赤い弓の断章   作:ぽー

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第四話

 全てを見透かしたような冬の空は、底が知れない。浅い膜の向こうには、きっと夜があるからだ。

 剣が板を傷つけるのを嫌って、訓練は道場ではなく庭でやっていた。セイバーに打ちかかる衛宮士郎、力強い太刀捌きだった。その代償として、男はたくさんのものを失いつつある。それは味覚であり、髪や肌の色であったりする。場合によっては、その他多くのものも。今、少年は私より早く力と喪失の両方を手に入れようとしていた。

 私は膝の上にイリヤを乗せたまま、静かにスクリーンに見入っていた。

 彼女と話あって通じた、一つの結論がある。

 奴が私を超える正義の味方となったとき、この身は消えるだろう、ということだった。私より上位の英霊としてなのか、あるいは違う形なのかは知る術もないが、きっとそうに違いない、ということで意見は一致した。

 セイバーに弾き飛ばされて、男は地面を転がった。砂をかみながら、膝に手をついて立ち上がる。目に深い色が滲んでいた。それは決して濁ってはいない。己の不甲斐なさに苛立ち、弱さに怒る色だった。

 己の力の及ばない理不尽に、男は怒っている。

 私だけでも、衛宮士郎のせいだけでもない。私を切りつけたセイバー。傷ついた私の同行を許可した凛。それらの布石を経てあの夜、巨大なバーサーカーを引き連れたイリヤが現れた。今では、全てが繋がっているように思えてならない。

 綱渡りはか細く、風も吹き、渡りきるにはつらく、狭く、ありえないことでもある。

 新都でも、深山でもダメだった。あの橋の上、あの戦闘、あの犠牲がなければ、衛宮士郎はこうならなかった。私もここまでなりはしなかった。どこぞで違った道を歩いたに違いない。いつかの誰かのように、どこかの私のように。真っ黒な逃走戦の末に、私が放った一撃が橋を砕いた。狂おしい程の境界面の中で、戦争に全く関係のない命が、失われた。衛宮士郎の変遷の出発点となった、夜である。

 そう、全て、あの夜から始まった。聖杯戦争第一夜の、あの橋の上からだ。

「それだけじゃないわ。その後もまた、殺人を止めれなかったのね。それも、自分が好きな人が、自分の身を守るために殺したの」

「……あの男か」

 蛇蠍のごとき拳を操る男の死。それもまた、衛宮士郎の変遷に関わったというのか。その男を守るために私を止め、だが守ったはずの男に襲われ、守りたかった少女が自分のためにやむなく命を奪った。

 無力の上に、また無力が押しかかる。

 イリヤが地面に降りて、私の足の上に頭を乗せた。膝を枕に、私にもたれかかる。小さな頭、髪はこの世のものとは思えないほどの白さで垂れた。

「そしてね、アーチャーが消えたこともあるのよ。自分がもっと強ければ、きっとあなたは消えずに済んだ、って」

 彼女の言葉は、私の考えの範疇の外だった。

「サーヴァントはいつか消える。それを肯んじることが出来ないのは、もはや冒涜だ。凛も私も、間違いなどおかしていない。最善をつくした」

「だから、なおのことなんだと思う。シロウ、弱いから」

 スクリーンを隔てていても、火花は目の前で弾けているかのようだ。セイバーが打ちかかっていく。全力の何割出しているかはわからないが、それでも士郎の体を吹き飛ばすには十分すぎた。鞠のように転がって、砂を噛んで、だがすぐに立ち上がる。

「でも、なんでかな。すごく悲しそう」

「この先やつが人を殺さないとしても、私が無辜の人間を殺めたから生きている、という十字架を外す日はくるまい」

「一生、背負うのかな」

「あいつは、甘さを捨てきれない男だからな」

「自分の名前を、いってみて」

「関係ない。あいつと私は、もはや違う生き物だ」

「一緒よ。同じなんだから。シロウが前に進むのは、シロウがいたからなんだから」

「そうだな……だったら、だからこそ私は、狂っててもいいのだよ」

「あなたは」

「私が橋の上で彼らを殺した。相応しい役柄ではあるだろう」

 俯いた白い頭を、くしゃっと撫でてやった。命が糧などと、どこまで堕ちたとしても私は、思えない。

 一握の砂ほどであろうと、意味があったと信じたいだけだ。

 

 

 

 いつの間にか訓練は終わっていた。庭には、刃傷やえぐられた跡が生々しく残っている。二人はもう屋敷へと戻っていた。

 セイバーと衛宮士郎の関係がどうなっているのか、愛し合っているのか、いないのか。興味は当然ある、が、それは表に出すべきものではない。どうなろうとも、私が端役でしかないという事実は動かない。それも、すでに退場してしまった大根だ。

 私は、愛した。それ以上の何が必要であろうか。

 ふと映写機の光量が落ちていることに気付いた。付いて従うように、世界の白さも落ちている。

「終わりが近いんだな」

「うん。聖杯の引力に負けて、あなたはちょっとずつ滑り落ちている。我慢することも出来るけど……シロウ、いいのね?」

「もういいと、思ったからこうやって落ちているんだろう」

 剣を振るって、私はたくさんの三叉路を選んできた。

 夢は、誰か一人でも欠けたのなら辿りつけはしないのだ。

 誰も選ばないのが、正義の味方なのだから。

 私は選んでしまった。命と、世界とを秤にかけてきた。今さらその愚を悔いることすら、無様だ。

 衛宮士郎は誰一人殺さないと叫んだ。

 その言葉に嘘がないのなら、本物の正義の味方になる道を選んだということだ。

 コントラストが浮き彫りになっていく。自分の過去を思わずにはいられない。殺して、積み上げた命の数は膨大で、救い出した命の数はきっとそれより多いはずだという、一念だけに支えられて走ってきた。命を奪って作られる平和など、薄っぺらいだけだということから目をそむけ続けて。

 しかし、もう終わる。

 結末は、薄らぼんやり近づいては遠ざかり、ようやくここまでやってきた。

 全く根拠はないのだ、だがこの妙な確信はなんと説明すればよいのか。私もイリヤも、方法も過程もわからないが、結末だけは理解していた。私が何のために戦ってきたのか、何のためにこの時代に来たのか、イリヤはそれが今回の聖杯戦争だといった。

「正義の味方、か」

「わたしには、なんだかよくわからない概念」

「ああ。私にも、本当のところ、理解してないのかもしれない」

 見果てぬ地平など、ありはしない。

 衛宮士郎よ、正義を目指すのだ。そして私の屍を越えていけ。その時こそ、私は完全に消滅する。世界は常に優れているものを選ぶ。使い捨てのゴミのように、この身はくびきから外れ、虚無へと脱落していくだろう。あるいは地獄の業火に投げ込まれる。

 夢を目指して敗れた末路が、それでも布石になることが出来るというのなら、喜びを伴ってもおかしくはなかろう。

 頭上の白さは濁りだし、灰色を混ぜて褐色に近い。最後は夜を迎えることになる。

 私の顔の下で、顔を上げて、イリヤが言った。

「シロウ、あなたが何をしたいのか言って。わたしが今だけあなたの目と口になってあげるから」

 赤い瞳と、私の腕を掴む小さな腕。私は頷いた。胸の底からむず痒い感覚が湧き上がってきた。肉親に対する情なのだと気付いて、私は頷いたのだ、たとえ彼女も限界に近いのだと知っていても。

 私たちはこの世界で二人きり、儚いまでに優しくなれた。

「言って」

「話したい」

「誰と?」

「――みんな」

 うん、と頷いて少女は私の手の上に手を重ねる。

 画面の向こうで、イリヤは立ち上がって居間を出た。全員が居間に揃って、凛が作った昼食をとっているところだった。残されたサーヴァントであるランサーと、ギルガメッシュについて話しながら食べている。

 ちょっと、と手を伸ばした凛に向かって、眠い、とだけ返す。それだけで手は止まった。イリヤは頻繁に横になっている。聖杯は、満ちるたびに壊れていく。だから、誰も何も言わない。追いかけようとする衛宮士郎を、彼女は一言で遮った。

 廊下を渡って、部屋を求めた。夕日がよく入ってくる家の中、眩しくて、この世界よりも白く見える。張り詰めるものは何もなかった。あっけないまでに障子を開けて部屋に入り、寝相の悪い顔がいびきをかいている。

「じゃあ、ちょっとだけ呼ぶね」

 小さな手が、藤村大河の額に置かれた。私はスクリーンから眼を離して、腰を上げた。すぐ右隣に新しく椅子があって、ぽかんと口を開けた彼女が座っていた。

「あれれ、ここどこ――あ、夢っぽい」

「夢よ。そしてすぐに忘れる幻」

 イリヤが膝の上から降りて、さあと促した。私は立ち上がって、彼女の前にまで歩いた。いつから、この人を小さく感じるようになったのだろうか。何もないまま、ずっと大きくある人だと思って、省みることはほとんどなかった。

「どちらさん?」

「……」

「……」

 私が誰なのかわかるわけもない。藤ねえは腰を上げて首をかしげる。その、仕草が私を射抜く。俺が、藤ねえに告げた別れは、どんな言葉だっただろう。家族だったんだ。だのに、俺は手紙一枚で片をつけてしまったような気がする。

「……なんだ士郎か」

 私の呼吸は、きっと止まっていただろう。

「士郎でしょ」

「全然、違うだろう」

「士郎の目だもん……ふーん」

 うんうんと頷きながら、私を上から下まで見る。そしてやおら、バーンと私の胸を両手で強く突いた。数歩よろめく。藤ねえは腰に手を当てて、説教をするように叫んだ。

「ばっかちーん! 染め直しなさーい! そんな髪の色似合わないんだから! 肌もなんか違う!」

 彼女の目は、私を、衛宮士郎だと疑っていない。

 言葉にならない気分に襲われて、苦笑がもれた。

「似合わないか」

「そしてそんな風に笑うのもダメ。なんかやだ」

「あいにく、これはもう治らない」

「ふんだ、染め直す。そんな不良モード、お姉ちゃんは許さないんだから」

「染め直す、か」

「士郎が不良になるなんて絶対許さないんだからね。ラージャ?」

「……ああ」

「ああじゃないでしょ。ほら、ちゃんとしなさい」

 ちゃんと。

「謝る時に、あんたは、ああ、で終わる子だったの」

「――ごめんなさい」

 うむ、と頷き、えへん、と胸を張って、許す、と勝利の余韻に口を開けて笑う。姿は、笑顔のまま霞んでいった。光量の減りが、藤ねえを隠してしまう。

 短い再会だった。

 スクリーンの向こうで、小さな手が額から離れた。

 私はまた椅子に腰を下ろして、ごめんなさい、ともう一度呟いてみた。

 いって尽きることのない、今まで口に出来なかった言葉だ。

 また一つ、暗くなっていく。

 

 

 

 発した言葉をたがえることなく、部屋に戻ってからイリヤは数時間眠った。あちらで眠ると、内側でも眠っている。椅子は知らぬ間に安楽椅子に変わっていて、小さい体を抱えたまま私はしばらく揺られていた。

 昼と夕方の間の時刻に、目を覚ました。廊下に出ると、ばったりと衛宮士郎に出くわした。

「イリヤ、体の調子悪いのか?」

「ちょっと横になったらすっかり治っちゃった」

 迷わず開口一番に答える。だが彼女の容態はもはや末期的だった。内側にいる私だから、わかることでもある。もうどうしようもないことを嘆き悲しむと、当人はさらにつらい。イリヤが笑っている内は、笑ってあげればいい。彼女の周りにはそういう人間ばかりだということは、きっと幸せなことなのだ。

 私は衛宮士郎が何を言うのか、おおよその見当が付いていた。

「そっか、ん、じゃあちょっと付き合ってくれないか? 無理しなくていいぞ」

「どこか行くの?」

「ちょっと教会まで……って、違うからな。イリヤを教会に預けに行くわけじゃない」

「お墓?」

「……ん。無理にとは言わないけど」

 イリヤははしゃぐように行くと答えて、駆け足で玄関へと向かう。靴を履いた二人は手を繋いで教会を目指す。道。川を渡り、また道。終わりのある道と、終わりのない道がある。いま二人が歩いている道に終わりがあったとしても、終わらない道に繋がっている可能性はいつだってある。

 この坂、一体上るのは何度目になるのか。今まで最も低い視点で上っている、ということだけははっきりしている。そういうと、イリヤは頬を膨らましてむくれた。

 極力穏やかに、坂を上っていく。そしていつかのように、チャペルの裏の墓地の、花に囲まれた墓標に立った。

 スクリーンの向こうのイリヤは、地面に溢れた一本の花を手にとって、香りをかいだ。

「わたしは、人の死を弔うことなんてしたことないの」

 男が答える。

「強制、するわけじゃない」

「うん。でも、あんまり嫌じゃない。多分、こんなにもたくさんの花があるから」

 そっと花を戻して、イリヤは歌った。白い喉が震えた。歌は、夕暮れを伝って天にまで上る。誰に届くことはなかったとしても、少なくとも二人の男には届いていた。

「わたしに神様はいないから、これしか思いつかなかった」

 衛宮士郎は、黙って小さな頭を撫でた。そしてもう一度手を合わした。私も――きっと、この少女の中にいるからだ――素朴なままに手を合わせていた。

 しばらくそうして、そろそろ視界が覚束なくなってきた。

 視線に気付いたのは私もイリヤも、衛宮士郎も同時だった。生ぬるく不快な眼光が、夜を一層暗いものにする。

「イリヤ、先に帰っててくれ。道わかるよな?」

「シロウは?」

「ここの神父にちょっと用事があって、すぐ帰るからさ。先に戻っててくれ」

「……無理はしないでね」

 視線の方向には決して意識さえ向けず、イリヤは士郎と別れて坂を下り始めた。

 あの二人が何を話すのか私たちにはわからない。その結果如何で、衛宮士郎の生き様が決まるかもしれないと思いはしても、傍観者でいるしかない。だから、どうでもいいことを私は口にした。

「お腹は減ってないのか?」

「ちょっぴり減っちゃった」

「じゃあ、商店街で何か買っていくといい。金は」

「ないけど、譲ってもらっちゃう」

「悪い子だ」

「うん。ふふふ」

 たい焼きを、暗示でもって一個譲ってもらい、それを頬張りながら間桐の家を目指して歩いていく。みんなと話したいといった。だから向かっている。心に何も纏わない私たちには、言葉さえいらなくなり始めている。

 冬木の冬は寒くはないが、ときおり風は出る。夕方にでもなれば、未遠からの風がこの通りも走り抜けるだろう。

 壊れかけの二人が町を歩いていく。

「マキリの聖杯は、今回は動かない」

 たい焼きを食べ終えると、イリヤはスウィッチが切り替わったような声で話した。

「ライダーが倒されたからだろう。それに、間桐慎二も死んだものと思っている。あの老獪は十分な手駒と八分の勝機がなくては動かん虫だ」

「それだけじゃないわ。サーヴァントの魂のほとんどを、もうわたしが回収してしまったから。聖杯は英霊の魂がなければ動かない。マキリは第六回まで待つ気よ」

 そして冬木は再び戦火に包まれる。より大きく、より深く、夜より暗く聳える塔が、世界を血よりも赤く塗り替える。冬木の町を風ではなく、もっとおどろおどろしくて取り返しのつかないものが、駆け抜けるのだ。

 あの戦いで、私は桜を殺した。

「他に、やり方がなかったんでしょう」

 いつだって、彼女の名前を聞けば手の平に意識が行く。感触を思い出す。

「そうだったかな」

「第六回戦争、見たよ。アーチャーの記憶、全部みたもの。桜を殺さなきゃ、もっとたくさんの人が死んでわ、間違いなく」

「知っている」

「……わたし、嫌なこと言っちゃったね」

「ああ、だから私の口になってくれ」

「シロウと、シロウのために」

「私のためになるものなど、もう何も残っていないさ」

 全てを捨てた所から、始まった道なのだから。

 この時代に戻って、抜け殻になってしまった赤い守護者は、けれどようやく終わることが出来る。

 桜を貫いて始まった修羅の道、私はその夜を越えた。越えた先にはまた新たな夜が横たわっていて、今でも明けないままだ。私が腰を下ろしているこの聖杯の淵もまた、暗澹としていくように。

 間桐の屋敷に着いた。

 呼び鈴を押してしばらく待った。ふと、慎二にも会いたいと思ったが、向こうは会いたくもないだろう。

「シロウ、どうするの?」

「君の口からでいい。一言だけ」

「――うん、わかったわ」

 短い応答のあとに、パタパタという足音が聞こえた。徐々に近づいてくる彼女の気配が、今まで平常だった私の精神を、急速に、簡単にえぐり落としていく。

 イリヤが私に聞いた。

「けど、どうしてそこまで間桐桜のことを?」

 そんなこと、考えるまでもない。あの顔、あの声、仕草も、過ちまで含めて全部。

 ――初めて出会ったときの、どこか遠慮しがちな少女。

 ――次第に仲良くなって、料理を教え始めたら思った以上に素質があったこと。

 ――縁側でのんびりと、一緒に彼女の好物のまんじゅうを食べたこと。

 ――彼女の料理の味。繊細で、どこかあったかくて、甘い。

 出会った時から知っていた。一緒に過ごしてもっとわかった。気付けば失えないものになっていた。

 心の底から、思える。

「桜は、本当にいいやつだから」

 扉が開いた。

 紫の髪が目に映えた。スクリーン越しなのかと疑うほどだった。目をそらしたくなる罪深さを、許して欲しい。私は気付けば立ち上がっていた。スクリーンのすぐ前まで歩いた。目が合う。桜の顔。何も変わらない。懐かしさで、話そうとしていたセリフを全て失した。

「あ、あなたは」

「名前くらいは知っているでしょう?」

「……アインツベルン」

 イリヤはスカートの裾をつまんでお辞儀しながら、お茶のもてなしは結構よ、と。

「な、何の用ですか。わたしはもうライダーを失って」

「早とちりしないでね。わたしは言伝を頼まれているだけだから」

「……言伝」

「あなたもよく知っている人からの」

「……誰?」

 そのきょとんとした表情が、私をさらに揺さぶった。こんなに普通の女の子を、どうして守れなかった。なんでなんだ。君はそこにいるじゃないか。こんなにか弱い少女を守ることが出来なくて、他に何をしようというのか。

 口と喉が、イリヤの体と連動していることに気付いた。

 涙が一滴、こぼれて落ちた。この世界は、私を丸裸にする。震えた。腰を抜かしそうになるくらい、なんだって俺は弱い。涙が溢れて止まらない。イリヤが、そっと手を繋いでくれなければ、言葉は喉の奥で死んでしまっていたかもしれない。

「桜、気付けなくてごめん。君がそんなにも苦しんでいたなんて、わからなかった。許して欲しい、なんて言えないくらいだ。だから、ただ、ただ」

 吃った。走馬灯の中を駆け抜けた。血生臭い風に、涙は溶けた。

 私は、いえた。

「衛宮士郎には、君が必要だから」

 そこで感覚が途切れた。私は言うことが出来た。椅子に身を落とした。二つ三つ言葉を交わして、イリヤは踵を返した。町の風の中に戻った。丘を登っていく。家を目指してく中で、ひどく寒いと思った。世界は、目を見張るほどに暗さを濃くしていた。

 唐突に、誰も死なせたくない、と強く願う自分を見つけた。

 嫌な気配がする、とイリヤがいったのと、ほとんど同時だっただろう。


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