった。

 あの背中に憧れたのも、決死を抱いたのも、別れも、全て。

 とどのつまり、今の私は、バグだとでも?

「それは違う」

 間違っていると、イリヤは見つめてきた。

「何度目なのか、それは全然わからないけれど、前に進んでる。あなたは絶対に前に進んでるわ。そして、シロウはシロウを前に進めてきた。時には後戻りもあったかもしれないけれど、今、ようやくここまで来たのよ」

「終わりに近づいているとでも」

「そうよ」

「嘘を、つくな」

「嘘じゃない」

「なぜ、君にそんなことがわかる。聖杯のポテンシャルを擁しているからか?」

「バカ」

 泣き笑いのような表情を浮かべて、小さな体が飛び込んできた。椅子がぐらついた。

 白い世界で私たちに椅子は一つ、ギシリと鳴って、私は懐古に溺れる。

「お姉ちゃんに、わからないことなんてないんだから」

 体全部を通して、答えが伝わってきた。私は、不思議と爽やかな気分になった。

 諦念と、安堵であった。

 私はそっと肩に手をやった。小さかった。そして熱っぽい。胸に顔を埋めたまま、イリヤはいった。

「逆だったのよ。あなたは、シロウに殺されるために、今まで歩いてきたのよ」

 それが最後の答え。

 薄々、気づいてはいた答え。

 いつの間にか再びスクリーンは下りてきていた。ココココ、と映写機が。

 向こうでは、苦悶を押し殺した衛宮士郎が、道場でセイバーと真剣を打ち合わせていた。鍛錬の枠を超えていた。戸惑うセイバーと、黙ってそれを見つめるイリヤ。

 男は、もう坂を上り始めていた。


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