赤い弓の断章   作:ぽー

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第六話

 二度目の朝を迎えた。

 夜、寝静まったころに一度外出をしようとしたが結局思いとどまった。昨日と同じように屋根の上で朝陽をのぞんだ。

 衛宮士郎を殺すということ。焦る必要はないという考えと、問答すらなしという考えが私を揺さぶっていた。留まることになったのは、ひとえに凛が原因だ。彼女を危険にさらしてまで赴くリスクを負う必要はない、と考えた。いつも通りの嘘で塗り込まれた偽善だった。いざという最終局面になれば、私は迷うことなく彼女を見捨てるであろう。よっぽどのことがなければ、彼女に最後まで付き従うということはない。衛宮士郎を人知れず殺害して、あわよくば聖杯さえ手に入るというのなら、そして彼女が私の邪魔さえしなければ、といういくつもの条件が重なったときだけである。そんなもの、皆無に等しい。それこそよっぽどだ。だが、自然と外套の内ポケットに滑っていた右手は、温かい鉱物を痛いほどに掴んでいた。

 家の中へと戻った。

 冬とはいえ、屋敷の造りが実に巧妙で寒さはそれほど感じない。熱を逃がさないようになっているのだろう。

 凛が起きてくる前に、私は湯を沸かして紅茶の用意をする。大体の時間だ、というくらいに上の階で扉の開く音がする。やってきた凛の格好を見て、私は昨日の朝より非道いと思わず顔をしかめてしまった。

「……おはよう……なによ変な顔して」

「少なくともそのセリフ、今の君には言われたくないな」

「……あぁ? なによどっか変な所でもある?」

「どちらかと言うと、まともな所を探すほうがむずかしいな。とりあえずパジャマがはだけているぞ。まずは着替えてくることを推奨するが」

「……げっ」

 割かし整理の行き届いている一人暮らしでも、こういうところはやはり不精になるのだろう。どたどたと音を立てて部屋に戻っていく気配を察しながら、私は厨房に戻って熱したフライパンに卵を落とした。だらしのない彼女を見ると、何故だか無性に情けない気持ちになり、せめて朝ごはんくらいはと思ったのだ。

 五分後。戻ってきた彼女の格好は、至って正しく整っていた。

「あらためて、おはよう。ちょっと見苦しいところを見られちゃったわね」

「確かに色気も何もない見苦しいものだったが、まぁ、人間悪癖の一つでもないとつまらないものだ。おはよう」

「……さっきのは完璧に私の失態だったから、いい。口を噤むわ。で、何かいい匂いがするんだけど……タマゴ?」

「ああ、出しゃばりだとは思ったが、どうにも放っておけなくてね。無理にとはいわないが」

「食べるわよ。普通朝は抜くんだけど、せっかく作ってくれたんだし」

 言いながら椅子に腰を下ろす。私は皿に盛り付けたオムレツと、淹れたての紅茶をカップに注いでテーブルに置いた。質素なものだが、朝飯を抜くのだというくらいだから、この程度でいいと思えたのだが。

「多いわ」

「なに」

 彼女はそんなことを言う。

「ふむ。そこまで小食だったか。だが食べねば大きくはなれないぞ。特に今は成長期なのだから」

「朝から小言はいいわよ。とりあえず、多いの。オムレツが大きい。私一人で食べても残るから、アーチャー、貴方も少し食べて」

「それは、命令かね?」

「ええそうよ。貴方は目の前のオムレツを食べない限り永久に束縛を受け続ける」

「む。それは食べねばなるまいな」

 向かいの椅子に腰を下ろして、二本目のフォークを手にした。カチャカチャと一口二口と味を確かめる。腕は鈍ってはいない。自分でも欠点が見出すことの出来ない、見事なオムレツだった。

 食事中、二人の間に特に会話はなかったが、食べ終えるころにはすっかり本調子を取り戻したようで、饒舌さ加減も回復していた。やれどこで作り方を習ったのだと、自分より上手で悔しいだのかしましい。紅茶の香りを口に含んだ所で、ようやく落ち着いてくれた。

「さて、落ち着いた所で今日の予定なんだけど。今日というか、今後の活動予定ね」

「ふむ。どうするのかね」

「この格好みてわからない? 登校するの」

 確かに朝着替えてきたのは学校の制服のように見える。が、彼女はもうすでに一般の学生とは一線を画している。私は聞き返した。

「なに、学校に行くだと?」

「ええ。何か問題あるかしら、アーチャー」

「……問題はないが、しかし、それは」

 出かかった反論を、私は飲み込んだ。彼女は愚かではない。賢明であり、そして何より頑固だ。昨日一日かけて思い出したことだが、これと決めたら梃子でも動かない。この件に関しては十分に考えているだろうから、反論する意味はないだろう。だが一つだけ忠告はしておくことにした。

「凛。マスターになったからには、常に敵マスターを警戒しなくてはならない。学校という場は、不意の襲撃に備えにくいだろう」

「そんなことはないけどね。いいアーチャー? わたしはマスターになったからって、今までの生活を変える気はないわ。それにマスター同士の戦いは人目を避けるモノでしょう? それなら人目につく学校にいれば、不意打ちされる事はまずないと思うけど」

「……そうか。凛が決めたのなら私は従うだけだ。だが、霊体化して君の護衛をするぐらいはいいのだろうな。まさか学校に行っている間はここに残れ、などとは言うまい」

 当たり前じゃない、とカカと笑う。要点は踏んでいるようなので心配はなさそうだった。

 とはいえ、やはり見通しが甘いことに変わりはない。私は付け加えた。

「もしもの話だが、その安全な場所に敵がいたとしたらどうする」

「? なに、学校にマスターがいるかもしれないって仮定?」

「そうだ。確かに学舎には生徒と教師以外は入りにくいが、すでに内部の者がマスターだとしたら厄介ではないか」

 それはないんじゃないかな、と紅茶を口にしながら楽観的にいう。

「この町には魔術師の家系は遠坂と、あと一つしかないの。そのあと一つっていう家系は落ちぶれているし、マスターにもなってないし」

「マスターになっていないと、どうして判る」

 あのね、と教師然と説こうとする彼女。

 その後、強固に学校にマスターなどいるはずないと強固に主張を繰り返す凛と、可能性について指摘し続ける私の間でと、しばし不毛な論議が続いた。

 決着は、もしも学校にマスターがいたとすれば、それは魔術師遠坂凛の見通しが甘かったと認める、という具合だった。私の気持ちは半ば晴れ晴れしい。学校には少なくとも一人は、魔術に携わっている者がいるのだと断言できるのだから。

 遅刻しそうな時間になったので、彼女を促して出発した。私は霊体に戻り寄り添う。

 冬木の町はいまだ眠っている。夜や朝という意味ではなく、じきに轟音と共に目が覚めるだろう、ということである。精々、今は幸せな夢と共に安眠を貪ればいい。

 学校には時間前に間に合った。まばらに登校する生徒に混じって、学園の中に足を踏み入れようとするが、その空間の歪さ加減に愕然として、二人して開いた口が塞がらなかった。

「驚いた。もしもの話ってホントにあるのね」

「ああ、私も驚いている。いや、何事もケチをつけておくものだな。思わぬところで役に立った」

 とはいえ、勿論これを見越していたわけではない。校舎と校庭をぐるりと外界から断絶するように、吐き気を催すほどに無粋な代物が敷かれていた。ひとたび発動すれば、内に居る人間を根こそぎ貪ることになるその趣味の悪さは、扱う者共々無粋以外に形容する言葉は当てはまらない。

「空気が淀んでいるどころの話じゃない。これ、もう結界が張られてない?」

「完全にではないが、既に準備は始まっているようだな。ここまで派手にやっているということはよほどの大物か……」

 とんでもない素人ね、相槌が飛ぶ。

「で、君はどちらだと思う、凛」

 肩をすくめて不敵にいいのけた。

「さあ。一流だろうが三流だろうが知ったことじゃないわ。わたしのテリトリーでこんな下衆なモノ仕掛けたヤツなんて、問答無用でぶっ倒すだけよ」

 フンと鼻を鳴らして、戦地と変貌した土地へと足を踏み入れた。

 学校内部は、至って普通の空間だった。

 彼女のプライベートな所用の関係もあるので、私は霊体になりはすれど四六時中ベッタリというわけではなかった。安全を確認できる場所であれば、なるべく彼女の邪魔にはならないように場所を移し、その一方、校内で行き交う人々の顔に目を配っていた。あいつはいないかと、あいつはいないかと、私は凛に気づかれない程度に、気を配り続けた。

「アーチャー、何か気になることでもあるの」

 が、すぐに気づかれた。昼食時である。

「む。何故だね」

「わかるわよ。なんかキョロキョロした雰囲気だし、そんなに学校が珍しい?」

「いや、そういうわけではないのだが」

 私は慌てずに、あらかじめ用意していた答えをいった。

「結界のポイントを探っていた。君のことだ、今日にでもその正体を暴いてあわよくば解呪しようと考えているのだろう? なるべくその手間を省こうと考えていたのだが」

「あ、なーんだ。じゃあ同じことしてたのね」

「君もか」

「まあね。無駄は嫌いだし」

「では余計なことをしてしまったな」

「何を殊勝なことを。ありがたいわよ、学業しつつですもの、目星つけたといっても大概外れてたっておかしくないわけだし、その点貴方と同じポイントを探っていたんなら確率はグンと上がるでしょう? で、何箇所見つけたの?」

「ゼロだ」

「……なんだ、一緒か」

「如何せん人が多すぎてはダメだ。結界の刻印とは思念で彫るものだ。こうまで大量に雑念が飛び交っていると、どうにも難しいものがある。人がいなくなる夕方に、一つ一つ念入りに調べねばなるまい」

「ま、その確認が取れただけでも良しとするか」

「人が来た。次は夕方だな」

 小さく手を振る凛を傍目に、私は再び空気と同じ存在に戻った。もう男を捜すことはしなかった。たとえそれが些細なことでも、次は彼女に不審と思われるだろう。下らないミスにはまるわけにはいかない。

 学校というものは時間が過ぎるのも早いようで、夕焼けが燃える放課後は、大して待つ間もなくやってきた。校舎内に、人はもうほとんど残っていない。

「始めるわよアーチャー。まずは結界の下調べ。どんなシロモノかを調べてから、消すか残すか決めましょう」

 気配で肯定を示した。

 丹念に校舎内を探索していく。刻印は一応隠されてはいるが、その方法は大雑把なものだった。とはいえ校舎内をしらみつぶしに探していくのも時間がかかるもので、屋上に彫られた最後の起点を見つけたころには、日も完全に沈み、辺りはとんと暗くなっていた。

 起点は屋上の中心に、どうどう赤紫色に輝いていた。まるで死者の血で描いたようなどす黒いその色。その実、内部の人間を余さず貪り尽くす、結界としては最も凶悪な部類に入る代物だった。

「……まいったな。これ、わたしの手には負えない」

 悔しそうに歯噛みをした。結界を形作っている技術は、現代の魔術師レヴェルにどうこうできるものではなかった。術者自らが解呪を望むか、また消滅しない限り、いつ何時でも作動できる殺戮兵器のままここに在り続ける。

「アーチャー。貴方たちってそういうモノ?」

 この結界は、ヒトの魂を食らう。

 魂食い。遠坂の名を継いだ幼い少女の賢明さは、わずかばかりのヒントだけで私たちの動力源についてまで推察する。

「……ご推察の通りだ。我々は基本的に霊体だといっただろう。故に食事は第二、ないし第三要素となる。君たちが肉を栄養とするように、サーヴァントは精神と魂を栄養とする」

 だから私が彼女と食事を共にしても、原理的には何の作用ももたらさない。食事というのならば、この呪文の結界をそう呼べることだろう。

「栄養を取ったところで基本的な能力は変わらないが、取り入れれば取り入れるほどタフになる――つまり魔力の貯蔵量があがっていく、というワケだ」

「――マスターから提供される魔力だけじゃ足りないってコト?」

 結界をなぞる指がわなわなと震えているのが見て取れた。

 私は率直に言った。直面している事態を歪曲して伝えたからなんになるのか。聖杯戦争に正面よりうってでるのなら、彼女はなおのことしっかりと受け止めなくてはならない。

「足りなくはないが、多いに越したことはない。実力が劣る場合、弱点を物資で補うのが戦争だろう。周囲の人間からエネルギーを奪うのはマスターとして基本的な戦略だ。そういった意味で言えば、この結界は効率がいい」

 なにしろ人間全部を胃酸で溶かすようなものなのだからな。その言葉は、いわないことにした。

 私のそれは無言の問いかけだった。答えはわかっている。わかっていてなお、答えを言わせる理由が実は私にもよくわからない。ただ、少女の強さを、実感できるのはこの上もなく喜ばしいことなのだということだけがはっきりしている。

「それ、癇に触るわ。二度と口にしないでアーチャー」

 そして彼女は人の期待を裏切らない。

「同感だ。私も真似をするつもりはない」

 私は力を込めて返答した。魂食いなど、下卑たものだ。

 さて、と言って彼女は左腕の魔術刻印をむき出しにして、床の呪刻に差し出した。呟くように詠唱をすると、刻印は鈍い青色に輝き、呪刻に一定量流れ込んでその働きを阻害した。応急処置のようなものだが、今出来るベストだろう。

「ふう」

 仕事は終わったと、安堵の息を吐いたそのときだった。

「なんだよ。消しちまうのか、もったいねえ」

 獣臭をともなう、不適な声。

 凛が反応するより早く、私は闖入者の姿を捉えた。給水塔の上、我々二人を見下ろすように立っている男は、にやにやとした笑みを張り付けながら、全身に満ちる魔力と意志で武装していた。

 共鳴がある。いや、共鳴などなくても明らかだった。人に、ここまで冷たい殺気と、身を竦ませるような怖気が発せるわけがない。サーヴァント。凛が、動揺を押し殺して聞いた。

「これ、貴方の仕業?」

 男はまさかという風に首を振る。

「いいや。小細工を弄するのは魔術師の役割だ。オレ達はただ命じられたまま戦うのみ。だろう、そこの兄さんよ」

「やっぱり、サーヴァント……!」

「そうとも。で、それが判るお嬢ちゃんたちは、オレの敵ってコトでいいのかな?」

 凛の体が硬直する。おののいたのか、と考えたが体の硬直は一瞬だった。もうすでに現状を把握し、打開すべき方策でも考えたのだろう。

「ほう。大したもんだ、何も判らねえようで要点は押さえてやがる。あーあ、失敗したなこりゃあ。面白がって声をかけるんじゃなかったぜ」

 男の手に、槍が生まれた。過程はそれこそどうでもよかった。その男の手に、その槍が握られているという現象が、この上もなく凶悪なのだ。

 少女が飛ぶ。飛来する穂先は、彼女の残像を切り裂いた。スパンと小気味よい音を立ててフェンスが裂ける。

「は、いい脚してるなお嬢ちゃん……!」

 男は槍を構えて突っ込んでくる。凛の決断は早かった。詠唱は聞き取ることもできないほどに早かった。その体が軽やかにフェンスを飛び越える。

「凛……!」

「わかってる、任せて……!」

 背後から、青い男の影が迫る。追いつかれる、そう思ったときには凛は二度目の詠唱を唱えていた。重力因果を操る魔術は、落下速度を数倍増しにして地面へと迫らせる。

「アーチャー、着地任せた……!」

 高速で地面に激突する直前に一瞬だけ現界し、同時に彼女の体を抱き上げ、一足で衝撃を殺してそのままグラウンドを駆け抜ける。再び身を隠すように幽体へ。凛の脚は予想以上に素早く、青い男に追いつかれることになろうと、合計二十秒もかからないうちに、決闘地は屋上からグラウンドのど真ん中へと移された。

「いや、本気でいい脚だ。ここで仕留めるのは、いささか勿体なさすぎるか」

「アーチャー――!」

 現界する。同時に戦闘態勢へと移行する。

 干将は容易く顕現した。出会いすらいつだったか定かではないほど、古くから手に馴染んだ剣だった。

 槍使いの顔が歪んだ。

「へえ。いいねえ、そうこなくっちゃ。話が早いやつは嫌いじゃあない」

 そして赤い槍を斜に生み出す。赤かった。槍は、恐らく貫いた心臓の数だけその身を赤く染めてきたのだろう。背後で凛が息を呑むのがわかった。

「ランサーの、サーヴァント」

「如何にも。そういうアンタのサーヴァントはセイバー……」

 言いかけて、男の顔が牙を向いてさらに歪む。

「って感じじゃねえな。何者だ、テメエ」

 獣じみていた。吐く息が殺気で匂った。濃厚な戦闘意欲が、突風のように青く赤く振りまかれた。

 やがて男は、やはり獣の洞察力で悟り、鼻を鳴らしていった。

「ふん。真っ当な一騎打ちをするタイプじゃねえなテメエは。ってことはアーチャーか。いいぜ、好みじゃねえが出会ったからにはやるだけだ。そらエモノを出せよアーチャー。これでも礼は弁えてるからな、それぐらいは待ってやる」

 侮蔑と嘲りを混ぜた口調だった。敵軍に正面より突貫をはかる槍使いからすれば、影に隠れ隙を射抜く弓手の力など恐るるほどもないと思えるのだろう。甘さだった。しかし、その甘さを加味してもなお目前の男は身体に爆発力を秘めた、獣であるに違いない。

 私は純粋には弓手ではない。剣を生み剣を振るう半端を極めた魔術使い、種族のために種族に反する英霊だ。しかして今は強大なマスターを得た一個のサーヴァント。必要なのは意志と令。それさえ下れば、何の憂いもなく目前の槍手を向こうに回して互角以上に渡り合える。

 セリフは、それこそ絶妙のタイミングで私に届いた。

「アーチャー、手助けはしないわ。貴方の力、ここで見せて」

 まったく、小気味良いセリフだ。ゆえに遠坂凛。君は最強なのだ。

 走る。間合いの外より間断なく差し迫る赤い穂先を、私は干将にて弾いた。三つは胸、二つは腹、さらに頭と足、擬態を合わせて八と一手が襲ってきた。

「たわけ、弓兵風情が接近戦を挑んだな!」

 ランサーの前進。分厚い壁のような圧力が、二人の間で急速に密度を増した。突き切るために前進を止めない槍手を、私は弾き流しつつ迎え撃つ。揺らぐ穂先。早いばかりではなく、槍の軌道は幾重にも擬態がかけられている。見事な技だった。だが、視認しきれないものではなかった。やはり男は私を侮った。長得物が間合いという武器を放棄したのだ。一度目のチェック、そう思い干将を振り、一歩を踏み込んだ。

 しかし瞬間、赤い槍は真に幻影のみのものとなった。

 回転は速度を増した。擬態などない。この剛直こそが元の槍。明確な貫通意思をもった赤い牙は、私の手首ごと容易く干将を無力化する。

 前進を踏みとどまる。死線は拡大された。ランサーはそのアビリティを一呼吸ごとにぐいぐいと剥き出しにしてくる。

 円の動きの干将。守備範囲が徐々に届かなくなってきた。青い男は楽しむように攻め手を繰り出してくる。加速し続ける。最速の称号はこの男のためにこそある。美しい赤槍と相まった一撃が、私の手から最初の得物を弾き飛ばした。

「間抜け」

 一拍。数歩の間合いは完殺の助走距離。急所に迫る三連撃は、一つでも防げなかったら死へと至る。まさしく一つ一つが必殺の、真にサーヴァントの攻めであった。その一拍が、私にとっても等価でなければ必殺の文字が覆ることはなかったであろう。

 干将莫耶は対にて一振り。莫耶。干将。揃えば守りは団塊の如く。円と円が響きあい、軌跡は螺旋を描いて敵の接近を許さない。突き分けられた三撃ともを、私はしたたかに打ち払った。

「ハ、弓兵風情が剣士の真似事とはな!」

 ランサーが笑った。刺突がさらに速度を増す。増すが、双剣揃いし反り返る干将莫耶は、弾き跳ね返し接近を許さない。私の前進を促す。ズチャリと、私はブーツを鳴らした。一歩踏み込んだのだ。同時に、両剣諸とも槍の圧力に負けて弾けて飛んだ。間断なく、私は再び二本を錬成する。槍が鋭く迫るたびに干将が消え、重さを増して走るたびに莫耶が消える。その度に、私は錬成しなおし一歩の差を埋めるのだ。

 事実。接近戦での分は向こうにある。世界に覇を唱えた槍の威力は生半ではない。

 私は一歩を、さらに深く踏み出した。槍が不可侵を唱えながら気勢の飛沫を上げる。死線拡大。引くか。否。さらに一歩。その槍が世界を制していようがいまいが関係ない。私は私と彼女の理屈を以ってこの校庭での戦いに覇を唱えるのみ。錬成。剣戟音。さらに錬成。私の気勢は沈黙を以って前進への活力を漲らせる。赤い制空権を、私は一歩ずつ侵食していった。

 ランサーの顔から余裕が消えたのと、豹のような瞬発で後ろへ飛びのいたのは同時だった。

「二十七。それだけ弾き飛ばしてもまだ有るとはな」

 宝具。サーヴァント同士の決闘となれば、言及するまでもなくその存在がキーとなる。

 極論を恐れぬならば、あらゆるステータスがツーランク以上相手に劣っていたとしても、宝具のランクが相手の存在を根本から犯してしまうほどのものならば、勝負の行方は全く変わってくる。故に宝具の出し惜しみ、英雄の出処を窺ったりと、腹の探りあいも甘く見ることは出来ない。

「どうしたランサー、様子見とは君らしくないな。先ほどの勢いは何処にいった」

「チィ、狸が。減らず口を叩きやがるか」

 ランサーはそれを懸念していた。ランサー、というからには宝具は明らかにその槍だ。私に限定するならばその真名さえ既に定かであるその槍を宝具として従えるからこそ、ランサー足る。

 それに対してアーチャーの私は短刀二本で渡り合った、というところで見込みが外れたのだろう。この戦いの第一の局面の拠点は、ランサーが私の宝具を引きずり出すか否か、だったのである。

 青い男は、それでも強敵と巡りあえた喜びか、口元を吊り上げながら言った。

「いいぜ、訊いてやると。テメエ、何処の英雄だ。二刀使いの弓兵なぞ聞いた事がない」

「そういう君は判りやすいな。槍兵には最速の英雄が選ばれるというが、君はその中でも選りすぐりだ。これほどの槍手は世界に三人といまい。加えて、獣の如き敏捷さといえば恐らく一人」

 それもまた、腹の探りあいだった。ケルトの朽ちぬ神話を、たかが敏捷さくらいで推せるわけがない。不遜で口が腐る。私が察したのは携える槍のためである。一目見るだけで武具の内面を見通せる、私の特性がそれを教える。その真正の槍を扱えるものなど史上ただ一人。

「――ほう。よく言ったアーチャー」

 私がまだ肉のある頃、紐解いた武具の歴史にもその存在は刻まれていた。具現化しようと思えば出来るが、扱うとなれば話が違う。比喩ではない、必殺の呪いは、扱いが未熟であればセカンドの標的である己の心臓を狙い打つ。

「――ならば喰らうか、我が必殺の一撃を」

 天地分かつ槍の構え。発散されていた殺気が、収斂する。

 第二の局面。いざ、言わばこれからが殺し合い。

 放たれた瞬間に死が決定付けられる魔槍の中の魔槍は、果たして七枚連ねた牛皮を破れるのか。幾百の刀剣の攻勢を打ち破ってなお特異性を保持し続けていられるか。ここでその干満を比べてみるのも、悪くはない。

 先の一瞬まで、この戦場にいつ見切りをつけるかということを私は考えていた。私ばかりではない。腹の底ではお互いそれを念頭に置いていた。ランサーの宝具が牙を剥くまでは、である。魔力の凝縮具合は甚だしい。空間のマナを根こそぎから吸い上げ、液体レヴェルにまで密度を上げていく。穂先から今にも血が滴ってくるかと錯覚してしまいそうになる。一も二もなく来るのか。ランサーがここを決戦の場と据えたのなら、私に拒むことは最早できない。剣製の段階を両手に備え、告げた。

「止めはしない。いずれ越えねばならぬ敵だ」

 風が止まる。

 耳鳴りが校庭を駆け回る。

 死の予感は、尋常を遥かに越えた。刹那の後、ランサーは真名を叫ぶであろう。千の棘が、音を破って迫り来るであろう。

 いずれ越えねばならぬのなら、今この場で朽ちるとしても越えねばならぬ。高揚した。戦いだった。血肉も魔力も、この時とばかりに熱を上げる。けれども、ついぞ武器がもう一度激突することはなかった。

 足音。校門の方。

「――誰だ!」

 音のした方向へ、ランサーは燕のように飛んで行った。この戦場を盗み見ていた男の顔を、私は見た。男は、怯えた表情を顔に張り付けて、背を向けて駆け出していた。ふと、急激に弛緩した空間が、止めていた呼吸を吹き返すかのように風を呼び戻した。

 凛が驚きの声を上げる。

「生徒!? まだ学校に残っていたの!?」

「そのようだな。おかげで命拾いしたが」

 間違ってはいない。恐らく私が生き残る確率は三割もなかったであろう。その三割を狙い撃つ自信はあったが、半分以上負けていたことには変わりはない。

「失敗した、ランサーに気をとられて周りの気配に気づかなかった……って、アーチャー。アンタ、何してんの」

「見て判らないか。手が空いたから休んでいる」

「んな訳ないでしょ、ランサーはどうしたのよ」

「さっきの人影を追ったよ。目撃者だからな、おそらく消しに行ったのだろう」

 彼女の顔が、驚きと苦痛で歪んだ。

「追ってアーチャー! 私もすぐに追いつくから!」

 私は束の間戸惑ったが、反論を飲み込んで駆け出した。魔術師ならば、見逃す局面である。むしろ見逃さなければならないのがルールだ。追うというのは失策ですらない。選択肢に入れてはならないのだ。摂理なのだから。

 凛はそれを選ばず、狭窄な人の道を選んだ。鎌首をもたげる運命の予感を胸に、私は不安定な気持ちで毒づいた。こういうイレギュラーのために、さらなるイレギュラーが生じ、世界に矛盾が発生する。例えば、死ねばいいやつが死なずに生き残ったり。

 私はそんなことを考えながら、追った。

 この距離ならば校舎まで五秒もかからないが、ランサーならばさらに素早く達するだろう。そして一秒でも時間があれば、ただの人間など蚊を叩き潰す程度の労力で屠ってしまえる。要するにもう手遅れなのだが、私は急いでいた。なぜか、急がねばならないのだと強迫観念が私の筋肉を縛り付ける。見なければならない。確認しなければならない。いつからかそう考えていた。確信はなかった。だが、最早、疑う余地など何処にあろう。

 校舎に駆け込み、廊下を駆ける。すぐに窓の向こうへと飛び出していく青い男の残像が見えた。それよりも、私は噴出する血の匂いに意識が向いていた。近づいていく。まるで虫のように、床にうつ伏せになった学生は、静かに血を床に広げながら、臨終のときを迎えていた。傷は胸を貫通していても、流れ出る血は少ないほうだった。なぜなら、槍が一撃で、綺麗に心臓を刺し殺したからだ。血を全身に巡らせる役割を持つ心臓が潰れれば、当然血が溢れ出ることもない。体内で無為にたゆたって終わりのときを迎えるだけだ。死は存外静かにやってくる。肺はまだ生きているので、何とか呼吸は出来はすれど苦しいことに変わりはない。確か耳もまだ聞こえているだろう。

 私がそうだったように。

 そしてもうすぐ、彼女が駆けて来る。その懐には赤い宝石を忍ばせて。

 身震いした。私は私の重大な過去を、目撃する。

 今宵。運命の夜。

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