赤い弓の断章   作:ぽー

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第八話

 覚醒する。気を失っていたのは、大した時間ではない。

 欠損は激しいがどうにか繕いは済んだ。実体化しても外見的にはなんら問題はない。供給されている魔力の大半を回復に充てているので戦闘は満足に出来はすまいが。

 ただ、どうやらセイバーとの戦闘はないようである。状況は何やら温和な方へと傾いていた。凛と衛宮士郎の和解によって、セイバーも渋々剣を収め、衛宮家へと入っていく。衛宮士郎への感情は、とりあえず抑えておいた。

「凛」

 霊体のまま、彼女にだけ聞こえるように話しかける。玄関をくぐりつつ、表情も変えないまま彼女は答えた。

「アーチャー、無事?」

「何を基準にして決め付けるかは判断に迷うが、とりあえず消えはしない。どれほど力が出せるかは、やってみないとわからんな」

「大体でいいから」

「三割だせれば、御の字といったところか」

 斬撃は胴体の三分の一に達し、付随する風の渦が内腑に届いていた。傷を修復するたびに用いた魔力はかなりの値に達し、三割というのも正直疑わしいほどだ。

「いいわ、アーチャー。貴方は屋敷に戻って。あそこは霊脈としてもかなり優秀だから、居るだけでもだいぶ違うはずよ」

「離れろというのかね」

「一日に三度も戦闘はないはずよ。あのとぼけたやつ、一応知り合いだから問題ないわ。それに、傷ついたあなたがいたってセイバーが本気を出したら私もあなたも一太刀でやられちゃうだろうし」

「すまないマスター。私は、遅れを取ってしまった」

「ちょっとちょっと、責めてるわけじゃないんだから。私だって無反応だったしあなたは私を庇って……いい、不毛ね。この話はまた今度で、とりあえず今は遠坂の屋敷に戻って頂戴」

 束の間迷った。確かに彼女の言うことには一理ある。何がどうあろうとも、衛宮士郎は絶対に他人に危害を加えない。セイバーが戦いを望もうとも、決してそれを許すことはないだろう。逆に危険が迫れば、己を盾にしてでも遠坂凛を守るに違いない。そういう男だということを、私は誰よりも知っている。というならば、私は遠坂邸に戻って一刻も早く体を元に戻すほうが無駄がない。そういうことだ。

 だが、果たして三度目の戦闘はないのか。このもどかしさは、予感めいた嫌なものは何か。

 私は言った。

「いや、残ろう。土地の魔力含有量というのは我らにとっては雀の涙だ。それにこの先何が起こるかわかったものではないし、三度戦わないとは誰にも言い切れない。違うな、二度在りえたのなら完全に三度目は来るのだ」

「冗談。でも、まぁ万が一……っていつかもこの単語いったっけ。まぁいいわ、万が一戦闘に入ったとして、勝てるの?」

「三割とはいえ、戦えないというわけではないし要はやりようだ。それに君が死んだら、元の木阿弥というやつだ。忘れてないかね?」

「……ええ、いいわ許す。その身に代えても私を守って頂戴」

「了解したマスター。そうだそれでいい、サーヴァントなど所詮使い魔だよ。君は君の思うまま、私を行使すればいい」

 霊体化しているときは特に契約者とのパスが強固になる。なので、不機嫌になったのだなとすぐ知れた。この少女の恐ろしい所は、それをおくびにも出さずに相手をいなす所なのだろう。廊下を進みながら、不意にくるっと後ろを振り向いていった。

「へえ、けっこう広いのね。和風っていうのも新鮮だなぁ。あ、衛宮くん、そこが居間?」

 何が気に食わないのか、ふん、と鼻を鳴らしながら居間へと入る。こうなれば手をつけられぬ。私は黙って背景と同化した。

 

 

 

 心の贅肉というが、彼女ほどそれを削ぎ落とそうとして落としきれぬ者もいるまい。

 凛。衛宮士郎。雨合羽を被ったセイバーの三人が夜道を行く。

 衛宮士郎が聖杯戦争に正式に参戦するということになり、無知な奴のために状況説明と参加の是非を問うという、そのために丘の上の教会に向かっている。深山から新都へ、おおよそ一時間といった所である。バスもタクシーも使わずに歩いて向かうのは、私の回復も考慮しているからだ。元の供給がしっかりとしているので、予想以上に回復は早い。とはいえ十分な力量が戻るのは二日は軽くかかるあたりどちらにしろ雀の涙だった。

 やがて坂道にさしかかった。

「この上が教会よ。衛宮くんも一度くらいは行った事があるんじゃない?」

「いや、ない」

 雑談をまじえながら坂道を登っていく。もどかしさで、もぞもぞと胸が痒い。顔にも態度にも出したことはないが、教会というのは私にとってのタブーの一つだ。同時に、神父もそうである。トラウマは、英霊となりし今でも私の奥深く根付いている。

「うわ――すごいな、これ」

 チャペルは神と生を啓すると同時に死を司る。豪奢に極まった壮大な教会は、しかしその片方しか担ってはいない。死のみだ。瘴気は巧妙に隠されてはいるが、一度知ってしまった人間から見れば、どうしようもないほどに汚濁にまみれている。

「シロウ、私はここに残ります」

 教会の入り口を前にし、雨合羽姿のままのセイバーがいった。

 なんでだよ、と聞き返す衛宮士郎の言葉を遮り、私は凛の背後から実体化を果たした。

「では私もだ。凛、なるべく早く帰ってくるんだな。他人を思いやるのも大事だが、もう聖杯戦争の幕は開いているのだ」

「うわ、お前いきなり……!」

「ええそうね、全部わかってるから心配しないで。落ち着いて衛宮くん、あれがわたしのサーヴァントよ」

「こいつが、遠坂の?」

 対峙する。

 衛宮士郎。衛宮士郎よ。お前に生きている価値はないのだ。怨念は、私の皮膚の内部で膨張を、やめない。

 直視すれば、吐き気を催しそうになるので、目を限りなく細めていった。

「さっさと行って、リタイアしてくるのだな。それと、凛、この男がどういう判断を下すにしろ君が気に病む必要はどこにもないのだからな」

 男の顔が、かっと赤くなっていた。気に障ったのか、直立不動のまま両の拳を震わせる。私も気を緩めればそうなるだろう。口の端に笑いを浮かべるに留めておいた。しかし私も、殴り飛ばしてやりたくなるとは、自制はすれど興奮しすぎだった。むしろ、我慢が利いているのが不思議なくらいだ。この時を求めて全ての時代の屍を闊歩したのだ。暗い恍惚を覚えたとしても、何ら不思議がない。

 ふっと、私と奴の間にセイバーが立ち塞がった。

「双方下がれ。少なくとも今は、この建物に用件を果たしにきたのだ。戦うにしてもその後にすればいい、シロウ」

「そうよ、アーチャー退いて」

 私は素直に命令に従い背を向けた。男は、それでもセイバーを押しのけて食って掛かるのを止めない。今一度、私は振り返った。

「俺は、お前が嫌いだ」

「全く同感だ」

「ああ、もう。埒があかないんだから……! 衛宮くん行くわよ、ホラ!」

 片腕を引っ張られ、ようやく男は教会へと消えていった。私は憎悪の余韻を残したまま、不意に静かになった広場で立ち尽くす。私以外には滑稽な雨合羽を被ったままのセイバーしかいない。彼女は、遠坂凛とは違った意味で胸に染みた。彼女はあの頃の彼女のままだが、私はあの頃の俺ではなく、向けてくる視線は敵意の眼差しでしかないのだから。

 沈黙に耐えられなかったのは、彼女のほうだった。

「ここに来る間、始終シロウに殺気を向けていたようだが。再戦が望みか」

 セイバーは精悍な表情を崩さぬままいう。

「どうやら貴殿のマスターとシロウは旧知の間のようだ。マスターの意に背いて剣を振るうことは私の望む所ではない。だが挑んでくるのであればその域ではない」

「なに、私も傷つき万全ではない。この状態で君に挑むのはいささか無謀だろうな」

「では問おう。ならなぜ霊体の上でなお感じるほどの殺気をシロウに放つ。斯様な、マスターに対しての尋常ならざる気配を感じれば、剣の柄より手が離れることはない」

「勘違いだろう。先ほども、そちらの小僧が突っかかってきたことだ」

「愚弄は許さん」

 濃緑の瞳も吊り上がるほどに、きっと睨んできたが私は肩をすくめていなした。

「なに、まぁ落ち着け。必要以上に案じないことだな。君がそれほど心配をしなくても、マスターを受任して戻ってくるだろうよ」

「心配などしていない」

「まぁいい。いずれは再び相対することになるだろうからな。余計な馴れ合いは無意味だろう。一度は不覚を取った。二度はないぞ」

「それはこちらの台詞だ。次に剣を振るときは、そなた逃走は叶わぬと覚えておくがいい」

 二人して、うっすら笑った。

 私は英霊となって、いつかの日の抉られた追憶を取り戻したいと願う瞬間もあった。今はその気持ちすら削り取られたが、こうして彼女の顔を再び見て、言葉を交わすと全てのわだかまりが霧散した。お互いが敵同士であり、殺し殺しあう間柄となってしまったということについてもどうでもいい。悲しいという感情は既に私の中では滅んでいる。

 私がこうして強くなったのは、あの日の君の面影を追ったからだ。ただそれを告げたいという気持ちだけが未練がましい古傷のように時折疼く。時折、だけ。

 やがて衛宮士郎と凛が教会より出てきた。私は再び凛の影となり、セイバーは衛宮士郎の下へ行き、判断の是非を確かめているのだろう。わかりきっている結末を、私は確かめる気にはならなかった。

「凛。これで妙な馴れ合いは終わりだろうな」

 レイラインを通して聞く。凛は、当たり前よ、というニュアンスを含ませながらうなずいた。

「明日からは、真っ当な敵として扱うわ」

 今から、という答えでなかったのが半ば残念ではあった。

 

 来た時と同じように、だが幾分違う雰囲気で坂を下りゆく。原因を私は考えようとはしなかった。衛宮士郎の決断など、とうに知れていたからだ。

「遠坂、お前のサーヴァント」

「え?」

 幾つめかの街灯を通り過ぎたとき、衛宮士郎が聞いた。

「ムカつく奴だけど、大丈夫なのか。セイバーにばっさりやられてたじゃないか。さっきは平気そうだったけど」

「ええと、うん。アーチャーなら」

「余計なことは言わなくていい」

 私は凛にだけ聞こえるようにいった。ムカつくといいつつも、気遣おうとするのは虫唾が走るほどの欺瞞だ。

「……大丈夫そうね。あなたのことよっぽど嫌いみたいだわ、ってお互い様か」

「ああ。こればっかりは俺にもわからないけど、嫌いだ。でも何もいきなりセイバーに斬られて死んでしまうのも気分が悪いし、実はさっき顔出したとき少し安心した」

 余計なお世話だ。

「ええ、だからもういいわ。あのときのセイバーの判断はすこぶる正しかったもの。油断したこっちが悪いだけ」

 ね? となにやら同意を求めるように私に意識を向けた。私は黙ってそっぽを向き、彼女はくすくすとにやけながら衛宮士郎と会話を続ける。言峰という男からサーヴァントの正体についてまで、話はしばらくは尽きないだろう。セイバーはひたすら寡黙に徹している。

 まったく要領を得ない男の反応に、凛は一つ一つ生真面目に答えてやる。サーヴァントの由来、何処の英雄かということ、真名は戦闘においても重要な意味を持ち決して自分以外に知られてはならないということ等々、実に人がいい。私は辟易しそうになった。

「ふーん。じゃあ遠坂も、あの赤いヤツの真名を教えてもらったんだな」

「え、あ、うん。当たり前じゃないっ。すぐに教えてもらったわよモチロン」

 あたふたと、誤魔化しつつも誤魔化しきれる辺りがどうにも救いがたい。苦笑した。

「そうか。じゃあ俺も後で」

「あ、待って……そうね、あなたの場合は逆に教えてもらわないほうがいいかも」

「なんでさ」

「だってあなた、隠し事できないでしょ?」

 あれこれと話しあう二人と、黙々と後に続く黄色い雨合羽のセイバーと、霊体化した私を合わせて四人で坂を下る。仄暗い街明かりを辿るように、国道から橋へと向かい一路深山へと戻る。

 やがて、話が一段落ついたあたりで、凛が最後だとばかりに口を開いた。

「さて、義理は果たしたから。明日からはきっぱり、敵と敵よ」

 矛盾した物言いだった。明日から争うという言葉にしろ、今宵手助けしたということにしろ、善意に過ぎる。そのうえ、一度は命まで救っているのだ。けれど、この矛盾こそが彼女の本質なのかもしれない。

 目の前の男は自分が一度命を蘇生されているということにすら全く気付いていない。自分のことを棚にあげている感覚はあれど、はっきりといまいましく思った。

「ええと、俺、遠坂と戦う気はないんだけど」

「……ここ小一時間の話、ぜんっぜんわかってないわね」

 それからしばらく、あーだこーだと今日何度目かなるややずれた言い合いをし、ようやく橋にやってきた。

 橋上は風が吹く。優しい冬とはいえ、深夜は気温も下がり寒いことに変わりはない。それでも死に果てた薄ら寒さではなく、人が生きる街から街へと流れる、温かい寒さだった。

 ここから深山が見える。新都に比べこちらはさらに静かだった。橋を一つ隔てているだけでも、なぜかかなり離れているように見える。

 すでに日付が変わって一刻二刻。世界が最も邪悪を呼び寄せる時間となっていた。街灯の数さえ少なくなり、夜はいよいよ魔物さえおびき寄せんばかりの怪しさを呈する。

 そして、邪悪は現れた。

 瞬間、冬は威力を増して空間を凍結した。時さえ硬直した。あらゆるモノがあらゆる業に襲われた。断罪の瞬間だった。少女の声が、ただ一つの生きた声で――されどそれすら死に体のような――さえずるのを許されていた。

「――ねえ、わたしも混ぜてくれない?」

 くすりという笑みさえナイフの刃。そして極上の邪悪は呼応する。吼え声は、暴力を乗せて月下を揺るがした。


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