条件付けについて独自解釈があります。
あの公園に行きたいというわたしの願いを、ラウーロさんは受け入れてくれた。
わたしに名前をくれた場所だという事も、しっかり覚えてくれているようだった。
こうしてわたしの中に、また一つ幸せが積み重なっていく。
それはとても嬉しいことで、同時に悲しいことだ。
わたしが先に抱いた恐怖は杞憂だった。
ラウーロさんが注いでくれる幸せは途切れることなく、わたしの中に蕩々と流れ込んでくる。
しばらくは、その幸せに身を委ねていられた。
けれど――、わたしは自分の強欲さに、罪深さに恐れおののく。
ラウーロさんは、わたしを大切にしてくれている。
それはきっと、いつまでも続くことだろう。
でも、いつまでもというのは、一体いつまで?
……目を逸らすのは止めよう。
とっくに分かっていた。
いや、それも違う。
分かったふりをしていただけだった。
ぬくもりを知ったからこそ、理解できるようになってしまった。
この幸せは、ぬくもりは――、
遠くない未来に訪れる、わたしの死をもって幕を下ろすのだと。
幸せだから、温かいから、やがてくる喪失への恐怖はより大きくなっていく。
だからわたしは、決断をした。
公園の駐車場から、ラウーロさんと手をつないで歩く。
大きな手のぬくもりが心地よい。
このささやかな灯火が世界の全てで、永遠に続いたなら、どんなにか幸せなことだろう。
けれども時は刻まれ続け、そうして約束の場所に辿り着く。
「ラウーロさん、この公園を覚えていますか?」
「ああ、勿論だ。『エルザ・デ・シーカ』。エルザに名前を付けた場所。大事な場所だ」
ラウーロさんはしみじみと、そう言ってくれた。
大事な場所。
胸が幸福で満たされていく。
「覚えててくださって嬉しいです。この名前は、ラウーロさんに頂いた宝物です」
「そう言ってもらえると俺も嬉しい。それと、名前には及ばないかもしれないが、エルザの宝物をもっと増やしてやりたいと思ってる」
僅かな憂いを含んだ、ラウーロさんの微笑み。
そう、ラウーロさんも考えてくれているのだ。
わたしとラウーロさんの、おしまいを。
そうして、わたしは迷いを捨てた。
「それなら――」
自然な動作で、銃を手にする。
セーフティーはあえて外さない。
「ラウーロさん、あなたの全てをください」
わたしはラウーロさんに真っ直ぐ銃を向け、自分の願望を晒した。
無事に銃を向ける事ができて安堵する。
もしかしたら、条件付けのせいで担当官に対する攻撃的な動作ができないかもしれないという不安があったからだ。
ただ、セーフティを付けているからこそ可能なのかもしれないという懸念はある。
「エルザ――」
ラウーロさんは唖然とした表情を見せる。
そうですよね。
あんなに良くして頂いたわたしがこんな事をしでかすなんて、思ってもみなかったですよね。
申し訳なさでいっぱいになるが、もう止められはしない。
ラウーロさんは驚きつつも、どこか冷静に思考を巡らしている。
すごいなぁ。
「セーフティー掛かったままだぞ」
ラウーロさんならきっと、気づいてくれると思っていました。
「あっ!?」
わたしは虚を突かれたように一瞬射線を外す。
致命的な隙だ。
そこから、わたしの思考は急速に巡り、時間が引き延ばされる感覚に陥る。
一番の望みは、このままラウーロさんがわたしを撃ってくれることだ。
今の幸せに満ちた状態で、ラウーロさんの手で終わらせてもらえる。
それは、どうしようもないほどに魅惑的な終幕。
きっと、ラウーロさんは生涯わたしを忘れはしないだろう。
わたしは、ラウーロさんの中で一緒に生き続けることができるのだ。
だから、本気でラウーロさんを撃ちにいく。
わたしを殺すしか、止める方法は無いという状況をつくり出す。
思考速度とは裏腹に酷くゆっくりした現実の動き。
ラウーロさんが銃を抜き、セーフティを外して引き金に指を当てるのが見える。
そうして、わたしの指もようやくセーフティを解除する。
ここからだ。
ラウーロさんとは丁度良い距離を取った。
銃を奪ったり手放させたりという方法での無力化ができない距離。
わたしを止めるには、殺すしかないという距離。
わたしは渾身の力で体を制御する。
ラウーロさんにセーフティの外れた銃を向けようとすることへの忌避感を押し潰す。
できた。
わたしの死の覚悟は、条件付けを凌駕した。
わたしの本気は、きっと伝わっている。
タイミング的には、迷わなければラウーロさんの方が速い。
もしラウーロさんがわたしを撃つことを躊躇したならば、わたしはそのままラウーロさんを撃つ。
最愛の人を、この局面でなおわたしを気遣ってくれる優しい人を、撃つことになる。
そうすれば、わたしは迷わずに逝ける。
最愛の人を手に掛けた最悪の自分が、絶望の中で自害するのは如何にもお似合いだからだ。きっと地獄へ落ちて、業火で焼かれ続けることだろう。
ラウーロさんの全てを奪い、昏い喜びの中で死ぬ自分。
それはとても蠱惑的だ。
けれど、同等にラウーロさんに生きていて欲しい自分も確固として存在する。
……嘘だ。
同等なんかではない。
本当は、ラウーロさんを撃ちたくなんかなかった。
それならこんな馬鹿げたことを止めればいい。
理屈では分かっている。
けれど、このままではやがて確実に訪れる終わりに怯え、ラウーロさんがくれる幸せに耐えきれず、幸せを幸せと受け止められなくなってしまいそうな自分の姿が容易に想像できてしまった。
そうなってしまうくらいなら、いっそのこと……。
――だからラウーロさん、どうかわたしを殺してください。
切なる想いを胸に、わたしは思考を閉じた。
急速に戻ってくる時間の波。
わたしの銃は、まだ狙いを付けられていない。
銃を持つラウーロさんの手は一切のよどみなく動き――、
「やめてええええええええええええええええ!」
わたしは叫んだ。叫ぶことしかできなかった。
ラウーロさんの銃は、あろうことかラウーロさんの頭に向けられている。
どうすればいい? どうしようもない。
当然わたしは撃ってもらえない。
わたしがラウーロさんを撃つのも無理だ。
それよりも速く、ラウーロさんは自らを撃つという確信があった。
殺されることも、殺すことももはや叶わない。
そう意識した刹那、先程まで圧倒していた条件付けの行動阻害が一気に襲いかかってくる。
指は自然に引き金から外れ、目には涙が溢れ、もはや立っていられない程に平衡感覚が狂っていく。
わたしは、そのまま地べたにへたり込むしかなかった。
そうして、ラウーロさんは頭に突きつけていた銃を下ろした。
「エルザ、お前に殺されるのもお前を殺すのも、プレゼントにはできないよ」
ラウーロさんの声がとても哀しそうに響いた。
そんな声を出させてしまったことに、強烈な罪の意識がわいてくる。
わたしは自分の体が、とても冷たいもので覆われていくのを感じた。
――ああ、なんて寒いんだろう。
そのまま、全てが雪の中に消えていくように、わたしの意識は薄らいでいった。